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「メメント・モリ」(死を想え)って、どういうこと?~重松清著『峠うどん物語(上)』を読んで~

 録画保存していた劇場版映画を再生し視聴したことをきっかけにして、その原作者の他の著書を読むという習慣みたいなものが身に付いてしまった。先月末に視聴した映画は、以前に重松清氏の原作を読んでいた『きよしこ』だった。著者の分身のような吃音の少年「きよし」は、言いたいことがいつも言えず、悔しい思いを抱きながら独りぼっちの境遇にいた。だから、思ったことを何でも話せる友達が欲しかった。その「きよし」が、小学校1年生になった年の聖夜に不思議な少年きよしこ」に出会い、それをきっかけにして「きよし」は一人、不器用に、不細工に素手の闘いを始めるのである。…『きよしこ』という作品は物静かな小説であり、それを映像化した映画もその特徴を生かした、しっとりとした作品に仕上がっていた。私は、映像を通して久し振りに重松作品の清々しい世界を堪能した。

 

 視聴後、私は若い頃からハマっていた重松作品の世界をまた味わってみたいと思い、書斎机の横に置いてある本立ての中にずっと積読状態にしていた文庫本『峠うどん物語(上)』を手にした。そして、ステイホームを続けていたGW中に読み始めた。本作品の舞台は、市営斎場の真ん前に建つ「峠うどん」といううどん屋。中学生の淑子は、共に小学校教師をしている父母の反対を押し切って、祖父母が営む「峠うどん」の手伝いを続けている。その淑子が出会う複雑でやりきれない事情を抱える人たちが、そっと伝えてくれる温かくて大切なことを描いた小さな物語の連作集。それが、本作品である。

 

 私はその小さな物語の中でも、第5章の「メメモン」という話に心が強く惹かれた。中学3年生の夏休みになっても「峠うどん」の手伝いをしている淑子は、小学6年生を担任している父親から自由研究のテーマに「お葬式の見学」を選んだ5人組の班のことを聞く。そして、そのお葬式見学部隊の世話を、父親は淑子のフォローもあって祖父母に頼み込むことに成功する。でも、見学初日に実際に参加したのは男子2人女子1人。そして、2日目には何と女子しか参加しなかった。そのミヤちゃんこと宮本さんという女子は、複雑な家庭環境にあった。8人家族だけど、今は一緒に暮らしているのは5人。曾祖母と祖父母が入院中なのである。特に曾祖母は最近、特別養護老人ホームに入所した後、容態を悪くして提携している病院へ移され、今は昏睡したまま酸素吸入と点滴で命をつないでいる状態である。その曾祖母は、ミヤちゃんが物心ついた頃には認知症に冒されており、嫌な思い出しか残っていない、まるで赤の他人同然の存在だった。だから、ミヤちゃんは曾祖母が亡くなった時に全然泣けないんじゃないかと心配している。そのミヤちゃんの見学の世話を淑子は引き受けるが…。

 

    題名の「メメモン」というのは、淑子の父が「お葬式の見学」をすることの意義について説明する際に引用した「メメント・モリ」(死を想え)というラテン語を、淑子の祖母が勝手に言い換えた言葉である。私は、この場面で「メメント・モリ」という言葉を見た瞬間に、若い頃に読んだというか観た藤原新也著『メメント・モリ』という写真集を思い出した。特にその中で「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」という文言を添えられた、片足を犬に食われている死体の衝撃的な画像が鮮明に蘇ってきたので、書棚の奥の方に仕舞い込んでいた同書を引っ張り出していた。そして、パラパラとページを捲りながら、当時、戦慄の中で抱いた“死”の無常さと“生”の有限性に対する自覚を改めて想い起していた。ただ、それらはまだまだ観念的なものに過ぎなかったのだが…。 

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 しかし、本書の「メメモン」という話の終盤で、開店前の準備で忙しく働く祖父母の背中を見ながら、淑子が自然に胸をじんとして語る、次のような箇所は「メメント・モリ」(死を想え)をより身近な言葉として実感的にとらえることができた。

 

 …家族がいる-。20年後にはおじいちゃんもおばあちゃんもいないかもしれない。30年後だと、たぶん二人ともいないだろう。20年前にはわたしは生まれていない。30年前だったら、お父さんとお母さんはまだ出会ってもいない。「いま」だから、この家族がいる。ふだんは「いま」と「いつも」の違いはほとんど感じなくても、「いま」は必ず過去のいつか始まって、未来のいつか、必ず終わってしまう。その終わってしまう「いつか」を思うことが、メメモンなのかもしれない。…

 

 「メメント・モリ」(死を想え)って、単に観念的にイメージするのではなく、いつか「家族が亡くなること」を実感することであり、まずは今「家族がいること」を実感することではないだろうか。この「メメモン」という短い話は、私にそのようなことを教えてくれる珠玉の物語になったのである。

 

 GWは、後半を迎える。『峠うどん物語(下)』には、私にとってどんな意味や価値を教えてくれる話が待ち構えてくれているのだろうか。早速、今日からそれを楽しみに読んでいくことにしよう。