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桃栗三年、柿八年、柚子(ゆず)は九年で花が咲く!~重松清著『峠うどん物語(下)』を読んで~

 全国的に新型コロナ・ウイルスの変異株が猛威を振るい始め、大都市圏はもとより地方都市にも感染が急激に拡大している。そのために、当該都府県には「緊急事態宣言」を発令したり「まん延防止等重点措置」を適用したりして、政府及び各地方公共団体はその対応策を必死で講じている。現在、本県でも「まん延防止等重点措置」が適用され、私の住んでいる市はその措置地域に指定されている。しかし、それにもかかわらず県内全体では連日20~30人ぐらいの新規感染者が出て、医療提供体制は逼迫しつつある。だから、知事や市長は市民に対して「飲食店等の時短要請」や「不要不急の外出自粛」、「感染回避行動」等の徹底を強く呼び掛けており、私たちは我慢の日々が続いている。

 

    とは言うものの、実は私について言えば、それほど“我慢”しているという意識は低い。その理由は、私の趣味は屋外で楽しむ「スポーツ」だけでなく、屋内で楽しむ「読書」や「ブログ」等もあり、ホームステイをしていてもそれらの趣味を十分楽しむことができるからである。このGW中も、前半は『峠うどん物語(上)』(重松清著)を読んでブログにその所感を綴る活動に取り組んだ。そして、後半に入ってからはその下巻をのんびりとした気分で読み、今、当記事を綴っているという次第である。

 

 前回の記事では、私が心を強く惹かれた上巻の第5章「メメモリ」という話を取り上げ、その中で「メメント・モリ」(死を想え)という題名の藤原新也氏の写真集について触れながら簡単な所感を綴ったが、今回は下巻の最初の章である第6章「柿八年」という話を取り上げてみようと思う。というのは、前回と同様にこの題名から連想したある本について少し触れてみたかったからである。

 

    その本とは、第146回直木賞受賞作家の葉室麟氏が著した『柚子の花咲く』。恩師・梶与五郎が殺害された真相を探るべく、隣藩への決死の潜入を試みる若き筒井恭平の恩師への思いとその行動を中心に描かれた感動の長編時代小説である。物語の最後に、日坂藩の郷学、青葉堂村塾の教授を務めることになった恭平が、恩師の与五郎も常々語っていた「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉を塾生たちに語り掛ける場面がある。私はそれを思い出したのである。私は書斎にある移動式書棚の中から同書を取り出して、1枚だけ緑色の付箋を貼っているページを捲ってみた。すると、そこには私の心に強く残った別の言葉が記されていた。それは、この物語の登場人物の一人、永井清助が許嫁のさなえに語った「自分を嫌うことは自分を大切に思っているひとの心を大事にしないことになる。」という一言。この一言は、実存的存在としての自分だけでなく、関係的存在としての自分も大切にすることの意義を説いており、当時の私には重たい言葉だった。「読書は自分の人生の支えになる」と、強く実感させてくれた本だったのである。 

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 さて、話を本書の「柿八年」へ戻そう。今から50年前の10月下旬、淑子たちのすむ街に大型の台風が上陸し、記録的な大被害をもたらした。今年の9月、地元のローカル新聞とテレビ局では、その当時のことを振り返り、これからの防災に活かしていこうという『語り継ぐ大水害の記憶』という企画が始まった。新聞には体験者の手記を掲載するコーナーが設けられ、その中に千恵さんという66歳のおばあさんから次のような気になる投稿があった。「…水害の翌日、住まいや家族を失ってしまった人たちに路上で無料のうどんが振る舞われた。若いうどん職人があり合わせの材料でつくってくれた、心づくしのうどんだった。もちろん卵や天ぷらといったネタはない素うどんだ。薬味のネギもなかった。ただ、そのうどんには、色づいた柿の葉が一枚載っていた。…」新聞社は、この「柿の葉うどん」をつくった善意の職人さんを捜す企画を始めた。淑子は、そのうどん職人は若かりし頃の祖父ではないかと思い、父母や祖父母に尋ねてみるが…。

 

 物語の展開が中盤に差し掛かったところで、祖母が祖父と出会った頃のことを淑子に語る場面がある。…紡績工場で働いていた20代半ば過ぎの駒子(淑子の祖母)は、一人前のうどん職人になって独立するにはまだまだ時間がかかりそうな修吉(淑子の祖父)と出会い、要領の悪い点が似た者同士だったので付き合うことになった。その時に自分たちの将来にほんの少しだけ不安を感じた駒子と修吉は、「二人で柿八年を目指そうー。」と誓い合った。この「柿八年」という言葉は、このあたりで昔から言い継がれてきた「桃栗三年柿八年、枇杷びわ)は九年でなりかねる、梨の大ばか十八年―。」という言葉からの引用である。では、その意味はというと、自分たちはすぐ芽が出る「桃栗3年」のようにはいかないが、だからと言って「梨の大ばか十八年―」までのんびり待つ訳にはいかない。せめて「柿八年」くらいでは将来の夢の実現に向けて何とか目鼻をつけたいという意味なのである。

 

 私は「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなりかねる、梨の大ばか十八年―。」という言葉が好きだが、「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉も好きである。どちらかといえば、後者の方をリズミカルな口調でつい口ずさんでしまう。そして、自分の今までの人生を振り返ってみると、「桃栗三年」を目指したものの、結果的には「柿八年」も叶わず、やっとのことで「柚子は九年で花が咲く」人生ではなかったかととらえている。また、これから先どれだけ生き永らえるか分からないが、まだ実現したい夢をもつ梨好きの私としては「梨の大ばか十八年―」の人生でもいいなあとのんびりと構えている今日この頃である。