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「松本清張の天皇制観」を探る②~松本清張著『神々の乱心(上・下)』と原武史著『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』を読んで~

 今月13日(日)の午後に放送された読売テレビの「そこまで言って委員会」のテーマは、「皇室」であった。その中で「皇位継承」や「女性・女系天皇」について取り上げた議論は、とても興味深く大いに学ぶことがあった。と言うのは、「男系男子の継承」を尊重しようとする考え方は、単に意固地な保守主義的なのものではないことを教えてくれたものだったからである。外国人によって我が国独自の「皇統」を損なうことが起きるという視点は、前回の記事で私が主張したかったことを明らかにしてもらったようで、喉に刺さった棘が抜けたような気分になった。我が国の「天皇制」の今後の在り方は、「皇統」についてしっかりと学んだ上で考えなれければ、誤った方向へ足を踏み出してしまう結果になることを痛感した。

 

 さて、前回の記事では『神々の乱心(上・下)』(松本清張著)の物語内容から垣間見えた「松本清張天皇制観」の一つの視点である「アジア的」について、『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』(原武史著)を参考にしながら概説し、原氏の批判的意見に対する私なりの考えも付け加えてみた。今回は、もう一つの視点である「シャーマニズム的」についてなるべく簡潔に綴ってみたいと思う。

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 『神々の乱心』の最終章「月辰会の犯罪」において、シャーマンの江森静子が乩示を行う前、凹面鏡=多紐細文鏡に向かって祈る場面が描かれているが、これは邪馬台国卑弥呼の姿を彷彿させるとともに、皇居の宮中三殿で行われる「宮中祭祀」を思い出してしまったと、原氏は述べている。具体的には、「聖歴の間」は賢所に、凹面鏡は賢所に安置されている八咫鏡の分身に相当し、低い声で祈りの言葉を述べる江森静子の姿は、「宮中祭祀」で御告文と呼ばれる祝詞を読み上げる天皇の姿にも似ている。また、斎王台の静子に続いて、斎王台を継承する斎女の美代子が礼拝するというのも、「宮中祭祀」で皇太后に続いて皇后が、あるいは皇后に続いて皇太子妃が礼拝するのと似ているというのである。

 

 これらのことは、卑弥呼を女王とする邪馬台国を想定した古代王朝には「シャーマニズム的」宗教が入り込んでいて、その「名残り」が昭和初期にもまだ消えていないと、清張がとらえていたことの証しであろう。すなわち天皇の権力だけが突出する家父長的な専制とは異なり、女性がシャーマンとして神に仕えるとともに権力を持ち、男性が補佐する体制である。清張は著書『昭和史発掘』において、近代天皇制を解明する上で「アジア的」な古代天皇制を研究するより、「シャーマニズム的」な邪馬台国を研究した方が有益であるというようなことを記している。このような記述内容は、清張が近代天皇制を古代天皇制の復活と見なす「アジア的」な解釈を放棄するようになったことを表わしていると思われる。

 

 私は、現憲法下における天皇制の深層を探るためには、この「清張の天皇制観」の中核となる「シャーマニズム的」という視点は大きな意義を持っており、それを現在まで色濃く残している「宮中祭祀」のもつ意味や内容及び方法等について理解を深めることが不可欠であると考えている。したがって、まずは「宮中祭祀」の基本的事項について知ることから始める必要があり、私の覚書とするともに読者の皆さんの参考にも資するために、それらを箇条書きしておきたい。

 

○ 現在行われている「宮中祭祀」は、江戸時代後期に復活した新嘗祭を除くほとんどが明治になって再興されたり、新たに作り出されたりしたものであるので、古代の天皇制がそのまま近代に繋がっている訳ではない。

○ 1908(明治41)年に公布された皇室祭祀令によれば、「宮中祭祀」には大きく分けて、①天皇が自ら祭典を執り行い御告文を読み上げる「大祭」、②天皇が拝礼するだけの「小祭」の2つがあった。

○ 1947(昭和22)年に皇室祭祀令は廃止されたが、「大祭」の紀元節祭(2月11日)と「小祭」の明治節祭(11月3日)が臨時御拝に変わっただけで、「宮中祭祀」の基本は受け継がれた。

○ 現在の「大祭」には、元始祭(1月3日)、昭和天皇祭(1月7日)、春季皇霊祭・春季神殿祭(春分の日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭・秋季神殿祭(秋分の日)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日~24日)、大正・明治・孝明各天皇式年祭がある。

○ 現在の「小祭」には、歳旦祭(1月1日)、孝明天皇例祭(1月13日)、祈年祭(2月17日)、香淳皇后例祭(6月16日)、明治天皇例祭(7月30日)、賢所御神楽(12月中旬)、天長祭(12月23日)、大正天皇例祭(12月25日)と、綏靖から仁孝までの各天皇式年祭が各相当ある。この他、月3回行われる旬祭がある。

○ 新嘗祭を除く「大祭」と、歳旦祭祈年祭、天長祭を除く「小祭」では、天皇のほかに皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃も「宮中祭祀」に上がって礼拝する。

○ 天皇制が戦前と戦後で大きく変わり、「宮中祭祀」が天皇家の私事になっても、祭祀の具体的中身はほとんど変わっていない。

 

 以上のような「宮中祭祀」の基本的事項を見ても分かるように、「天皇の本質は祭り主」であり、「宮中祭祀」こそが「皇室」の存在意義だと言えるのである。くどいようだが、「清張の天皇制観」の中核となる「シャーマニズム的」という視点は、現在の「天皇制」や「皇室」について深く考えていく上で不可欠な視点になっていると考えるのである。そういう意味でも、松本清張の『神々の乱心』という「遺言」は、私たちに途轍もなく大きな宿題を残したのではないだろうか。