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主人公が未だに偏見や差別が残る「屠殺(とさつ)」という仕事を選んだ理由は?~佐川光晴著『生活の設計』を再読して~

 前回の記事で、「神道」における「穢れ」という概念とそれを「祓う」という意味について綴った際に、中世社会になり仏教思想や陰陽道が浸透することによって、特定の人々を「穢れを有する人々」として扱うようになり、それらの人々を排除・差別しようとする意識が平安貴族から生じてきたということに触れた。しかし、排除・差別された特定の人々について、あえて言及しなった。その理由は、我が国の部落差別問題についての総合的知見が私にはまだまだ足りず、誤った歴史認識に基づく誤解を読者に与えてはならないという意識があったからであった。

 

 ただし、中世社会において「濫僧(ろうそう)」(僧形の乞食)や「屠者(としゃ)」(生き物を殺す者)を「穢れを有する人々」として扱い、後に「非人(ひにん)」と総称されて排除・差別される対象者になっていったことは、被差別部落が形成される胎動期の史実の一つとして現在認識されていることは間違いない。この中の「屠者」というのは、牛馬等の「屠殺」に携わる人々のことであり、現代社会においては「食肉解体業者」と呼ばれていると思うが、未だに理不尽な偏見・差別を受けている職業ではないかと思う。その理由は、以前に読んだ「屠殺場」を描いたある小説においてそのことが記されていたからである。その小説とは、私が新任教頭として山間部の僻地校へ単身赴任していた頃(2000年頃と記憶しているが…)、新潮新人賞を受賞した『生活の設計』(佐川光晴著)という小説のことである。

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 当時、週末になると自宅に帰って単身赴任の疲れを癒していた私は、休日には近所の書店や古書店に出掛けて、面白そうな本を物色するという習慣が身に付いていた。次週の平日の夜、私にとって至福の時間を提供してくれる「読書」の友を探すためである。書店に並んだ本書を手にしてざっと内容に目を通した私は、「屠殺」という仕事を選んだ主人公の内面を巧みに描いている著者の筆致に魅了された。私は躊躇することなく入手したと記憶している。そして、翌週には勤務校の校舎裏に建っていた教員住宅で、就寝前に本書を読み耽ったのであった。私は当時の想いを振り返りたくて、同著者の『ジャムの空壜』『縮んだ愛』『おれのおばさん』『おれたちの青空』等の作品群と一緒に書棚に並べていた本書を、約20年振りに取り出し再読することにした。

 

 そこで今回は、本作品の主人公が未だに偏見や差別が残る「屠殺」という仕事を選んだ理由についてまとめながら、私なりの考えも付け加えて記事を綴ってみようと思う。

 

 本作品は、「わたし」という主人公による一人称の語りによって、「わたし」を中心とした人々の様子を描いた小説であり、主人公の職業や年齢、家族構成等についてほぼ著者に関する事実をそのまま物語に取り込んでいる「私小説風」の小説である。その内容は、「わたし」が「屠殺」という仕事を選んだ理由について、様々な出来事に遭遇する度についつい考えてしまい、自分なりに納得するものを見出そうとすることがメイン。北海道の大学を卒業すると同時に結婚した「わたし」は、東京の小さな出版社に就職するが、入社後わずか1年でその出版社が社長の急死によって倒産してしまう。そして、しばらく職安へ出向き「編集者」志望で就活していたが、何を思ったかある日突然「屠殺場の作業員」志望へ転じ、自宅アパート近くの「埼玉県営と畜場」に入社することになる。それから6年経った今も、やはり「屠殺」という仕事を続けている。「わたし」がこの仕事を選び、続けている理由を、表向きは「汗かきのために身体が冷えて腹を下しやすい体質には最適だから」とか、「キツイ仕事なので午前中で終業になるため、共稼ぎの妻にも幼い息子にも都合がいいから」とか話しているが、それらの理由は他人を説得するのはもとより、自分自身を納得させるのにも物足りず…。

 

 そんな「わたし」が今日、屠殺場で脊髄反射した牛に右目とこめかみの間を蹴られる事故に遭う。そして、その場にうつ伏せに倒れたままになっている時、ついに自分が「屠殺」という仕事を選んだ理由を発見する。屠殺場で牛を解体した部位、例えば切断された牛の乳房や尻尾の先、後ろ足、陰茎、首、内臓、半身等のリアルな風景を目の前にした「わたし」は、自分も解体された牛のようにあらゆるところへ体を分けられてしまい、あらゆるものと混ざり合ってしまいたかった。「わたし」ではあるが「わたし」ではなく、「わたし」が物質として他の物質とともに永遠に動き続けてゆく姿を夢想する。「わたし」は、「物質になりたかった」のである。これこそが、「わたし」が屠殺場で働き出した理由だった。

 

 しかし、それにもかかわらず、「わたし」が今日発見したと思っている真理は、偶然起きた事故を利用してとっさにでっち上げたフィクションではないかと疑う。確かに「わたし」は頭に牛の足による打撃を受けてその場に倒れ、そのままの格好でしばらく作業場の様子を見ていたが、それをどうしても「わたし」がそこで働き出した理由または目的と結び付けなければならないことにはならないと考える。それでは一体なぜそれらの光景を真理、およびそこで働き出した理由と結び付ようとなどとしたのだろうか。おそらく「わたし」は、「汗かき」や「共稼ぎ」といった、いかにも取って付けましたといったような理由ではない理由をどこかで求めていたからではないかと悟る。だたし、それがたとえフィクションであろうと真理であろうと、「わたし」が屠殺場を辞める気になどないことだけは、紛れもない事実なのである。

 

 結局、「わたし」が屠殺場で働いていることを説明するための自他共に納得できるような理由は見つからなかった。だから、もし仮に息子の通う保育園の先生から今の職業を選択した理由を尋ねられても、過去にあったように大学の同級生の「瀬川」からどんなに今の職業について非難されようとも、さらに妻の両親から今の職業を何となく否定的にとらえられていたとしても、「わたし」はこれからも今まで通りの取って付けたような理由を話してお茶を濁すのであろう。息子を保育園に迎えに行って身の回りの世話をし、妻が帰宅するのを待ってから晩御飯の支度をして、息子や妻と共に夕食の団欒を囲み、また息子と遊んで息子が眠くなるころには眠くなってしまうという平凡な生活を送ること。6年前のある日、「わたし」が突然、屠殺場で働き出したことによって、我々の生活がこのようなものになったように見えるのだ。現時点において「わたし」の唯一の職業は、世間では未だに偏見や差別をされるような「屠殺」という仕事なのである。

 

 本書の帯に、「新潮」2000年11月号所収の「新潮新人賞」選者である李恢成氏の次のような選評が記載されている。…この小説のいちばん秀れている点は、ふつう禁忌の視線に晒されやすい「屠殺場」という食肉解体現場に飛び込んでいったこの主人公の生き方が市民本来の姿を模索する元気な視野を保ち、ユーモラスに社会の蔑視感をでんぐり返してしまっていることだろう。人間としての再生を賭けた聖なる(そしてふつうの)職場だからこそ俗社会の偏見と戦えたのだが、さりとてへんな気負いもなく、むしろ小市民的な家族の健全さを大切にする心持が淡々とあらわされているのがよかった。…とても言い得て妙な選評ではないか!

 

 私も、主人公の「わたし」が世間の差別的視線に対して示すさりげない小市民的な姿勢こそ、健全な「反差別」的な表現になっているのではないかと思った。排除や差別の現実に対して事を荒立てることなく淡々として生きる「わたし」の姿勢は、あまりに無防備な対応だと叱られるかもしれないが、私には一人の人間として清々しく、好ましいものに感じられた。また、どのような職場においても、そこで同僚や上司から仕事ぶりを認められ、信頼される人間になりたいと思うことは、社会人として当たり前の姿なのだということも、再認識させられた。今回、再読することによって、本書は私にとって意味深い作品として鮮やかに蘇った。