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「読む」ことと「書く」ことについて考える~若松英輔著『生きていくうえで、かけがえのないこと』から学ぶ~

 7月に再就職して以来、なかなか集中して読書をしたりブログを書いたりすることがままならなかったが、日々の生活リズムに慣れてきた上にお盆休みで一息ついたので、少し心身共にゆとりができてきた。私は、久し振りに市立中央図書館へ足を運び、3冊の本を借りた。以前NHKで放映されたので気になっていた『マルクス・ガブリエル/欲望の時代を哲学する』(丸山俊一+NHK「欲望の時代の哲学」制作班著)、私が気に入っている作家の小説『検事の信義』(柚月裕子著)、そして題名に強く惹かれた『生きていくうえで、かけがえのないこと』(若松英輔著)である。貸出期間は2週間なので、私は以前のように主に就寝前後の時間を利用して、上述の順番にのんびりと読んでいった。その中で、今の私にとって特に考えさされることがあった若松氏の著書を、今回の記事に取り上げることにした。

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 新たに書き下ろした最後の5編以外の本書に収められているエッセイは、著者が作家の吉村萬壱氏と共に亜紀書房ウェブマガジン「あき地」の中の「生きていくうえで、かけがえのないこと」という連載で書き継いだものである。吉村氏による「まえがき」には、「若松英輔の文章には、気休めのようなものがない。どの一篇も、この世で最も深く厳しい次元にまで筆を届かそうとしている。…」と記されているが、私も本書を読みながら同様の感想を抱いた。筆者の言葉は「言霊」と評していいような迫力があり、強い説得力をもっている。そして、その中に実に限りなく優しく、美しい灯を宿しているように思う。

 

 そこで今回は、本を読んだりブログ記事を書いたりすることを趣味にしている私の心に特に強く突き刺さり、新たな希望の灯を点けてくれた本書の2編のエッセイと「あとがき」を取り上げ、そこから学んだことを綴ってみたいと思う。

 

 まず取り上げるのは、「読む」というエッセイ。著者は、「何度となく手にしながら、読み通すことができない」本の一冊として、キュスターヴ・フローベール著『ボヴァリー夫人』を取り上げ、自分の読書の在り方についての問題点を記述している。それは、このような読書は「何かを予期しつつ、調査をするような手つきでする」ものなので、時が熟していないのである。だから、「言葉を交わす程度の接点ではあっても出会いと呼ぶべき出来事にはならない。」と指摘している。そして、ただ茫然と待つだけでは十分ではなく、「本であれ、人であれ、出会うために人は、それを準備する人生の門をいくつかくぐらなければならないようにも感じられる。」と、時が熟すための必要条件を示している。私は自分の読書の在り方について振り返ってみた。どちらかと言えば、私も意図的な読書をする傾向があったが、最近は自分なりの時が熟した頃合いを見計らって、積読状態にしてあった本を読むことが多くなり、愛おしいような読書体験ができるようになった。本と本当に出会えるようになってきたのである。

 

 次に取り上げるのは、「書く」というエッセイ。著者は、「書き手」とは「書くという営みを自覚的に行おうとするときの、人生への態度」と定義付けて、「人は誰でも、心のうちにあることを真剣に書き記そうとするとき、書き手へと変貌する。」と述べている。また、「どう書くかよりも、書くとは何かを、書きながら考えなくてはならない。書くとは、生きることにおける不可欠の営為の呼び名である。」と力説し、「だから、うまく書こうとしてはならない。」とまで主張している。翻って私がブログの記事を書くときの在り方を振り返ってみると、「うまく書きたい」というスケベ心丸出しの姿勢であることを悟り、気恥ずかしい限りである。それに対して、「本当に心が宿ることを、手ではなく、心で書けばよい。」と、著者は指南してくれている。また、「これが、自分の書く最後の文章だ、と思って書くことだ。今書いている言葉は、生者だけでなく、死者たちにも届く、と信じて書くことだ。」とも述べている。私はここまでの覚悟をもって書くことがまだできていない。否、死ぬまで書くことはできないだろう。でも、少しでもそうありたいと願いつつ、今後もブログの記事を書いていこうと思った。

 

 最後に取り上げるのは、「あとがき」の文章。著者は、「本が読めないときは、自分と向き合う時機である。それは自分の人生を新しく支える言葉を、自らが紡ぎ出す時節でもある。」と述べている。そして、「書く」とは「自己とは何かを知る営み」だとも定義付けている。また、「読む」とは「文字を媒介にしながら彼方の世界を感じることであり、そこで文章を書いた者と対話することではないだろうか。」と、読者に問い掛けている。さらに、「言葉は、人間がこの世に残し得る、もっとも美しいものではないだろうか。」と、「書く」ことや「読む」ことの意味や価値を提起している。私は、著者のこのような考えを知るに至り、今一度、「読む」ことや「書く」ことの実存的・社会的な意味や価値について深く考える必要性を痛感した次第である。