ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

小説家で戯曲家でもある「柳美里」という人間について~柳美里著『南相馬メドレー』を読んで~

 今の勤務場所に近い市立中央図書館が数か月ぶりに再開したので、私は昼休みの時間を利用して自転車を走らせた。そして、仕事に関連した『イラストでわかる特別支援教育サポート辞典―「子どもの困った」に対応する99の事例―』(笹森洋樹編著)と、趣味に関連した『てらこや青義堂』(今村翔吾著)『南相馬メドレー』(柳美里著)の3冊を借りた。その中の『南相馬メたドレー』をここ1週間ほどで読み継ぎ、今朝方やっと寝床の中で「あとがき」を読み終えた。

f:id:moshimoshix:20211024230506j:plain

    その「あとがき」の中には、小さい頃からよく迷子になる著者が、つい先日も迷子になったという逸話が書かれていて興味をもった。というのは、その内容から私は、最近研修して知った心理検査でアセスメントすることができる認知スタイルのことを思い浮かべたのである。そして、おそらく著者の認知スタイルは、「同時処理」(まず全体を把握してから,細部を認識していくことが得意)タイプではなく、「継次処理」(ひとつずつ物事を順番に考え,処理を行っていくことが得意)タイプなのだと思った。この「継次処理」タイプというのは言葉による論理的思考を得意とするから、著者は小説家で戯曲家という職業に適性があった。その意味で自分の特性に合った職業選択ができたことは、不幸だらけの著者にとっては僥倖であったと思った。

 

 さて、今回はその著者が神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市に引っ越したばかりの頃から執筆し、月刊誌『第三文明』に連載された「南相馬メドレー」(2015年12月号~2020年2月号)というエッセイに加筆・修正したという本書を取り上げて、その中で私の心に印象深く残った内容の一部を紹介しながら、簡単な所感を付け加えてみようと思う。

 

 まず、<南相馬に転居した理由>という文章において印象深く心に残った内容は、まさにその理由である。著者は、「南相馬ひばりエフエム」で「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを2012年3月16日の放送から毎週務めていて、おそらく1年後には閉局されるだろうという見通しだったので、「閉局まで続けます」と約束したらしい。ところが、意に反して番組は2年を過ぎても続いたために、交通費や宿泊費を工面するのが苦しくなり、約束を果たすためには南相馬に転居するしかないと考えるようになったとのこと。また、放送を通じて出会った地元の方々と親しくなり、家族ぐるみのつき合いをするようになったり、南相馬の方々と暮らしを共にしなければその苦楽を知ることはできないと思うようになったりしたことも大きかったと書かれている。さらに、朝鮮戦争時に難民として日本へ密入国した祖父が、かつてここの原町でパチンコ屋を営んでいたという縁も後押ししたという。私はこれらの転居の理由を知り、著者の人間としての律義さと情の深さのようなものを強く感じた。

 

 次に、<最後の避難所>という文章では、南相馬市小高区の駅通りに2018年4月にオープンした「フルハウス」(「大入り満員」という意味で、著者が初めて出版した小説本のタイトル)という本屋の1か月後の様子が綴られており、そこには著者の本への思いが滲み出ている。著者は、現実の中にはどこにも居場所がなかった子ども時代、本にしがみついて、言い換えれば本の中の登場人物と手に手を取り合って生きてきたという。だから、「この世に誰一人味方がいなくても、本があれば孤独ではない」と信じている。ここ南相馬小高区は、東京電力福島第一原子力発電所から16㎞地点で、原発事故によって「警戒区域」に指定された場所であり、原発事故前に13,000人ほどいた住民は現在2,400人ほどしか帰還していない場所なのである。著者は、そのような場所に本屋を開店した。「現実の中に身の置き場がなく、悲しみや苦しみで窒息しそうな人にとって、本はこの世に残された最後の避難所なのです。」という一文は、本と共に生き抜いてきた著者の人間としての共感力の強さが表れていると私は思った。

 

 最後に、<「転」の連なり>という文章では、51歳になった著者が「50歳以降は起承転結の結を仕上げるのだ」と考えていたのに、東日本大震災原発事故が起きて、南相馬に転居したから実際はそうはいかなかった現実について綴っている。著者が臨時災害放送局で「被災者」の切迫した苦痛の声を聴き続けたために、自分の作品世界の完成を第一に考えることができなくなってしまったのである。このことを通して、著者は「自分というのは確固とした不変の存在ではなく、他者との出会いによって流動するものだと気付いた」のである。つまり、今を生きるということは「結」という終点がある道程ではなく、延々と他者に巻き込まれて、他者を巻き込んでいく「転」の連続であるということに気付いたのだ。私は67歳の今でもどこかで自分の人生の「結」に向かって生きているような意識をもっていたと思う。しかし、著者は、人間はそのような実体的・固定的な存在ではなく、常に関係的・生成的な存在なのだという実感を51歳という年齢で気付いており、私は著者の人間として大きさに対してある種の羨望にも似た感想を抱いてしまった。