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紅葉の美しさで有名なお寺で再開した二人の孫たち~久し振りに家族が揃った日の充実感~

 12月最初の土曜日、私たち夫婦と長女、その長男(私たちにとっての初孫H)の4人、そして義母と義姉夫婦の3人は、二女夫婦とその長男(私たちにとっての二人目の孫M)の住む市をそれぞれの自家用車で訪れ、リーガロイヤルホテルの中の食事処で昼食を取った。残念ながら、Mに離乳食を食べさせたり昼寝をさせたりするために、二女たちは昼食会場へ来ることができなかった。しかし、その後、庭園に咲く紅葉の美しさで有名なお寺で合流することにした。

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 午後1時過ぎに私たちの2台の車が先に到着した。しばらく車中で過ごしていると、間もなく駐車場に二女とMの二人を乗せた車がやってきた。パパは用事ができたので、一緒に来ることができなくなったって…。ママ方の親戚たちが集合していたので、気を遣ったのかな。二女が運転する車が止まると、Hは待ちきれないという様子で私の車から飛び出しそうになった。私たちじじばばは、他の車が来るかもしれないので「Hくん、周りをよく見て車が来てないことを確かめて!」と気が気でないが、長女は「Hくん、待って。」とのんびりした雰囲気で声掛けしただけ。私はすぐにドアを開けて運転席から飛び出し、Hの手を掴んで一緒に走って二女の車まで駆けて行った。

 

 後部座席に設置されたチャイルドシートに乗っていたMと私に抱っこされたHは、窓越しに対面した。Hは久し振りに再開したMを喜ばそうと、早速にぎこちない動きをしながら「Mくん、いない、ない、ばあ。」と言った。だけど、Mの方はキョトンとした表情で見るだけ…。それでも、Hはそれにもめげず「いない、いない、ばあ。」を連発していた。私は、Hの必死な様子に何だか胸が熱くなるのを覚えた。こんな幼い子でも、自分より年下の子を喜ばそうとするのだ。いつもは私たちじじばばに甘えてばかりいるHが、急にお兄ちゃんになったように感じた。人間というのは、実体的な存在ではなく、やはり関係的な存在なのだなあと改めて感じ入った瞬間だった。

 

 Hに負けず、私もついついMに対して変顔をしながら「いない、いない、ばあ。」をしていると、最近何度か二女たちのマンションを訪れて、よくあやしていた私を覚えてくれていたのか、Mが微笑んでくれた。「ほら、Hくん、二人でやったら、Mくんも喜んでくれたね。」と私がHに話し掛けると、Hもとても嬉しそうな顔になり、私もホッと一安心した。そうこうしていると、妻もやって来て、二女を手伝ってMをチャイルドシートから降ろした。今度は、妻がMを抱っこしてやり、一生懸命にあやしてやった。すると、Mはすぐに反応し、満面の笑みを見せてくれた。やっぱりちゃんと私たちの顔を覚えてくれていたのだ。

 

 それからしばらくすると、Hにお菓子をせがまれて近くのドラッグストアへ買い出しに行ってくれていた義姉夫婦と義母を乗せた車が帰ってきた。義姉も早速にMを抱っこして、しきりにMをあやしたり、義母や義兄にMの顔を見せてあげたりした。93歳の義母は少し認知症の症状が出る時があるし、何といっても高齢のために筋力等も弱っているので、駐車場では抱っこするのは無理なのである。「さあ、お寺の中の大広間に入り、ぜんざいを食べながら庭園の美しい紅葉を見ましょう。」という義姉の声で、みんなは一斉にお寺の山門を潜った。

 

 赤い絨毯を敷き詰めた大広間には、ちょうどよい大きさと高さの木机がほどよい間隔に並らべて置いていた。また、大広間前の赤い絨毯の廊下にも、趣のある庭園を望むために配置された布張りの椅子が適度に設置されていた。私たちは思い思いにそれらに座ったり、絨毯に腰を下ろしたりして、記念撮影を始めた。もちろん二女と孫Mに会うために来たのだから、遠方からきた私たちはこの二人と一緒にスマホのカメラに収まろうと何度も様々なポーズを取った。その中で、私のスマホで撮った中の1枚が次の写真である。

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 写真に写られるのを照れている4歳9か月になるHの表情と、カメラ目線で笑顔のまだ9か月のMの表情の対比が面白く、共に愛らしい。また、妻と二人の娘たちの心穏やかな表情も愛おしい。子どもの頃は家庭的に決して幸せでなかった私だが、今、このように親子三代で家族揃ってカメラに収まっていることは何にも代えがたい幸せである。大広間で食べたぜんざいの甘い味はすこし忘れかけてきたが、この写真を撮った時の心の充実感を私は決して忘れることはないであろう。