ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

どんな時に「吃音」が出るのか?…~重松清著『きよしこ』と重松清・茂木健一郎の対談『涙の理由―人はなぜ涙を流すのか―』を再読して疑問に思ったこと~

 今月18日(土)の夕方、NHK総合1で「吃音」のある少年が様々な経験をしながら成長していく姿を描いた小説を映像化した、土曜ドラマきよしこ』の再放送があった。最近、「吃音」のある年長の男児の保護者から適切な学びの場について教育相談を受けたことがあり、また当ブログで数回前に「吃音」の克服に関する記事を綴ったこともあり、私は興味深く視聴した。原作は、私の好きな作家の一人である重松清氏の同名の小説であり、随分前になるが一度読んだことがあった。ドラマの展開を追いながら、「あー、そんな場面があった、あった!」と呟いた。私は何だか懐かしい思いにとらわれ、もう一度原作を読んでみたくなり、重松清作品が並んでいる書棚から本書を手に取った。

f:id:moshimoshix:20211226164822j:plain

 主人公は、「白石清」というどこにでもいるような少年だが、幼い頃から「カ」行や「タ」行、濁音と半濁音等でつっかえてしまう「吃音」がある。また、父親の転勤のために何度も学校を変わることになる転校生。だから、転校した日の自己紹介でいつもしくじってしまう。また、自分の言いたいことがなかなか言えないために、いつも悔しい思いをしている。そんな少年が、自分の「吃音」と向き合いながら幼児から小学生、中学生、高校生と成長していく中で、様々な人々と出会い、豊かに交流し、別れていく7つの話が本作品には収められている。

 

 今回、改めて読んでみて、原作の7つの話のうち3つが土曜ドラマには取り上げていなかったことに気付いた。それは、「北風ぴゅう太」「ゲルマ」「交差点」という、小学6年生と中学2・3年生の頃の話。当ドラマを担当した脚本家や演出家の考えによるものなので、私のような素人が批判するようなことではないが、思春期真っ只中の時期の話をなぜ省いてしまったのだろうか。その理由を聞いてみたいと思った。私としては自分の学校生活や教員生活の中でも、心に深く刻まれた記憶である「学芸会の劇」や「野球部活動」、そして「不良生徒との付き合い」と完全にリンクするような3つのお話が、どのように映像化されるのか観てみたかったなあ…。

 

 疑問をもった点と言えば、原作を初読した際には気が付かなかったが、今回再読して新たに疑問をもったことがあった。それは、「一体、どんな時に吃音は出るのか?」ということである。原作の第1話「きよしこ」において、少年が言葉の最初の音がつっかえてしまうのは「緊張や興奮で息を吸い込みそこねた時」、さらに「つっかえたのを無理に吐き出そうとすると、けつまずいて前につんのめってしまうみたいに、最初の音が勝手に繰り返される」と記述された箇所がある。また、第2話「乗り換え案内」においては、市のPTA協議会の副会長が「リラックスしてしゃべればいいんです。気にするから、よけい言葉が出なくなるんです。…」と話す場面がある。私はこれらの内容は本当なんだろうかと思った。

 

 先日、教育相談のために幼稚園を参観した際、「吃音」のある年長の男児は日直の仕事として友達の前に出で発表する時はスムーズにしゃべっていたのに、「じゃんけん列車」という集団遊びに興じた後にうがいをするためにロッカーからコップを取ろうと私の前を通りすがった時、つまりリラックスしていた時に私に向けて「うっ、うっ、運動会のかけっこで、ぼく、一位になったんだ。」とつまって話し掛けたのである。この体験をしたばっかりだったので、私の頭の中は「???」状態になってしまったのである。そう言えば、原作者の重松清氏と脳科学者の茂木健一郎氏との対談本『涙の理由―人はなぜ涙を流すのか―』の中で、重松氏は『きよしこ』における「吃音」が出る時とは、異なることを話していた箇所があったような…。早速、私は本書を書斎の書棚にある重松清コーナーから取り出し、ぱらぱらとめくってみた。「あった、あった!」32ページから33ページにかけた、次の箇所。

f:id:moshimoshix:20211226164905j:plain

重松:社会的に言葉を発するときは、自分で言葉を選んでいると思うんです。「言葉を選ぶこと」は、僕はそれをずっとやってきてから、けっこうスムーズなのね。でも、「ざっくばらんに」とか、「思ったことをすぐにしゃべるような関係」になったときのほうが、つっかえるの。

茂木:「吃音がなぜ起きるか」というと、「無意識に行っている発語行為を、意識的にコントロールしようとするから」という説が有力です。だから「普通にしゃべっているときのほうが吃音が起こりにくい」というのが一般的な認識です。しかし、重松さんはそうじゃないのが面白い。…

 

 この件を読むと、重松氏の「吃音」が出る時は特別な事例になるが、本当にそうなのだろうか。先の年長の男児も特別なのだろうか。「吃音」は緊張した時に出るのか、それともリラックスしている時に出るのか。一体、どっちなのか?

 

 今日は本県においてこの冬一番の冷え込みがあり、全国各地も厳しい寒波が襲っているようだが、私の頭は今、???の嵐が吹き荒れている。この疑問については、この年末休暇の間に自分なりに調べ何とか解決して、すっきりした気持ちで新年を迎えたいなあと思っている「今日の心」であります。