ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

町内に駄菓子屋さんがあった頃の思い出、あれこれ~上原隆著『こころが傷んでたえがたき日に』に触発されて~

 「成人の日」の祝日を含んだ先週末からの三連休は、フジグランやニトリなどへ妻と一緒に日用雑貨やソファベットを買いに行ったり、久し振りに孫Hが「ランバイク」(商品名「ストライダー」)専用のコースを設置しているオフィシャル・パーク「マテラの森」へ行きたいというので連れて行ったりして、結構忙しく過ごした。それでも、夕方から夜にかけては少し自分の時間を持つことができたので、哲学書や小説・コラム集の3冊の本を同時並行的に読み始めていた。その中で最初に読了した『こころが傷んでたえがたき日に』(上原隆著)を、今回は取り上げてみようと思う。

f:id:moshimoshix:20220115081553j:plain

 本書は、雑誌『正論』に2009年11月号から2018年3月号に掲載された、著者による100編の「ノンフィクション・コラム」の中から選らばれた22編が所収されている。「ノンフィクション・コラム」とは、市井の人々の生き方を取材して上質な読みものに仕立てた作品のことであり、世代を超えた幅広い人々の心をつかんだ著者独特のコラムのことをいう。その中の『にじんだ星をかぞえて』という作品を、当ブログの以前の記事(2020年2月5日付)で取り上げたことがあるほど、私は著者のファンである。本書は、そんな私が職場近くの市立図書館で見つけた作品であった。そこで、今回は本書の最後に所収されていた「駄菓子屋の子どもたち」という1篇に触発されて、私の子どもの頃の思い出話を綴ってみたい。

 

 「駄菓子屋の子どもたち」という1篇は、荒川・綾瀬川・中川という3つの川に囲まれた東京都葛飾区四つ木という地域で、2017年当時あった駄菓子屋の「ヨッちゃんの店」に集まってきていた6名の小学5年生たちを、著者が観察したりインタビューしたりして取材した内容に基づいて書いた「ノンフィクション・コラム」である。私は、その一人一人の小学生の家庭環境や性格、暮らしぶりなどに強い興味を抱きながら読み進めたが、最後に描かれた「ヨッちゃんの店」の前の路地風景を想像していると、ラムネの淡い味が口の中にシュワシュワ広がっていくような感じがしてきた。そうだ、私の子どもの頃にも似たような原風景があったぞ!

 

 私が小学生の頃というのは1960年代になるが、当時はまだ道路は舗装されておらず、小さい子どもたちは地面が凸凹した路上で「缶蹴り」や「かくれんぼ」、「ビー玉」(当時、「ランコン」と呼んでいた)や「絵カード(札)」(当時、「パッチン」と呼んでいた)などの外遊びをよくやっていた。また、テレビ放送が始まったばかりだったので、当時放映されていた「鞍馬天狗」や「赤胴鈴之助」等の時代劇に影響されて「チャンバラ」ごっこもよくやっていたと思う。さらに、週に何回か自転車に乗ってやってくるおじさんが、巧みな声色で演じる「黄金バット」や「ハリマ王」などの紙芝居に興じていたことも思い出す。その合間に買った半透明の水あめや、普段はあまり飲まない炭酸のラムネの味も記憶に残っている。

 

 そのような思い出が残る当時、私たち子どもにとっての生活圏である町内には、確か二軒の駄菓子屋さんがあった。もう屋号は忘れてしまったが、それぞれの店内の様子の残像は私の脳裏に映し出すことができる。平台には、小さな袋に詰められた様々な駄菓子の袋が並んでいる。また、柱には何種類かの色が散りばめられたざらめ付きの飴玉が数十個吊るされていて、それぞれの紐が束ねられている。小銭を出して、好きな紐を引っ張ると大小の飴玉の中から一つが引っ張られる。その飴玉の大きさによって、人生の運不運が決まったような気分になったのは、私だけだったのだろうか。とにかく、当時の駄菓子屋さんにはクジ引きのような駄菓子がたくさんの種類あった。そのクジ引きをする愉しさが、子どもたちを駄菓子屋さんに足繁く通わせた要因だったのではないかと思う。

 

 そうそう、当時の思い出の一コマをもう一つ思い出した。それは、鉋屑を山盛りに乗せたリヤカーを近所の友達数人と一緒に引いていく場面である。鉋屑を隣町にあった銭湯へ運ぶためである。近所の友達の中に製材店の子どもがいて、その子が担っていた店の手伝いを私たちも一緒にやったのである。その駄賃の替わりは、確か鉋屑を持って行った銭湯に無料で入浴できることだったと思う。手伝いを終えた私たちは、まだ人があまり入っていない男湯の湯船で泳いだり、潜ったりして遊んだものであった。あまりにも騒がしい振る舞いをした時には、番台にいたおじさんから叱られることもあったが、おおむねは見て見ぬふりをしてくれていた。銭湯からの帰りは、じゃんけんで勝った者が空になったリヤカーに乗ることができる遊びをしていた。私も何度かリヤカーに乗り、高揚した気分で帰ったことがあった。…本当にあの頃の時代風景は、無邪気な明るさとのんびりした空気に満ちていたと思う。果たして今の子どもたちにとって、現在の時代風景はどのように映り、どのような雰囲気で受け止められているのだろうか。