懲りもせず、また読んでしまった。…私はある小説家の作品を最初に読んで気に入ったら、その人の他の作品も読んでみたくなり、機会を見つけては次々と読んでしまう癖がある。年初めの勤務日の昼休みに職場近くの市立図書館で借りて、ここ一週間ほど同時並行で読んでいた3冊の本の中の一冊、柚月裕子の『パレートの誤算』もそのような癖が出てしまった本である。『あしたの君へ』を読んで以来、柚月作品の魅力に取りつかれてしまった私は今までに同書を含めて九作品を読んできた。(『孤狼の血』は未読だが…)だから、本書で十冊目になる。そして、その内の『あしたの君へ』『検事の死命』『慈雨』『朽ちないサクラ』を当ブログの記事に取り上げてきたので、今回の記事で5度目になる。
私が市立図書館の書架に並んでいる本書を見つけた時、未読の柚月作品だったのでつい手を伸ばしてしまったのだが、何より題名に惹き付けられた。最初、私は「パレードの誤算」と読み間違えて、「パレードでどんな誤算が起きたのだろう?」などと呑気な連想をしてしまい、パラパラとページを捲っていた。すると、たまたまあるページの中に「パレートの法則」という文字を見つけた。そこで、私は少し立ち止まってそのページの中で「パレートの法則」について説明している箇所を拾い読みした。
…たしかイタリアの経済学者が発見した統計モデル…80対20の法則とも呼ばれていて、ある分野における全体の約8割を、全体の一部である約2割の要素が生み出しているというもの…たとえば、社会経済だったら、全体の2割程度の高額所得者が社会全体の8割の所得を占めるとか、マーケティングだったら、2割の商品が8割の売り上げを作るとか言われている。…
私はこの箇所を読みながら、「パレードではなく、パレートか。では、そのパレートの法則をどの分野に当てはめたのだろうか。そして、そこでどのような誤算があったのだろうか。」などと疑問が生まれ、ますます作品の内容に対する興味が増してきたのである。私は、本書を前回の記事で取り上げた『こころ傷んでたえがたき日に』(上原隆著)と共に借りることにし、この1週間ほどの寝床での読書の友にしたという次第である。
柚月作品は、「ある職業に携わる者の矜持」を描く作品が多い。本書も、主人公は津川市役所福祉保健部社会福祉課の新人女性職員・聡美であり、彼女が生活保護受給者のケースワーカーを担うようになる時期に先輩の職員・山川が訪問していたアパートで火事が起きたことが物語の発端になっている。そして、その「ケースワーカーとしての矜持」が火事に関連した殺人事件を解明する鍵にもなっている。本書は、聡美が同僚の職員・小野寺と共に、殺人事件の謎を探っていくというミステリー仕立ての物語になっており、私は大いにそのストーリーにハマってしまった。…今までならここでつい本作品のあらすじを紹介したくなるが、それではネタバレになり未読の読者が興ざめしてしまうので今回は(今後も)止めておく。
ところで、「生活保護受給者のケースワーカー」とは、どのような業務を行う職のだろうか。私は初めよく知らなかったが、本書を読んで分かった。簡単に言えば、「生活保護費の受給者の住所を定期的に訪問し、就労などの支援を行う行政の担当者のこと」で、自治体によるが福祉事務所と市役所の生活保護担当者がこの業務に当たるらしい。ただし、ケースワーカーの業務を担うことを嫌がる人間は多いという。生活保護受給者の中には、部屋をきれいに掃除しているケースは稀で、大半は万年床の周りに、食べかけのコンビニ弁当やチューハイの空き缶が散乱しているからである。そんな部屋を訪問するのを喜ぶ人間が少ないのは当然であろう。
しかし、主人公の聡美は火事に絡む殺人事件の背景に生活保護の受給に関連する問題があったことを知った上で、次のようなことを思うようになる。…「医者や教師と同じように、ケースワーカーも、規則だけを守っていては優れた職業人になれない。自分が担当する人間の気持ちに寄り添い、ときには規則から半歩踏み出しても、患者の、生徒の、生保受給者の、真の自立と成長を願うことこそが、重要なのだ。規則だからなにもできない、ではなく、たとえ規則を破ってでも、本当に相手のためになることをする。そんな熱い使命感を持つ者が、優れた職業人だ」…私は、元教師なので、この彼女が抱いた矜持に大変共感した。特に、ケア労働を担うエッセンシャル・ワーカーにとっては、不可欠な矜持ではないか!
最後に、『パレートの誤算』という題名の意味について。前述の「パレートの法則」の説明でも少し触れたが、「パレート」というのは「人名でイタリアの経済学者のこと」で、「その法則」というのは「ある分野における全体の8割は、約2割の要素が生み出しているという法則のこと」。ところが、この法則を勝手に解釈して「残りの8割の要素は影響を与えないとか、不必要だ」と考える人もいる。そんな解釈をされることは、パレートにとって誤算だと言える。およそこのような意味なのだが、続きは本書の終章で語られることになるので、ぜひ未読の方は本書を手に取って自分の目で確かめてほしい。それにしても、本書も私の期待を裏切らない社会派ミステリーだった。他の既刊作品やこれから発刊される最新作等も機会があれば読んでいきたいと思っている。…楽しみ、楽しみ…