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発達障害のある子の育て方で大事なポイントについて~本田秀夫著『子どもの発達障害―子育てで大切なこと、やってはいけないこと―』から学ぶ~

 昨日、新型コロナウイルスの第3回のワクチンとして半分量のモデルナを接種した。テレビニュースによると、「第1・2回がファイザー、第3回がモデルナという交互接種による抗体の増え方は第3回もファイザーを接種した場合よりも約1.5倍あるが、副反応の方は発熱を起こす割合が約2倍になる。」と言っていたので、少しビビッていた。しかし、今、接種後24時間以上を経て、接種局部の多少の筋肉痛以外の副反応はないのでホッとしながら、この記事を書いている。

 

 新年を迎えてオミクロン株が感染爆発して、感染者が一気に高齢者や子どもにも拡大してきた。3学期になり当市の小中学校の関係者でも陽性者や濃厚接触者が出てきて、一時は学校を休校する事態が発生していたが、オミクロン株の性格等を考慮して現在はその対応は縮小して3日ほどの学級閉鎖の措置に変わってきた。この間、何らかの「困り感」のある子どもに対する適切な支援についての教育相談に応じるために学校現場へ出掛けることが多い私は、徹底した感染予防をしてはいるものの、やはり気持ちの上では気が気でない状態であった。しかし、今回第3回の追加接種をしたので、少しは感染リスクを下げることができるのではないかと、ちょっと胸をなで下ろしている。

 

 ところで、本年度も後わずかになり教育相談の申請数も少なくなってきたが、気になる我が子が進学・進級する次年度へ向けて今の心配や不安を少しでも取り除きたいという思いを込めた保護者からの申請がまだある。その中には、学校の先生方は学校生活の様子を見たり実際に接してみたりして当該の子の「困り感」を実感しているから、保護者へ教育相談を受けないかと今までに何度か働き掛けている保護者がいる。その保護者は、現実から目を反らしながら逡巡していたのだが、この年度末になってあるがまま現実を見てみると何かと心配や不安が膨らんできたので思い立ったらしい。だから、そのような保護者の心理情況を踏まえて、私たち特別支援教育・指導員は保護者に対する教育相談に臨む必要がある。

 

 先日、私は何かヒントになる本を探しに職場近くの大型書店へ昼休みに足を運んでみた。すると、当ブログの記事で以前に紹介したこともある精神医学者で医学博士の本田秀夫氏の著書『子どもの発達障害―子育てで大切なこと、やってはいけないこと―』を見つけ、早速購入して読んでみた。「これは、幼児期から思春期にさしかかる時期までの子どもの保護者に対する教育相談に臨むにあたって、心得ておくとよいことがたくさん書かれている!」と思いながら、私はページを捲った。その理由は、発達障害のある子だけではなく、保護者が何となく気付いている「困り感」をもっている子どもも想定して、その対応例を具体的に紹介してくれているからである。そこで今回は、私がなるほどと納得した内容の一部を紹介しながら、その簡単な所感も付け加えてみようと考えている。

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 著者は、発達障害のある子の育て方で大事にしたいポイントとして、次の3つのポイントを挙げている。

① グレーとは、白ではなくて 薄い黒

② 「せめてこれぐらい」はNGワード

③ 「友達と仲良く」と言ってはいけない

 

 ①の意味は、発達障害のある子に多数派の子ども(白のこと)と同じように行動したり、勉強をしたりすることを求めてはいけない。薄い黒のグレーなら、グレーのままで無理なく過ごせるような環境調整を心掛けるとよいということ。②の意味は、①と同様に発達障害のある子を、心配や期待を込めて平均値の子ども(白のこと)に近づける「せめてこれぐらい」という意識から切り替えることが必要であること。③の意味は、発達障害のある子の中には、親に「友達と仲良く」と言われると、そうしなければいけないと無理に相手に会わせようとして過剰適応してしまい、ストレスを溜め込んでしまう子がいるから、「友達と仲良く」と言ってはいけないのである。どのポイントも「発達障害のある子に世間一般の基準に合わせることを求めないで、無理をさせないこと」を言っており、当該の保護者にとってはなかなか受け入れるのは難しいかもしれないが、我が子をちょっと客観的に、親戚の子どもぐらいの距離感であるがまま見てもらうように働き掛ける必要があるであろう。

 

 特に保護者にとって、③のポイントが受け入れがたいのではないか。日本のように「世間」がまだ日常的に機能している社会では、常に「同調圧力」が働いているので、共同体内における他者との協調性、つまり「友達と仲良く」することを無言のうちに強制させられているのが現状ではないかと思う。だから、親としては我が子が共同体から排除されたり差別されたりしないように、幼い頃から「友達と仲良く」と言ってしまうのである。しかし、発達障害のある子の中には興味の幅が狭く、自分のペースで活動をしてしまう子もいる。そのような子の場合には、自分の好きなことを楽しんでいる内に結果として誰かと仲良くなれることもあることを知らせよう。私は、本来「友達と仲良く」ということを目標にするのではなく、結果として実現する願いぐらいにとらえている。だから、保護者にもそのようなとらえ方に意識を変えなければ我が子に強いストレスが掛かり、精神的に追い込まれしまうことをしっかりと伝えたいと考えている。

 

 もう一つ、著者が発達障害のある子の育て方で大事にしたいポイントとして強調していることがある。それは、「勉強を教えるなんて、100年早い!」ということである。ほとんどの保護者は、「いやいや学校では勉強ができなければ、本人が劣等感を抱くことになり、その結果として自己肯定感を低下させてしまうではないか。」と考えるであろう。私も本書を読むまでは、そう思っていた。しかし、著者の次のような説明を読んでいくと、一応納得できる。

 

 …勉強は、何歳になってもできます。大人になって仕事についてから業務に興味をもち、自主的に勉強して大成する人もいます。本当に学びたいと思うことがあれば、学習する習慣を身につけることは、いつでもできるのです。勉強は、身のまわりのことをあとまわしにしてまで、教えるようなことではありません。…

 

 確かに、人間が自立して生きていくためにまず求められる最低限のスキルは、身だしなみや食事・家事・持ち物や時間、お金、健康の管理等という生活面のスキルである。しかし、勉強や対人関係のスキルも、その後の人生において求められるスキルである。特に小学校低学年で学習する「読み書き、計算」という基礎学力は将来、社会的・経済的な自立をしていく上で不可欠になるスキルであろう。私たち特別支援教育・指導員が学校現場に出向いて、先生方や保護者に対する教育相談の内容は、むしろ勉強や対人関係に関するものが中心である。

 

 著者は、そのような実態だからこそ、あえて「勉強を教えるなんて、100年早い!」と極端なことを言っているのかもしれない。だから、私としては常にバランス感覚を保持しながら、保護者が我が子に対して勉強や対人関係のスキルだけに偏った願いや期待をしていると受け止められた際には、生活面のスキルについても適切なアドバイスができるように、もう一度本書の当該箇所をじっくりと読み直し、しっかりと理解を深めておきたいと考えている。