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「子ども虐待」という発達障害?~杉山登志郎著『発達障害の子ども』『発達障害のいま』を読んで~

 「子ども虐待」によって死に至らせたのではないかと思われる痛ましい事件が起こった。テレビニュースによると、神奈川県大和市で母親が7歳になる次男を窒息死させたという殺人容疑で逮捕されたらしい。今までに、その母親の長男、長女、そして三男も、生後半年未満で死亡している。母親は今回の容疑を否認しているらしいが、亡くなった次男の後頭部には強い圧迫痕が残っていたという。母親は限りなく黒に近いと私は思うが、まだ容疑者の段階なので犯人扱いをしてはならないので、本件についてこれ以上に言及することは控えたい。しかし、それにしても近年、「子ども虐待」に関連する事件の報道が多いように思う。

 

 子どもを虐待する養育者の動機は、その人の成育歴や生活環境の条件等を精査していくと、様々な背景や要因等が入り組んで形成しているのであろう。よく「虐待の連鎖」という言葉を聞くので、養育者も虐待の被害者だった事例も多いのではないかと思うが、だからと言って「子ども虐待」の正当な口実にはならない。心身共に幼く、手厚く養育されるべき弱者の立場にある子どもに対して、身体的・精神的な虐待を与えるということはどんな言い訳も容認できないものである。ただし、それを道徳的・倫理的に非難すれば事足りるとも私は思っていない。やはり、虐待する動機や背景、要因等についてきちんと分析することを通して、「子ども虐待」を未然に防ぐ手立てを講じることが、私たち大人や社会に求められているのである。

 

 そんな思いを抱いていた中、「子ども虐待」と発達障害との複雑な関係やトラウマの問題、また「子ども虐待」という発達障害という独特の考え方について知る機会を得た。それは、初版を発刊してからもう随分年月を経ている『発達障害の子ども』『発達障害のいま』(杉山登志郎著)を読んだからである。2冊とも私が今の仕事に携わるようになって、ある古書店で購入したものであり、著者の杉山氏が2001年秋から2010年秋までの9年間勤務していた「あいち小児保健医療総合センター」における臨床事例を数多く取り上げている。特に「子ども虐待」臨床と発達障害臨床が密接に絡み合うことや、こころの臨床におけるテーマが精神分析ではなく、発達障害とトラウマであることなどについて当時としては新たな知見を提出している点、私は大変に興味深く読み進めることができた。

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 そこで今回は、その興味深い内容の中でも特に私が意表を突かれた「子ども虐待」という発達障害の考え方について、『発達障害の子ども』の<第7章 子ども虐待という発達障害>の内容を紹介しながらその概要をまとめてみたい。そして、いつもながら私なりの簡潔な所感を付け加えてみたいと思う。

 

 著者が勤務していた小児センターは、軽度発達障害のセンターであると共に、子ども虐待の専門外来である「子育て支援外来」を開設することで子ども虐待治療センターとしても機能していた。そして、開院後5年間における子ども虐待患児575名について調べた結果、広汎性発達障害(現在は概ねSAD=自閉症スペクトラム)が全体の24%、ADHDが全体の20%おり、何らかの発達障害と診断される子は何と全体の54%もいたそうである。また、その内の85%までがIQ70以上だという。つまり、軽度発達障害が虐待の高い危険因子となることが示されたのである。

 

 反面、「子ども虐待」に認められる後遺症として「反応性愛着障害」(子どもの愛着行動の形成に支障が生じた症状が出る)や「解離性障害」(脳に器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れ、記憶や体験がバラバラになる解離という症状が出る)が起きるのだが、それらは多動性行動障害を軸とした発達障害症候群(広汎性発達障害ADHD様の症状を示す)を示すことが少なからずあると言われている。例えば、被虐待児の示す症状は幼児期には「反応性愛着障害」としてまず現れ、次いで小学生になると「多動性行動障害」が中心になり、思春期に向けて「解離性障害」が出て、その一部は非行に推移していくのである。さらに、治療がされない場合は、複雑性PTSD(解離が日常化し、感情のコントロールや衝動コントロールが非常に困難になり、重度のうつ、自殺未遂、様々な依存症、多重人格等の症状を特徴とする重症の精神障害)の病態に陥ることになる。

 

 以上のようなこと以外にも、近年は脳の機能画像研究が急速に進み、その結果が示されるようになった。具体的には、脳梁の機能不全が解離症状と関連するなど、被虐待児の示す症状との間に連関を見ることができたり、広汎性発達障害ADHDにおいても基盤となる器質的な所見が明らかになったりしている。しかし、被虐待児に示されたほど明確な器質的な変化は認められていないので、一般的な発達障害より「子ども虐待」の方がより広範な脳の発達の障害をもたらすことが示されているのである。このような事実から著者は、「子ども虐待」を一つの発達障害症候群としてとらえるべきではないかと提言している。

 

 著者が発達障害という規定を行う目的は、不可治性を強調することではなく、治療と教育により軽快し、恒常的な変化に対する修正が可能であることを強調するためである。被虐待児への治療および教育を、発達障害児への療育という視点から見直すことは意義があるのである。特に重度の被虐待児を通常教育のシステムの中だけで教育するのは不可能だから、どうしても特別支援教育が必要であると強く訴えている。私は家庭に恵まれなかった子どもたちの子育てに学校が積極的に関与することは必要だと思うが、それがより効果を上げるためには<教育だけでなく、医療や福祉との連携をより深め、強力な子育てネットワークを構築していくこと>が不可欠はないかと考えている。しかし、実際の現場ではまだまだ有効に機能していない現実があり、その実態を詳細に分析した上でより有効的な対応策を講じていく必要があると強く感じている。私は、この課題解決に向けて特別支援教育の指導員という立場で多少なりとも尽力していきたい。