ロシアによるウクライナへの武力侵攻が激化し、3月4日には稼働していたウクライナ南部にある欧州最大級のサポロジェ原発を砲撃し、制圧した。稼働原発への軍事攻撃は史上初であり、もし誤って稼働している原子炉を砲撃していたら1986年のチェルノブイリ原発事故を上回る大惨事になりかねない蛮行である。ロシア側としては、電力という重要なインフラを手中に収めることでウクライナへの圧力を強めることが狙いであろうが、その軍事作戦はあまりにも無謀なものであり、人類の平和と安寧への願いを無視するものである。私は、改めて「原子力の平和利用」と言われる原発の安全性に対する国際的な保障体制を見直す必要性を痛感した。
原発事故と言えば、今から11年前の3月11日に発生した東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故のことを思い出す。大津波の被害によって全電源喪失という事態に陥り、原子炉を冷却することができなくなってメルトダウンを起こしたのである。この原発事故に関連して今でも約3,800人が避難生活を余儀なくされており、来春に予定されている帰還困難地区の一部における避難指示解除によって、どれだけの住民の帰還が進むかはまだ見えていない。また、原発事故の処理水海洋放出も予定されている中、それによる風評被害の払拭等の復興への課題は今も残されている。それほど、原発事故は多くの人々の尊い生命と財産、そして平穏な日常生活を奪い去ってしまうものなのである。
この東日本大震災の政府主催の追悼式は、10年の節目だった昨年で最後になり、11年目を迎えた今年は式典を開かない被災自治体も増え、追悼の形に変化が出ているという。しかし、私たち日本人はこの大惨事を風化してはならない。マスメディアもその現状を憂い、ここ数日、関連番組を制作して報道している。その中でテレビでは時に津波の映像が流されることがあるが、その前には「この後、津波の映像が流れます」という主旨のテロップが出る。これはおそらくPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックを起こしてしまう人々への配慮なのであろう。耐え難い精神的苦痛を体験した時の記憶を、その後も何らかのきっかけで再生してしまい、その度に精神的に動揺し不調に陥る症状を起こしてしまう人がいるのである。中には、それが高じて「解離性障害」を発症してしまう人もいる。
ところで、私は上記のような出来事について考える中で原発事故や原子力についてもっと知る必要があると思い、昨日から『原子力時代における哲学』(國分功一郎著)を少しずつ読み始めた。まだ数ページしか読み進めていないし、明日からはフルタイムの仕事をしながらの読書になるので、読了するまでに数週間掛かるのではないかと思うが、読後の所感を必ず当ブログの記事にしたいと考えている。乞うご期待!
その代わりと言っては何だが、今回はこの1週間ほど寝床の読書の対象だった『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子著)という犯罪小説を取り上げたいと思う。「また柚月作品かよ!」と突っ込まれそうだが、先ほど触れたPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックと関連している「解離性障害」が本作品のキー・コンセプトになっているのでぜひ紹介したいのである。もちろんネタバレにはならないように気を付けて…。
本作品のプロローグには、精神的疾患をもつ患者と医師との診察場面が描写されている。患者の愁訴は自分を脅かしたり嫌な気分にさせたりするものを思い出してときどき頭がぼうっとすることであり、その居心地の悪い状態から脱して心が落ち着く方法を医師が教示している様子である。そして、医師は患者に安定剤と睡眠剤を処方している。患者は2週間ごとに診察に訪れているらしいことも分かる。
この患者が、本作品の主たる登場人物の高村文絵という主婦。日々、家事と育児に追われている文絵がある日、中学時代の同級生、加奈子に再会する。彼女から化粧品販売ビジネスに誘われて、平凡な主婦にしては月50万円という高額の報酬を得て生き甲斐を感じ始めていた矢先に、鎌倉のある別荘で殺人事件が起きる。そして、文絵はその事件に絡めとられていくのである。この辺りの文絵の揺れ動く心理描写を中心とした前半のストーリー展開に、私はついつい自然に引き込まれていった。
ところが、この殺人事件を捜査する中年の男性刑事と若い女性刑事の二人が登場してからのストーリーは、あっと驚くような意外性に満ちた展開を見せる。私の心はさらにぐいぐいと引き込まれていく。しかし、これから後の展開は本作品の一番面白い部分なので、そこにはなるべく触れないようにしたいが、私が強く興味を惹かれた「解離性障害」という精神疾患については少し触れたい。
「解離性障害」については、以前(今年2月26日付け)の記事でも「子ども虐待」におけるトラウマと関連させて若干触れたので既読の読者はおおよそ分かっているとは思うが、初めて今回の記事に目を通している方のために念のために説明しておこう。「解離性障害」とは、脳に器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れ、記憶や体験がバラバラになる解離という症状が出る精神疾患のことである。
この「解離」という心の働きは、大きな苦痛を伴う体験をした時、心のサーキットブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を体から切り離す安全装置が働くことが元々の基盤になっている。人はもともと弱い生き物であり、肉食獣に噛まれ、捕食されそうになった時、噛まれた苦痛でパニックになっていては逃げられる可能性は低くなる。だから、このような危機的瞬間に対処できるように、苦痛の回路を遮断してしまう安全装置が備わっていたという。さらに、いよいよ逃げられなくなった時には、苦痛を遮断して楽に死ねるように安全装置が働くのである。つまり、意識を体から切り離してしまえば、苦痛を感じなくて済むのである。しかし、実はこの「解離」は人間だけの現象ではないらしい。狸がショックを受けた時に仮死状態になる、いわゆる「狸寝入り」も「解離」の一種という。
本作品における殺人事件を解決する際のキー・コンセプトは、この「解離性障害」だと思う。では、それがどのように事件解決の繋がるのだろうか。それらについては、本作品を読んで確かめたり、見つけたりしてほしい。柚木裕子という作家は社会派ミステリーの名手だと実感させる作品にまた出合い、最近、重苦しく暗い気分に陥っていた私の心を少し明るく照らしてもらったような気分になった。柚月作品は、私にとって精神安定剤のような効用があるのかもしれない。有難いことである。