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<支援>と<共治>を志向する教育委員会のあり方について~山口裕也著『教育は変えられる』から学ぶ~

 今年のゴールデンウィークも終わり、気が付けば5月も中旬になっていた。何らかの「困り感」をもつ子どもの学級担任や保護者に対する「教育相談」業務が少しずつ増えてきて、特別支援教育指導員としてやっと腰が落ち着いた勤務状況になってきた。ただし、通常の勤務場所が昨年度までの4階別室から、本年度は3階の本市教育委員会・学校教育課へ移動してきたので、職場環境の変化にはまだまだ順応できていない。この学校教育課本体は、当市の学校教育の行財政の役割を担っている教育委員会事務局として機能しており、多くの市職員と指導主事の先生方が所属している。私たち7人の指導員たちは、その方々と同じフロアで机を並べることになったのであるから、なかなかその環境に慣れないのも無理はないであろう。

 

 ただし、現職の教員時代に教育行政に携わる経験がなかった私にとって、今回の職場環境の変化は、教育委員会事務局がどのような組織で、どのような事務内容を取り扱っているかという実際を肌で感じるよい機会になっている。そして、改めて教育委員会はどうあるべきかという問いをもつきっかけになったように思う。そんな時、私は当ブログで数回前(2022.4.23付け)の記事で取り上げた『学問としての教育学』(苫野一徳著)の中で紹介されていた山口裕也氏の業績を思い出し、その内容を詳しく知るためにしばらく積読状態にしていた『教育は変えられる』に目を通すことにした。

 著者の山口氏は、2005(平成17)年に杉並区立済美教育センターの研究員として在籍して以来、同センター調査研究室長、杉並区教育委員会教育長付主任研究員と歴任し、15年間にわたって「教育委員会に常駐する研究職」という特異なポジションで同区の教育行政に携わった方である。

 

 本書は、公教育のあり方を「みんな同じ」から「みんな違う」へと構造転換することを最終目標にして、その基になる「考え方」を豊富な実例に即して示したものである。本論の構成上の特徴は、全5章を通じて公教育政策の「全体」を「順序」よく記していることで、具体的には第1章から第4章において「学びと成長」、その支えとなる「人材と組織」「施設・設備」、そしてこれらの3つを全ての子どもに確実に届けるための「行財政」を話題にし、第5章では全体をまとめるという柱立てになっているところである。

 

 そこで今回は、本書の中で特に私にとって多くの学びがあった【第4章 引き受け支え合う行財政―「無責任」から<支援と共治>へ―】の内容の概要をまとめながら、「みんな同じ」から「みんな違う」へという「公教育の構造転換」を図る上で求められる区市町村教育委員会のあり方について考えたことを綴ってみたいと思う。

 

 著者は第4章の初めに、区市町村教育委員会の仕事は学校の「設置者」であり、それゆえに、「よりよい成長のための学び」「学びを支え教育を担う人」「学びと教育が行われる場」の三つを全ての子どもに確実に届ける「管理・監督」を行うことであり、各教育委員会はその「管理・監督」の量(例えば通学の距離や時間、児童生徒数から学校を必要数設置してそこに教職員を配置し、施設や設備、厚生や福利、衛生や給食等、運営に必要な環境を整備しつつ事務を行うこと)と質(4年ごとを原則として使用する教科書を採択するとともに、教育課程や使用教材、学習指導や生徒指導等の適切さを確認、教職員の研修の一部を担うこと)の両面において基本的に適切に行っていると、以後の議論の前置きとして断っている。

 

 その上で、著者は現在、学びのあり方とともに、その支えとなる人や場のあり方も転換しつつある中、各教育委員会に求められるのは、現状維持ではなく「未来に向けた挑戦」であると述べている。続いて、この「未来に向けた挑戦」へと続く道筋について詳しく論じているのであるが、その中で特に新自由主義-教育改革の具体的な中身について述べている。そして、それらの施策や事業等によって格差が惹き起こされ、結果的に「全ての人の意志」を意味する<普遍意志>や「全ての人のよりよい生」を目指す<普遍福祉>に反するような教育行財政になってしまったことを痛烈に批判している。さらに、この問題から得られた教訓として、各教育委員会の全てのスタッフは自分の仕事を「よい公教育」という政策の全体の中に位置付けることが大切だと主張している。

 

 そのためには、「誰の、何のための学びを、どのように支えるのか」という公教育政策の<全体性>を考え続ける日常のガイドとなる考え方が必要だと言い、その<全体性>を考える上での「基本領域」、つまり「学びと成長」「人材と組織」「施設・設備」「行財政」を使い、「よい公教育」を思考の始発点とすれば、前述のような問題を諫めることができると述べている。だからこそ、教育行財政が取るべき立場は、「自分たちの学校や地域に必要なことを、当事者であるみなさんが本気で考え抜いてくれたら、教育委員会は共に考えることを含め、その実現を全力で支えていく」という意味の<支援>であり、それこそが「未来に向けた挑戦」のキーワードになるのである。著者は、そのことを明確に表明している。

 

 次に、著者は「教育委員会」の制度設計を方向付けるキーワードについて述べている。それは、公教育に関わるあらゆるアクター全てが対等であることを全体とした「共にある」「共につくる」という意味を強調する<共治>という言葉である。この<共治>というキーワードは、「教育委員会」を構成する委員が学校やそこで学び生活する子どもたちの成長を通して地域社会の未来を考え、行動し続けている人たちから選出されるという考え方に基づく。つまり、教育委員会事務局は何もかもを代行するのではなく、社会的に自立した個人によって営まれる、相互承認的な共同体となるよう学校を支える。学校支援地域本部(地域学校協働本部)と学校運営委員会を母体とする地域運営学校はその中核となる施策であり、代表選出される委員が教育長とともに構成する「教育委員会」も、それがあって初めて、真に自分たちに必要な意思決定を自治として行うことができるのである。

 

 最後に、著者は<支援>と<共治>を志向する杉並区教育委員会、つまり教育行財政の具体的な実践事例を紹介している。一つは、<支援>を志向した区立の小・中学校と特別支援学校を主な支援対象とする「杉並区立済美教育センター」の取組である。2つ目は、<共治>を志向した区立の小・中学校の「学区再編」、ひいては「地域再編」への取組である。詳細については、ぜひ本書を手に取って確認してほしいが、これらの取組には杉並区が政策の根幹に「いいまちはいい学校を育てる~学校づくりはまちづくり」というスローガンを据えて、公教育政策の<全体性>を明らかにしてきたことがポイントになっている。

 

 このような杉並区教育委員会の取組は、公教育政策の全体を成す4つの「基本領域」における<多様性と一貫性><協働><応対性><支援と共治>というキーワードの下、<普遍意志>に基づいて<普遍福祉>をめがけ、全ての人に「自由と相互承認」を育む公教育の構造転換を具現化しており、私は実に素晴らしく羨ましい取組だと思った。というのも、私が「教育相談」業務として訪問した小・中学校で参観させていただく授業は、「みんな同じ」という近代教育の根本的な発想から抜き出ようとする姿勢がほとんどないものであり、それは当市教育委員会の公教育の<全体性>の第一の領域「学びと成長」において「みんな違う」という脱近代教育の発想がないことを表わしているからである。私は今の職場環境を生かす手立ての一つとして、まずは当市教育委員会がこのような「発想転換」、「構造転換」を図るきっかけにすべく、特別支援教育の根源的なあり方を起点にして全ての子どもたちの「学びと成長」を問うことから始めてみようと考えている。