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日本には「愛」が存在しなかった?!~長谷川櫂著『俳句と人間』から学ぶ~

 私は、「プレバト!」というテレビ番組をよく観る。特に、梅沢富美男氏や東国原英夫氏などの芸能人がお題に沿って創作した俳句を、講師役の夏井いつき氏が「才能あり」「凡人」「才能なし」とランク付けし辛口で批評する俳句査定のコーナーが好きである。俳聖・正岡子規と同郷でなおかつ出身小学校までもが同じでありながら、今まで苦手意識から俳句に対して距離を取っていた私にとって、当番組は俳句をより身近に感じさせてくれた。もちろん夏井氏の批評ポイントが絶対的な基準とは言えないかもしれないが、俳句作りにおける一つの着眼点としては面白い。「散文的な説明の言葉は必要ないのか。」とか「場所や場面等の映像化が大切なのか。」とかと呟きながら、私はバラエティー番組として楽しむ中で俳句作りの方法を結果的に学んでいる。

 

 そんな私だが、今から10年ほど前にも一時的に俳句に関心を高めた時期があった。それは元教員のある先輩から紹介された『震災句集』(長谷川櫂著)を読んだことがきっかけになった。この著書は、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故後にまとめられたものであり、俳句に込められた作者の長谷川氏の魂に触れた私は、原発事故に対する自分自身の意識の低さや姿勢の甘さを問われたような気になった。彼の俳句がもつ言葉の力には、圧倒されるものがあった。それ以来、私は俳句についてもう少し勉強してみようと、彼の他の著書『俳句の宇宙』『決定版 一億人の俳句入門』『俳句的生活』『和の思想―異質のものを共存させる力―』等を読んだ。その中で、私は俳句だけでなく、散文的文才に溢れた彼のエッセイも好きになった。

 

 そんな経緯があって、先日たまたま市立中央図書館へ出掛けた際に、彼の最近のエッセイ集『俳句と人間』が目に留まり、私は『生きていくうえで、かけがえのないこと』(吉村萬壱著)と共に借りたのである。本書は、長谷川氏が皮膚癌の宣告をきっかけに人間の「生と死」について考えた思索の記録であり、来世など期待せず、今いるこの世界で納得のゆくように生きようという主張をテーマにして綴ったエッセイ集である。そこで今回は、本書を読みながら私がハッとしたことの一つ、日本における「愛」のとらえ方について綴ってみたい。

 著者は本書の「第3章 誰も自分の死を知らない」の中で、日本人は古代の和歌から現代の歌謡曲まで連綿として恋を歌い続けてきたと述べ、恋の震源として国産み神話の伊邪那岐伊邪那美の問答、『後拾遺和歌集』から和泉式部の三首の歌を紹介している。そして、日本人は古来より男も女も恋の達人であり猛者であったのに、一方、「愛」となると日本人ほど疎い人々も少ないことを指摘し、その理由としてこの国にはもともと「愛」などなかったからだと断定している。

 

 日本には「愛」が存在しなかった!私の頭は???となった。…著者はその理由を「こい」は訓なのに「アイ」は音だからであると言う。つまり、「こい」という言葉は中国から漢字が伝わる前から大和言葉としてあったが、「アイ」は漢字の「愛」の音として中国からはじめて伝わったと…。でも、「愛でる」という言葉があったのではないかと、私の疑問は続く。…それに対して、著者は言う。確かに古くから「愛」の字を「めでる」「いつくしむ」「いとしむ」「かなしむ」などと読ませることはあるが、それはただ大和言葉に「愛」の字を当てただけのことであり、もともとそれらの大和言葉は主に親子や男女の間の「こい」に近いこまやかな感情を表す言葉だった。これらの言葉では、「愛」という字の壮大な世界を表わすことは到底できないと…。

 

 では、現代に生きる私たちが普通に「愛」ととらえるような感情の実体を、古代から中世までの日本人はもっていなかったのか。…著者はそれを肯定した上で、王朝中世の歌人があれほど恋に執したのに、「愛」が一度も歌に詠まれなかったのはその一例に過ぎないと述べている。さらに、古代のこの欠落が長く尾を引いて日本人はいまだに「愛」の意味がよくわからないのではないかと、アイロニカルな表現を使って現代日本人の感情の在り方までも非難している。新しい言葉の誕生によって世界のとらえ方が変わることは、明治時代に欧米の原語を日本語に翻訳した際にも確かにあった。私は、「愛」という言葉が中国から伝わってきてから、日本人も「愛」という感情を次第に意識し対象化してきたのかもしれないと思い直した。

 

 当ブログの以前の記事(2019.11.14付)で、私は『愛』(苫野一徳著)を取り上げ、著者による「愛」の哲学的本質洞察(現象学的本質観取)によって得られた「愛」の本質について綴ったことがあったが、日本人の彼がこのような思考ができるようになるぐらい我が国において「愛」という感情が根付いたのであろう。このたった百数十年の間に・・・。それにしても、「愛」という概念の由来が中国だとしたら、中国では「愛」の本質が三千年も前から脈々と流れていたのであろうか。私は、またまた連鎖する疑問の前にたじろいでしまった。さて、この疑問についての解答を得るためにはどのようにして調べたらいいのか。もしヒントになることを知っている読者の方がいれば、ぜひコメント欄にてご教示願えれば幸いである。