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やっぱり紙の本の方がいいなあ!~塩田武士著『騙し絵の牙』を読んで~

 日々の雑用に追われ、ブログを更新することができない日々を送っていたら、もう10月になっていた。また、朝晩が涼しくなったなあと思っていたら、秋祭りの時期を迎えて急に日中の気温が20℃ぐらいになり、足早に秋本番を迎えた。“秋”と言えば、「食欲の秋」「スポーツの秋」「行楽の秋」「芸術の秋」等の言葉が思い浮かぶが、私はやっぱり「読書の秋」が一番しっくりくる。酷暑の外気に包まれた冷房の効いた室内での読書より、私は少し冷気を含んだ外気に触れながら、じっくりと本の世界に浸る方が好きである。ただし、最近は“じっくり”と過ごす時間的・精神的な余裕のない日々を送っているので、就寝前後の寝床での読書時間を少し長めに取っている。

 

 夏頃から、私は新書版の学術書よりも文庫版の小説を読むことが多くなった。きっかけは、8月中旬に新型コロナウイルスに感染して10日間の自宅療養中に『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)を読んで、心揺さぶられる体験をしたこと。それを皮切りに、9月に掛けて『永い言い訳』(西川美和著)、続いて『オールド・テロリスト』『希望の国エクソダス』(村上龍著)等を読んで、ブログの記事を綴った。そして、9月末からは『騙し絵の牙』(塩田武士著)を少しずつ読み継ぎ、やっと先日読み終えた。結構、面白かった。

 そこで今回は、本書に関する読後所感をいつものように簡潔に綴ってみようと思う。

 

 本作品は、大手出版社「薫風社」で月刊誌『トリニティ』の編集長を務める速水輝也が、デジタル革命に伴う業態変化を余儀なくされている出版業界で、会社の経営方針に抵抗しながら悪戦苦闘する姿を、ユーモアを交えながらもシリアスに描かれていて、私は自然に引き込まれていった。俳優の大泉洋を主人公の速水に「あてがき」して本作品を執筆したこともあって、発表当初から話題になった著者会心の作品である。2018年本屋大賞のランクイン昨で、昨年には映画化も実現している。

 

 では、本作品の世界を少し覗いてみよう。まずは、物語の舞台となる「薫風社」の社内事情の見取り図から。社内は史上最年少でトップに就いた営業出身の社長派と、労働組合の交渉窓口に立つ編集出身の専務派に分かれており、速水の直属の上司に当たる編集局長の相沢徳郎はバリバリの専務派である。この相沢が速水に明かした社の機構改革案の内容に関する二人の考え方の違いこそが、物語展開の骨子を形作っていく。ただし、出版業界における「アナログ対デジタル」という単純な構図ではない。

 

 経営側に立つ相沢は、ずっと赤字が続く文芸誌『小説薫風』の廃刊を表明したり、カルチャー紙『トリニティ』に関連する営業実績の如何によっては廃刊もあると示唆したりして、速水に様々な無理難題を課してくる。そのプレッシャーの中、速水は『トリニティ』を死守するために相沢の要求にしぶしぶ従うように振る舞うが、彼の本音はもちろん出版物の電子化には気乗りがしない。しかし、紙の本が売れなくなり経営的に苦しくなっている「薫風社」が生き残るためには、デジタル化の波には逆らえない理屈も分かる。

 

 速水は、『トリニティ』の黒字化のために、自らが文壇の〝将軍〟二階堂大作の思い入れのある作品や、部員の高野恵に指示して文才のある女優・永島咲の連載小説を掲載することで内容の充実を図ろうとする。また、それらの作品の映像化・単行本化するなどして二次利用をして廃刊を逃れようと、持ち前のユーモアを発揮しながらも神経を研ぎ澄まして働き続ける。しかし、そのような中、社内で思わぬ不祥事が起こってしまい、事態は意外な方向へ転換していく…。

 

 いつもの悪い癖で、つい最後までネタバレをしてしまいそうになったが、ここまでで止めておこう。とにかく、本作品は出版業界の実情を知る上で大変参考になる。これからはデジタルの深い波が出版業界を襲い、小説やエッセイなどの書籍が電子図書館で閲覧できるのが普通になりつつある。それはそれで読者が様々な恩恵を受けることになるので結構な話なのだろうが、私のようなアナログ人間は手触りを感じながら読めるというだけで、紙の本の方が好きなのである。今後も書店や古書店で紙の本を手にして、著者が創造する多様な世界を追体験する幸福感を死ぬまで味わい続けたい。