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生活保護の受給申請を扱う窓口対応のあり方について~中山七里著『護られなかった者たちへ』を読んで~

 円安が止まらず、物価も高騰している。公的年金も減額されて、年金生活者の暮らしは楽ではない。幸い自宅の住宅ローンは退職金の一部を充てて完済したので、住居費はいらないから私たち夫婦は気が楽である。また、私たちは重症化している持病らしきものがなく、医療費もほとんど掛からない。だから、家計の主な支出は光熱費と食費、衣料費、さらに意外と高い各種の税金ぐらいである。今のところ、私は仕事をしてわずかの給料を得ることで、何とか現職時代の生活レベルをほぼ維持しているが、完全にリタイアした後は倹約しなければならないだろう。しかし、それでも老夫婦だけの所帯としては、世間的にはまだマシな方かもしれない。

 

 小泉政権時代に新自由主義的な政策が施行されて以来、非正規雇用層の増加に伴い過去に“総中流”と言われていた中間層が下層化し、富裕層と貧困層の格差が拡大し続けてきた。また、日本経済がデフレスパイラルに陥って低成長になり、給料もずーっと横ばい状態である。特に東北地方は、東日本大震災による津波被害によって壊滅的な打撃を受けてしまい、なかなか復旧・復興が進まず被害者の生活は困難を極めてきた。これらの社会的・自然的な原因によって、日々の生活が困窮化してしまう人々が次第に増えて、社会保障制度としての生活保護の受給者も年々増加してきた。だが、少子高齢化が進む我が国においては、社会保障費の増大が国家予算を圧迫してしまう状況になってきたので、生活保護の受給者数を抑制していく政策が取られるようになった。具体的には、生活保護の不正受給を防止するために、全国各地の福祉保険事務所では水際作戦を実行してきたのである。

 

 昨年、映画化されて話題になった『護られなかった者たちへ』(中山七里著)は、上述のような生活保護の受給に関連する社会的な事件を取り上げた社会派ミステリーだったので、私は秋の夜長ではなく“秋の朝長” の時間を活用して寝床で読み継ぎ、やっと先日読了した。ミステリーとしての面白さはもちろんだが、社会派として政治や行政のあり方を問う批判精神に溢れた作品であったので、私はついぐいぐいと引き込まれてしまった。

 そこで今回は、本書の読後所感をまとめながら、私なりの考えも付け加えてみたい。

 

 仙台市の古アパートで餓死したと思われる他殺体が発見された事件が起きる。しかし、事件の容疑者が浮かばず、担当の苫篠刑事をはじめとする捜査陣全体に焦りが起きてきた時期に、同じような餓死死体が宮城郡の森の中で発見された事件が起こる。苫篠刑事たちは殺害の手口の共通点から怨恨による同一犯人による連続殺人ではないかと考えて、殺害された二人の接点を探る捜査を開始する。その過程で、その接点となりそうな事実を掴むのだが…。

 

 本作品は典型的な犯人捜しのミステリーになっていて、それはそれで興味が尽きない展開になっており、大逆転の結末も趣向が凝らさせていて一気に読ませる上質なストーリー性がある。しかし、私が大きな関心をもったのは、餓死に至らせる二つの殺人事件の背景とも原因ともなっている、生活保護の受給に関する社会的な問題点の方である。当ブログの以前の記事(2022.1.19付)でも、柚月裕子著『パレートの誤算』を取り上げて生活保護受給者のケースワーカー(市役所の福祉保健部社会福祉課職員)の矜持について綴ったことがあったが、その際は生活保護制度の悪用、つまり不正受給に関する事件だったと思う。しかし、本作品では生活保護受給の申請や可否判断等に係わる事件を取り上げている。

 

 生活保護は、憲法第25条の精神に則った、人間の最低限の暮らしと自立を保障する制度である。だから、水道光熱費にも事欠くような生活を送っている人は受給が認められてしかるべきだが、社会保障費の削減のために福祉保険事務所の窓口での理不尽な対応によって、受給申請を受け付けてくれなかったり、仮に受け付けても申請拒否をされたりすることもある。そのために、もし生命を失うような人がでたら、何とも不条理なことである。しかし、その不条理なことが現実では起こっているのである。

 

 私は、政府の社会保障行政のあり方に対して、具体的な政策提言をするだけの政治的見識は乏しいが、せめて行政機関の窓口での対応のあり方について物申したい。確かに生活保護の不正受給を防止するための慎重で厳重な対応は必要であると思うが、窓口に申請しに来た人に対しては丁寧で温厚な対応をしなければならないと思う。日々の窓口対応は、そのような甘い考えでは到底務まらないと言われるかもしれないが、それが市民に対する行政サービスを提供する公務員の業務態度だと私は考える。このことが実践されるだけでも、生活保護の受給申請をしようとしている市民の尊厳を守ることにつながり、生活の自立に向けて前向きに取り組む契機になるのではないだろうか。

 

 最後に、本作品のテーマ『護られなかった者たちへ』について。「護られなかった者たち」とは、上述してきたような生活保護制度によって護られなかったり、東日本大震災による津波被害等から護られなかったりして生命を失った者たちを意味していると思うが、この人災や天災による死を、同様に理不尽で不条理な死ととらえてもいいものなのだろうか。著者は、東日本大震災という天災による被害者に関してあまり叙述していないが、あきらかに「護られなかった者たち」として位置付けていると思う。この点、私の心はモヤモヤしたものを残したままである。著者の考えについて、もう少し突っ込んで知りたいものである。