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「限界哲学」という考え方って、面白い!~上原隆著『こころが折れそうになったとき』から学ぶ~

 もう一週間が経ってしまったが、10月19日(水)は私の68回目の誕生日だった。先々週の日曜日には、娘二人と孫二人が自宅を訪れてくれて、バースデーケーキを一緒に食べて前祝いをしてくれた。また、当日の夜は妻と二人で、女性に人気がある近くの居酒屋に行き祝杯をあげた。久し振りに外でアルコールを嗜みながら、少し贅沢なディナーを楽しんだ。普段の食事は妻が健康のためを考えて、塩分の少ない薄味の料理を作ってくれているので、当夜の食事は私の舌には味が濃いように感じた。でも、美味しかった。「食」は油断すると、強い欲望を駆り立てる。「美味しいものを食べたい!」という衝動に突き動かされてしまうので、健康のためには日々の節制は必要だと改めて妻に感謝した。

 

 衝動と言えば、私は好きな作家やコラムニストの未読本に出合うと、ついつい読みたいという衝動に駆られる。先日、市立中央図書館で借りた『こころが折れそうになったとき』(上原隆著)も、そのような本の一冊である。「ノンフィクション・コラム」という独自のジャンルを確立した上原氏の作品の何冊かを、当ブログの記事で取り上げたことがある。『にじんだ星をかぞえて』(2020.2.5付)『君たちはどう生きるかの哲学』(2020.9.16付)『こころが傷んでたえがたき日に』(2022.1.15付)の3冊である。それぐらい私の好みのコラムニストなのである。

 本書はNHK出版のウェブマガジンに掲載された稿に加筆・修正して再構成されたもので、今から約10年前に刊行されている。<Ⅰ 生きがたさの向こうに>と<Ⅱ 「私」から始める>の二部構成で、それぞれ6~8の稿が所収されている。私はⅠでは<『自死という生き方』をめぐって>の稿、Ⅱでは<限界哲学>という稿を、強い関心をもって読んだ。前者は、須原一秀著『自死という生き方―覚悟して逝った哲学者―』に衝撃を受けた著者の思索の跡を綴ったもので、人間という動物はなぜ自死するのかという疑問を問い続けている私にとって、大きな影響を与えた稿であった。後者は、鶴見俊輔氏が著書で定義した「限界芸術」という言葉から類推して著者が考えた「限界哲学」という概念について書かれていて、一生活者である私にとって大変共感することができる稿であった。

 

 そこで今回は、本書に所収されている上記の2つの稿のうち、どちらを取り上げようかと迷った末に「限界哲学」の稿を取り上げることにした。今の私には取り上げやすい話題だったからである。では、著者の考えた「限界哲学」という概念についてまとめてみよう。

 

 鶴見氏は『芸術の発展』(1960年刊)という著書の中で、「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」という3つの言葉の概念を次のように説明している。なお、( )内は上原氏の補説で、「えがく→みる」という行動の系列で考えた時の芸術ジャンルを主に示している。

〇「純粋芸術」…専門的芸術家によってつくられ、それぞれが専門種目の作品の系列に対して親しみをもつ専門的享受者をもつ。(絵画)

〇「大衆芸術」…専門的芸術家によってつくられるが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者としては大衆をもつ。(ポスターや紙芝居)

〇「限界芸術」…非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。(らくがき、年賀状、羽子板の絵。系列に関係なければ、日常の身振り、町並み、手紙、盆栽、家族のアルバムなど)

つまり、「限界芸術」とは、生活の中で人々の美意識が関与している全てのことやものなのである。

 

 上原氏はこの「限界芸術」という概念から類推して、次のような概念をもつ「限界哲学」という言葉を考えた。

〇「限界哲学」…人々の日常生活の中で人々を支えている考えのこと。(格言、縁起かつぎ、ことわざ、言い伝え、詩や歌の一節、座右の銘、占い、おみくじ、宗教心、プラス思考、人生論、幸福論・・・といったもの)

つまり、「限界哲学」とは、論理や体系をもつ純粋な「哲学」とは違って、論理も体系もなく、人々の暮らしに密着したところで作用しているものである。だから、それが生きている状況の中でみた時に、その価値が分かり、良くも悪くも作用している。本書の中で紹介している「限界哲学」は、「隣の芝生」「自分はまだまし」「プラス思考」だが、それらはネガ編集者やカメラ店主にとっては生きる意欲を与え、元気にしていた。「限界哲学」の第一義は、役に立つということなのである。

 

 著者は、かれらを支えている考えや言葉は通俗性をもっているが、役に立っているのなら全面的に肯定したいと思うようになったと書いている。確かに多くの人が困難に直面した時に、真っ先に駆動するのは「限界哲学」なのかもしれない。かく言う私も、今までの人生を振り返ると、「災い転じて福となす」「七転び八起き」「プラス思考」という考えや、正岡子規藤沢周平の語った言葉が、難局に面した時に私を支えてくれたように思う。著者は、それらの多くは子どもの頃から蓄積されて、すでに自分の中にあった考え方だったからではないかと言っている。もう一度、生い立ちから自分の人生の歩みを振り返って、今までの自分を支えてきた「限界哲学」について考察してみるのもいいかもしれない。