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久し振りに学び合う楽しさを体験した!②~「愛媛の探究をつくる会」に参加して~

 前回の記事で、2月3日(金)に開催された第101回愛媛教育研究大会において、体育科の公開授業を参観したり研究協議会へ参加したりした内容の概要と簡単な所感を綴った。実は、その大会当日にわずか10分間ほどだったが、私は1年生の「ぎんなん学習」(生活科と特別活動等を統合して運用している附属小独自の領域名)の公開授業も参観していた。単元名は「おもい出いっぱい キラわく じぶんたんけん」で、本時(6/14時)のテーマは「『じぶんたんけん』で見つけた『じぶんのせいちょう』をつたえよう」だった。

 

 私は午後の研究協議会は体育科の方へ参加したので、当然「ぎんなん学習」の方へは参加できなかった。しかし、「ぎんなん学習」の授業者は、私が現職中に教育研究論文の審査委員をしていた職能団体に、生活科や総合的な学習の時間を対象とした優れた研究論文を何度も提出していた教員であった。また、その後に私が現職最後に務めた市内の小学校へ転勤してきた先生だったので、当日の公開授業の提案内容にはとても興味・関心があった。私は、機会があれば彼と個人的に話し合いたいと思っていたのであるが、何とその機会がすぐに実現するとは・・・。

 

 その機会というのは、研究大会から1週間後の2月10日(金)に附属小学校で開催された「愛媛の探究をつくる会」の立ち上げの場である。なぜ私がこの会のことを知ったか?研究会当日、私はせめて1年生の「ぎんなん学習」の当日資料を持ち帰ろうと授業教室の外の机上に目をやった。すると、当日資料の横に置いていた紙箱に気付いた。箱の中には、次のような案内状が入っていたのである。

 私は10日(金)16時から市内のある小学校で保護者との教育相談を予定していたが、何とか開始時刻には間に合うのではないかと考え、事前に参加する旨の連絡をしておいた。あいにく当日は教育相談の時間が少し伸びてしまい、結果的には予定の開始時刻にやや遅れて会場に到着した。私は慌てて教室に入った。すでに8名ほどの参加者が集まっていたが、まだ私以外に参加予定の先生が1名いるとのことで、私は実際の会のスタートには間に合うことができたのである。

 

 まず、参加者全員が自己紹介をした。愛媛大学教育学部の幼児教育担当の教授や市内外の小学校で生活科の授業を担当している先生方、附属小学校の先生方、教育実習に来ている愛媛大学教育学部の学生、変わり種としてはある教科書出版社の社員もいた。附属小学校教員OBで現職を退いて久しい高齢者は私だけだった。しかし、会を主催する授業者から「本会はお互いにフラットな関係で自由に語り合う場にしたい。」という発言があったおかげで、場違いな存在のように感じていた私は少し楽な気持ちになった。

 

 次に、本会の進め方について提案があり、最初に研究大会当日の公開授業の録画を短く編集した動画を皆で視聴した。その後、「キラわくタイム」の手順とその内容等の意図や、ウェビングマップの手法を活用した自己評価の在り方等について、質疑応答があった。また、授業者からは公開授業の次時の授業内容についての補説があった。

 

 さらに、各自が思い思いの感想や意見を述べ合う時間も設定された。その内容の多くは、関連的・合科的な指導を含めたカリキュラム・マネージメントの有効性だったり、自分の思いや願いを生かそうとする子どもの主体性と単元のねらいを実現しようとする教師の指導性との擦り合わせ方だったりと、主に学習指導の方法的なものだった。私も「伝え合う」場面の意義と教師の支援内容に関連して、集団化過程における文化化機能の視点だけでなく、社会化機能の視点も重要性ではないかと語った。

 

 そのような中、愛媛大学教育学部の幼児教育担当の教授から、重要な指摘があった。それは、1年生の生活科「もうすぐ2年生」の単元構想の在り方に関して、ともすると今までは「できなかったこと」が「できるようになったこと」を意識付けることが主流になっているが、そうではなく「そうなりたかったこと」が「できるようになったこと」という「学びに向かう力」を軸に構想すべきではないかという指摘。私はハッとした。そうなのだ、今までの学習は先に外在的な到達目標があって、それを達成するという「借金返済型」(減点法)だったが、これからの学習は一人一人の子どもが抱く願望目標を実現するという「貯蓄型」(加点法)でなくてはならないのである。

 

 私は本会に参加して、大いに刺激を受けた。そして、会の終わりに次のような感想を述べた。「私はもう現職ではないので、日々の授業実践に生かすという動機で本会に参加したのではない。つまり、取り立てて何かに役立てるという動機ではなく、学び合う楽しさや喜びを味わうこと自体を目的にして参加した。これからも可能な限り参加して、皆さんと共に学び続けていきたい。」次はいつ開催されるか分からないが、それまでに「探究的な学び」についてもう少し自己研修を積んで参加しようと、今から、ワクワクした気分に浸っている。