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「感覚過敏」と「感覚鈍麻」って、同居するの!?~井出正和著『発達障害の人には世界がどう見えるのか』から学ぶ~

 3月末~4月上旬に掛けて、長女たちは新しく購入したマンションへ引っ越しをした。私たち夫婦は、土日はもとより平日の夕方などを活用してその手伝いをしていたので、何かと慌ただしい私生活を送っていた。また、公的にも年度末の人事異動による転任者を送る諸行事や、新任者を歓迎するための諸準備に余念のない日々を過ごしていた。そのような中で新年度が始まり、今日は職場で新任者の方々との新しい出会いがあった。私たち特別支援教育担当の部署では、指導主事1名と指導員2名が新たに加わり、指導主事3名と指導員7名の計10名の態勢が整った。「このメンバーで本年度の担当業務をよりよく遂行していくのだ。」と、年甲斐もなく気分が高揚してきて、私は「まだまだ気分は若いなあ。」とつい照れ笑いをしてしまった。

 

 とは言うものの、今日はまだ研修に時間を費やすことができたので、私は昨年度までの教育相談業務を振り返りつつ、発達障害に関する新たな知見を得ようと、先日購入したばかりの『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(井出正和著)という本を読み進めた。そこで今回は、本書から学んだ内容をまとめてみようと思う。特に、ASD者における「感覚過敏」と「感覚鈍麻」の関連について少し詳しく紹介したいと考えている。

 ご存知の方も多いと思うが、アメリカ精神医学学会発行の『精神疾患の診断・統計マニュアル』の第4版(通称『DSM-4-TR』)まで「広汎性発達障害」と呼ばれていた領域は、2013年5月にアメリカで発行された第5版(通称『DSM-5』)においては「自閉スペクトラム症」<Autism spectrum disorder=ASD>という定義でくくられるようになった。そして、その診断基準の中に新たに「感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ、または環境の感覚的側面に対する並外れた興味」という記載が加わった。このことで、多くの専門家の間に、「ASDの方々の苦労や悩みを知る上で、感覚過敏・感覚鈍麻を理解することがとても重要だ」という認識が広まったと、著者は述べている。

 「感覚過敏」とは周囲の音や匂い、味覚、触覚など外側からの刺激が過剰に感じられ、激しい苦痛を伴って不快に感じる状態のことであり、「感覚鈍麻」とは痛み、気温、体調不良等に関して鈍感である状態のことを意味する。この「感覚過敏」と「感覚鈍麻」という問題を、ASD者の約9割超は抱えているらしい。確かに私がこの1年9か月の間の教育相談を受けた対象児の中でASDと診断されていた子の中には、教室内の友達の声がうるさく感じたり、体操服を着ると不快なために着替えなかったり、給食時に白米しか食べなかったりするという「感覚過敏」の子が多くいた。ただし、私たち指導員が気になったのはこのような「感覚過敏」の反応を示す子たちであり、「感覚鈍麻」の反応を示す子の実例は意識していなかった。

 

 それにしても「感覚鈍麻」の反応とは、どのような内容があるのだろうか。著者は、定型発達者であれば「痛くて仕方ない」というケガを負っていても気付けない事例について言及している。そう言えば、昨年度、視覚過敏の反応を示すとともにそのような様態があると担任から聞いたASDの診断を受けていた小学校3年の女児がいた。でも、その時はそのような「感覚鈍麻」について気に留めなかった。「感覚過敏」の子が「感覚鈍麻」にも悩んでいるとは思っていなかったからである。また、「感覚鈍麻」については、あまり症状として目立たないので、周りの大人もあまり意識しないのではないだろうか。少なくとも、私はそうであった。

 

 ところが、著者は本書の中でアメリカのある研究者たちの調査結果に基づいて、「一人の中に感覚過敏と感覚鈍麻が同居する」ということが分かったと紹介している。また、ASD者は、感覚過敏だから刺激を避けたいとか、感覚鈍麻だから刺激を求めて身体をいじめてしまうとか、そのどちらかまたは両方で悩んでいる可能性が極めて高いと述べている。さらに、具体的に感覚の問題から生じる苦しみについて言及しており、特別支援教育指導員の私としては、この問題をより深く認識する必要性を強く感じた。

 

 なお、それ以外にもASD者が併発しやすい「社会不安性障害」や「強迫性障害」への対応についても解説したり、ASD者の「木を見て森を見ず」の傾向や「エゴセントリックに世界をとらえる」という特性が要因となって起きる「会話の輪にうまく入れない」という対人関係の悩みの分析もしたりしていて、本当に学ぶべきことが満載であった。もっともっと発達障害について研修を深めることが大切だと痛感した次第である。