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人が“断捨離”できない理由について考える~垣谷美雨著『あなたの人生、片づけます』を読んで~

 いよいよ年の瀬が迫ってきた。この時期になると、我が家でも年末の大掃除、いや小掃除をする。私の分担は、室内の窓やドアの桟の埃を拭き取ったり、玄関周りの掃き掃除や玄関ドアの拭き掃除をしたりして、お正月のお飾りを付けることなのだが、今年は義母が亡くなったのでお飾りはしない。だから、今日の日中にやってしまった。年末の大掃除と言えば、26日(火)の夜、たまたまBS朝日テレビの「ウチ、“断捨離”しました!傑作選 年末スッキリしましょう!スペシャル」を観た。内容は、年末大掃除の参考にしたい回をリピートする放送だった。私には不必要だとしか思えないような物が捨てられない人の心について考える機会になった。

 

 そんなことがきっかけで、私は先月の古本交換会で入手していた『あなたの人生、片づけます』(垣谷美雨著)を思い出した。本書の裏表紙の内容紹介に「・・・。『部屋を片づけられない人間は、心に問題がある』と考えている片づけ屋・大庭十萬里は、原因を探りながら汚部屋を綺麗な部屋に甦らせる。この本を読んだら、きっとあなたも断捨離したくなる!」と書かれていたのを読んでいたからである。早速、ここ三日間の寝床の友にした。本書は、部屋を片つけられない四人のケースを取り上げた、大庭十萬里の事件簿みたいな本だった。汚部屋に暮らすアラサー独身OL。奥さんに先立たれ、男やもめになった職人。資産家の独居老女。一部屋だけしか片づけられない主婦。それぞれの事情は異なるが、世間一般にはありそうな物語である。そこで今回は、その中でも私が特に心に残った「ケース2 木魚堂」の概要を紹介しながら、人が“断捨離”できない理由について考えたことを綴ってみようと思う。

 半年前に妻・美津子に先立たれた木魚職人の国友展蔵は、何事にもやる気を失ったような日々を送っている。また、死んだ妻が家事一切を担っていたために家事能力は全くないので、車で30分ほどの所に住んでいる一人娘の小学校教師・風味子が毎日、学校帰りに夕飯を作りに来てくれている。しかし、風味子は家庭的に困難な事情を抱えている。その一つは、一人息子の高校1年生の春翔が、5月頃から不登校の状態になってしまっていること。もう一つは、小学校教師をしている夫の義彦が、受け持ちクラスが学級崩壊になったので自分のことで精一杯の状態に陥っていること。そのために、春翔のことを夫に相談できないのである。

 

 そんな風味子が、「片づけ屋」の大庭十萬里に、父親の住む実家の片づけの依頼をする。そのために、十萬里による<片づけられない度>を判定するための家庭訪問を展蔵はしぶしぶ受け入れることになる。居間、風呂場と順に見て回っていた十萬里は、展蔵が自分の衣類の整理だけでなく、亡き妻の衣類や持ち物等も処分しようともしないでいることを指摘するが、展蔵は「そのうち風味子がする。」と人任せの態度を示す。ところが、途中で実家に来た風味子が普段は見せない怒りを示しながら洗濯や食器洗い、夕食作りをする様子を見て、春翔のことで追い詰められている風味子に知らず知らずに甘えていたことに気付いていく。

 

 7月も終わりに近づいてきた頃、孫の春翔が一人で展蔵宅を訪れて、1か月泊まると言う。展蔵は、不慣れな洗濯や買い物、料理等の家事を春翔とともに何とかこなしながら、家業の木魚作りに興味を示した春翔にその作業工程を教える。すると、春翔は自分から進んで木魚作りに取り組んだ。そんな中、展蔵は十萬里の訪問を受けて、食器棚や下駄箱の整理を促されると前向きに取り組む意思を初めて表明する。それに対して、十萬里は「やっと夫婦二人暮らしからひとり暮らしにシフトする覚悟ができたようですね。その調子ですよ。」と励ます。

 

 春翔が来て3週間が経た頃、精神科医の有馬先生に案内されてドイツでセラピストをしている夫婦が、「国友木魚堂」を訪れる。春翔が作ったホームページでここを知り、展蔵が作った木魚が欲しいと言う夫婦の思いを聞くに及んで、春翔は展蔵のことを尊敬の眼差しで見る。このような出来事があって、あと1週間で夏休みが終わるという頃、ふいに訪れた風味子が、木を夢中で彫っている春翔の様子を見て驚き、展蔵に感謝の言葉を伝える。そして、その後の会話の中で、以前に家事をしながら感情を爆発させたことや、春翔と1か月会うのも連絡するのも禁止していたこと、夫と夏休みに旅行をしたことなどは、全て十萬里さんの指示であったと明かす。

 

 「あの人は部屋だけでなく、心もお掃除してくれることで有名なのよ。」という風味子の言葉を契機にして、展蔵はさらに十萬里の指導方針と内容について知る。その中で、家事と仕事の両立、その上に息子の不登校、夫の学級崩壊のために相談できない事情等で、精神的に追い詰められていた風味子の展蔵に対する本音の気持ちを聞き、展蔵も胸の内にあった亡き妻に対する後悔の思いを語る。だんだんと父親と娘の心が打ち解け合っていく会話の流れで、春翔のことへも話題が発展する。そこへ春翔が加わり、木魚の音の科学的分析や日本の伝統文化・歴史等について勉強する意欲が起こり、2学期から登校したいと言い出す。・・・

 

 長々と、「ケース2 木魚堂」のあらすじを綴ってしまった。中学生頃から読書感想文を書く時の私の悪い癖だ。でも、ストーリーを振り返る作業の中から、自分なりに心に強く残った場面を再確認したくなるのである。今回であれば、展蔵が“断捨離”できない理由について問い直すことである。展蔵が美津子の衣類や持ち物等を“断捨離”できなかったのは、亡き妻に対して自分がしたことやしなかったことなどについての後悔によって情緒が不安定になっていたからである。また、目の前から美津子の持ち物を消すことは、亡き妻を思い出さないようにしているみたいで申し訳ないような気がして、少なからず抵抗があったからである。でも、そんな展蔵の気持ちを察したのか、十萬里は次のようなことを言った。

-いつの日にか、心穏やかに奥様のことを思い出せる日がくるんじゃないでしょうか。人生は山あり谷あり、いろいろあったけど、なんとか協力して二人でやってきたんだって思える日がきっと来ますよ。

 

 人がもう不要になった物を“断捨離”できないのは、その人が囚われている物への強い拘りから逃れられずに時間が止まってしまっているからだと、私は推察する。だから、生活を快適に送るためという機能的な面からどんなに“断捨離”の必要性を説いても効果的ではないと思う。その人なりの強張った心情を解きほぐして、心も掃除することが不可欠だからである。本書の主人公・「片づけ屋」の大庭十萬里は、“断捨離”できない人のこのような事情を踏まえて、それぞれの依頼者に対して個別の工夫した対応をしているのである。

 

 私はどちらかというと綺麗好きで、身の回りの整理整頓はまあまあできていると思っているが、歳を重ねてくると物が増えてきて、ついつい不要な物を“断捨離”することができていないように思う。来年は古希を迎える歳になるので、そろそろ自分では気づいていない強張った心情を大庭十萬里のような視点から解きほぐし、心の掃除もしながら“断捨離”をしてみようかな・・・。

 

追伸;今回の記事で、今年の当ブログも綴り納めになります。今年は、公私共に多忙な日々を送るとともに、地球温暖化に伴う気候変動の影響も受けて体調管理に追われたために、毎月の記事の投稿数が1~4回(今月は今回の記事でやっと5回投稿)と少なくなってしまった。来年の干支は“辰”なので、それにあやかって一念発起し、改めて初心に立ち返って記事の投稿数を増やしていこうと考えています。でも、まあ歳が歳ですので、読者の皆様にはあまり期待せずに気が向いた時に本ブログへ立ち寄ってくださると幸いです。では、読者の皆様方、よい年をお迎えください。