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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

紅葉の美しさで有名なお寺で再開した二人の孫たち~久し振りに家族が揃った日の充実感~

 12月最初の土曜日、私たち夫婦と長女、その長男(私たちにとっての初孫H)の4人、そして義母と義姉夫婦の3人は、二女夫婦とその長男(私たちにとっての二人目の孫M)の住む市をそれぞれの自家用車で訪れ、リーガロイヤルホテルの中の食事処で昼食を取った。残念ながら、Mに離乳食を食べさせたり昼寝をさせたりするために、二女たちは昼食会場へ来ることができなかった。しかし、その後、庭園に咲く紅葉の美しさで有名なお寺で合流することにした。

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 午後1時過ぎに私たちの2台の車が先に到着した。しばらく車中で過ごしていると、間もなく駐車場に二女とMの二人を乗せた車がやってきた。パパは用事ができたので、一緒に来ることができなくなったって…。ママ方の親戚たちが集合していたので、気を遣ったのかな。二女が運転する車が止まると、Hは待ちきれないという様子で私の車から飛び出しそうになった。私たちじじばばは、他の車が来るかもしれないので「Hくん、周りをよく見て車が来てないことを確かめて!」と気が気でないが、長女は「Hくん、待って。」とのんびりした雰囲気で声掛けしただけ。私はすぐにドアを開けて運転席から飛び出し、Hの手を掴んで一緒に走って二女の車まで駆けて行った。

 

 後部座席に設置されたチャイルドシートに乗っていたMと私に抱っこされたHは、窓越しに対面した。Hは久し振りに再開したMを喜ばそうと、早速にぎこちない動きをしながら「Mくん、いない、ない、ばあ。」と言った。だけど、Mの方はキョトンとした表情で見るだけ…。それでも、Hはそれにもめげず「いない、いない、ばあ。」を連発していた。私は、Hの必死な様子に何だか胸が熱くなるのを覚えた。こんな幼い子でも、自分より年下の子を喜ばそうとするのだ。いつもは私たちじじばばに甘えてばかりいるHが、急にお兄ちゃんになったように感じた。人間というのは、実体的な存在ではなく、やはり関係的な存在なのだなあと改めて感じ入った瞬間だった。

 

 Hに負けず、私もついついMに対して変顔をしながら「いない、いない、ばあ。」をしていると、最近何度か二女たちのマンションを訪れて、よくあやしていた私を覚えてくれていたのか、Mが微笑んでくれた。「ほら、Hくん、二人でやったら、Mくんも喜んでくれたね。」と私がHに話し掛けると、Hもとても嬉しそうな顔になり、私もホッと一安心した。そうこうしていると、妻もやって来て、二女を手伝ってMをチャイルドシートから降ろした。今度は、妻がMを抱っこしてやり、一生懸命にあやしてやった。すると、Mはすぐに反応し、満面の笑みを見せてくれた。やっぱりちゃんと私たちの顔を覚えてくれていたのだ。

 

 それからしばらくすると、Hにお菓子をせがまれて近くのドラッグストアへ買い出しに行ってくれていた義姉夫婦と義母を乗せた車が帰ってきた。義姉も早速にMを抱っこして、しきりにMをあやしたり、義母や義兄にMの顔を見せてあげたりした。93歳の義母は少し認知症の症状が出る時があるし、何といっても高齢のために筋力等も弱っているので、駐車場では抱っこするのは無理なのである。「さあ、お寺の中の大広間に入り、ぜんざいを食べながら庭園の美しい紅葉を見ましょう。」という義姉の声で、みんなは一斉にお寺の山門を潜った。

 

 赤い絨毯を敷き詰めた大広間には、ちょうどよい大きさと高さの木机がほどよい間隔に並らべて置いていた。また、大広間前の赤い絨毯の廊下にも、趣のある庭園を望むために配置された布張りの椅子が適度に設置されていた。私たちは思い思いにそれらに座ったり、絨毯に腰を下ろしたりして、記念撮影を始めた。もちろん二女と孫Mに会うために来たのだから、遠方からきた私たちはこの二人と一緒にスマホのカメラに収まろうと何度も様々なポーズを取った。その中で、私のスマホで撮った中の1枚が次の写真である。

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 写真に写られるのを照れている4歳9か月になるHの表情と、カメラ目線で笑顔のまだ9か月のMの表情の対比が面白く、共に愛らしい。また、妻と二人の娘たちの心穏やかな表情も愛おしい。子どもの頃は家庭的に決して幸せでなかった私だが、今、このように親子三代で家族揃ってカメラに収まっていることは何にも代えがたい幸せである。大広間で食べたぜんざいの甘い味はすこし忘れかけてきたが、この写真を撮った時の心の充実感を私は決して忘れることはないであろう。

<身分け構造>と<言分け構造>をもつ人間の在り方について考える~丸山圭三郎著『フェティシズムと快楽』を再読して~

 当ブログの前々回の記事において、『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然(ピュシス)の歌を聴け―』(福岡伸一伊藤亜紗・藤原辰史著)を取り上げ、<第2部 鼎談・ポストコロナの生命哲学 第6章 身体観を捉えなおす>における鼎談内容の概要と主に生物学者の福岡氏の総括的な話の概要を紹介した。その中で、人間というのは、外部にロゴス的価値を信奉しつつ、内部ではピュシス的身体とも折り合いをつけていかなくてはならない、とても危うい両義的なバランスの上(これを福岡氏は「動的平衡」と呼ぶ。)にある存在だと、彼はとらえていることが分かった。私は彼のこのような人間観に対して共感的な理解を示したが、その根底には今から30年以上も前に読み、その著者の理論に強く影響を受けた『フェティシズムと快楽』(丸山圭三郎著)という本の存在があった。

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 著者の丸山氏は元フランス語教師であったが、その後ソシュール言語学に関心をもち始め、ソシュール解釈に新地平を拓いた研究により、世界的にも評価された丸山言語哲学とも呼ばれる独自の思想を打ち出した言語哲学者である。私は本書以外では、『言葉のエロティシズム』と『生の円環運動』という本しか持っていないので、著者の学問的成果について詳しく評論する知見をもってはいない。ただし、本書で語られている<身分け構造>と<言分け構造>については、当時とても興味をもったので自分なりに理解する努力をしたことがある。

 

 そこで今回は、本書の内容概要を簡単に紹介し、その上で著者の語る<身分け構造>と<言分け構造>をもつ人間の在り方について要約するとともに、それに対する私なりの考えを付け加えてみたい。

 

 本書は、題名にもなっている「フェティシズムと快楽」と「<近代>批判のメリットと限界」、「言葉と文化」、「今、ここでの実践」という4回の講演のテープをもとに書き下ろされたものである。これらの講演内容は、基本的に身近な日常生活の周りに潜む惰性化し硬直化した様々な<実体論の罠>を抉り出し、流動化した生命の動きを回復するための<関係論>、さらには<生成論>という視座を示しており、教育における<二項対立的な議論>に囚われていた当時の私にとって「目から鱗」の本だったのである。特に第2章の「<近代>批判のメリットと限界」は、易しい言葉で語り掛けてくれてはいるがその内容はインパクトの強いものであったので、私の心には印象深く残っている。今回、再読してみて当時の知的興奮が鮮やかに蘇ってきた。

 

 では、本書に所収されている講演で語られている<身分け構造>と<言分け構造>の概念について話を進めていこう。まず、<身分け構造>という概念は、哲学者で身体論者の市川浩氏が、長い間西欧形而上学の根となっていた心身二元論を超えるべく、精神の対立項としての客体的身体という概念を斥け、大和言葉の<身>というキー・タームに代えて理論化した研究を踏まえている。市川氏は<身分け>を「身によって世界が分節化されると同時に、世界によって身自身が分節化される」という両義的・共起的な事態を意味する用語として使用したのであるが、著者はこの概念を借りて自らの理論を展開した。著者によると、<身分け>は生の機能に基づく種独自のカテゴリー化であり、身の出現とともに外界が「地と図」の意味分化を呈するゲシュタルト、つまり<身分け構造>を構成すると考えた。人間も動物も、この本能的目的関連が作り上げる<環境世界>に適応し、内応しているのである。

 

 ところが、人間だけは、このような本能の行動様式に加えて、もう一つの文化のゲシュタルト、つまり<言分け構造>を過剰物としてもってしまったと、著者は仮説を立てたのである。言葉を代表とするシンボル化能力が文化を生み出し、記号・用具・制度等を組み込む身の延長を可能にしたのである。しかし、その一方で身の方もこれに組み込まれて支配されち状況をもたらした。この<言分け構造>というは、<身分け構造>の上に実体的に重なるのではなく、すでに存在するものは常に<言分け>られた身であるである。言い換えれば、人間存在にとっての<身分け構造>はもはや変形され破綻しているのである。ただし、この破綻が生み出すものは、本能的図式には存在しなかったカオスとしての<欲動>であり、<無意識>であり、<エス>であって、この力が文化の快楽の源になると同時に、物象化して文化の悲惨をも生み出している。

 

 以上が、著者が理論化した<身分け構造>と<言分け構造>の概念なのであるが、これは当時私が信奉していたフロイド派心理学者の岸田秀氏の、人間は本能が崩れたために幻想としての言葉や文化等を作ったという「唯幻論」の考え方によく似ていると思った。私が違うなと思ったことは、岸田氏の「本能が崩れた結果、幻想を作った」という理路とは反対に丸山氏は「幻想を作った結果、本能が崩れた」という理路で説明していた点であった。しかし、当時の私にとってその原因-結果の議論はどうでもよく、「人間は<身分け構造>と<言分け構造>の重層的存在であり、それらが実体化・固定化しないように柔軟に流動的にバランスを取って生きることが<生の素晴らしさ>を味わうことにつながる」という人間観や人生観を得たことに大きな意義を感じたのである。そして、このことは私を「ポストモダン思想」へと接近させる契機にもなったのであるが…。

 

 ともかくも、このような読書経験をしていたことが、生物学者の福岡氏が唱える「人間というのは、外部にロゴス的価値を信奉しつつ、内部ではピュシス的身体とも折り合いをつけていかなくてはならない、とても危うい両義的なバランスの上にある存在だ」という「動的平衡」に基づく人間観にシンクロしたのではないかと考えた。「ピュシス」と「ロゴス」の動的平衡という考え方と、<身分け構造>と<言分け構造>の重層的・流動的バランスという考え方は、人間存在をとらえる視座として共通するものがあり、いかに当時に比べて大きく変化したように見える現代社会においても、決して手放してはいけない考え方や視座なのではないだろうか。

「吃音」って、どのように克服するのだろうか?~伊藤亜紗著『記憶する体』(エピソード10「吃音のフラッシュバック」)を読んで~

 学校で様々な「困り感」をもつ子どもの適切な学びの場や、その子の特性に応じた学校や家庭での支援の工夫等に関する教育相談を行う仕事をするようになって、約4か月半。改めて、様々な「困り感」をもつ子どもたちは、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠陥・多動症ADHD)、学習障害(LD)等の発達障害の診断を受けていたり、診断は受けてないがそれらの障害特性に類似した様態を見せたりする子が多いと感じる。しかし、中には構音障害や「吃音」等の言語障害を有する子もわずかながらいる。最近も、「吃音」のある子どもの保護者が「本人はあまり気にしていないが、就学後に吃音のことで友達からからかわれたり虐められたりしたらいけないので早く治してやりたいから、通級による指導を受けたい。」と申し出ていると、ある幼稚園から教育相談の申請書が届いた。

 

 私が勤務する市教委・学校教育課の特別支援教育指導員室には、言語聴覚士(ST)の資格を有する者がおり、上述の相談内容への対応について会話をすることがあった。そのSTの話によると、「吃音」は発達性と獲得性に分類され、そのうち約9割が発達性であり、幼児期に発生する場合がほとんどであること。また、発生率は幼児期で8%前後、体質的要因(遺伝的要因)の占める割合が8割程度という報告もあること。さらに、発達性「吃音」の7~8割ぐらいが自然に治ると言われていること。そして、「吃音」の治療方法は現時点ではまだ確立しておらず、最近は家庭で「吃音」の子どもの発言に対して声を掛けていく「リッカムプログラム」という海外で開発された手法を使う医療機関が増えてきていることなどの情報を得ることができた。

 

 以上のことを踏まえると、「吃音」を治すことを目標にして「通級による指導」を受けるという保護者の願いは望みが薄いことになる。その上、現在の本市の「通級による指導」体制は、障害種別ではなく保護者が送迎しやすい距離を考慮した地区別なので、言語障害に特化した専門的な指導を受けることができない場合が多い。もちろん「吃音」による精神的な不安を少しでも取り除くための個別支援を望んでいるのであれば、それはそれで有効な場にはなる。しかし、この保護者は我が子の「吃音」を早く治したいために、「通級による指導」を希望しているのだから、私たちはまず上述のような情報を幼稚園側から保護者へ提供してもらった上で、相談内容を再考してもらう方がよいという結論に至った。

 

 私は、このような会話をしながら、確か「吃音」当事者である美学者・伊藤亜紗氏が「吃音」を通して人間の身体の在り方を論じた『どもる体』という本を著していたことを思い出し、それを借りるために昼休みの時間を利用して職場近くの市立中央図書館へ自転車を走らせた。だが、残念ながら所蔵していなかったので、その代わり「吃音のフラッシュバック」というエピソードが所収されている『記憶する身体』という本を借りることにした。

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 そこで今回は、本書の内容概要に触れつつ、特にエピソード10「吃音のフラッシュバック」の事例を紹介しながら、「吃音」当事者がそれを克服していくローカル・ルールについてまとめてみたい。そして、私なりの簡単な所感を付け加えてみようと思う。

 

 本書は、障害のある12名の体の「記憶が日付を失う過程」を取り上げている。つまり、何らかの障害をもつ方にとって特定の日付をもった出来事の記憶が、いかにして経験の蓄積の中で熟し、日付のないローカル・ルールに変化していくかというプロセスに注目しているのである。著者はエピローグ「身体の考古学」の中で、何らかの障害をもった人間は、その障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫を積み重ね、その体を少しでも自分にとって居心地のよいものにしようと格闘してきた、その長い時間の蓄積こそ、その人の体を唯一無二の代えのきかない体にしているのではないかと語っている。そして、その事例として、「吃音」のある人の多くは、どもりそうな言葉を直前で感じ取る鋭敏な感覚を持っていることや、どもりそうな言葉を似た意味の別の言葉に即座に言い換えるとスムーズに話せると知っていることなどを取り上げている。

 

 それだけではなく、エピソード10の「吃音」当事者である柳川太希さんは、大学時代に「一人称を“私”に揃える」、言い換えれば“私”を安定させるという工夫を行って、中学・高校の頃に比べて「吃音」の状態が軽くなったそうである。また、彼は「吃音」とつきあうには身体が起点であると考え、「運動をする」ことで“身体”を安定した状態に保つ工夫もしている。これらの工夫は、「どもってしまうことに対して過剰に敏感になるという極」と反対の「安定した鈍感な極」を作ることを意味する。つまり、安定した極を作れれば、まさに振り子のように、いったんは不安定な極に触れたとしても、いずれはそれ自体の力によって安定した鈍感な極に戻ってくるのを待つのである。彼はこの「二つの極を作る」ということで「吃音」へアプローチした結果、今では日常会話にほとんど困らないほどスムーズにしゃべれるようになったそうである。

 

 「二つの極を作る」という彼の「吃音」へのアプローチは、まさに彼自身のローカル・ルールであり、「吃音」を克服するために当事者の誰でもができる一般的な手法ではない。しかし、だからといって全く参考にならないかと言えば、「そんなことはない。」と私は反論したくなる。その訳は、たとえ人によって結論としての答えが違っていても、その人が独自の結論を導き出すプロセスには共通するものがあるはずだからである。著者も言うように、おそらく「吃音」のある人の多くは、言葉をあやつることの一部に「吃音」というファフクターが組み込まれており、その人のしゃべるシステムは長い時間をかけて「吃音」とともに形成されていくものなのである。

 

 本書のエピローグには、「吃音」当事者数名のおしゃべりの中で「もし目の前に、これを飲んだら吃音が治るという薬があったら飲む?」という「究極の問い」の話になったことが記されている。この答えは、意外にもそこにいた全員が「N0」だったそうである。著者は、その訳を〇〇という障害であるという「属性」ではなく、その体とともに過ごした「時間」こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないかと考えている。だからこそ、「吃音」当事者は、これを克服するために彼独自のローカル・ルールを作ることが求められるのである。そして、このような考え方は、「吃音」当事者だけでなく、実は何らかの特性をもっているであろう全ての人間にとって必要な考え方ではないのだろうか。私はエピソード10からこのことを学んだ。

新型コロナの“第5波”が収束している束の間に考えたこと~福岡伸一・伊藤亜紗・藤原辰史著『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然(ピュシス)の歌を聴け―』を読んで~

 11月に入ってから、急速に新型コロナウイルスの感染者数が減ってきた。本県でもここ数日、感染者0名が続いていて、知事も恒例の記者会見で「“第5波”は収束した。」という主旨の発言をしていた。それに伴って、社会経済活動もコロナ前の日常性を取り戻そうとする動きが活発になっている。コロナ禍で客足が途絶えていた本県の観光地にも、祝祭日には多くの人々が訪れているニュース映像がテレビ画面に流れていた。また、私の自宅近くにある本市の中心商店街でも、「まん延防止等特別措置」の発令中に比べると明らかに買い物客の往来が多くなった。

 

 そんな中、国や各地方自治体の行政機関は、次に来るであろう“第6派”に備えるために病床の確保や飲む治療薬の承認等の医療体制の整備に注力している。また、多くの国民も今まで行ってきたマスクの着用や手指消毒、屋内の換気等の感染防止対策を、油断することなく継続している。もちろん私たち夫婦も、気を緩めることなく続けてきている。このように、人間はいつ新型コロナウイルスという外敵に襲われても対応できるように、出来得る限りの防護策を構築しようとしている訳である。しかし、そもそも新型コロナウイルスは、我々人間にとって害を及ぼすだけの敵なのであろうか。私は“第5波”が収束したこの束の間に、新型コロナウイルスと人間との関係について少し考えてみたいと思い、それに関連しそうな本を読んでみることにした。

 

 私が選んだのは、『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然(ピュシス)の歌を聴け―』(福岡伸一伊藤亜紗・藤原辰史著)という本。最近、私が注目している美学者の伊藤亜紗氏が著者の一人として名を連ねていることも選んだ理由の一つだが、生命における「動的平衡」という概念を提唱している生物学者福岡伸一氏もその著者の一人であったことが大きい。本書は、NHKのBS1スペシャル「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」(2020年8月1日放送)の番組内容や未放送シーンに加え、新たに鼎談を行い、大幅に加筆修正の上、構成したものである。

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 そこで今回は、本書の中の<第2部 鼎談・ポストコロナの生命哲学 第6章 身体観を捉えなおす>における鼎談内容の概要、特に福岡伸一氏の発言内容を中心にまとめながら、新型コロナウイルスと人間との関係や「新しい生命哲学」における身体観等について私なりに考えてみたことを綴ってみたい。

 

 まず、鼎談内容の概要から。コロナ禍で外出して人と接触し、自分が変わるという経験をしなくなったことについて議論している中、藤原氏が今後オンラインで身体が映像化され、音声だけでコミュニケーションを取るというやり方は広まっていくと発言し、このようなデジタルな社会に適応した様々な文化的な営みが発見されていくだろうと、コロナ禍における「新しい生活様式」のポジティブな面を指摘している。それに対して、伊藤氏はオンラインのコミュニケーションが広がると、私たちはますます視覚に依存してしまったり、孤立感を強めてしまったりすることについて指摘している。そして、そこにその人が存在するという「いる感」のようなものが失われている点も付け加えて、沈黙が許されるOrihimeという分身ロボットの事例から「分身」という1.5人称の存在をうまく使っていくという考え方がポイントになると語っている。

 

 次に、上述のような議論の流れから、新型コロナウイルスも私たち高等生物の遺伝子の一部が外部に千切れて出た「分身」であるととらえる話題が展開していき、福岡氏がウイルスについて次のようなことを語っている。…ウイルスという分身は、いろいろな宿主を渡り歩きながら、変異したり、その宿主の情報の一部を取り込んだりして、また元の宿主のところに戻ってくる。その際、宿主の免疫系を揺るがしたり、疾患をもたらしたりするのが病原ウイルスだが、全く何の症状も現わさない通過者(パッセンジャー)のような存在もある。しかし、パッセンジャーは知らないうちに、新しい遺伝情報を宿主にもたらしているかもしれない。進化のプロセスでウイルスが温存されてきた理由は、一つにはこの遺伝子の水平移動に関わっているからだと考えられる。だから、分身もまた生命の環の一部である。分身には功罪両面があるが、その罪としての存在感が、今回のコロナ禍でにわかに顕在化している訳である。分身としてのウイルスは、ずっと昔から、そしてこれからもその気配を消したり、現わしたりしながら、絶えず相互作用を繰り返すパートナーでもある。…

 

 彼が語っている言葉によれば、新型コロナウイルスは我々人間にとって倒すべき“敵”ではなく、相互作用を繰り返す“パートナー”なのである。つまり、ウイルスも人間も全ての生命は、共存を目指ざす協働的な存在であり、大きな生命の環の動的平衡の中にいるのである。ただし、彼はこのピュシス的な自然のビッグピクチャーを俯瞰できるのは、おそらく人間の持つ想像力だけが成し得ることなので、常にそのことに思いを馳せるということは、利他性や共生といった理念を考える上でも大切なことだと指摘している。また、彼は新型コロナ対策としてのワクチンによる免疫系の賦活化を有効だと認めながらも、ピュシスとしての人間の身体性を信じることが基本だと主張した後に、鼎談の総括的な話をして締めくくっている。

 

 最後に、福岡氏の総括的な話の概要を紹介し、それに対する私なりの所感を付け加えてみたい。彼は言う。歴史的に人間はロゴス(言葉)の力でピュシス(自然)の掟や呪縛(遺伝子の命令や種の存続のためのツールとしての個体というあり方)の外側に立つことで、個の価値や基本的人権の尊重というロゴス的約束を果たした。だからピュシスの原則に基づいて、ロゴス的約束を反故にしてはいけない。しかし一方で、生命は本来的にはどこまで行ってもピュシス的存在である。揺らぎ、ノイズ、汚濁、脆さ、不確かさを常に含んだものである。同時にそこには強靭さ、許容性、レジリエンス(回復性)といった特性も含まれている。だから、人間というのは、外部にロゴス的価値を信奉しつつ、内部ではピュシス的身体とも折り合いをつけていかなくてはならない、とても危うい両義的なバランスの上(これを福岡氏は「動的平衡」と呼ぶ。)にある存在だと言える。したがって、人間存在は常にままならないもので、制御不能ながら自律性を持つので、何とか折り合いをつけつつも、最終的には信頼をおくしかない、あるいは受け入れるしかないのである。「新しい生命哲学」は、このような身体観から始まるのではないか。

 

 このような福岡氏の生命における「動的平衡」という概念は、理性による人間中心主義や物理学を中核とした自然科学主義によって対象としての自然を一方的に開発・利用してきたことが、現在の環境破壊や気候変動等という危機を起こした要因になっているという歴史的な事実を問い直す際のキーワードになると考える。このことは近代教育において、人間である子どもという自然を一方的に操作・指導してきたことが、現在の子どもたちの身体的・精神的疾患等という危機を起こした要因になっている事態と同定することができるのではないかと思う。よって、近代教育のあり方を問い直す視座としては、自他(自己と環境や他者と)の「相互作用」の連続的過程における自己組織化、端的に言えば自他の「自律性」の保障になるのではないだろうか。

教育における“利他”をどうとらえるか?~伊藤亜紗編・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎著『「利他」とは何か』から学ぶ~

 美学者の伊藤亜紗氏が著した『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読んで以来、彼女の発言内容に関心を持つようになった私は、最近『「利他」とは何か』(伊藤亜紗編・中島岳志若松英輔國分功一郎磯崎憲一郎著)を読んだ。その中で彼女が執筆している<第1章「うつわ」的利他-ケアの現場から>を読んでいる時に、自分の教職時代のある場面を思い出した。

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 それは次のような場面である。…私が市立のある中学校の校長をしていた時、始・終業式の式辞を述べたり全校朝会等の校長講話をしたりする前に、その話題についてしっかり下調べをして臨んでいた。そのような中、赴任2年目の2学期の終業式の式辞で取り上げた話題が、「“自利利他”の精神を生かした生活」であった。内容は、生徒たちが目前にした冬休みを有意義に過ごすための心構えとして、“自利利他”の精神を大切にしてほしいということだった。私は仏教の教えの一つである「自分を生かし、相手も生かす」という“自利利他”の精神を敷衍して、「他人のためになすことが、自分のためになる。自分のためになすことが、他人のためにもなる」という意味を強調した。具体例としては、「ボランティア活動」や「受験勉強」をどのようにとらえて取り組めばよいかについて語ったという場面である。

 

 なぜ、この場面を思い出したかというと、私が語った“自利利他”の精神の意味は本当に妥当性があるものだったのかという疑問を抱いたからである。これについて、伊藤氏は本書の中で、私が語った“自利利他”の精神のことを自分にとっての利益を行為の動機にする「合理的利他主義」と位置付け、現在の“利他”をめぐる主要な考え方の一つになっていると説明している。したがって、私が語った“自利利他”の精神の意味は一般的な妥当性はあったと考えられる。しかし、“利他”についての考え方はこれだけなのであろうか。また、教育における“利他”をどうとらえればいいのだろうか。これらの疑問について答えるために、伊藤氏の説明の続きをもう少し追ってみたい。

 

 彼女は、利益を動機とする点で「合理的利他主義」をさらに推し進めた「効果的利他主義」についても触れている。それによると、「効果的利他主義」とは共感よりも理性に基づいて幸福を数値化し、「一番たくさんの」幸福を効率的に実現するという考え方である。この考え方の背景にあるのは、現在の世界が地球規模の危機にあるという認識である。この地球規模の危機は、想像もできないような膨大で複雑な連関によって起こっている危機であるから、「近いところ」に関わろうとする共感ではとらえることができず、どうしても理性によってとらえる必要があるのである。

 

 では、彼女は「合理的利他主義」や「効果的利他主義」の考えについてどう思っているのだろうか。まず「共感」の問題について、彼女はこれらの考えにおいて指摘されていることに理解を示すとともに、自らの経験を踏まえて「共感」のネガティブな効果について説明している。「共感から利他が生まれる」という発想は、「共感を得られないと助けてもらえない」というプレッシャーにつながり、社会を窮屈で、不自由なものにしてしまうというのである。次に「数字へのこだわり」に対しても、次のような違和感をもっている。一つ目は、数字にこだわる限り、金銭や物資の寄付という数値化しやすいものが効果的であるかのような印象を抱いてしまうこと。二つ目は、数値化は長い目で見て、社会を利他的なものにしないということ。つまり、彼女はこれらの考えに対して全面的に賛成をしていないのである。

 

 また、彼女はこれまでの研究の中で、他者のために何かよいことをしようとする思いが、しばしば、その他者をコントロールし、支配することにつながること、言い換えれば善意がむしろ壁になることを感じていたと述べている。具体的に言うと、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になる時、利他の心は容易に相手を支配することにつながるのである。つまり、利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということであり、別の言い方をすれば「見返りは期待できない」ということだと、彼女は厳しく指摘しているのである。

 

 この彼女の指摘から言えることは、私が校長講話で生徒たちに語った「“自利利他”の精神」や「合理的利他主義」の発想こそ他人に利することが巡り巡って自分に返ってくるという考え方であり、それは他者の支配につながる危険を孕んでいることになるのである。この点、私が教職に就いていた時にはっきりと認識していたことと同様であり、ともすると子どものためを目的にした教育という“利他”も、教師による子どもへのコントロールと支配につながる危険を秘めているのである。私自身もその誘惑に常に晒されていたが、少なからずの教師の言動にその気配を感じていたのが現実であった。

 

 では、“利他”の思いが「コントロール」や「支配」にならないようにするために、教師はどうすればいいのだろうか。本書の中で彼女は、相手の言葉や反応に対して、真摯に耳を傾け、「聞く」こと以外にないと述べている。つまり、教師は子どものことを知ったつもりにならないこと。子どもに対して教師である自分との違いを意識すること。子どもの潜在的な可能性に耳を傾けるというケアこそが、“利他”の本質なのである。そして、よき“利他”には必ず「他者の発見」があり、そこから「自分が変わること」に発展するものなのである。私は、このような“利他”こそが教育において求められるのであり、教師が善意を押し付けるのではなく、うつわのように余白を持つことが必要なのだと強く感じた。彼女の発言内容の多くは、教育論として大きな意義を有するものであると改めて認識した次第である。

1年振りに孫Hを「こどもの城」に連れて行った日を振り返って~孫Hの近況報告も兼ねて~

 先週の土曜日に1年振りに、孫Hを連れて当市の郊外にある「こどもの城」という施設を訪れた。前回、乗ることができなかった園内の池を利用したボート乗り場に行って、あひるのボートに乗せてやりたいと思ったのが、その目的の一つであった。だから、私たちじじばばとHの3人は、まず駐車場からまっすぐボート乗り場へ向う坂道を歩いた。ところが、何とその道路端に「カマキリ」がのそのそと歩いていたのである。そのカマキリを見つけたHは、飛び上がらんばかりの大喜び。「Hはカマキリ先生になる。」と言いながら、怖がりもせずカマキリの胸の後ろ側をそっと掴んで、顔や足などをじっくりと観察し始めたのである。

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 「Hくん、今日は虫取りに来たのじゃないから、ボートに乗りに行こう。」と、ばあばが声を掛けても、Hはカマキリに夢中の様子。道路に下ろしたカマキリが、自分の靴を登ってズボンを這い上がって来るのを見て楽しんだり、カマキリとにらめっこして愛おしそうに触ったりしている。私は、「しばらくカマキリと遊ぶ時間ぐらい待ってやろうよ。」と、ばあばに語り掛けた。ばあばはやや不満そうであったが、私の言葉に従ってくれた。でも、Hはしばらくどころか、ますますカマキリに夢中になっていった。それで、私から「カマキリが気になるなら、このビニル袋に入れて一緒にボートに乗ろうよ。」と提案すると、Hは「それなら、いいよ。」と言って、私が差し出したビニル袋の口を広げて捕まえたカマキリを入れたので、一応、最初の「カマキリ騒動」は収まったのである。

 

 その後、ボート乗り場ではアヒルではなくクジラのボートに3人で乗り、じじばばが漕ぎ手、Hは運転手になって水面を蛇行しながら走って遊んだ。しかし、Hは思ったほどは喜ばず、しばらくすると「もう降りる。」と言い始めたので、私たちは船着き場へ戻ることにした。ボートから降りたHは木製の階段をさっさと上り、ボート乗り場へ来る途中に設置してあったゴジラの乗り物へと一目散に向かっていった。「これに乗りたかったんだね。」と私たちはお互いの目を合わせて肯いた。Hは、ゴジラの乗り物の中のボタンを押して画面に出てくる怪獣を何度も見て喜んでいた。しかも2回も乗った。

 

 正午も近づきお腹が空いてきたので、3人でばあば自作のお弁当をベンチで頬張った。Hはおにぎりを少し食べてから、鳥の唐揚げや卵焼き、ウインナーソーセージなどを美味しそうに食べていた。食事中もHはビニル袋に入れていたカマキリをしきりに気にしながら、「カマキリもお腹空かないのかなあ。」などと呟いていた。食後は、近くの通路に落ちていたどんぐりを拾ったり、グランド端の草地でバッタやカマキリ探しをしたりして遊んだ。その時、少し離れたところにいたばあばが、「そろそろ、てんとう虫のモノレールに乗りに行こうよ。」と優しく声を掛けてくれたので、Hは素直に「行く。」と言って、ばあばの方へ走り出していった。

 

 てんとう虫のモノレールに乗るのも今回の目的の一つだったので、私たちは乗り場への距離が一番近い遊歩道を利用することにした。遊歩道は急な坂と土の地面が続いていたが、Hは歩くのを嫌がりもせず頑張って登った。私たちはHの体力がこの1年間で大きく高まったことに驚くとともに、その確かな成長を心から喜んだ。ついこの間までは、少し歩かせるとすぐに抱っこをせがんでいたのに…。そうこうするうちに、やっと目的地の乗り場に着いた。すこし汗ばむほどになったので、私はHにアイスクリームを買ってやった。Hがそれを食べている間に、ばあばが乗り物チケットを買ってくれた。モノレール乗り場のルールは幼児の場合、保護者が一緒に乗ることになっているので、私はHと一緒に赤色のてんとう虫モノレールに乗った。

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 発車してすぐ車体が斜め下に傾き、ゆっくり降下し始めた。私はその視界にちょっとビビってしまったので、「Hくん、怖くない?」と問うてみると、「全然怖くないよ。」との返答。私がHの身体を包むようにしていたからかも知れないが、何事にも怖がり屋だった幼い頃とは大違い。また、Hは登って来るモノレールの人たちに向けて「おーい。」と手を振る余裕を見せながら、周りの秋の紅葉や小鳥のさえずりを楽しんでいるようだった。ここでも私はHの逞しい成長ぶりを実感した。ところで、昼食後からてんとう虫モノレールの到着場に着くまでの間、カマキリを入れていたビニル袋は、私が背負っているリックサックに付いている輪に結んでいたが、カマキリは何とか無事でいてくれた。

 

 てんとう虫モノレールの車体を降りた後、Hは「ふあふあドーム」で跳んだり転がったり、児童館の「空の塔」に登ったり、「エスカルゴスライダー」を滑り降りたりして遊んだ。時計の針が15時を示す頃になったので、名残惜しみながら私たち3人は「こどもの城」を後にした。帰りの車内で、ばあばが「Hくん、帰ったらカマキリは逃がしてやる?」と問うと、「そうだね、今までも捕まえたセミやトンボは逃がしてやったから、そうする。」と素直に答えていた。ところが、帰宅後にこのことに絡んで第二の「カマキリ騒動」が起こったのである。

 

 帰宅後、自宅近くにある民営バスの置き場入口で、捕まえたカマキリを逃がしてやることになった。私はトイレに行くためにすぐ車を降りて家の中に飛び込んだので、Hとばあばがカマキリを逃がすことになった。私が用を足してカマキリを逃がそうとしていた場所に着くと、ばあばが「まだ逃がしていないので、一緒に逃がしてやって。」と言って家に帰ったので、Hと一緒に逃がすことにした。しかし、Hはなかなかカマキリを逃がしてやる踏ん切りがつかなかったので、私は「じゃあ、家に置いてあるプラステック製の虫かごに入れて少し置いておけば…。」と提案した。Hはほっとしたような申し訳なさそうな表情になり、カマキリを虫かごにそっと入れてやった。

 

 その後、家の中に入り、恒例のスポーツ育能マットで遊ぶことになり、私はHと一緒に楽しもうと思っていたが、Hの方は逃がすことができなかったカマキリのことが気になり心ここにあらずの状態だったので、いつものように二人で協力してバイキンマンチームに勝つことができなかった。すると、Hは自分が上手くできなかったことに腹を立てて拗ねるようにしてピアノ室に逃げ込んでしまった。そして、その拗ねた気分がなかなか収まらずに、何かの拍子に応接室へ出入りするドアを強く締めたためにドア止めを壊してしまったのである。ドアのガラスの部分を強く押したので、Hは危うく大怪我をするところであった。そのことに本人もバツが悪かったのか、さらに2階にあるクローゼットの中に入り込み、拗ねたような態度を取り続けていた。

 

 私は、Hが大怪我するかもしれない乱暴な態度を取ったり、そのことで反省もしないで拗ねた態度を取り続けたことに業を煮やし、Hが生まれて以来初めて厳しく叱ってしまった。Hは私に強く叱られたのは初めてだったので、大声で泣いた。その時、私は「自分が悪いことをしてしまったら、拗ねたりせずに反省しなさい。」と至極常識的な言葉を発していた。ちょうどその時に、Hの母親(私の長女)が迎えに来たので、Hはその日は宥められながら帰って行った。私は心の中に何かわだかまりが残ったような心境に陥ってしまった。

 

 私はHの多少の我がままを受け入れ、自分が反省するのをじっくりと待つような接し方を今までしてきたが、今回は初めて強く叱るという対応をした。自他の生命や身体に危険を及ぼしたり、相手の人格や人権を傷つけたりする恐れのある言動については、厳しく指導することは、教職に就いていた頃の鉄則だったので、ついその時のような対応を取ってしまったが、本当にそれでHにとってよかったのかとその夜は悩んでしまった。しかし、次の日にHが我が家を訪れた時に、長女が上手に諭してくれたのだろう、「じいじ、ばあば、昨日はごめんね。」と謝ってくれた。私はほっと胸をなで下ろし、「いいよ。でも、これからもHがもし危ないことをしようとしたら、昨日のようにじいじは叱るよ。」と言うと、Hは「はい。」とはっきりと返事をしてくれた。私は素直ないい子に育ってくれていることが、この上なく嬉しかった。

小説家で戯曲家でもある「柳美里」という人間について~柳美里著『南相馬メドレー』を読んで~

 今の勤務場所に近い市立中央図書館が数か月ぶりに再開したので、私は昼休みの時間を利用して自転車を走らせた。そして、仕事に関連した『イラストでわかる特別支援教育サポート辞典―「子どもの困った」に対応する99の事例―』(笹森洋樹編著)と、趣味に関連した『てらこや青義堂』(今村翔吾著)『南相馬メドレー』(柳美里著)の3冊を借りた。その中の『南相馬メたドレー』をここ1週間ほどで読み継ぎ、今朝方やっと寝床の中で「あとがき」を読み終えた。

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    その「あとがき」の中には、小さい頃からよく迷子になる著者が、つい先日も迷子になったという逸話が書かれていて興味をもった。というのは、その内容から私は、最近研修して知った心理検査でアセスメントすることができる認知スタイルのことを思い浮かべたのである。そして、おそらく著者の認知スタイルは、「同時処理」(まず全体を把握してから,細部を認識していくことが得意)タイプではなく、「継次処理」(ひとつずつ物事を順番に考え,処理を行っていくことが得意)タイプなのだと思った。この「継次処理」タイプというのは言葉による論理的思考を得意とするから、著者は小説家で戯曲家という職業に適性があった。その意味で自分の特性に合った職業選択ができたことは、不幸だらけの著者にとっては僥倖であったと思った。

 

 さて、今回はその著者が神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市に引っ越したばかりの頃から執筆し、月刊誌『第三文明』に連載された「南相馬メドレー」(2015年12月号~2020年2月号)というエッセイに加筆・修正したという本書を取り上げて、その中で私の心に印象深く残った内容の一部を紹介しながら、簡単な所感を付け加えてみようと思う。

 

 まず、<南相馬に転居した理由>という文章において印象深く心に残った内容は、まさにその理由である。著者は、「南相馬ひばりエフエム」で「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを2012年3月16日の放送から毎週務めていて、おそらく1年後には閉局されるだろうという見通しだったので、「閉局まで続けます」と約束したらしい。ところが、意に反して番組は2年を過ぎても続いたために、交通費や宿泊費を工面するのが苦しくなり、約束を果たすためには南相馬に転居するしかないと考えるようになったとのこと。また、放送を通じて出会った地元の方々と親しくなり、家族ぐるみのつき合いをするようになったり、南相馬の方々と暮らしを共にしなければその苦楽を知ることはできないと思うようになったりしたことも大きかったと書かれている。さらに、朝鮮戦争時に難民として日本へ密入国した祖父が、かつてここの原町でパチンコ屋を営んでいたという縁も後押ししたという。私はこれらの転居の理由を知り、著者の人間としての律義さと情の深さのようなものを強く感じた。

 

 次に、<最後の避難所>という文章では、南相馬市小高区の駅通りに2018年4月にオープンした「フルハウス」(「大入り満員」という意味で、著者が初めて出版した小説本のタイトル)という本屋の1か月後の様子が綴られており、そこには著者の本への思いが滲み出ている。著者は、現実の中にはどこにも居場所がなかった子ども時代、本にしがみついて、言い換えれば本の中の登場人物と手に手を取り合って生きてきたという。だから、「この世に誰一人味方がいなくても、本があれば孤独ではない」と信じている。ここ南相馬小高区は、東京電力福島第一原子力発電所から16㎞地点で、原発事故によって「警戒区域」に指定された場所であり、原発事故前に13,000人ほどいた住民は現在2,400人ほどしか帰還していない場所なのである。著者は、そのような場所に本屋を開店した。「現実の中に身の置き場がなく、悲しみや苦しみで窒息しそうな人にとって、本はこの世に残された最後の避難所なのです。」という一文は、本と共に生き抜いてきた著者の人間としての共感力の強さが表れていると私は思った。

 

 最後に、<「転」の連なり>という文章では、51歳になった著者が「50歳以降は起承転結の結を仕上げるのだ」と考えていたのに、東日本大震災原発事故が起きて、南相馬に転居したから実際はそうはいかなかった現実について綴っている。著者が臨時災害放送局で「被災者」の切迫した苦痛の声を聴き続けたために、自分の作品世界の完成を第一に考えることができなくなってしまったのである。このことを通して、著者は「自分というのは確固とした不変の存在ではなく、他者との出会いによって流動するものだと気付いた」のである。つまり、今を生きるということは「結」という終点がある道程ではなく、延々と他者に巻き込まれて、他者を巻き込んでいく「転」の連続であるということに気付いたのだ。私は67歳の今でもどこかで自分の人生の「結」に向かって生きているような意識をもっていたと思う。しかし、著者は、人間はそのような実体的・固定的な存在ではなく、常に関係的・生成的な存在なのだという実感を51歳という年齢で気付いており、私は著者の人間として大きさに対してある種の羨望にも似た感想を抱いてしまった。

時代小説の新たな地平を拓く青山作品の魅力について…~青山文平著『遠縁の女』を読んで~

 私の睡眠時間は、平均すると約5時間である。日によって多少時間のずれはあるが、午後11時頃に入眠して午前4時頃には目が覚める。目が覚めた後は何をしているかというと、枕元に置いている電気スタンドのスイッチを押して点灯し、寝る前に読んでいた本の続きを読むことが多い。でも、しばらくすると目が疲れてくるので、また目をつむってうとうとする。意識は覚醒しているように思うが、時々は夢を見ていることもある。私はこの浅い睡眠状態が結構気に入っているので、そのままでずっと寝床にいたいと思う。しかし、午前7時前になると必ずトイレに行き、その後起床するというルーティンを守っている。週5日のフルタイムの仕事をしているからである。

 

 以前の記事にも書いたが、1日フルタイムの勤務をすると、帰宅してからじっとりと読書をしたり落ち着いてブログの記事を書いたりする時間に余裕がない。だから、月曜日から金曜日までは就寝前後のわずかの時間に読書をしたり、土曜日か日曜日にブログの記事を書いたりしている。ただし、今回の記事は、前の土曜日に昼間は妻とショッピングをし、夜は私の満67歳の誕生日の前祝ということで1年振りに妻と「焼肉」の外食をし、また、昨日の日曜日の昼間は通勤用自転車のサドルを買い替えに行ったり、その自転車で普段なかなか行くことができない市内の古書店回りをしたり、夕方になってからは自宅前の小さな庭に植えている樹木等の剪定作業をしたりしたので、日曜日から月曜日に掛けて綴っているという仕儀なのである。

 

 さて、ここ最近の私の寝床の友は、昼間のストレスを解消するために選んだ『冷たい檻』や『痣』という井岡瞬氏の警察小説であった。私好みのヒューマンなハードボイルドであったりノワールな犯罪ミステリーであったりしたので、十分に堪能して心身のリフレッシュを図ることができた。私は「何を読もうかな」と思案しながら、自宅の本棚にある積読本から次に読む本を探していた。「そうだ、以前に市立中央図書館から借りた単行本を読んで面白かったので、文庫本になった時に購入したまま積読状態にしてあった時代小説があったはず。」と何気なく呟いて手に取ったのが、『遠縁の女』(青山文平著)である。

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 青山文平氏直木賞受賞作家であり、2019年12月10日付けの当ブログの記事「“名前”に込められたアイデンティティーや実存性の大切さについて」において取り上げた『半席』の著者である。私は今までに『半席』以外にも、『白樫の樹の下で』『鬼はもとより』『つまをめとらば』『約定』『伊賀の残光』『励み場』『かけおちる』『跳ぶ男』等という青山氏の著作群を読んできた。その結果、藤沢周平乙川優三郎葉室麟・今村翔吾という私好みの時代小説家たちの仲間に、青山氏も最近入ってきた。それほど青山作品に魅入られているのである。

 

 そこで今回は、『遠縁の女』の表題作を取り上げながら、時代小説に新たな地平を拓く青山作品の魅力について綴ってみたいと思う。

 

 江戸開幕から約二百年が経った寛政の世に、徒士頭の父からの勧めで浮世離れした武者修行に出た片倉隆明は、最初の腹積もりは2年間であったが、己の脆いかな字の剣を葬るために百姓たちが駆け巡る野の稽古場で修行に励むうちに5年の歳月を費やしてしまう。そのような中、その野の稽古場で沢村松之助という若い武家と運命的な出会いをし、生死を賭けて木刀を使った仕合をすることを決意することになる。ところが、様々な配慮から仕合う場所を別の土地で行うことになり、その路銀を得るために父からの為替を受け取りに城下の飛脚問屋を訪れると、何と叔父からの便りで父の急逝を知り、急きょ帰国することになった。5年振りの帰国をした隆明を待っていたのは、遠縁に当たる右筆の市川政孝の娘、信江の仕掛ける謎の罠であった。その謎とは何か…。それはぜひ本書を読んでのお楽しみということにしたい。

 

 この表題作「遠縁の女」もそうなのだが、青山作品の多くはその時代背景が江戸時代といっても軍事ではなく行政が必要とされる寛政の世であることに、私は注目している。この時代の幕藩体制は、武力を司る番方ではなく官吏たる役方、とりわけ財政を担う勘定所と監察を司る目付筋こそが組織を支える柱になっているのである。また、商人が台頭し町人文化が花開くのとは裏腹に、武家は確固たる居場所がないこの時代に、武家はどのような生き方をすればよいのか。青山作品の多くは、このような閉塞した武家社会を生きる人間の姿を鮮やかに描き切るのである。それが、今までの時代小説とは違う新たな地平を拓くのである。

 

 このような青山作品の中に描かれる登場人物たちの生き方に、現代社会に生きる私たちの実存性や関係性との類似性を見出し、つい私は自分の日々の生き方について反省的に考え込んでしまう。いかに生き、いかに死んでいくのかという死生観に関する深い思考の穴に私を引き込んでいく青山作品を、これからも味わうことができる幸せを感じている。

障害者に対する差別や偏見を助長する「世間」の変化とは…~佐藤直樹著『目くじら社会の人間関係』から学ぶ~

 先月22日(水)の地元の新聞紙に<児童に「生きる価値なし」 特別支援学級教諭を免職>という見出しの記事が掲載された。その記事によると、兵庫県姫原市立のある小学校教諭(39歳の男性)が、2018年~2021年6月の間に、かばんをしまわないなどした4年生男児に「生きる価値なし。死ぬしかない。早く転校しろ。」と発言したり、給食の準備に手間取った1年生男児に「おまえは必要ない。人間、必要ないと言われたらおしまいやな。」などと言ったり、この他、複数の児童を床に押し付けたり、プールの授業中に泣いている児童を無理やり水に押しつけたりしたという。そして、その事実を受けて、兵庫県教育委員会は同教諭を今年の9月21日付けで懲戒免職処分にしたというのである。何らかの障害をもつ子どもたちに対してあまりに理不尽な言動を繰り返しているのだから、本処分は当然のことだと思う。それにしても「なぜ?」と強い憤りを込めて問い質したくなる。

 

    続いて同月25日(土)には、<神奈川県立の入所施設 障害者ほぼ終日閉じ込め>という見出しの記事が掲載された。その記事によると、神奈川県立の知的障害者施設「中井やまゆり園」で、一部の入所者を1日20時間以上、外側から施錠した個室に閉じ込める対応が常態化していることが、共同通信の入手した園の内部資料で分かり、職員からは「実質的な虐待だ」との声が出ているという。県の有識者会議は今年3月にまとめた報告書で「園を指導する県自身が権利擁護に対する認識が低かった。」としていた。また、同園の職員は「障害者を人として扱わない県の体質が事件の背景にあったのに、変わっていない。」と話したという。2016年に「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件の教訓が全く生かされていない実態に、私は唖然とするとともに悲しい気持ちに覆われた。「どうして?」こんなことが繰り返されるだろうか。

 

    このような障害者に対する偏見や差別を生む原因や背景について、私なりに考えていた時に「目から鱗」のような指摘をしている本を見つけた。それが、『目くじら社会の人間関係』(佐藤直樹著)である。著者の佐藤氏の略歴については、当ブログの2019年9月16日付けの記事<「世間」との関係における「妬み」の構造について考える~『暴走する「世間」で生きのびるためのお作法』を参考に~>において詳しく記しておいたので重複は避けるが、彼は「日本世間学会」設立時の初代代表幹事で、刑事法学・現象学・世間学を専門とする元九州工業大学教授である。本書は、近年話題となった事件や社会的事象を解析することを通して、日本にしかない「世間」によって多くの日本国民がちょっとした出来事に対してすぐに「目くじら」を立てるようになった経緯や構造等について解説している。その中に「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件についての解析も含まれていて、私はその解説内容が肚にストンと落ちたのである。

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 そこで今回は、障害者に対する偏見や差別を助長する原因や背景について、本書から学んだことをなるべく簡潔にまとめ、私なりの所感を付け加えてみたい。

 

 著者は、現在のような障害者に対する偏見や差別を助長する原因や背景には、日本にしかない「世間」の変化があると指摘している。この「世間」の変化に関する著者の解説を要約すると、次のようになる。…日本においては明治時代になって西欧から「社会」という人的関係を輸入したが、現実的には定着することがなく、「贈与・互酬の関係」「身分制」「共通の時間意識」「呪術性」という四つのルールをもつ「世間」という千年以上も歴史がある人的関係が未だに存続している。また、これらのルールは法律とは明白に異なるが、それに匹敵するチカラを持って同調圧力として作動する現状がある。特に近代以降の「世間」は、江戸時代までの負荷性・抑圧性を帯びてない「やさしい世間」から、それらを強く帯びた「きびしい世間」へと再構成した。そして、1990年代末以降の後期近代に入ってから、この「きびしい世間」の様相がさらに新たな段階を迎えていると…

 

 では、このような「世間」の変化と、障害者に対する偏見や差別を助長する心理的・社会的事象との関連は、どのようになっているのであろうか。

 

    著者は言う。もともと「世間」には「共通の時間意識」というルールがあるために、「みんな同じ(同質)」であることを要求される。それ故、健常者と異なり障害者は、異質な者とみなされるのである。また「世間」にはウチ/ソト(ヨソ)の厳格な区別があり、障害者は異質な「ヨソ者」として「世間」のソトに排除されるとともに、「世間」のウチ側では障害者に対する偏見や差別が生まれるという構造がある。つまり、日本だけにしかない「世間」というものは、「排除の構造」を内包する人的関係なのである。

 

 その上に、1990年代末以降の、グローバル化に伴う新自由主義の浸透と拡大は、職場への成果主義の導入に代表されるように、人々が「強い個人」になることを要求するようになった。ここでは、働けない者や生産できない者は社会的に無価値だとする考えが広まっていく。その結果、障害者や高齢者など、社会の役に立たない「社会の敵」「国家の敵」に対する排除の空気が強まっていったのである。また、このような後期近代への突入に伴って、海外では人種的・民族的・宗教的対立と排除の形をとって生じている「再埋め込み」(この概念については、社会学アンソニー・ギデンズの「埋め込み」「脱埋め込み」「再埋め込み」という議論の中で取り上げられているが、その解説は長くなるのでここでは省略する。詳しく知りたい方は、ギデンズ著『近代とはいかなる時代か?モダニティの帰結』1993年、而立書房か本書を参照されたし。)が、日本では「世間」への「再埋め込み」として生じている。先にも述べたように「世間」は差別が的本質を持つので、これが一種のヘイト・クライムとして、心身障害者に対する偏見や差別の形をとったと考えられる。

 

 では、「世間」の中に生きている私たち日本人は、このような「きびしい世間」に対してどのような対抗策を講じればよいのだろうか。

 

 著者は、この問いに対して本書の「おわりに-「やさしい世間」の復権に向けて」の中で、<生き心地がよく、風通しのよい「やさしい世間」の復権>が喫緊の課題だと述べ、そのために一人一人ができることを箇条書きにまとめ、次のように示している。

① 「いろんな人がいてもよい」と考える。「みんな同じ」とは考えず、個人を生かすということである。(「共通の時間意識」)

② 「なんであいつだけが」と考えない。他人との身分差を妬まずに、「他人は他人。自分は自分。」と考えるということである。(「身分制」)

③ 「つき合い残業」をやめよう。職場で「共感過剰シンドローム」に陥って、過労死しないようにということである。(「共通の時間意識」)

④ 「お返し」はほどほどに。お中元・お歳暮、香典返し、返信メールなど、お互いに過剰な心理的負担にならないようにということである。(「贈与・互酬の関係」)

⑤ あまり「聖地」とか「前世」とか「パワースポット」にこだわらない。こだわらなくなるとも、不幸になったり、世の終わりが来たりはしないということである。(「呪術性」)

⑥ 「いえ」意識にとらわれない。「いえ」は差別の根源であるし、子どもに対する「親の責任」をあまり過剰に考えるなということである。(「共通の時間意識」)

 

 これらの内容を見て、私はこの3か月間ほど特別支援教育指導員の教育相談業務を行う中で、未だに「特別支援学級」や「特別支援学校」に対する負のイメージをもつ人が多い現実を知り、特別支援教育をよりよく推進していく上でも日本人にはぜひ求められる事項だと痛感した。私自身の今までの生き方についての反省も込めて…。

約3か月振りに馴染みの喫茶店へ出掛けました!~「まん延防止等重点措置」の解除を受けて~

 10月になり、全国的に「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」が全面解除になった。本県もしばらく継続されていた「まん延防止等重点措置」が解除になり、我が家でも今まで継続していた外食自粛を解禁することにした。まずは、2日(土)の午前中、約3か月間も行っていなかった馴染みの喫茶店へ、妻と共に遅い朝食をとるために出掛けた。もちろん出発前には不織布のマスクを正しく着けることは忘れず、さらに店内に入るとすぐに手指消毒を徹底して行った。店内は、池の中を悠々と泳ぐ大小の金魚を描いたちぎり絵の作品群が飾っている壁面、秋の草花を活けている華やかな花瓶を整然と並べている出窓棚、優雅なメロディーラインのクラシック曲が静かに流れるBGMなど、相変わらず居心地のよい雰囲気。私は安らぎに似た気分に知らぬ間に浸ることができた。

 

    中年の主婦らしき店員が水の入ったグラスを持って注文を聞きに来ると、妻は迷うことなくモーニング・サービスの「おにぎりセット」を2つ頼んだ。久し振りなので、家を出る前に二人で何を注文するか相談して決めていたのである。しばらくすると、まず漆塗りのお椀に入った当店自慢の味噌汁2椀と二人分のスプーンや箸等の入った四角い網籠を、先ほどの店員が運んできた。そして、適度な大きさのわかめや玉葱、豆腐の入った薄味の味噌汁を一口二口ほど啜っていたら、次の写真のような「おにぎりセット」が運ばれてきた。

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 私たちは早速、ドレッシングのかかった野菜サラダから口に入れた。食事中の血糖値が急に上がらないように、私たちは野菜のサラダや酢の物等から先に食べる習慣を身に付けているからである。トマトやきゅうり、キャベツ、玉葱がとても新鮮だった。職場で私が昼食として注文する市営食堂の弁当に入っている萎びかけのキャベツの千切りとは、大違い!

 

 次に口にしたのは、茄子と厚揚げ、インゲン豆が入った煮物。出汁がしっかりと染みた具材は、やはり薄味だったので、これも身体に優しいものだ。私は煮物と交互に味噌汁も味わおうと思った。その時、ふと小さい頃に味噌汁の中にゆで卵の黄身を崩して啜っていたことを思い出した。実際にゆで卵の殻を丁寧に剥がし、白味の部分だけ先に食べ、黄身の部分を味噌汁に入れて潰しながら啜ってみると、本当に懐かしい味がするとともに、当時の貧しい日常的な風景まで脳裏に蘇ってきて、鼻の奥がつんとした。私は味覚と記憶との関連は結構深いのだなあと、暫し複雑な感慨に耽ってしまった。

 

 私は、煮物と味噌汁を交互に口に入れつつ、その合間に雑穀米のおにぎりも頬張ってみた。海苔と雑穀米が混ざった素朴な味が口の中に広がり、これまた身体が喜んでいるような感じがした。でんぷん質とたんぱく質が主な栄養素である白米に比べて、雑穀はミネラル類、食物繊維のほか、抗酸化作用によって生活習慣病などを抑制するといわれるポリフェノールが豊富である。だから、白米に交ぜて炊くだけで、同じ量なら低カロリーになり、食物繊維やミネラルを手軽に補給することができる。できれば毎日食べると、その健康効果が上がるが、今のところ我が家ではたまに雑穀米を食べるぐらいの食習慣しかない。でも、この喫茶店で「おにぎりセット」を注文する時には、必ず白米ではなく雑穀米のおにぎりにするようにしているのである。

 

 さて、主食や副食を平らげた私は、デザートに手を付けた。半切れの温州ミカンの皮を丁寧に剥がして二口で食べてしまった後、ヨーグルトの上に載っていた野イチゴの実のようなものをそっとスプーンで掬って舌の上で味わうと、ちょっと酸っぱい味がした。やはり野イチゴの味がした。次に、私はヨーグルトだけになった小さな器に、皮を剥いだバナナの小片をスプーンで削るようにして落とし、そのスプーンを使って混ぜ合わせた。私は、ヨーグルトに塗したようなバナナの小片を食べるのが好みなのである。一市民のささやかな食のこだわりだが、それが満たされただけでちょっと幸せな気分になる。私は安上がりな男だなあと、多少自虐的な気分も重なり、知らぬ間に素早く呑み込んでしまった。

 

 私たちが「おにぎりセット」をほぼ食べ終わる頃を見計らって、先の店員が当店自慢のブレンドコーヒーを持ってきてくれた。以前の当ブログの記事でもこの喫茶店ブレンドコーヒーの味を紹介したことがあるが、コクのある苦みとささやかな酸味が仲良く同居しているすっきりした味は、これまた私好みなのである。妻は数口で飲み干してしまったが、私は一口一口じっくりと味わうように飲んだ。身体に沁み込ませるように味わいながら飲むのが、私のコーヒーの飲み方である。妻の豪快な飲み方に比べると、女々しい(表記において女を重ねており、この言葉はセクハラ言葉なのか!)飲み方のようだが、小さい頃にひもじい思いをしてきた私にとって、普通に食事ができることがこの上なく幸せなことなので、どうしてもじっくりと味を確かめながら飲食したいのである。ブレンドコーヒーを味わいながら、私は自分を貧乏性な男だなあと、やはり自虐的な気分になっていると、コーヒーカップの底が白一色になってしまっていた。

 

 久し振りに妻と共に馴染みの喫茶店で外食し、「おにぎりセット」の味を堪能しながら複雑な気分も味わったが、この時の気分は私にとって決して悪いものではなかった。過去との懐かしい出会いの機会にもなったし、現在の幸せな環境にある自分を相対化する機会にもなった。やはりたまに外食をすることは、日常的な生活意識を活性化するきっかけになるのだなあと改めて自覚した。これからも、本県独自の最大警戒レベル「感染対策期」から引き下げた「感染警戒期」以下の場合には、新型コロナウイルスの感染防止策を徹底しながら、機会を見つけては妻と共に外食しようと思った今日の心であった。