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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識とは?~村上龍著『希望の国のエクソダス』を再読して~

 前回の記事で、村上龍著『オールド・テロリスト』を取り上げて、私の「村上龍」作品の読書体験の概要を述べた。その際に、私の興味内容の転換点に位置付けたのが、教育問題に対する彼の課題意識の高さを表した『希望の国エクソダス』という作品であったことに触れたのだが、では彼の学校教育に対する問題意識とは何だったのだろうか。私はそれを改めて確かめてみたい衝動に駆られて、約20年前に読んだ本書を再読してみた。

 そこで今回は、本書を再読した簡単な所感を綴った後で、約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識について、本作品の中でポンちゃん不登校の中学生グループの一つASUNAROのリーダー)が国会中継で語った言葉を拠り所にして探ってみようと思う。

 

 まずは、今回再読しての率直な所感について。それは、本物語が近未来の経済の姿を描くことがバックボーンになって展開していることについて、私は改めて深く認識したということ。昇任教頭として山間部の僻地にある小規模な小学校へ赴任とした当時、本書を職員住宅の寝床で読み進めながら、私は不登校の中学生である中村君やポンちゃんこと楠田穣一君らの言動にことさら注意を向けていた。言い換えれば、物語の意外な結末の背景にある複雑な経済事情に関する記述部分を、ほとんど無意識に読み飛ばしていたのである。ところが、最近の円安動向や先進諸国の金利政策等の経済事情をマスコミが取り上げられている中で、私自身が多少は経済にも関心をもって本書を再読したので、上述のようなことに気付いたのである。それにしても複雑な経済の仕組みについては、約20年後の今でも理解できないことが多かったが…。

 

 次は、本題である約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識について探っていこう。前回の記事でも取り上げたが、予算委員会国会中継ポンちゃんが語った「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」という言葉は、当時の国民の多くが実感していた「社会の閉塞性と実存の不遇感」を端的に表現したものであった。しかし、この言葉のインパクトに圧倒された国民は、その具体的な意味についてどれほど理解していただろうか。この言葉に続いてポンちゃんが語った言葉を少し引用して、私なりに解説してみよう。

 

…愛情とか欲望とか宗教とか、あるいは食糧や水や医薬品や車や飛行機や電気製品、また道路や橋や港湾設備や上下水道施設など、生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない。という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、よほどのバカでない限り、中学生でそういうことを考えない人間はいなかったと思います。…

 

 戦後、特に1950年代中頃から1970年代に掛けて、我が国は「高度経済成長」を果たしてきた。そして、1980年代から1990年代に掛けて、政府の低金利政策により企業の投資等が進んで、土地や株の値段が泡のように膨らんだ「バブル経済」になった。しかし、1990年代に入ると、政府が引き締め政策をとったために、土地や株の値段が暴落して「バブル経済」は崩壊してしまい、その後、日本経済は長期的な低迷が続くことになったのである。ポンちゃんの上述の言葉には、日本経済の歴史的経緯が背景にあり、それに伴って問われた学校教育の在り方の転換が企図されているのである。

 

 では、学校教育の在り方をどう転換すればよいと、ポンちゃん=「村上龍」は考えているだろうか。そのヒントは、予算委員会におけるポンちゃんに対する参考人質問の場面、つまり最初の質問者である自民新党のサイトウ委員とポンちゃんとのやり取りの場面にあると私は思う。その部分をまた引用して、私なりの解説をしてみよう。

 

…「それでは、どうして中学校というものがこの国に存在しているのか、ちょっとそこのところを教えていただきませんか?」

ポンちゃんはまたそう聞いた。なかなかやるなと、後藤が呟いた。

 「それはですね。法律で決められている義務教育というものがありまして、該当する年齢になったら、誰でも中学校に行かねばならなんのです」

 サイトウという議員は元大学教授らしい。自分の質問にポンちゃんが答えないことに少し苛立っている。ポンちゃんはその答えを聞いて、しばらく黙ったあと、質問者を替えて下さい、と言った。どうしてですか?と委員長がポンちゃんに聞く。

 「コミュニケーションできません」

 ポンちゃんはまったく顔色を変えずにそう言ったが、サイトウという議員は見る間に顔が真っ赤になった。垂れ下がった喉の肉が揺れているのがわかった。…

 

 ポンちゃんは、ほとんどの不登校の中学生が、今あるような中学校なんか要らないと思っているが、サイトウという議員はどうも必要だと思っているから、それはなぜかと訊いた。それに対して、義務教育というものがあると答えるのは的外れなのである。だから、「コミュニケーションはできません」と断定した。至極真っ当な反応なのである。このやり取りの場面を見て、私は教室の中の教師と生徒のやり取りの場面を想定してみた。すると、サイトウとポンちゃんとのやり取りと同じようになるのではないかと思った。言い換えると、今の学校教育において教師と生徒の間に相互主体的な対話が成立していないことを意味する。

 

    約20年前、「村上龍」は学校教育が教師から生徒への伝達に終始する「一方的なコミュニケーション」という閉塞的関係性で占められていると認識していたと思う。したがって、学校教育の在り方を転換するためには、教師と生徒とが相互に主体であることを前提とした「双方向性のコミュニケーション」という自由な関係性を構築していくことが大切だと考えていたのではないかと思う。この問題意識こそが、本書を執筆しようとした主な動機ではなかったか。

 

 それから約20年後の現在、「村上龍」のこの問題意識は、現場の教師たちによって醸成されているだろうか。学校現場へ訪問して授業を参観する機会がある私の実感は、「醸成されるどころか、この問題意識さえ共有できてないのではないか!」というものである。私は、学校教育に携わっている教師の方々に、本書をぜひ読んでもらいたいと強く願っている。

現代社会におけるマスコミの自己欺瞞について~村上龍著『オールド・テロリスト』を読んで~

 隣の市で「本」をキーワードにした活動を展開している団体が、毎月第1土曜日か日曜日に同市のJR駅近くの手作り交流市場で「古本交換会」(1冊につき1冊交換)を開催している。私は、今年になって気が向いた月には、不要になった文庫本を数冊車に乗せて、この「古本交換会」へ片道約20分掛けて行っている。もちろん気に入った古本があれば交換して帰るのだが、今までの交換本10冊ほどは積読状態になってしまっている。でも、今回読んだ『オールド・テロリスト』(村上龍著)という文庫本は、先月の交換本でありほとんど積読状態を経験しなかった本である。

 では、なぜ本書をすぐに読もうと思ったか。それは、「村上龍」が著した比較的最近の小説だったからである。1976年に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞し、文学界に彗星の如く登場したこの作家に、当時大学生だった私は、大変興味をもった。というのも、この作品を読んだ時に、大きな衝撃を受けたからである。それは、福生の米軍基地に近い街を舞台に、麻薬・セックスなどの風俗を道具仕立てにして青春群像を描いたセンセーショナルな題材はもちろん、視覚だけではなく聴覚や触覚などの五感全てを駆使して表現した文体にショックを受けたのである。

 

 それ以後、『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『悲しき熱帯』『ラッフルズホテル』『愛と幻想のファシズム』『音楽の海岸』『トパーズ』『イビサ』等々、その時々の気分に応じて気ままに「村上龍」を読んできた。そして、その度に私は新鮮な感動体験を積み重ねてきた。登場人物の視点から重層的に物語を展開していく手法や、話し言葉をそのままの形で表現していく文体等、私はいつも「村上龍」の小説の内容というよりも方法に驚かされていたのである。

 

 ところが、80万人の中学生が不登校を起こし、その中のあるグループが自らの組織を活用してネットビジネスを始めたことで意外な結末を迎える『希望の国エクソダス』という小説を読んでからは、さらにその内容についても強い興味をもつようになった。特に、ASUNAROという組織のリーダーのポンちゃんが、国会のネット中継で語った「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」という言葉が、私の心に強く突き刺さった。この小説は現代日本の絶望と希望を描いたもので、混迷する教育問題に対する「村上龍」の課題意識の高さを表していると思ったのである。これ以降、今度は「村上龍」の教育問題に対するスタンスに、私の関心の軸が移っていき、『寂しい国の殺人』『「教育の崩壊」という嘘』『最後の家族』等を読み継いできていた。しかし、最近はほとんど「村上龍」の小説を読むことがなくなった。そんなところへ本書と出合ったのだから、すぐ読みたいという衝動を抑えることはできなかったという訳である。

 

 そこで本回は、本書のネタバレすれすれのあらすじ紹介をした上で、特に私の心に印象深く残った登場人物たちの言葉を取り上げ、その簡単な所感を綴ってみようと思う。

 

 物語は、2018年フリーの記者になったセキグチ(『希望の国エクソダス』に登場していた「関口哲治」のこと)がNHKに対するテロの予告電話に応じて現場取材に当たり、実際に実行されたテロに遭遇する場面から始まる。その後、第2・第3のテロが起こり、セキグチは「キニシスギオ」という老人たちからなる組織の存在に行き着く。彼らのテロの目的は、現代日本をリセットするという大それたものであったが、そのレポートを依頼されたセキグチは老人たちの考えに共感しつつも、書くべきか書かざるべきか深く悩んでしまう。そして、彼らの真の標的は何と…。

 

 ネタバレすれすれのあらすじのつもりが、ついつい筆が滑ってしまった。それにしても、「気にし過ぎ」という言葉からもじった「キニシスギオ」という組織名は洒落が効きすぎていて、ちょっと興醒めになりそうだったが、本書を通じて「村上龍」が本物語に込めた思いや考えには共感することが多かった。特に「キニシスギオ」のリーダーであるミツイシに語らせている次のような言葉は、我が意を得たりの心境に陥ってしまった。少し長い引用になるが、お許しいただきたい。

 

 「わたしは、この国のあらゆるものを信じていない。政治しかり、経済しかり、社会システムしかり。ですが、もっとも大きな不信感を抱いているのは、マスコミだ。どう思いますか。彼らは、正義を言う。権力を批判し、弱者の側に立つと言う。だが、日本で、平均してもっとも高額な給与を得ているのはマスコミの人間ですよ。フジデレビの社員の給与は世界一だとも言われている。ワーキングプア孤独死など、貧困と孤独をテーマに特別番組を作るのが大好きな日本放送協会、つまりNHKですが、平均年収は一千万円を優に超えて、サラリーマンの平均の三倍近い。朝日新聞日本経済新聞なども同様。講談社小学館など、出版社も同様。すべてのマスコミは、弱者を擁護し、権力を批判する資格などない。いやいや、セキグチさん、勘違いしないでいただきたい。金を稼いではいけないということではない。金ならわたしたちも稼いでいる。彼らマスコミが偽善者だと言うつもりもないし、嘘を報じると言うつもりもないし、権力の側について事実を隠蔽していると言うつもりもない。単に、能力がないのです。事実を報じる能力がない。世界的にパラダイムが変わってしまっているのに、気づくことができない。その理由がわかりますか。あなたならわかるでしょう。」

 

 しかし、このミツイシの言葉に対して、つい感情を吐露してしまったセキグチの次のような言葉は、小市民たる私に対する批判のようにも感じてしまい、今後の生き方について真摯に問い直すことを要請する凄みがあった。

 

 「そうです。あの連中は、自分を否定したことがないし、疑うこともない。わからないことは何もないとタカをくくっている。わかるという前提で報道し、記事を書く。だけど、たいていのことはわからないんだ。わからないことはないというおごりがあるので、絶対に弱者に寄り添うことができないんだ。くそったれ。」

 

 本物語は、後期高齢者たちが虚構にまみれた現代日本をぶち壊したいという衝動をもち、ついには原発テロまで画策するという荒唐無稽な話であるが、私にある種のリアリティを感じさせた。特に社会的弱者や底辺に生きる人々は、このような破壊衝動を心の中に秘めているのではないだろうか。そういう意味で、本物語は現代日本サイレント・マジョリティが無意識に求めていた願望を小説という文芸の世界で実現させたものである。がしかし、週刊誌記者の職を失い、妻子に逃げられた54歳のセキグチという人物が、老人たちの途轍もないテロの実施と大それた計画の実行を前にして苦悩したり苦悶に喘いだりする赤裸々な姿に、等身大の人間らしさを見出して共感を抱いたのは、私だけなのだろうか…。

子どもは小さな科学者!~現代教養講座(放送県民大学)で学んだこと~

 9月4日(日)の午前中、私は本県の生涯学習センターが主催するコミュティ・カレッジを初めて受講した。なぜ受講してみようと思ったかというと、本講座のテーマが「小さな科学者としての子ども―幼児教育の再発見―」だったからである。特にサブテーマに即した内容に興味を惹かれた。私が地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた頃に低学年を担任することが多く、そのために同じ敷地内にある附属幼稚園と連携して「幼年教育研究」を進めていたことがあり、一時は研究責任者を任されたこともあった。また、現在の仕事においても、保育園や幼稚園、小学校低学年の子どもたちと接することがよくあり、私は幼児教育に対してずっと課題意識をもち続けてきたので、本講座のテーマは魅力的だったのである。そこで今回は、本講座の内容の簡単な紹介と、その中でも私が特に興味・関心をもった内容の概要についてまとめてみたいと思う。

    講師の地元国立大学国際連携推進機構の副機構長・隅田学氏は、まずコロナ禍で気付いたこと、例えば、子どもだけでなく親やその他の多く人々が学校の役割を再認識したことや、オンライン学習による新たな学びの場を創造することができたこと、教育環境の格差がさらに子どもの学力差を広げてしまったことなどを挙げた。そして、遺伝子構造が99%程度同じだと言わるチンパンジーと人間の違いについて、具体的な実験内容を映像で紹介しながら、それらの本質的な相違点について説明された。その本質的な相違点とは、簡単に言えば「文化の継承」の有無、つまり「現世代が得ている知的財産を次世代へ教えるという営み=教育」を行うか否かということである。人間の社会的・文化的な発展は、教育という営みに支えられているのである。

 

 次に、科学教育を専門にしている隅田氏は、自身が主催している「キッズアカデミー」という教育実践例を三つ挙げて詳しく解説された。一つ目は、コロナ禍前の「幼年教育研究」で取り上げた<テントウムシの活動から広がる学び>について、二つ目は、オンラインで実践したウインタースクールでの<「音」を題材とした学び>について、三つ目は、同じくオンラインで実践したサマースクールでの<「人体」を題材とした学び>について。

 

 これらの教育実践例の中で特に私が興味・関心をもったのが、一つ目と二つ目だった。一つ目の実践事例は、私にとって思い出深い場所である地元国立大学教育学部附属幼稚園での事例だったこと、5歳の孫Hが昆虫好きであることなどが、興味・関心をもった主な要因になっている。また、二つ目の実践事例は、やはりHが音楽好きで「音」に対する感性が豊かであること、妻や長女(Hの母親)は音楽を専門的に学んだ経験をもっていることなどが、その主な要因になっている。どちらの実践事例の内容も、Hの祖父である私にとって興味深く、かつ日々のHとの関わり方を見直す上で役立つものであった。

 

 もう少し具体的な内容に触れてみよう。一つ目の実践事例は、少し気弱で大人しい年中の男児Aを中心とした、テントウムシの活動の展開についてであった。ある日、Aは先生の服の袖を摘みながら、園の隣にあるズッコケランド(草花が咲いている小山)へ出掛ける。Aはそこで友達がテントウムシを採っているのを見て、自分も採りたいとテントウムシを探し始める。しかし、その日も翌日もいくら探してもなかなか見つけることができなかったが、やっとのことでナナホシテントウムシを1匹見つけるのである。飛び上がって大喜びするA君の姿を、園の先生は初めて見たと語ったという。講師の隅田氏は、これだけ一つの活動に集中して当初の目的を達成する体験は、Aの成長にとって大きな意味があったのではないかと語った。私も同感であった。

 

 その後、Aはそのテントウムシを飼う活動を始める。飼育ケースの中に住み家と餌になる草とアブラムシを入れて、友達と一緒にテントウムシを観ることに夢中になる。その中で、テントウムシは飛ぶことや黄色の体液を出すこと、いろいろな種類がいること、ザリガニのように変態していくことなどに気付いていく。そして、自分が発見したことを友達と積極的に情報交換したり、皆と一緒に昆虫図鑑でテントウムシのことを詳しく調べたり、それらの活動によって得た知識を園の先生や保護者に興奮しながら話したりするようになる。あの気弱で大人しかったAが!

 

    しばらくこのような飼育・観察活動を続けたAは、ある日飼っていたナナホシテントウムシを逃がしてやる決心をする。A君は餌として捕まえていたアブラムシが可愛そうになり、元々いた自然の中に戻す方がいいのではないかと考えたのである。隅田氏は「どこの園でもあるような実践事例だが、このような活動によって様々な位相の学びを経験していることの意味や意義は大きい。科学教育の視点からも幼児期のこのような活動は不可欠なものである。」と締めくくられた。

 

 私の孫Hも昆虫好きで、よく一緒にセミやトンボ、チョウなどを採りに行く。でも、隅田氏のいうような科学教育の視点から適切なアドバイスをすることは、元教員であるにもかかわらず、今まであまり意識したことがなかった。一つ目の実践事例を聴きながら、Hが小さな科学者として自分なりの課題を追究していくような活動をさりげなく支援していく関わり方について、改めて自覚した私であった。

 

 二つ目の実践事例は、コロナ禍で対面の学びができなくなったので始めたオンラインで実践したサマースクールのキッズアカデミー<「音」を題材とした学び>であった。隅田氏は、「参加者宅へ事前に糸電話を作る材料を郵送し、当日までに作ってもらっておいた。」と語り始めた。材料の中には、糸だけでなく、ビニルテープや針金・細いゴムも入れておいたそうである。そして、当日はそれらで作った糸電話を、参加者の幼児(小学校低学年の子も含む)とその保護者に実際に使ってもらい、その結果を発表してもらったそうである。その際に、必ず「予想→結果→気付いたこと」という科学的な手順を踏んでもらうようにしたとのこと。

 

 私がこの実践事例の内容の中で特に興味・関心をもったのは、実験後に他にも調べてみたいことを発表してもらった子どもたちの内容であった。「次は、いろいろな形や材料のコップでやってみたい。」「糸の太さや長さを変えてやってみたい。」など、子どもたちの科学的に多様な発想に私は驚いた。こういう体験に基づいて、子どもたちは科学的な思考を広げたり深めたりするんだなあと、改めて子どもたちの豊かな学びの可能性を感じた。

 

 心に残った内容が、もう一つある。それは、隅田氏が私たち受講者に配ってくれた更紙を使って、ユーチューブの「紙でリズム」という動画を視聴しながら実際に体験したことである。まず、私たちは更紙を使って「音」を出す活動をした。各自で紙を叩く、振る、くしゃくしゃに丸める、破るなどの活動を自由にして様々な音を出した。その後、動画を視聴しながら、更紙を使って「音」を出しながら「南の島のハメハメハ大王」のリズム打ちをして楽しんだ。これが、とても面白かった。楽しかった。ピアノを習い始め、簡単なリズム打ちができるようになり、園で行う秋の演奏会で三つの小太鼓を担当することになったHにもやらせてみたい。また、小学校の音楽専科をしている長女にも紹介したいと、私は思ったのである。

 

 約2時間の講座だったが、本当に楽しく、学びの収穫の多い内容だった。心身の休養を保障する貴重な休日の午前中だったが、私は満足顔で帰りの車を気持ちよく走らせていた。いくつになっても常に学ぶ姿勢を持つ続けることは、自分の気持ちを明るくさせることになり、引いてはそれが他者の幸せにつながっていくのだと実感した次第である。

人生は、他者だ!~西川美和著『永い言い訳』を読んで~

 10日間の自宅療養期間が終わって、23日(火)に久し振りに出勤したら、その翌日から当市の教育支援委員会が2日間予定されていた。今回の教育支援委員会は、来年度小学校へ就学する幼児で何らかの「困り感」がある子にとって、どのような学びの場が適切かを判断する会議である。事前に対象児の保護者や園の先生等と教育相談をしたり、対象児と面談をしたりした内容に基づいて、調査員が適切だと考える学びの場や支援内容等を書いた資料を作成する。そして、教育支援委員会の場にその資料を提出し、医療や福祉・教育等を専門とする委員さんたちに内容の妥当性や是非について慎重に審議していただき、決定してもらうのである。

 

    私たち特別支援教育指導員は、当日の教育支援委員会(午前と午後の部ごとに8つほどの分科会を開催)を運営する事務局として司会や記録を担当するのだが、中には調査員の役割も兼務する者もいる。実は私も調査員として4名の対象児を担当していたので、出勤した日は翌日からの会議の準備に追われた。しかも、午後からはある小学校の1年男児の保護者の教育相談があったので、まだ体調が万全でない中、大変忙しい1日になった。また、翌日からの教育支援委員会自体も慎重な審議が求められ、終日、ピリッとした緊張感の中で過ごした2日間になった。さらに、26日(金)は自分が担当した教育支援委員会の記録の整理や、対象児の審議資料の訂正等の仕事で、勤務時間は無駄なく費やすことになった。

 

 そのような中、昼間の仕事のストレス解消のために、私が就寝前後に読んでいたのは、『永い言い訳』(西川美和著)という小説だった。「長い」ではなく、なぜ「永い」なのだろうか?「言い訳」とは、何に対するどんな言い訳なのだろうか?タイトルを目にした時に様々な疑問を持った私が、やく1か月ほど前に馴染みの古書店でつい衝動買いした本だった。自宅療養中に読んだ『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)に触発されて、また小説を読んでみたかったのである。この一週間ほどで読了。家族・幸福・生死等に関して、いろいろと考えさせられた作品だったので、私なりの簡単な読後所感を綴ってみたい。

 本作品は、夫婦関係が冷え切っている子どものいない衣笠家と幸せな4人親子の大宮家という二組の家族から、それぞれ妻と母(妻でもある)がバス事故で亡くなるところから物語が動き出すのだが、私はその前に語られる人気作家・津村啓こと衣笠幸夫の名前の由来に纏わる部分を読んでいる時はちょっと鼻白んだ気分になっていた。何となくありきたりな感じがしたのである。しかし、その後の物語の展開部分は、複数の登場人物の視点で語られる構成も相俟って、私は「真に幸せな家族とは?」と問い続けながら、その答えを求めるようにぐいぐいと引き込まれていった。

 

 特に、妻の親友の夫・大宮陽一に子どもたちの世話を申し出た衣笠幸夫が、母親を亡くした慎平君と灯ちゃんの兄妹との間に通わす心温まる交流場面は、新しい「幸せな家族」の関係性を私に感じさせた。でも、作者の西川氏は実はこの関係性を肯定も否定もしない書きぶりをする。そうなのだ。「真に幸せな家族」というものを簡単に実体化しようとしてはいけないのである。

 

 ただ、幸夫が亡き妻へ宛てた手紙にした最終章において、私の心に実感として突き刺さった言葉がある。それは、「人生は、他者だ。」という言葉。つまり、人間が生きていくためには、自分にとって「あのひと」と想うことの出来る存在=他者が必要だということ。この場合の「他者」とは、自分と異文化な存在というような形而上学的な意味ではなくて、自分にとってなくてはならない存在という生活世界的な意味で使われている。今まで私という実存を間違いなく支えてくれたのは、「親、妻、子どもたち」という家族であったし、これからもそれらの家族と共に「孫」という家族になると思う。そう考えると、「人生は、他者だ。」という言葉の重みを、改めて噛みしめてみることが大切だと思った。

 

 最後に、本作品のタイトルに対する私の幾つかの疑問の回答内容について触れておきたい。それは、本書を解説している翻訳家の柴田幸元氏の解釈を援用すると、次のようになる。

〇 「永い言い訳」とは、「永遠に続く、自他共に納得させるための自分についての言い訳」である。

まあ、別の言い方をすれば「人生が終わるまで続くのが自己了解」であり、「これで終わりということはないのが自己了解」であるといってもいいのかな…。

「子どもを苦しめる親」について考える~水島広子著『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』から学んだことを基に~

 私の自宅療養期間も今日で終わる。「濃厚接触者」だった妻が倦怠感や発熱等の症状が出始めたのは15日(月)で、お盆休みの中やっと見つけた病院で抗原検査を受けて陽性の判定が出たのは16日(火)。それから既に1週間が経った。今では二人とも平熱になり、自宅で隔離されている以外は比較的自由な生活を送っている。食事については、生活協同組合の宅配と妻の姉による買い出しによって何とかなっているので、私たちはある意味でのんびりとした日常を過ごしていると言ってもよい。

 

 そのような中、数日前に私はそろそろ仕事に復帰する心身の準備をしようかなと考えていた。すると、私の脳裏に、ある場面が突然フラッシュバックしたように蘇ってきた。それは、もう1か月以上も前になるが、市内の某小学校の会議室で、保護者と教育相談をした時の場面である。

 

    普段、保護者と教育相談をする際は、対象児の担任と当該校の特別支援教育コーディネーターが同席するぐらいである。ところが、その時の教育相談の場では、それとは比較にならないぐらいの参加者数があった。何よりも特別だったのは、一人っ子だと言う対象児も参加していたこと。それに伴って対象児が最も信頼している教師、対象児の心のケアを担当している外部機関の方々、それに通級指導教室の先生までが同席していた。また、学校側からも担任以外に校長、教頭、学年主任らが参加していた。合計で14名。まるでケース会議の様相であった。

 

 なぜ、こんなに多人数の教育相談の場になったか。元々その時の教育相談は、「今まで我が子の特性に応じた支援を行ってほしいと、何度も学校へお願いしたにもかかわらず、適切な支援をしてもらえていない。だから、市の教育相談を受けたい。」という母子家庭の母親からの強い要請が発端だったらしい。だから、母親は教育相談の場に、学校の管理職や学年主任にも参加を求めたし、我が子の思いを知ってほしいとの考えから対象児の参加も望んだ。そして、対象児が安心して発言するためには、それを支えるメンタルケア的存在も必要であるとの判断から、上述のような人々の参加も要請したのである。

 

 ただし、今回、私が突然フラッシュバックした理由は、この教育相談に参加した人数が多かったからではない。その時の母親の常軌を逸した言動こそが、主な理由なのである。母親は、教育相談の進行役をするコーディネーターやアドバイス役の私の所に事前に電話を掛けて、自分の都合で決めた当日の進行スケジュールを私たちに予告していたにもかかわらず、実際の場ではそれを全く無視し感情の赴くままに不規則な発言を繰り返した。また、時には狂気を孕んだ目をして、自分の拳で長机を何度も叩きながら、過激な教師批判をした。しかも、我が子が居る前で!私は「この母親自体が対象児を苦しめているのではないか!」と思い、母親の発言の合間を見つけては、何度も本会の目的や進行スケジュールなどを確認したり、学校側の適切な支援内容や方法等についてアドバイスを試みようとしたりしたが、そのほとんどは母親の一方的な主張によって遮られた。私は、あまりにも無力感に打ちひしがれた。しかも、その教育相談に要した時間は、約4時間!おそらく参加者全員が心身共に疲労困憊になってしまったと思う。それ以後、この体験は私のトラウマのようになっていたのである。

 

 私は、この時の体験を単なるトラウマにしないで、何とか意味付けたり価値付けたりして経験化しなくてはいけないと思い、職場近くの書店で購入した『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』(水島広子著)という本を少しずつ読み進めていた。そのような時に、今回の新型コロナウイルスの陽性判定である。中断を余儀なくされていたが、この際に続きを読み進めていこうと考え、この二日間で読了した。そこで、今回は本書から学んだ「子どもを苦しめる親」について、その背景やその精神医学的事情等に焦点化した内容の概要をまとめてみようと思う。

 著者の水島氏は、対人関係療法という精神療法を専門とする精神科医(特にトラウマ関連障害を持つ人を対象にしている)である。本書は、著者のその精神医学的な臨床経験に基づいて、「毒親」被害を少しでも改善しようという目的で執筆されたものであり、それ故に私にとっては上述の母親のとらえ方について大変参考になる情報を提供してくれた本である。特に参考になったのは、著者が本書で「毒親」を定義する上で大切な視点として挙げている3つの「愛着スタイル」と、「毒親」が抱える4つの精神医学的事情に関する情報である。以下、それぞれについて簡潔に要約していこう。

 

 元々「毒親」という言葉は、1996年に日本で翻訳されて出版された『毒になる親(TOXIC PARENTS)』(スーザン・フォワード著/1989年出版)が出所になっており、「子どもにとてつもない害を及ぼした親」のことを言っているが、本書では「子どもの不安定な愛着スタイルの基盤を作る親」と定義付けている。そして、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した「愛着(アタッチメント)理論」に基づいて、次の3つの「愛着スタイル」を紹介した上で、「安定型」以外を不安定な愛着スタイルとしている。

①「安定型」…「母親的役割」の人に愛情を提供されて育ち、情緒が安定している、困ったら人に助けを求める。

②「不安型」(とらわれ型)…「母親的役割」の不安定な育て方から、「見捨てられるのでは」という不安を感情の基本に持つ。

③「回避型」(愛着軽視型)…「母親的役割」の人がいない、あるいは情緒的なやりとりなしに育つ。人に助けを求める発想がない。

 

 次に、著者は親が「毒親」になった4つの精神医学的事情について、次のようにまとめている。

a)発達障害タイプ…自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD

b)不安定な愛着スタイル…「不安型」、「回避型」

c)うつ病などの臨床的疾患…トラウマ関連障害、アルコール依存症

d)DVなどの環境問題…深刻な「嫁姑問題」、親になる心の準備不足、障害のある子の育児など圧倒的な余裕のなさ、子育てより大事な「宗教」等

 

 著者が臨床的に診てきた「毒親」の中で最も数が多かったのは、a)の発達障害の人たちだそうである。そして、彼ら(彼女ら)としてはむしろ一生懸命育児をする中で、結果として「毒親」となってしまうらしい。ただし、彼ら(彼女ら)はそれなりに社会で機能しているので「障害」という言葉は当てはまらないかも知れないが、「非定型発達」であることは間違いないと言っている。

 

 私は本書を読みながら、最初に紹介した母親はもしかしたらa)の発達障害タイプ、かつc)うつ病などの臨床的疾患だったのかも知れないと推察していた。もちろん彼女のことについてほとんど知らないし、精神科医でもない私が、勝手に思い込むことは危険である。ただ、そのように理解したら、あの場面での彼女の過激な言動の多くが納得できるのである。他者(我が子も含めて)の気持ちを想像することが難しいこと、自分の考えに執拗に拘って他者批判を繰り返すこと、過去の出来事に対して今起こっているような感情的反応をしてしまうことなど…。これは、私自身の精神的な安寧にとって都合のよい解釈なのかもしれないが…。

 

 もう一つ、私の頭の中に鮮明な記憶として残っている彼女の断片的なある言葉がある。それは、彼女がどのような文脈で口走ったのかはもう忘れたが、「私には反抗期がなかったので、今が私の初めての反抗期だ。」という言葉である。一体、これをどう解釈すればいいのだろうかと思案しながら本書を読み進めていると、<第8章 「大人」としとて親を振り返る>の中に、次のようなハッとする箇所を見つけた。…「毒親」を持つ多くの人は、通常の意味での反抗期を経験していないことがほとんどです。

 

 もしかしたら、彼女の親も「毒親」だったのかもしれない。そのために、彼女は親の何らかの事情を考えて、自らの意思で反抗期を選択しなかったことで「大人になる」ことを遅延する事態に陥ってしまったのではないだろうか。だとすれば、世代間に負の連鎖が繰り返される可能性がある。対象児の主治医は今、対象児のメンタルケアのために外部機関の方々を、週に数回訪問させるような対応をしている。おそらく私が想像したような事態を推測しているのではないだろうか。私は、それだけでも対象児をあの母親から救い出すための一縷の望みになっていると思う。しかし、より根本的には、できるだけ早く彼女も精神医学的な診察の場に連れて行くことが、当該親子が抱える関係性の闇から二人を救い出すことに繋がるのではないだろうか。

自由意思の尊重より、運命論の方が慰めになる!?~平野啓一郎著『マチネの終わりに』を読んで~

 8月13日(土)に新型コロナウイルスの陽性判定を受けた。前日の夕方から発熱し夜には38.2度まで上がってしまったため、24時間対応の受信相談センターへ架電した。その際に紹介された市内のある耳鼻咽喉科での抗原検査の結果である。覚悟はしていた。というのも、職場で私の斜め前に座っている同僚の女性が11日(木)に陽性が判明したことを聞いていたので、「もしや」と思っていたのである。

 

    私もその同僚の女性も10日(水)には終日、事務所内で勤務していた。私は定義上の「濃厚接触者」には該当していなかったが、昼食時に默食していたとはいえ、当然お互いにマスクを外していた。室内に置かれた一つの扇風機の風上にその女性が、風下に私が座っていたのだから、その時に私が飛沫感染する可能性は0ではないと思っていた。もちろん私の感染原因がそれで特定できる訳ではない。私は勤務中にトイレにも立ったし、昼食の弁当を配達してきた店員とも接触したので、それらの機会に接触感染をしたかもしれない。しかし、私が陽性と判定された時に、ぱっと頭に浮かんだのが先の昼食時の場面だったのである。

 

 私がまだ高熱のまま自宅療養していた時、「食事中に自分がもっと慎重に感染予防していたら…」とか「体調を崩しかけていた同僚の女性に対して早退するように強く助言していたら…」とかと悔やんでいた。感染経路がまだ特定されている訳でもないのに…。私は意識が朦朧とする中、自分の勝手な思い込みかもしれないことで気持ちが不安定になっていることに苛立っていた。「これって、精神的エネルギーの無駄な消費ではないか。」現在の苦境の原因を過去の自分の不作為に結び付ることで、私は何らかの気休めを求めていたのだろうか。それなら結果的に逆効果ではなかったのか!

 

 幸い、私は15日(月)の午前中には平熱に下がり、他の症状もほとんどない状態になっていた。それでもまだ自宅療養中であり、濃厚接触者の妻が陽性判定を受けていなかったので、自宅2階の和室での隔離生活を継続しなければならなかった。でも、ほとんど倦怠感もなく、明らかに意識状態も通常に戻っていた。「これって、この1か月ほど多忙な生活を送り心身共に疲れ切っていた私に、神様が与えてくれた“休養”というご褒美なのかもしれない。」私は22日(月)までの自宅療養期間の過ごし方について、自分にとって都合よくとらえようとしていた。「そうだ、休養するならストレスを解消する私の一番の方法である“読書”をしよう。」…

 

 私は療養中の身なのだから、言語の抽象度が高い学術書ではなく、具体性のある豊かな言語で語られる小説の方がよいと判断し、いつか機会があれば読んでみようと思っていた『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)を書棚の中から選んだ。

 本作品は、40代前の天才クラシックギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリストの小峰洋子が、彼の「デビュー20周年記念」コンサート最終公演日に偶然出逢ったことから始まる、切なくも美しい珠玉の恋愛小説である。また、物語の展開において、芸術や国際政治・親子関係・良心・生死等のテーマが重層的に描かれており、特に芸術や国際政治等についての一定の教養がなければ、二人の芸術的・政治的なセンスに共感しながら読み進めるのが難しい作品だと思う。それでも私は病床という特別な環境下での読書であったためか、場面の情況をできるだけきちんと把握しながら読み進めることができ、深い感動の内に読み終えた。久し振りに芳醇な香りが漂う高級ワインを味わうような読書ができたのである。

 

 本作品の中で私にとっての一番の箴言は、物語の終盤において洋子の父で映画《幸福の硬貨》の監督、イェルコ・ソリッチが彼女に語った次の言葉であった。「自由意思というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。そうだね?しかし洋子、だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めになることもある。」この部分を読んだ時、私はハッとした。

 

 私が今回、新型コロナウイルスに感染してしまったことに対して、意識朦朧の中でうじうじと過去の自分の不作為に対して悔やんでいたことを思い出したのである。過去は自分の自由意思で変えることもできたのではないか。つい、近代的な概念でもある「自由意思」を前提としている自分のパラダイム!現在の苦境に繋がると考えられる過去の出来事は、確かに私の「自由意思」が大きく関わっているであろうが、それだけで成り立っている訳ではないだろう。環境や他者との関係性を無視して成立する出来事などはないと思う。だとしたら、現在の苦境の原因を自分の「自由意思」だけの結果と考えすぎて悔恨するのは愚かではないだろうか。むしろ、「運命」だったのだと現在の苦境を受け容れる方が、精神的な慰めになり健康的なのではないだろうか。

 

 もちろん逆に自分の「自由意思」の視点を無視しろと言っているのではない。過去の出来事に関わりをもつであろう「自由意思」の視点をしっかりもつことは、良い意味での反省になり、未来に向けての目当てや目標等を立てるという希望に繋がるであろう。それもまた、健康な精神のあり方である。しかし、それだけに拘泥してしまうのは危険だ。「自由意思」というのは、「近代」が巧みに仕掛けた罠のようなものなのだと思う。取り扱い方には、細心の注意が必要なのだと、再度、洋子の父の言葉と共に私は反芻している。

 

    最後に、自宅療養の臥床にあって本書を読書の対象として選んだ自分の「自由意思」よりも、本書との出合いという「運命」に感謝しつつ、今しばらく疲れ切っている心身の「慰労」に務めたい。

多忙生活の中、学校生活支援員研修会で講話をしました!~小崎恭弘著『発達が気になる&グレーゾーンの子どもを伸ばす 声かけノート』から学んだことを基にして~

 お泊まりをしていた孫Hと遊んだり世話をしたりすることに追われた7月末の土日が過ぎ、ちょっと一息入れたいと思っていた8月に入っても、私の多忙生活は続いていた。第1週目には、市内の4つの児童発達支援センターへ通っている重い障害のある年長児に関する教育相談があった。対象児の園での生活の様子を参観して行動観察を丁寧にした上で、保護者と担任の先生と話し合った。成育歴や具体的な障害特性等について保護者に詳しく訊いたり、対象児の発達状況や普段の園生活の様子等について担任の先生から情報を得たりする面談は、いろいろと神経を使うので疲れる。また、収集した情報に基づいて審議資料を作成する労力を考えると、ややもすると気力が萎えてくる。しかし、対象児の将来を左右する学びの場を判断する大事な仕事なので、一言一句を疎かにせずにパソコンのキーボード叩いている。

 

 さて、8月の第一土日は、今度は二女に連れられた孫Mがお泊りをした。この4月から保育園に行くようになったMは6月にも日帰りで来たことがあったが、久し振りに再会したような気分になった。というのは、前回会った時はまだ2・3歩しか歩けなかったMは、我が家のリビングのフロアに下ろした途端に、各種のおもちゃを置いていたテーブルの方へどんどんと歩いて行ったのである。そのしっかりした足取りを、私たちじじばばは大きな目を開いて追いながら、「すごいね、Mちゃん。」と声を合わせるように言った。それから翌日に帰るまでの間、私たちはMの後を追いかけるように世話をした。ただ、Mは初めて体験することに対しては慎重になる子なので、結構気を遣いながら関わることが多かった。

 

 特に水遊びについては、保育園でほとんど水に触れようともしないらしい。そこで、日曜日の昼間に我が家の駐車場スペースを利用して水遊びをさせた時も、水を浅く溜めた噴水マットへ私がMを抱っこして入り、徐々に水に慣れていくようにした。すると、最初は足の指先が水にちょっと触れただけで大騒ぎをしていたMも、私の胡坐の中に入って足で水を蹴ることができるようになってきた。また、噴水マットの上に立ち、シャワーの水を背中に浴びることができるようになってきた。そこで、私はそっとMの頭に水を少しずつ垂らしてみた。すると、Mは頭から滴る水のことを気にしなくなっていた。Mは水と少し仲良くなったようだった。

 

 そんな土日が過ぎ、疲れを癒すこともできないまま今週に入った訳だが、私は8日(月)9日(火)の2日続いて学校生活支援員研修会で講話をすることになっていた。本来なら学校教育課の担当指導主事が行う仕事だと思ったが、実施計画案を策定された時に私たち特別支援教育・指導員という立場の役割になっていたのである。私は言い逃れをするように異義を唱えるのは嫌だったので引き受けた。それが約1か月前だったので、私は早速どのような講話内容にするか考え始めた。そして、様々に考えを巡らせた末に、ある本を参考にして「発達障害をもつ子どもへの支援のあり方と言葉掛けの工夫」を中心に組み立てようと決めた。そのある本とは、市内のジュンク堂三越店で入手した『発達が気になる&グレーゾーンの子どもを伸ばす 声かけノート』(小崎恭弘著)である。

 本書は、大阪教育大学教授の小崎氏が自身の保育士経験を基にして、「発達が気になる、またはグレーゾーンの子どもへの関わり方や言葉の掛け方」を要領よくまとめた保護者向きの本である。特に具体的な行動特性から見て気になる子どもの接し方を記述しているので、保護者にも大変分かりやすい。どのような行動特性でとらえているかというと、「コミュニケーションが苦手な子ども」「乱暴な子ども」「こだわりが強い子ども」「無気力で諦めがちな子ども」「内向的な子ども」である。私はこのような手法を援用すれば、学校生活支援員の皆さんにも内容を理解しやすいのではないかと考えたのである。

 

 私の実際の講話は、PowerPointを使ったプレゼン(表題を除くと13枚のスライド)を映しながら、その内容について詳しく解説したり簡単な補説をしたりした。以下、そのプレゼンの概要について紹介しよう。

 

 最初に、事前に学校生活支援員の皆さんに書いてもらったアンケートを集計・分析し、「支援をする上での困り感」と「研修会で知りたいこと」という項目に整理したスライド3枚に基づいて話した。「支援をする上での困り感」の1枚目は、本書を参考にして行動特性別の子どもへの対応をアンケートの記述数の多い順に列挙したスライド。具体的には、「危険な行為をしたり乱暴をしたりする子ども」「こだわりが強く、やっている活動を止められない子ども」「授業に集中できず、やる気のない子ども」「学習に遅れがちな子ども」の4つのタイプ。「支援をする上での困り感」の2枚目には、それら以外の項目「対象の子どもとの信頼関係のつくり方」「周りの子どもとの関係に対する配慮の仕方」等を示した。さらに、全体では3枚目になる「研修会で知りたいこと」のスライドには、「様々な発達障害の特性とその支援のあり方(特に言葉掛けの工夫)」「学校生活支援員として知っておくべき言葉の意味」「担任や保護者との連携の仕方」等を挙げておいた。

 

 次に、4枚目の「通常の学級に在籍して特別な教育的配慮を必要としている子どもたち」と題したスライドには、その背景や原因になっている「発達障害」の名称等をまとめた。その説明の中では、「発達障害」名は医師が診断することや実際は「発達障害」の重複が多いこと、「発達障害」はレッテルを貼るのではなく支援を行う上で参考にすることなどを強調した。また、5枚目の「発達障害の概念図」では、その障害特性等を具体的な様態例を挙げながら解説した。

 

 そして、本講話の中心とも言える6~11枚目では、「個の特性等に応じた支援のあり方と言葉掛けの工夫」の具体的な内容(これらは1枚目のスライドで示した行動特性別の子どもへの対応順)等をまとめて示した。ここで全てのスライド内容を紹介するのは大変なので、実例として「こだわりが強く、やっている活動がやめられない子ども」を取り上げたい。

◇ 支援のあり方…本人のこだわりを肯定的に受け止めつつ、気持ちの切り替えにつながる別の視点を与えるように関わる。

〇 言葉掛けの工夫…①「楽しそうだね。」「〇〇が好きなんだね。」 ②「後、何分で追われそうかな。」 ③「そろそろ時間だよ。」「合言葉は何だった?」 ④「気持ちの切り替えがよくできたね。」

これらの説明の際には、実際の場面を想定しながらできるだけ具体的に解説をしつつ、参考になる補説を付け加えるように心掛けた。会場の学校生活支援員の中には大きく肯きながら聴いていた方もいたので、私の考えは通じていたのかなと嬉しく思った。なお、11枚目のスライドには、以上のような言葉掛けに関する総括的な内容<「ちゃんと伝わる」言葉掛けのポイント>を示しておいた。

 

 また、「周りの子への配慮」と題した12枚目では、合理的配慮の概念絵図を基にしながら、同じ物を与える「平等」ではなく、同じ機会を与える「公平」を大切にすることや、私が子どもの頃に経験した「三角ベース」のルールが合理的配慮の思想に基づいていたことなどについて説明した。

 

 最後の13枚目は、私の講話後に予定されていたグループ協議の話題例をいくつか挙げておき、本講話の締めくくりとともに次の活動への橋渡しとした。40分弱の時間だったが、あっという間だった。私としては、参加者のマスク越しの表情から強い手応えを感じることができた。これも、本講話の中心となる内容を構想する際に大きな示唆を与えてくれた本書のお陰だと思いながら、改めて表紙をしみじみとした気分で今、眺めている。著者の小崎さん、有難うございました。

多忙な日々を過ごしたこの2週間ほどを振り返る!

 先週から今週に掛けて、公私ともに超多忙な日々を私は送っていた。そのため、当ブログの記事を綴ることはもちろん、読書の時間を確保することもままならなかった。ブログの更新を2週間ほどできなかったのは、久し振りではないかと思う。別に決めている訳ではないが、週5日フルタイムの勤務の仕事をし始めた昨年の7月以来、まとまった時間を確保することができる週末の土日にブログを更新するのが習慣のようになっていたので、ここ数日は何だか後ろめたい気分になっていた。さりとて取り上げる読了した本もない。そこで、今回の記事は、この超ハードな約2週間の私の生活ぶりを取りとめもなく綴ってみようと思う。

 

 まず、公立学校では第1学期終業式が行われて夏休みに入った先週は、学期末の慌ただしい中、何らかの「困り感」のある子どもの担任の先生や保護者に対する教育相談が続いた。テストを返してもらい、その結果が自分の予想と違っていたために一時間中パニック状態になってしまった子、授業中ぼーっとして自分の前髪を抜いては手遊びを繰り返してしまう子などの教育相談だった。私たち特別支援教育・指導員は、それらの「困り感」の背景や原因等を様々な角度から考察した上で、その解消に有効ではないかと思う具体的な手立てをまず導き出す。この知的な思考活動は、老齢者の私には精神的にも肉体的にも堪える。また、実際の教育相談の場では、担任や保護者との双方向のコミュニケーションに大きなエネルギーを費やす。私は、帰宅する頃にはクタクタになっていた。

 

 そんな中、先週の火曜日に職場近くの病院で、私は新型コロナウイルスの第4回のワクチン接種を行った。新しい変異株「BA.5」の急激な感染拡大による“第7波”を迎え、私のような高齢者にとって感染リスクを下げて、もし感染しても重症化しないような防衛策の一つとして、ワクチン接種は有効だと判断したのである。また、前回までのワクチン接種による副反応が、ほとんどなかったことも後押しした。おかげで今回の副反応も接種した局所の痛み以外はほとんどなく、その後の勤務も普段通りにこなすことができた。ただし、翌週に実施する夏の「教育相談会」の準備に万全を期す必要があったので、気が気でなかったのが正直な心境であった。

 

 さて、心身共に疲れを癒そうと思っていた土日は、さらに肉体的な疲労がピークになる休日になった。というのは、長女が勤務する学校の集団宿泊訓練の引率者になったために、孫のHを預かることになったのである。土曜日は、Hが喜びそうなパジャマやお菓子、食材等の買い物に終日追われた。また、薄曇りのため少し涼しかった日曜日の午前中は、市営の野外活動センターへ出掛けて、アスレチック遊具に挑戦したり、カブトムシに触れたりトンボや蝶を追い回したりする活動を楽しみ、Hと私は汗びっしょりになった。

 

    夏の日差しがまぶしくなった午後には、自宅の駐車場スペースに中型の家庭用プールや新しく買った噴水マットを設置して、今年初めての水遊びに私たちは興じた。Hは特に水鉄砲で水を掛け合う遊びが大好きで、私の顔に向けて大型の水鉄砲から水を勢いよく発射させては悦に入っていた。私も負けずにアンパンマンの絵柄が入った小型の水鉄砲で応戦した。Hは顔に水が当たるのが嫌で、逃げ回りながらも顔は満面の笑みがこぼれていた。その後、私はHと一緒に風呂に入った。Hは風呂場でもハイテンションで、洗面器を満杯にした湯を私の頭から掛ける遊びをしては大喜びしていた。

 

 夕食後、Hはじじばばの家では初めての花火を私たちと一緒にして遊んだ。最初、Hはろうそくから花火に火を移す時に少し怖がっていたが、2~3本やっていくうちに慣れたようでだんだんと大胆になっていった。私たちはHに火傷をさせてはならじと何度も「気を付けてね。」と声を掛けたが、Hは自分で火を点けては様々な形や色の光を発する花火を見て喜んでいた。花火の閃光で照らされたHの横顔を見て、「大きくなったなあ。」と私はつい呟いてしまった。乳児の頃からよく遊び相手をしてきた私は、5歳になったHの成長ぶりを見ながら改めて感慨深い思いが溢れ出てきた。Hと共に遊びに興じながら、その時々の喜怒哀楽を共有してきた思い出は、今の私を形成してきた豊かな経験なのである。私の一部になっているのである。

 夜は、二階の和室に布団を並べて、「川」の字になってHと私たちは寝た。以前、我が家に泊まったのはいつ頃だったろうか。確か3歳頃だったと思うので、本当に久し振りである。自我意識が高まることで、父母と共に寝る経験による心地よい被包感をより一層味わってきたHは、寝付く前は少し不安そうだった。しかし、昼間の活動で疲れ切っていたのか、すぐに寝息が聞こえてきて、同じ格好で数時間は爆睡していた。ところが、私たちが寝床に就いた頃からは、3つ並んだ敷布団の上を縦横無尽に寝返りし始め、私たちは一晩中熟睡することができなかった。可愛い孫のため、これ位は我慢しなくっちゃー。

 

 今週の月曜日、Hは保育園へ登園することになっていたので、私はHとの別れを惜しみながら出勤した。睡眠不足のためか、通勤の自転車が少しふらついていた。今週は月曜日からから連続4日間、夏の「教育相談会」の業務が続いた。この「教育相談」は、何らかの「困り感」をもつ年長児にとっての就学後の適切な学びの場を考えるために行うものであり、主に特別支援教育に携わっている教員が相談員(調査員)になって保護者と面談をしたり、協力員になった教員が対象児と接する中で行動観察したりする内容も含まれている。私たち指導員は事務局の仕事をするのがメインだが、日によっては相談員や協力員の業務も行ったので、心身共に疲れる4日間になった。そして、金曜日は1学期末に授業参観に行った子どもの母親と担任の先生との教育相談があった。母親はタイ人で日本語がまだ少し不自由だったので、分かりやすい日本語でゆっくりと話すなどの細やかな配慮が必要だったためにかなり神経をすり減らしてしまい、さらに疲れがピークになってしまった。

 

 そして今日の土曜日は、先週に続いて孫が朝から我が家に遊びに来たが、あいにくの雨模様だったので室内でしばらく遊んだ。今、ポケモンにハマっているHは、ポケモンのフィギアを使ったバトル遊びを私としたがる。しかし、私はポケモンの名前をほとんど知らないので、Hのペースで遊ぶことになってしまう。すると、それをいいことにHは自分に都合のよいルールに勝手に変更して、自分のポケモン勝たせようとする。私が「それはずるいよ。」とさりげなく文句を言うと、次は必ず私の方のポケモンが勝つように気をつける。「本当に素直な子だなあ。」またまた“じじバカ”の気分になってしまう。

 

 そうこうしていると、10時過ぎになったので自宅近くのデパートの屋上にある観覧車に乗りに行き、その後、デパート内にある紀伊国屋書店で『ポケモンをさがせ』という本を買ってやった。Hは店内のオシャレな店で豪華な昼食を早く取った後、その本を熱心に読んでいた。私の腕時計の針が13時前になったので、当市の男女共同参画推進センターで開催される子ども映画会(「パウ・パトロール」)に参加するために車を走らせた。走らせたと言ってもほんの5分間ほどで駐車場に着き、開場まで30分間ほどあったので隣の児童館で過ごした。その後の映画会でのHの様子は、最初少し退屈そうだったが、徐々に興味が高まってきて、最後の方はスクリーンの最前列まで進んで映画に見入っていた。

 

 15時過ぎには帰宅したので、私とHはまたポケモンのバトル遊びをしたり、大きなバランスボールを使ったドッジボールやサッカー遊びなどをしたりして汗を流した。Hが「汗が出たから、じいじと一緒にお風呂に入りたい。」と言うので、時間的には少し早かったが風呂に入ることにした。風呂場では先に頭や体を丁寧に洗った後で、またまたお湯掛け合戦をしてたっぷり遊んだ。風呂場から出た時に触れた冷房の効いた空気は、心身の栄養剤のような役割を果たし、私たちは「気持ちいい~。」としばらく裸のままで過ごした。その後、私は身体が少し冷えてきたので、今、パソコンのキーを叩いているところである。Hは今夜も泊まり明日の11時頃にパパが迎えに来る予定なので、それまではまだまだHと過ごすことができる。身体の疲れはほぼピーク状態が続くが、それ以上の精神的な充実感を味わうことができる。さあ、夕食のカレーをHと共に美味しくいただくとするか…。

「本当の自分」の本質とは何なのか?~山竹伸二著『「本当の自分」の現象学』から学ぶ~

 衝撃的なニュースだった。「参議院選挙に向けて奈良県で応援演説をしていた安倍元首相が、背後から凶弾を受けて倒れ、その後運ばれた病院で死亡した!」…「ロシアがウクライナへ軍事侵攻した!」という報道が流れた時と変わらない、否、それ以上の衝撃を私は受けた。世界の中でも治安のよさで知られ、銃規制もしっかりになされている我が国で、このような許し難い蛮行が行われたことに、ほとんどの日本人は茫然自失になったと思う。死亡した安倍氏は67歳。人生100年と言われる時代を迎える現代ではまだまだ若い年代であり、内閣総理大臣の連続及び通算在籍年数が憲政史上1位という実績をもつ元首相のこれからの政治活動に期待する国民も多かったので、受けた衝撃は計り知れないと思う。

 

    それにしても、なぜ、このようなことが起きたのか?私が知る限りの情報では、「容疑者の母親が、ある宗教団体(旧統一教会)にのめり込み多額の寄付をしたために破産し、家庭がめちゃくちゃになってしまったので、その団体の幹部を成敗しようと殺害計画を立てたが実行は難しいと思った。そこで、その団体と関係がある安倍元首相を殺そうと思った。」という動機だそうである。これが本当のことなのかどうかは、今後の更なる捜査に委ねる外ないが、事実だとすればあまりにも身勝手な犯行動機ではないだろうか。確かに同情すべき家庭的な事情はあるとは思うが、だからと言って私的な恨みを晴らすために暴力によって人命を奪うという犯行は、絶対に許すことはできない。また、民主主義の根幹たる国政選挙期間中に、遊説している政治家を殺害するというのは民主主義を否定するような暴挙であり、あってはならないことである。

 

    この事件が起きて1週間という時間が経ったが、私は安倍氏と同い年であることもあって、心の中の動揺は未だに治まらない。また、その政治信条に対して少なからずシンパシーを感じるとともに、「森・加計」問題や「桜の会」問題等に対して深い疑惑をもっている私は、安倍氏との間接的とはいえ日常的な関係性が、突然なくなってしまったことの喪失感は大きい。まさに心の中に穴が空いた感じ。そのような心境の中で、山上容疑者の逆恨みとも言える犯行動機の裏側に潜む実情とその心理にも、私は強い関心を持ち続けている。

 

    一部の報道によると、山上容疑者は幼い頃に父親を亡くし、またその後、母親と祖父、兄妹らと比較的裕福な暮らしを送っていたらしい。また、同級生によると、小・中学校時代の彼は勉強も運動もよくでき、性格も穏やかで優しく、「非の打ち所がない」人物だったそうである。ただし、奈良県内の進学高校に通っていた頃には、応援団に所属していたが、友達とは距離を開けて一人で行動していた様子だったという。そして、母親が自己破産した時期と同じ2002年8月(彼が20歳か21歳頃)には、「任期制自衛官」として海上自衛隊に入隊し、その後3年間の任期を終えて退官している。

 

    私は本件の犯行動機の構成要素として重要な点は、彼の高校卒業後の進路だと思っている。母親が旧統一教会へ入信して寄付をし始めたのが2000年だから、彼が高校3年生頃ではないかと思う。もしかしたら、この時期の彼が置かれていた家庭の経済的な状況や家族関係の実相等が、彼の人生設計を狂わせるほどの影響を及ぼしたのではないか。自分の志望していた大学受験を経済的な理由で諦めたのかもしれない。また、就活をしていたが思うような就職先が見つからなかったのかもしれない。推測は尽きないが、私はこの時期の彼の情況をもっと詳しく知りたい。(もしかしたら、どこかの新聞や週刊誌の記事に掲載されてしているのかも知れないが…)

 

    これは私の勝手な憶測だが、この時期の山上容疑者は自己不全感や不遇感に襲われて、自暴自棄な精神状態になっていたのではないか。自分なりに描いていた将来設計が、母親の旧統一教会への多額の寄付によって経済的に叶わなくなってしまい、この理不尽な現実を生きる自分に対して、「自分はこれからどう生きて行けばいいのか。」「自分は何のために生きているか。」等々、青年期の彼は実存的な不安を抱えていたに違いない。そして、その中で「本当の自分」を探し求めていたのではないか。もしその時に彼がそのような自分を深く自己了解し、自己価値を見出して、他者からの「承認」を受けるような方向へ歩んでいたら、今回のような事件を起こすことはなかったのではないかと思う。

 

 このようなことを考えていた私は、彼と同じように「本当の自分」を見失い「本当の自分」を探し求めている人の心理や、「本当の自分」を見出すことや「本当の自分」を実感することの意味について知りたいと、次第に関心を広げていった。私はもともとポストモダン思想(「現代思想」と言ってもよい。)の影響を受けて、「真理や絶対的なものはない。ものごとの意味や価値は全て相対的なものにすぎない。」という考えに共鳴していたので、当然「本当の自分」が心の中に実体的にあるとは思っていなかった。しかし、何らかのきっかけで「これが本当の自分だ」と感じる体験自体を否定することはないとも考えていた。だから、「本当の自分」の本質についてじっくりと考えてみたいと思っていたのである。そんな中で、偶然出合ったのが、『「本当の自分」の現象学』(山竹伸二著)という本だったのである。

 そこで今回は、著者の山竹氏が現象学的に解明した「本当の自分」の本質について、特に私が深く納得した内容の概要をまとめてみようと思っている。ただし、この内容はあくまでも本書の内容の一断面程度のものなので、もっと具体的な内容を知りたいと思われた方々には、ぜひ本書に目を通してほしい。私は、本書の内容にとても共感して納得することができたので、多くの人々も共通了解できるものだと確信している。

 

 まず、<序章 「本当の自分」とは何か>において、著者は自らの体験を踏まえて、「本当の自分」という観念は、無意識の欲望・不安として確信されたものが、自己意識に転化して生み出されたものだから、「本当の自分」の本質を解明するためには「無意識」の概念に焦点を当て、そこから掘り起こしてみる必要があると言っている。そして、その考察を進める中で、「無意識」への学問的関心が近代における理性主義への反動から生まれたこと、「無意識」に一般の人々が関心を抱くようになったのは近代に至って「自由」を手にしたこと、「無意識」の正しい解釈は確定できないことなどを明らかにしていく。その結果、私たちが問うべきは「無意識を了解すること」の本質ではないかという考えに至り、その本質を解明するために現象学の「本質観取」という独自の方法を使って「本当の自分」を求めてしまう根拠を明らかにしたいと表明している。

 

 次に、<2章 無意識の現象学>において、著者は実際に現象学の「本質観取」によって、「無意識」が日常の中でどのような意味を持つのかを具体的な手順を示しながら解明していく。その過程で、「無意識」とは自己了解であり、事後的に想定された自己像であるという認識に至る。さらに、「無意識」の存在確信につながる自己了解は、「身体現象」「他者関係」「承認欲望」といった三つの要因によって生じているという結論を得る。このことから、これら三つの要因は、「これこそ本当の自分だ」という確信を生み出す要因でもあることが分かったと明快に示している。

 

 以下、著者は「身体現象」「他者関係」「承認欲望」の考察を順次進めていき、「本当の自分」の本質に迫っていく。ここでその内容を追っていく作業を継続することは、今の私の時間的制約や体力的限界を考えると難しいので、とりあえず章立てだけを紹介すると、<2章 欲望と当為の自己了解><3章 相互幻想的自己了解><4章 他者の承認から自己承認へ>となる。これらのタイトルだけを見ても、どのような考察内容なのだろうかと知的好奇心が起きてくるのではないだろうか。ぜひ本書を手にして、自分の目と頭でその知的好奇心を満足させてほしい。

 

 最後に、本書の最終章<5章 自由と承認を求めて>の内容に少し触れておきたい。著者は、4章までの考察から、「本当の自分」を実感するような状況には二つあることが明らかになったと言う。一つは、親和的他者による愛情的承認が得られた場合であり、これは恋人や親友、家族等にありのままの自分を肯定された時に生じる「本当の自分」の実感。もう一つは、一般的他者の視点によって自分の行為の価値を自己承認できた場合に生じる「本当の自分」の実感である。そして、この二つの「本当の自分」は、「自由への欲望」と「承認への欲望」が深くかかわっている。言い換えれば、「本当の自分」は「自由」と「承認」という二つの本質契機を有しているのである。ここで重要なことは、「本当の自分」が最初からどこかにあるわけではなく、恋人や親友等に出会った結果として、あるいは自己価値を求めて努力した結果として、「本当の自分」の実感は生じてくるのである。「本当の自分」を探し求める人たちは、目的と結果を取り違えてしまっているのである。

 

 また、著者は次のようにも言っている。もし「本当の自分」を感じられない自己不全感から自分で抜け出そうと思うなら、親和的他者にばかり期待するのではなく、自分なりに価値があると思える行為に向かって歩み出さなければならない。「ありのままの自分」の価値を他者に承認してもらおうとするよりも、他者に承認してもらえるような努力をして、そこに自分の価値を見出す必要があるのだ。一般的な他者の視点から自分の行為の価値を熟考し、自分の行為が価値あるものだと自己承認できれば、自ら進んでその行為とその成果に向かって邁進できるだろう。そこに、自分の行為を自分で決めているという「自由」の感覚、自分の行為が一般的他者に「承認」されているという感覚が生じ、「本当の自分」の実感が得られるのである。

 

 私は、上述したような著者の文章の意味を20歳頃の山上容疑者が知り、自らのこれからの生き方について深く考え、その時の荒廃した気持ちを「本当の自分」を実感できるような方法へ切り替えていたら、今回の事件を起こすことはなかったのではないかと思う。彼の優秀な頭脳を、自分の行為が価値あるものだと自己承認できる方向へ向けて活かしていたら…と思うと、私は残念で仕方ない。安倍元首相のご冥福を心よりお祈りしつつ、今回の記事はここらで筆を擱きたい。

「分人」って、何のこと?~平野啓一郎著『わたしとは何か―「個人」から「分人」へ―』から学ぶ~

 例年よりもかなり早く6月末には梅雨が明け、厳しい暑さが連日続く中で7月に入った。私が当市の教育委員会特別支援教育・指導員として働き始めて、丸1年が過ぎた。現在、午前中は、派遣相談申請のあった学校へ出向き、何らかの「困り感」のある子どもの授業中や休憩時間等における様子や行動を観察したり、学級担任や特別支援教育コーディネーターの先生方から当該児に関する情報を収集したりして、それらの内容をなるべく詳細にメモに取って帰る。帰庁後は、そのメモを基にして当該児の受理簿(教育相談記録簿のようなもの)に必要な事項をパソコン入力する。午後になると、今度は既に行動観察等をしてきた子どもが在籍する学校へ出向き、16時頃から約1~2時間、先生や保護者との教育相談の場に臨み、帰庁するのは定時退庁の時刻を過ぎることが多い。このように体力的には結構ハードな毎日を過ごしている元教員の私だが、「やはり教育現場と直接的に関わる公共性の高い仕事は、私には合っているなあ。」と充実感をしみじみと味わっている。この仕事に挑戦してみて、よかった!!

 

 さて、そんな日々を送る中、私は暇を見出しては趣味の読書も細々と続けている。つい先日も、昼休みの時間を利用して市立中央図書館に出掛け、気になった本を数冊借りた。今回は、その中の1冊、『わたしとは何か―「個人」から「分人」へ―』(平野啓一郎著)を取り上げようと思う。本書の著者、平野氏については、番組名は失念してしまったがテレビで彼がインタビューを受けていた様子を視聴した時、小説家としての思想のようなものに惹かれてしまった。それで、図書館の書棚に並んでいた本書につい手が伸びてしまったという訳である。

 前回の記事(2022.6.23付)で、中国から輸入された「愛」という言葉に因んだ内容について綴ったが、本書で取り上げられている「個人」という言葉は明治になって西洋から輸入されたと述べられている。つまり、「個人」とは英語のindividualの翻訳なのである。individualは、in+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdividualに、否定の接頭詞inがついた単語である。この語の語源は、「(もうこれ以上)分けられない」という意味であり、したがって「個人」とは「分けられない」存在であるということを意味している。私が地元の国立大学教育学部附属小学校に赴任した当時、今から約40年前に20歳も年上の先輩から、以上のような説明を聞き、教育学者の上田薫氏が使っていた「個的全体性」という用語についても教えてもらった。また「知・情・意」という内面が分かち難く一体化している「個」、さらに「心(精神)・体(肉体)」が一如として存在する「個」という意味についても教えてもらい、「個人」という言葉の教育的な価値を認識したのである。

 

 私は子どもを「個」として尊重し、「個」として関わっていくことの大切さを知った。当時、「個」を断片化してはならないと常に意識しながら、教育活動を展開していた。しかし、その後、現代思想の洗礼を浴びて、人間に対する認識における「実体主義」から「関係主義」への転換に伴って、「個」も環境や他者との関係性によってとらえていく視座を得た。また、相対主義的思考による「本当の自分」というとらえ方にも懐疑するようになり、「個」や「自分」の多様性や複雑性に着目するようになったのを記憶している。

 

 本書では、このような問題、言い換えれば分けられないという意味の「個人」に関する問題を考えるために、「分人(dividual)」という新しい造語の単位を導入しようと提案している。もう少し説明すれば、「分人」とは、対人関係ごとの様々な自分のことであり、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されていくパターンとしての人格のことである。たった一つの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」なのである。「分人」とは、そのようなとらえ方から生まれたものである。

 

 著者は、「分人」という意味をより分かりやすくすると、「個人」を整数の1とするなら、「分人」は分数だとイメージしてほしいと言っている。また、私という人間は、対人関係ごとにいくつかの「分人」によって構成されており、その人の個性というのは、その複数の「分人」の構成比率によって決定される。さらに、「分人」の構成比率が変われば、当然、個性も変わる。そもそも個性とは、決して唯一普遍のものではなく、他者の存在なしには決して生じないものであるとも言っている。

 

 私は著者の「分人」というとらえ方は、メディアが発達し、人間関係がますます複雑化する現代において、多くの人がアイデンティティに思い悩み、自分はこれからどう生きていくべきかを問わざるを得ない現状を踏まえると、大変に有効なものではないかと思った。本書の中には著者の様々な小説のテーマが、この「分人」というとらえ方から設定していることに触れていて、とても興味のある切り口になっていると感じた。私は平野氏の小説を読んでみたくなった。そう言えば、私の幾つかの小さな本箱の中の一つに『マチネの終わりに』という文庫本が積読状態で、私に読まれるのをじっと待っている。寝床の次の友は、この本にしようかな…。