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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「考える」って、どうすることなの?どのようにすればできるの?~安野光雅著『かんがえる子ども』と野矢茂樹編著『子どもの難問~哲学者の先生、教えてください!』を読んで~

 今の職場の隣に、半年間勤務して約2年前に退職した職場である当市の男女共同参画推進センターがあり、その2階に図書コーナーが設置されている。主には男女共同参画推進に関する本を所蔵しているが、小説やエッセー、子育て本等も少しは並んでいるので、勤務していた時には昼休みの時間を利用して数冊の本を借りることもあった。その懐かしい図書コーナーに、今月13日(金)の昼休みに久し振りに足を運んでみた。

 

 しばらく何気なく見回っていると、子育て本の書棚の中に面白そうな本を見つけた。一冊は、私の好きな絵本作家の安野光雅氏のエッセー『かんがえる子ども』。もう一冊は、当ブログの前々回の記事で取り上げた『難しい本を読むためには』(山口尚著)の中でも紹介されていた『子どもの難問~哲学者の先生、教えてください!』。私はそれらの本を脇に抱えて、階下にある図書貸し出しの受付窓口に持って行き、2週間借りることにした。そして、やっと昨日までに読了し、本日27日(金)に返却した。

 そこで今回は、まだ記憶が新しいうちにそれらの本の読後所感をまとめておこうと思う。

 

 安野氏は『かんがえる子ども』の「あとがき」で、当時の皇太子の家庭教師として招聘されたエリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人の言葉を引用し、誰が言ったにしろ聞いたことや新聞を読んで知ったことを全部信じ込まないように、自分自身で真実を見出すことの大切さについて述べている。そして、「自分で考える」ということを、多くの人に「考えてほしい」と強調している。私もその通りだと思う。現在は、怪しげな情報でもSNSですぐに拡散されて、その真偽について自分で考えたり確かめたりしないままについ信じてしまうことがある。常に「自分で考える」ことを怠らないことが大切である。

 

 でも、そもそも「自分で考える」というのは、どうすることなのだろうか。また、どのようにしたらできるのであろうか。私はついつい考え込んでしまった。そうこうしながら、『子どもの難問』を読んでいたら、何とこれらの問いに答えるためのヒントになる箇所を見つけた。次に、『子どもの難題』について簡単に紹介してみよう。

 

 本書は、あたかも子どもが哲学者に向けて難問を発しているような体裁をとっているが、実際は編著者である野矢氏が最も無防備で粗野な子どもの立場に立って、哲学の根本的な問題を著名な哲学者たちに発したものである。その本音は、子どもの口を借りて大人の哲学者を困らせてやろうという多少意地悪に気持であったそうである。ところが、その目算は見事にはずれたという。

 

 執筆した哲学者たちは、剥き出しのまる裸で突き付けられた難題に対して誰ひとり逃げたりごまかしたりしないで、それに応じるのを楽しんでいるようだったのである。それだけでなく、子どもたちに語り掛ける口調でありながら、決して水準を下げずに核心を素手でつかんで取り出して見せているのである。私も本書を読み通して、野矢氏の指摘していることに納得した。各問いに対して回答した哲学者たちの文章を読みながら、私もいつの間にか「一緒に考えていた」のである。その中の一つに、「考えるってどうすればいいの?」いう問いに対して回答した柏端達也氏と野矢氏の文章があり、これはまさに先の私の問いへの答えに対するヒントになったので、私の独断的な大胆さを発揮してそれぞれの文章を要約してみよう。

 

 「ちゃんと考えることは意外と難しい」と題する柏端氏の文章では、身体の妙な向きとか先入観とか自分に都合のよい思い込みとかによって考えが左右されることがあるので、満足いくようにちゃんと考えるのは難しいから、自分の考えがほかならぬ自分のせいで予想外の方向へ歪められる可能性を秘めていることは常に考慮しておくとよいと主張している。

 

 また、「考えるとは、見ることを作り、変えていくこと」と題する野矢氏の文章では、どんなものも他の何かと関係し合っており、その関係を私たちは考えているのだから、考えることが見ることを成り立たせ、さらに見ることを変えていくと言えるのであると主張している。

 

 以上のことから、柏端氏の文章は先の私の問いの「自分で考えるとはどのようにしたらできるのか」に対するヒント、野矢氏の文章はもう一つの私の問いの「自分で考えるとはどうすることなのか」に対するヒントになっていると思う。私は、安野氏のいう「自分で考える」ことの意義を大いに認めながら、柏端氏や野矢氏の主張を踏まえた時に、「自分」とは他者や環境等の関係性の中に生きているのだから、「他者や環境と共に考える」ということの意義も大きいのではないかと考えた。読者の皆さんは、「どう考えますか?」

久し振りに「シャーデンフロイデ」を投影する池井戸作品の痛快さを味わった!~池井戸潤著『半沢直樹~アルルカンと道化師』を読んで~

 以前に、『「恨み」という感情をコントロールするには?…』(2020.4.12付)という記事の中で、「正しい恨みの晴らし方」の一つに「シャーデンフロイデ」(他人の失敗や不幸を嬉しいと思う感情を表わすドイツ語)を活用する方法があると綴った。その際は、自分に沸き起こってきた「恨み」を晴らす方法としては誤魔化しだと否定的にとらえていたが、この感情を小説やドラマなどの創作エンターテイメントに投影していることに対しては、内心ではどちらかといえば肯定的な受け止め方をしていた。

 

 私は基本的に因果応報を信じており、悪いことをした人はその報いを受けるべきだと考えている。だから、「忠臣蔵」や「水戸黄門」、「大岡越前」等のような時代劇は好きだし、特に2013年に大ヒットしたTBSテレビの日曜劇場『半沢直樹』にハマったのは当然のことであった。父親を自殺に追い込んだ相手への「恨み」を原動力にして、一銀行員の半沢が理不尽のまかり通る腐敗した組織に風穴を開ける単純明快さに、私は「シャーデンフロイデ」を感じて日々のストレスを解消することができていた。主人公の銀行員を演じた堺雅人と、その直属の上司で憎き敵役を演じた香川照之との激闘場面を想起すると、今でも溜飲を下げる思いが蘇ってくる。

 

 元々、私は今から20年ほど前から池井戸潤氏の大ファンであった。最初に池井戸作品を読んだのは、第4回江戸川乱歩賞受賞作の『果つる底なき』であった。この作品も銀行の腐敗を内部から描いた現代ミステリーであり、男の誇りを最後まで捨てない主人公の銀行員の生き様に私は魅了されたのである。それ以来、ほとんどの作品を読んできて、2011年に『下町ロケット』で第145回直木賞を受賞した時には、自分のことのように嬉しく思ったものである。また、『果つる底なき』『半沢直樹』『下町ロケット』だけでなく、テレビドラマ化された『空飛ぶタイヤ』『鉄の骨』『ルーズベルト・ゲーム』『花咲舞が黙っていない』『陸王』『ノーサイド・ゲーム』等を視聴することができたことも嬉しかった。

 

 そんな私が最近、本当に久し振りに池井戸作品を読んだ。それは、『半沢直樹アルルカンと道化師』である。はなまるうどんで昼食を取った帰りに市立中央図書館へ立ち寄った時、たまたま本棚に並んでいた本書を見つけて借り出したのである。そして、いつもの如く就寝前後の読書タイムに読み継ぎ、つい先日読了したのである。

 

    そこで今回は、その私の気分を少しでも伝えたくて、ネタバレにならない程度の本作品のあらすじと読後所感をなるべく簡潔に綴ってみたい。

 本作品の舞台は、シリーズ第1作目の『オレたちバブル入行期』以前の時期に遡った、東京中央銀行大阪西支店である。そこで融資課長を務める半沢直樹に、ある美術系出版社のM&A(会社買収案件)が持ち込まれる。ターゲットになっている仙波工藝社は出版不況に苦しめられてはいるが、会社の売却に至るほど経営はひっ迫していない。また買い手は半沢にも知らされておらず、不自然に良い買収条件も相まって、半沢は大阪営業本部からの指示を受けて浅野支店長がごり押ししてくる今回のM&A事案に疑念を抱く。

 

 半沢が仙波工藝社社長の仙波友之と協力してこのM&Aの裏を探るうちに、『アルルカンとピエロ』というモチーフを描き一世を風靡した天才画家「仁科譲」の作品が深く関わっていることが明らかになっていく。半沢は、『アルルカンとピエロ』の誕生の謎を解き明かし、大手IT企業のジャッカルが今回のM&Aを仕掛けてきた理由を探る中で、半沢の宿敵である大阪営業本部・業務統括部長の宝田信介の裏に隠された思惑に気付いていく。果たして宿敵との対決を経て、M&A事案はどのような顛末を迎えるのか…。

 

 ついつい筆が滑って、ネタバレ寸前のあらすじになってしまった。本作品は現代アートのポップなタッチが世界的に高い評価を受けた絵画『アルルカンとピエロ』が誕生した秘密を探るミステリー仕立てになっているので、それが経済界の金融事情に絡んだ銀行内部の腐敗を暴き出す「勧善懲悪」の展開という本筋への絶妙な味付けになっていて、物語の面白さを倍増しているのである。「今までの半沢直樹シリーズとは一味違う味わいを賞味させてもらったなあ。」と、読後に私が呟いた所以である。

 

 それにしても、半沢の人生観が「基本は性善説」だったとは…。でも、性善説であるからこそ、それを裏切るようなあくどい行為、特にバンカーとしての使命感を逆なでする銀行や顧客への背信行為に対して絶対に許せないという気持ちが強いのであろう。「やられたら、倍返しだ」という半沢の行動原理は、著者自身の人生観に基づいた「勧善懲悪」の世界を支える「シャーデンフロイデ」を投影することになるので、池井戸作品は読後に大きな爽快感や痛快感を味わわせてくれるのである。本作品もそうであったように…。

上質の歴史小説は面白いなあ!~葉室麟著『実朝の首』を読んで~

 今月8日(日)、松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」の初回放送を視聴した。今までの徳川家康像とはかなり異なるイメージだったからか、ちょっと拍子抜けした感じだった。また、テーマ曲も題字も、豊かな感性に乏しい私には少し違和感があった。多くの視聴者は、どんな感想を持たれただろうか。因みに平均世帯視聴率は、15.4%(関東地区、速報値/ビデオリサーチによる)だった。前作の小栗旬主演「鎌倉殿の13人」の初回が17.3%だったらしいから、1.9ポイントのダウン。この10年間でも、2018年の鈴木亮平主演「西郷(せご)どん」と同率の最下位になっている。今後、「どうする家康」をどれだけの国民が視聴するか注目していきたいと思う。・・・「どうする視聴者!」

 

 ところで、「鎌倉殿の13人」の脚本家が三谷幸喜氏だったこともあり、私は前作をずっと視聴し続けた一人であるが、物語終盤の展開では幾つかの史実に関する三谷氏の解釈の面白さを味わうことができた。例えば、最終回において伊賀の方によって毒を盛られた北条義時が解毒薬を求めている場面で、北条政子がそれを飲まさずに見殺しにしてしまったこと。我が子である頼家や実朝が殺された背景にある義時の関与を知るに至った政子の複雑な心境を踏まえたこの意外な顛末は、三谷氏の独自な解釈に基づいたものなのではないだろうか。私は、鎌倉幕府の屋台骨を背負ってきた北条氏の肉親間の愛憎織りなす葛藤が表わされていたと思い、意外ではあったが納得できる結末だと思った。

 

 それに対して、私が三谷氏にもう少し深く取り上げてほしかった事柄がある。それは、鶴岡八幡宮鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が、甥の公暁によって暗殺された後の顛末、つまり「実朝の首」は誰に持ちされたのかということ。歴史ファンなら周知の事実だと言われている、この謎についての三谷氏独自の解釈による脚本を見たかった。私は、年末年始の時期を過ごしながら、少しモヤモヤした気分を持ち続けていた。そして、今回の「どうする家康」の初回放送を視聴した後に、思い出したのである。確か直木賞作家の葉室麟氏が著した歴史小説の中に、この事柄を取り上げた作品があったような気がする。私は早速、書店に出掛けて探してみると、あった、あった!そのタイトルもそのままの『実朝の首』だった。私はすぐに購入し、例の如く就寝前後の時間を活用した読書の対象にして、つい先日読了した。

 面白かった!この作品も、三谷氏とは異なる葉室氏独自の解釈に基づいた「実朝の首」の行方をテーマにした歴史的エンターテイメントになっていた。しかし、それは単に娯楽的な楽しみだけを追究しているのではなく、豪族の三浦義村や幕府執権の北条義時を実朝暗殺の黒幕ととらえる歴史学の定説を踏まえながらも、今までにない歴史ドラマを描いているのである。私は、歴史上の人物の相関図をきちんと把握することや、歴史的な官職名や人物名等に馴染むことなどが苦手なので、どちらかというと歴史小説は避けがちであった。そんな私でも、本作品を読み進めるうちに物語の展開にぐいぐい引き込まれてしまったのである。

 

 本作品においては、「実朝の首」を持ち逃げしたのは、三浦義村の一族で公暁の乳母子に当たり、それまで公暁に仕えていた15・6歳の美少年の弥源太。ではなぜ弥源太なのか。その理由の一つは、とある事情で公暁と義村に恨みを抱いていたことである。その詳しい事情は本書に委ねたいが、「実朝の首」を弥源太が持ち逃げした後の展開が大変面白い。まず、隠していた首が、武常晴という武士に取られたのである。そして、常晴に連れて行かれた波多野忠綱の廃れ屋敷で、先の和田合戦では和田方として大暴れした朝夷名三郎と出会う。さらに、謀反人として幕府に討たれた和田義盛の嫡孫・和田朝盛たちも加わり、「実朝の首」を幕府や朝廷から死守しようとして・・・。

 

 「実朝の首」を巡って、上述したような和田一族の残党、北条政子や義時を中心とする鎌倉幕府、そして後鳥羽上皇を中心とする京の朝廷という三勢力の駆け引きと戦いが繰り広げられるストーリーは、本当にワクワク感をもって読み進めることができた。その背景には、著者が権力者の恣意による正史と、名もなき民衆の願望による稗史のどちらにも目配りし、きちんと考察した上で自分なりの歴史を構築して本作品を創作しているので、それが物語に重厚さと説得力を加えているのである。だから、なおのこと面白さが増すのである。

 

 私は中・高の社会科教員免許を取得しているが、卒業したのが商業高校の商業科だったために日本史を学習しておらず、大学でもあまり日本史の講座を取っていなかった。だから、日本史に対する深い理解が足りず、どちらかと言えば苦手な分野である。しかし、NHKの大河ドラマには興味があり、特に戦国時代や幕末の動乱期に活躍した歴史上の人物が主人公になった作品の時は今まで必ず視聴してきた。確かな史実に基づく歴史と、大河ドラマ歴史小説で描かれる創作に基づく歴史とが異なるのは当たり前だが、歴史を題材としている点では共通である。本作品のような上質な歴史小説を手掛かりにして、歴史学に対してもっと積極的にアプローチしてみたいなと考えている今日この頃である。

読解の秘訣としての「解釈学的循環」という概念について~山口尚著『難しい本を読むためには』から学ぶ~

 2023年元日。昼前に長女たち家族3人、昼過ぎに二女たち家族3人が、我が家へ年賀の挨拶に来てくれた。皆で華やかなお節料理を囲みながら、成長著しい孫たちの話を酒の肴にして愉快な時間を過ごした。食後は、娘たち夫婦と孫Hは任天堂スイッチ・スポーツのゴルフで盛り上がっていたので、私は孫Mを抱っこして近所の散歩を楽しんだ。つい2週間前にも二女とMがお泊りをしたので、Mはもうすっかり我が家や近所の様子には慣れたのかリラックスした表情に満ちていた。久し振りに賑やかな元日になり、私たち夫婦にとって爽やかな新年のスタートを切ることができた。

 

 さて、私の新年最初の読書対象は、昨年最後の出勤日になった12月26日に職場近くのデパートに入っている紀伊国屋書店で購入し、大晦日から読み始めた『難しい本を読むためには』(山口尚著)であった。正月2日には妻の実家へ年賀の挨拶に行ったので、やっと暇な時間が取れた3日に読了することができた。本書は、何かを学び始めようとしている若者に向けて<難解な本や論文をどう読み解けばよいのか>を説明している本だが、私のように文章の読み方を初歩から確認したい高齢者にも参考になる本であった。また、具体的に取り上げられているのが私の知っている哲学者たち(例えば、池田晶子、千葉雅也、永井均野矢茂樹國分功一郎、古田徹也の各氏)の文章だったので、最後まで興味・関心を持続しながら読むことができた本であった。

 そこで今回は、まずは本書の全体構成について概観した上で、本書で紹介している読書の仕方の中で私が特に重要だと思った「解釈学的循環」という概念についてまとめてみようと考えている。

 

 まず、本書では難しい本を読むことに関する必勝法ではなく、文章の本意を明らかにすることへ向けて着実に一歩ずつ進むような「正攻法」を、次のような全体構成の中で語っている。

〇 第一章~第三章は「原理編」で、難解な文章を読み解く方法の原理を提示している。

〇 第四章~第七章は「方法編」で、実際の読書において頼ることのできるテクニックを紹介している。

〇 第八章~第九章は「実践編」で、具体的な読書会のやり方を説明している。

 

 次に、本書を読み通して、難解な本や論文を読み解く上で私が特に重要だと思った「解釈学的循環」という概念について。この考えは、「原理編」の中でも第三章の中で詳しく紹介されているので、その部分をなるべく簡潔にまとめてみよう。

〇 「解釈学」とは、全体と部分との間の循環構造に着目しながら、文献や人間や歴史や社会を理解する仕方を考察する学問である。

〇 19世紀にベックやシュライエルマッハ―らが文献の読み方を研究対象として初めて体系化した「解釈学」を、20世紀初頭にディルタイがそれを押し広げて人間や社会や歴史の世界を研究対象とする「解釈学」へ発展させた。

〇 「解釈学的循環」という概念は、人間や社会や歴史を理解しようとする際の<全体と部分の間の循環>を意味している。つまり、部分の意味を決定するには全体の意味のつながりを想定しないといけないが、全体の意味のつながりをつかむには部分の意味を抑えておく必要があり、この堂々巡りのことを指している。

〇 読書の文脈で使う「解釈学的循環」という意味は、「全体の言いたいことは何か」と「各部分の役割は何か」とを同時並行的に行ったり来たりしながら考え、一歩ずつ読み進めていくことを意味している。

 

 本書の第一章と第二章では、難しい本を読む方法のふたつの側面が説明されている。第一章では、文章の理解のためには、文章全体の主張を表現している「キーセンテンス」を見つける必要があること。第二章では、「キーセンテンス」を探し出すためには、文章を眺め渡した上で、文章全体の主張を捉える必要があること。そして第三章では、それらのふたつの側面を「堂々巡り」「グルグル回り」することが、文章読解の秘訣の一部であることを指摘して、先の「解釈学的循環」という概念についての説明をしているのである。

 

 私は、この<いったんキーセンテンスらしい箇所を抑えた上で、文章全体を読み返し、キーセンテンスを捉え直す>という往復運動のような読書の仕方を、今までに無意識に行ってきていたと思う。ところが、本書で改めて「解釈学的循環」という概念を使って説明されていたことで、難しい本や論文を読解する方法としてしっかりと意識化することができた。今年は、今まで文章の難解さのために挫折していた哲学関係の積読本に再チャレンジしてみようと考えている。…これを年頭に当たっての私の抱負としたい!

気骨ある“精神の革命児”逝く!~渡辺京二著『さらば、政治よ 旅の仲間へ』読んで~

 今年のクリスマスの日、日本近代史家で評論家の渡辺京二氏が熊本市の自宅で老衰のために92歳で亡くなったことが報じられた。渡辺氏のことについては、幕末・明治期に訪日した外国人たちの滞在記を題材として、江戸時代を明治維新によって滅亡した一つのユニークな文明として甦らせた『逝きし世の面影』の著者として知っていた程度であったが、私はこの訃報に触れてある種の喪失感のようなものを抱いた。その理由はよく分からないが、もっと渡辺氏の生きざまについて知っておくべきだったという悔恨があったからではないか。しかし、私は今までに一度も渡辺氏の著書群に目を通すことはしていなかった。私は弔意を表するつもりで、手元の本箱の中に眠っていた彼の著書『さらば、政治よ 旅の仲間へ』のページを捲ってみた。そして、クリスマスの日以降、年末の小掃除をはじめ新年を迎える諸々の準備に追われる中で暇を見つけて読み継ぎ、何とか本日の午前中に読了した。

 本書は、渡辺氏が85歳頃に、スタジオジブリの雑誌『熱風』と『文藝春秋スペシャル』に掲載されたインタビュー記事や、『西日本新聞』と『エコノミスト』に連載された時論や書評、それらに加えて60歳頃に行ったカール・ポランニーという思想家に関する講義録等で構成された評論集である。私は、他のものとは時期的にずっと遅い「ポランニーをどう読むか-共同主義の人類史的根拠」という講義録を所収したのか最初少し疑問だったが、本書全体を読み終えて本書の論旨には繋がっていると納得することができた。

 

    では、本書全体を貫いている論旨とは、何なのか。第1章の時論の最初に位置付けている書き下ろし「さらば、政治よ-旅の仲間へ」の中にあると、私は思っている。それは、次の部分である。

・・・まだが私はそれよりも、政府や自治体に頼らぬ、いわば民間の共生の工夫をこらしたい。その工夫に政治はいらぬ。必要なのは自分の精神革命である。つねに淀もうとし、自足しようとし、眠りこもうとする精神の覚醒である。永久革命とはおのれを他者に捧げるという、永久に達成できぬ境地への憧れのことだ。喪われた生甲斐を回復しようとする、生の無意味と戦おうとする、永久の試行のことだ。・・・

 

 この中の「自分の精神革命」こそが、著者の旅とも言える生涯の目的であったのであろう。そして、そのような旅の仲間へ語り掛けたのが、「さらば、政治よ-旅の仲間へ」という時論であったからこそ、本書のタイトルも同様にしたのであろう。私は本書を読みながら、何度も「渡辺氏は本当に気骨のある“精神の革命児”だったのだなあ。」と感銘の声を発してしまった。

 

 また、本書の第3章「読書日記」の中に、『苦海浄土 わが水俣病』の著者である石牟礼道子氏が20歳の時に初めて書いた小説を含めた詩文集『不知火おとめ』と、渡辺氏が石牟礼論の最高峰と称している白井隆一郎著『「苦海浄土」論-同態復讐法の彼方』を取り上げていることに対して、私は渡辺氏と石牟礼氏との関係性が気になったので調べてみた。

 

    すると、何と渡辺氏は石牟礼氏の編集者として半世紀以上、彼女の仕事を手伝ってきたという。特に彼女がパーキンソン病を発病してからの約15年間は、食事を作るためにほぼ毎日、彼女のもとに通ったらしい。これは単なる作家と編集者という関係性ではなく、精神革命を目指す仲間、いや「同志」という関係性だったのではないのだろうか。私は俄然、渡辺氏や石牟礼氏の著書を読み、お二人の生きざまの本質や作品の奥義等について追究してみたい意欲が沸いてきた。来年も公私共に多忙な日々が続くと思うが、自分なりの課題意識を醸成しながら読書による学びを積み重ねていきたい。合掌。

 

追伸;本記事が本年最後の記事になると思います。拙い文章にも拘らず、本年も当ブログを閲覧していただいた読者の皆様方、本当にありがとうございました。記事の投稿ペースが年々、遅くなってしまい情けない限りですが、あまり無理をしない範囲でカメの如く歩み続けていく所存ですので、これからもご愛読くだされば幸いです。では、皆様方にとって来年も幸多き年になりますように心からお祈りをしつつ、筆を擱きます。よいお年をお迎えください。

二人の孫の成長を実感したクリスマス会~孫たちの現況報告を兼ねて~

 世間でいう「クリスマス」は今日だが、我が家の「クリスマス会」は先週の土曜日にもう済ませた。久し振りに長女と二女がそれぞれの長男(私たち夫婦にとっては孫たち)を伴って来訪してくれたので、家族そろって妻の誕生日(12月29日)の前祝いを兼ねて行ったのである。妻が丹精を込めて作った料理と、クリスマスとバースデイを祝うケーキなどが並んだ我が家の食卓は、普段とは違って華やかな雰囲気に満ちていて、二人の孫たちも会の始まりを今か今かと待ち望んでいる様子だった。特にHは、妻が味付けたローストチキンにかぶりつきたくて我慢ができないようで、何度も食べる素振りを見せていた。それに対してMは、食卓に並んだ料理を不思議なものを見るように見ていたのが印象的であった。

 「きよしこの夜」や「ジングルベル」などの曲をBGMとして小さな音で流しながら、「ハッピーバースディ、トゥーユー」を皆で歌った後、ばあばと孫たちでケーキのロウソクの灯を吹き消して、会は始まった。待ちかねていたHは、早速ローストチキンにかぶりついていた。ばあばに食べさせてもらったMは、始めこそ慎重に食べていたが、鶏肉の美味しさが分かってからは、自分で鶏の足を掴もうとする仕種をするぐらい食べる意欲を示した。やはり幼児にとっても鶏肉の味は格別なんだなあと感心しながら、私も負けじと大きな口でかぶりついた。

 

 二人の孫たちはポテトサラダや手巻きずし、フルーツなども美味しそうに食べて、ほとんどを平らげてしまった。世間では子どもの食の細さを心配する親が少なからずいると聞くが、有難いことに二人とも生まれた時から食欲が旺盛だ。食に関する心配は、早食いぐらいである。これは私たちの遺伝子を引き継いでいるのかもしれない。早食いして喉に詰まらせないように、しっかり咀嚼してから食べさせることを娘たちに改めて諭すことで、つい自責の念を晴らそうとしてしまっている私たちであった。でも、自分たちの血が繋がっている孫たちがいることは、本当に嬉しく幸せな気持ちを抱くものである。私たちじじばばは、孫たちの食べる姿に目を細めてしまっていた。

 

 それにしても、子どもの成長は早いものである。Hはもう5歳10か月になり、来年度はいよいよ小学校1年生になる。3歳頃までは有意味言語を発するのが遅く、発達の遅れを心配していたが、私たちが工夫した環境の設定や様々な関わり方等をしてきたことが功を奏してか、4歳頃からは身体的にも精神的にも著しく成長・発達していき、今では同年齢の子たち以上の能力を発揮している。

 

 先日も早めのクリスマスプレゼントとして自転車を買ってやり、その日から自分で乗る練習をさせた。サドルの高さを両足のかかとが地面に着くぐらいにし、ブレーキの握り方をしっかりと教えて安心感を与えた上で、私が後ろの荷台の所を持ってやった。また、「ペダルの最初の踏み込みを力強くすることと、頭を上げて前をしっかりと向くこと」の2つのアドバイスを何度も声掛けしてやった。すると、2日間にわたってではあるが、合わせて1時間半ほどで自分で乗れるようになった。スゴイ!私は内心で「これは3歳半頃からストライダーで遊ばせてやった成果が出たな。」と満足げに呟いていた。

 

 また、Hは4歳頃からポケモンにハマっているので、最近「ポケモンかるた」を買ってやった。すると、我が家に遊びに来た時にたまにしようと言うので一緒にすると、自分から「読み札を読みたい。」と言い出した。カタカナや結構難しい言い回しの言葉が入っている長い文章だが、詰まり詰まりになりながらも読むことができるようになっている。先日は「目にも止まらぬ速さ」という言葉が特に気に入ったらしく、何度も絵札を素早く取る動作に合わせながら発していた。「言葉の学習というのは、こうやって遊びながら、自然に新しい言葉を覚え、使えるようになるのがいいなあ。」と、つい私はほくそ笑んでしまった。小学生になるHの今後の発達や成長も自然なサポートをしていきたいと考えている。

 

 1歳10か月になったMは、満1歳頃には歩き始め、1歳半頃にはしゃべり始めたので、心身の発達は順調だと思う。Mたちは車で約1時間半の距離の所に住んでいるので、気が向いた時にすぐ会うことはできない。その分、二女がフォトサービスを提供する「みてね」というアプリで、Mの日々の成長する画像や動画をよく発信してくれているので、それを見ながらMの様子を即時的に知ることができている。だから、たまに我が家へ来た時も、その成長ぶりに驚嘆することはないが、そうは言っても実際に目の当たりにするとやはり実感的な嬉しさが沸いてくる。

 

 久し振りに会ったMは、車のチャイルドシートから私たちを見て「じいじ。ばあば。」とはっきりと呼んでくれた。また、一緒にミニカーや機関車トーマスのおもちゃなどで遊ぶだけでなく、時にアンパンマンの絵本を読んでくれとせがんでくる。私が絵本を読むと、その後を追うように「アンパンマンバイキンマンドキンちゃん、チーズ」などの単語をはっきりと復唱する。また、我が家の近くの周りの道路をMを抱っこして散歩している時にも、私が「バス、トラック、タクシー、バイク」などと指さして声に出すと、やはり復唱する。さらに、初めて知る難しい言葉でも、何となくその発音に似たような言葉を発する。その言葉に対する感受力には、驚くばかりである。

 

 Mは乳児の時から、両足をバタバタ動かすことが多く、私が両足の裏を押すようにすると、その反発力は赤ちゃんとは思えないほど強かった。だからか、歩き始めから力強い感じがした。我が家へ来てからも、ダイニングキッチンから玄関、そして洗面所へと続く回廊のようになっている廊下を走り回り、Hと追いかけっこを楽しむような遊びをしていた。また、2階へと続く階段を、四つん這いながら自力で上がっていってしまった。まだ我が家の2階和室に設置しているアンパンマン公園のジャングルジムには登れないが、Hのする様子を見て自分もしたそうな素振りを示していた。これからのMの心身の成長も楽しみである。

 

 今回は、ついつい孫自慢のような記事になってしまったが、読者の皆様には二人の孫たちの現況報告として読んでもらえば幸いである。では、また…。

何でも「歳をとる=老化」のせいにしてはならない!~平松類著『老化って言うな!』から学ぶ~

「歳をとると、眼も老化するからしかたないね。」

白内障の手術をすることにしたよ。」と妻が告げた後の私が言った言葉。

 

「歳をとると、首を痛めることがよくあるよ。」

「原因は分からないけど、首の左側が痛いのよ。」と妻がつぶやいた後の私が言った言葉。

 

 どちらの言葉も、白内障や原因の分からない首の痛みを「歳をとる=老化」の現象と考えての発言である。ところが、ところが…である。それらは、老化ではなく、「心身の正常な変化」であるという、目から鱗の本に出合った。『老化って言うな!』(平松類著)である。

 著者の平松氏は、現在、二本松眼科病院、三友堂病院に勤務する眼科専門医であり、今までに延べ10万人以上の高齢者を診察してきた経験を踏まえて著したのが本書である。眼科専門医でありながら、眼科以外の医療分野にも及ぶ豊富な知識を駆使して、年齢を重ねる中で「変化する自分」に対してちょっとした工夫やモノの見方を改めるコツを紹介している。私は今までに著者の『老人の取扱説明書』や『認知症の取扱説明書』を楽しく読んで役立ててきた経験があったので、書店で本書のタイトルを見た時、即座に購入することを決めた。

 

 そこで今回は、私が本書から学んだことの一部を紹介してみたい。まずは妻が患っている白内障についてまとめてみよう。著者は、目の中のレンズ(水晶体)が濁るという白内障は50歳を過ぎると半分の人がなっていて、誰でも少なからず症状は出ると言っている。つまり、高齢になって白内障になるわけではないのである。もし視界の「暗さ」が気になるのであれば、どの年齢の人でも白内障の検査を受けた方がいいそうである。また、その症状を遅らせるには、紫外線を避けるのが一番なので、サングラスを掛けることを勧めている。かっこをつけるためにサングラスを掛けても、結果的にそれは目にはいいのだ!

 

 次に、原因不明の首の痛みについて。著者は、首を支えている僧帽筋と胸鎖乳突筋等の筋肉を使った運動やストレッチは、安易にするとかえって首を痛めてしまうこともあり、専門家による指導が不可欠だと言っている。だから、首を痛めたからといって「歳をとってしまったから」とか「歳をとって首の力が衰えたから」とか考えたり、「よし、今までさぼっいたけど、頑張って運動しなくっちゃ。」と一念発起したりするのはナンセンスだと諫めている。そう、焦ってはダメ。まず首を痛めた時はとりあえず安静にし、痛みが強い時は医療機関を受診して、治療やリハビリの方法を教えてもらうこと。

 

 でも、首を痛める主な原因は何なのだろうか。著者によると、一番の原因は「首の周辺にある筋肉や組織のこわばり」だそうである。もう少し詳しく言うと、こわばっているということは、血流が悪くなっていること。そこで急に筋肉を動かすと痛みが生じてしまう。朝起きた時に首の痛みを感じる「寝違え」も、原因は同じ。そういう時は、首を鍛えるのではなく、「首を温める!」ことを実践すること。起きている時は、首にストールやマフラーを巻く。夜は、基本的に暖かくして寝る。特に冬場は、快適な室温、軽くて暖かい布団で、首元が冷えないようにして、血流を改善するのがお勧めだそうである。

 

 本書から学んだことをまとめてみながら、これらのことは当たり前のことだと思った。今までにもどこかで見たり、聞いたりした内容のような気がする。なのに、なぜ私は白内障や原因不明の首の痛みを、「歳をとる=老化」のせいにしてしまっていたのだろうか。それは、高齢になってから体調を悪くした時に、その原因を「歳をとる=老化」のせいにしておくと、自分の不勉強や不摂生に目を向けなくていいからである。つまり、自分の普段の生活習慣や生活態度を改めなくて済むからである。今回、本書を読んで、今までに単に知識としては知っていたが実践していなかった様々なよい生活習慣や適切な生活態度を少しでも取り入れようと考えた。そして、何でも「歳をとる=老化」のせいにしてしまう老化現象から脱皮しようと思った。

「最後の活動期」と言われる70代をどう過ごすか?~和田秀樹著『70歳が老化の分かれ道―若さを持続する人、一気に衰える人の違い―』から学ぶ~

 前回は、久し振りに「健康・スポーツ」のカテゴリーの記事を投稿した。ここ数年は自分の第2の人生をどう過ごしたらいいか、新たに始めた特別支援教育指導員の仕事をどうしていけばいいか、また二人の孫とどう関わったらいいかなどについて考えることが多く、「人生・生き方」や「子育て・教育」のカテゴリーに関する記事の投稿が多くなっていた。その間、「健康・スポーツ」について関心がなくなった訳ではないが、コロナ禍でテニスコートの使用が制限されたために、還暦を過ぎてから始めた「硬式テニス」をする機会がなくなってしまったことも影響して、趣味としての「スポーツ」の実践から遠ざかってしまった。また、今年は「腰椎脊柱管狭窄症」による左脚の裏側と臀部の痛みやしびれが起きたり、新型コロナウイルスに感染して自宅療養をしたりして、「健康の保持」のために続けていた食後のウォーキングの中断を余儀なくされたことも影響してか、「健康・スポーツ」の話題を無意識に避けていたのかもしれない。

 

 前回の記事で、再開した食後のウォーキングに関する本を紹介しながら、改めて「健康の保持」や「加齢による心身の変化」について考えるようになった。そんな時に目にしたのが『70歳が老化の分かれ道―若さを持続する人、一気に衰える人の違い―』(和田秀樹著)だった。私は今年10月の誕生日で満68歳になり、いよいよ古希を目前にする年齢になってきた。しかし、まだ働く気力が旺盛で、「腰椎脊柱管狭窄症」が原因だと思われる左脚の裏側と臀部の痛みやしびれもあまり気にならないようになり、身体的にも健康である。だから、まだまだ老け込むのは早すぎる。最近は「さて、70代になったら、どのように生きようか。」と前向きに考えることもあり、本書のタイトルは否が応にも私の興味・関心を惹き付けたのである。

 いつものように就寝前後の時間を利用して、本書を少しずつ読み継いでいき、つい先日読了した。内容的には、今までに心掛けてきたことやテレビなどの健康番組で情報として提供されていたことなどが多かったが、「なるほど」と納得することもあった。今回は、それらの内容を紹介しつつ、私なりの「70代の生き方」のイメージを示してみようと思う。

 

 一つ目の内容は、70代というのは、意欲的に身体を動かしたり、頭を使ったりしないと、すぐに要介護になってしまうリスクがあるということである。特に「意欲の低下」こそが、老化で一番怖いとのこと。そして、この「意欲の低下」を防ぐには、日々の生活の中で①前頭葉の機能と、②男性ホルモンを活性化することがとても重要であることと強調されている。具体的に①に関しては、「引退」などということはことさら考えず、社会と関わったり社会に役立ったりする活動をすることや、「変化のある生活」をすること、「アウトプット型」の勉強スタイルを取ることなどが大切。②に関しては、幸せ物質と言われるセロトニンや男性ホルモンの原料になるコレステロールを増加させるために、「肉を食べる」「陽の光を浴びる」などの習慣を身に付けることが大切なのである。これらの「意欲の低下」を防ぐ具体的な対策は、今までにも私が実践してきたことであり、その結果も現れていると思っているので、今後も継続していくつもりである。

 

 二つ目の内容は、「運動機能の維持」や「身体の健康保持」について。70代になると、運動の負荷をかけすぎると身体を逆に弱らせてしまったり、激しい運動をすると身体を酸化させて老化を速めてしまうので、「散歩」(ウォーキング)や「太極拳」等のゆるい運動が最適であるということ。また、転倒のリスクを減らすために、自宅室内の動線に合わせて手すりを付けたり、服用している薬の見直しをしたりすることが大切であること。さらに、必要以上のダイエットはせずに、食べたい物を食べて免疫機能を高めることが大切なのである。これらの「運動機能の維持」や「身体の健康保持」の具体的な対策も、私たち夫婦は今までに実践してきており、その効果も現れていると思っているので、今後も実践していくつもりである。

 

 最後に今までにあまり意識して取り組んでいなかったことについて。それは、私は職場での健康診断は受けているが、心筋梗塞脳梗塞を予防するための「心臓ドック、脳ドック」は今まで受診してこなかったことである。70代になったら、定期的に受診するようにしようと思っている。それと、大病を患った時には、担当する臓器のスペシャリストである大学教授という肩書の医師をあまり信用しないで、自分なりに信頼できる統計データや実際の長寿者の知恵等の情報を収集したり、別の医師のセカンド・オピニオンを聞いたりするなどの努力を惜しまないようにしたい。また、話しやすく自分と相性の合う医師を選ぶということも大切なことなので、偉そうにしている医師、自分の治療を押しつけてくる医師、患者の話に耳を傾けない医師等と出会った場合は遠慮なく別の医師を選ぶようにしようと考えている。

 

 今後起きることが予想される、退職、肉親との死別、認知症の発病等の「70代の危機」を乗り越えるために、常に「心身の健康」に配慮しながらも決して無理なことをしたり、ある考え方にこだわり過ぎたりしないで、自分だけでなく周りの人々のために尽くす生き方をしていこうと、心の中でそっと決意している。

「心療整形外科」で腰痛を治す!~谷川浩隆著『腰痛は歩いて治す―からだを動かしたくなる整形外科―』から学ぶ~

 先日、5回目の新型コロナウイルスのオミクロン株対応2価ワクチンを接種した。幸い副反応はほとんど出なかったので、いつも通り食後のウォーキングを妻と共にした。そもそも私がウォーキングを始めたきっかけは、55歳の時に受けた人間ドックの結果、中性脂肪やLDL(悪玉)コレステロールが高値になったために、「脂質異常症」と診断されたこと。その予防のための運動療法の一つとして始めたのである。それ以来、2度の「虚血性腸炎」による短期入院や「腰椎椎間板ヘルニア」による約2月間の療養生活等による何度かの中断はあったが、その度に再開して今まで続けてきた。現在は週4日程度、夕食後に1時間弱のウォーキングと約5分間のストレッチを実践している。

 

 しかし、約1年前に左脚の裏側と臀部に痛みとしびれを強く感じたので、以前にお世話になった整形外科を受診したら、「腰椎脊柱管狭窄症が原因だろう。酷い痛みが出るのなら、手術をすることも考えて。」と言われた。その時は「もうウォーキングを続けることは無理かな。」と断念しかけたことがある。というのも、ウォーキングをしている最中にも痛みとしびれが起きて、歩くのが辛いことが何度も起きたからである。そこで、私は医師から処方されたタリージェ錠(神経障害性疼痛治療剤)を服用して様子を見ることにした。すると、痛みやしびれが少し軽減してきたものの歩くのが怖かったが、またウォーキングを再開した。では、なぜウォーキングを再開しようと思ったのか。それは、以前に観たテレビの健康番組で「腰痛は動いて治す方がよい」と聞いたからである。確かに、ウォーキング再開後、それまで残っていた痛みやしびれをあまり感じなくなった。

 

 ただし、当時はウォーキングをすると痛みが治るという理由をはっきりと理解しているわけではなかった。そんな私に、その理由を教えてくれる本と最近出合った。『腰痛は歩いて治す―からだを動かしたくなる整形外科―』(谷川浩隆著)である。そこで今回は、本書の帯にも書いている「ウォーキングを始めたら、なぜ痛みが消えたのか」について、私が本書から学んだことをなるべく簡潔に紹介しようと思う。

 2005年に我が国で初めて「心療整形外科」という用語を提唱した著者は、腰痛や肩スこり、関節痛の原因はからだにあるが、ストレスや不安といった「こころ」が密接に関係しているのだから、このような心理的なことを踏まえながら痛みを治していくことが必要だと言い続けてきた。そして、その成果の一つとして、日本整形外科学会と日本腰痛学会から発表された『腰痛診療ガイドライン』に「認知行動療法は腰痛の治療に有用である」(2012年)や「認知行動療法は腰痛の慢性化予防に有用である」(2019年)と記載されたことを、本書で紹介している。

 

 認知行動療法とは、精神科や心療内科で行われている代表的な「メンタルな治療法」の一つである。簡単に言えば、患者さんの考え方(=認知)を修正することによって生活(=行動)を改善する治療法のことなのである。それまでの整形外科と言えば、「まずは薬や注射で治療する。それでも治らなければ最終手段は手術!」という外科の世界だったが、『腰痛診療ガイドライン』に「認知行動療法が有用」と明記されたことは驚天動地のできことであり、まさに地殻変動的転換だったようである。

 

 では、この「心療整形外科」における認知行動療法という治療法と、「腰痛は動いて治す方がよい」や「ウォーキングを始めたら、なぜ痛みが消えたのか」の理由とは、どのように関連しているのだろうか。

 

 そもそも腰痛の原因はよく分からないことが多いらしい。例えば、私が過去に患った「腰椎椎間板ヘルニア」という病気は、椎間板が神経を圧迫して坐骨神経痛を惹き起こし、足に強い痛みやしびれが出てくる。痛みやしびれが酷い場合は、腰にメスを入れて神経を圧迫している椎間板を取り除くという外科的な治療をする。しかし、手術で悪いところをきちんと治しても、術前の痛みやしびれが残ってしまう患者さんがどうしてもある程度の割合であるらしい。(私は当時このことを医師から聞いたので、手術をしないで痛みを抑える消炎鎮痛剤を服用しながら、ヘルニアの自然消滅を待つという治療方針に従って腰痛を治した!その経緯を知りたい読者は、当ブログの2019年1月分の記事を参照してほしい。)また、典型的な椎間板ヘルニアによる痛みがあるのに、MRI(磁気共鳴画像)を撮ってみるとなぜかヘルニアが全く見つからない、どんな検査をしてみてもいっこうに原因がみつからないという患者さんがいるという。

 

 これらの患者さんの多くは、「この腰痛はきっと一生治らないんだ。」とか「年だから死ぬまで痛いんだ。」と諦めて身体運動をしなくなってしまうので、いつまでも痛みやしびれは残ってしまう。しかし、腰痛のような運動器痛は動かした方が治るのである。そのメカニズムは、組織の血行をよくして筋肉や骨・関節が劣化するのを防止することが考えられる。また、「動かして治す」治療をすると、患者さんが積極性をもつようになり、気持ちの切り替えができるようになる。つまり、心理面の効果が出てくるのである。からだ(身体)とこころ(心理)は車の両輪で、どちらが原因でどちらかが結果ということではなく、「からだの病気がこころに影響し、こころの不調がからだに影響する悪循環を起こす」ということなのである。だから、腰痛によってふさぎ込むのではなく、認知行動療法によって現状をまず受け入れ、「痛みがあっても何とかなる!」と考え方を変えて、「とにかく歩いてみる」ことが治療の第一歩になるのである。

 

 このように「こころ」にうまくアプローチしてウォーキングをし始めると、患者さんに自然治癒力が生じて腰痛が改善されていくのである。本書には、このような実例がいくつも紹介されており、またその背景にある自律神経の働きや「病名」をつけることによる問題点、さらにマインドフルネス・ウォーキングのすすめなども記述されており、腰痛だけでなく肩こりや関節痛等の運動器痛に悩んでいる方々には大変参考になるので、ぜひご一読されることを薦めたい。私は自分の体験を踏まえて実感をもって言いたい。「心療整形外科」は、腰痛を治す!

「がんばればできる」という不自由!~浜田寿美男著『心はなぜ不自由なのか』から学ぶ~

   「やればできる!」

    最近、テレビによく出演しているお笑いコンビ「ティモンディ」の高岸が連発するキャッチフレーズである。このフレーズのルーツは、高岸の母校・済美高校の校歌の中にある、『やればできるは魔法の合言葉』という歌詞である。元高校球児の高岸が、試合に勝って校歌を歌う時にこの歌詞に励まされていたことから、様々な人を応援するという意味を込めてこのフレーズを使っているらしい。

 

 確かにこのフレーズはとてもポジティブであり、困難なことに出会って逡巡している人々の背中を押してくれる言葉である。「やる」「やらない」は個人の自由であるが、何かを成し遂げようとするなら、まず「やる」という行為を選択する必要がある。もちろんこの「やる」という行為は、「がんばる」という意味を含んでいると思うので、その意味で何かを成し遂げるための必要条件になる。しかし、十分条件ではない。つまり、「がんばってもできない」ということも起こり得るからである。そう考えると、「やればできる!」は、「がんばってもできない」人にとって、大きなプレッシャーを与える言葉ではないだろうか。

 

 このようなことを考えていた私が、「我が意を得たり」と思うような内容の本と出合った。『心はなぜ不自由なのか』(浜田寿美男著)である。発達心理学や子ども学、また供述分析等を専門にしている著者の浜田氏については、当ブログの今までの記事の中にもその著書を取り上げてきた(2019.3.26付『「私」とは何か―ことばと身体の出会い―』、2020.3.20付『子どもが巣立つということ―この時代の難しさのなかで―』)ので、ご存知の読者の方もいると思う。私にとっては、著書によって「発達」という概念を深く理解する道案内をしてくれた恩師のような方である。

 本題に入る前に、本書の全体の内容について簡単に紹介しておこう。本書は、評論家の小浜逸郎氏や佐藤幹夫氏らが主宰する連続講義「人間アカデミー」第3期(2003年9月~2004年7月)において、著者が『「私」はどこまで自由か』というテーマで全3回講義した記録をもとに編纂されたものである。第1回が<取調室のなかで「私」はどこまで自由か>、第2回が<この世の中で「私」はどこまで自由か―関係の網の目を生きる「私」―>、そして第3回が<「私」はどこまで自由か―さまざまな「壁」を生きる「私」―>というサブテーマになっている。本書は、それらを章立てにしたような構成にしているので、まるで自分が聴衆になったような臨場感を味わいながら読むことができる。

 

 さて、私が「我が意を得たり」と思った内容は第3回の講義内容であり、それまでの講義内容を踏まえているものなので、ざっとおさらいをしてみよう。第1回の講義は、無実の人が取調室で虚偽の自白をしていく過程を追いかけて、その中で何が起こっているのかを考え、第2回は、四肢欠損の女子学生の羞恥心を例に、人が世間の目に縛られていく過程とその意味を考えている。そして、これらの講義の中で著者が強調していることは、「神の視点」からは選択肢が開かれているようでいても、「生身の視点」から見れば、自分の心情の中に現実の他者との関係が絡みついていて、それを自由に左右することができないということ。つまり、不自由とは、「観念の上では選択肢があると見えて、現実の中ではそれを選べない状況に置かれること」なのである。

 

 第3回の講義では、これらを人が知らぬ間に取ってしまう視点として、「身体の視点」「他者の視点」「神の視点」の3つに整理し、その解説をしている。簡単に要約すれと、まず「身体の視点」とは、諸感覚とか姿勢や運動の行為とか、他者との関係を生きる情動の広がりとかを含む、私たちが「生身」をその内側から生きているという視点。次に、「他者の視点」とは、私たちは他者と出会うと、その身体のうちに、そこから生きている他者の主体性をおのずと見てしまうという視点。さらに、人間はこの2つの視点を超えて、自分を完全に外へ押し出し、この時空世界の中に自分を俯瞰的に位置付けることができるようになる。これこそが3つ目の「神の視点」。そして、人間はこれら3つの視点を絡み合わせながら生きているのであるが、特に「神の視点」をもったことによって不自由、自由の問題が起こってくるのである。

 

 著者は、自由とは「しようとして実際にできること」、不自由とは「しようとして実際にできないこと」と定義し、この「しようとして」という時、その思いの前提には「できるはず」という観念的な選択肢があって、この「観念的な選択肢」には「神の視点」が入り込んでいると述べている。そして、「何かをしようとしてできないこと」を“第一の不自由”と呼ぶとすれば、「できないと分かったうえで、当初したいと思ったその思いそのものを自分でコントロールできないこと」は“第二の不自由”と呼ぶことができるとも述べている。

 

 著者がこの2つの“不自由”の例として挙げた一つが、私が「我が意を得たり」と思った内容である。それは、親が子どもの発達に対して抱く期待と、子どもがその期待通りに発達していかない現実との間にギャップが生じる場面である。特に発達に軽度の遅れがあるような場合である。親は頭の中で観念的に描いた発達像があり、それに沿って「一歩でも半歩でも」前に進んでもらわないといけないと思って、いわば発達脅迫の状態になってしまう。「がんばればできる」という選択肢が目の前に提示されると、とにかくがんばらないといけないというふうになる。そこで、がんばってできればいいのであるが、がんばってもうまくいかないこともある。これが“第一の不自由”。ところが、この現実を突きつけられて、なおこれを引き受けられないことがある。これが“第二の不自由”。これに対してどうするかを考えておかなければ、「一歩でも半歩でも」前に進まなければならないという強迫観念に引き回されたまま、しんどくなってしまうのである。

 

 では、どうすればよいのだろうか。著者は、人間も自然の一つだから、「できるはず」という「神の視点」を降りて、これはそうそう簡単に左右できないとして断念できれば、“第二の不自由”に振り回されずに、もう少し楽にやっていけるのでないかと述べている。また、障害の受容に関して、「差別はいけない」などと「神の視点」から諭してもどうなるものでもない。生身の人間同士が張り巡らしている関係の網の目が、障害を締め出しているのだとすれば、そこをまた人間同士の具体的な関係の中で編み直すという生身の努力からしかはじまらないのかもしれないと続けている。

 

 その通りだと思う。私は今、特別支援教育指導員という立場で何らかの困り感をもっている子どもの教育相談を行う際に、その保護者や担任の先生の中には「がんばればできる」という「神の視点」を強固に主張する方と出会うことがある。それでは、何らかの困り感をもって苦しんでいる子どもは、ますますその苦しみが大きくなってしまうのである。特に発達障害をもつ子どもには「がんばってもできない」苦手なことがあるのだから、「がんばればできる」と言って励ますことでさらに苦手なことを強いることになり、ますます自己肯定感を低下させてしまうのである。

 

 「やればできる!」というフレーズが流行して、多くの大人が何らかの困り感をもつ子どもたちの背中を押すことは、全てよい結果を生むだけではなく、中にはそのフレーズで苦しみを増してしまう子どももいることを理解してほしい。一人一人の子どものもつ特性や性格等をよく把握してから、背中を押してもよい子どもだと判断する場合にだけ「がんばればできる」という言葉を掛けてほしいと思う。そのためには、できるだけ多くの人に発達障害について正しく理解してもらうことが強く求められるのである。