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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

飼い犬との思い出を振り返る~馳星周著『少年と犬』を読んで~

 私が勤務している市立N中学校の図書室で、文庫版の『少年と犬』(馳星周著)を見つけた。本書は、2020年に第163回直木賞を受賞した作品であり、人と犬の種を超えた深い絆を描く感動作だと言われている。本書が直木賞を受賞した際、私はタイトルがややベタな感じの印象を受け、勝手に自分の想像の範囲でありきたりのストーリーを描いてしまい、あまり読む気が起きなかった。ところが、2月19日放送のBSテレ東の「あの本、読みました?」で〈動物が登場する小説〉を特集した時に内容の概要を知り、また物語の背景に15年前の3月11日に起きた東日本大震災を取り上げていることを耳にしたこともあってか、本書が図書室の書棚から私に呼び掛けているように感じた。私は数ページ斜め読みして取っ付きやすい文体だったので、借りることにした。そして、奇遇にもその日から約一週間経った3月11日の追悼日に読了した。しかし、その後なかなかパソコンに向かってキーボードを叩く時間が取れず、さらに1週間が過ぎてしまったが、やっと記事を綴る時間が取れた。

 そこで今回は、物語の内容がまだ記憶に留まっている内に本書の内容概要と読後所感をまとめた上で、私の今までの人生で唯一犬を飼ったことがある経験の思い出の一端を綴ってみようと思う。

 

 本書は、「多聞」というシェパードが入ったミックスの犬を中心にした連作短編集だが、7つの物語にはそれぞれにほとんど関係ない人生の重要な一断面が描かれている。いつも空腹で、満身創痍の状態で現れる「多聞」は、その都度出会った人物に助けられるが、その後は助けた人物の癒しになっていく。そして、その過程で助けた人物は今までとは違う自分に気づき、生き直そうとしたり、絶望の中で光を見つけたり、或いは終わりを自覚したりするなど、新たな人生を見出そうとする。しかし、その都度「多聞」は消えてしまうのである。

 

 「多聞」が様々な人生に関わる中で、いつしか「多聞」と書かれた首輪がなくなり、それぞれの出会った人物がつけてくれた名前で呼ばれるようになる。それが夫婦であっても、個々の置かれた情況に応じて別の名前を付けられるのである。この関係性に対応して名前が変わることは、一人一人の人物との関係性に応じて「多聞」の役割が違っていることを表しており、飼い犬のもつ役割や存在意義は飼う人との関係性で変わるものだと私は改めて納得した。

 

 6つの物語全てにおいて、「多聞」は人間とのコミュニケーションや生活の約束事を心得た犬として振舞っており、なぜか物思いに耽るように南や南西の方角に顔を向けている。そして、最後の一篇でその理由が「多聞」という犬の生涯と繋がることによって明らかになる。「多聞」の5年間の長い旅が私の胸に迫ってくる。「忠犬ハチ公」の話ではないが、人間にとって犬という種は人間との長い共生生活の中で無くてはならない存在になっており、単に可愛がるだけのペットという存在を超えている。犬は飼い主の気持ちや考えを察することができる相棒のような不可欠の存在だったんだと再認識した。

 

 私も小学生から中学生の頃に二匹の犬を飼っていた。一匹は「いち」という名のオスの柴犬で、私が小学校から帰ってくると通学路まで出迎えてしっぽを振ってくれる犬だった。屋外で飼っていたのでいつも一緒にいることはなかったが、私にはよく懐いていた。もう一匹は、私が小学校高学年から中学校頃まで室内で飼っていた「メリー」という名のメスのスピッツ犬。母子家庭で一人っ子だった私にとって、常に寄り添ってくれる恋人のような存在だった。昼間は私の遊び相手で、よくプロレスごっこの相手になってくれ、夜は私の布団の中で添い寝をしてくれていた。その時期の私にとっては、家族同様の親密なコミュニケーションができていた。私が落ち込んだり寂しかったりした時、私の愚痴の聞き役になったり、凍り付くような心をケアしてくれたりしていた。

 

 そんな存在の「メリー」がある朝、起きようとして寝床で座り込んでいた中学生だった私の目をじっと見つめていた。そして、しばらくして小さな裏庭に出て行った。私は「おしっこでもするのかな。」と呟きながら、学生服に着替えていた時に何か不吉な予感が襲ってきた。私は急いで裏庭に面した廊下に出て「メリー」を探すと、静かに横たわっている姿が見えた。「メリー!メリー!!」と私は狂わんばかりの大声を張り上げて「メリー」を持ち上げたが、ぐったりとしたままだった。私は、親しい家族を失ったような喪失感を味わい、頬を伝う涙が止まらなかった。

 

 私にとって初めて味わう“対象喪失”だった。しばらく私は何も考えることができず、白紙のような毎日を過ごすことになった。飼い主の私を励まし勇気付けてくれた飼い犬の存在は、あまりに大きなものだった。しかし、生命はいつか必ず“死”を迎えること、親しい相手との関係性が絶たれたら新たな自己に更新しなくてはならないことなど、そんな当たり前のことを中学生の私に実感として教えてくれたのである。「メリー」の存在と“死は、私が人を実存的・関係的・生成的存在として意識する契機になったと思う。

「愛の闘争」という他者との対話について~「100分de名著」におけるヤスパース著『哲学入門』のテキストから学ぶ~

 前回の記事をアップした後、2月中~下旬も私は公私共に何かと慌ただしい日々を送っていた。何といっても、24日(火)には長女に第2子(孫Hの妹になる女児)が誕生し、28日(土)からは我が家で母子共に過ごすことになり、長女のサポートに余念のない日々が続いている。また、平日の日中は仕事の上に、月・火・木・金の夕方はHの「野球やサッカー・スイミングなどの習い事の送迎や見学」、土曜日は「ピアノ発表会の鑑賞」や「サッカー大会の付き添い」など、全く息つく暇のないスケジュールに追われてきた。さらに、25日(水)はMの通うY小学校の「健全育成の会」や「学校関係者評価委員会」へ出席したり、26日(木)は「確定申告」をするために地元税務署へ出掛けたりしていたのである。そのような中でも、私はわずかの隙間時間を活用して村上春樹著のエッセイ『職業としての小説家』や、長岡弘樹著の短編連作集『白衣の嘘』を読んでいたが、それは〈学びとしての読書〉というより〈リフレッシュを目的とした読書〉であったと思う。

 

 実は、NHKのEテレ「100 分de名著」で2月に取り上げられるのがカール・ヤスパース著『哲学入門』であることを知った哲学好きの私は、1月末にはフジグランでの買い物途中でそのテキストをTUTAYAで購入し〈学びとしての読書〉の準備をしていた。しかし、上述したように2月が「逃げる」ように過ぎてしまい、当番組の録画を視聴しながらテキストを読んで学ぶ時間が取れたのが3月に入ってからになってしまった。でも、今回の〈学びとしての読書〉は、久し振りに私の心に希望の火を灯すような〈豊かな学びの経験〉になり、衰えつつある精神に活を入れることになった。それぐらい充実感があったのである。

 そこで今回は、その希望の火を灯すような〈豊かな学びの経験〉の中核になったヤスパースの語る「愛の闘争」という他者との対話について、案内役の立命館大学大学院准教授で哲学者の戸谷洋志氏の解説を紹介しながらまとめていきたいと思っている。

 

 カール・ヤスパースは『哲学入門』において、哲学的に思考するとは「当たり前」を問い直すことだと語り、その哲学的に思考を始める動機を「驚愕」「懐疑」「挫折」に分類している。特に彼の非常に独創的なのは、一つ目と二つ目に加えて「挫折」を挙げていることであり、その背景には第二次世界大戦を経験したり、幼い頃から気管支拡張症という難病に苦しめられたりしたことがあると、戸谷氏は指摘している。「挫折」とは単なる失敗ではなく、それまでの価値観を根本的に破壊するような、取り返しのつかない出来事である。ヤスパースは、このように私たちの人生を制約してしまう状況を「限界状況」と呼び、「挫折」は私たちに「限界状況」を自覚させ、そこから哲学が始まるのだと言っている。だからこそ哲学的な思考は、他ならぬ「私」自身の生きる意味を問い直すものになるのである。

 

 しかし、上述のことは哲学が他者との関係なしに成立することを意味せず、むしろ「挫折」から再生するためには、他者からの手助けが必要なのである。「限界状況」は、それによって「私」を他者と繋げるものでもある。戸谷氏はテキストの中で、ヤスパースは哲学的思考の方法として何よりも他者との対話を重視していると解説している。もちろんこの対話は、ただ論理を戦わせ合うだけの抽象的な論争のようなものではなく、互いの人間性に対して信頼を寄せ、相手をかけがえのない個人として認めることによって成立するコミュニケーション(ヤスパースが「交わり」と呼んだ、哲学的な思考を成立させるような関係性)のことなのである。

 

 ヤスパースは、哲学に求められる「交わり」(対話)には一つの重要な条件があると言い、それは他者が「私」に対して率直に意見を言ってくれることだと主張している。したがって、哲学的な対話を成り立たせる他者との関係性は、少なくとも見た目の上では戦いの形をとる。つまりそれは、真理を追い求めて、もしも納得できないことがあれば妥協なく互いを批判し合う関係である。彼は、このように互いに対して深い信頼を寄せている関係性を「愛の闘争」と呼んでいる。

 

 戸谷氏は、テキストの中でケアにおける他者との関係性について考察し、人はいつも誰かのケアを受けるものだがそれは決して依存関係ではなく、ケアを受けながらも言いたいことは言うべきであり、それによって初めてケアは人間的な関係になると主張している。そして、それこそがヤスパースの考える「愛の闘争」なのではないかと述べている。このようにヤスパースの「愛の闘争」という「交わり」の概念は、ケアにおける他者との関係性を考える上でも、重要な手がかりを有しているのである。

 

 ところで、「愛の闘争」という「交わり」は、「世界像」が異なる個人間において意見が対立してしまった場合、ともすると互いを論破し合うディベートのような営みを想像するかもしれないが、そうではない。論破が得意な人は、相手が何を主張しているのだとしても、とりあえずそれに反対しているだけに過ぎないので、そのような人との議論は決して「交わり」にはなりえない。なぜなら、「交わり」とは哲学的な対話を通して、相手を理解しようとする営みだからである。

 

 ヤスパースは、「交わり」は決して完結することがない営みだとも言っている。「私」ができることはどこまでも相手を理解しようとし続けることであって、そうした理解が完了することは決してないのである。私たちは「交わり」において、どこまでも互いを理解し続けようとすることしかできないのである。このことは、哲学的な思考自体が終わりのない営みであることと軌を同じくするものであり、彼は常に「途上にあるもの」であることを強調しているのである。

 

 哲学的な思考において、究極の真理に到達し、これ以上は考えても新しい発見は何もないといった状態に達することなど、決してあり得ない。それは、哲学が私たちの人生そのものだからである。哲学するとき、私たちは常に人生の途上にいる。生きていることは、未来があるということであり、いま真理だと思っていることもこれから変わるかも知れない。その可能性を閉ざすことは誰にもできないのである。このようなヤスパースの考える哲学は、現象学の本質とも一致しており、彼の哲学は私に強い共感と深い納得をもたらせた。

ADHDの女性の生きづらさとその背景について~岩波明著『医者も親も気づかない 女子の発達障害―家庭・職場でどう対応すればいいか―』と柴崎友香著『あらゆることは今起こる』を読んで~

 前回の記事で取り上げた本『発達「障害」でなくなる日』(朝日新聞取材班著)の中で、強い関心をもった箇所があった。それは、昭和大学附属烏山病院の精神科医・林若穂氏たちのチームが、2019年に提出した論文の中で「ADHDと診断された女性の方が、男性に比べるとうつ病になりやすく、離婚経験や非正規雇用で働く割合も高い-。」と記述していることを紹介している箇所である。

 

    彼女たちのチームがADHDと診断された男女335人について調査・分析した結果、女性のおよそ4分の1がうつ病や双極性障害等の精神疾患を併発していて、割合は男性の約2倍。離婚している割合も女性は7.7%で、男性の4.5倍だった。また、非正規雇用で働いている人の割合も、女性が28.8%と、男性の2倍以上だった。論文では、日本社会は依然として、穏やかで礼儀正しく、控えめで気配りができる「やまとなでしこ」のような姿を女性に期待している風潮があると指摘し、その対極にあるADHDの女性は、社会生活を送る中でより困難を抱いている可能性があることを示唆している。

 

 職場にいるADHDの女性Mさんに対する「合理的配慮」の範囲や程度等について悩んでいる私にとって、この問題の根底にあると思われる上述のような「ADHDの女性の生きづらさやその背景」についてもう少し深く考える必要があると思い、その参考になりそうな関連図書を探してみた。その結果、馴染みの古書店で『医者も親も気づかない 女子の発達障害―家庭・職場でどう対応すればいいか―』(岩波明著)[本書①]を、そして、勤務校のN中学校の図書室で『あらゆることは今起こる』(柴崎友香著)[本書②]を見つけたので、10日間ほどを掛けて読み通してみた。

 そこで今回の記事では、これらの本の執筆趣旨や構成概要等を紹介しつつそこから得た知見を個々にまとめるとともに、私なりの簡単な所感を綴ってみようと思う。なお、記述内容がやや断片的になってしまう怖れがありそうなので、この点を先にお断りしておきたい。

 

 まず、[本書①]は、著者の元昭和大学医学部精神医学講座主任教授で昭和大学附属烏山病院長も兼任したことがある岩波明氏が、コロナ禍後において社会の多様性が問われる時のために、周囲にいる発達障害の女子・女性を正しく理解してほしいと願って執筆したものである。1~2章ではうまく環境に適応している発達障害の女性3人との対談内容、3章は〈ADHDとASD…女子はなぜ見逃されやすいのか?〉、4章は〈家庭や職場での「やってはいけないこと」と対応ポイント〉という内容で構成されており、特に3章では「女子の発達障害」に特有の生きづらさについて語られていて、「ADHDの女性の生きづらさやその背景」がどうなっているのかという私の問題意識に即した内容になっている。

 

 岩波氏によると、ADHDの女性は多動・衝動性の程度が軽く、一般的には男性ほどは目立たないので、ADHDとの診断が見逃されやすく、その対応が後手に回りがちになるそうである。つまり、自らの特性によって苦手なことがあるということや、人とのコミュニケーションで深刻なトラブルを招きやすいことを理解しないまま思春期を迎え、やがて社会に出ていってから初めて「生きづらさ」を強く感じるようになるのである。さらに、結婚して妻、嫁、母等の求められる役割が増えるにつれて、その「生きづらさ」も増していくらしい。

 

 その理由として、日本社会においては男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的で、多くの国民が「明るく、にこやかで、気配り上手で、常に男性を立てる」という女性像に縛られているので、それとは正反対である特性を多くもつADHDの女性が周囲から「責められやすい」ことが挙げられる。また、片付けが苦手で家事全般も不得意であり、悪意はないが不用意な発言が多く問題とさせることがあるという特性によって、「だらしがないからだ」「努力不足だ」と非難されることもある。それがもとで自己否定的になりがちで、自己肯定感か低くなり、うつ病や不安障害等の精神的な不安定さを二次的にきたすことも珍しくないそうである。

 

 岩波氏は、このような「ADHDの女性の生きづらさやその背景」以外にも、発達障害に対する根本的な理解が不十分であったり、それ以前に精神疾患全般に対するタブー視も根深く残っていたりする背景にも言及している。それに対して、ADHDの不注意の特性によって学校の勉強に集中できず、成績が悪い人であっても、実はIQ(知能指数)を検査すると標準以上だったりするなど、知的障害がない人がほとんどだと指摘し、ADHDやASDなどの発達障害の当事者は、健常者のひとつのバリエーションとして理解するのが適切だと主張している。

 

 私は、このような岩波氏の発達障害当事者に対する理解を深める主張には賛同するが、では知的障害当事者に対しての偏見に対してはどう対応するのかと疑問をもってしまう。ともすると、発達障害と知的障害との区別が新たな偏見や差別を抱く原因になるのではないか。だから、それぞれの発達特性に対する正しい理解とそれに応じた適切な「合理的配慮」を深く考えることが肝要で、そのことによって区別と差別の概念を明確にしていくことになり、結果的に偏見や差別の芽を摘むことになるのではないだろうか。

 

 次に、発達障害の特性にもさまざまあることについて深く考えるきっかけになりそうなのが、[本書②]である。「ADHDの女性の生きづらさ」について、当事者自身の内面で何が起こっているか具体的に実例を挙げながらエッセイ風に綴っているので、ADHDという発達障害の特性についてほとんど知らない人が読んでも、当事者がどのような困り感や生きづらさをもっているか理解することができる。発達障害の特性について多少の理解があると自負していた私でも、ページをめくる度に「へーっ、そうなのか!」と何度も頷いてしまった。

 

    最後に、[本書②]の中で私が「目から鱗が落ちる」事例だととらえた内容の一部を紹介しつつ、私なりの所感を加えて本記事を締めくくりたい。

 

 著者の芥川賞作家・柴崎氏は、子どもの頃から複数の時間や世界が並行して存在している感覚を持っていて、今でも並行世界を移動してきて元いた場所からだいぶ遠くにいる気がしたり、もしかしたらいつの間にか前にいたことがある世界にいるのかもしれなかったりすると、〈プロローグ―並行世界〉の中で語っている。それは、今までに自分がいたいくつもの世界を、ずっと同時に生き続けている感じらしい。

 

    また、「Ⅳ-世界は豊かで濃密だ」の〈1 複数の時間 並行世界 現在の混沌〉においても上述のような感じ方について何度か触れている箇所がある。次に、それらの箇所をアトランダムに抜き書きしてみよう。

〇 …「体内に複数の時間が流れている」というイメージは、それまでに自分が感じていた感覚にとても示唆をうけるものだった。

〇 思考が別の時間の流れに移動して、そこが「今」になったり、戻る流れがすぐにはわからなくなったりする。

〇 私の場合は「現在」「過去」「未来」が同じ強度で並んでいる感じ、というか、たぶんそもそもそんなにくっきり分かれていないというか、互いに干渉しあいつつ並存している感じだろうか。

〇 私が自分の中に、あるいは『族長の秋』(注;『百年の孤独』の著者ガルシア=マルケスの作品の一つ)のような小説を読んでいて感じる時間は、もっととらえどころがなく、可塑的で、不安定だからこそ確かに今ここで起こっていると実感させられるものだ。

 

 このような感覚は、私のような物理的な時間軸に即して物事を思考するタイプの人間には具体的には想像しにくいものだが、抽象的・概念的には何とか理解できる。もちろんADHDの女性全てに共通する感覚ではなく柴崎氏特有の感覚かもしれないが、少なくともそのような感覚で生きている人がいるということを理解し、尊重して接することが必要だと思う。そのような姿勢をもつことが、まずADHDの女性に対する偏見や差別を無化していく手始めではないだろうか。

「合理的配慮」の範囲と程度等について考える~朝日新聞取材班編『発達「障害」でなくなる日』を参考にして~

 もう2月の第2週目が始まる。歳をとると月日の経つのがとても速く感じる。そう言えば、私が市内N中学校で「小中学校教育活動サポートチーム支援員」として勤務し始めて、後2か月で丸1年を迎えることになる。私の職務は、障害者雇用枠で採用された学校補助員(職務内容は、教職員の事務的業務の補助や環境整備・美化を行うこと)3名を支援する「ジョブコーチ」のような内容である。教職員から依頼のあった用件の優先順位を決めて、その遂行のための手順や方法等を指導・助言し、彼らが依頼通りに用件を遂行したかを確認する。また、校内外を巡回し、環境整備・美化が必要だと私なりに判断した業務を一緒に行うこともある。頭脳労働というより肉体労働の比重が大きい面もあるが、心身共に健康の維持・増進には役立っており、今の勤務は快適な労働かつ生きがいを感じる仕事である。

 

 そんな勤務状況だが、ストレスを感じる職務上の課題も多少は抱えている。その一つは3名の学校補助員には個別の発達障害があり、各自の特性に対応した適切な「合理的配慮」が求められるのだが、その際にどこまでの「合理的配慮」をすべきなのか悩むことがある。特にADHDの特性が顕著に現れる上に、睡眠発作を主な症状にする難病を持っている若い女性Mさんに対応する「合理的配慮」の範囲と程度等について迷うことが多い。

 

 因みに「合理的配慮」という用語についてはすでに人口に膾炙していると思うが、まだ十分に概念化されていない方のために若干の説明をしておきたい。「合理的配慮」(英語では「リーズナブル・アコモデーション」)とは、「障害がある人が社会で生きやすくなるよう、ルールを柔軟に変えるなど、平等な機会を確保することで、社会の側にある障壁を取り除くこと」を言う。その際、提供する側にとって過重な負担にならない範囲で、一人一人の希望に応じた配慮を提供することが求められている。ただし、多数の利用者のために店があらかじめスロープや多目的トイレを設置するなどのケースは「環境整備または環境調整」と言って、「合理的配慮」とは言わない。

 

 この「合理的配慮」は、2006年に採択された国連の障害者権利条約に盛り込まれた用語で、当条約では「合理的配慮の否定は差別にあたる」と定められている。我が国では2007年に当条約に署名し、2014年に批准している。署名から批准までの間に国内法が整えられ、2016年に施行された改正障害者雇用促進法と障害者差別解消法では、「合理的配慮」の提供について盛り込まれている。「合理的配慮」を「誰が」「誰に」提供するのかは法律によって異なるが、職場においては雇用主が従業員に提供することになる。就職活動等の場面のほか働いている人が採用後に「合理的配慮」を求めた場合も、雇用主は配慮することを義務付けられている。

 

 以上の「合理的配慮」という用語に関する知識は、私が前職(市教委・学校教育課・特別支援教育指導員)時に研修した内容であるが、今回の記事を綴る前に参考にした『発達「障害」でなくなる日』(朝日新聞取材班編)という本からも少し引用させてもらった。

 本書は、2021年夏に朝日新聞デジタルで配信された「発達障害の強み ニトリ会長の『お、ねだん以上。』な話」という記事への読者からのすさまじい反響がきっかけで生まれたと言う。取材班の記者たちが読者の大きな反響の理由を探る中で、「発達障害」を切り口にした企画を次々と生み出し、当事者の困りごとや生きづらさの解決策を通じて、変化する主体を当事者から社会の方へと視点転換していった。その思いが「発達障害は『わがまま』?働く場の合理的配慮」という連載に結実していったらしい。そして、その連載記事を再構成して編集したのが本書なのである。

 

 そこで今回の記事は、私の職務上の課題の一つである〈ADHDの特性が顕著に現れる上に、睡眠発作を主な症状にする難病をもっているMさんに対応する「合理的配慮」の範囲と程度等についてどのようにとらえるか〉について考えたことをテーマにし、解決のヒントを示唆している本書の「第4章 合理的配慮とは―企業の現状と課題―」を参考にしながら綴ってみようと思う。

 

    ADHDという発達障害をもつMさんの特性はというと、① 人の話を聴かなかったり聞いていても早合点してしまったりして指示が通らないこと、② 作業中に集中できずにミスが多くなること、③ 場面状況や周りの空気に無頓着な言動を取ってしまうことなどである。これらの特性に対応した「合理的配慮」として私がやっていることは、①に関しては指示をする時は自分に注意を向けさせるようにしたり、視覚的な情報も併せて提示したり、他の2名から補足してもらうことを保障したりすること。②に関しては、ミスをしてもよいような事務的作業を割り振ったり、ミスをしても叱責せずにやり直しをする機会を与えたりすること。③に関しては、無頓着な言動を取った時に場面状況や周りの空気について分かりやすく説明して、どのような言動をとればよかったかを一緒に考えるようにすることなどである。

 

    以上のような私が行っている「合理的配慮」によってMさんの困りごとはほとんど解消されてきている。しかし、なかなか困りごとが解消されにくいことがある。それは、難病によって起きる睡眠発作や自律神経の乱れによる体調不良という症状である。医療機関による有効な治療法はなく、私が指導・助言して行っている生活スタイルの改善も十分な効果が出ていない状況で、朝はなかなか定時に起床することが難しく、勤務開始時刻までに出勤できなかったり時には終日休んだりすることもある。また、勤務中にも急に襲ってくる強い睡魔や体調不良によって業務を中断することもある。これらのことは、遅刻や欠勤をしたり業務の円滑な遂行を妨げたりすることになり、勤務成績を悪化させることに繋がる。

 

    遅刻や欠勤に関しては、会計年度任用職員にも所定の年次有給休暇(10日-1日6時間勤務なので時間数に換算すると60時間)や有給病気休暇(10日-年休と同様)が所与されており、これを活用して今までは何とか凌いでいるが、もう残りの日数は共に後僅かになっている。そこで私が所属長の校長と相談して「合理的配慮」として行っていることは、遅刻した時間だけ退庁時刻を遅らせるというフレックスタイム的な柔軟な勤務時間を設定することである。ただし、私の勤務時間も6時間なので後の支援は校長に委ねるという対応を行っている。でも、Mさんの家庭事情や健康状態等も考えるとこの対応が難しい場合もあり、これが適切な「合理的配慮」になっているのか悩むところである。

 

 一方、業務の円滑な遂行の妨げに関しては、急に襲ってくる強い睡魔や体調不良が起きた時にはまず安静にさせ、復調するまで待ってあげる、次に少し落ち着いてきたら優しく声を掛けて作業に取り組むことができるか確認するというような「合理的配慮」しかできていない。法律で定める「合理的配慮」には「提供する側の過重な負担にならない範囲で」という条件があるが、Mさんが安静にしている間、担当する業務量を負担するのは私であり他の2名になる。私は支援者なので多少の無理は仕方がない面があるが、他の2名にとっては過重な負担になっているかもしれない。今のところ、他の2名は文句も言わず協力的に業務を遂行してくれているので、私もつい甘えているところがあるが、それにも程度と云うものがある。これがより適切な「合理的配慮」と言えるのか悩むところである。

 

 本年度の勤務は後2か月残っている。これらの悩みのすっきりとした解決にはまだ至っていないが、少しでもよりよい解決策(個々の特性に対応した適切な「合理的配慮」の範囲と程度等)を模索しながら日々の業務の円滑な遂行と精神的に安定した職場環境作りに努めていきたいと考えている。

死の受容とターミナル・ケアのあり方について~「100de名著」におけるE・キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』のテキストから学ぶ~

 「死と孤独」に関する前回の記事を綴った後の連休中、時間的にゆとりがある時に未視聴の録画記録の中から面白そうなテレビ番組を観てみようと思い立ち検索していたら、何と昨年12月放送のEテレ「100de名著」で取り上げられていたのがE・キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』であったことに気付いた。私は、これは何かの導きではないかと思い、早速、4回分の放送を連続して視聴してみた。講師の宗教学者東京大学名誉教授の島薗進氏の分かりやすい解説と、タレントの伊集院光氏の自分事としてとらえた身近な話題等に引き込まれて、あっという間に時間が過ぎた。私は、もう少し詳しい解説を読みたくなって、自転車に乗って三越ジュンク堂書店へ出掛け本テキストを手に入れ、先週末には読み通した。私は、すぐに記事を綴ろうと思ったがなかなか思うように筆が進まなかったが、やっと今週末になって少し時間が取れたので今キーボードを叩いている。

 今回の記事は、本テキストで解説された内容から、『死ぬ瞬間』の中で特に死にゆく者が死をどのように受容して「穏やかな死」を迎えるのか、それを可能にするにはどのようなターミナル・ケアのあり方が必要なのかについて書かれたことの概要をまとめてみようと思う。また、それらに関連する諸課題についても私見を交えながら触れてみたいと考えている。

 

 最初に、著者と『死ぬ瞬間』についてもう少し触れておこう。著者のエリザベス・キューブラー・ロスは、1926年スイスのチューリッヒに生まれ、研究補助職を務めるなど地道な努力の末に31歳で医師になった。結婚後、夫の母国アメリカに渡り、精神科医師として臨床と研究活動を行うなか死にゆく人々の心のケアという課題に全力で向き合うようになった。1967年、彼女は当時勤めていたシカゴ大学ビリングス病院で終末期患者に話を聞くセミナーを立ち上げ、2年半で実に200人を超える患者のインタビューを行い、その生の声を聞くことで患者の心の中を理解し、死に向き合う人々が安らかにその時を迎えるために、どのような支援ができるか考えようとしたのである。

 

 そして、このセミナーを通して得たものや考えたことを一冊にまとめたのが、『死ぬ瞬間―死とその過程について―』である。本書の中身は「死ぬ瞬間」ではなく、サブテーマにあるように「死とその過程」を対象にして記述されているのであるが、1969年に刊行されると、医療に携わる人々や宗教関係者のみならず、広く一般の人々にも読まれ、大きな反響を呼んだ。本書において著者は、死にしっかり向かい合い、死から目を逸らすのをやめてこそ、日々をよく生き、安らかな最期を迎えることができる、また医療者の本来の役割を果たせるのだと論じたのである。本書は出版から60年近く経ち、その間に社会の変化や医療の状況、死を巡る文化の変化もあったが、今なお静かに読み継がれている名著である。

 

 では、著者は死にゆく者が死をどのように受容して「穏やかな死」を迎えることができると言っているのか見てみよう。

 

  著者は、終末期患者へのインタビューを重ねる中で、死に向き合う人々の心の変化を見つめ、そこには次のような5段階があると示した。

(1)「否認(denial)」…予期しないショッキングな知らせを受けた時にその衝撃をやわらげようとして、死を認めようとしない。

(2)「怒り(anger)」…否認が維持できなくなると、怒り・激情・妬み・憤慨といった感情がそれにとって代わられる。

(3)「取り引き(bargaining)」…死という避けられない結果を先に延ばすべく何とか交渉しようとする。

(4)「抑鬱(depression)」…原因によって状況の変化に伴う「反応的な抑鬱」と永遠の別れに向けた「準備的な抑鬱」の二つに分けてとらえる。

(5)「受容(acceptance)」…ある程度の期待をもって、最期の時が近づくのを静観するようになる。

この5段階を全ての人が経るというわけではないが、死にゆく人々が抱える心の痛みや、それがどのような形で表出されるのかを知る上で大きな助けになることは間違いない。

 

 ただし、「受容」の段階を幸福な段階と誤認してはならないと著者は言っている。「受容」とは感情がほとんど欠落した状態であり、死に瀕した患者がいくばくかの平安と受容を見出す(その意味では、「穏やかな死」を迎える段階と言える…)が、同時に周りに対する関心が薄れていく段階なのである。言い換えれば、他者に向けていた心のエネルギーを撤収する時期である。この受容の段階の識別を見誤ると、「患者に益よりも害を与える」ことになるらしい。

 

 それでは、著者は「穏やかな死」を可能にするにはどのようなターミナル・ケアのあり方が必要だと語っているのか見てみよう。

 

   著者は前述した5段階に対応したケアの内容を具体的に記しているので、その内容の概要を次にまとめてみたい。

(1)死に瀕している患者の話に耳を傾け、「否認」する心の裏にある孤独感を受け止める。

(2)「怒り」となって周囲の人々に投射される患者の心の叫びを、わずかの時間でも割いて聞き理解しようとする。また、患者の心の内だけでなく、自分の中で起こっている反応にもしっかりと目を向ける。

(3)「取り引き」以降の各段階では、牧師と互いに支え合う形で患者から学び、彼らの絶望や心の痛みに向き合う。

(4)「反応的な憂鬱」を示す患者には、他者の介入を必要とし、話し合うことや時には励ましの言葉が功を奏することもある。「準備的な憂鬱」に沈む患者には、物事のよい面を見るように励ましたり「悲しむな」と言ったりするような言葉を必要とせず、髪をなでたり手を触れたり黙って一緒にいたりするなどして静かに寄り添う。

(5)ただ静かに寄り添い、患者が「ひとりぼっちではない」と感じられるようにする。

 

 なお、本書において著者は、「受容」の段階へ到達しようと夫婦で努めた好例として歯科医師のG氏のケースを取り上げ、絆の深い家族の存在に加えて、神への揺るぎない信仰が「受容」への道を照らしてくれていたと紹介している。G氏は、悪性腫瘍が全身に転移していることを知らされて以降も、落ち込むという時期はまったくなく、精神的には非常に落ち着いていたという。信仰の篤い彼にとって「死」とは、神の御許に召され、そこで大切な人たちとまた会えることを意味する。つまり、「死の向こう側」について何らかの納得があり、安らぎを感じているからこそ死を受容できるのだと、著者はこの事例で示しているのである。後に著者は自分なりの「死の向こう側」を語るようになったらしく、死を前にした深い心の痛みには、やはり「死後どうなるのか」を抜きには応答しにくいのかもしれない。

 

 著者も書いている通り最終段階の「受容」は必ずしも幸福な状態とは限らないので、死を「受容」することを目指さなくてもいいのではないかと言う人がいる。死生学やスピリチュアルケアに関心を持つ人たちも、そのようなとらえ方をして必ずしも「受容」を終着点とは考えてはいないのである。著者は、特に「受容」に至らず亡くなっていく子どもたちの問題に取り組むなかで、「死後の生」について考え、キリスト教から独立したスピリチュアリティの領域に踏み込んでいったらしい。その結果、著者は「死の向こう側」には新たな生があるというように死を「新たな生への移行」ととらえるようになり、だから死は恐れるに足らないと示唆している。

 

 私は、『死ぬ瞬間』出版後の著者がホスピス運動という医療現場でのムーブメントの枠を超え、寄り添い支えることをベースとしたケアのあり方、言い換えれば多様な人々との相互関係のなかで心の扉が開かれていくようなケアのあり方を目指していったことを知り、大きな感動を覚えた。著者は「導き従う関係」から「支え合う関係」へとケアのあり方を転換していく過程で、大きな足跡を残した人なのである。私は今回の学びの経験を通して、改めて「穏やかな死」と宗教心やケアのあり方について深く考えていくことが必要だと再認識した。

死と孤独について~岩内章太郎著『星になっても』から学ぶ~

 読者の皆様方、明けましておめでとうございます。いやいや、もう松の内を過ぎてしまったので、寒中お見舞い申し上げますかな…。それは兎も角、本年もどうか当ブログの記事を愛読してくださるよう、よろしくお願いします。

 

 さて、今年の年始は例年とは異なり、老夫婦だけの寂しいものになった。というのは、私たち夫婦は年末からずっと体調を少し崩していて、子どもたち家族の年始の挨拶を辞退しなければならなかったからである。体調不良に陥った原因は、おそらく昨年12月の第2週目にマイコプラズマ肺炎を患っていた(高熱や咳、痰等が出る症状が1週間ほど続いた)孫Hと長時間接触していたために感染し発症したからだと思われる。同病気の潜伏期間が3~4週間あるとも言われているので、私たちが発症した時期や倦怠感に乾いた咳等の症状を勘案するとおそらく間違いないだろう。もしそうであれば、孫Mにも感染させる恐れがあるので、我が家での恒例の年始イベントは止むを得ず中止にした。12月中旬頃から数品のお節料理を作り始めていた妻はとても残念そうだったが、同病気を孫Mに感染させて辛い思いをさせたくないという思いも強く、二人で相談して決めたのである。

 

 だから、元旦は近くのスーパーマーケットに注文していたお節料理の二つの折詰を食卓に並べ、私の好物のお雑煮とともに二人だけで食した。また、私が一昨年、古希を迎えたのを機に「年賀状じまい」をしていたので、昨年までのように束になった年賀状に目を通すこともなくなり、ひっそりとした年始になった。そのような中でも、2日・3日は箱根駅伝のテレビ中継を観戦し、学生ランナーたちの激走に心が震えて元気をもらうことができた。また、3日の午後には、Hと一緒に近くの土手の公園へ自転車で行きキャッチボールをしたり、次にホームランドームへ行き投打のゲームに興じるHを応援したりする時間を過ごすことができ、心身共に活力が漲ってきた。

 

 私は、その勢いで4日には全品20%oオフのウルトラセールをしている「ブックオフ」へ行き、気に入った本を物色した結果、文庫本3冊と単行本1冊を購入した。この単行本『星になっても』は、前回の記事で取り上げた『本質観取の教科書―みんなの納得を生み出す対話―』の共著者の一人、岩内章太郎氏が講談社の『群像』に連載したエッセイを一冊にまとめたものである。ブックオフの書棚に視線を釘づけにしていたら、タイトル名よりも同氏の名前が目に飛び込んできたのである。きっと自宅の書斎に積読状態にしている『〈私〉を取り戻す哲学』(講談社現代新書)の著者だと認識していて、無意識に視覚が反応したのであろう。4冊の獲物を抱えて帰宅してしばらくすると、私にこのエッセイを文庫本の小説たちよりも先に読みたいという衝動が起きたので、早速読み始めこの1週間ほどで読了した。

 そこで今回は、17編のエッセイが所収されている本書の中で「8 死のイメージ-死と孤独α」・「10 死の抑圧-死と孤独β」・「13 生きているうちに、死を語る-死と孤独γ」という「死と孤独」シリーズを手掛かりにして、著者の主張内容を要約するとともにそれに関する私なりの所感を簡単に綴ってみたいと思う。

 

 まず、本書全般と「死と孤独」シリーズについて少し触れたい。本書は著者が父親の死の直後から一か月に一回のペースで、文芸誌『群像』に連載したエッセイをまとめたものであり、その置かれているその時どきの状況が分かり、全体を通して読むと少しずつ心境が変化していく様子も見ることができる。その中でも特に「死と孤独」シリーズの上述の3編は、他のエッセイとはちょっと性格が異なっている。というのは、著者は現象学を中心にした哲学を専門としていて、その観点から「死」を考察しているので、内容的にやや抽象度が高い箇所も多く難しいものになっている。たが、私にとっては大変興味深い内容だったのである。

 

 では、「死と孤独」シリーズ3編の主張内容を要約しよう。一つ目の「8 死のイメージ-死と孤独α」では、小さい頃から人は死んだらどうなるのかという問題に強い関心と不安を抱いてきた著者が、人は死後の世界をどうイメージするかについて論じている。その中で、神話や宗教が共有されなくなった現代において、「死のイメージ」は個人の裁量(思想や表現)に委ねられることに注目している。そして、多くの人は〈私〉が信じているこのイメージは普遍的な共有可能性には開かれていないことを自覚しながら、死の不安を引き受けることになり、そうすると死の自覚は孤独と隣り合わせになることを指摘している。この死にゆく者の孤独は、神話や宗教が共有されていないことからこそ生じる、現代ならではの課題であると著者は強調している。

 

 二つ目の「10 死の抑圧-死と孤独β」では、ユダヤ系ドイツ人社会学者のノルベルト・エリアスの議論を参照して、死がいかに孤独と結びつくようになったかを、ちょっと違う視点から論じている。エリアスは、二つの世界戦争の偶発的な暴力に人生が左右されるという経験から、他者や社会から独立して存在する〈私〉の哲学を批判し、人間は「個人」として生きるのではなく、社会的な「相互依存関係」のゲームの中で生きると考える「フィギュレーション(形態)の社会学」へと転向した。そして、哲学者が思考の起点とする〈私〉の存在を「閉ざされた人」と呼び、他者との相互依存関係にある〈私〉を「開かれた人」と呼んだ。この「開かれた人」は、とりわけ感情的な相互依存関係の永続性のうちで生きるため、しばしば親密な他者を喪失した後、〈私〉の内属するこの関係性の結び目が露呈し、フィギュレーションの全体が変わると論じたのである。著者は、この考え方を自分と死んだ父との関係性に投影し、父を失ったことは〈私〉が〈私〉自身を失うことと等しいと実感した。この自己喪失についてエリアスは、〈私〉が「閉ざされた人」ではなく、本質的に「開かれた人」であることに由来すると言ったと紹介している。

 

 著者は、この議論の後、エリアス著『死にゆく者の孤独』という論考に基づいて、「閉ざされた人」が経験する孤独な死とその隠蔽について、またマルティン・ハイデガー著『存在と時間』に基づいて、事件や出来事としての世人の死とその巧妙な隠蔽について論じている。それらの中で、著者は日常生活の中で死を完全に隠蔽してしまえば、見えないがゆえに、その不安はかえって強まり、逆に死を〈私〉には関係ない出来事として大いに語ることで、死の不安をさらに抑え込むことになると指摘している。そして、このことから「閉ざされた人」は、死を排除する現代社会の力学に従って、隔離されたまま死ななければならず、死に向かってますます独りぼっちになっていき、死以前の段階で〈私〉の存在の意味が消えかけるというように、「死と孤独」が耐えがたく結び付いてしまうことの必然を語っている。だから、余命を宣告された人や死を身近に感じている人は、それまでと変わらない親しみ深い関係性や居場所、そして死を抑圧しない社会を必要としているのである。

 

 三つ目の「13 生きているうちに、死を語る-死と孤独γ」では、死について口を閉ざせば孤独になり、死について雄弁に語りすぎると埋没するというような死の事実の抑圧を避けて、死を自分自身の可能性として把握しながら、死をもっと適切かつオープンに語る方法はないか探っている。そして、その一つの方法として哲学対話の実践を挙げ、その本質や具体的なプロセスを説明し、死を語る公的な方法としての有効性を認めている。しかし、最も身近な他者(家族や友人等)と死について語ろうとしても、そこに対話の場を運営してくれるファシリテーターはいないし、そもそも死について皆が皆語りたいとは思っていないかもしれない。また、語り以前の段階で不安や痛みという感情的な障壁があるなどの問題点を指摘している。

 

 そこで著者が取り上げたのが、「世人のおしゃべり」、「哲学対話」、「自己との対話」という語りのグラデーションの中の「哲学対話」と「自己との対話」の間にくる、死についての「私的な語り」。その特徴は、一人一人が抱く感情や考え、また家族関係や当人の置かれている状況等のフィギュレーション(形態)が複雑で、一般化するのが難しいことである。また、私的な語りの機会は、向こう側から不意に、取り返しのつかない一回性の直観とともにやってくるので、言いたいことがあってもどう伝えればよいか分からず及び腰になる。そのことが、死の抑圧や排除の兆候になってしまう。では、どうすればよいのか。著者は、沈黙が死にゆく者をますます孤独に追い込んでいくとしたら、私たちはそこで何かが話されているという事実が親密な二人の関係を最期の瞬間までつなぎとめるのかもしれないと言明している。親密な近親者との関係の中にあった「率直さ」を、どちらの死に際しても変わらずに持ち続けるという私的な語りの可能性は、死と孤独のつながりを緩和させる一つのヒントになるのではないかと、著者は死んだ父との関係を振り返りながら提示している。

 

 以上、「死と孤独」シリーズ3編の主張内容の要約をまとめてみた。読み直してみると、あまりにも拙い内容になっているが、書き直す気力と体力がなくなったので、急いで結論的な所感を綴りたい。それは、著者が言うように一人の人間の死の意味は自己に閉ざされたものではなく、社会的で関係的なものである。また、死は「必然」と言うよりは「自然」の事実であり、私たちはすでに生まれてしまった以上、この偶有的事実を生きて、いつかどこかで死ぬのである。だったら、死にゆく者が抱える孤独とその穏やかな死の可能性に光を当てて様々な手立てを講じていく努力をしなくてはならない。

 

 最後の最後に一言。著者は生前の父親とそんなに仲がよかったわけではなく、時には怒鳴り合いの喧嘩をするような関係だったと語っているが、本書の各エッセイを読み通しながら著者の亡き父親への尋常ではない愛情を感受した。私にはここまで深い関係性を築いた父親と呼べる存在はいなかったので、無性に羨望の念が沸き上がってきた。著者は今でも父親とともに生きているのだと痛感した。

「本質観取の哲学対話」の具体化・実践化に向けて~苫野一徳・岩内章太郎・稲垣みどり共著『本質観取の教科書―みんなの納得を生み出す対話―』から学ぶ~

 毎月第2金曜日の夜に開催されている哲学カフェに、1年半ほど前からほとんど毎月通っていたが、最近二か月ほどは行ってない。理由は、私的な用事が重なっていたこともあるが、気分的に足が向かなかったことも影響している。というのは、この哲学カフェは今までは設定されたテーマに関する具体的な“問い”がないまま、参加者がテーマに関する自分の意見や考えを発言することに終始してしまうことが多く、結果的に共通了解を得ることのない対話になってしまう。だから、私は最近「テーマに関する具体的な“問い”を設定して、参加者全員がなるべく納得できる共通了解を目指すような哲学対話を経験したいなあ」と強く思い始めたのである。この思いの根底には、過去の記事でも綴ったことがあるように、「多様性の保障は大切だが、そのことが結果として悪しき相対主義に陥って個を絶対化することになると、人々にニヒリズム的な気分が蔓延するのではないか」という問題意識が私にはあり、これを克服するための方策を求めたいという願いがずっとあったことも影響を及ぼしていると思う。

 

 私が今まで探究してきた末にこの問題を克服するための方策の一つとして見出したのが、「本質観取の哲学対話」の具体化・実践化である。最初に私が「本質観取の哲学対話」を意識したのは、『はじめての哲学的思考』(苫野一徳著/ちくまプリマ―新書)という本の中で哲学対話の方法として紹介された「本質観取」であった。著者の苫野氏が、哲学対話の方法には「価値観や感受性の交換対話」(第1の方法)や「共通了解志向型対話(超ディベート)」(第2の方法)、そして「本質観取」(第3の方法)があると類型化し、この「本質観取」は20世紀ドイツの哲学者フッサールが創始した現象学の用語で、互いの信念対決を克服して皆の共通了解を図りつつ物事の“本質”を洞察する哲学的思考の“奥義”の中の“奥義”というべきものだと紹介した個所を読んだのがきっかけであった。

 

 私はそれ以来、少しずつ「本質観取の哲学対話」について学習を重ねてきていたが、今回読んだ『本質観取の教科書―みんなの納得を生み出す対話―』(苫野一徳・岩内章太郎・稲垣みどり共著)こそ、そのタイトル名通りの本であった。そこで今回の記事では、本書の執筆目的や全体構成及び内容項目を簡単に紹介した上で、本書の内容で私が「本質観取の哲学対話」を具体化・実践化するためにポイントとなると考えたことをまとめてみたい。

 はじめに、本書は主として「本質観取の哲学対話」の理論及び実践の方法を、もっと平たく言えば、哲学的な思考と対話の“本質”と種々の“コツ”を伝えることを目的としており、多くの人に本質観取に取り組んでほしいという共著者たちの願いが込められた本である。その意味で今の私にとってグットタイミングで出合った本だと言える。

 

 続いて、全体構成及び内容項目について。私が拙い要約をするより本書の目次を見てもらうのが読者の方には分かりやすいと思うので、以下に概ね転載してみる。

〇「序章 何のための本質観取か?」…本質観取とは何か?/「本質」とは何か?/「哲学対話」の先へ/本質観取の対話の意義

[第1部 理論編 本質観取を理解する]

〇「第1章 本質観取を知る」…哲学的思考の確信/哲学対話とは?/哲学―対話のジレンマ/哲学とは何か?/哲学対話の神髄/上手に問いをつくる/による承認を支える共通了解

〇「第2章 哲学のはじまり」…共同体を超える哲学/神話は「物語」、哲学は「原理」/自由に表現する哲学者/物の見方は“人それぞれ”―人間は万物の尺度である/「〇〇とは何かね?」―ソクラテスプラトンによる「本質」を問う方法/共通了解のつくりかた

〇「第3章 共通了解の原理」…プラトンの限界/プラトンイデア論」の意義/デカルトの懐疑/現象学的還元―すべては〈私〉の確信である/現象学的還元の意義を問う―改めて“相互理解”と“共通了解”へ/本質観取とは何か―基礎理論編

[第2部 実践編 やってみよう!本質観取]

〇「第4章 本質観取のやり方」…名人芸にはコツがある/本質観取の手順※(0)テーマ決め/グランドルールの確認(1)問題意識の確認と目線合わせ(3)さまざまな体験例、具体例を出す(4)本質を言葉にする(5)最初の問題意識や、途中で生まれてきた疑問点に答える/学校での実践/言語教育における本質観取の意義/自身の偏見に気づく/企業における本質観取の意義/科学技術の未来のために/「書く」ことについて/本質観取のワークシート

〇「第5章 ファシリテーターに挑戦しよう」…よきファシリテーターはよき「共同探求者」である/よきファシリテーターはよき「質問者」である/人数の工夫/場を信頼する※(0)~(5)は前述と同じ/ファシリテーションのコツのまとめ

〇「第6章 本質観取の実例」…【事例1】「自立」とは何か?※(0)~(5)は前述と同じ/【事例2】「幸せ(ボルーヌ)」とは何か?

〇「第7章 子どものための哲学(P4C)/ソクラテック・ダイアローグ(SD)」…子どものための哲学/場の安全性-誰もが安心して対話する空間をつくる/コミュニティボール(ぬいぐるみ)の役割-傾聴と安心感のシンボル/ファシリテーターの仕事-沈黙を受け入れ、流れについていく/問いを問う―関心を共有し、問いを仕上げる/ソクラテック・ダイアローグ

〇「終章 本質観取は哲学の本質である」…本質観取が描く未来/民主主義社会の成熟に向けて/「一般意志」の原理/「共生の原理」としての本質観取/「相互承認」と「共通了解」のり深い意味-多様性を支える普遍性/共に、“よりよく生きる”ために

 この後に「あとがき」付されているが、全体構成及び内容項目は以上の通りである。本書がどのような内容になっているかご理解いただけるであろう。

 

 次に、「本質観取の哲学対話」の具体化・実践化に向けて心掛けたいと私が思った[第2部 実践編 やってみよう!本質観取]の中のポイントについて触れておきたい。まず何といっても、前述した※(0)~(5)のステップを踏んだ「本質観取の進め方(手順)」は基礎・基本である。特に初めてファシリテーターを担う場合、「(0)テーマ決め/グランドルールの確認」のステップはよい「本質観取の哲学対話」になるための最初の一歩として重要である。本質観取における問いの立て方は「〇〇とは何か?」が原則であり、〇〇の中には感情や事柄、価値等にまつわるテーマが入ることを肝に銘じておくこと。また、グランドルールとして「相互承認」の原則、「傾聴」と「表現」の原則、「共通了解」の原則、「沈黙」の尊重等について確認しておくこと。これらについて、しっかりと認識しておくことが不可欠である。

 

 二つ目は、「(1)~(5)」の各ステップの意味や価値、意義を深く理解した上で、その進め方のコツを身に付けていくことが求められる。特に(2)~(4)のステップにおける以下のようなコツはまず熟知しておく必要がある。

ステップ(2)さまざまな体験例、具体例を出す…外的な知識ではなく、内的な体験を持ち寄ること。できるだけ多様な具体例をたくさん挙げること。言葉の使用例や反対の事例にも目を向けること。

ステップ(3)キーワードを見つける…ひらめいたら言ってみることを促すこと。本質契機を探すこと。類似概念と比較すること。類型に目を向けること。

ステップ(4)本質を言葉にする…事例に立ち戻って確かめること。実現の条件などをさらに深めること。発生的現象学にも挑戦してみること。場合によっては、いくつかの本質契機を見つけ出すまでで満足すること。

 

 最後に、以前から気になっていた「ソクラテック・ダイアローグ(SD)」について。本書の第7章において、「本質観取」とよく似た方法の「ソクラテック・ダイアローグ(SD)」について紹介している箇所を読み、私なりに強い興味を抱いた。その理由は、SDが参加者の発言を「言明」として残しつつ、対話の中で生じることについては、すべての参加者の合意を得ながら進めていくということや、参加者の問い方の微妙なずれを大切にして各人の着眼点や関心の違いを見て取ろうとすることなど、「本質観取」以上に合意を形成していくプロセスについて非常に真摯である点である。だから、ファシリテーターは対話の具体的な内容には関与せず、参加者間の十分な合意形成を助ける役割に徹することになる。私は、まだ「本質観取の哲学対話」に参加した経験が少なく、ましてや自分がファシリテーターとして具体化・実践化した経験も皆無であるが、機会があればSDにぜひ参加してみたいものである。

 

※追伸…2025年も残り僅かになってきましたので、本記事が本年最後になると思います。ここ数年間、心身共に寄る年波には抗しきれない状況になってきて、記事のアップ頻度が月2回程度になってしまっています。また、記事の内容も要領を得ないものになっている自覚があります。来年もこの傾向がより増していくことが予測されますが、せめて今の投稿ペースは崩さないように頑張っていきたいので、読者の皆様方にはたまに気が向いたら当ブログに立ち寄ってくださると嬉しいです。皆様方にとって新年がよい年になることを心からお祈りしています。では、また…。

竹田欲望論のキー・コンセプトと本質観取の哲学対話について~竹田青嗣・苫野一徳著『伝授!哲学の極意―本質から考えるとはどういうことか―』から学ぶ~

 当ブログの以前の記事で、私は哲学者・竹田青嗣氏の著書『欲望論』を読むためのガイダンス的な本があれば探したいとか、哲学者・フッサールの「現象学」において人々の信念対決を超えて共通了解を導く方法である「本質観取」を基本とした哲学対話について述べた本から学びたいとか記していた。そして、これらのことはずっと頭から離れることはなかったが、先日ジュンク堂書店へ立ち寄った時に偶然「これは!」と思った本と出合った。それは、『伝授!哲学の極意―本質から考えるとはどういうことか―』(竹田青嗣・苫野一徳著)である。12月に入ってやっとこの10日間ほど公私共に時間的なゆとりができたので、私はその隙間時間を活用して二度ほど読み通してみた。私が期待していた以上の内容だった。

 そこで今回は、本書の内容概要を紹介した後で、本書の中で特に「竹田欲望論のキー・コンセプトと本質観取の哲学対話について」記述されている内容を私なりに要約して綴ってみようと思う。ただし、私の力量ではやや断片的なまとめ方になることが予想されるので、この点を予め断っておきたい。

 

 では初めに、本書の内容概要を紹介しよう。本書は、哲学者・竹田青嗣氏とその弟子の哲学者で教育学者の苫野一徳氏が師弟対談という実例を通して、「哲学は、“思考の原理”であることと、その原理のバトンをつなぐ“思考のリレー”であること」を明快に示した本である。言い換えれば、竹田氏から苫野氏へと伝授された“哲学の極意”を、さらに読者へ届けようとした指南書なのである。その根底には、竹田氏が近年上梓した主著『欲望論』で示された“原理”があり、それ故に本書は「竹田欲望論」へのガイダンスの役目も担っているといってもよいと私は受け止めている。

 

 本書の全体構成とその主な論旨については、以下の通りである。

〇「第1章 哲学をよみがえらせる」…瀕死状態だった哲学をどうよみがえらせるか。

〇「第2章 哲学の根源をたどる」…哲学の歴史を振り返りながら、それがどのようにリレーされてきたか。

〇「第3章 何を、どこから、どのように考えるか」…人類が共によりよく生きるために、哲学はどんな思考の始発点からどんなふうに思考を展開していくのか。

〇「第4章 現代社会をどう考えるか」「第5章 未来社会をどう作るか」…今日の人類にとって最も重要な問題である、民主主義と資本主義の未来を展望するか。

〇「第6章 哲学をどう始めるか」…哲学のバトンを、どのようにして読者の皆さんへ受け止めてほしいか。

 

 次に、上述のような内容の中から、私が興味・関心をもっている「竹田欲望論のキー・コンセプト」について触れている箇所を取り上げ、私流に要約をしてみよう。

〇 「竹田欲望論」は、プラトンヘーゲルニーチェフッサールの四人の哲学者たちからバトンを引き継いで体系化した人間の「価値」についての哲学理論である。

〇 キー・コンセプト「価値」の原理とは、親などの養育者からやって「よい」ことと「悪い」ことの分節を教わり「善-悪」の分節が生じる。その他の人間的な価値、すなわち「ほんとう―うそ」「美しい―醜い」などはその派生として分節されるということ。

〇 キー・コンセプト「欲望―関心相関性」の原理とは、私たちの認識の一切は常にすでに私たちの欲望や関心の色を帯びているということ。言い換えれば、私たちは世界を必ず人間的な意味や価値の相において認識しているということ。

〇 キー・コンセプト「自由の相互承認」の原理とは、私たちが自由に平和に生きたいのであれば、まずはお互いの自由を認め合う約束をするしかないということ。言い換えれば、どんな生き方をしようが、どんな思想信条をもとうが、どんな言論をしようが、それが他者の自由を侵害しない限り、認め合うということ。

〇 その他、「自由の相互承認」の原理と関連して挙げられるのは、ルソーの「社会契約」と「一般意志」、ヘーゲルの「一般福祉」の原理である。

〇 「社会契約」の原理とは、人々が互いに自由を認め合い、対等の権利で契約して人民権力による統治を創り出すこと。

〇 「一般意志」の原理とは、創られた統治権力はある一部の人の意志(特殊意志)によるのではなく、みんなの意志を持ち寄って見出し合った、みんなの利益になる合意を目指すところにしかないということ。

〇 「一般福祉」の原理とは、個々の人間の福祉(Wohl=よい暮らし)ではなく、誰でもがよい暮らしにあずかることができるように互いに配慮し合うということ。

〇 近代民主主義社会の根本原理は、「自由の相互承認」。そこにおける法=権力の正当性の原理が、「一般意志」。そして、「一般意志」を目指し続ける国家は、同時に「一般福祉」(全ての人の自由、福祉、よき生)の実現を目指し続ける国家である。

 

 では、ここから私が興味・関心をもっているもう一つの視点「本質観取の哲学対話」について触れている箇所(主に「第6章 哲学をどう始めるか」の内容)を取り上げ、私流に要約してみよう。

〇 哲学の営みとは、突き詰めれば「本質観取」(物事の表象ではなく、本質を洞察する営み)である。

〇 「本質観取」とは、フッサールが提出した対象の確信構成の構造をとらえるための「現象学的還元」という方法を、具体的に展開した形である。別の言い方をすると、開かれた言語ゲームとしての哲学の基本方法を原理論として示したものであり、普通の人が哲学にアクセスするためのとても大事な方法である。

〇 「本質観取」という方法は、事実の認識の方法ではなく、人間的な真善美にまつわる価値や本質を認識する方法である。

〇 「本質観取」の具体的な方法は、まず物事の本質について外的な知識をエポケー(現象学で、客観存在の想定をいったん保留すること)して自分の経験に直接問い、比較的短い時間でできるだけ短い概念的な答えを出す。次に出てきたいろんな答えをみんなでよくにらんで、大きな共通項を総括する。それを前提にもう一度同じテーマで本質観取をやる。これを繰り返すと、何が取り出さるべき核心の点かが徐々にはっきりしてきて、出てくる答えが鍛えられていくという要領。

〇 「本質観取」のコツは、客観的世界像をしっかりエポケーできるということと、自分の生活のありようを常に深く聡明に経験すること。

〇 「本質観取の哲学対話」とは、物事の本質を一人ではなく、みんなが対話しながら納得できる言葉にして深くとらえていく形式である。

 

 以上、本書の中で特に「竹田欲望論のキー・コンセプトと本質観取の哲学対話について」記述されている内容を私なりに要約して綴ってきたが、最後に耳寄りな情報を得ることができた。それは、誰でもが「本質観取の哲学対話」にチャレンジできるように、苫野氏が哲学者の岩内章太郎氏と日本語教育学者の稲垣みどり氏と共著で『本質観取の教科書―みんなの納得を生み出す対話―』(集英社新書)を出版するということ。早速、入手して精読した上で、その読後所感を次回の記事に綴ってみたいと考えている。

 

 なお、既に小中学校の道徳科の教科書(光村図書)には、「本質観取の哲学対話」が取り入れられており、何十万人もの小中学生が本質観取に取り組んでいるのである。現職時に、私は対話を通して共通理解を見出し合っていく学びを子どもたちに経験させたいと実践研究をしていたが、その理想的な学びの一つの形が道徳科において実現しようとしていることに感慨深いものがある。このことは、必ず民主主義の土台となる学校教育のよりよい実現を図る確かな歩みになるであろう。そのことを切に願って、今回はここらで筆を擱きたい。

さらに今月下旬の出来事を日記風に振り返る~近況報告パートⅢ~

 いよいよ今日は11月の最終日。何とか月2回以上のペースで記事をアップしたいので、今月中旬頃までの出来事を綴った前回の記事に続いて、今回は下旬の休日の主な出来事について日記風に綴ってみようと思う。おそらく駄文を弄することになると思うが、ご寛容の上で読んでいただければ幸いである。

 

 まず22日(土)の午前中、松山市教育会第2ブロック(小・中学校合わせて10校が所属)の理事をしている私は、本年度新たな試みとして企画したブロック活動「親睦ボッチャ体験会」を開催するために、講師の謝礼として用意したお菓子を持ってY小学校へ自家用車で出向いた。開会時刻が9時半だったが、会場校のN教頭先生が8時過ぎには出勤すると聞いていたので、会場設営や準備物等を確認するために約1時間前に到着した。すぐに会場の体育館へ行くと玄関ドアが施錠されていたが、フロア入口に設営していたテーブルの上にはペットボトルやお土産のお菓子袋の準備物が見えたので安心した。その後、職員室を訪れると事務局長のN教頭先生が出迎えしてくれて校長室へ案内された。ほどなくして出勤してきたО校長先生と挨拶を交わしてからは、応接用ソファに陣取って今回のブロック活動に関する雑談をした。

 

    そもそも今回のブロック活動は、2学期早々に「ブロック活動に関するアンケート」を現職会員に対して行い、その結果(参加してみたい活動第1位…スポーツ系、適切な時期第1位…11月中~下旬)に基づいて企画したものである。ところが、1か月以上前に案内状を配布していたにもかかわらず、開催1週間前の期限までに参加を希望した会員は会場校であるY小学校区の現職会員3名(管理職2名と教務主任1名)と退職会員1名(私のこと)、H小学校区の現職会員1名(管理職)、T小学校区の現職会員2名(講師のH教諭の所属校管理職)の合計7名だけ。これでは活動の意義が損なわれかねないと判断した私は、自支部内の退職会員や他の支部長、支部事務局の各小学校教頭先生等へ電話連絡して参加を呼び掛けた。その結果、当日は何とか現職会員9名、退職会員4名の合計13名が参加してくれることになったという次第である。

 

    市教育会の活動方針の一つに「会員の親和と厚生・研修活動の充実」が挙げられ、具体的な取組内容には「現職会員の研修活動への支援強化」や「会員相互の親和連携の推進」等が示されている。それらを受けて、市全体の小中学校を9つのブロックに編成し、各ブロックでの活動を理事の支部長がリーダーとなって企画・運営する態勢になっているのである。第2ブロックではコロナ禍によって一時中断していた「会員懇親会」を、私が理事になった昨年度から再び開催してきた。今年度はさらに新たなブロック活動を企画・運営する方向性を昨年度以来示して、他の支部長や事務局長等に協力依頼していたのである。にもかかわらず…。

 

 つい愚痴っぽい言葉を綴ってしまったが、気分を直して当日の実際の活動内容に話を戻すことにしよう。私が開始時刻9時半の10分前に会場へ入ると、講師のH先生や参加者7・8名がフロアに立って待っていた。私は準備してもらっていたパイプ椅子を慌てて並べようとすると、各人がそれぞれ動いてくださり、開会式の体制が整った。私から簡単な開会の挨拶を行った後、早速濱田先生のリードによって参加者は2人組のチームを6組作り、対戦チームも決めた。そして、3つのコートに分かれて、試しのゲームをやってみることになった。濱田先生から提示された基本のルールは、「的になる白い球(ジャックボール)になるべく近づけるように、2つのチームが交互に青(先攻)や赤(後攻)の球を投げて、最後に一番近くで止まっている球の色のチームが勝ち」というものだった。各コートでは敵・味方関係なく、よい投げ方や作戦の工夫等を和気あいあいと教え合いながら、次第に「ボッチャ」の面白さに気付いていった。

 途中の休憩後は、「チーム内で交互にアイマスクを付けて投げる」という条件を加えて、対戦チームを変えてゲームを行った。その中でアイマスクを付けた味方に対してどのようなサポートをすればよいか、試行錯誤しながら学ぶことができ、福祉的な意義のある活動にもなった。また、パイプ椅子に座る・後ろ向きになるなど投げる姿勢を変えたり、利き手ではない方の手にしたりして投げるというルールに変更してチャレンジするコートもあった。さらに、女性の現職会員と一緒に来た年中男児もゲームに参加して、大人顔負けの好プレーを見せて盛り上がるコートもあった。「ボッチャ」という障がい者スポーツは、誰でも簡単にすぐできてルールを工夫していくとより楽しさが倍増していくので、親睦を図るには有効なスポーツである。できたら今後もブロック活動の一つとして継続していくといいのではないか。それと、ブロック活動に家族で参加することもできるようにしたら、もっと現職会員が参加しやすくなるのではないかと思った。今後のブロック活動の在り方について多くの示唆を得た活動になった。最後に、Y小学校のО校長が、本活動を通して再認識したブロック活動の意義を強調して閉会の挨拶を締めくくった。その後、参加者の多くが「楽しかった~。」と言いながら会場を後にする姿を見て、私たち主催者側は本活動を開催した満足感や達成感を味わうことができた。

 

 次に、29日(土)のお昼に我が家で一足早く開催した「クリスマス・パーティー」を中心にした出来事へ話題を移そう。このイベントを開催するために、私たち夫婦は一か月以上前から孫たちへのプレゼントを買いに行ったり、特に妻は一週間ほど前から室内の飾り付けや食卓の準備等をしたりしてきた。また、当日の早朝から台所に立ち、食事の準備にも余念がなかった。直前には私も注文していたクリスマスケーキを車で一緒に取りに行ったり、簡単な玄関掃除をしたりしたが、心の中では「そこまでしなくても…」などと呑気な気分でいたが、妻は今の自分ができることは全てしてあげたいという愛情を表現するかのように働いていた。

 

 そうこうしていると、長女とH、二女とM、そして義理姉夫婦もほどなくしてやってきた。私は早速リビングHやMと一緒にドッジボールや野球をして遊んだ。小三のHは、まだ年中のMに対して優しくボールを投げてやり、キャッチングやバッティングの仕方についても分かりやすく教えてあげていた。私と遊ぶ時はとかく甘えてばかりのHが、急にお兄ちゃんのような態度を取っているのを見て、相手や場面の状況に応じた言動ができるようになったと感心した。また、Mもボールを投げるスピードが速くなったり、上手にボールをキャッチしたりするようになり、満5歳に近付くと随分と運動能力が向上するものである。二人の孫の遊ぶ姿をみて、その成長ぶりにじいじは目を細めるばかりである。

 

 その後、チキンライスやかぼちゃのポタージュなどのばあば手作り料理に皆で舌鼓を打った。孫たちは、恒例の骨付き鶏もも肉の唐揚げのかぶりつきを見せてくれ、大人たちの笑いを誘った。それをきっかけに大人たちの楽しい会話が弾む中、孫たちはさっさと料理を平らげて、隣のリビングの間に行って二人で先程のようなボール遊びに興じ始めた。8歳と4歳の男児同士だけでも笑い声が絶えない時間をもつことができていて、大人たちは安心して食事に集中することができた。

 食後は、いよいよクリスマス・プレゼント渡し。Hにはサッカーのトレーニングシャツやキーパーグローブ、少年野球の本、タブレット置き、各種のお菓子等、Mにはポケモンのクレーンゲームや昆虫バトルセット、絵本、各種のお菓子等。二人は大人から受け取る度に、嬉しさで満面の笑みがこぼれていた。しばらく喜びの余韻に浸っていたHだったが、時計が12時半を示す頃になると急に「ケーキが食べたい。」と言い出した。1時半からサッカー練習のためにY小学校のグランドに行く予定だったので、少し焦ってきたのである。ばあばはそのことを予測していたのか、「ケーキの用意はできているよ。」と言って、適度な大きさに切ったケーキを乗せた一人一人のお皿の方を指さした。「やったー、早く食べたい。」Mも急いで食卓の方へ走り出し、皆もそれをきっかけにして場所を移動した。子どもたちは、チョコレートやイチゴの乗ったケーキを口いっぱいに頬張り、麦茶で流し込むように食べるので、あっという間に平らげてしまった。それに対して、シャトレーゼのケーキと南米産の豆で淹れたコーヒーの取り合わせは普段とは違う刺激を味覚にもたらせ、大人たちは少し贅沢な気分に浸ることができた。

 

 サッカーの練習着に着替えて車に乗り込んだHを皆で見送りしてから、Mは早速プレゼントにもらったおもちゃで遊び始めた。特にポケモンのクレーンゲームにハマって、一人で何回もやっていた。私も一緒にしたが、最初こそ私の方がうまく取れることが多かったが、次第にMの方がうまく取れるようになった。すると、私がする時にMは「うまく取れなくてもいいからね。」と言って優しい面を見せてくれていたので、精神的な成長を感じた。…

 

    ところが、その翌朝には昨日とは全く異なるMの別の面を見せる場面があった。それは、Mが「アイスクリームが食べたい。」と言い出した際に、二女が「冬でお腹が冷えすぎると困るから、チョコバッキーを半分だけなら食べていいよ。」と諭し本人も納得していたのに、ばあばが半分に分けようとするとそれに反発して泣き出し、ついには袋ごと絞るようにした上に投げ捨てて抵抗したのである。二女とばあばが、最初に納得していたのに自分の食べたいという欲求でわがままな言動を取るのはよくないと何度も諭したが、その度にますます怒りが暴発して暴れ出したのである。今まではどちらかと言えば、“聞き分けがよい”と思われていたMだったので私も驚いたが、ここはじっと黙って静観することにした。Hの時には、最後に私が堪忍袋の緒が切れたとばかりに強く叱責することもあったが、妻から事前に「Mとは普段あまり接する機会がないのだから、泣かせないように…。」と釘を刺されていたので、ここはMのことは二人に任せて沈黙を守ることにして、二階の書斎に上がって行った。

 

 約20分後に階下へ降りてみると、Mは二女に抱っこしてもらいまだ半泣きの状況だった。私は何事もなかったように、「クレーンゲームを一緒する?」と声を掛けると、「うん、しよう。」との返事。私はMと一緒にゲームを楽しみながら、「プレゼントをたくさん貰って、よかったね。」と何気なく話題を次にプレゼントを貰える行事の話に転じて、「次はお正月があり、その次は2月の誕生日があるね。」などと話した。そして、「行事と言えば、2月には豆まきがあり、去年は鬼がやってきたね。」と節分の行事に絡めて、やってきた鬼に「わがままな子はいないか。乱暴な子はいないか。」などと聞かれるけど、どう答えるのかと訊いてみた。すると、Mはちょっと気まずそうな表情になり、「わがままな時や乱暴になる時もあるけど、反省する。」と答えた。私は、「そうだね。いけないことをしてしまった時に、自分が悪かったと反省することが大事だよね。」などとさり気なくつぶやいて、この話を終わらせた。このことをMがどれほど真剣に受け止めたか分からないが、今回のことに対して無関心を装うのではなく、私なりの関わり方の痕跡を残したかったのである。いやはや、孫育てもいろいろと思案しながら悪戦苦闘する今日この頃である。

再び今月の出来事について振り返る~近況報告パートⅡ~

 今月上旬、私のパソコンのWebサイトに「トロイの木馬」に感染していると警告し、その解決策を講じるために電話連絡をさせて金銭を要求するサポート詐欺の画面が出てきた。私は即座に詐欺を疑いパソコンを強制終了させて、翌日にはプレミアム会員になっているアプライド松山店に持ち込んでその事態の問題解決を依頼した。ご承知の方も多いと思うが、「トロイの木馬」とは情報端末の内部に侵入してシステムを破壊したり、情報を外部に流出させたりするプログラムである。私のパソコンの場合、実際に「トロイの木馬」に感染した訳ではなかったので大事に至ることはなかったが、念のためのウイルス感染チェックや駆除等の作業も依頼したので、私の手元にパソコンが返却されるまで結構時間が掛かり、新しい記事をアップすることが叶わなかった。

 

 そのような事態に見舞われている内に、気が付けば今月も下旬に入ってしまったので、前回と同様に今月の出来事について振り返るような記事を綴ってみようと思う。前月に引き続き今月も休日は公私にわたる行事が多く、じっくりと読書に浸る時間が取れなかったために、読書所感を中心とした記事を綴ることが難しかったというのが正直なところである。

 

 まず、今月3日(月/文化の日)には久し振りに孫Hを連れて「えひめこどもの城」へ行き、木造のアスレチック遊具(コシロ・アドベンチャー)で遊んだり、てんとう虫のモノレールやボブスレーに乗ったりして半日ほど楽しんだ。Hはモノレールには一人でも乗れるのだが、「ボブスレーは自分でスピードを調節して走るのが難しくて、一人では怖くて乗れない。」と言うので、私と一緒に乗った。それでも結構緊張して乗っていたが、ボブスレーを降りるなり「来年は一人で挑戦してみたい。」と意気込んでいた。様々な体験や経験を積み重ねていく中で、少しずつ自己効用感を高めているように感じ、私は頼もしく思った。

 次に、4日(火)は私が勤務するN中学校の振替休業日だったので、私は鶏のから揚げで有名な“ミュンヘン”という店で昼食を妻と共にした後、“カラオケJОYSОUND松山市駅店”へ行った。私は主に石原裕次郎吉幾三鳥羽一郎等が歌う演歌を中心に、また妻は八神純子松田聖子テレサテン等が歌うポップスを中心に、交互に2曲ずつ歌った。私の十八番は竜鉄也が歌った「奥飛騨慕情」、妻のそれは安全地帯の玉置浩二が歌った「恋の予感]で、精密採点システムを使用した採点では私が89~90点、妻が93~94点になる。妻は大学在学中は声楽の勉強をしていたので発声が素晴らしく、音程もしっかり取れているので聞きごたえがあるが、私の方は地声で音程も少し怪しくなる。でも当人は自己満足の境地である。

 

 8日(土)の午前中は、3年生のHが通うY小学校の「校内音楽会」が体育館で開催されたので、長女と私たち夫婦、義理姉の4人で聴きに行った。3年生はプログラム1番で、歌唱「パッピーミュージック」・リコーダー奏「かえり道」・合奏「聖者の行進」を披露してくれた。合奏で木琴を担当したHは、指揮者の先生の方へしっかりと目を向け、リズムよく演奏していて、とても楽しそうだったので私は安心した。最近、習い事のピアノレッスンへ行くのを渋っていたので、音楽に苦手意識をもっているのではないかと心配していたが、それは杞憂に過ぎなかったようである。豊かな情操の涵養や運動能力の向上を図るためには、小さい頃から音楽やスポーツという文化に親しむことは意義があると思うので、できるだけピアノレッスンも続けてほしいものである。

 そうそう運動面では、9日(日)はHの通っているベースボールスクール「ポルテ」の一日合宿のイベントが伊予市双海町下灘にある「しもなだグランドの体育館」で実施され、Hも終日参加した。私は朝の8時半前には妻とHを乗せた自家用車で出発し、約50分後に目的地へ到着した。予定では活動場所はグランドだったが、当日はあいにくの小雨模様だったの体育館に変更された。「ポルテ」松前というチームに所属して毎週月曜日の夕方の練習へ参加し始めてまだ2か月半ほどしか経っていないHは、「ポルテ」の他チームのメンバーと交流するのは初めてだったので、最初は顔が強張っていた。しかし、開会式~ランクアップテストと活動が進んでいくにしたがって、徐々に頬が緩み笑顔を見せて活動することができるようになった。そして、昼食を他のメンバーと一緒に取ったりおしゃべりをしたりした後、午後からの試合形式の活動の場面になると生き生きとした様子を見せるようになった。バッティングではホームランを4本打ったり、守備面でも進んでキャッチャー役を引き受けたり、下学年チームのキャプテンになったりして大活躍だった。また、お楽しみイベントでは柔らかいボールでの雪合戦のようなゲームでも、汗びっしょりになって動き回っていた。夜の帳が降り始めた頃に出発して帰路につく車中で、Hは興奮しながら自分の活躍ぶりをずっとしゃべっていた。野球に対して徐々に自信を持ち、興味・関心を高めているHの姿に、ついついほくそ笑んでいる私の顔が窓ガラスに映っていた。

 また、先週の16日(日)には新居浜市に住んでいる孫Mの「七五三祝い」があり、私たち夫婦は朝の8時半頃に自家用車で目的地の一宮神社を一路目指して出発した。御宮詣の時刻は10時半だったが、私たちが目的地に到着したのはその約1時間前だった。それにもかかわらず神社の所定の駐車場はほぼ満杯だったが、私はわずかに1台分のスペースが空いていた場所へ車を滑り込ませて駐車して、二女夫婦とM・父方の祖父母の到着を待った。そして、待つこと約50分。一台の黒のセダンが駐車場に入ってきて、たまたま空いていた駐車スペースに止めた。中から顔見知りの人々が降りてきて、しんがりはM。「おーっ、素晴らしい晴れ着姿。紺色を基調とした立派な着物だね。」つい私は妻に語り掛けて、Mの通う保育園の運動会以来の再会を皆で喜んだ。Mは少し恥ずかしそうにしていたが、私たちが近付くと嬉しそうな表情を見せて、順々に抱き付いてくれた。その後、神主さんによるお祓いの儀式を受けて、記念撮影を何度も行った。全員での撮影の際は、たまたま神社にお参りに来ていた老年夫婦にシヤッターを押してもらったが、その女性が本職の写真屋さんのような声掛けをしてくれたお陰で疲れ気味のMも笑顔で写真に納まることができた。最後は、イオンモールに入っているフォトスタジオで今度は本当のプロによる「七五三祝い」の記念写真を何枚も撮ってもらった後、昼食会場で美味しい日本料理に舌鼓を打たせてもらった。この日は清々しい秋晴れの中、爽やかなお祝いムード満杯の一日になった。

 まだまだ今月起こった出来事の記事を綴りたいが、キーボードを打つ腕が痺れてきたので、続きは次回に「近況報告パートⅢ」として綴りたいと思う。乞うご期待を!