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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

児童福祉の視点からとらえた「家族のカタチ」とは?~宇佐美まこと著『展望塔のラプンツェル』と『月の光の届く距離』を読んで~

 前回の記事を綴ってからもう3週間近く経ったが、その間に12日(金)には松山市男女共同参画推進センター(通称コムズ)を会場にして「快と不快」というテーマで開催された「哲学カフェ」へ、13日(土)には愛媛大学教育学部3号館を会場にして開催された「生活科の実践交流会(愛教研生活科夏季研究会に向けての事前研修会)」へ参加するなど、心に深く刻まれた出来事が何回かあった。それぞれに他の参加者との豊かな交流があり、自分の認識を再構築する経験をしたが、それらを当ブログの記事として綴る時間を取ることができなかった。ただし、職場での休憩時間や家庭での隙間時間等を活用して、何冊かの小説やエッセイを読むことはできていた。

 

 私が勤務する市立N中学校の図書室で借り出した『展望塔のラプンツェル』(宇佐美まこと著)、哲学カフェが開催されたコムズの図書コーナーで借り出した『月の光が届く距離』と『愚者の毒』(共に宇佐美まこと著)、孫Hをサッカーの試合会場へ送っていったついでに立ち寄った市立三津浜図書館で借り出した『父のしたこと』(青山文平著)という時代小説や『老人流』(村松友視著)というエッセイなどである。このように列挙してみれば歴然としているが、宇佐美まこと氏の作品が3冊も入っている。そうなのだ、私には今ちょっと「宇佐美まことブーム」が来ているのである。

 

 そこで今回は、その中から『展望塔のラプンツェル』と『月の光が届く距離』の2冊を取り上げ、著者が児童福祉の視点からとらえた「家族のカタチ」を提示していることを受けて、それに対する私なりの考えを思いつくまま綴ってみようと思う。どこまでまとまりのある文章として示すことができるか甚だ心許ない限りだが、「考えてから書く」というより「考えながら書く」という手法で綴ってみたい。

                                           

 まず、それぞれの小説の概要を紹介しておこう。『展望塔のラプンツェル』の「ラプンツェル」とは、グリム童話の少女ではなく、荒廃した街・多摩川市にそびえ立つ給水塔に閉じ込められ、児童虐待(ネグレクトも含む)の危機に晒されて育った子どもたちの隠喩である。本書では三つの物語が語られるが、その一つは中学校時代の同級生で17歳の「海」と「那希沙」の物語である。二人とも「海」の母親「ライザ」以外の大人を信じておらず、学校にも行っていない。そして、「海」が「晴」と名付けた児童虐待を受けている無口な5・6歳の男の子と一緒に、貧困と暴力の街で凄まじい日々を生きている姿がリアルに描かれている。二つ目の物語は、児童相談所の「松本悠一」とこども家庭支援センターの「前園志穂」が、息も抜けないほど多忙な日々を送る姿が描かれている。そして、三つ目の物語は、先の二つの物語の合間に挿入される形で、不妊治療専門外来に通う「落合郁美」が何としても子どもが欲しいのにもかかわらず、なかなか得られないという悶々とした姿が描かれている。

 

 この三つの物語が最初はパラレルに展開していくのだが、ラストの部分ではクロスしていき、驚きの結末を迎える顛末はスリリングで読みどころ満載になっている。本書は、「どんなに暗く辛い境遇にあっても、未来は決して捨てたものではないよ」という著者の温かいメッセージを、読者一人一人の胸の奥にそっと届けるような小説である。

 

 一方、『月の光の届く距離』は、予期せぬ妊娠をした17歳の女子高生「美優」が、福祉の力を借りて奥多摩にあるゲストハウス「グリーンゲイブルズ」に身を寄せて、様々な事情を抱える「未来」「太一」「久登」という子どもたちや、その里親になっている「明良」「華南子」という兄妹、そして高齢の母「類子」との生活を通して、命の選択や「家族のあり方」を見つめ直すという感動の長編小説になっている。

 

 本書は、主人公の「美優」を中心にしながらも、「明良」「華南子」「類子」の人生行路における複雑な情況を細かく描くことで、それぞれのキャラクターの陰影を見事に表現していて、物語に奥行きを持たせている。また、「第一章 夜の踊り場」「第二章 夜叉を背負って」「第三章 たった一つの恋」「第四章 月の光の届く距離」という巧みな構成によって、物語をより完成度の高いものに仕上げており、ともすると常識的な家族観に囚われがちな読者に新たな「家族のカタチ」の価値を示しているような小説である。その意味では、本書は『展望塔のラプンツェル』の続編といってもよいのではないだろうか。

 

 ここで言う常識的な家族とは、いわゆる「血のつながった家族」のことである。しかし、この2作品で描かれる「家族のカタチ」は、児童虐待(ネグレクトも含む)を受けているために誰かの保護が必要になったり、予期せぬ妊娠によって特別養子縁組をしなければならないような子どもたちが、ある時は同じような境遇にいる子どもたち同士が生活を共にしたり、ある時は実の親元を離れて里親の下で暮らしたりするような「血のつながらない家族」である。私も複雑な出生事情のために「血のつながらない家族」の中で育った当事者なので、この「家族のカタチ」を実感としてとらえることができるが、それは常識的な家族と同様、いやそれ以上の深い愛情によって結ばれている関係である。

 

 著者が児童福祉の視点から提示している「家族のカタチ」は、常識的な家族において愛情に欠ける扱いを受けて辛い体験をした者同士が形作っているので、お互いの事情や情況を察したり理解したりした上で相手の気持ちを尊重した接し方ができており、深い愛情で結ばれている。私は、常識的な家族でも息苦しく生きづらい関係性になっている場合もあると思うので、著者の提示する「家族のカタチ」はやや理想的すぎるかもしれないが、望ましい家族の関係性のモデルになっている。このような関係性の中で育つ中で、深く傷ついた体験をしてきた子どもたちが心身共に健全に成長していくよう、児童福祉制度が有効に機能していってほしいと願う。

 

 私はそのような考えをもちつつも、27日(土)の午前中に近くの神社で行った長女の第二子H子のお宮参りや記念撮影の場では、この上ない喜びを味わった。また、今日28日(日)の午前中も長女の第一子Hのサッカーの試合があり、その応援のためにいそいそと出掛けて孫の活躍を一心に願いながら観戦した。さらに、新居浜市に住んでいる二女の第一子Mが発熱しているとLINEで連絡を受けると、居ても立ってもいられないほど心配してしまう。つまり、「血のつながり」を基盤にした親密な関係性を大切にして生きているのである。

 

 私は、生物的なつながりより社会的なつながりを重視したいと考えるものの、可能であれば生物的なつながりに基づいた社会的なつながり、言い換えれば「血のつながり」のある関係性を豊かな愛情で包まれたものにしたいという思いが強いのだと思う。したがって、結論としてはあまりに常識的な考えに落ち着くが、生物的なつながりか、社会的なつながりかという二者選択ではなく、「生物的つながりも社会的なつながりも」という一体的な「家族や親戚関係のあり方」を求めたいのである。

故・岸田秀氏の「史的唯幻論」の神髄に触れる!~岸田秀著『岸田秀最終講義DVD本』所収「最終講義2004年1月31日」(和光大学における最終講義レジュメ)を読んで~

 5月29日(金)付けの地元地方紙の著名人の死亡記事を見て、私は大きなショックを受けた。私の人生のターニングポイントにおいて多大な影響を及ぼした思想家で心理学者の岸田秀氏が、老衰のために自宅で死去(享年92歳)したとのこと。ご逝去の日は、何と私たち夫婦が晴れやかな気持ちで参加した文部科学省関係の「春の叙勲」の勲章伝達式と天皇陛下への拝謁が実施された5月25日(月)だった。慶事と弔事という非日常という点で、私は何か深い縁を勝手に感じて、しばし呆然としてしまった。

 

 以前の記事でも綴ったことがあるが、私が岸田氏の「唯幻論」に初めて出合ったのは20代後半であった。教員生活6年目に愛媛大学教育学部附属小学校へ転勤し、新婚生活を始めたばかりの私は、学級経営における子どもとの関係性や家庭生活における嫁姑の関係性等、公私において厚い壁に突き当たって悶々とした日々を送っていた。そのような時期に、学年主任のĪ先生の紹介で読んだ『ものぐさ精神分析』(特に「私の原点」という論考)は、それまでの私の世界観を相対化して、解決困難だと諦めかけていた厚い壁を乗り越えるきっかけを作ってくれたのである。それ以来、岸田理論の虜になった私は、彼の著書群を読み継ぎながら、その時々のクライシスな情況を脱してきた。つまり、私にとって岸田秀という人物は、人生行路におけるかけがえのない師であり、心の支えになる存在だったのである。

 

 私は無性に岸田氏の在りし日の姿を偲びたいと思い、彼の著書の中では数少ない未読の書『岸田秀最終講義DVD本』の表紙裏に貼付されていたDVDを視聴してみようと考えた。ところが、残念ながらそれはどこかに紛失してしまっていたので、本書所収の「最終講義2004年1月31日」(和光大学における最終講義レジュメ)を読んだ上で、YouTubeにアップされている「岸田秀最終講義」の動画を視聴することにした。

 そこで今回は、この最終講義レジュメから引用したり必要な箇所を要約したりしながら、YouTubeの視聴でも確認した岸田理論の一つの柱である「史的唯幻論」について綴ってみようと思う。その理由は、岸田氏の多大な業績に対する敬意を表することになり、引いては故人のご冥福をお祈りすることになると信じるからである。

 

 フロイド理論を下敷きにして、人類の歴史というのは、本能が崩れて幻想のなかに迷い込んだ人類の焦りと足掻きの経緯をこれまた勝手な幻想に基づいて物語に仕立て上げたものであるという「唯幻史観」あるいは「史的唯幻論」を提唱した岸田氏は、その立場から日本の皇国史観や東京裁判史観、アメリカの建国神話、さらにヨーロッパの進歩史観等を様々な著書の中で批判してきた。その中でも『一神教vs多神教』という本は、ヨーロッパ人(アメリカ人やロシア人も含めて)が信奉している進歩史観に基づく世界史はヨーロッパ中心的(自己中心的)過ぎて偏っており、彼らに都合のいいようにできているとしか思えないから、それを書き直したいという動機で書かれたものである。

 

 では、その歴史仮説とはどのようなものだったのだろうか。以下、岸田氏の最終講義レジュメからほぼ引用してみる。

 

 最初の人類はアフリカに発生した黒人種であったが、その黒人種の間に白子(アルピノ)が発生し、どちらが避けたのか、白子は白子で固まり、もっぱら白子同士の交配が行われて白人種が成立する。彼らは毛色が違っていたために、黒人種からさらに差別されて、一万年ぐらい前、北の寒冷地のヨーロッパへと追っ払われる。

 

    何千年か前、アフリカに黒人であるエジプト人が人類最初の大帝国、エジプト帝国を作る。この帝国は征服地を北に広げ、征服地から奴隷を連れてきて使役したが、この奴隷は白人であった。紀元前13世紀に、この白人奴隷たちがモーセという指導者に率いられてエジプトから逃亡する。この逃亡奴隷たちが何十年かの苦難の旅のあと、カナンの地(今のパレスチナ)に到達し、唯一絶対神ヤハウエを信仰するユダヤ教を創始し、イスラエル王国を建設し、しばらく栄える。

 

 しかし、紀元前10世紀に南北に分裂し、8世紀に北のイスラエル王国、6世紀に南にユダ王国と、いずれも滅亡して、ユダヤ民族は四散する。そのうち、ユダヤ民族は戻ってくるが、ペルシャ、マケドニア、エジプト、シリアなどに支配され、そのあと、短い独立時代があるが、そのあとまた、ヘロデ王の支配下で、ローマ帝国の直轄の属州となる。この属州で、紀元1世紀の初め頃、ローマ帝国に迎合するユダヤ支配層に対して、イエスを奉じて反抗する一群のユダヤ人が出現する。危険人物視されたイエスは処刑される。そのあと、イエスのグループとは別のユダヤ人が二回にわたってローマ帝国に対する反乱を起こし、惨敗してユダヤ民族は決定的に離散する。

 

 他方、イエスのグループはイエスをキリストと仰ぎ、パウロを指導者としてユダヤ教から離脱し、キリスト教を創始し、キリスト教はローマ帝国の下層民のあいだに猛烈な勢いで広がる。ローマ帝国は、最初、キリスト教徒を弾圧し虐殺するが、4世紀末、ついに屈してキリスト教を国教として採択する。それ以後、ローマ帝国はキリスト教を植民地のヨーロッパに押しつけ、広める。固有の民族宗教を捨てさせられ、キリスト教を押しつけられたヨーロッパ人は屈辱に呻く。

 

 それからの何世紀か、キリスト教に対する不満はいろいろな形の異端となって噴出する。ついに16世紀に、かつてローマ帝国から、そしてその滅亡ののちはローマ教会から押しつけられたキリスト教(カトリック教)に文句をつける諸宗派がヨーロッパに出現し、プロテスタント(文句屋)と呼ばれる。このプロテスタントの一派、ピューリタンが迫害され、新天地を求めて17世紀の初め、ヨーロッパからアメリカ大陸へと逃亡し、そこの先住民を追っ払って、その翌世紀、アメリカ合衆国を建国したのである。

 

 つまり、アメリカ人は、黒人に差別された白人のなかで、さらに奴隷にされて差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタンに端を発するという、四重の被差別のどんづまりの民族なのである。このような歴史的背景が、その抜群の軍事力で気に入らない他民族を攻撃し虐殺し、現代世界を支配しようとしているらしいアメリカという国の思想と行動を説明するのではないかと考えている。

 

 さて、このような岸田氏の歴史仮説は、アフリカの黒人に追っ払われた白人のヨーロッパ人と、エジプトの黒人に追っ払われた白人のユダヤ人という二つの前提を出発点にしており、生物学的な人種が先で差別が後と考えるのではなく、差別が先で人種が後と考えている。言い換えれば、人類に人種が発生したのは、人類が人種にこだわっていたし、こだわっているからなのである。このように岸田氏は、人類の歴史は人種の成立の時代から書き直されなければならないと考えているのである。

 

 ところで、差別が人種の分岐の出発点であるとしても、そもそも、なぜ人間は毛色の違った者を差別するのであろうか。この点についても、岸田氏は次のような説明をしている。

 

 人類は本能が壊れたので、本能に基づいて集団を形成し、生きてゆくということができなくなり、本能に代わる自我を基軸として集団を形成せざるを得なくなった。この自我は確固とした現実的基盤を欠いた不安定な幻想であって、その不安定さをいくらかでも解消するためには、自我を自分と同じような人がいるということで、初めて自分もこのような形で生きていていいのだと思えて安心できるのであった。したがって、毛色の違った者がいると、目障りなのである。自我の安定を脅かすからである。黒人は白人に取り囲まれていると、白人は黒人に取り囲まれていると、居心地が悪く、不安なのである。ここに差別の根源がある。

 

 以上、岸田理論の一つの柱である「史的唯幻論」とその根底にある「唯幻論」の考え方について、最終講義のレジュメから引用したり必要な個所を要約したりすることでまとめてみた。あまりにも大雑把すぎて読者の皆様にその「神髄」を十分に説明することができなかったかもしれないので、できれば本書所収の「最終講義2004年1月31日」(和光大学における最終講義レジュメ)に目を通したり、YouTubeにアップされている「岸田秀最終講義」の動画を視聴したりして詳細について確認していただくと、その理論的な組み立てについて納得してもらえるのではないだろうか。そして、そのことは故人の偉大な業績に対して敬意を表することになると私は確信している。最後に、ご冥福をお祈りして…合掌

「春の叙勲」受章伝達式と拝謁を経験した旅の思い出を綴る!~夫婦同伴紀行~

 夫婦同伴では10年ぶりの東京への旅だった。日程は5月24日(日)~26日(火)の2泊3日だったが、今回は単なる観光目的の旅ではなく、私が「春の叙勲」で「瑞宝双光章」受章の栄に浴したので、配偶者同伴で25日(月)にホテルニューオータニ東京にて行われる伝達式へ参加し、引き続き皇居に参内して天皇陛下に拝謁することが主たる目的の旅だった。

 

 そこで今回は、「春の叙勲」受章伝達式と拝謁の経験を中心にしながらも、それ以外にも三つの観光場所を夫婦同伴で巡った旅の思い出を時系列に即して思いつくまま綴ってみようと思う。読者の皆様にはほとんど興味がない思い出話になるとは思うが、当ブログの記事は元々私の認知症予防策の一つとして綴っているので、その点をご容赦願ってお付き合いいただければ幸いである。

 

 では、初日の5月24日(日)から振り返ってみよう。松山空港まではタクシーを利用したが、日曜日ということもあって道中ほとんど車が混むことはなかった。そのおかげで搭乗手続きまで時間的な余裕があったので、落ち着いた旅立ちになった。9時35分発のANA584便も、ほぼ定刻の11時過ぎに羽田空港へ到着した。約1時間半の空の旅ではあったが、私たちは久し振りの飛行機で少し緊張しながらも窓から見える眼下の景色を楽しんだ。羽田空港からは京急空港線快特で新橋駅まで行き、そこから東京メトロ銀座線へ乗り換えて赤坂見附駅までスムーズに移動したが、時計の針は正午を示していた。翌日に妻が着る色留袖の着付けやヘアーセットなどの相談があるので、昼食を取らずに徒歩でホテルへ直行した。

 

 着付け相談が14時頃には終わったので、私たちは予定していた国会見学のために徒歩で国会議事堂前の見学受付場所へ行った。バス駐車場近くの土産物屋へ行くには時間的余裕がなかったので、仕方なく見学最終の受付開始時刻15時まで待合室に留まった。日曜日の見学は衆議院の国会議事堂内だった。私たちは案内係の方の指示に従いながら赤絨毯の上を歩いた。まずは説明テープの音声を聞きながら衆議院議場を上から見学し、次に天皇陛下が休憩される格式高い「御休所」という部屋の前を通り、引き続き伊藤博文や板垣退助、大隈重信の銅像が立つ中央広場を抜けて前庭まで、約1時間の見学コースだった。最後には、正面に国会議事堂を望む撮影スポットで記念写真を撮ってもらい、大満足の観光になった。夕食は、赤坂見附駅近くの「大戸屋ごはん」で鶏と野菜の甘酢かけ定食を注文して、久し振りで外食の味を堪能した。

 

 ホテルに帰った時にはもう18時近くになっていたが、チェックインの手続きをして素敵なツインの部屋に案内してもらった。その後、妻がカフェインレスの珈琲が飲みたいと言ったので、二人でホテル周辺にあったコンビニへ入った。残念ながら希望の品が見つからず、近くのドラッグストアでも探したがまたもやなかった。仕方なく私は妻の安眠を保障するためにいびき防止の鼻呼吸テープを購入した。初めて鼻呼吸テープを唇に貼って寝たが、思ったほどは不快感がなかったので2泊目も実行した。でも、妻はホテルの枕や襟のある寝間着が気になってあまり睡眠をとることができなかったらしく、私の努力は実らない結果になってしまった。残念!

 

 次の日25日(月)は、いよいよ勲章伝達式と拝謁の当日。伝達式会場での受付時間は9時~10時だったが、妻は6時半から地下一階にあるサロンへ行き、約1時間半を掛けて着付けやヘアセット・メイクなどをしてから部屋に戻ってきた。この年齢になって気恥ずかしい限りだが、薄紫の色留袖を着た妻を見て、私はまた惚れ直してしまった。あと数年で古希を迎える妻だが、とても若返ったように見えた。8時半前になったので私も自前のモーニングに着替え、室内でお揃いの晴れ着姿の写真を何枚も撮った。そうこうしている内に8時50分を過ぎたので、私たちは急いで部屋を出て、無人のエレベーターに乗り込み、会場の「鳳凰の間」がある1階のボタンを押した。

 

 受付場所へ行くと、すでに多くの受賞者と配偶者の組が並んでいた。当然ながら皆さん正装姿なので、そこは晴れやかな雰囲気に包まれていた。受付では、勲記が入った筒と勲章が入ったケース、バス号車や座席番号等が書かれたプリントなどを受け取り、案内係の文科省職員に先導されて自分たちの座席までゆっくりと歩いていった。会場内では「令和8年 春の勲章伝達式」という看板の掛かり、見事な松の盆栽が置かれたステージを前に、何組もの受章者たちが記念撮影をするために列を作って並んでいた。私たちは少し躊躇したが、まだ開式まで45分間ほどあったので、列の最後尾に並び順番を待った。前後の組が交互に写真を取り合うような暗黙のルールで記念撮影をしていたので、私たちの次に並んでいた方々と互いのスマホで記念写真を撮った。

 

 開式時刻が迫ってくると、司会進行の文科省職員が式次第の要領を説明し始めた。気が付くと、自然に私の手の平が汗ばんでいた。緊張してないようで、無意識に身体は反応するものなのである。そうこうしていると、松本文部科学大臣を筆頭にした来賓の皆様が入場し、ステージ上の所定のパイプ椅子に座られた。「開式の言葉→国歌斉唱→勲章伝達→祝賀曲奏楽→文科大臣挨拶→勲章受章者代表挨拶→閉式の言葉」という次第が厳粛に進む中、私の心に特に印象に残った場面は、バイオリンやチェロ、ビオラなどのアンサンブルによる演奏。クラシック音楽には疎いので曲名は覚えていないが、東京音楽大学の学生4名による息の合った演奏は、私の心を清らかにしてくれるような調べを奏でてくれた。

 

 式後、バスの号車ごとに皇居へ出発したが、私たちの乗るバスは7号車だったので乗り込むまでかなりの時間を要することになった。勲章を付けた正装での記念写真はまだ撮っていなかったので、私たちはステージ斜め前に順番待ちしている列に再び並び記念写真を撮ってもらった。気分的にリラックスした情況だったので、自分でも最初の撮影時よりは柔和な表情でカメラに収まることができたように思う。

 さて、次は皇居へ参内し、天皇陛下に拝謁した際の様子。皇居の駐車場に並んだ貸切バス10台から受章者とその配偶者たちが次々と下車し、数少ないトイレを利用しようと長蛇の列を作っている様は少し異様な風景だったが、ほとんどの方は70代以上なので止むを得ない仕儀なのだなあと思った。私たちは事前にホテルで用を足していたので、駐車スペースから少し離れた大樹の陰に入ってゆっくりと休憩することができた。しかし、7号車担当の文科省職員の指示を受けてバスに戻るまでを含めると、拝謁まで結構長い時間待たされた。担当者から車内で諸注意を聞いた後、やっと宮殿内へ案内された。

 

 拝謁会場の「春秋の間」は、中庭を挟んで宮殿の中心をなす正殿という建物の正面に位置していた。立派な絨毯が敷き詰められ、壁面には春秋を表す絵が描かれている荘厳な雰囲気漂う部屋へ入った私たちは、所定の椅子に着座して天皇陛下のご来場を待つ間、担当の宮内庁職員から拝謁の次第や宮殿の建物等について丁寧な説明を受けた。説明中、受章者たちの緊張感が漂っていたからか、宮内庁職員は場の雰囲気を和らげるような配慮をしてくれた。いよいよ天皇陛下がご来場になり、式台へ登壇された時、私はテレビでよく拝顔している通りのご様子を目の当たりにして、気分がとても高揚していた。「受章者代表のお礼の言葉→天皇陛下のお言葉→受章者へのお言葉掛け」という次第はあっという間に進んでいった。最後の場面で、陛下直々に質問された受章者の皆さんはとても緊張されている様子だった。その後、バスの号車番号順に記念撮影があり、宮内庁から写真付きのポストカードやお饅頭をいただいた後、それぞれバスに乗り込んで皇居を後にした。

 

 受章伝達式と拝謁という今回の旅のメインイベントを終えた私たちは、ホテルに戻るとすぐに普段着に着替えをした。妻は普段着慣れていない着物で早朝から過ごし、その上に緊張する場面が多かったので、洋服に着替えて自分たちの部屋に戻った時には本当にほっとした表情になっていた。しばらく部屋でくつろいでから、私たちは明日訪問する明治神宮へ行く中央・総武線の改札口や運賃等を確認するとともに、ゆっくりと夕食を堪能することができる店を見つけるために、ホテルを出て四ツ谷駅方面へ徒歩で進んだ。上智大学の正門前を通った時に思った以上に目的地まで遠く感じたので、スマホで位置関係を確かめてみるとすぐ近くだったのでほっとした。

 

    JR四ツ谷駅で知りたいことを確認できたので、私たちは適当な店を探して歩いた。すると、駅近くで地下一階にある「とんかつ&焼き鳥AN(庵)」という店を見つけたので、あまり迷うことなく入店した。まずは生ビールと焼き鳥盛り合わせを注文し、二人で乾杯をした。その後、私はロックの芋焼酎、妻はグラスワイン、付け合わせとしてしいたけやししとうの串焼きや胆振ガッコ、そして私は定食セットまで追加してしまった。夫婦だけの飲み会は本当に楽しかった。今回の旅のよい思い出の一つとなった。

 

 では、最終日の26日(火)の行程を振り返ってみよう。まず、朝食をガーデンタワー40Fにある「タワーレストラン」で取るために、開場時刻6時半までにエレベーターで昇ったが、店前には既に10名を超える客が並んでいた。入場する際に前の外国人の団体に対して店員が入店手続きに戸惑ったため、私たちは少し待たされたが、ブュッフェ形式だったので、手早く自分の好きな料理を選んだ。妻は和風、私は洋風の料理選択だった。私たちは料理の味を堪能するようにゆっくりと食べた。大きな窓ガラスの外には高層ビル街が見えて、首都東京という風景に見とれてしまった。店内を見回すと、ホテルニューオータニ東京の客の8~9割は外国人ではないかと思うほど、ビジネススーツを着た欧米人が目立っていた。

 

 朝食後、部屋に戻った私たちは手早く手荷物を整えて、8時過ぎにはチェックアウトをした。前日下調べしていたので、JR四ツ谷駅から代々木駅までスムーズに移動することができた。代々木駅のロッカーに手荷物を入れて、目的の明治神宮まで徒歩で移動することにしたが、途中で道に迷い少し遠回りして北参道入口に立った。火曜日の朝だったので、思ったほど観光客はいなかった。鳥居の前で一人ずつ写真を撮っていると、アジア系の外国人親子から「写真を撮ってあげようか。」というニュアンスで話し掛けられたので、お願いをして夫婦二人で並んだ記念写真を数枚取ってもらった。また、さらに進んだ正参道の鳥居のところでも若い女性に取ってもらった。その後、本殿をお参りしてから自分たちや親戚のためにお守りなどを購入していたら、1時間半ほど時間は経っていた。私たちにとって思い出深い明治神宮観光になった。

 代々木駅に戻った私たちは、次の目的場所である国立西洋美術館へ向かうために山手線外回りで上野駅を目指した。約30分間の電車旅を終え上野駅に到着した時には、11時半前になっていた。私たちは国立西洋美術館に高齢者待遇で無料入館することができ、混んだらいけないので先に館内のカフェレストラン「café すいれん」へ入り、名物のオムライスを美味しく食した。その後、常設展の絵画や彫刻等の作品をゆっくりと歩きながら約1時間を掛けて鑑賞したので、大変優雅な気持ちになることができた。そして、気に入った作品の傍に立って記念写真を撮り合い、よい思い出作りができた。もちろん自分や親戚のためにお土産を買うのも忘れなかった。私は読書好きの自分のためにお気に入りのブックカバーとしおりを購入した。妻も自分のために様々な品物を入手していた。

 

 帰りの飛行機は、17時30分発の松山行ANA595便。羽田空港でお土産のお菓子類を買うつもりだったので、上野駅から山手線外回りで品川駅へ行き、そこから京急本線急行で羽田空港第2ターミナルまで行った。羽田空港では私は勤務校の教職員約50名分へのお土産の洋菓子を買い、妻は義理姉夫婦や3人の孫たちへのお土産を買った。そして、素早く搭乗手続きを終わらせ、30分ほど前には出発ロビーに到着することができた。帰りの便もだいたい予定通りに19時過ぎには松山空港へ到着した。預けておいたキャリーバックを受け取って出口を出ると、義理姉夫婦が出迎えてくれていて、とても嬉しかった。自宅までの車中での会話では、旅行中の楽しい思い出や心に残った出来等、話題には事欠かずあっという間に自宅玄関前まで送ってもらった。

 

    本当に心に深く残った「春の叙勲」受章伝達式と拝謁を経験した夫婦同伴の2泊3日の旅になった・・・私の「瑞宝双光章」受章に関連するイベントに付き添ってくれた妻には、心から感謝の意を表したい。

子どものとらえ方に関する「アスペクトの閃き」を体験した出来事を振り返る!~「100分de名著」におけるウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』『哲学探究』のテキストから学ぶ~」

 四国の山間を舞台に、人間の狂気と再生を描くダークファンタジーの『入らずの森』(宇佐美まこと著)を読了したゴールデンウィークの最終日に、この約2か月間、同じ屋根の下で暮らした長女と2月24日に誕生した第2子のH子、そして小学4年生に進級した第1子のHが、我が家から車で2分ほどの距離にある自宅マンションへ帰った。私たちじじばばは、長女の子育てサポートのハードワークからやっと解放された安堵感を味わうとともに、心にポカンと穴の開いたような空虚感に襲われてしまった。60代後半の妻は、五人の炊事・洗濯等の家事全般を担うとともに、当然H子の世話も絶え間なく行う日々だった。途中で「体重が4㎏ほど減った。」と疲れ果てた顔でぼそっと呟やいたこともあり、本当に心身ともに酷使していた。もちろん70代になった私も毎日の仕事をしながら、Hの学校と習い事への送り迎えと見学や夜の添い寝、さらに必要な時のH子の世話等の役を担っていたので、妻ほどではないにしろそれなりに疲労が積み重なり、左脚のふくらはぎには痛みが出ていた。

 

 それからの約2週間、私は心身の疲労から回復すべく、勤務校から帰宅した後はのんびりと缶ビール1本程度の晩酌をしながら夕食を取ったり、録画していたテレビドラマを再生して視聴したりして過ごしていた。ただし、土曜日の午前中は、愛教研や市教育会等の定期総会に来賓や役員として参加したり、妻のショッピングのアッシー君役をしたりしていたので、時間的に余裕があったのは土曜日の午後と日曜日だった。私は、当ブログの前々回の記事で取り上げた『懐疑論―古代ギリシアからデカルト、陰謀論まで―』の中で興味を惹かれた「第4章 ウィトゲンシュタインとその周辺」を再読してみた。その結果、彼が一方では古代懐疑主義の系譜におのずと連なる思考を紡ぎつつ、他方では近代的な懐疑論に対する本質的な批判を展開していることを再認識することができた。私は彼の哲学や思想に対する興味が俄然高まり、その入門書を読んでみたいという欲求が起きてきた。

 

 ちょうどそのようなタイミングで、NHKのEテレ「100分de名著」の4月に取り上げられたのがウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』『哲学探究』であることを知り、私は早速そのテキストを仕事帰りに明屋書店に立ち寄って購入したのである。私は、自動録画をしておいた当該番組を視聴しながらテキストを読み進めた。指南役が『懐疑論』の著者である東京大学大学院准教授で哲学者の古田徹也氏だったこともあり、私の学習意欲が掻き立てられて〈よい学びの経験〉ができたと思う。

 そこで今回は、ウィトゲンシュタインの哲学や思想の概要をまとめた上で、第3回目の放送「生成AIは言葉を理解しているのか」の中でのキーコンセプトである「アスペクトの閃き」に関して要約しつつ、私が現職中に体験した「アスペクトの閃き」に係る出来事について少し振り返ってみたいと考えている。

 

 ウィトゲンシュタインの主たる関心は、一貫して「言葉」に向いていて、言葉の意味とは何か、意味を理解するとはどういうことかを問い続けた。そして、その哲学と思考の足跡は、大きく前期と後期に分けられると言われている。1910年代、彼が若き日に構築した哲学は、一般に「前期ウィトゲンシュタイン」と呼ばれ、言葉が何を意味しうるかを考察することで、哲学の問いが実際のところ何も意味していないことを暴き出し、哲学の問題を丸ごと葬り去ろうとした。他方、彼が1930年代から改めて紡ぎ出した円熟期の哲学は、一般に「後期ウィトゲンシュタイン」と呼ばれ、私たち人間が言葉を用いて生活を送るその現場に焦点を定める過程で数々の驚異的な考察を示したのである。

 

 第3回目の放送「生成AIは言葉を理解しているのか」では、この「後期ウィトゲンシュタイン」で考察した内容の一部を紹介しつつ解説している。その内容を簡潔に要約すれば、言葉の意味の深い理解を支えるのは、生活を営み、自分の身をもって様々な経験をすることと、物事の別の相貌を捉えることの二つが重要な要件だということ。特に後者において、馴染みの物事の別の顔を捉える、あるいは別の角度から認知するという二重の観点をもつことを重視し、それを「アスペクトの閃き」と呼んで様々な考察を加えている。言い換えると、「アスペクトの閃き」とは、あるものの相貌がにわかに別の相貌として立ち現れてきたり、バラバラに見えていたものが急にまとまりをもった全体として捉えられたり、逆にまとまりをもっていたはずのものが無秩序でバラバラなものに見えたりするような体験のことを意味しているのである。

 

 同じものを見ているのに、突然別の相貌(アスペクト)が立ち現れ、見え方がガラリと変わるという体験。誰にでも日常生活の中で、そうしたことは体験していると思うが、私も現職の教員時代にまさに「アスペクトの閃き」と言える体験をしたことがある。それは、私が愛媛大学教育学部附属小学校へ転任してしばらく経ち、いよいよ30代に入った頃の出来事である。

 

 新採で勤務した山間部の小規模小学校で「主体的学習」という学び方を研修して以来、私は学習者である子どもが自ら学ぶような授業改善を目指して実践研究に取り組んでいたが、実際は「子どもは大人の未完態」であるから正しく指導しなくてはならないという意識が強くて、教師指導型の授業展開になることが多かった。どうしても子どもの未熟な面が目に付き、「他律的な子ども」というとらえ方をしてしまっていた。つまり、子どもを自律的な人間としてとらえる視点が弱かった。ところが、新採から5年間公立小学校で勤務した後、愛媛大学教育学部附属小学校へ転任し、その3年目に初めて1年生を受け持った時、私のそれまでの「子ども観」が一変したのである。

 

    それは、どの教科等の授業でも子どもたちに教材と自由に出合わせるような導入の仕方を試みていた中、子どもたちが自由試行の中から自らの問題意識を醸成していく姿を何度も見せてくれたのである。私はこのような経験を積み重ねるうちに、それまでの「他律的な子ども」というとらえ方が、個としてのまとまりをもった「自律的な子ども」というとらえ方へと変容していったのである。まさに私にとって「アスペクトの閃き」と言える体験だった。

 

    それ以後、私は子どもたちと対話する授業の面白さを知り、学習による子どもたちの自己実現を図る授業改善に一層を取り組むようになったのである。そして、何事も今の自分の見方やとらえ方を絶対化しないで、他の見方やとらえ方はないかと常に考えるようになったと思う。つまり、物事を相対的にとらえる視座を得ることができたのである。このことは、民主的で柔軟な生き方を私なりに少しずつ形成するきっかけになったと、今、振り返るとそう実感することができる。でも、時々は衣の下から鎧が見え隠れしそうになるけど…ネ。

現在の殺人事件と過去の転落死事故とが交錯する傑作ミステリーを堪能しました!~宇佐美まこと著『その時鐘は鳴り響く』を読んで~

 この度、思わぬ叙勲(瑞宝双光章の受章)の栄に浴することになった。4月29日(水;祝日/昭和の日)に「春の叙勲」の記事が新聞紙上で報じられて以来、徐々にお祝いのメッセージを受け取ることが増えてきた。現職中、愛媛大学教育学部附属小学校に勤務した頃、私は愛媛教育の理論なき実践主義に対して批判的な発言を多くしていたからか、どちらかというと口先だけの理論主義者という烙印を押されかけたこともあり、今回のような「教育功労」に対する叙勲を賜るなどは無縁だと自認していたので、今回の知らせを受けた時にはまさに“晴天の霹靂”といった感じだった。しかし、現職最後の年度には、県下公立小中学校に勤務する教職員の9割以上で組織する愛媛県教育研究協議会(通常は「愛教研」と略す)の会長職に就任したことがあり、そのことが大きな理由になったのかもしれない。

 

 今回の受章は、自分なりに貫いてきた「対話」を重視した教育実践が世間に認められたと受け止めれば、正直嬉しく光栄なことだと古希を過ぎた今だからこそ甘受することができる。また、これから積極的に取り組もうと考えている、社会教育を通しての地域社会への貢献に対するモチベーションを高めるよいきっかけを与えてくださったと、感謝の念を抱いている。地域社会への具体的な貢献に関しては、孫Hの通う地元Y小学校のコミュニティースクール化の推進役を担ったり、まちづくり協議会や町内会等の諸活動に積極的に参画したりする中で、地域の子どもたちや保護者、他の住民等に対する「対話」を重視した市民性教育(子ども哲学や哲学対話、読書会等)を残りの人生を賭けてやっていこうと心の中で決意している。

 

 さて、そのような思いを抱きながら、私が隙間時間に読んでいたのは、多忙な日々のストレス解消のために選んだミステリー小説『その時鐘は鳴り響く』(宇佐美まこと著)であった。著者の宇佐美氏の著書は今まで読んだことがなかったが、数年前に健康に関する市民講座の講演で女性講師が地元の愛媛県松山市出身の同氏のファンであることを何度も言っていたことを思い出し、一度は読んでみようと思っていたので、たまたま勤務校の図書室で見つけた本書を借り出したという次第である。

 本作品は、著者が新境地を切り拓くべくチャレンジしたミステリー仕立ての警察小説である。1994年に愛媛県大洲市にあった「県立青年いこいの家」で起こった女子大生の転落死事故に関連する話と、2024年に東京都北区の赤羽台団地棟近くで起こった資産家殺人事件に関連する話が交互に描かれ、二つの話が徐々に繋がっていくスリリングな展開が秀逸であり、私はどのようにして繋がっていくのかとドキドキしながら読み進めることができた。また、意外な犯人とその殺人動機に関連する真相は傑作ミステリーとしての要素を十分に備えている。さらに、その真相に秘められた青春時代のきらめきや後悔等が描かれていて、全編を通して郷愁と慟哭に満ちた作品になっている。

 

 女子大生の転落死事故に関連する話で描かれている松山大学マンドリンクラブОGの国見冴子と、資産家殺人事件に関連する話で描かれている赤羽署初の女性刑事・黒光亜樹のそれぞれの視点が、女性独自の見方や考え方をとても反映しているので、文体そのものに豊かでナイーブな情緒性が浸潤していて読みやすく、私はパラレルな物語展開にもついつい引き込まれてしまった。また、松山大学のマンドリンクラブで冴子と仲の良かった安原や南田、亜樹とコンビを組むことになった本庁の先輩刑事の榎並等の描き方もその特徴がよく表現されていて、それぞれのキャラクターも物語に豊かな彩りを添えている。

 

 本作品には地元の松山市や大洲市の30年ほど前の情景も織り込まれているので、私にはある種の郷愁に似た感情を誘発する読み心地のよい場面がたくさんあり、何度も幸せな気分に浸らせてくれた。その意味で本当に私にとってリラクゼーションの効果を与えてくれた作品であった。この読書経験を踏まえて、いつ購入したのかも忘れて廊下の本棚の片隅に積読状態にしていた著者の別の小説『入らずの森』を、このゴールデンウィーク中に読んでみたいと思う。今度は私をどんな気分にしてくれるか、今から期待している。楽しみ、楽しみ…。

古代懐疑主義における「真実」に係る「判断保留」のもつ意味と意義について~古田徹也著『懐疑論―古代ギリシアからデカルト、陰謀論まで―』から学ぶ~

 前回の記事で、イマヌエル・カントが「真実」について語っている内容を、戸谷洋志氏の著書『別冊100分de名著 集中講義 三大哲学書』の中から引用しつつまとめた。要約すれば、カントは〈人々が議論し、批判に批判を重ね、誰もが正しいと認める時に、それは「真実」として認定される〉という主旨のことを語っていると綴った。それに対して、私はその「真実」の定義を前提にした上で、他者からその理解を得るためには脅しや同調圧力という恐怖によるのではなく、十分に言葉を開いて一つ一つ丁寧に説明することが必要だと、自戒を込めて締めくくった。

 

 その後、私は自分の綴った記事内容に対してもやもやした気持ちが沸き起こったので、再度同書を読み直してみた。すると、私は重大な点について思考停止していることに気づいた。確かに、カントは「真実」の探究には前向きな批判を含む協力的な議論が必要であり、独断論には警戒するように述べているが、最終的には「真実」に至ると考えていて「真実」を実体化している面がある。果たして私たち人間の認識は「真実」という実体に至ることはできるのだろうか。誰でもが「これは真実だ!」と判断することでも、「それは夢を見ているのかも知れない!」という懐疑を向けることはできるが、それに対してどう考えればいいのだろうか。

 

 近代哲学の祖と言われるルネ・デカルトも、全ての物事に対して懐疑の目を向け、最後に「このように懐疑をしている私がいることは疑うことができない」というあの有名な言葉「われ思うゆえにわれあり」を残した。私はこの「懐疑」という思考を人間がもつ限り、「真実」には至れないのではないかと考えた。では、どう考えればよいか。私はその重大な認識の転換点に「現象学」という哲学の認識論に存在意義があると思っているが、「懐疑」という思考そのものをどうとらえればよいのか悩んでしまった。

 

 そんな時に、仕事帰りに立ち寄った郊外の明屋書店で見つけたのが、中公新書の『懐疑論―古代ギリシアからデカルト、陰謀論まで―』(古田徹也著)である。著者の古田氏については、以前の当ブログの記事でその著書『いつもの言葉を哲学する』や『このゲームにはゴールがない-人のこころの哲学-』を取り上げたことがあり、リスペクトできる哲学・倫理学者だと認識していた方だったので、迷わずに購入した。それから20日間ほど掛かってしまったが、昨日やっと読了した。

 そこで今回は、本書の内容を簡単に紹介した上で、特に私が一番共感した古代懐疑主義における「真実」に係る「判断保留」のもつ意味や意義について綴ってみようと思う。いつものように拙い要約のために読者の皆様方には甚だ不親切な文章になると思うが、ブログを綴るというアウトプットが私の認知症予防のために行っている利己的な所業ゆえ、ご寛容願えれば幸いである。(勝手な言い分でスミマセン…)

 

 本書の〈はじめに〉において、著者は本書の内容に関して述べているので、できるたけ簡潔に要約してみよう。…何が本当に正しいのか、何が真実(真理)なのか、そもそも真実など存在するのかなど、物事の正しさや真実に対して懐疑を向け、判断を留保する立場を「懐疑論」と総称することができるが、本書では懐疑論と陰謀論の違いや「相対主義」と呼ばれる立場と懐疑論の違いなど、そうした関連する立場との比較も含めて、様々な角度から懐疑論の内実に迫っていく。中でもヨーロッパの哲学の歴史における懐疑論の起源や役割等について辿り直し、デカルト以前と以後における懐疑論の様相の根本的な変化を確認する。特に古代において展開した懐疑主義と、近代以降に大きな影響力をもった懐疑論との対比というかたちで、核となる論点を浮かび上がらせる。そして、近代以降の懐疑論については厳しい批判を向ける一方で、古代の懐疑主義についてはむしろ積極的に意義を見出すことになる。…

 

 私は本書を読んで、著者が主張する古代懐疑主義における「真実」に係る「判断保留」という意味や意義について強く共感したので、その内容についてまとめてみようと思うが、本書の中で著者が「懐疑論」と「懐疑主義」との違いに言及しているので、まずはこの点について少し解説しておきたい。

 

 前提として言えるのは、「懐疑論」と「懐疑主義」に明確な違いはないが、あえて区別する意味があるとすれば、「懐疑論」は否定的なニュアンスをもつ場合が多く、他者の立場を批判する際に用いられやすいのに対して、「懐疑主義」のほうは自身の立場を積極的に打ち出す肯定的なニュアンスをもつ場合があるという点。また、より重要な区別しては、「論」と違って「主義」のほうは、必ずしも理論や言論といった学問的な主張ないし立場のみを指すわけではなく、生き方も表しうるという点。特に古代懐疑主義の代表的な人物であるピュロンは、物事それ自体のあり方について判断を保留する態度を、理論としてよりも自ら生き方の根本として積極的に位置付けている。

 

 私は、このピュロンという人物に象徴される古代懐疑主義における「真実」に係る「判断保留」という意味や意義について著者が主張している内容に共感したのである。では、次にその内容の概要についてまとめてみたい。

 

 古代懐疑主義の祖としてしばしば位置付けられるピュロン(前365頃~前270頃)は、「真実にそうでものであるものは一つもないのであって、人びとはただ、法と慣習とに従ってあらゆることを行っているにすぎない」(ディオゲネス『ギリシア哲学者列伝』9.11.61)という主張を展開したという。彼は、物事の真実は把握できないという考えの下、判断の保留というかたちをとる言論を哲学に導入したと伝えられている。そして、その判断保留の態度を体現した生き方をしながら、「アタラクシア」(平静で動じない心の状態)の境地に達することを人生の目的としていたという。つまり、「真実」に係る「判断保留」の態度は、「アタラクシア」という目的のための手段でもあるのである。

 

 古代懐疑主義においてピュロン以後、台頭してきたのは中期アカデメイア派(前3~後1世紀)であるが、彼らは学問的な議論の場において「判断保留」という理論的立場を打ち出している。彼らは、〈偽ではありえない、確実に真なる表象〉を想定するストア派を掘り崩すことを通して、物事の真実に対して判断保留の立場をとることを促しているのである。しかし、この中期アカデメイア派はピュロンほどには考察(スケプシス)に専念できておらず、「判断保留」の原則から逸脱したところがあり、物事の真実は把握不可能だと判断してしまっている。つまり、ストア派と中期アカデメイア派の考えは、物事の真実の把握について明確に対立しているが、共に否定論を展開している点では違いがないのである。

 

 それに対して、中期アカデメイア派の方向性を軌道修正して、いわばピュロンに還る姿勢を打ち出して台頭してきたのが、ピュロン主義(前1~後3世紀)である。彼らは、「すべては把握不可能である」という言葉を、「独断論者たちのあいだで探究されている不明確な物事のうちで、私が調べた限りのものは、私には把握不可能なものとして現れている」という長い言葉の省略として扱っているのである。つまり、自分自身の経験とは独立に、一切の物事について把握不可能性であるという無根拠な断定を行っているわけではないのである。

 

 ピュロン主義者が進むのは、独断論者(ストア派など)と否定論者(中期アカデメイア派)の間を縫うような第三の道、言い換えればどちらの立場にも行き着かずに探究を続けるという道である。そして、彼らの「判断保留」とは、探究を終了して〈真実は存在しない〉といった最終的な結論を出して否定論に帰着することではなく、判断を下すということ自体をおのずとしなくなる(判断を自然と保留し続ける)ということなのである。そして、この状態に随伴して、人は「アタラクシア」を得るのである。この点で、彼らはピュロンその人の思想と同様に実践的なものであり、その目的はあくまでも「判断保留」を通して「アタラクシア」を得ることにあるのであり、このような「判断保留」のもつ意義に私は強く共感するのである。

カントの考えた「真実」について~戸谷洋志著『別冊100分de名著 集中講義 三大哲学書』から学ぶ~

 新年度に入り、10日間が過ぎた。学校は第1学期の始業式が行われ、転任してきた教職員を迎える新任式も実施された。私は市立N中学校で「小中学校教育活動サポートチーム支援員」として勤務するのが、2年目になった。最初は1年間というつもりで引き受けた仕事だったが、障がい者雇用枠で採用された「学校補助員」のジョブコーチのような業務内容にやりがいを感じ、「もう少し一緒にしたい。」という二人の願いを有難く受け入れて、本年度も引き続いて勤務することにしたのである。年度初めに開催された新任者の歓迎会に参加した私は、転任してきた校長先生(実は、私にこの仕事を紹介してくれた方)や現職時に私の部下だった英語科教員、長女の知り合いの音楽科教員等とも親しく会話することができて、本年度の業務に向けてのモチベーションも上がり、自分の職責を誠実に果たしていこうと改めて決意した。

 

 私的な面では、長女とその第2子となる女児H子(第1子の男児もHなので今後も「子」を付ける)と本年度小学校4年生になるHの三人が我が家に住み始めてからは、今まで以上に毎日慌ただしい生活を送っている。私は、主にHを学校や児童クラブ、サッカーや野球教室の習い事へ送迎したり、一緒に風呂に入ったり寝たりするなどの世話係である。もちろんその合間には生後1か月半ほどのH子が愚図る時にはあやし役もする。そのためか、腰や膝が痛くなるなど私の身体は悲鳴を上げている。しかし、それはある意味で幸せな悲鳴である。孫たちと一つ屋根の下で暮らすということは今だけの限られた時間である。私は今その貴重な時間を大切にして過ごしているので、精神的には充実している。

 

 さて、私はそのような中でも細々と隙間時間を見つけては趣味の読書に勤しんでいる。最近やっと読了したのは、『別冊100分de名著 集中講義 三大哲学書』(戸谷洋志著)である。前々回の記事で綴ったように、ヤスパース著『哲学入門』を取り上げた「100分de名著」の案内役が戸谷氏だったこともあり、そのテキストを購入した際に彼が著した本書も入手したという次第である。本書は、カントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』、ハイデガーの『存在と時間』という俗に「三大難関哲学書」と呼ばれる哲学の古典的な作品を手掛かりにしながら、現代社会が陥っている危機的な状況について、その本質にある問題を考えていくものである。

 では、現代社会が陥っている危機的な状況とはどのような状況で、その本質にある問題とは何なのであろうか。著者は、2020年代は新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックやロシアやアメリカなどの大国による戦争開始等の「激しい災厄」によって思考が妨害されている状況であると言う。また、現代社会はインターネットの発達による情報過多によって思考の可能性を狭めているという問題を抱えていると指摘し、それらは「物事の本質が見えなくなる」ということだとも言っている。さらに、その問題の本質の中心にあるのが、「真実」と「共同体」と「不安」の三つのキーワードだとも主張しているのである。

 

 そして、本書の第1講で「真実」をめぐる問いを考えるためにカントの『純粋理性批判』を、第2講で「共同体」をめぐる問いを考えるためにヘーゲルの『精神現象学』を、第3講で「不安」をめぐる問いを考えるためにハイデガーの『存在と時間』を取り上げている。そして、著者はそれぞれの問いに対してこの「三大難関哲学書」による「正解」を読者に教えようとしているのではなく、あくまでも思考するための「手掛かり(道案内)」として三人の胸を借りようとする姿勢を示し、そのためには「古典と対話する」という読み方を推奨している。私は、この著者の姿勢に大いに共感することができ、まさに本書とも対話をしながら読み進めることができた。

 

 そこで、今回の記事では私が一番考えさされた現代社会における問題の本質の一つ「真実」について取り上げ、著者の主張内容の概要をまとめた上で、簡単な所感を付け加えたいと思う。

 

 最初に、著者は現代社会の「真実」に関する諸問題に触れている。まず、SNSに係る「フィルターバブル」という現象について。その意味は、情報を選別するフィルターがまるで「泡(バブル)」のように自分の周囲を取り巻いているという状態である。人々は、SNSで情報収集する限り、知らず知らずのうちにアルゴリズムによって設けられたフィルターを介して、知ることができる情報を選別されているのである。

 

 次に、上述した状態に関連して起きる「ポスト・トゥルース」という事態について。「トゥルース」は「真実」のことで、「ポスト」は過ぎ去ってしまったことを表す言葉である。具体的にもう少し説明すると、「フィルターバブル」という環境は、自分と同じ意見や思想等に基づいたコンテンツばかりが表示されるので、自分の意見や思想等が肯定され共感されているように思ってしまう。しかし、このことは自分が見たくない情報を見ることを困難にし、「真実」を知る機会を妨げられてしまうかも知れない。そのため、偏った一部の意見や思想等をまるで世の中の総意であるかのようにとらえ、客観的に吟味すれば信憑性が低い情報でも、「真実」だと信じ込んでしまう可能性がある。つまり、この言葉はもはや「真実」が重視される時代が終わってしまったことを意味するのである。

 

 これらの状況が恐ろしいのは、ある出来事に対する多様な意見が成り立たなくなるということ。自分の信じている真実とは異なる情報は全て嘘であるとみなし、他の意見を一切聞かなくなってしまうことで、意見が異なる人同士が対話ではなく、互いを否定し合う事態に陥ってしまうのである。その結果、SNSは世の中に分断を引き起こし、それが具体的な暴力となって顕在化することもあり、極端な場合には戦争という悲惨な事態にまで陥るのである。その上こうした問題は、科学的な知識まで波及していくこともあり、現代社会は何が「真実」なのか根本から曖昧になってしまっていると、著者は指摘する。

 

 著者は、このような状況はカントが『純粋理性批判』を書いていた頃とある意味ではよく似ていると語り、続いてカントが「真実」とは何かという問題をめぐって、どのように語っていたのかを概観していくのであるが、その議論の詳細は私自身の時間的・肉体的な制約もあって本書に委ねることにして、本記事ではその結論的な部分だけをまとめた上で簡単な所感を添えて締めくくりたい。

 

 カントは、科学的なエビデンスを突き付ければ、それによって「真実」が説明できるとは考えず、科学的エビデンスの根拠にまで考えを深化させている。彼は、人々が議論し、批判に批判を重ね、誰もが正しいと認める時に、それは「真実」として認定されると考えた。どんなに価値観が違う人でも、どんなに社会的地位が異なる人でも、もしそれが本当に「真実」なら、賛同できるはずだ。どんなに高度で専門性が高い情報でも、言葉を開いて一つ一つ説明していけば、最後には誰にでも理解が得られるに違いない。もし、そうした説明ができないならば、それは「真実」ではなく、ただの思い込みである可能性が高いのである。

 

 ただし、そうした理解を暴力によって取り付けてはならない。脅しや同調圧力という恐怖に動かされているとしたら、たとえ皆が正しいと言ってもそれを「真実」とは呼ばないのである。もしそうであったら、力の強い者の独断によって支配される、恐ろしい世界へと変わってしまう。現代のような大国による戦争開始という事態は、それが現実化してしまっているかのようである。

 

 しかし、かく語る私にも、過去に苦い思い出がある。地元国立大学教育学部附属小学校で研究部長をしていた際、自分がこれこそが教育実践の「真実」だと確信していた研究内容を、研究同人に対して十分に言葉を開いて一つ一つ丁寧に説明することができていただろうか。ともすると、無意識とは言え研究部の責任者という強い立場を利用して、脅しや同調圧力という恐怖によって理解を取り付けようとしていたのではないか。今、戦争を仕掛けている大国の指導者を、傍観者面して批判する資格が私にあるのだろうか。私は、カントの考えた「真実」に至る民主的な手立てや手続きについて、再度深く認識することを自分に課すことがこれからも不可欠だと内省している。

飼い犬との思い出を振り返る~馳星周著『少年と犬』を読んで~

 私が勤務している市立N中学校の図書室で、文庫版の『少年と犬』(馳星周著)を見つけた。本書は、2020年に第163回直木賞を受賞した作品であり、人と犬の種を超えた深い絆を描く感動作だと言われている。本書が直木賞を受賞した際、私はタイトルがややベタな感じの印象を受け、勝手に自分の想像の範囲でありきたりのストーリーを描いてしまい、あまり読む気が起きなかった。ところが、2月19日放送のBSテレ東の「あの本、読みました?」で〈動物が登場する小説〉を特集した時に内容の概要を知り、また物語の背景に15年前の3月11日に起きた東日本大震災を取り上げていることを耳にしたこともあってか、本書が図書室の書棚から私に呼び掛けているように感じた。私は数ページ斜め読みして取っ付きやすい文体だったので、借りることにした。そして、奇遇にもその日から約一週間経った3月11日の追悼日に読了した。しかし、その後なかなかパソコンに向かってキーボードを叩く時間が取れず、さらに1週間が過ぎてしまったが、やっと記事を綴る時間が取れた。

 そこで今回は、物語の内容がまだ記憶に留まっている内に本書の内容概要と読後所感をまとめた上で、私の今までの人生で唯一犬を飼ったことがある経験の思い出の一端を綴ってみようと思う。

 

 本書は、「多聞」というシェパードが入ったミックスの犬を中心にした連作短編集だが、7つの物語にはそれぞれにほとんど関係ない人生の重要な一断面が描かれている。いつも空腹で、満身創痍の状態で現れる「多聞」は、その都度出会った人物に助けられるが、その後は助けた人物の癒しになっていく。そして、その過程で助けた人物は今までとは違う自分に気づき、生き直そうとしたり、絶望の中で光を見つけたり、或いは終わりを自覚したりするなど、新たな人生を見出そうとする。しかし、その都度「多聞」は消えてしまうのである。

 

 「多聞」が様々な人生に関わる中で、いつしか「多聞」と書かれた首輪がなくなり、それぞれの出会った人物がつけてくれた名前で呼ばれるようになる。それが夫婦であっても、個々の置かれた情況に応じて別の名前を付けられるのである。この関係性に対応して名前が変わることは、一人一人の人物との関係性に応じて「多聞」の役割が違っていることを表しており、飼い犬のもつ役割や存在意義は飼う人との関係性で変わるものだと私は改めて納得した。

 

 6つの物語全てにおいて、「多聞」は人間とのコミュニケーションや生活の約束事を心得た犬として振舞っており、なぜか物思いに耽るように南や南西の方角に顔を向けている。そして、最後の一篇でその理由が「多聞」という犬の生涯と繋がることによって明らかになる。「多聞」の5年間の長い旅が私の胸に迫ってくる。「忠犬ハチ公」の話ではないが、人間にとって犬という種は人間との長い共生生活の中で無くてはならない存在になっており、単に可愛がるだけのペットという存在を超えている。犬は飼い主の気持ちや考えを察することができる相棒のような不可欠の存在だったんだと再認識した。

 

 私も小学生から中学生の頃に二匹の犬を飼っていた。一匹は「いち」という名のオスの柴犬で、私が小学校から帰ってくると通学路まで出迎えてしっぽを振ってくれる犬だった。屋外で飼っていたのでいつも一緒にいることはなかったが、私にはよく懐いていた。もう一匹は、私が小学校高学年から中学校頃まで室内で飼っていた「メリー」という名のメスのスピッツ犬。母子家庭で一人っ子だった私にとって、常に寄り添ってくれる恋人のような存在だった。昼間は私の遊び相手で、よくプロレスごっこの相手になってくれ、夜は私の布団の中で添い寝をしてくれていた。その時期の私にとっては、家族同様の親密なコミュニケーションができていた。私が落ち込んだり寂しかったりした時、私の愚痴の聞き役になったり、凍り付くような心をケアしてくれたりしていた。

 

 そんな存在の「メリー」がある朝、起きようとして寝床で座り込んでいた中学生だった私の目をじっと見つめていた。そして、しばらくして小さな裏庭に出て行った。私は「おしっこでもするのかな。」と呟きながら、学生服に着替えていた時に何か不吉な予感が襲ってきた。私は急いで裏庭に面した廊下に出て「メリー」を探すと、静かに横たわっている姿が見えた。「メリー!メリー!!」と私は狂わんばかりの大声を張り上げて「メリー」を持ち上げたが、ぐったりとしたままだった。私は、親しい家族を失ったような喪失感を味わい、頬を伝う涙が止まらなかった。

 

 私にとって初めて味わう“対象喪失”だった。しばらく私は何も考えることができず、白紙のような毎日を過ごすことになった。飼い主の私を励まし勇気付けてくれた飼い犬の存在は、あまりに大きなものだった。しかし、生命はいつか必ず“死”を迎えること、親しい相手との関係性が絶たれたら新たな自己に更新しなくてはならないことなど、そんな当たり前のことを中学生の私に実感として教えてくれたのである。「メリー」の存在と“死は、私が人を実存的・関係的・生成的存在として意識する契機になったと思う。

「愛の闘争」という他者との対話について~「100分de名著」におけるヤスパース著『哲学入門』のテキストから学ぶ~

 前回の記事をアップした後、2月中~下旬も私は公私共に何かと慌ただしい日々を送っていた。何といっても、24日(火)には長女に第2子(孫Hの妹になる女児)が誕生し、28日(土)からは我が家で母子共に過ごすことになり、長女のサポートに余念のない日々が続いている。また、平日の日中は仕事の上に、月・火・木・金の夕方はHの「野球やサッカー・スイミングなどの習い事の送迎や見学」、土曜日は「ピアノ発表会の鑑賞」や「サッカー大会の付き添い」など、全く息つく暇のないスケジュールに追われてきた。さらに、25日(水)はHの通うY小学校の「健全育成の会」や「学校関係者評価委員会」へ出席したり、26日(木)は「確定申告」をするために地元税務署へ出掛けたりしていたのである。そのような中でも、私はわずかの隙間時間を活用して村上春樹著のエッセイ『職業としての小説家』や、長岡弘樹著の短編連作集『白衣の嘘』を読んでいたが、それは〈学びとしての読書〉というより〈リフレッシュを目的とした読書〉であったと思う。

 

 実は、NHKのEテレ「100 分de名著」で2月に取り上げられるのがカール・ヤスパース著『哲学入門』であることを知った哲学好きの私は、1月末にはフジグランでの買い物途中でそのテキストをTUTAYAで購入し〈学びとしての読書〉の準備をしていた。しかし、上述したように2月が「逃げる」ように過ぎてしまい、当番組の録画を視聴しながらテキストを読んで学ぶ時間が取れたのが3月に入ってからになってしまった。でも、今回の〈学びとしての読書〉は、久し振りに私の心に希望の火を灯すような〈豊かな学びの経験〉になり、衰えつつある精神に活を入れることになった。それぐらい充実感があったのである。

 そこで今回は、その希望の火を灯すような〈豊かな学びの経験〉の中核になったヤスパースの語る「愛の闘争」という他者との対話について、案内役の立命館大学大学院准教授で哲学者の戸谷洋志氏の解説を紹介しながらまとめていきたいと思っている。

 

 カール・ヤスパースは『哲学入門』において、哲学的に思考するとは「当たり前」を問い直すことだと語り、その哲学的に思考を始める動機を「驚愕」「懐疑」「挫折」に分類している。特に彼の非常に独創的なのは、一つ目と二つ目に加えて「挫折」を挙げていることであり、その背景には第二次世界大戦を経験したり、幼い頃から気管支拡張症という難病に苦しめられたりしたことがあると、戸谷氏は指摘している。「挫折」とは単なる失敗ではなく、それまでの価値観を根本的に破壊するような、取り返しのつかない出来事である。ヤスパースは、このように私たちの人生を制約してしまう状況を「限界状況」と呼び、「挫折」は私たちに「限界状況」を自覚させ、そこから哲学が始まるのだと言っている。だからこそ哲学的な思考は、他ならぬ「私」自身の生きる意味を問い直すものになるのである。

 

 しかし、上述のことは哲学が他者との関係なしに成立することを意味せず、むしろ「挫折」から再生するためには、他者からの手助けが必要なのである。「限界状況」は、それによって「私」を他者と繋げるものでもある。戸谷氏はテキストの中で、ヤスパースは哲学的思考の方法として何よりも他者との対話を重視していると解説している。もちろんこの対話は、ただ論理を戦わせ合うだけの抽象的な論争のようなものではなく、互いの人間性に対して信頼を寄せ、相手をかけがえのない個人として認めることによって成立するコミュニケーション(ヤスパースが「交わり」と呼んだ、哲学的な思考を成立させるような関係性)のことなのである。

 

 ヤスパースは、哲学に求められる「交わり」(対話)には一つの重要な条件があると言い、それは他者が「私」に対して率直に意見を言ってくれることだと主張している。したがって、哲学的な対話を成り立たせる他者との関係性は、少なくとも見た目の上では戦いの形をとる。つまりそれは、真理を追い求めて、もしも納得できないことがあれば妥協なく互いを批判し合う関係である。彼は、このように互いに対して深い信頼を寄せている関係性を「愛の闘争」と呼んでいる。

 

 戸谷氏は、テキストの中でケアにおける他者との関係性について考察し、人はいつも誰かのケアを受けるものだがそれは決して依存関係ではなく、ケアを受けながらも言いたいことは言うべきであり、それによって初めてケアは人間的な関係になると主張している。そして、それこそがヤスパースの考える「愛の闘争」なのではないかと述べている。このようにヤスパースの「愛の闘争」という「交わり」の概念は、ケアにおける他者との関係性を考える上でも、重要な手がかりを有しているのである。

 

 ところで、「愛の闘争」という「交わり」は、「世界像」が異なる個人間において意見が対立してしまった場合、ともすると互いを論破し合うディベートのような営みを想像するかもしれないが、そうではない。論破が得意な人は、相手が何を主張しているのだとしても、とりあえずそれに反対しているだけに過ぎないので、そのような人との議論は決して「交わり」にはなりえない。なぜなら、「交わり」とは哲学的な対話を通して、相手を理解しようとする営みだからである。

 

 ヤスパースは、「交わり」は決して完結することがない営みだとも言っている。「私」ができることはどこまでも相手を理解しようとし続けることであって、そうした理解が完了することは決してないのである。私たちは「交わり」において、どこまでも互いを理解し続けようとすることしかできないのである。このことは、哲学的な思考自体が終わりのない営みであることと軌を同じくするものであり、彼は常に「途上にあるもの」であることを強調しているのである。

 

 哲学的な思考において、究極の真理に到達し、これ以上は考えても新しい発見は何もないといった状態に達することなど、決してあり得ない。それは、哲学が私たちの人生そのものだからである。哲学するとき、私たちは常に人生の途上にいる。生きていることは、未来があるということであり、いま真理だと思っていることもこれから変わるかも知れない。その可能性を閉ざすことは誰にもできないのである。このようなヤスパースの考える哲学は、現象学の本質とも一致しており、彼の哲学は私に強い共感と深い納得をもたらせた。

ADHDの女性の生きづらさとその背景について~岩波明著『医者も親も気づかない 女子の発達障害―家庭・職場でどう対応すればいいか―』と柴崎友香著『あらゆることは今起こる』を読んで~

 前回の記事で取り上げた本『発達「障害」でなくなる日』(朝日新聞取材班著)の中で、強い関心をもった箇所があった。それは、昭和大学附属烏山病院の精神科医・林若穂氏たちのチームが、2019年に提出した論文の中で「ADHDと診断された女性の方が、男性に比べるとうつ病になりやすく、離婚経験や非正規雇用で働く割合も高い-。」と記述していることを紹介している箇所である。

 

    彼女たちのチームがADHDと診断された男女335人について調査・分析した結果、女性のおよそ4分の1がうつ病や双極性障害等の精神疾患を併発していて、割合は男性の約2倍。離婚している割合も女性は7.7%で、男性の4.5倍だった。また、非正規雇用で働いている人の割合も、女性が28.8%と、男性の2倍以上だった。論文では、日本社会は依然として、穏やかで礼儀正しく、控えめで気配りができる「やまとなでしこ」のような姿を女性に期待している風潮があると指摘し、その対極にあるADHDの女性は、社会生活を送る中でより困難を抱いている可能性があることを示唆している。

 

 職場にいるADHDの女性Mさんに対する「合理的配慮」の範囲や程度等について悩んでいる私にとって、この問題の根底にあると思われる上述のような「ADHDの女性の生きづらさやその背景」についてもう少し深く考える必要があると思い、その参考になりそうな関連図書を探してみた。その結果、馴染みの古書店で『医者も親も気づかない 女子の発達障害―家庭・職場でどう対応すればいいか―』(岩波明著)[本書①]を、そして、勤務校のN中学校の図書室で『あらゆることは今起こる』(柴崎友香著)[本書②]を見つけたので、10日間ほどを掛けて読み通してみた。

 そこで今回の記事では、これらの本の執筆趣旨や構成概要等を紹介しつつそこから得た知見を個々にまとめるとともに、私なりの簡単な所感を綴ってみようと思う。なお、記述内容がやや断片的になってしまう怖れがありそうなので、この点を先にお断りしておきたい。

 

 まず、[本書①]は、著者の元昭和大学医学部精神医学講座主任教授で昭和大学附属烏山病院長も兼任したことがある岩波明氏が、コロナ禍後において社会の多様性が問われる時のために、周囲にいる発達障害の女子・女性を正しく理解してほしいと願って執筆したものである。1~2章ではうまく環境に適応している発達障害の女性3人との対談内容、3章は〈ADHDとASD…女子はなぜ見逃されやすいのか?〉、4章は〈家庭や職場での「やってはいけないこと」と対応ポイント〉という内容で構成されており、特に3章では「女子の発達障害」に特有の生きづらさについて語られていて、「ADHDの女性の生きづらさやその背景」がどうなっているのかという私の問題意識に即した内容になっている。

 

 岩波氏によると、ADHDの女性は多動・衝動性の程度が軽く、一般的には男性ほどは目立たないので、ADHDとの診断が見逃されやすく、その対応が後手に回りがちになるそうである。つまり、自らの特性によって苦手なことがあるということや、人とのコミュニケーションで深刻なトラブルを招きやすいことを理解しないまま思春期を迎え、やがて社会に出ていってから初めて「生きづらさ」を強く感じるようになるのである。さらに、結婚して妻、嫁、母等の求められる役割が増えるにつれて、その「生きづらさ」も増していくらしい。

 

 その理由として、日本社会においては男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的で、多くの国民が「明るく、にこやかで、気配り上手で、常に男性を立てる」という女性像に縛られているので、それとは正反対である特性を多くもつADHDの女性が周囲から「責められやすい」ことが挙げられる。また、片付けが苦手で家事全般も不得意であり、悪意はないが不用意な発言が多く問題とさせることがあるという特性によって、「だらしがないからだ」「努力不足だ」と非難されることもある。それがもとで自己否定的になりがちで、自己肯定感か低くなり、うつ病や不安障害等の精神的な不安定さを二次的にきたすことも珍しくないそうである。

 

 岩波氏は、このような「ADHDの女性の生きづらさやその背景」以外にも、発達障害に対する根本的な理解が不十分であったり、それ以前に精神疾患全般に対するタブー視も根深く残っていたりする背景にも言及している。それに対して、ADHDの不注意の特性によって学校の勉強に集中できず、成績が悪い人であっても、実はIQ(知能指数)を検査すると標準以上だったりするなど、知的障害がない人がほとんどだと指摘し、ADHDやASDなどの発達障害の当事者は、健常者のひとつのバリエーションとして理解するのが適切だと主張している。

 

 私は、このような岩波氏の発達障害当事者に対する理解を深める主張には賛同するが、では知的障害当事者に対しての偏見に対してはどう対応するのかと疑問をもってしまう。ともすると、発達障害と知的障害との区別が新たな偏見や差別を抱く原因になるのではないか。だから、それぞれの発達特性に対する正しい理解とそれに応じた適切な「合理的配慮」を深く考えることが肝要で、そのことによって区別と差別の概念を明確にしていくことになり、結果的に偏見や差別の芽を摘むことになるのではないだろうか。

 

 次に、発達障害の特性にもさまざまあることについて深く考えるきっかけになりそうなのが、[本書②]である。「ADHDの女性の生きづらさ」について、当事者自身の内面で何が起こっているか具体的に実例を挙げながらエッセイ風に綴っているので、ADHDという発達障害の特性についてほとんど知らない人が読んでも、当事者がどのような困り感や生きづらさをもっているか理解することができる。発達障害の特性について多少の理解があると自負していた私でも、ページをめくる度に「へーっ、そうなのか!」と何度も頷いてしまった。

 

    最後に、[本書②]の中で私が「目から鱗が落ちる」事例だととらえた内容の一部を紹介しつつ、私なりの所感を加えて本記事を締めくくりたい。

 

 著者の芥川賞作家・柴崎氏は、子どもの頃から複数の時間や世界が並行して存在している感覚を持っていて、今でも並行世界を移動してきて元いた場所からだいぶ遠くにいる気がしたり、もしかしたらいつの間にか前にいたことがある世界にいるのかもしれなかったりすると、〈プロローグ―並行世界〉の中で語っている。それは、今までに自分がいたいくつもの世界を、ずっと同時に生き続けている感じらしい。

 

    また、「Ⅳ-世界は豊かで濃密だ」の〈1 複数の時間 並行世界 現在の混沌〉においても上述のような感じ方について何度か触れている箇所がある。次に、それらの箇所をアトランダムに抜き書きしてみよう。

〇 …「体内に複数の時間が流れている」というイメージは、それまでに自分が感じていた感覚にとても示唆をうけるものだった。

〇 思考が別の時間の流れに移動して、そこが「今」になったり、戻る流れがすぐにはわからなくなったりする。

〇 私の場合は「現在」「過去」「未来」が同じ強度で並んでいる感じ、というか、たぶんそもそもそんなにくっきり分かれていないというか、互いに干渉しあいつつ並存している感じだろうか。

〇 私が自分の中に、あるいは『族長の秋』(注;『百年の孤独』の著者ガルシア=マルケスの作品の一つ)のような小説を読んでいて感じる時間は、もっととらえどころがなく、可塑的で、不安定だからこそ確かに今ここで起こっていると実感させられるものだ。

 

 このような感覚は、私のような物理的な時間軸に即して物事を思考するタイプの人間には具体的には想像しにくいものだが、抽象的・概念的には何とか理解できる。もちろんADHDの女性全てに共通する感覚ではなく柴崎氏特有の感覚かもしれないが、少なくともそのような感覚で生きている人がいるということを理解し、尊重して接することが必要だと思う。そのような姿勢をもつことが、まずADHDの女性に対する偏見や差別を無化していく手始めではないだろうか。