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「自閉症」のこころの世界はどうなっているのだろう?~特に村瀬学著『自閉症―これまでの見解に異議あり!―』を再読して

 前回の記事は、『「こころ」の本質とは何か―統合失調症自閉症不登校のふしぎ―』(滝川一廣著)を再読して、「自閉症」の本質について私なりに理解したことをまとめてみたが、その際に「自閉症」のこころの世界について十分に触れることができなかった。「発達障害」のある子について理解を深めるためには、その子のこころの世界について知ることが不可欠になる。特別支援教育指導員の職務を考えると、私にとってこのことの重要性は大きい。だから、まず本書の著者である滝川氏が描く「自閉症」のこころの世界のとらえ方について簡潔にまとめてみる。

 

 本書において著者は、「自閉症」のこころの世界の特性として「依存性の乏しさ」「不安緊張の高さ」「感覚・知覚の過敏さ」「情動の混乱しやすさ」「強いこだわり」の5つを挙げて、それらの特性には合理的な理由と必然性があることを筋道立てて解説している。そして、これらの特性は互いに循環的に絡み合って、「自閉症」独特のこころの世界を形づくり、一見極めて特異な行動の在り方を見せるが、それは「共同性・関係性」を前提としている私たちのこころの本質上、特殊で異常なこころの世界ではないのだと主張している。私にとってこの主張内容はとても分かりやすく、十分に納得できるものであった。

 

 本書を再読している時に、私は以前にも「自閉症」のこころの世界について説得的に解説した本の記憶が蘇って来た。それは、『自閉症―これまでの見解に異議あり!―』(村瀬学著)という本である。今から約15年前、師走も押し詰まった時期に近くのデパートで催された「山下清とその仲間たちの作品展」を妻と共に鑑賞したことをきっかけにして、本書を入手し一気に読了したことを思い出したのである。私は、本書をここ1週間ほどかけて再読してみた。初読時、私は一体何を学んだのだろうと反省するほど、「自閉症」に関する根源的・本質的な認識が深まったことを自覚した。

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 そこで今回は、本書の中で著者の村瀬氏が披露している「自閉症」のこころの世界についての見解を私なりにまとめ、いつものように簡単な所感を加えてみようと思う。

 

 著者はまず、ローナ・ウィング著『自閉症児』や「報道特集・うちの子は自閉症」というテレビ番組の内容を紹介し、それぞれの「家族の苦労」から「自閉症」のことだけではなく、私たちの生きる仕組みのことをもっと受け止める必要があると述べている。また、これらの事例から、「自閉症」と呼ばれてきた子供たちは「並んでいるもの」が変化することに不安を感じていることを読み取っている。

 

    次に、「物を一列に並べる」「部屋の中の並んでいる物を動かすと怒る」「道順にこだわる」「同じ行動をいつまでも続ける」というような行動を示す、「同一性保持」や「変化への抵抗」と呼ばれている「自閉症」の症状について考察している。また、「自閉症」以前の問題として、人類が作り出した三大叡智と言われる「数・暦(カレンダー)・地図の発見」について取り上げて、「順序」や「配列」が損なわれると人は誰でもある程度のパニック状態になることを具体的に論じている。

 

    特に私の心に印象深く残った内容の一つは、自閉症児が「カレンダー」に関心を寄せるこころの世界を解釈している箇所である。次に、その概要をまとめてみる。…彼らが「カレンダー」に関心を示すのは、社会の規則性をうまく把握できないところからくる「不安定さ」があったからである。その「不安定さ」から自分を守るために、比較的分かりやすくできている「規則性」、例えば家の中の配置や、散歩する道の順番とか、そういう「空間の規則性」に注意を払うことで、手作りの安心感を得ようとしていた。さらに、そこから「時間の規則性」、つまり「カレンダー」に関心を寄せて安心感を得るという方向性を取るように、自然に関心が動いていたのである。

 

 もう一つ、私が強いインパクトを受けた内容がある。それは、多くの自閉症児が「家出」や「放浪」、「一人旅」を繰り返すことに対する解釈である。著者は、彼らのこころの世界を解釈するには「地図」が手掛かりになると考え、その意味論的な考察をしている。次に、その概要をまとめてみる。…「地図」とは「目印」の「順番」の意識であり、その「目印」をさらに「配置(座標)」として組み合わせたものである。だから、「地図」には必ずそれらの一定の「規則性」がある。自閉症児の「地図」にはあまり一般性がなくても、その描き手の頭の中に一連の「つながり」としてある限り、他人が見ても「地図」として見えるものになっていく。「先」の読めない状況下で生きている彼らは不安が高く、とにかく少しでも「先」の読めるものを探そうということになり、周囲の順番にならんでいるものや配置に関心を向けることになるのである。その一つが「地図」なのである。

 

 「順番」や「配列」が損なわれる傾向をもつ自閉症児は常に「おそれ」があり、この「不安定さ」から自分を守るために、「時間の規則性」をもつ「カレンダー」や「空間の規則性」をもつ「地図」に注意を向けていたのである。一般の子供たちは最も身近にいる「親」の笑い方やしゃべり方・動き方にその親なりの一定の「規則性」に強い関心を示していくが、自閉症児は絶えず動き回る「親」に一定の「規則性」を見出すことは難しい。だから、彼らが「親に関心を示さない」と言われてきたのは、関心を示さないのではなく、動き回る人間に一定の「規則性」を見つけることが上手にできにくいからであると、著者は指摘する。彼らはよく「対人関係がとれない」と言われるが、それは「関係がとれない」のではないし、「対人関係に無関心」なのでもなく、「人間の行動の規則性」が読み取れにくい故の不安が先立っているだけなのである。

 

 著者はこのような考察を基に、自閉症児と私たちは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っていると主張する。これまでの自閉症=特殊論に異議を唱え、彼らの生の在り方は誰にでも共感でき、理解できるものであることを強く訴えている。つまり、従来「自閉症の謎」などとして不思議がられてきたものは、その原因を訳の分からない「脳障害」や「知覚・言語・認知障害」などに求めて特別視しなくても、身近な自分たちの「記憶」の現象を突き詰めるだけでも、私たち自身のもつ「謎」と共通しているものであることが理解してもらえるはずなのである。

 

 以上のような「自閉症」のこころの世界についての著者の見解を今回再認識して、私は自分自身の今までの「自閉症」に対する認識の浅さを痛感した。「自閉症」を「病気」ととらえ、自閉症児が示す特徴的な行動を「症状」と見なしてしまう発想から脱し、彼らを一人の人間としてあるがままとらえ、彼らの示す特徴的な行動を誰にでも大なり小なりもっている「特性」だととらえることが大切なのである。そのことにより、自閉症児を「生活=社会」の中の「関係」としての存在としてとらえる視座が確保され、新たな「相互関係性」の地平が拓かれていくのである。私は本書を再読しながら、特別支援教育指導員という今の立場を鑑みて、さらなる「研修と変容」が必要であると痛感した。

「自閉症」の本質をどのようにとらえたらいいのか?~滝川一廣著『「こころ」の本質とは何か―統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ―』を再読して~

 学校生活において困り感を抱いている子どもに関わっている先生方やその子の保護者に対する「教育相談」を行うことが、今の私の主な職務内容である。したがって、まず対象児が抱いている困り感の実態を知るために、在籍している保育所や幼稚園・小学校・中学校等へ出掛け、学校生活(特に授業)の様子を参観させてもらって観察記録を取ったり、先生方から対象児の成育歴や生活の様子等について聞き取り調査を行ったりする。次に、それらの記録メモと、家庭や学校から提供された各種検査結果等の資料等を整理しながら報告書にまとめる。また、その作業をする中で対象児の困り感の内実を把握し、その原因や理由等について考察する。さらに、その原因や理由等に基づいて困り感を解消する手立てを考える。特に対象児が何らかの「障害」をもっている場合は、その「障害」の特性やそれに応じた対応の仕方等について改めて学習を深めた上で、対象児の困り感を解消するために先生方や保護者が講じるとよい具体的な手立てを考える。そして、以上のような手順を踏んだ後、実際に「教育相談」に臨むのである。

 

 私がこの3週間ほどで実際に学校現場へ出掛けて、対象児の学校生活の様子を参観したのは4件で、その内「教育相談」まで実施したのは2件である。1件の「教育相談」を2名以上の特別支援教育指導員が担当し、経験年数の長い者がメインで、短い者がサブになるので、私はまだメインの立場で「教育相談」を実施してはいない。今のところ記録を取ったり、報告書を作成したりする補佐的な業務を行っているだけである。しかし、気持ちとしてはメインの立場と同様の課題意識をもって具体的な手立てを考え、事前打合せでは私の考えを積極的に提言している。このような業務の中で、私は「発達障害」の本質について深く理解することが必要だと強く感じ、過去に読んだ「発達障害」や「特別支援教育」に関連する本の中で特に重要だと思った本を再読しようと考えた。その本の一冊が、今回取り上げる『「こころ」の本質とは何か―統合失調症自閉症不登校のふしぎ―』(滝川一廣著)である。 

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 そこで今回は、私が今一番関心をもっている「自閉症」の本質について、本書から学び直したことをまとめながら私なりの簡単な所感を付け加えてみようと思う。と言うのは、私がこのわずか3週間で直接関わった「教育相談」の対象児の中に、「自閉症スペクトラム症」と医師から診断された子や私たち指導員が類推した子もいたので、現実的な必要感に迫られたことが背景にあるからである。

 

 本書は、精神科医の著者が正統精神医学(人間の「こころ」の世界や「こころ」の失調を、できるだけ脳の生物的な仕組みにおいて理解しようとするもの)の立場ではなく、力動精神医学(失調を「こころ」そのものの問題として、できるだけサイコロジカルな、心理・社会的な仕組みにおいてとらえようとするもの)の立場から、統合失調症自閉症不登校という三つの「ふしぎ」を取り上げて「こころ」の本質に迫っている好著である。この力動精神医学の立場とは、精神疾患という「こころの病」を深く見ていくことで、どこかで「こころ」の本質を解く鍵が見出されるのではないかという人間学精神病理学の立場ということになり、私自身が今まで大切にしてきた人間観と共通するものである。だから、著者が本書で示した見解について概ね共感することができたのである。

 

 その中でも特に「自閉症」に関する見解は、初読の時には十分理解できにくかったところが、今回再読してみて私なりに深く理解することができ、さらに強く共感した。きっと「自閉症」の本質について知りたいという私の気持ちが強かったからであろう。本を読むという営為にとって、読み手の課題意識の高さがいかに大切かということを、私は改めて実感した次第である。

 

 では、私が学び直した著者の「自閉症」に関する見解の概要をまとめてみよう。

 

 著者は「自閉症」の学説そのもの辿って、「自閉症」とは何かを考えていくことから始める。まず、1940年代から50年代にアメリカの児童精神医学者カナーは、「自閉症」を統合失調症の最早期に発病したものだと考え、対人交流の障害、社会性の障害を共通項に統合失調症との関連を追究していったのが最初の流れである。次に、60年代に入ると、「自閉症」を環境との関連において検討していこうとする環境論的な研究の流れが出てくる。その観点は、「カナーの家族論」「統合失調症の家族研究」「ホスピタリズム研究」「精神分析学」「反精神医学」の5つに概ね整理される。それぞれの内容の解説について詳しく知りたい方は、ぜひ本書を手に取っていただきたい。しかし、残念ながらこれらの研究は原点がまちまちだったため、単に百家争鳴に終始して混沌を極め、それぞれの問題意識が互いに突き合わされて検討され、ポイントが絞られていくには至らず次第に挫折していったのである。

 

 このような動きを背景に70年代の学説転換を主導したのは、イギリスの児童精神医学者ラターであった。彼はカナーとは違い、「自閉症」と統合失調症とのつながりを否定し、それまでの「自閉的孤立(社会性の障害)」を基本的な症状とした「自閉症」理解を捨て、「言語の障害」こそを基本的な症状とみなす新たな理解へと180度の転換を図った。具体的には、「自閉症」は「発達失語」(現在、「発達性言語障害」)にこそ近縁した障害、またはそれに連続性をもつ障害ではないかという仮説を彼は立てたのである。そして、彼は様々な実証研究に取り組み、その結果として「言語認知障害説」或は「認知障害説」を唱えたのである。

 

 このラター学説は、研究方法の客観性とデータ的な実証性を備えていた斬新なものだったので、多数の研究者から支持された。確かに「一般的理解」「絵画配列」等におけるアンバランスな落ち込みの実証には優れた業績を残した。しかし、それを「自閉症」固有の認知欠陥で、これが基本的障害だとした解釈は実は非合理なのもであった。その後「自閉症」に関する様々な生物学的な病理所見や既往症が見出され、それらの相互矛盾が露呈してきたのである。結局、80年代に入り、彼が「自閉症」の本態とした抽象能力・概念形成の障害が、なぜ極めて早期から見出される対人交流の大きな遅れを「二次的」にもたらすのかが、うまく説明できないことに誰もが気付き始め、彼自身も自説を潔く撤回してしまったのである。

 

 こうして80年代半ばから90年代にかけて、「自閉症」研究は、社会性の障害、情動的な対人交流の障害を改めて中心的問題ととらえ直して、それをどうとらえるかに回帰していくことになる。この新しい研究の成果の一つが、ラターの弟子であるボブソンの「感情認知障害説」である。彼は、「自閉症」は人間の表情を読み取って感情をキャッチする能力に欠陥があると結論付けた。これに対して異論を唱えたのが、もう一人の弟子であるバロン=コーエン。彼は、対人交流には相手がどう考えているかの判断が必要なのにその能力に欠陥があるために、社会性の障害が起きると考える「心の理論障害説」を唱えたのである。この学説は、ラターの行き詰まりを打開し、社会性の障害の謎を解いたものとして注目を浴び、目下(本書が発刊された2004年頃)、「自閉症」研究の先端をリードするものとなっている。

 

 しかしながら、この学説に対しても様々な疑問が出されており、その疑問にバロン=コーエンとその研究グループは十分な答えを出していないように思うと、著者は指摘している。いくら方法を細密化しても、方法の実証性は解釈の妥当性を保証しないのである。ここにこの学説だけでなく、ラター以降、現代の「自閉症」研究がぶつかり続けてきた壁があると強調している。

 

 そこで著者は、ここから自分なりの考えを披露する。著者は、ラターからボブソン、バロン=コーエンまでの理論の筋立ては、正統精神医学の理念(人間の精神機能は合理的であるはずで、それがしかるべく発揮されないとすれば脳に何か異常が潜んでいるはずだという理念)に立っているため、「自閉症」が障害である以上、どこかに非連続的な異質性(異常性)があるという前提が先にあると言う。だから、分類上は「自閉症」を「発達障害」に位置づけておきながら、「精神発達」という連続性をもったプロセスの中でとらえようとする発達論の視点が欠けていると指摘している。人間の「こころ」の世界は、個体の外に広がる共同的な関係世界を本質としており、その共同性を獲得していく歩みが「精神発達」である。個体の脳の内側だけでは、他の人と社会的に共有できる認識や行動の獲得は不可能である。既に「こころ」の世界の共有を成し遂げている大人たちとの不断の交流があってはじめて、生まれ落ちた子供は共有可能な、共同的な認識の在り方や行動様式をみずからも獲得していけるのである。この人間の精神機能がどのようなプロセスで獲得されるのかの発達論的な吟味を怠るところに、現代の主導的な「自閉症」研究の弱点があり、そのため実証から解釈への思弁が逆立ちになると、著者は厳しく批判している。

 

 これらの考察の結果、「自閉症」の本質とはカナーが最初に記述した「自閉的孤立(孤立的な精神生活)」、すなわち関係の発達に遅れがみられることであると、著者は断定している。この関係の発達の遅れが、認識の領域から社会性の領域にいたる広汎な発達の遅れをもたらすのは、人間の精神発達が個体の外にひろがる社会的文化的な共同性を本質としているためなのである。だから、「自閉症」の問題は、「関係の発達に大きく遅れる子どもたちが生ずるのはなぜか?」の問いに絞り込まれるのである。

 

 なぜ、関係の発達が遅れるという現象が起きるのか。それは、何度も述べたように人間の精神機能は社会的文化的な共同性を生まれた後に獲得していくからである。子宮内では未知であった共同世界を認識していくには時間がかかるように、つながりがなかった共同世界と関係を培っていくのにも時間がかかる。そして、そこには必然的に個人差(個体差)がある。では、この個人差は何で決定されるかというと、生物学的(遺伝子的)にも環境的にも非常に多数の因子の重なり合いによって決まっていくと考えられる。したがって、関係性(社会性)の獲得の度合いは、高い者から低い者まで幅広い連続的なひろがりをもち、正規分布というあくまでなめらかな連続的な分布をなすはずである。この連続的な分布において、大多数が集まる平均水準から低い側に大きくずれているものを私たちは「自閉症」と名付けたのだと考えられる。しかし、ずれてはいても、あくまで連続線上の相対差であり、ここまでが「正常発達」、ここからが「自閉症」と分ける絶対的な境目はない。こうとらえるなら、かくべつ病理性がなくても、自然の個体差として関係の発達が平均水準を大きく下回る者が一定の頻度で生じても不思議ではない。これを「生理群」と呼んでもよい。また、何であれ脳に生物学的なハンディキャップがあれば、それらは発達の足を引っ張る負荷要因になるから、関係の発達に遅れをもたらしやすくなる。これを「病理群」と呼んでもよい。このように考えれば、脳局在論的な生物学研究の入り込んだ迷宮を抜け出せるのではないか。著者の「自閉症」に対する見解の概要は、以上のような内容である。

 

 現在の「自閉症」研究では、重い自閉症からアスペルガー症候群までを一つのつながりの連続スペクトラムとみる見方、つまり「自閉症スペクトラム」という見方をしている。しかし、著者によると「自閉症」群だけを切り離して、その内側だけでしか連続性をみていない点に誤りがあると指摘し、「自閉症」も「精神遅滞(知的障害)」も「正常発達」も、全てが一つつながりの「発達スペクトラム」の上にあると考えるべきだと主張している。私は、今回本書を再読しながら「自閉症」の本質について学び直した中で、著者の説くこのような発達論的な見方の重要性を再認識した。だから、今後はこのような発達論的な見方に立って、「自閉症」だけではなく全ての「発達障害」の「こころ」の世界について理論的にも実践的にも真摯に追究していこうと決意した次第である。

コロナ禍でも、生後5か月を経た孫Mもすくすく育っています!

    先週の日曜日に2回目のコロナ・ワンチンの接種を無事終え、私自身は少し安心した気持ちになっているが、東京オリンピックパラリンピック大会の開幕が間近に迫った東京都では新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大している。感染力が強まったインド型のデルタ株が蔓延しているようなので、今後ますます感染者が急増することが予想される。主催者側は「安心・安全な大会開催」を標榜して、ほとんどの競技会場は「無観客」にしたり、選手の移動に際してはパブル方式による感染防止策を講じたりすると言っているが、果たしてどうなることか?多くの国民にとっては「不安・危険な大会開催」の様相を呈しているが…。まあ、大会が始まれば、国民の一人としてテレビの前で日本人選手の活躍をしっかり応援したいが、本音としては何とか新型コロナウイルスによる被害を最小限に抑えながら、円滑な運営によって大会を無事終えてほしいと願うばかりである。

 

 さて、そのような中、二女が生後5か月を経た孫Mを連れて実家である我が家へ来て泊まることになった。当市で開催される二女が所属しているフラダンス教室の発表会の応援と、二女にとっての母方の祖母(私にとっては義母)の93歳の誕生会への参加のための帰省である。二女たちが自宅マンションに戻ってから、私たちじじばばは何度か二女宅を訪問してMと会っているが、我が家での再会は約3か月振りである。Mは私たちじじばばの顔を覚えているだろうか?我が家で機嫌よく過ごしてくれるだろうか?そんな他愛もないことが気になる。でも、今日、実際に再開してみると、それらのことはすぐに杞憂に過ぎなかったことが分かった。 

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  雨の中、車での約1時間半の移動時間を眠って過ごしたMは、我が家に到着してすぐは固まった状態だった。でも、ほんの5分間ほどで表情は柔らかくなり、私たちじじばばの顔を見て笑顔まで見せてくれた。もちろん私たちが交互に抱っこしてやるとしばらくは家の中を見回して、普段の環境との違いを確かめつつ新しい環境に慣れようとしていた。それもほんのしばらくの間で、その後はおしゃぶりのおもちゃを咥えながら、「アー、アー」「ウー、ウー」と喃語をよくしゃべり、時には大きな声で「ウギャーッ」という奇声を発するなどして機嫌がよかった。また、腕と腰が疲れてしまった私たちじじばばがMをベッドに下ろそうとすると、まだ抱っこしてほしいとばかりに訴えるほどになった。私は腕の筋肉が悲鳴を上げそうになったが、孫のために何度も抱っこして、新生児頃の自己流子守歌を歌ってあやした。普段、Mとのかかわり合いがないので、この時とばかりに張り切ったのである。

 

 その後、二女をフラダンス発表会の会場へ車で送迎した。送迎の間の待ち時間、私は「指導員」として今後の仕事の質を高めようと、馴染みの古書店で「特別支援教育」に関する本を3冊買った。そして、二女からの連絡を受けて迎えに行き、自宅に帰ってみると、長女と孫Hが来ていた。Mはまだ昼寝から目覚めていないので、私はHと二階の和室へ上がり、最近Hがハマっている「スポーツ育脳マット」の対戦ゲームをして遊んだ。この「スポーツ育脳マット」は大変な優れもので、幼児の集中力や敏捷な動き、タイミングのよい動き等を育成するには最適の教育玩具である。私が結構本気でやっても、4歳のHが必死にすると負けることがあるぐらいである。

 

 Hと私が対戦ゲームに夢中になっていると、長女が階下から「もうすぐ出発の時間だよ。」と呼んだので、私たちはしぶしぶゲームを止めて義母の誕生会の会場へ出掛けることにした。私とHは長女の車、妻とMは二女の車に分かれて乗って会場へ行くと、ちょうど義母と義姉夫婦も到着したところだった。会場の料亭は湯葉料理が自慢の店だった。Hを含めて8人は、湯葉料理をメインとしたコース料理(Hは特製のお子様セット)を堪能した。その間、代わる代わる大人たちに抱っこしてもらったり、柔らかいマットの上で寝させてもらったりしながら、Mは愚図ることもなく穏やかな表情で過ごした。「Mは本当に穏やかな性格の子だねえ。」と皆で感心した。

 

 今、普段とは違って遅い時刻に二女がお風呂に入れてやっている。私は2階の書斎でパソコンのボードを叩いているのだが、大きな泣き声が聞こえてきた。もしかしたら眠くなったのかな?それとも慣れないバスルームの雰囲気が嫌だったのかな?そんなことを考えていたら、いつの間にか泣き声が止んだ。私が気を揉むような事態ではなかったのだろう。ついつい要らぬ心配をしてしまう私だが、今のところMもすくすくと育っているようなので、一安心である。そう言えば、もうそろそろ離乳食を食べさせ始める時期だ。Mには食物アレルギーがないだろうか?…またまた私の心配性が頭をもたげてきた。まあ、なるようにしかならないこともあるから、今夜はMの穏やかな寝顔を見て、ほっこりした気持ちで寝床に就くことにしよう。皆さん、オヤスミナサ~イ…。

「障害」という概念について考える~佐藤幹夫著『ハンディキャップ論』を再読して~

 前期高齢者の私としてはフルタイムで働き始めるとやはり体力的にきつい面があり、帰宅してから読書をしたりブログの記事を書いたりする余裕があまりない。特にこの一週間はまず職場の雰囲気や業務内容に慣れることに専念していたので、自分では意識していないつもりだったが、心身共に疲れ切っていた。でも、前回の記事にも書いたように、今の職場は明るい雰囲気だし、ある程度自分のペースで業務に取り組むことができる環境なので、過度のストレスが掛かることなく働くことができている点、とても有難い。

 

    そのような中、先日、教育相談の申請があった学校現場へ初めて出掛け、久し振りに普段の授業実践を参観させてもらいながら、対象児の観察記録を取る業務に従事した。帰庁後、私たち「特別支援教育指導員」の執務室において、その観察記録を基に報告書を作成していると、「この仕事は私には適しているなあ。」と心の中で呟いてしまった。授業中における対象児のあるがままの様子をまとめていると、その子が見せる学習行為や何気ないしぐさなどから様々な内面の動きが見えてくる。まさしく現象学的なアプローチによる子供理解の方法が生かされる。今後は、私なりの解釈に基づいて対象児や授業者の困り感を解消していく手掛かりを見出し、授業者や保護者等との教育相談の際にアドバイスをしていくことになる。私の今までのキャリアを最大限生かすことができそうなので、つい気持ちが高ぶってくる。

 

 そこで、勤務し始めて二回目の週休日を迎えた今日、その気持ちの高ぶりを少しクールダウンして平常心を保持するために、改めて「障害」という概念について考えたいと思い、以前読んで大きな刺激を受けた『ハンディキャップ論』(佐藤幹夫著)を再読することにした。今回は、その読後所感をまとめておきたい。

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 著者は、自身が「赤緑色弱」という色覚異常者であることから、その社会的バリア=「障害」について考察している。その中で、かつて小学校で使用していた石原式検査法がいかに根拠のないものであり、その恣意的な基準によって色覚異常者と判定されていた人がいかに職業選択に当たって多くの制約を受けてきたかについて憤りを持って述べている。著者が学生の時、色覚異常者には理科系全ての学部の受験資格がなかったのである。幸い著者は文学部志望だったから、特に大きな騒ぎにならず、「赤緑色弱」が進路選択を阻む社会的バリア=「障害」とはならなかった。

 

 しかし、著者が参考文献として挙げている『つくられた障害色盲』(高柳泰世著)によると、遺伝性ゆえ結婚をあきらめるよう告げられた女性の例、泣いて我が子に詫びた父親の例、いかにそれまでの自分の人生が希望する選択を阻まれてきたかと嘆く例等が紹介されているという。「差別と闘う会」まであったという深刻な事態がかつてはあったのである。現在は、多くの大学の受験資格からも、教員受験資格からも、この「色覚異常でないこと」という項目は削除されている。また、2003年からは学校保健法の一部を改正し、小学校における検査自体を取り止めている。

 

 このような事例から、著者は「心身の諸器官を負うこと」と、「障害者であると社会の側から刻印付けられること」とは、実はイコールではないと指摘する。そして、「障害者」とは、単に機能的、能力的にハンディを持つだけの存在なのではなく、その存在一般が社会的な「障壁」のもと、絶対的な不利益を被ってしまう存在なのだと強調する。この社会的障壁は、ある場合には何ら明確な根拠に基づくものではないということ、また時代の進展にとともに軽減され得るものであることであり、なぜか私たちが持たされてしまっている共同の観念なのであるとも主張している。

 

 さらに、最終章において著者は本書を書き継いできた理由を、次のように述べている。…わたしにとって「障害」とは、人間の持つ多様性のひとつにすぎない。そしてそのように言うとき、そこにはどんな「価値」感情も含まれていない。人間に訪れる事実としての多様性である。社会が要らぬ「障壁」をつくったり、十分な情報や「慣れ」がないために関係の強張りとなったり偏見となる、「障害」とはそのようなものなのではないかという、ただそのことだけをお伝えしたかった次第である。…本書は、このような意図で書かれたものなのである。私は、著者の「障害」という概念のとらえ方に強く共感する。

 

 今から20年前ぐらいから「特別支援教育」という新しい概念が登場して、それまでの「特殊教育」という概念を転換する動きが起きた。本書の発刊時期が2003年であるから、もしかしたら著者はこの転換の根拠になるような「障害観」に基づいて発言していたパイオニア的な存在だったのではないだろうか。この度、「特別支援教育指導員」として仕事をするようになり、私は改めて「特別支援教育」の根底にある「障害観」について問い直しつつ、著者のような「障害観」を確かに涵養する必要性があると思った。

 

 さて今日はこれから、新型コロナの2回目のワクチン接種をすることになっている。無事に済ませて、明日からは私の訪問を待っている教育現場へ多少の安心感を持って出掛け、困り感を抱いている子供や保護者、そして担任の先生方が少しでもそれを解消することができるように頑張ろう。平常心を保持しながら…。

「教育」に関わる公共性の高い仕事に再挑戦することになりました!

    今年1月末をもって前職を辞してから5か月の月日が過ぎた。しばらく心身の疲労を解消することに専念していたが、2月下旬からの約2か月間は、私にとって二人目の孫になるMの「孫育て」とも言える、二女の子育てサポートに全力で取り組んだ。その間に、新型コロナウイルスの感染予防のために我が家を訪れることがほとんどなかった初孫Hは、通園している認定こども園の年中組になっていた。4月下旬になって二女と孫Mは他市にある自宅マンションへ帰ったので、それ以後は待ちかねたようにHが我が家を訪れることが多くなり、私のHに対する「孫育て」は以前以上に忙しくなった。また、向こうの実家で行われたMの「お七夜」「お宮参り」「お食い初め」等の行事に、フリーになっていた私も全て参加することができた。さらに、ここのところ認知機能が衰えてきた高齢の義母との関わりも深くなってきて、この5か月間の私の日常生活は、親密な家族圏における活動によって大変充実したものになった。

 

 反面、それ以外のプライベートな時間は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために「ステイホーム」を余儀なくされたので、妻と共にショッピングやウォーキングをする以外はもっぱら読書をしたりブログの記事を綴ったりする趣味的活動で占められていた。そのような中にあった3月上旬のある日、「なんとなく退屈だ」とか「社会的に有意義な仕事をしていないと人生を充実できないのではないか」とかという実存的な問題が私を襲ってきた。それから5月中旬頃まで、私はそれらの問題としっかりと向き合い、関連する本を参考にしながら自分なりにその相対化を図ったり対応策を考えたりしてきた。その結果、私は次第に心身共にリラックスした状態を取り戻してきて、再び勤労意欲が沸いてきたのである。

 

 自己流のリタイア生活はいつからでもできる。やはり心身が健康な状態なら70歳ぐらいまでは、私が天職だと思っている「教育」に関わる公共性の高い仕事や活動に再挑戦してみたい。そのような思いを持ち始めた5月下旬になって、私はウェブ上で就活を再開した。すると、何と就活を再開したその夜に、当市の教育委員会・学校教育課から「特別支援教育指導員」を緊急公募するという実施要領を偶然に見つけた。ただし、公募期限は何と翌日まで!私は応募に必要な書類を急きょ夜中に作成し、翌日の午前中に提出先の教育委員会の受付窓口まで持参した。その後、6月中旬頃に面接試験があり、翌週には合格通知書が届いたのである。応募者の中でおそらく一番高齢だったのではないかと想像するが、それだけに「66歳という歳で再就職希望が叶うとは、本当に有難いことだ!」と感謝の気持ちが自然と沸き起こってきた。

 

 以上のような経緯で、私は7月1日(木)から当市の教育委員会・学校教育課で「特別支援教育指導員」として勤務している。現職中には一度も教育行政の立場で仕事をした経験がなかった私だが、退職後にその仕事をする機会に恵まれた。しかも障害のある子供に対する適切な学習や就学、就労等を保障するために、担任の教員や保護者等を対象にした教育相談が主たる業務になる公共性の高い仕事である。私の関わり方次第では、障害のある子供やその保護者等の夢や目標を実現することに繋がる、やりがいのある仕事なのだ。私は俄然、仕事内容に対するモチベーションが上がってきた。

 

 まだ勤務し始めて二日しか経っていないが、職場の雰囲気は大変よい。同じ業務に携わる仲間は女性5名・男性1名なので、私を入れると7名で業務分担をしている。その中で退職教員が私を含めて4名、今までに「特別支援教育」に係わる仕事の経験がある者が3名。それらの職歴をもつ者だからという訳ではないが、皆さん人権意識が高く他者を尊重する態度を身に付けている方々とお見受けした。私にとっては、いや誰にとっても、この上ない職場の人的環境である。もちろん業務を遂行していく過程では、考えや意見が異なることもあると思うが、この雰囲気なら対話的に課題解決していけそうである。まだ詳しい業務内容を理解している訳ではないが、学校現場へ直接出掛けて行う「教育相談」が主たるもののようである。今は、早く教育相談活動という実務に取り組みたいと思っている。

 

 でも、その前に「特別支援教育」に関する基本的な知識や具体的な取り組み方等について、復習しておかねばならない。今から約20年前に、それまでの「特殊教育」という考え方から、新たに「特別支援教育」という考え方にパラダイムが転換した。その頃、私は昇任教頭として山間部の僻地校へ単身赴任した当初だったので、職員住宅で夜間の自由時間を活用して「特別支援教育」の研修を自主的にしていた。特に通常の学級にも約6%は在籍していると言われる「発達障害」がある子の特性やその特性に応じた支援の工夫について、関連する文献を読んで研修をしていた。また、その後校長に昇任してからは、勤務した小・中学校に設置していた特別支援学級の子供たちとの関わりを積極的に持ち、実践的な知見を高める努力をしてきた。しかし、教職を離れてもう6年も経つ。再度の研修が必要である。だから、ここ数日間はそのために精力的に「特別支援教育」に関する重要な文献を読み直すことに集中したいと考えている。

主人公が未だに偏見や差別が残る「屠殺(とさつ)」という仕事を選んだ理由は?~佐川光晴著『生活の設計』を再読して~

 前回の記事で、「神道」における「穢れ」という概念とそれを「祓う」という意味について綴った際に、中世社会になり仏教思想や陰陽道が浸透することによって、特定の人々を「穢れを有する人々」として扱うようになり、それらの人々を排除・差別しようとする意識が平安貴族から生じてきたということに触れた。しかし、排除・差別された特定の人々について、あえて言及しなった。その理由は、我が国の部落差別問題についての総合的知見が私にはまだまだ足りず、誤った歴史認識に基づく誤解を読者に与えてはならないという意識があったからであった。

 

 ただし、中世社会において「濫僧(ろうそう)」(僧形の乞食)や「屠者(としゃ)」(生き物を殺す者)を「穢れを有する人々」として扱い、後に「非人(ひにん)」と総称されて排除・差別される対象者になっていったことは、被差別部落が形成される胎動期の史実の一つとして現在認識されていることは間違いない。この中の「屠者」というのは、牛馬等の「屠殺」に携わる人々のことであり、現代社会においては「食肉解体業者」と呼ばれていると思うが、未だに理不尽な偏見・差別を受けている職業ではないかと思う。その理由は、以前に読んだ「屠殺場」を描いたある小説においてそのことが記されていたからである。その小説とは、私が新任教頭として山間部の僻地校へ単身赴任していた頃(2000年頃と記憶しているが…)、新潮新人賞を受賞した『生活の設計』(佐川光晴著)という小説のことである。

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 当時、週末になると自宅に帰って単身赴任の疲れを癒していた私は、休日には近所の書店や古書店に出掛けて、面白そうな本を物色するという習慣が身に付いていた。次週の平日の夜、私にとって至福の時間を提供してくれる「読書」の友を探すためである。書店に並んだ本書を手にしてざっと内容に目を通した私は、「屠殺」という仕事を選んだ主人公の内面を巧みに描いている著者の筆致に魅了された。私は躊躇することなく入手したと記憶している。そして、翌週には勤務校の校舎裏に建っていた教員住宅で、就寝前に本書を読み耽ったのであった。私は当時の想いを振り返りたくて、同著者の『ジャムの空壜』『縮んだ愛』『おれのおばさん』『おれたちの青空』等の作品群と一緒に書棚に並べていた本書を、約20年振りに取り出し再読することにした。

 

 そこで今回は、本作品の主人公が未だに偏見や差別が残る「屠殺」という仕事を選んだ理由についてまとめながら、私なりの考えも付け加えて記事を綴ってみようと思う。

 

 本作品は、「わたし」という主人公による一人称の語りによって、「わたし」を中心とした人々の様子を描いた小説であり、主人公の職業や年齢、家族構成等についてほぼ著者に関する事実をそのまま物語に取り込んでいる「私小説風」の小説である。その内容は、「わたし」が「屠殺」という仕事を選んだ理由について、様々な出来事に遭遇する度についつい考えてしまい、自分なりに納得するものを見出そうとすることがメイン。北海道の大学を卒業すると同時に結婚した「わたし」は、東京の小さな出版社に就職するが、入社後わずか1年でその出版社が社長の急死によって倒産してしまう。そして、しばらく職安へ出向き「編集者」志望で就活していたが、何を思ったかある日突然「屠殺場の作業員」志望へ転じ、自宅アパート近くの「埼玉県営と畜場」に入社することになる。それから6年経った今も、やはり「屠殺」という仕事を続けている。「わたし」がこの仕事を選び、続けている理由を、表向きは「汗かきのために身体が冷えて腹を下しやすい体質には最適だから」とか、「キツイ仕事なので午前中で終業になるため、共稼ぎの妻にも幼い息子にも都合がいいから」とか話しているが、それらの理由は他人を説得するのはもとより、自分自身を納得させるのにも物足りず…。

 

 そんな「わたし」が今日、屠殺場で脊髄反射した牛に右目とこめかみの間を蹴られる事故に遭う。そして、その場にうつ伏せに倒れたままになっている時、ついに自分が「屠殺」という仕事を選んだ理由を発見する。屠殺場で牛を解体した部位、例えば切断された牛の乳房や尻尾の先、後ろ足、陰茎、首、内臓、半身等のリアルな風景を目の前にした「わたし」は、自分も解体された牛のようにあらゆるところへ体を分けられてしまい、あらゆるものと混ざり合ってしまいたかった。「わたし」ではあるが「わたし」ではなく、「わたし」が物質として他の物質とともに永遠に動き続けてゆく姿を夢想する。「わたし」は、「物質になりたかった」のである。これこそが、「わたし」が屠殺場で働き出した理由だった。

 

 しかし、それにもかかわらず、「わたし」が今日発見したと思っている真理は、偶然起きた事故を利用してとっさにでっち上げたフィクションではないかと疑う。確かに「わたし」は頭に牛の足による打撃を受けてその場に倒れ、そのままの格好でしばらく作業場の様子を見ていたが、それをどうしても「わたし」がそこで働き出した理由または目的と結び付けなければならないことにはならないと考える。それでは一体なぜそれらの光景を真理、およびそこで働き出した理由と結び付ようとなどとしたのだろうか。おそらく「わたし」は、「汗かき」や「共稼ぎ」といった、いかにも取って付けましたといったような理由ではない理由をどこかで求めていたからではないかと悟る。だたし、それがたとえフィクションであろうと真理であろうと、「わたし」が屠殺場を辞める気になどないことだけは、紛れもない事実なのである。

 

 結局、「わたし」が屠殺場で働いていることを説明するための自他共に納得できるような理由は見つからなかった。だから、もし仮に息子の通う保育園の先生から今の職業を選択した理由を尋ねられても、過去にあったように大学の同級生の「瀬川」からどんなに今の職業について非難されようとも、さらに妻の両親から今の職業を何となく否定的にとらえられていたとしても、「わたし」はこれからも今まで通りの取って付けたような理由を話してお茶を濁すのであろう。息子を保育園に迎えに行って身の回りの世話をし、妻が帰宅するのを待ってから晩御飯の支度をして、息子や妻と共に夕食の団欒を囲み、また息子と遊んで息子が眠くなるころには眠くなってしまうという平凡な生活を送ること。6年前のある日、「わたし」が突然、屠殺場で働き出したことによって、我々の生活がこのようなものになったように見えるのだ。現時点において「わたし」の唯一の職業は、世間では未だに偏見や差別をされるような「屠殺」という仕事なのである。

 

 本書の帯に、「新潮」2000年11月号所収の「新潮新人賞」選者である李恢成氏の次のような選評が記載されている。…この小説のいちばん秀れている点は、ふつう禁忌の視線に晒されやすい「屠殺場」という食肉解体現場に飛び込んでいったこの主人公の生き方が市民本来の姿を模索する元気な視野を保ち、ユーモラスに社会の蔑視感をでんぐり返してしまっていることだろう。人間としての再生を賭けた聖なる(そしてふつうの)職場だからこそ俗社会の偏見と戦えたのだが、さりとてへんな気負いもなく、むしろ小市民的な家族の健全さを大切にする心持が淡々とあらわされているのがよかった。…とても言い得て妙な選評ではないか!

 

 私も、主人公の「わたし」が世間の差別的視線に対して示すさりげない小市民的な姿勢こそ、健全な「反差別」的な表現になっているのではないかと思った。排除や差別の現実に対して事を荒立てることなく淡々として生きる「わたし」の姿勢は、あまりに無防備な対応だと叱られるかもしれないが、私には一人の人間として清々しく、好ましいものに感じられた。また、どのような職場においても、そこで同僚や上司から仕事ぶりを認められ、信頼される人間になりたいと思うことは、社会人として当たり前の姿なのだということも、再認識させられた。今回、再読することによって、本書は私にとって意味深い作品として鮮やかに蘇った。

「穢れ」という概念とそれを「祓う」ことの意味について考える~イースト・プレス発刊『あらすじとイラストでわかる 神道』を参考にして~

 「神道」の基本的な事項についてもう少し学んでみたいと思い、馴染みの古書店で初心者向きの本を探していて見つけたのが、次のような章立てで構成されている『あらすじとイラストでわかる 神道』(イースト・プレス発刊)であった。

○ 第一章「神道の歴史と思想」 ○ 第二章「神社にまつわるナゾ」 ○ 第三章「神道にまつわる日本神話」 ○ 第四章「神道にまつわる人物ファイル」 ○ 第五章「現代に息づく神々の信仰」 ○ 第六章「暮らしの中に生きる神道」 ○ 第七章「全国祭りのファイル」

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 一項目の解説が見開き2ページ編集になっており、本文のポイントとなるイラストや写真も添えているので、とくかく「神道」初心者にも分かりやすい。私はここ数日間、暇を見つけては気になった項目をつまみ読みしてみた。特に興味を引いたのは、やはり第一章の「神社と歴史と思想」の各項目であった。その中でも「斎戒って何?」「禁忌って何?」「穢れはどうやって祓うの?」など項目は、「神道」で重視される「清浄であること」に係わる基本的な事項なので注目して読んでみた。

 

 そこで今回は、この「清浄であること」に係わる「穢れ」という概念とそれを「祓う」ということの意味について私なりに理解したことをまとめるとともに、それに対する所感を付け加えてみようと思う。

 

 「神道」では神と向き合う上で、「穢れ(汚れ)」こそが最大の禁忌として忌み嫌われたと言う。だから、祭祀に関わる神職には、祭祀の前日か当日に心身を清潔な状態に保つという意味の「斎戒」を行うことが求められた。例えば、きれいな水で沐浴して心身共に清めたり、清潔な白い衣装に着替えたり、居室を他人と別にして酒や肉食等を慎んだりすることなどである。701年の大宝神祇令で定められた「斎戒」では、① 喪を弔ってはいけない。② 病人の見舞いをしてはいけない。③ 獣の肉を食べてはいけない。④ 裁判をして罪人の罪を決めてはいけない。⑤ 音楽を楽しんではいけない。⑥ 穢悪にあずかってはならない(汚れているものや罪に触れてはいけない)。という六つの行為が禁じられていた。これらは、斎戒生活中で特に禁じられた「六色の禁忌」と呼ばれたらしい。すなわち「神道」が禁忌としている「穢れ」とは、死や病気、血といった不浄のものに触れることである。では、なぜ「音楽を楽しむ」がその中に入っているのか。それは、これから祭祀に関わる人間にとって精神を乱すものだからそうである。また、罪を犯すこと、例えば田を壊したり、人を傷つけたりすることでもたらされた「穢れ」は、天災や疫病が起こるきっかけと考えられたからだとか…。

 

 「穢れ」という概念は、本来、民俗学からすると「ケ」が「カレル(枯れる)」ことを意味していた。「ケ」とは、非日常的な状態として特別視される「ハレ(晴)」という観念に対し、日常的な状態を意味する「ケ(褻)」の意味であるとともに、生命の成長・持続を支える「ケ(気)」という意味も有するものである。それが枯れるのだから、生命の成長・持続を支える霊力が衰えた状態を意味するのである。この「ケ」が「カレル」状態は、同時にそれが持続されること、いわゆる「不浄」・「汚穢」という状態を派生させていくことになるので、その後の歴史的過程で「汚らわしいもの」「汚らわしい状態」そのものも意味するようになったと思われる。私が現職中に「人権・同和教育」の研修で学んだことを基にまとめると、中世社会になり仏教思想や陰陽道が浸透することによって、特定の人々を「穢れを有する人々」として扱うようになり、それらの人々を排除・差別しようとする意識が平安貴族から生じてきたと言われている。つまり、「神道」における「穢れ」という概念は、少なからず我が国の部落差別問題との関連が見られるものなのである。私が「神道」という宗教について今まで積極的に学ぼうとしなかった理由の一つは、この点も挙げられるのである。

 

 さて、「神道」の話に戻ろう。「神道」において、もし「穢れ」によって生命力が衰えたら、それを拭い取らなければならない。そこで行われるのが、「禊(みそぎ)」や「祓(はらえ)」である。「禊」とは、身体に付いた「穢れ」を落とすこと。最近は「浄土真宗」の「誰でも浄土へ行くことができる」という教義を尊重して廃止している事例もあるが、過去には葬式から帰宅した場合に、玄関に上がる前に身体に塩を振りかける風習があったが、これも「禊」の一つ。これは、黄泉国から戻ってきたイザナギが服を脱いで海水で身体を洗った神話に由来しているらしい。また、今でも神社へ参拝する前に手水舎で手や口を洗ったり、力士が土俵に入る前に塩をまいたりする風習が残っているが、これらも「禊」と言える。

 

 そして、「祓」とは、「穢れ」の付いたものを神に差し出すこと。日本各地では川へ流す雛流しという風習があるが、これは身の「穢れ」を人形に移して神に差し出すという意味がある。これは、高天原で乱暴を働いたスサノオが神々に全財産を没収されて、その地を追い出された神話に由来しているらしい。現在では、「禊」も「祓」も「穢れ」を取り除く行為として同一視されているので、両者をくっつけて「禊祓い」とも呼ぶらしい。「禊祓い」は塩や水を使うものばかりでなく、火祭りのように火を使って人形を焼いたり、神主が和紙を取り付けた木の棒の祓え具を左右に振ったりすることでも、「穢れ」を「祓う」ことができるとされている。小正月に門松や注連飾りなどを焼く「どんど祭り」や、「お宮参り」や「七五三」の行事の「お祓い」もその実例である。

 

 このように見てくると、「神道」における「穢れ」という概念とそれを「祓う」ということの意味は、現在の生活に根付いた伝統的行事の中で脈々と息づいており、その点では尊重されるべきものであろう。ただし、「穢れ」という概念が歴史的に孕んできた「排除」や「差別」という観念については、現代の「人権」という観念と擦り合わせて批判的に検討を重ねていくことが重要であることを確認して、今回はここら辺で筆を擱きたいと思う。…どのような事物・事象も多面的・多角的にとらえ、深く思考した上で、適切に判断していくことが大切なのだと、今回もつくづく思った次第である。

「神道」って、宗教なのかな?~島田裕巳著『神道はなぜ教えがないのか』から学ぶ~

 前回と前々回の記事において、『神々の乱心(上・下)』(松本清張著)と『松本清張の「遺書」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』(原武史著)を取り上げ、「清張の天皇制観」の2つの視点について綴った。特に前回は、「シャーマニズム的」な視点から皇室が執り行う「宮中祭祀」という「神道」式のお祭りの内容にも言及した。その際に私は改めて自分の記憶を辿り直してみて、今までに「神道」という宗教についてほとんど知らないことに思い至った。もちろん自分の子どもや孫の「お宮参り」や「七五三」には、神社に行ってお祓いの儀式をしてもらってきたが、その祭主である神職の呼び名を「宮司」と言うのか「禰宜」と言うのかということさえよく分かっていなかった。また、「神道」という宗教の開祖や宗祖が誰か知らないし、どのような教義があるのかも知らない。知らないというより知ろうとしなかったというのが、正直なところである。

 

 私は、今まで戦前の「国家神道」という暗く悪いイメージ故に「神道」という宗教について知ろうとしなかったことを反省し、我が国特有の「天皇制」や皇室が執り行う「宮中祭祀」等についての認識を深めるためにも、この際「神道」について少し学んでみようと考えた。早速、近くの書店に出掛け、宗教関係の本が並んでいる書架から「神道」の基本的な知識が得られそうな本を探した。その結果、見つけたのが新書版の『神道はなぜ教えがないのか』(島田裕巳著)であった。分かりやすく書かれてあったので、二日間ほどで読了した。

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 そこで今回は、本書から学んだ「神道」という宗教の基本的な特徴や性質等について私なりに理解した内容を整理するとともに、それに対する簡単な所感を付け加えてみようと思う。

 

 まず、「神道」は日本の長い歴史の中で外来の仏教や儒教道教等から様々な影響を受けてきたが、古代から守り続けてきた日本固有の「民族宗教」である。ただし、仏教の釈迦やキリスト教イエス・キリストという開祖に当たるような人物はいない。また、それぞれの神社を創建した人物についても、それが分かっていない場合がほとんどである。仏教なら、開祖だけでなく、各宗派を開いた宗祖や、歴史に名を残した有名な僧侶がいたりするが、「神道」には宗祖はいないし、誰もが名前を知っている神主や神道家等はほとんどいない。

 

 次に、「神道」は教義というものがほとんど発達していない。仏教にもキリスト教にも、あるいはイスラム教にも教義が存在し、それぞれかなり壮大な体系が作り上げられているが、それが「神道」にはない。歴史的には中世以降、さまざまな神道家が独自の「神道神学」を打ち立てようとはしたが、それは仏教や儒教等の思想を借りてきた観念的なものだった。一般の人々がそれを実践することで救いを得られるような教義は、生み出されることはなかった。そもそも、「神道」における救いというものからして曖昧なものらしいのである。

 

 宗教とは、救いを与えるもの、救済に結びつくものだという定義の仕方も可能であるが、「神道」にはこの救いの部分が欠けているのである。私たちは神社で「家内安全」や「商売繁盛」、「結婚成就」等を祈願するが、神社に祀られているはずの神は救いのための手立てを与えてくれる訳ではない。また、「神道」は人生の根本的な問題に対する究極的な答えを与えてくれる訳でもない。一般には人々の悩みや苦しみの解決に役立つという宗教一般に求められる役割を、「神道」に限っては期待することができないのである。

 

 以上のように、「神道」は開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教である。果たして「神道」は、宗教なのかという基本的な疑問が生まれてくる。実際、明治以降の近代日本社会においては、「神道は宗教にあらず」とされ、宗教の枠の外側に置かれてきた歴史がある。そこには、権力者が「神道」を宗教の枠から外すことで、国民道徳や習慣として強制させようとする意図が働いていた。しかし、このように「神道」と宗教が区別されたのは、「ない」宗教という「神道」の特徴や性質等に由来するとも言えるのである。

 

 「ない」と言えば、「神道」の施設である神社の本殿や正殿に祀られている祭神は、その神が宿っていると言われる鏡や御幣等の依代があるだけで、その神の姿を象った神像等は存在していない。また、神社の境内にある小さな社殿、小祠には依代さえないこともある。つまり、神社の中心には実質的に何も「ない」のである。これは、神が存在しないということを意味する訳ではないが、神に姿は「ない」。「神道」や神社の中身を探っていけばいくほど、あってしかるべきものが「ない」という事態に直面するのである。したがって、「神道」という宗教の本質は「ない」ということである。このことは「ない宗教」神道と外来の「ある宗教」仏教とが深く結び付き、平和的に共存してきた1400年にわたる我が国の歴史と密接に関連してくることになる。その歴史の流れの概略について知りたい読者の方は、ぜひ本書を手に取っていただきたいと思う。

 

 ところで、今回、私は本書によって「ない宗教」としての「神道」の基本的な特徴や性質等を知ることができたが、実は今まで知らないままに「神道」における「神」の存在を活用していたことに気付いた。それは、1年ほど前から孫Hを常に見守っている存在としての「神様」を顕在化させていたのである。神棚を設置している我が家の和室でHと一緒に遊んでいた時、私が「神様」の声色で「Hくん、神様の姿は見えないと思うけど、いつも見守っていてあげるから、安心してね。」と語ったことがあった。それ以後、Hは「神様、今日も遊びに来ました。」とか「ピクニック遊びをするから、神様にもお弁当を作ってあげよう。」とか言うようになったのである。Hにとって「神様」はまさしく存在している。私はHの言葉に対して「神様」の声色を腹話術的に発して対話するようにしているが、その度に少し後ろめたい気持ちになることがあった。しかし、今回、「ない宗教」としての「神道」について学んだことによって、この出来事は日本人特有の伝統的心性を現したものと意味付けることができた。これからも続けていくつもりである。私は、近頃「神道」についてもっと深く知りたいなあと思っている。

「松本清張の天皇制観」を探る②~松本清張著『神々の乱心(上・下)』と原武史著『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』を読んで~

 今月13日(日)の午後に放送された読売テレビの「そこまで言って委員会」のテーマは、「皇室」であった。その中で「皇位継承」や「女性・女系天皇」について取り上げた議論は、とても興味深く大いに学ぶことがあった。と言うのは、「男系男子の継承」を尊重しようとする考え方は、単に意固地な保守主義的なのものではないことを教えてくれたものだったからである。外国人によって我が国独自の「皇統」を損なうことが起きるという視点は、前回の記事で私が主張したかったことを明らかにしてもらったようで、喉に刺さった棘が抜けたような気分になった。我が国の「天皇制」の今後の在り方は、「皇統」についてしっかりと学んだ上で考えなれければ、誤った方向へ足を踏み出してしまう結果になることを痛感した。

 

 さて、前回の記事では『神々の乱心(上・下)』(松本清張著)の物語内容から垣間見えた「松本清張天皇制観」の一つの視点である「アジア的」について、『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』(原武史著)を参考にしながら概説し、原氏の批判的意見に対する私なりの考えも付け加えてみた。今回は、もう一つの視点である「シャーマニズム的」についてなるべく簡潔に綴ってみたいと思う。

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 『神々の乱心』の最終章「月辰会の犯罪」において、シャーマンの江森静子が乩示を行う前、凹面鏡=多紐細文鏡に向かって祈る場面が描かれているが、これは邪馬台国卑弥呼の姿を彷彿させるとともに、皇居の宮中三殿で行われる「宮中祭祀」を思い出してしまったと、原氏は述べている。具体的には、「聖歴の間」は賢所に、凹面鏡は賢所に安置されている八咫鏡の分身に相当し、低い声で祈りの言葉を述べる江森静子の姿は、「宮中祭祀」で御告文と呼ばれる祝詞を読み上げる天皇の姿にも似ている。また、斎王台の静子に続いて、斎王台を継承する斎女の美代子が礼拝するというのも、「宮中祭祀」で皇太后に続いて皇后が、あるいは皇后に続いて皇太子妃が礼拝するのと似ているというのである。

 

 これらのことは、卑弥呼を女王とする邪馬台国を想定した古代王朝には「シャーマニズム的」宗教が入り込んでいて、その「名残り」が昭和初期にもまだ消えていないと、清張がとらえていたことの証しであろう。すなわち天皇の権力だけが突出する家父長的な専制とは異なり、女性がシャーマンとして神に仕えるとともに権力を持ち、男性が補佐する体制である。清張は著書『昭和史発掘』において、近代天皇制を解明する上で「アジア的」な古代天皇制を研究するより、「シャーマニズム的」な邪馬台国を研究した方が有益であるというようなことを記している。このような記述内容は、清張が近代天皇制を古代天皇制の復活と見なす「アジア的」な解釈を放棄するようになったことを表わしていると思われる。

 

 私は、現憲法下における天皇制の深層を探るためには、この「清張の天皇制観」の中核となる「シャーマニズム的」という視点は大きな意義を持っており、それを現在まで色濃く残している「宮中祭祀」のもつ意味や内容及び方法等について理解を深めることが不可欠であると考えている。したがって、まずは「宮中祭祀」の基本的事項について知ることから始める必要があり、私の覚書とするともに読者の皆さんの参考にも資するために、それらを箇条書きしておきたい。

 

○ 現在行われている「宮中祭祀」は、江戸時代後期に復活した新嘗祭を除くほとんどが明治になって再興されたり、新たに作り出されたりしたものであるので、古代の天皇制がそのまま近代に繋がっている訳ではない。

○ 1908(明治41)年に公布された皇室祭祀令によれば、「宮中祭祀」には大きく分けて、①天皇が自ら祭典を執り行い御告文を読み上げる「大祭」、②天皇が拝礼するだけの「小祭」の2つがあった。

○ 1947(昭和22)年に皇室祭祀令は廃止されたが、「大祭」の紀元節祭(2月11日)と「小祭」の明治節祭(11月3日)が臨時御拝に変わっただけで、「宮中祭祀」の基本は受け継がれた。

○ 現在の「大祭」には、元始祭(1月3日)、昭和天皇祭(1月7日)、春季皇霊祭・春季神殿祭(春分の日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭・秋季神殿祭(秋分の日)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日~24日)、大正・明治・孝明各天皇式年祭がある。

○ 現在の「小祭」には、歳旦祭(1月1日)、孝明天皇例祭(1月13日)、祈年祭(2月17日)、香淳皇后例祭(6月16日)、明治天皇例祭(7月30日)、賢所御神楽(12月中旬)、天長祭(12月23日)、大正天皇例祭(12月25日)と、綏靖から仁孝までの各天皇式年祭が各相当ある。この他、月3回行われる旬祭がある。

○ 新嘗祭を除く「大祭」と、歳旦祭祈年祭、天長祭を除く「小祭」では、天皇のほかに皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃も「宮中祭祀」に上がって礼拝する。

○ 天皇制が戦前と戦後で大きく変わり、「宮中祭祀」が天皇家の私事になっても、祭祀の具体的中身はほとんど変わっていない。

 

 以上のような「宮中祭祀」の基本的事項を見ても分かるように、「天皇の本質は祭り主」であり、「宮中祭祀」こそが「皇室」の存在意義だと言えるのである。くどいようだが、「清張の天皇制観」の中核となる「シャーマニズム的」という視点は、現在の「天皇制」や「皇室」について深く考えていく上で不可欠な視点になっていると考えるのである。そういう意味でも、松本清張の『神々の乱心』という「遺言」は、私たちに途轍もなく大きな宿題を残したのではないだろうか。

「松本清張の天皇制観」を探る①~松本清張著『神々の乱心(上・下)』を読んで~

 以前の記事で無宗教だと自認している私が日常的に親しんでいるのは「仏教」だと綴ったことがあったが、前回の記事で神社で執り行われた孫Mの「お宮参り」の行事について触れた時に、よく考えれば「神道」もあるなあと意識した。ただし、戦後生れの私などは、「神道」と聞けば戦前までの「国家神道を掲げた天皇軍国主義」という暗く悪いイメージを連想してしまう。でも、本来、天皇は古代より国民の安寧のために「祈り」を行う祭祀王であり、現憲法下においても皇居で「神道」式のお祭りである「宮中祭祀」を一年中行っている、我が国の統合を象徴する存在なのである。だからこそ、今の国民のほとんどはその存在を「象徴天皇」として認め、敬愛しているのである。

 

 天皇制に関する最近の話題と言えば、「皇位安定継承の有識者会議」における歴史や法律の専門家のヒアリング内容等の報道である。結論にまではまだまだ時間を要するが、「女性天皇」や「母方が天皇の血を引く女系天皇」を容認する意見や、「女性宮家」を創設するという意見等が出されているようである。私もそのような意見に耳を傾けることは大事だと思いながらも、「男系男子による継承」という我が国数千年にわたる伝統も無視できないのでは…と、つい思ってしまう。このような保守的な考えは、現憲法が保障している「男女平等の理念」に反するものになるのだろうか。そうだとすると、私の本意ではないのだが…。

 

    そう言えば、天皇制に潜む重い課題を提示していた『JR上野駅公園口』(柳美里著)を読んだ際に、私は政治思想家の原武史氏の解説「天皇制の<磁力>をあぶり出す」の主張に大いに刺激を受けた。そして、その原氏が以前にNHK・Eテレ「100分de名著 松本清張スペシャル」の最終回で、天皇制に係わるテーマを秘めた長編小説『神々の乱心』について面白い解説していたことを思い出したので、私はしばらく積読状態にしていた文春文庫版の本書上下巻を取り出し、ここ一週間ほど読み耽った。

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    そこで今回は、その作品の特徴や内容等を簡単に紹介しつつ、特に「清張の天皇制観」の一つの視点について言及してみたい。次回は、もう一つの視点について言及するつもりである。なお、その際に、原氏の著書『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』を参考にすることをあらかじめ断っておきたい。

 

 本作品は、1990年3月から「週刊文春」に連載し始めて、1992年8月の清張の死によって中絶した著者の遺作にして、未完の大長編ミステリー小説である。原氏は本作品の意義について、「『神々の乱心』とは、本来、天皇につかなくてはいけない『神々』が『乱心』を起こして、天皇以外の人物についてしまうという意味」であること、端的に言えば「皇室を乗っ取ろうとする教祖の野望の物語」であり、清張にとって「昭和が終わり平成になった頃、自らの死期が迫ったときに、天皇制という長年の課題に小説のかたちで決着をつけ、昭和を総括しようとした作品」であると綴っている。私は本作品が未完である故に最期の結末が不明なので、清張が天皇制についてどのような決着を付けようとしたのかが十分に読み取れなかったが、物語の内容から「清張の天皇制観」について垣間見ることはできると思った。

 

 では、まず手掛かりになる物語の内容について簡単に紹介しよう。きっかけは、昭和8年に、東京近郊の梅広町にある「月辰会研究所」から出てきたところを尋問された若い女官が自殺をした事件。その女官に対して尋問をした特高課第一係長・吉屋謙介は、自責の念と不審から調査を開始する。また、同じ頃に華族の次男坊・萩園泰之は、女官の兄から遺品の通行証を見せられ、月に北斗七星の紋章の謎に挑むことになる。さらに、昭和8年の暮れには、渡良瀬遊水池から他殺体が二体揚がる。続いて、昭和9年9月には白骨化したもう一つの遺体が黒岩横穴墓群の一つから発見される。吉屋と萩園はそれぞれ独自の方法で、連続殺人事件と新興宗教「月辰会研究所」との関わりを追及していく。その追究過程で、物語は大正時代の満州へと遡っていく…というようなミステリー仕立ての内容である。

 

 この物語の内容の骨子を簡潔にまとめれば、次のようになる。本作品は、大正末期に満州で「月辰会」という新興宗教を起こした教祖が、帰国して埼玉県にその本部を置き、宮中へと進出する。そして、皇位の象徴とされる「三種の神器」や、特殊な宗教儀式に用いる半月形の凹面鏡を揃えて皇室を乗っ取り、昭和天皇皇位を否定するための何らかの行動を起こそうとするまでの野望を描いた物語である。したがって、本作品の大きなテーマとして導き出されるのは、「清張の天皇制観」なのである。

 

 原氏は、先に紹介した『松本清張の「遺言」―『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く―』の中で、「清張の天皇制観」について古代と近代が繋がっているという二つの視点を指摘している。一つは、「アジア的」という視点、もう一つは「シャーマニズム的」という視点。今回は一つ目の「アジア的」という視点について概説し、私なりの考えも付け加えてみようと思う。

 

    原氏が指摘する「アジア的」な「清張の天皇制観」とは、およそ次のようなものである。清張は、古代の天皇制を思想的には漢の皇帝、制度的には唐の朝廷の翻訳ととらえ、その意味では非常に「アジア的」だと考えていた。そして、その制度の下で、上代から近世まで天皇の権力は下部の実力者(貴族政治や幕府政治)に下降するけれど、制度の形態は残されていた。それが明治になり欧米の制度や学術文化が入って近代化される中で、天皇制だけは八世紀のアジア的なものに復古した。この天皇制を「国体」と呼び、明治以来、政府は国民に教育してきた。ここで清張がとらえた「アジア的」とは、中国における君主が家長として人々の上に立ち、法律的な条項だけでなく道徳的なそれも含まれる国家の掟を、主観という内面的な事柄まで外面的な法令として強要されるような支配を意味している。

 

 しかし、原氏はその古代日本と中国との違いを認めない「アジア的」な「清張の天皇制観」に対して、やはり問題があると言わざるを得ないと批判している。その理由としては、法制史学者の水林彪氏の著書『天皇制史論』から次のような箇所を引用している。「律令天皇制的な権威・権力秩序においては、どこまでいっても、現世的な権力・権威を拘束する超越的倫理的存在というものが現れてくることがないのである。同じく、『律令国家』といっても、『天』という超越者を観念する中国と、およそ超越者を観念しえない日本との権威・権力秩序の質的相違は、顕著であった。」

 

 この「アジア的」な「清張の天皇制観」について、私は専門的な知見を持ち合わせていないので、その学問的な妥当性の是非を判定することはできないが、天皇と時の政治権力との関係性という動的な要因によって、特に戦前までの天皇制においては「アジア的」な顕在性を示す時期があったのではないかと素人判断をしている。したがって、「アジア的」な「清張の天皇制観」は、学問的に定義した「アジア的」とは完全に一致するものではないが、「一時的に一致する様態を現した時期があった」という限定的な意味で使うことができるのではないかと、優柔不断的な判断を私は勝手にしているのであります。