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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

古希を祝う会を兼ねて高校のクラス会をしました!

   1週間ほど前の4月21日(日)、古希を祝う会を兼ねて「松山商業高校学校第71回(昭和48年3月)卒業3年12組のクラス会」を、「道後温泉ふなや」という老舗旅館を会場にして開催した。前回のクラス会は還暦の年に行ったので、10年振りの開催になった。数年前からそろそろクラス会をやってはどうかという声があったらしいが、その頃はちょうどコロナ禍真っ最中の時期だったので収束するまで待とうということになっていた。そして、昨年5月8日から新型コロナウイルス感染症法上「5類」に位置付けられたが、発起人の一人として私が参加した7月頃の話合いでは、まだ感染の危険性が高いのではないかと心配し、1年後には古希を迎えるのでそのお祝いを兼ねて開催しようということに決まったのである。

 

 私を含めて男女各2名の発起人は、昨年から今年にかけて合計4回の事前打ち合わせを行った。その内の2回は、話合い後に会場の選定や会費、使用する部屋等の確認をするために「ふなや」を訪問した。ただし、私は開催日の約1週間前に最終打ち合わせをした後に訪問しただけである。その理由は、前年に義理の姉夫婦の古希を祝う会を「ふなや」で行っていたので、会場の雰囲気や周りの景観、料理の内容等について熟知していたからである。だから、訪問した際は、当日使用する部屋の広さや座席の配置等だけを確認すればよかったのである。もちろん私は当日の司会進行役を引き受けていたので、そのイメージトレーニングに役立てようという思惑もあったが・・・。

 

 私たち12組は1クラスしかない進学コースだったので、高校の3年間同じメンバーで過ごした。45名在籍していたが、今までに6名の同級生が鬼籍に入っている。したがって、存命している39名に何としても案内したかった。発起人の女性たちがラインや電話で連絡をつけることができるのが21名(私たち発起人も含めて)、私が往復はがきで案内したのが18名。その内で現住所が分かっていたのは12名だったので、他の6名(全て女性)は母校の卒業アルバムに掲載されていた当時の実家の住所宛てに当時の姓のままで送った。参加希望の返信があったのは男性2名ではあったが、最終的には男女各8名の計16名が参加してくれることになった。特に女性の内の3名は、嫁ぎ先の県外(静岡県大阪府岡山県)から参加してくれたので、県内在住者たちはとても喜んだ。

 

 さて、そろそろクラス会当日の様子について筆を進めていこう。当日、私は会場まで市内を走る路面電車を使う予定だったし、あいにく雨模様になったこともあり、自宅を15時頃に出発した。クラス会の開始時刻より2時間ほど前には会場へ到達した。もちろん誰も来ていなかった。幹事役とは言え、なぜそんなに早く会場入りをしたのかと訝しがる方もいると思う。本音のところは当老舗旅館を宿泊や宴会等で利用する人には館内に設置している大浴場に無料で入れる特権があったからである。何といっても世間的には名高い道後温泉の源泉を引いている大浴場である。地元住民であっても、いやそうであるからこそ、普段あまり入ることがない温泉にこの機会に入ってみたかったのである。

 

 本館の1階ロビーから渡り廊下を挟んで設置している大浴場には、泊り客だと思われる方が数人入っているだけだった。私は、室内に2つと露天に1つあった風呂に代わる代わる入浴した。久し振りの温泉の湯は、疲れた身体にはとても優しかった。特に露天風呂では小雨に霞む道後温泉街の風情を覗き見ることができ、僅かに感じる冷気が心地よかった。私は湯船の中に手足を伸ばし、のんびりとした気分に浸りながら、クラス会の流れをイメージしていた。20分ほどの入浴時間だったが、その後は窓ガラスから館外の木々が望めるスペースに置いてあったマッサージチェアでじっくりと身体をほぐすことができた。何だが旅に出掛けたような気分になって、心身共にリラックスできる時間を過ごすことができた。

 

 開会まではまだ1時間ほどあったが、私は会場になる「青磁の間」という部屋の方へ足を進めた。すると、渡り廊下の所で何と男の同級生たち3名と出会った。「よう、久し振り!」と簡単な挨拶を交わし、「もう風呂に入ったよ。いい風呂だったし、まだ時間もあるから入ったら。」と促すと、懐かしい顔ぶれたちは「ありがとう、そうするよ。」と言って大浴場の方へ歩を進めていった。その後、会場前のフロアの所へ行くと、何と幹事役のMさんとYさんがすでに受付机の前に座っていた。私は早速クラス会と二次会の費用を支払い、座席の位置や県外から来てくれた3名の女性たちに手渡すお土産等の確認をした。そして、すでに食事の準備ができているという部屋の様子を見に行った。

 

 そうこうしている間に、次々と参加者たちが受付をしていた。私は近くのソファへ参加者たちを誘いながら、取り留めのない質問をしたり懐かしい思い出話をしたりしていた。その中で、高校時代の「倫理社会」の先生の話になり、その先生に紹介してもらった阿部次郎著『三太郎の日記』を買ったけど読み通せなかったと口にしたことをきっかけにして、何となく哲学談義へ発展していった。私はつい調子に乗り、発刊から約40年経って文庫化された浅田彰著『構造と力』のことや、それに関連して若い頃に関心を深めた現代思想のこと、さらに私が近年ワクワクして読んだ國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』の内容などについてしゃべっていた。同級生の男性陣は感心したように頷きながらも、ややあっけにとられたような表情になっていた。私の顔は少し赤面してしまっていた。

 いよいよ定刻になり、私がクラス会の開会を宣言しようと構えていたら、写真担当のH君が「皆が酔ってしまう前に記念の集合写真を撮りたい。」と言ってきたので、急遽、私からその旨を呼び掛けると、全員が屏風前に男女別に前後2列に並んでくれた。多少緊張気味の表情のまま5~6枚の写真を撮った。自営の写真屋を営んでいるH君が、「現像したら写真の下に正式なクラス会の名称や日付等を記して参加者全員に送るよ。」と言ってくれた。双子の子たちを含め3人の子宝に恵まれたH君は、今でもはにかんだ笑顔が清々しい人である。私たちはほんわかした気持ちになって、自分の席に戻った。

 

 開会に先立って、すでに鬼籍に入っている方々に対して黙祷を捧げる時間を設定した。中には30代という若さで亡くなった同級生もいて、私は黙祷の間に人間のもつ運命の儚さについて考えてしまった。黙祷後は、場の雰囲気を和らげるように気を配りながら、今回のクラス会の開催経緯や主旨等を交えた開会のあいさつを述べた。ついつい長話をしてしまう私だが、できるだけ手短に述べたつもりである。でも、実際は思った以上にしゃべったのかもしれない。その後、私以外の3名の発起人たちに自己紹介してもらい、その中のY君に乾杯の音頭を取ってもらって、会食並びに歓談の時間に入った時には開始から約20分は経過していた。

 

 MさんとYさんが、皆が話しやすいように男性2名と女性2名が交互に並ぶようなクジ引き席にしてくれていたお陰で、会食並びに歓談の時間は最初から和やかな雰囲気に包まれた。自席の前に次々に並ぶ和食料理に舌鼓を打ったり、注文した好みの飲み物を飲んだりしながら、そこここで懐かしい昔話に花が咲いていた。頃合いのよい時に、県外から駆け付けてくれたTさん、Oさん、Iさんにお土産を手渡し、一言スピーチをしてもらった。高校時代にはほとんど声を聞いたことがなかった方までよく話してくれて、会場は盛り上がった。卒業してから半世紀ほど過ぎているが、皆、気分は高校生になったような時間があっと言う間に過ぎていった。

 

 腕時計を見ると、お開きの時刻まで20分ぐらいになっていた。予定では集合写真撮影⇒校歌斉唱という流れを考えていたが、雰囲気的に逆の方がよいと私が勝手に判断して、「皆さん、宴もたけなわだと思いますが、ここで懐かしい母校の校歌を斉唱します。」と働き掛けた。事前に校歌の歌詞を3番まで記しているプリントを配布していたので、続いて「3番の歌詞を知ったのが今回初めての方もいると思いますが、その3番まで歌いたいと思います。前奏に続いてお願いします。」と多少強引に進行した。CDプレイヤーから流れるメロディーに乗って、過去に甲子園球場で何度となく流れた「石鎚の山 伊予の海 金亀城頭 春深く・・・」という歌詞を皆は真剣に歌い始めた。何十年振りに歌う校歌だろう。私は2年生の途中まで硬式野球部に所属していたので、感慨深い思いに浸りながら歌っていた。

 

 その後、再度の集合写真を撮ってもらった。並び方は最初とは逆にして男性が前列、女性が後列になって、それぞれが好きなポーズを取った。それぞれがピースサインをしたり、隣同士で肩を組んだりして、6~7枚ほど撮影しただろうか。こんなことができるのも、青春時代に学生生活を3年間も共にした仲間だからこそである。少しはしゃぎすぎていたら、もうお開きの時刻になっていた。私は、慌てて皆に自席に戻ってもらうよう声掛けをした。すると、結構酔っていたにもかかわらず皆は素早く自席に着いてくれた。私はあえて落ち着いた口調で、事前に依頼していたO君(現職中に母校・松商の校長を務めた経歴がある)に閉会のあいさつをお願いした。

 元教員らしくO君の長めのあいさつが終わると、私は「ご丁寧なあいさつ、ありがとうございました。それでは、これをもちまして古希のお祝いを兼ねた松山商業高等学校第71回卒業3年12組のクラス会をお開きにさせていただきます。皆さん、ご協力ありがとうございました。」と急いで締めくくった。続いて、幹事たちによる二次会への案内に促されるように、皆は名残を惜しみながら「青磁の間」を出た。その後、予約していたタクシーに3~4名ずつ乗って、一番町にある「Bar MIYAO」へ直行した。二次会でも、高校時代の様々なエピソードトークや各自の近況報告等でさらに盛り上がったのは言うまでもない。二次会のお開きの際に、「また希望があれば、クラス会の世話をするから!」と私はつい叫んでしまっていた。次回は喜寿のお祝いを兼ねてと考えていたが、きっとそれより早く開催するような予感がした。まあ、その時にまだ健在だったら幹事役をしようと思っている。

平和は「訂正する力」によってつくられる!~東浩紀著『訂正する力』から学ぶ②~

 前回の記事では、『訂正する力』(東浩紀著)の前半内容(第1~2章)の中から私の心に深く刻まれたことをまとめ、それに対する私なりの所感を簡潔に綴ってみた。そして、次回は後半内容(第3~4章)についても綴ってみたいと書き添えておいたが、今回の記事はそれに応えるものである。ただし、中心は第4章の内容になりそうなので、読者の皆さんにはこの点ご容赦をお願いしたい。

 

 <「喧噪のある国」を取り戻す>というタイトルの第4章は、「訂正する力」を使って日本の思想や文化を批判的に継承し、戦後日本の自画像をアップデートするための考え方や方法等について提案している。つまり、第1~3章までの「時事」と「理論」と「実存」の3つの要素を兼ね備えた応用篇になっているのである。本章の中で私の心に深く刻み込まれたのは、特に平和をつくることと「訂正する力」との関連についてである。そこで今回は、戦後日本の平和主義が抱える課題をどのように「訂正」するのかという視点に立った著者の提案内容を要約しつつ、それに対する私なりの所感を簡潔に綴ってみようと思う。

 著者は、戦後日本の平和主義は一種の方便だったと言う。武力の放棄を約束することで国際社会の復帰を果たし、経済成長に集中する。でも、現実はアメリカの核の傘に守られている。そのリアリズムを支えたのは戦争の記憶であったが、1980年代ぐらいから平和と護憲とさえ唱えていればよいという若い世代が現れてくる。その頃から議論が硬直してきて、保守派はそんな左派に対して「自虐史観」と言い出し、それに対してリベラル派もその動きに対して、ますます頑なになっていく。結果的に、今の日本では政治的な議論が異様に抽象的になり、戦争責任にしても左派が日本は絶対悪で永遠に謝るべきだと主張し、右派が日本は悪くないと主張して対立し、生産的な議論ができない状況に陥っているのである。

 

 著者は、今の日本に求められるのは平和主義の「訂正」だと主張する。その一つの方向性は、戦後日本の平和主義を観光や文化戦略と結びつける。平和の概念を拡張し、過去を再解釈して、「日本は昔から平和を目指した国だった」という新しい物語をつくるというもの。そもそも日本は文化が売りの国であり、高尚なものからキッチュなものまで、驚くほど分厚い国有の美学をもっているのだから、そのような文化的な豊かさ全体を「平和」に結びつけることができるのではないか。平和とは喧騒があるということであり、その正体は社会が政治に支配されていないことになる。政治とは無関係な話題でも大騒ぎできることにあるのである。このような著者の主張は、私に新たな視座を与えてくれた。

 では、そもそも「平和」とは何であろうか。平和とは戦争の欠如であり、政治の欠如である。政治とは関わらない、友と敵の対立に呑み込まれない活動をたくさん展開できるのが、平和の本質ではないのかと著者は言う。皆が好みを自由に語り、政治と関係なく価値観を表現できるのが、平和な日常なのである。著者は、戦後日本というのはそのような意味での平和的な活動=「脱政治的な活動」の領域がとても豊かな国だったと指摘している。その実例として著者が挙げているのが、「オタク」と呼ばれる人々の出現である。彼らの脱政治的な生き方がかくも広がっていたということ、それこそが逆に日本がいかに平和だったかを示していた。戦後日本は長い間、政治の外側に大変豊かな「喧噪」の世界をつくり続けたのである。

 

 だから、日本は武力を放棄したという理由で平和国家なのではない。そもそもそのような伝統をもっていたからこそ平和国家なのである。著者は、戦後日本の平和主義をそんなふうに「訂正」してみたいと提案している。そして、このような読み替えは世界の中で政治が文化を呑み込み始めている時代だからこそ、今の時代では重要な提言になると強く主張している。平和とは政治の欠如であり、その欠如にこそ価値がある。しかし、それは単なる欠如=無秩序のことではなく、戦争と平和、政治と非政治、作為と自然、現実と幻想といった諸々の対立を超えて「自然を作為する」という第三者の立場に立たないと、本当の平和はつくれない。まさにこれこそが「訂正する力」の働きなのである。

 

 「過去を変えたのに変えたと思わさない力」、「ルールを変えたのに同じゲームが続いていると思わせる力」、「政治が続いているのに消えたと思わせる力」、それらはつまり、「作為があるのに自然のままだと思わせる力」のことであり、平和はこの「訂正する力」によってつくられるのである。このことを著者は本書で言い続けている。私はこのような著者の哲学に震えるような共感を覚えた。もちろん、左右両派からは「ぶれない」思考によって批判の嵐が沸き起こるであろう。とても危うい「脱構築的戦略」のように見えると思う。でも、戦後日本の平和主義に関するまともな対話が成立せずに、不毛とも思える「ぶれない」議論を見せ続けられていて、多くの国民がニヒリズムに陥っている状況から脱していくためには、今こそ著者の提言する「訂正する力」による平和の哲学が求められているのではないだろうか。

今こそ「訂正する力」を蘇らせよう!~東浩紀著『訂正する力』から学ぶ①~

 ずっと気になっていた本だった。それは、以前からその言論活動に注目していた評論家の東浩紀氏が上梓した朝日新書の『訂正する力』というタイトルの本。昨年の11月頃から職場近くのデパート内に入っている紀伊国屋書店に平積みしているのは知っていたが、あの東氏の本なので気後れしてしまい、いざ読んでみようと思い立つことができなかったのである。ところが、先日、市立中央図書館から借りた同氏の『ゆるく考える』というエッセイ集を拾い読みしていて急に現在の思想について知りたくなり、新刊本の一つである本書のことを思い出して入手したという次第である。

 

    本書の「はじめに」の冒頭において、筆者は日本にいま必要なのは「訂正する力」だと主張している。では、「訂正する力」とはどのような力なのか。それについては、「ものごとを前に進めるために、現在と過去をつなぎなおす力」「まちがいを認めて改めるという力」「リセットすることとぶれないことのあいだでバランスを取る力」「成熟する力」などと言い換えている。市井のリベラリストを自認する私は、この時点で「何だ、保守主義的な思想を表明した本なのか!」と早合点して、やや落胆した気分に陥ってしまった。

 

 ところが、気落ちしながらも読み進めていくと、哲学は「時事」と「理論」と「実存」の3つを兼ね備えて、はじめて魅力的になるものであり、本書は第1章が時事篇、第2章が理論篇、第3章が実存篇、最後の第4章がいわば応用篇になっていると示していた。また、本書では「訂正する力」を使って日本の思想や文化を批判的に継承し、戦後日本の自画像をどのようにアップデートすればよいかを提案していると綴っていたので、「待てよ。単なる保守主義的な思想ではなさそうだな。」と気持ちを新たにして、著者が主張している哲学・思想をしっかりと読んでみようと思ったのである。

 

 そこで今回は、本書の前半(第1~2章)の内容の中で私の心に深く刻み込まれたことを、各章の終わりの部分に位置付けている「本章のまとめ」を活用しながらまとめ、それに対する私なりの所感を簡潔に綴ってみようと考えている。

 

 まず一つ目は、今の日本で「訂正する力」が機能していない理由とそれを回復するための手立てについて。著者は、リベラル派と保守派の双方にいる「ぶれない」ことをアイデンティティにしている「訂正しない勢力」が、議論を硬直化させ社会の停滞を招いていると指摘している。そして、その背景には今の日本人が対話において信頼関係を築く訓練をしておらず、いたずらに意見を変えると攻撃の対象になるかもしれないという不安を抱えている実態がある。つまり、そのような社会全体を規定している「訂正できない土壌」があると言っている。それに対して、著者は日本には本来「訂正する力」の豊かな伝統があったことや、現在の動画配信などの新たな伝達手段も生まれていることなどによって、余剰の情報を提供することで「訂正する力」を新たに強める可能性を秘めていると希望的なことも述べている。

 

 また、「訂正できる土壌」をつくるために、小学校ぐらいから話合いの時間をつくり「たしかにあなたの意見は正しいかも」と気付き自分の意見を変えていく、また他人の変化も認め合うという訓練を積み重ねるべきだと主張している。この点に関しては、現職中にこのような主旨を生かした授業改善を積極的に進めてその手応えを実感してきた経験が私にはあるので、この主張に全面的に賛成である。また、退職後もなるべく機会を生かして「哲学対話」の実践を試みようとしているのは、同様の主旨の具現化の営みである。私はこのような実践は、日本の民主主義がよりよく発展していくためのシチズンシップ教育の一環だと考えているので、今後もささやかな取り組みではあるが、続けていくつもりである。

 

 二つ目は、「訂正する力」の核心が「じつは・・・・・・だった」という過去の再発見の感覚にあるということについて。著者は、困難な課題を抱えて危機的な状況を迎えている日本の今後を見据えたとき、未来とつながる形で「じつは日本はこういう国だった」といった物語をつくるべきだと提案している。そして、この「じつは・・・・・・だった」という訂正の精神は、本質的には過去との連続性を大切にする保守主義に近いものであることを認めている。その根拠は、過去を全てリセットして新しい社会をつくろうとした今までの試みが歴史的に失敗しているからである。フランス革命然り、ロシア革命然りである。だから、社会は過去の記憶を訂正しながら、だましだまし(脱構築しつつ)改良していくしかない。人間や集団のアイデンティティは、じつは過去と現在をつなぐ「遡行的訂正のダイナミズム」がなくては成立しないのである。

 

 このダイナミズムは、過去がリセットされる「反証可能性」の原理に基づく自然科学ではなく、過去が訂正される「訂正可能性」の原理に基づく新文学の役割に深く関係している。特に現代のようにあらゆるコンテンツが生成AIで作成可能になる時代には、「じつは・・・・・・だった」という発見の感覚で生み出され、「訂正する力」で支えられている<作家性>が重要になる。生成AIには<作家性>が欠けるからである。したがって、AI時代にあっても、「訂正する力」について考える人文学の意義は決して色褪せることなく、それどころか文化産業において「訂正する力」や「訂正の経験」そのものが商品化され、新たなビジネスに結びつく可能性も秘めているとも述べている。

 

 今、世界は切実な「分断」の危機が迫ってきている。また、生成AIの急激な進展によって、人類は「人間とは何か」という根源的な問いを突き付けられている。そのような時代だからこそ、人間固有の「生」を肯定的に生きるために、過去と現在をつなげる力、持続する力、聞く力、読み替える力、「正しさ」を変えていく力などとも言い換えることができる「訂正する力」が必要なのである。私は、著者のこのような考えを最初は保守主義的な思想ではないかと短絡的にとらえてしまいそうになったが、本書をじっくりと読み通した後には、それとは「似て非なるもの」だと認識を新たにすることができた。現在、第3章以降を再読しているところだが、その中で私の心に深く刻まれたことをまた、次回の記事で綴ってみたいと思っている。

目を見張った孫たちの成長ぶり!~二人の孫の近況報告を兼ねて~

 3月中旬から4月中旬の週末の休日は、私的な行事や活動等で忙しく、ブログの記事を執筆する心身の余裕がなかった。そのため、ここ3週間ほど近く更新することができず、何となく焦りのような気持ちに襲われていた。そこで今回は、それらの行事や活動等における孫たちの様子を綴りながら、その成長ぶりを少し自慢してみたい。他人の不幸事には興味をもつが、他人の幸福事には見向きをしないのが世間の常のようだが、あえて私は自分が幸せだと実感していることを綴ろうと思う。

 

    さて、最初に取り上げるのは3月16日(土)の土曜日の出来事。私たち夫婦は2月の誕生日で満7歳になった初孫Hと一緒に、約1年ぶりに「えひめこどもの城」へ遊びに行った。目的は、新しく完成した木造の「コシロ・アドベンチャー」をHに体験させたかったのである。Hは初めてのアスレチックコースに、自分からどんどんチャレンジし一つ一つクリアしていった。幼い頃なら怖がっていたと思われる揺れる木橋のようなコースも、難なく渡っていった。そして、ゴール地点にあった鐘を鳴らすと、「もう一度やりたい!」と叫んでいた。二度目のチャレンジ後に昼食を取ったレストランでは、自分から進んで私たちの分までお冷をコップに入れて持ってきてくれた。人のために自分ができることをしようとする優しさが現れていた。小学校1年生になったHは、様々な経験を積み重ねてきたことで、心身共に逞しく、そして優しくなっていると実感した一日になった。

    次は、3月31日の土曜日の出来事。私たち夫婦は長女とその長男(初孫H)を同乗させて、二女の住む新居浜市にある滝ノ宮公園へ車で出かけた。朝7時半頃に松山市の自宅を出発して、約1時間半のドライブだった。現地に到着してすぐに大型遊具群を見付けたHは、早速チャレンジしようと一直線に駆け出していた。最初はロープを編んで上へ登ることができる遊具にチャレンジしたが、高い所で平行移動する箇所に来ると「怖い!」と言って途中で止めてしまった。私は「まだ高い所は苦手なんだなあ。」とちょっと残念な気持ちになったが、その後、トンネル状の滑り台や移動式のブランコなど今までなら苦手意識がある遊具にも挑戦していった。そして、最後の方になって「僕、途中で止めたさっきのロープの所にもう一度挑戦してみる!」と私に宣言して、何と自分だけの力でクリアしたのである。達成感と満足感に満ち溢れた笑顔のHを見て、私の心まで喜びが湧き上がってきた。

 

    しばらくすると、二女とその長男(私たち夫婦にとっての2番目の孫M)や松山市から車でやって来た義理の姉夫婦たちと合流した。皆で花見をしながらお弁当を食べることが目的だった。久し振りに会うHとMはお互いに嬉しそうな表情を浮かべながら、最初はボール遊びを一緒に楽しんだ。2月の誕生日で満3歳になったMは、半年ほど前にはまだボール扱いが上手にできていなかったが、ドリブルがとても上手になっていた。もうすぐ保育園の年少組(ほし組)になる自覚もできてきて、ちょっとお兄ちゃんになったようだった。その後、別の海浜公園へ移動してからも、二人はまるで本当の兄弟のように手を繋いだり、HがMをおんぶしてやったりしていたので、周りの大人たちもつい目尻を下げてしまった。

 また、4月に入って6日の土曜日には、二人の孫にとっての曾祖母(母方/私の妻の実母)の一周忌法要があり、HとMも参加した。Mは以前とは違い、お寺の本堂へ入ってからも自分の思いのままに動き回っていた。元々はやや臆病な性格だったが、満3歳になったからか住職や親戚の方々に対しても臆することなく接する様子を見せた。Mが少し逞しくなったように感じた。それに対して、4月から小学校2年生になったHは、自分の席にじっと座って神妙な表情で法要に参加し、大人の真似をするようにお経を唱えていた。時や場面の状況を考えて適切な行動を取ることができていて、少しずつ社会の一員となっていくHを見ながら私は感慨深い思いに浸っていた。

 

 懐石料理を中心とした和食レストラン「梅の花」で、故人を偲びながら一周忌法要に参列した親戚の方々と共に孫たちも昼食を取った。孫たちはボリュームのある「お子様ランチ」だったが、二人ともよく食べた。特にまだ小柄なMだが、食欲はHよりもあり配膳された料理のほとんどを食べてしまった。「Mちゃんのお腹、パンパンになったね。」と皆で笑い合うほどの大食漢ぶりを発揮していた。きっと長身の父親ぐらいに成長してくれるのではないかと、私も将来のMの姿を想像して、頬が緩んでしまっていた。

 

 昼食後、長女とHは用事があるとかで帰宅してしまったので、私たち夫婦は二女とMを連れていろいろな滑り台がある三津浜中須賀公園へ行った。まだ急な滑り台が苦手なMに少しでも経験させる機会を増やそうという思いがあったが、Mは滑り台よりも「ストライダー」に乗る遊びの方を好み、公園内に植えている木の根っこが盛り上がっている所を乗り越えることに夢中になった。そこで、私たちはストライダー専用の公式コースがある「マテラの森」へ行くことにした。今までに数回しかストライダーに乗ったことがないMは、でこぼこや急カーブのある走路を、最初はサドルにお尻を乗せないような格好でこわごわと歩いていた。しかし、周りでかなりのスピードで走る年上の子たちに刺激を受けてか、徐々にスピードを増して走るような感じになってきた。嬉しそうな表情でストライダーに乗るMの姿を見て、私は「やっぱり習うより慣れろだなあ。」と一人嬉しそうに呟いていた。

 

 次の日の7日の日曜日は、まだ伊予鉄道の市内バスに乗ったことがないMに初体験させようと、義理の姉夫婦が住んでいる妻の実家までバスに乗って行くことにした。私の自宅近くにバスの車庫があり、Mが乳児期から抱っこして何回も見せに行っていたので、Mはバスの色や大きさ、形等に興味を示すようになり、「バスに乗ってみたい。」と言っていたのである。松山市駅前から出発する路線バスに乗って、私たち4人は20分ほどのバス旅行を楽しんだ。初めてバスに乗ったMは、最初は緊張した表情をしていたが、すぐに慣れてきたのか次のバス停名を案内する車内アナウンスが流れる度に、大きな声でそれを復唱し始めた。幸い同乗する客が一人だったので、私たちもあまり周りの迷惑にならないだろうと判断して認めた。まだ3歳になったばかりのMだが、はっきりとした発音で復唱するので、私たち夫婦は「Mちゃんはバス停名がよく言えるねえ。」と交互に褒めると、Mは得意満面の表情になっていた。スマホで必死にMの写真を撮りながら、Mの知的な発達の速さについつい期待を膨らませる「ジジばか」の私がいた。

 この1か月ほどの週末の休日は、二人の孫たちの成長ぶりを実感する機会が多かった。でも、まだまだその機会は続く。今週末の20日の土曜日は、今年度初のHの参観日があり、私たちジジババも出掛ける予定ある。2年生になったHの授業中の様子を参観するのは、少し心配する面もあるもののやはり楽しみの方が大きい。また、今月末の3連休には、二女とMが泊まりにやってくる。今から今度はどこに連れて行ってやろうかと、楽しみながらいろいろと思案している。孫たちの目を見張る成長ぶりを見ることができる私は、本当に幸せである。少年期には家庭的に何かと苦労が多かった私だが、老年期になってこんな幸せな家族的な境遇を迎えることができて、有難いことだなあとしみじみ感じる日々である。

“多様性”を尊重するって、軽々しく言えないかも…~朝井リョウ著『正欲』を読んで~

 『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著)を読み、著者の瑞々しい感性に強い刺激を受けて以来、私は常に自分の意識を覚醒させて認識の再構成を図っていこうと、なるべく若い世代の作家の小説を意図的に選んで読むようにしている。そのような中で今回チャレンジしたのが、『正欲』(朝井リョウ著)である。本書は、朝井氏が自らの作家生活10周年を記念して著した長編小説で、第34回柴田錬三郎賞や第3回読者による文学賞等を受賞し、2022年本屋大賞にもノミネートされた作品である。累計発行部数が50万部を超えて、2023年には稲垣吾郎新垣結衣等の豪華な俳優陣が共演して映画化もされ、衝撃的な問題作として評価を高めているらしい。

 登場人物の一人が言い放った言葉「自分が想像できる“多様性”だけを礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな。」は、本書のテーマに直結しているキー・センテンスになっている。“多様性”を尊重するという信条をもっていると自認する人でも、自分の想像も及ばない特殊性癖をもった人が身近に存在していたら、蔑視したり生理的に排除したりしてしまうのではないか!そのような厳しく根源的な問いを私たちに突き付けてくるのが、本書なのである。

 

 主な登場人物は、息子が不登校になってしまい戸惑う検事の今井啓喜。地元モールにある寝具店で働く中ある秘密を抱えて生きる契約社員の桐生夏月。学園祭の実行委員を務める中で初恋に気付いてしまった女子大生の神戸八重子。その初恋の相手でダンスサークル所属の美しい男子学生の諸橋大也。夏月のかつての同級生で夏月とある秘密を共有する大手食品勤務の佐々木佳道。

 

 物語の前半では、それぞれに何のつながりもない啓喜と夏月と八重子の日常を描きながら、ある人物の死をきっかけにして3人の糸がいつしか絡まってしまう様が描写されていく。後半は、それに大也と佳道らが関わってくることで、徐々に本書のテーマに物語が収束していく展開になっていく。私にとって、終始息苦しさを感じながら読み進めていかなければならない物語であった。

 

 本書の中で次のような件がある。「まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちらの側にいると思っている人はどうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか。多数の人間がいるということ自体が、その人にとっての最大の、そして唯一のアイデンティティだからだろうか。だけど誰でもが、昨日からみた対岸で目覚める可能性がある。まとも側にいた昨日の自分が禁じた項目に、今日の自分が苦しめられる可能性がある。」この文章は、自分は普通で常識的だと思っている人々に対する警告になっているが、私自身に対しても他人事ではないぞと詰問しているように感じた。“多様性”を尊重するという信条をもっていると自認している自分の、ある呑気さ加減に喝を入れられた思いである。

 

 最近読んだ『夏目漱石「こころ」をどう読むか』(石原千秋責任編集/河出書房新社)という本の中に、批評家で作家の東浩紀氏が書いた「少数派として生きること」というエッセイが掲載されていた。そこで、「先生」と「私」の同性愛的な表現の豊かさを取り上げて、先生の自殺の原因に自分が同性愛者であることを自覚したことがあるのではないかと述べている。マイノリティとして生きることが辛いのは、自分が少数派だからではなく、誰も最初は自分がマジョリティだと誤解してしまうから、自分がマイノリティだと気付くのに時間が掛かるからではないかと問題提起をしているのである。そうなのだ、自分がいつマイノリティ側になると意識するのか分からない。

 

 では、私たちは“多様性”を本当につくるために、どのような考えを持ち、どのように行動すればいいのだろうか。本書の中に、そのヒントになりそうな一文があった。「自分とは違う人が生きやすくなる世界とはつまり、明日の自分が生きやすくなる世界でもあるのに。」まさにこの考えは、特別支援教育の理念であり実践原理と同じである。障がい者にとって過ごしやすい環境に調整することは、結局誰にとっても過ごしやすい環境設定になる。障がい児の困り感を軽減したり解消したりするための合理的配慮が行き届いた授業=ユニバーサルデザインの授業は、健常児にとっても分かりやすく安心できる授業になる。私たちは自分と異なる他者のことをできるだけ理解しようと努力し、その上で相手の抱える困難さを少しでも無くしていくようにして、全ての人々が「共に生きる世界」を共創していかないといけないのである。

 

 ところが、本書で取り上げられている“多様性”の中身は、私たちの想像を遥かに超える特殊性癖なのである。だから、当人たちにとっての性的対象は別にあるのに、それと関連した小児性欲と疑われ犯罪処罰の対象者にされてしまう。私は自分にとって生理的に忌避したい性癖であっても、その行為が相手の意思に反したり傷つけたりするものでなかったら、その特異な性癖をもつ人であっても差別したり排除してはならないと考える。しかし、その行為が他の犯罪行為と看做されたり、そもそも当人たちがその性癖を他者に認めてもらうことを望んでいなかったりしたら、どのように対応すればいいのだろうか!?

 

 本書で著者から問題提起された“多様性”の中身を、私たちはどのように受け止めればいいのだろう。美しく魅力的な言葉である“多様性”の実相を様々に思い巡らせながら、異質な他者同士の相克的な関係性の厳しさについてリアルなイメージをもつことが、この世に生きる人々全てに要請されていると私は受け止めた。このテーマはあまりに重く、私を押しつぶすようなものだったが、若い世代の著者が提起した根源的な問いに対して、私はこれからも真摯に向かい合っていかねばならないと考えている。

「親和的な秩序」と「疎遠な秩序」をめぐる考察について~村瀬学著『理解のおくれの本質―子ども論と宇宙論の間で―』から学ぶ~

 若い頃にチャレンジしてみたものの、途中で頓挫してしまった本が数冊かある。その中の一冊に『初期心的現象の世界―理解のおくれの本質を考える―』(村瀬学著)があり、その続編に位置づく『理解のおくれの本質―子ども論と宇宙論の間で―』に至っては40年近くも積読状態になっていて、本の存在自体が私の意識外に置かれてしまっていた。ところが、65歳を過ぎてから松山市教育委員会特別支援教育・指導員という職に就き、何らかの困り感をもつ子どもに対する適切な関わり方や支援の仕方等について担任の先生や保護者に助言するという立場になった私は、まず発達障害と言われる「自閉スペクトラム症」(ASD)や「注意欠如・多動性障害」(ADHD)、「学習障害」(LD)等の特性について理解しようと、自分なりに研修を進めてきた。しかし、今振り返るとその研修内容は人間学的な視座から見ると、まだまだ表層的なものだったと反省する点が多い。そこで、本年度の教育相談業務がほぼ開店休業になっているこの時期を活用して、忘却の彼方に追いやっていた未読の『理解のおくれの本質―子ども論と宇宙論の間で―』を読み、人間学的な視座に立って障害特性についての理解を深めようと考えた。

 当ブログの以前の記事(2021.8.1付)で、村瀬氏の『自閉症―これまでの見解に異議あり!―』を取り上げて、自閉症のこころの世界についての見解をまとめたことがある。その際に、「自閉症」の原因を訳の分からない「脳障害」や「知覚・言語・認知障害」などに求めて特別視しなくても、身近な自分たちの「記憶」の現象を突き詰めるだけでも、私たち自身のもつ「謎」と共通しているものであることが理解してもらえるはずだと、私は著者の言葉を借りて分かった風なことを綴っていた。しかし、本書の「第二部 理解のおくれの本質」の中の「[二] おくれる子どもたちの世界 Ⅱ 自閉症論批判 二 どんぐりをこわがる子―親和の秩序・疎遠な秩序をめぐって―」という文章を読んで、私は自分が過去に綴ったブログの記事内容は表層的なものであったことを認めざるを得なかった。

 

 そこで今回は、先に挙げた文章中で取り上げている「どんぐりをこわがる子」の事例を要約しつつ紹介し、その後に私の「自閉症」の内面世界に対する理解がどうして浅薄だと判断したのかについて綴ってみようと思う。

 

 著者は、どんぐりをこわがる6歳のDくんの事例を取り上げ、そのこわがる原因について考察している。Dくんのどんぐりのこわがり様は並大抵ではないが、どんぐりを虫と間違えるほどの分別がないとは考えられない。もしかしたら過去の負の経験や心的外傷、無意識等々といった精神分析の持ち込んだ概念の可能性について否定はできないが、一時的にどんぐりに触れることができていた時期があったらしく、現在の時点でこわがるためには現在における動機や理由が同時になければならないはずだと考えた。

 

 著者は、Dくんの生活の中で「どんぐりを異常にこわがる」のと似たような現象を探してみた。すると、「ヨ―グルトを異常にほしがる」という分別の見境のない現象を見つけた。2つの現象の共通点は、一点の破局が全体の破局に及んでしまうこと。確かにDくんはまだことばが出ないし、そういう面ではおくれている子どもであるが、いろいろな面では人のやることをよく見ていて、きちんと真似ができたり、指示通りの行動が取れたりできている子である。だから、施設の職員たちから「力をもっている子」と見られている。彼のもっている力からすると、先のような現象を起こすのはおよそ考えにくいのである。

 

 著者は、これらの現象を「変化への抵抗」や「特定のものへのおそれ」という自閉的傾向の特長と安易にとらえず、それらの現象を子どもの「心の広がり方のしくみ」として理解していく方向で追究していく。そして、私たちを取り巻く世界が常に多元的で重層的であり、そのうちの身近な世界だけを「親和的な世界」として了解しているが、それ以外の世界に対して極めて「疎遠な世界」として理解しているという視点に着目した。私たちが普通「経験を積む」と言っている現象は、見知らぬ世界・見慣れぬ世界を、自分たちが知っている世界として取り込み、「親和的な世界」として馴染んでいく過程なのである。したがって、私たちは誰でも「新しい世界」を体験する際には、「変化への抵抗」や「見慣れぬものへのおそれ」を示す心性を持っているのだと理解されなければならない。

 

 ここで著者が考えたのは、私たちのもつ「親和的な世界の広げ方」である。もしその人が自らの「親和的な世界」だけを秩序だと《確信》している度合いがければ強いだけ、見慣れぬ世界を親和的に感じることは難しくなっているはずである。Dくんも自分の見知らぬ場面、場所、秩序に出会うと、それを親和化することができず「疎遠な世界」として拒絶してしまうのである。こうした「親和的な世界」と「疎遠な世界」の二分化現象が強化されると、「親和的な世界」では物分かりのよいおりこうさんなのに、別の場所や場面では物分かりの大変悪い子として現れてしまうのである。

 

 では、なぜこうした極端な二分化現象が生じてしまうのか。ここで著者は、一般的に言われている「秩序」とは少し違ったとらえ方で「秩序」をとらえる視点を提示する。例えば、自分の机の上や部屋等にも秩序があり、自分の朝の置き方や顔の洗い方、服の着方、喋り方、笑い方、怒り方、歩き方にも秩序があると考える。道路も街並みも景色も秩序である。マーケットも病院も遊園地もまたそれぞれ込み入った多層な秩序をもっている。そう考えると、私たちが「物事を知る」とか「ある出来事を体験する」という時、結局のところ、それらの物事のもつ「秩序」を体験していると言える。そして、「物事=秩序」というものは、必ずや一つの「背景=背後」をもったものとしてそこにあるととらえられる。また、「物事=秩序」というのはどこから始まり、どこかで終わるという「勢い」の中でそれぞれの秩序を見せている。さらに、「秩序」には早い動きをもつものとほとんど動きをもたないように見えるものがある。ただし、私たちはそれらの秩序を共に逆に見積もることができるような世界の見方ができて、その見方を著者は《確信の世界》と呼んでいる。

 

 そこで改めてDくんの場合を考えてみる。彼は世界のもつ多元的な秩序に対して、それらを「動いているもの=背後があるもの」として受け止めすぎる面がある。言い換えれば、彼は「動いていない=背後がない」と感じる秩序が極めて限定されているのである。むろん一般的に子どもの場合は、石ころやお月様にも心があると思うアニミズム的な世界観をもっていることが多く、それらのものを「生きている=出自がある」ものとして受け止めている。しかし、Dくんの場合には、このような世界のもつ動きのひとつずつを次々に固定化し、出自が明らかになった秩序=「親和的な秩序」に持ち込んでいくことができにくい。特定の場面だけを親和化させて、その周りに敷居を作ってしまっているのである。だから、その中では安定し、そこから一歩出ると、そこは見知らぬ世界になって、不安になってしまっているのである。

 

 私たちはDくんがことさらどんぐりをこわがるのは、かつてそれで何か怖い体験をしたからに違いないと思ってしまう。しかし本当のところは、どんぐりそのものを恐れているのではなく、そのどんぐりがある背景をもっており、その背景が何かわからないものとして見えてしまったり、感じてしまったりするところに問題があったのである。著者は、Dくんのような子を見ていて、多元的な秩序の背景を読み取り、そこにすばやく根を下ろしていくことができにくい、繊細で不安定な存在様式を感じ取らないわけにはゆかないと語っている。そして、このような子どもをひとまとめにして、「自閉症」と呼んで特別視するのは、彼らを身近に理解する手がかりを失ってしまうだけだと主張している。

 

 私は、市教委の特別支援教育・指導員という職に就き、発達障害等の特性について理解をして、何らかの困り感をもつ子どもの行動観察を何回も経験する中で、「変化への抵抗」や「特定のものへのおそれ」を示す子どもをすぐにASD的な傾向があると判断してしまうようになっていた。そして、その子の担任や保護者に対して適切な関わり方や支援の仕方等を助言する際に、ASDの対応した定石的な支援方法に基づいて話していた。でも、そのような教育相談のあり方は、個々の子どもをASDとして特別視することを前提としていたのではないか。私は、一人一人の子どもの行動特性をもっと人間学的な視座から解釈する努力をすべきではなかったか。

 

 本年度も終わりが近づいてきた。来年度も現職で仕事をすることができることになったので、改めて特別視支援教育・指導員としての自分のあり方を振り返る時期である。子どもが抱える何らかの困り感を一人の人間としてあるがまま共感的に受け止め、著者の村瀬氏が今回示してくれた「親和的な秩序」と「疎遠な秩序」をめぐる考察のように、人間学的な視座からじっくりと解釈した上で教育相談の場に臨もうと、私は自分の心に強く誓った次第である。

言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る探究の書!!~今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質―ことばはどう生まれ、進化したか―』から学ぶ~

 探究による学びの過程をワクワクしながら追体験することができる本に出合った。『言語の本質―ことばはどう生まれ、進化したか―』(今井むつみ・秋田喜美著)である。著者の一人である今井氏は、言語と身体の関わり、特に音と意味のつながりが言語の発達にどのような役割を果たすのかという問題に興味を持ち、成人と乳児、幼児を対象に数多くの実験を行ってきた認知科学発達心理学者。もう一人の秋田氏は、大学院生の時から一貫して、他言語との比較や言語理論を用いた考察により、オノマトペがいかに言語的な特徴を持つことばであるかを考えてきた言語学者。今井氏が実験をデザインする時にいつも頼りにしてきたのが、世界中のオノマトペ研究の文献を熟知している秋田氏だったそうである。

 二人の著者たちは、言語のあり方と人間の思考という二つの基地を行ったり来たりしながら、言語学認知科学、脳神経科学など、異なる学問分野をまたいで世界のオノマトペ研究者が行ってきた膨大な研究の成果を俯瞰的に見つめ、一緒に考えていけば、「記号接地問題」「言語習得」「言語進化」「言語の本質」という言語研究の本丸に迫っていけるのではないかと考え、本書の執筆を始めた。執筆に当たっては、二人が思考のキャッチボールをしながら、言語という高い山に挑戦すべく、すべての章を一緒に執筆したと言う。つまり、オノマトペに魅了された二人が「言語の本質は何か」を理解するために探究していった旅について著したのが本書なのである。

 

 ここでいつもなら、本書の中で私が特に心に残った内容の概要についてまとめ、その所感を綴るという流れになるのだが、今回はそうはしない。なぜなら、著者たちの「言語の本質とは何か」を理解するための旅を追体験するワクワク感を、読者の皆さんにぜひ味わってほしいと願っているからである。言い換えれば、探究の過程と結果について具体的に書くことは、これから本書を読もうと考えている読者にとって興醒めの仕儀になってしまうからである。

 

 では今回の記事は何を綴ればいいのか。未読者が本書のどのような情報を得れば読む意欲を掻き立てられるかと、私は想像してみた。探究の過程と結果についてその概要とは言え先に知ることは、ミステリーやサスペンスのストーリーや犯人を先に知ってしまうネタバレと同様になるので、これは避けなければならない。また、私の独断的な所感を主張することも押しつけがましい。いろいろと思索を重ねた結果、私は単純に「本書の構成と最重要ポイントのみ」を綴ることを決めた。

 

 ということで、まずは本書の構成(章立てのみ)を目次から書き写してみる。

〇 第1章 オノマトペとは何か

〇 第2章 アイコン性―形式と意味の類似性

〇 第3章 オノマトペは言語か

〇 第4章 子どもの言語習得Ⅰ―オノマトペ

〇 第5章 言語の進化

〇 第6章 子どもの言語習得Ⅱ―アブダクション

〇 第7章 ヒトと動物を分かつもの―推論と思考バイアス 

〇 終 章 言語の本質

 

 次に、本書の最重要ポイントについてだが、著者たちの「言語の本質は何か」に迫る探究の旅の道中には大きなターニングポイントが幾度かあり、その度に押さえておきたいキーコンセプトがあるので、その中のどれを取り上げればよいか判断に迷ってしまう。しかし、言語の本質を問うことは人間とは何かを考えることになるということを考えると、やはり「オノマトペ」と「アブダクション推理」という2つのキーコンセプトが最重要ポイントになるであろう。

 

 日本の研究者たちは「オノマトペ」を、擬音語、擬態語、擬情語(「わくわく」などの内的な感覚・感情を表す語)を含む包括的な用語として用いているが、欧米では表意語という用語が一般的になっているらしい。だからか、「オノマトペとは何か」を定義しようとすると、かなり難しくなかなか納得する定義には至っていない。ただし、現在、世界の「オノマトペ」を大まかに捉える定義としては、オランダの言語学者マーク・ディンゲマンセによる「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」という定義が広く受け入れられている。

 

 この定義の中では、とくに「写し取る」という特徴が鍵である。「オノマトペ」は基本的に物事の一部を「アイコン的」に写し取り、残りの部分を換喩的な連想で補う点が、絵や絵文字などとは根本的に異なるのである。ここに「オノマトペ」の言語性が浮かび上がってくる理由がある。また、言語的な特徴を多く持ちながら言語ではない要素も併せ持つという性質から、言語は身体とつながっているという考えと合致し、それは「記号接地問題」「言語習得」に関する内容にも発展していくのである。これらの議論を踏まえると、「オノマトペ」は本書における最重要なポイントの一つになるのである。

 さらに、「言語進化」「言語の本質」へと議論を深めていく際のキーコンセプトになるのが、「アブダクション推理」である。「オノマトペ」に潜むアイコン性を検知する知覚能力だけでは、言語の巨大な語彙システムに行き着くことは不可能である。「オノマトペ」から言語の体系の習得にたどり着くためには、今ある知識からどんどん新しい知識を生み、知識の体系が自己発生的に成長していくサイクル(これを「ブートストラッピング・サイクル」という)を想定する必要がある。この「ブートストラッピング・サイクル」を駆動する立役者こそが、「アブダクション推理」なのである。

 

 論理学では、「推論」と言えば演繹推論と帰納推論であるが、哲学者のチャールズ・サンダース・バースはそれらに加えて「仮説形式(アブダクション)推理」という推論形式を提唱した。演繹推論とは、ある命題(規則)が正しいと仮定し、またその事例が正しいときに、正しい結果を導くという推論。それに対して帰納推論とは、同じ事象の観察が重なったとき、その観察を一般規則として導出する推論のこと。それらに対して、「アブダクション推理」とは、観察データを説明するための仮説を形成する推論であり、推論の過程において直接には観察不可能な何かを仮説し、直接観察したものと違う種類の何かを推論するものである。したがって、帰納推論と「アブダクション推理」は連続し混合して、演繹推論とは違って新しい知識を生む可能性を秘めているのである。

 

 この「アブダクション推理」の起源を探っていき、人間と動物とでは推論能力にどのような違いがあるかを考えていけば、なぜヒトだけが言語を持つのかという問いの答えが見つかるかもしれないのである。そのような意味で、本書のもう一つの最重要なポイントとして、「アブダクション推理」というキーコンセプトを取り上げたのである。

 

 以上、本書における2つの最重要なポイントについて綴ってみたが、この時点でもうネタバレのフライングをしてしまったかもしれない。しかし、本書における著者たちによる「言語の本質とは何か」に迫る探究の旅はもっともっと豊かなエピソードが満載で、アッと唸ってしまう驚きやドキドキする楽しみを味わわせてくれるものである。未読の読者の皆さんも、著者たちと共にワクワクする探究の旅に同道してみませんか。

文化政治としての哲学と「感情教育」による「連帯」の可能性について~「100分de名著」におけるリチャード・ローティ著『偶然性・アイロニー・連帯』のテキストから学ぶ③~

 今回は、いよいよ『偶然性・アイロニー・連帯』の3つ目のキーコンセプトである「連帯」について取り上げる。2月のEテレ「100分de名著」の放送やテキストでは2回分の内容になるので、講師の朱氏の解説を要約するためには、なりの力技が必要になる。私の力量では大変困難な作業になり、文脈が整わない記事になりそうなので、この点について読者の皆様には寛容な気持ちで受け止めて、各自で行間を埋めつつ読んでいただけたら幸いである。

 

 前回、確認した「人間や社会は具体的な姿形をとったボキャブラリー」という本書の中心的なテーゼは、ことばづかいが変われば人間も変わるし、社会も変わるということを意味していた。これをローティはのちに、「文化政治しての哲学」と呼ぶようになった。そして、文化政治を実践することが、真理の探究を放棄したあとの哲学の使命だと考えていた。しかし、この文化政治の実践は、単に理想的なユートピアを現出するものだけでなく、リベラリズムが最も避けるべきとする「残酷さ」と結びつくこともあると語っている。

 

 このことに関連して、ローティは「再記述はしばしば屈辱を与える」と言っている。また、虐殺における言語の働きについての講演では、「人権という概念は実は紛争の抑止や解決に役立っていない。」とも言っている。その理由は、人権が本質だととらえるとそもそも相手が私たちと同じ人間だという感覚がない場合は、それは全体において機能しないことになり、またその立場を採ることによって非-人間とされた者に対する残酷さは一層増してしまうからである。彼は、このような事態を惹き起こさないためには、「人権基礎づけ主義」や「人権本質主義」を批判し、基礎や本質を求める姿勢を放棄することが必要であり、それこそがリベラル・アイロニストのあり方だと説いている。

 

 ここからローティは、リベラル・アイロニストにとって重要なのは実は哲学ではなく、文学やジャーナリズムなのだという、あっと驚くような主張を展開する。一般に哲学は公共的な正義に、文学は私的な関心に関わっていると考えられるが、リベラル・アイロニストの文化ではそれが入れ替わると言う。哲学が本質主義を取ることはもはやできないからこそ、小説やエスノグラフィが他者の苦痛に対する感性を高めるという公共的な目標のために役立つ。そして、小さな共感や、一人一人個別の人間に対しての同情やシンパシーといったものを手がかりにして「連帯」をつくっていかざるを得ないと言うのである。

 

 では、基礎や本質という話を抜きにして、どうやって「連帯」の可能性を探っていけばいいのか。私たちはどうすれば「残酷さ」に対する感性を磨くことができるのか。ローティは上述したように、その手がかりをフィクションやエスノグラフィ、ジャーナリズムに求めたのである。そして、理論ではなく、感情に訴える文芸や報道になしえるものをのちに「感情教育」と呼び、その教育は様々な種類の人間にお互いに知り合うチャンスを与え、自分たちと違う人間と考える傾向に歯止めをかけることができると説いたのである。共感によって「われわれを拡張せよ!」これが彼の考える希望としての感情教育である。

 

 ローティは、本書の第Ⅲ部「残酷さと連帯」において、ウラジミール・ナボコフ著『ロリータ』とジョージ・オーウェル著『1984年』という2つの小説を取り上げて、その詳しい読み解きを披露しながら、フィクションは残酷さに直面した被害者への共感のみならず、「われわれは加害者にもなりうる」ことへの想像力の醸成にも役立ち、「われわれ」を拡張してくれると述べている。彼の言う「連帯」とは、この「われわれの拡張」のことなのである。

 

 「連帯」は「人間らしさ」という本質を基礎として成り立つのではなく、「偶然性」のかたまりとして私たちがたまたま持つようになった終極の語彙によって感じられるものである。そして、その終極の語彙とは決して固定的なものではなく、他人の終極の語彙に触れたり、小説やルポタージュを読んだりすることによって再記述されうる、拡張しうるものなのである。

 

 本書の第Ⅲ部第9章には、「連帯とは、伝統的な差異(種族、宗教、人権、習慣、その他の違い)を、苦痛や辱めという点での類似性と比較するならばさほど重要でないとしだいに考えていく能力、私たちにとってはかなり違った人びとを『われわれ』の範囲のなかに包含されるものと考えていく能力である。」と記載された一節がある。このような「連帯」は、実際は一歩一歩進むしかない慎重な歩みとなるであろう。しかし、伝統的な哲学が自明視した本質主義を棄却した以上、人々の「連帯」はまさにいまここにある小さな断片を手がかりにつくるしかない。

 

 「われわれ」を少しずつ拡張していくことによって、誰かを黙らせることを目指すのではなく、会話そのものを守っていく。ローティの主張は一貫していて、本書の3つのキーコンセプトである「偶然性」「アイロニー」「連帯」がすべてつながってくる。ひとつの正しい立場、正しい主張へと読者を説得するものではなく、むしろそうした「正しさ」を解体し、自身にとって重要な「終極の語彙」を再記述へと開くことを促すことにこそ、ローティ哲学の最重要ポイントがある。・・・彼の旅路を振り返ったとき、その哲学は「文化政治」として、人類の会話を絶やさぬよう守るための道具立てを提供するものであり、それと同時に、私たちの「終極の語彙」を改訂に開くことの醍醐味と魅力を伝えて、絶えず再記述によって自己創造をし続けることのモチベーションもまた教えてくれる、そのような人生をかけた物語でもある。・・・朱氏のこのような結びの言葉が、私の胸の奥に深く刻まれた。

「連帯」への希望をつなぐ「リベラル・アイロニスト」について~「100分de名著」におけるリチャード・ローティ著『偶然性・アイロニー・連帯』のテキストから学ぶ②~

 今回は、2月のEテレ「100分de名著」で取り上げられた『偶然性・アイロニー・連帯』の2つ目のキーコンセプトである「アイロニー」について、テキストの中で朱氏が解説している内容を私なりに大胆に要約しようと思う。特に「リベラル・アイロニスト」というあり方に関する内容が中心になるが、まずはローティの言う「アイロニー」という言葉の意味から入っていこう。

 

 アロニーという言葉は一般的には「皮肉」「冷笑的」「斜に構えた」などというネガティブな意味合いを含んでいるが、ローティが言う「アイロニー」は18世紀末~19世紀はじめのドイツ・ロマン派の批評家シュレーゲルらが用いた「ロマンティク・アイロニー」という言葉に近い意味であり、芸術家が自らの作品を高みから見下ろし、反省し、さらなる創造につなげている態度を指すものである。つまり、彼の言う「アイロニー」は語り直す態度というものに力点が置かれていて、簡潔に言うなら「自己に対して徹底的に懐疑的であること」を意味するのである。

 

 ローティは本書の第Ⅱ部「アイロニズムと理論」第4章「私的なアイロニーとリベラルな希望」において、アイロニストを次の3つの条件を満たす者であると定義している。

① 自分がいま現在使っている「終極の語彙」(それを否定されるともう同語反復以外では二の句が継げなくなる類の語彙)を徹底的に疑い、たえず疑問に思っている。

② 自分がいま使っている語彙で表わされた議論は、こうした疑念を裏打ちしたり解消したりすることができないとわかっている。

③ 自らの状況について哲学的に思考するかぎり、自分の語彙の方が他の語彙よりも実在に近いとは考えてはいない。

そして、彼は「アイロニーの対極にあるのは常識である。」とも言っている。自分は正しい、なぜなら自分の考えは人間としての常識だからと言ってはばからない人は、アイロニストの対極にある人である。それゆえ自身の終極の語彙が「地域特有の性格が強い」ものだと自覚することは、アイロニストへの第一歩になるのである。

 

 しかし、常識など一切無視していいと考えるのは極端であり、ある程度の「常識の共有」が必要なのではないか。このもっともな指摘から見えてくるのは、社会生活に結びつく常識と私的な生活に結びつくイロニーという構図であり、つまるところ公共的な社会正義と私的な利害関心の対立という政治的な問題に発展していく。彼は、本書を書く際にこの問題に決着をつけるというモチベーションももっていて、このことが「連帯」を論ずるにあたっては不可欠だと考えていたのである。そして、本書を執筆する前から「公」と「私」は統合する必要がなく、むしろそうすべきではないという結論に至っていたのである。

 

 自由に自己創造を行うということ、人間は連帯しなければならないということ、この2つは実は理論的に交わらないものだと認めなければならない。そう認めた人のあり方を示す語が「リベラル・アイロニスト」であるとローティは言う。ここで彼が用いている「リベラル」の定義は、「残酷さ(暴力など物理的なものだけでなく、人を辱めたり貶めたりする心理的なものも含む)こそが私たちがなしうる最悪なことだと考え、それを避けることを求める思想」のこと。また、「アイロニスト」については、「自分にとって最も重要な信念や欲求が偶然の産物だということを認められる人物」と定義している。したがって、「リベラル・アイロニスト」とは、公共的なリベラリストと私的なアイロニストとが一人の人間のなかに同時に存在しうるあり方を意味しているのである。

 

 また、このような「リベラル・アイロニスト」は自己の偶然性を認めるのであるから、自らの信念は何らかの本質や必然に結びついているとは考えない。だから、複数のボキャブラリーをある特権的な基準に照らして、どちらがより真に近いかという意味での優劣をつけるようなことはできない。つまり、人間や社会もそういうものだと考える。このような認識は『偶然性・アイロニー・連帯』の中心にある「人間や社会は具体化した姿形をしたボキャブラリーである」というテーゼに表われており、その帰結はことばづかいが変われば人間は変わるし、流通することばづかいが変われば社会も変わるということになる。ここに、ローティが会話や語彙にこだわる背景がある。

 

 ローティ哲学にとっては、公私の区別が決定的に重要であり、それはリベラルの目標である「残酷さを最小化する」ことにも極めて有用なのである。もし公私の統合の要求を放棄すれば、私たちは公的にも私的にも会話を続けることができる。そして、会話を続けるなかで、私たちは他者の語彙に触れ、自分の「終極の語彙」を再記述に開いていくこともできる。この再記述の余地があるからこそ、私たちはそこに、他者とのつながりや重なりという希望を見出すことができるのである。つまり私たちは、「リベラル・アイロニスト」であるからこそ、「連帯」への希望をつなぐことができるのである。

 

 しかし、先に述べたような人間・社会観は、単に理想的なユートピアだけを現出させるものではなく、そこには負の側面もある。そこで次回は、3つ目のキーコンセプトである「連帯」についての朱氏の解説内容を要約する中で、他の2つのキーコンセプトである「偶然性」や「アイロニー」におけるネガティブな面にも目を向けていくことになるであろう。

「哲学が人類の会話を守る」というテーゼと「偶然性」について~「100分de名著」におけるリチャード・ローティ著『偶然性・アイロニー・連帯』のテキストから学ぶ①~

 早いもので今年も3月に入ってしまったが、2月のEテレ「100分de名著」で取り上げられたのは、『偶然性・アイロニー・連帯』(リチャード・ローティ著)だった。私は大変興味があったので先月初旬にテキストを購入し、休日には4回分に構成された解説を予習的に読みながら、各回の放送録画をその都度視聴していった。久し振りに「100分de名著」の放送を活用して自ら学ぶ経験をしてみて、改めて本番組の面白さと醍醐味を味わった。講師の大阪大学招へい教員で哲学者の朱喜哲(ちゅ・ひちょる)氏の要領を得た分かりやすい解説と、司会者の一人タレントの伊集院光氏の相変わらずの的確で具体性に富む解釈によって、私の知的欲求は十分に満たされたのである。

 そこで今回から3回続けて、この充実した学びの中で特に私の心に印象深く残った内容の概要についてまとめてみたいと思う。1回目の今回は、本書の著者であるアメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931~2007)の哲学全体を貫くテーゼに触れた上で、本書のキーコンセプトである「偶然性」に関する内容を要約してみよう。

 

 ローティは、英米分析哲学言語哲学の系譜に属しているが、その中で最も異端視されている哲学者である。その理由は、彼自身初の単著『哲学と自然の鏡』において、それまで連綿と積み上げてきた伝統的な哲学や分析哲学言語哲学を全否定するような荒業をやってしまったからである。伝統的な哲学等の営みは「真理を探究すること」であり、それは最終的には真理に到達することを目指すものと言える。だから、探求が終わればそれ以上の議論や会話は不要になる。しかし、彼はそれでいいのか、哲学の使命はむしろそうした議論や会話を絶滅しないようにすることではないのかと考えて、「アンチ哲学」を唱えたのである。

 

 では、哲学は何をすべきだと彼は考えたのか。それを明らかにしたのが『偶然性・アイロニー・連帯』なのである。つまり、本書はデビュー作で放った問いに自らが答えてみせた実践の書なのである。本書の構成は、タイトルにある3つのキーコンセプトに対応しているが、それぞれの言葉は何を意味していて、なぜ私たちが議論や会話を続けるために必要なものだと言えるのか。指南役の朱氏は、それを4回にわたった放送で解説してくれている。この3つのキーコンセプトの主な意味内容とその必要性の根拠なるものについて、私は今回から3回に分けて朱氏の解説の要約をしてみたいと考えている。

 

 さて、第1回の今回は、1つ目のキーコンセプトである「偶然性」についての要約にチャレンジしてみよう。ローティが『哲学と自然の鏡』を通して提唱したのは、「歴史主義」である。「歴史主義」とは、世界に永遠不変の真理や究極の本質などというものはなく、それはその時々の言葉によって作られるものだという主張。このことを言い換えると、それは不変の真理によって基礎づけられた「必然」ではなく、「偶然性」によるということ。彼はデビュー作で、広い意味での私たちの言語(ボキャブラリー、概念、ことばづかい)といったものが、歴史的な産物であるという意味において偶然的なものであり、私たちの自己のありようもまた偶然的なのだと論じたのである。

 

 本書の第Ⅰ部「偶然性」の第1章「言葉の偶然性」におけるローティの議論の要点は、私たちはボキャブラリーを媒介にして真理(必然)に近づくのではなく、ボキャブラリーを駆使し、ただ単に、それゆえ自由に、自分を「再記述」(抽象度を上げて真理に近づくというよりは、並列的な言い換えによって理解の“襞”を増やしていくこと)するというもの。言葉を「減らす」方法ではなく、「増やしていく」方向に価値を見出すことが、言葉の偶然性を認めることであり、このことによって言葉を使って自由に自己創造ができるというポジティブな面も開かれていく。「偶然性」に彼が見出している可能性がここにあると言える。

 

 続く第2章「自己の偶然性」において彼は、「人が自分という存在の原因の根拠をしっかりと辿る唯一の方法は、自分の原因について物語を新しい言語で語ることなのだ」と述べている。そして、自己もまた偶然性のもとで形成されること、その自己を語る言葉も再記述されうる(偶然性を帯びている)ことを、フロイト精神分析の知見を取り上げながら論じている。

 

 そして彼は第3章「共同体の偶然性」へと議論を進める。彼は、道徳を人間に共通して備わる本質的なものとして考えるのではなく、それはあくまで特定の共同体における内輪の約束にすぎないと考える場合のみ、道徳性は維持されると語っている。彼の構想する「リベラルなユートピア」という社会の描像は、目的はバラバラで、「同調を避け」ているけれど、お互いを保護するという意味では協力することができる者たちがそれでも何とかやっていく社会であり、それを構成する市民に必要なのが「自己の偶然性」の認識なのである。お互いに偶然的な存在だからこそ、何かしら一緒にやっていく「連帯」の可能性が出てくるのである。しかし、彼は「偶然性」が「連帯」の契機になるには、「アイロニー」についての議論を経由することが不可欠だと言っている。

 

 次回は、この「アイロニー」というキーコンセプトについて朱氏の解説の要約をしてみようと思う。それまで、しばらくの時間の猶予を・・・。