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自分の哲学を構築しようとすること~若松英輔著『考える教室―大人のための哲学入門―』を参考にして~

 年末年始に掛けて市立中央図書館から借りた本の中に、『考える教室―大人のための哲学入門―』(若松英輔著)という本がある。なぜ本書を借りたかと言うと、昨年10月のNHK・Eテレの「100分de名著」で、西田幾太郎著『善の研究』を取り上げて解説していた講師が若松氏だったからである。私は当番組を視聴する中で、柔和な表情の中に豊かな感受性が溢れている若松氏という人物に心惹かれたのである。一度、彼の著書を読んでみたいと思いつつも、実現しないままに2か月が経った年末、ちょっと立ち寄った市立中央図書館で本書を見つけたのである。

 

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 本書は、ソクラテスプラトン、ルネ・デカルト、ハンナ・アレント吉本隆明という哲学者や思想家を取り上げて、その主著を読み解きながら読者に自分にとって哲学とは何かを考えてもらうという構成にしている。著者は「はじめに」の中で、読者に対して「自分ならどう読むか、あるいは、この本との対話で、自分にとってもっとも重要な問いは何かを見つけることをお願いしたい。」と記している。

 

 また、第3章の「働く」ことについて-ハンナ・アレント『人間の条件』の中で、日常の中にある論じるべき問題を取り扱う「哲学」の在り方について、著者は次のようなことを述べている。

 

…ここでいう「哲学」は、哲学者たちの考えではありません。私たち個々人の哲学です。誰かの考え、誰かの言葉をそのまま受け入れるのではなく、それと対話しながら、私たちは誰もが自分の哲学を構築していかなくてはならないのです。…

 

 私は今までともすると、「哲学」をするには世に哲学者と称される人の著書を読まなくてはならないと思い込んでいた。しかし、著者はデカルトの言を借りて、「哲学は『世界という大きな書物』にコトバによって記されていることも忘れないでいたい。」と述べている。そうなのである。哲学は哲学者によってのみ語られるとは限らないのである。

 

   さらに、著者はアレントの言を借りて、「もし、ある問題を真に考えようとするのであれば、ある特定の人の理論を究極の解答のように考えることや、そう考えるように促してくるものを疑ってみなければならい。それが哲学の前提だ。」そして、「ひとりの人間から絶対的なことが語られることはないという前提の中で、個々の人間は、それぞれが考えを深めなくてはならない。」とも述べている。私たちは、もっと日常生活の中にある論じるべき問題について、哲学書を読んでその理論を理解することだけでなく、自分の頭でとことん考え抜かねばならないのである。もちろんその際に、他者の考えを読んだり聞いたりすることを否定しているのではない。むしろ他者と協同しながら考えを深めていくことが大切である。その点、最近の記事で話題にした「哲学対話」の実践はこのアレントの言にも適っていると改めて思った。

 

 最後に、第4章の「信じる」ことについて-吉本隆明共同幻想論』の中で、著者はソクラテスや吉本の対話に向かい合う態度について語っている箇所で、次のような重要なことを述べている。

 

…学びとは、自分が信頼する人からのみ受け取ることに終始するのではありません。…

 

 私は今までどちらかと言うと、自分が信頼していない人の言葉から学ぶことはないという態度を取っていたと思う。しかし、誰が語っているのか、ではなく、何が語られているかを正視することが大切なのである。私にはなかなかできないかもしれないが、できるだけそのことをしっかりと認める勇気をもちたい。そして、現象学的なアプローチを大切にしながら物事の“ほんとう”を探究する姿勢を持ち続けようと思う。