ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「子どもを苦しめる親」について考える~水島広子著『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』から学んだことを基に~

 私の自宅療養期間も今日で終わる。「濃厚接触者」だった妻が倦怠感や発熱等の症状が出始めたのは15日(月)で、お盆休みの中やっと見つけた病院で抗原検査を受けて陽性の判定が出たのは16日(火)。それから既に1週間が経った。今では二人とも平熱になり、自宅で隔離されている以外は比較的自由な生活を送っている。食事については、生活協同組合の宅配と妻の姉による買い出しによって何とかなっているので、私たちはある意味でのんびりとした日常を過ごしていると言ってもよい。

 

 そのような中、数日前に私はそろそろ仕事に復帰する心身の準備をしようかなと考えていた。すると、私の脳裏に、ある場面が突然フラッシュバックしたように蘇ってきた。それは、もう1か月以上も前になるが、市内の某小学校の会議室で、保護者と教育相談をした時の場面である。

 

    普段、保護者と教育相談をする際は、対象児の担任と当該校の特別支援教育コーディネーターが同席するぐらいである。ところが、その時の教育相談の場では、それとは比較にならないぐらいの参加者数があった。何よりも特別だったのは、一人っ子だと言う対象児も参加していたこと。それに伴って対象児が最も信頼している教師、対象児の心のケアを担当している外部機関の方々、それに通級指導教室の先生までが同席していた。また、学校側からも担任以外に校長、教頭、学年主任らが参加していた。合計で14名。まるでケース会議の様相であった。

 

 なぜ、こんなに多人数の教育相談の場になったか。元々その時の教育相談は、「今まで我が子の特性に応じた支援を行ってほしいと、何度も学校へお願いしたにもかかわらず、適切な支援をしてもらえていない。だから、市の教育相談を受けたい。」という母子家庭の母親からの強い要請が発端だったらしい。だから、母親は教育相談の場に、学校の管理職や学年主任にも参加を求めたし、我が子の思いを知ってほしいとの考えから対象児の参加も望んだ。そして、対象児が安心して発言するためには、それを支えるメンタルケア的存在も必要であるとの判断から、上述のような人々の参加も要請したのである。

 

 ただし、今回、私が突然フラッシュバックした理由は、この教育相談に参加した人数が多かったからではない。その時の母親の常軌を逸した言動こそが、主な理由なのである。母親は、教育相談の進行役をするコーディネーターやアドバイス役の私の所に事前に電話を掛けて、自分の都合で決めた当日の進行スケジュールを私たちに予告していたにもかかわらず、実際の場ではそれを全く無視し感情の赴くままに不規則な発言を繰り返した。また、時には狂気を孕んだ目をして、自分の拳で長机を何度も叩きながら、過激な教師批判をした。しかも、我が子が居る前で!私は「この母親自体が対象児を苦しめているのではないか!」と思い、母親の発言の合間を見つけては、何度も本会の目的や進行スケジュールなどを確認したり、学校側の適切な支援内容や方法等についてアドバイスを試みようとしたりしたが、そのほとんどは母親の一方的な主張によって遮られた。私は、あまりにも無力感に打ちひしがれた。しかも、その教育相談に要した時間は、約4時間!おそらく参加者全員が心身共に疲労困憊になってしまったと思う。それ以後、この体験は私のトラウマのようになっていたのである。

 

 私は、この時の体験を単なるトラウマにしないで、何とか意味付けたり価値付けたりして経験化しなくてはいけないと思い、職場近くの書店で購入した『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』(水島広子著)という本を少しずつ読み進めていた。そのような時に、今回の新型コロナウイルスの陽性判定である。中断を余儀なくされていたが、この際に続きを読み進めていこうと考え、この二日間で読了した。そこで、今回は本書から学んだ「子どもを苦しめる親」について、その背景やその精神医学的事情等に焦点化した内容の概要をまとめてみようと思う。

 著者の水島氏は、対人関係療法という精神療法を専門とする精神科医(特にトラウマ関連障害を持つ人を対象にしている)である。本書は、著者のその精神医学的な臨床経験に基づいて、「毒親」被害を少しでも改善しようという目的で執筆されたものであり、それ故に私にとっては上述の母親のとらえ方について大変参考になる情報を提供してくれた本である。特に参考になったのは、著者が本書で「毒親」を定義する上で大切な視点として挙げている3つの「愛着スタイル」と、「毒親」が抱える4つの精神医学的事情に関する情報である。以下、それぞれについて簡潔に要約していこう。

 

 元々「毒親」という言葉は、1996年に日本で翻訳されて出版された『毒になる親(TOXIC PARENTS)』(スーザン・フォワード著/1989年出版)が出所になっており、「子どもにとてつもない害を及ぼした親」のことを言っているが、本書では「子どもの不安定な愛着スタイルの基盤を作る親」と定義付けている。そして、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した「愛着(アタッチメント)理論」に基づいて、次の3つの「愛着スタイル」を紹介した上で、「安定型」以外を不安定な愛着スタイルとしている。

①「安定型」…「母親的役割」の人に愛情を提供されて育ち、情緒が安定している、困ったら人に助けを求める。

②「不安型」(とらわれ型)…「母親的役割」の不安定な育て方から、「見捨てられるのでは」という不安を感情の基本に持つ。

③「回避型」(愛着軽視型)…「母親的役割」の人がいない、あるいは情緒的なやりとりなしに育つ。人に助けを求める発想がない。

 

 次に、著者は親が「毒親」になった4つの精神医学的事情について、次のようにまとめている。

a)発達障害タイプ…自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD

b)不安定な愛着スタイル…「不安型」、「回避型」

c)うつ病などの臨床的疾患…トラウマ関連障害、アルコール依存症

d)DVなどの環境問題…深刻な「嫁姑問題」、親になる心の準備不足、障害のある子の育児など圧倒的な余裕のなさ、子育てより大事な「宗教」等

 

 著者が臨床的に診てきた「毒親」の中で最も数が多かったのは、a)の発達障害の人たちだそうである。そして、彼ら(彼女ら)としてはむしろ一生懸命育児をする中で、結果として「毒親」となってしまうらしい。ただし、彼ら(彼女ら)はそれなりに社会で機能しているので「障害」という言葉は当てはまらないかも知れないが、「非定型発達」であることは間違いないと言っている。

 

 私は本書を読みながら、最初に紹介した母親はもしかしたらa)の発達障害タイプ、かつc)うつ病などの臨床的疾患だったのかも知れないと推察していた。もちろん彼女のことについてほとんど知らないし、精神科医でもない私が、勝手に思い込むことは危険である。ただ、そのように理解したら、あの場面での彼女の過激な言動の多くが納得できるのである。他者(我が子も含めて)の気持ちを想像することが難しいこと、自分の考えに執拗に拘って他者批判を繰り返すこと、過去の出来事に対して今起こっているような感情的反応をしてしまうことなど…。これは、私自身の精神的な安寧にとって都合のよい解釈なのかもしれないが…。

 

 もう一つ、私の頭の中に鮮明な記憶として残っている彼女の断片的なある言葉がある。それは、彼女がどのような文脈で口走ったのかはもう忘れたが、「私には反抗期がなかったので、今が私の初めての反抗期だ。」という言葉である。一体、これをどう解釈すればいいのだろうかと思案しながら本書を読み進めていると、<第8章 「大人」としとて親を振り返る>の中に、次のようなハッとする箇所を見つけた。…「毒親」を持つ多くの人は、通常の意味での反抗期を経験していないことがほとんどです。

 

 もしかしたら、彼女の親も「毒親」だったのかもしれない。そのために、彼女は親の何らかの事情を考えて、自らの意思で反抗期を選択しなかったことで「大人になる」ことを遅延する事態に陥ってしまったのではないだろうか。だとすれば、世代間に負の連鎖が繰り返される可能性がある。対象児の主治医は今、対象児のメンタルケアのために外部機関の方々を、週に数回訪問させるような対応をしている。おそらく私が想像したような事態を推測しているのではないだろうか。私は、それだけでも対象児をあの母親から救い出すための一縷の望みになっていると思う。しかし、より根本的には、できるだけ早く彼女も精神医学的な診察の場に連れて行くことが、当該親子が抱える関係性の闇から二人を救い出すことに繋がるのではないだろうか。