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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「サバァン症候群」と「ギフテッド」について考える~柚月裕子著『月下のサクラ』を読んで~

 9月下旬になったのに、まだ真夏日が続いている。朝晩は少しの冷気を含んだ空気になり、微かな秋の気配を感じるようにはなっているが、それでも日中は残暑が厳しい。日本の四季は、本当に夏と冬の二季になってしまうのか。季節の移ろいを楽しむ気分に浸ることができない。また、この老齢の身には連日の残暑は身体にも響いてくる。ましてや先週、先々週の勤務は、週5日間のフルタイムだけではなく、時間外勤務時間も多く激務だった。午前中は何らかの「困り感」をもつ子どもたちの行動観察をするために授業参観に出掛け、午後は夕方から担任や保護者との教育相談のために学校訪問をするという毎日だった。本当に心身共に疲労困憊!

 

    また、16日(土)は孫Hの授業を参観。毎年この時期に実施される人権教育をテーマにしたものであり、参観した授業は道徳科の「はしの上のおおかみ」という「親切」という徳目を主題とした人権教育定番のものだった。Hが3度も自分なりの思いや考えを発表する姿を目の当たりにして、嬉しいやら安心するやらついつい表情が崩れてしまった。続いて、17日(日)~18日(月)は、孫Mが二女とともに我が家へ遊びに来た。日曜日は郊外にある「こどもの城」へ連れて行き、園内を走るバスやトレイン、てんとう虫のモノレール、月曜日は近くの高島屋の屋上へ行き、観覧車「くるりん」や機関車トーマスの遊具などに一緒に乗って楽しんだ。孫と一緒に遊べる楽しさに勝る時間はないが、身体は悲鳴を上げる寸前だった。

 

 そんな中、心身のリフレッシュを図ろうと、この一週間ほどで久し振りに柚月裕子氏のミステリー小説『月下のサクラ』を堪能した。本作品は、以前の当ブログの記事でも取り上げた『朽ちないサクラ』の続編にあたるものである。前作品でストーカー殺人に絡んだある理不尽な事件を、警察学校の同期である3歳年下の磯川刑事と連携して独自の調査を進めて真相を明らかにしていく、米崎県警広報広聴課の事務職員だった森口泉が、本作品では自分が警察官になるという決断を実行して巡査になり、さらに自分の特技を生かすために米崎県警捜査支援分析センターの機動分析係配属を希望し、それを実現していく場面から物語は始まる。

 今までなら、ここで物語のあらすじを紹介するところであるが、今回はそれを省略する。なぜなら、記事の内容がどうしても私の筆が滑ってネタバレすれすれになることがあったので、未読の読者を興醒めにさせてしまうことになってはならないと自戒したからである。ぜひ森口泉の成長した姿を自分の目で確かめてほしいし、警察内部に巣食う不条理な倫理を炙り出すスリリングなミステリー展開の醍醐味も味わってほしい。

 

 では、今回の記事のテーマは何か。それは、泉の特技に関連することである。本作品の中で、このような描写がある。・・・泉は画面を凝視する。人物の動きが、脳に刻まれていく。動きを目で追っているわけではない。目に映るものがそのまま記憶される。脳内に焼き付いた映像を、意識があとから理解していく。そんな感じだ。・・・この類まれな映像記憶力という泉の特技は、発達障害をもつ人の中に時々見られるある特性を思い出させる。そう、「サバァン症候群」という特性である。

 

 「サバァン症候群」というのは、自閉スペクトラム症 や知的障害をもつ人々の中に、ある特定の分野において驚異的な能力を発揮する人のことである。例えば、音楽や絵画、数学、記憶力等の分野で、通常の人よりも優れた能力を発揮することがある。私が仕事上で最近出会った自閉スペクトラム症をもつ6年生Aは、この「サバァン症候群」だった。その子の優れた能力は、一度YouTubeで見たデザインのような模様を写真のように記憶していて、それを自分でそのまま再現するように描くことができるものだった。私が休み時間の様子を行動観察していた時、Aはそれを趣味の一つのように喜々とした表情で行っていた。私はつい「すごいね。まるで何かのデザイン画のようだ!」と素っ頓狂な声を発してしまったぐらいである。

 

 ところが、Aの保護者と面談した時、シングルマザーの母親はAのこの優れた能力よりも、健常児と同じような学力の方を重視して、進学する中学校で通常の学級に在籍させて受験勉強に力点を置くことを強く主張した。私は、Aのこの優れた能力を生かすことができる職業を見つけて将来就労することが本人の充実した人生につながると話した。しかし、母親は私の話には全く耳を貸さず、自分の考えを主張し続けることに終始した。私は残念な思いを残して、帰路につかざるを得なかった。「サバァン症候群」の人が生き生きとした人生を歩んでいくことができる社会的な環境は、まだ十分だと言えないかもしれない。しかし、徐々に整ってきているのは事実である。もっと「サバァン症候群」の人のことを第一にした子育てを!

 

 次に、この「サバァン症候群」と似て非なるである「ギフテッド」という特性について触れたい。「ギフテッド」とは、英語のgiftedの単語に由来しており、「天賦の才を持つ人々」という意味で、同世代の子どもよりも先天的に高い能力を持っている人のこと。「ギフテッド」の人は、特定の学問や芸術性、創造性、言語能力などにおいて高い能力を持っているのである。私の同僚が最近出会った小学校1年生Bは、「ギフテッド」だったらしい。「ギフテッド」の人が持つ能力を最大限発揮させるためには、その子の特性に配慮した特別支援教育が必要になるのだが、残念ながら現在の我が国の学校教育の現場では十分に保障されてはいない。Bは1年生の各教科の学習内容が簡単すぎて退屈で仕方がないので、登校を渋っているらしい。父親は、Bが自分の能力に合った課題に取り組むことができるような環境調整ができないかと相談してきたそうである。残念ながら、現在の我が国の教育現場で「ギフテッド」の子に対して適切な教育環境を整えることができる学校はまだ少ないと思う。

 

 「サバァン症候群」と「ギフテッド」の子どもたちに適切な教育環境を整えることも、我が国の特別支援教育を充実していくためは必要だと強く感じる事例が最近重なったので、過労気味にもかかわらず今日はパソコンに向かったという次第である。