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箱根駅伝における「学連選抜」の選手が問われるチームワークの精神とは?

 箱根駅伝の総合5連覇に挑んだ青山学院大学だったが、復路は優勝したものの往路の誤算が響いて結局は2位に終わってしまった。総合優勝は東海大学。同大学は往路も復路も2位だったが、全ての選手が自分の持てる力を出し切って走り、まさに総合力によって46度目の挑戦で初の栄光に輝いた。3位は往路優勝の東洋大学だった。また、シード権を獲得したその他の大学は、駒澤大学帝京大学・法政大学・國學院大學順天堂大学拓殖大学中央学院大学の7校であった。

 

 私は毎年、正月恒例の箱根駅伝をテレビ中継で観戦するのを楽しみにしている。その理由は、優勝を目指して自校の襷(たすき)をできるだけ早く引き継ぐために、一人一人の選手が自分の力を出し切って懸命に力走する姿に感動を覚えるからである。若者が純粋にスポーツに取り組んでいる姿を見ると、身体の内側からやる気や勇気が湧いてくる。また、その一人一人の選手にはそれぞれに異なる歴史があり、さまざまな思いを背負って各区間を激走しているドラマがあるからである。「今、ここ」を生きて走っている若者の実存性に共感することは、私自身が各選手と共に走っている充実感を味わうことができる。私は今年もそのような濃密な時間を持つことができ、爽やかな新年のスタートを切ることができた。

 

 ところで、今年の箱根駅伝で関東学生連合の選手の走る姿が画面に映された時、私はふと疑問に思ったことがある。それは、自校の名誉と栄光のために襷を引き継いでいくことで芽生えるチームワークの精神に支えられた駅伝という集団競技において、「学連選抜」の選手のチームワークの精神とはどのようなものなのだろうか。自校の襷ではない襷を引き継いで走る各選手のモチベーションは、自分の記録にこだわり自分のために走ることなのだろうか。そもそも「学連選抜」の選手にチームワークの精神が必要なのだろうか。私の頭の中は様々な疑問でいっぱいになった。

 

 その時に、ある小説が私の頭の中に思い浮かんだ。それは、シリーズものの刑事小説で著名な堂場瞬一氏の『チーム』というスポーツ小説である。箱根駅伝出場を逃した大学の中から、予選で好タイムを出した選手が選ばれる混成チーム「学連選抜」を取り上げ、その選手たちの葛藤と激走を描き切ったスポーツ小説。私は初めてこのジャンルの小説を読んだが、箱根駅伝において激走する選手の心理描写とレース展開を克明に描いており、その臨場感に興奮した。

 

 本書の中に、傲岸不遜だけど走る能力の高い超エリートランナーの山城という人物が登場する。彼は、「こんな寄せ集め、チームじゃない。」と公言し、あくまでも2月に参加する初マラソンの調整のために走るだけだとする自己主張を曲げない。そして、吉池監督の作戦により9区を任せられ、期待どおりにチームを1位に押し上げてアンカーの浦キャプテンに襷を繋ぐ。しかし、そのレース中に初めて脚の故障が起き、過去に膝の故障が原因で苦杯を嘗めてきた浦の気持ちに気付く。最後には、浦のゴールを見定めるために大手町に必死で駆けつけようとするのである。結果は…。これから読もうとする読者のために結果は書かないでおくが、最後に山城が「俺たちはチームだから」という言葉を発して本書は閉じられている。

 

 私は本書を読みながら、箱根駅伝における「学連選抜」の選手に問われるチームワークの精神とは、「寄せ集めだけど、チームとしての目標を掲げ、各選手が自分の役割を果たそうと最善の努力を尽くして襷を引き継ごうとする心」であり、その根底には他のスポーツにはない駅伝という集団競技の特性があると確信した。