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「テニスプロ」の過酷とも言える現実!~関口周一プロのエピソードから~

   新年早々、プロテニス界から朗報が入ってきた。現在、世界ランキング9位の錦織圭選手が、ブリスベン国際テニスを初制覇し、2016年2月のメンフィス・オープン以来約3年ぶりとなるツアー大会通算12勝目をマークしたのである。優勝賞金約992万円を獲得。プロテニス界は華やかな世界だとの印象を強めた。

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 ところが、そのような印象を払拭するような現実を著した『テニスプロはつらいよ―世界を飛び、超格差社会を闘う―』(井山夏生著)を読んだ。著者は、30歳から18年間「テニスジャーナル」の編集長を務めた後、フリーランスの編集者兼ライターに転身したらしい。そのテニスに詳しい著者が、テニスプロ・関口周一のジュニア時代からのエピソードを中心にして、「テニスプロ」の過酷とも言える現実を描き出したのが本書である。

 

 今回の記事では、私の心に深く残ったエピソードの中から幾つかを紹介してみたい。

 

 まず近年のエピソードから。2014年の楽天ジャパンオープンで優勝したのは当時世界ランキング8位の錦織圭選手で、その優勝賞金は30万ドル(約3300万円)であった。実は、この大会に出場した日本人選手の中に当時世界ランキング440位の関口周一選手(錦織の2つ下)の名前もあった。しかし、2回勝ってようやく本戦への権利を獲得できる「予選」の1回戦で彼は敗れている。彼が手にした賞金は550ドル(約6万円)。錦織選手の540分の1だった。これが「テニスプロ」の現実。強くなければ注目も集められないし報酬も得られない。当たり前と言えば当たり前。プロテニスの世界は過酷な競争社会なのである。

 

 とは言うものの、関口選手はジュニア時代に世界ランキング5位まで上り詰め、「修造チャレンジ」のメンバーにも選抜されて将来を嘱望されていたテニスエリートだったのである。その彼がなぜ今のレベルに留まっているのか?その理由の一つに挙げることができるのが、一つの試合の一つのミスから始まるエピソード。

 

    それは、18歳を迎えたジュニアの最終年度で出場した全仏ジュニアの前哨戦となるイタリアンオープン。それまで絶好調だった彼は、得意のレッドクレーでイタリアの選手と対戦したが、その試合で普通のラリーで打った何でもないボールがとんでもなくアウトしてしまった。そして、このたった1本のミスからパニックに陥ってしまったのだ。本番の全仏までに修正をかけたが元に戻らず、結局第4シードで出場した全仏ジュニアはベスト16止まり。続いて出場したウィンブルドンジュニアは1回戦負け。その後、プロ契約に直結する全日本ジュニア選手権では、決勝戦で0-6、2-6の完敗。全米オープンではまさかの1回戦負けと続く。これらの結果、ランキングは急降下してトップ10落ちし、JE (フューチャーズやチャレンジャーの試合に推薦枠で出場する権利)を喪失してしまうのである。春先までの夢の扉は秋口には閉ざしてしまった。彼にはジュニア時代にターニングポイントがこれ以外に2回あったが、全てあと一歩足りなかったのである。

 

    しかし、関口選手は2010年7月に日本テニス協会にプロフェッショナル申請を行い、承認されてプロになる。テニスは申請書1枚でプロになることができ、賞金を受け取ることができるシンプルな仕組みなのだ。プロになってからの彼は、1年目で世界ランキング568位、2年目700位台、3年目265位。4年目は途中259位まで上がったが、けがをしてから444位まで急降下。5年目は396位で獲得賞金は1万4849ドル(約170万円-単純に計算すると、錦織の300分の1以下)。これにスポンサーとの契約金を合わせても、ギリギリの状態でツアーを回っているのが、世界を目指すテニスプロ・関口周一の“極貧生活”とも言うべき現実!!最新のランキングは337位(2017年8月28日現在)。彼は国内では10位のレベルなのだが…。

 

    それにしても、「テニスプロ」になりたいという関口選手の夢を叶えるために、普通のサラリーマンだった両親はどれだけの経済的・生活的な犠牲を強いられたか!読後、「テニスプロ」自身はもちろんだが、「テニス親」も本当に大変だ!!という心象が強く残った。