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思春期の子どもにかかわる〈他者〉としての教師のあり方を探る~中学校現場における学習指導や生徒指導のあり方に関する考察を通して~①

   前回の記事で、東京都内の荒れた公立中学校に勤務したことがある鹿嶋真弓氏の教育実践の一部を紹介しながら、「教職のもつ魅力や醍醐味」について綴った。その際、私が管理職として中学校勤務の経験があることに触れた時、今から15年ほど前に教頭として教育臨床学的な視点から教育実践論文をまとめたことを思い出した。私としては、教職38年間の中で心身共に最も辛い時期のことを論文化したものであり、今までは敢えて多くの人の目に触れないようにしていた。しかし、この論文を当ブログに転載すれば、今、同様な情況下にいる先生方にとって何らかの参考になるかもしれないと思い至った。そこで、この論文を3回分の記事に分割して今回から連続して転載したいと思う。

 なお、読者が読みやすいように形式段落ごとに改行するといういつもの編集をするので、この点をご容赦願いたい。

        

 は じ め に

 筆者は,本年度,教員生活26年目にして初めて小学校から中学校に異動した。そして,K中学校の学校運営全般に責任をもつ教頭職を担いながら,3年生3クラスの社会科(公民的分野)を教える教師として真摯に教育実践を進めてきた。しかし,この1年間を振り返ってみると,そのような自分の思いとは裏腹に,様々な悔恨の思いが蘇ってくる。

 

 例えば,社会科の授業で出会った3年生の子どもたちの学習実態-他者に対して自閉しているような表情の硬さ,学習対象に対する関心・意欲の乏しさ,主体的・協働的に課題を追究する態度の欠如,基礎的な知識量の少なさ等々-に直面し,その改善のために課題解決的な調べ学習やディベート学習・基礎的基本的な内容を押さえたプリント学習等を導入して学習指導の工夫に取り組んだにもかかわらず,一部の生徒たちの授業拒否の態度を変容させることができなかった。また,その一部の生徒たちの非行化過程に対して生徒指導の機能を強化したにもかかわらず,授業妨害や対教師暴言等へとエスカレートさせてしまう事態を惹き起こし,十分に予防することができなかった。…

 

 もちろん,筆者の悔恨の思いが,このような情況に対する引責感だけに由来するものではない。というのは,上述したような事態を予想して、筆者はK中学校における学習指導のあり方を問い直すための校内研修体制や,生徒との対話を基本とした積極的な生徒指導体制を構築するための手立てを4月以来とっていたのである。むしろ,このような手立てをとってきていたのに,先のような情況を生み出す結果になったことへの無力感が悔恨の思いの内実である。また,校内研修会や職員会議等の場で学習指導や生徒指導のあり方について教職員と議論する中で,<教育>や<指導>に関して対立する二つの立場の考え方-<教育>を「社会統制機能」でとらえようとする立場と「人間形成機能」でとらえようとする立場。<指導>を「一方通行的な指示」ととらえる立場と「双方向的な対話」ととらえる立場。-を十分に止揚することができず,共通理解の上で有効な実践的方略を講ずることができなかった点も,筆者の非力感を強め,悔恨の思いを深くしたと言える。

 

 そこで本稿では,K中学校でこの1年間議論してきた学習指導や生徒指導に関する二つの立場の考え方を批判的に考察し整理することを通して,現代社会を背景にする中学校現場で思春期の子どもにかかわる<他者>としての教師のあり方を探っていきたい。

 

 そのために,まず現在の高度資本主義社会=高度消費社会における中学校現場が抱えるアポリアを素描し,次に思春期という独特な発達特性をもつ子どもたちにとって中学校とはどのような場なのかを臨床的な実態を踏まえながら考察する。さらに,K中学校で現象している少年非行や荒れの実態とその対応策について省察し,思春期の子どもたちに日々かかわる<他者>としての教師のあり方を探ってみたいと考えている。

 

1 中学校という教育現場のもつアポリア

 初めて中学校という教育現場を体験してみて実感することだが,ほとんどの生徒たちは旧態依然とした講義式の一斉授業を受けたり,校則によって服装や頭髪等の身だしなみをチェックされたりする日常に違和感を抱きながらも,慎ましく学校生活を送っていることに驚く。ただし,一部の生徒はこのような「終わりなき日常」から逃避すべく不登校になったり,授業拒否や授業妨害をしたり,教師の隙を見ては服装違反をしたりしている。そして,他の生徒はそれらの非社会的・反社会的言動に対して,積極的に反発する訳でもなく,どちらかと言えば消極的に容認するような態度をとっている。つまり,ほとんどの生徒にとって,中学校という教育現場は自分たちの居場所として「生きられた」時空間とは実感していないのが現実である。

 

 一体いつごろから中学校は,生徒にとってこのような場所になってしまったのだろうか。

 

 改めて近代学校制度の歴史を振り返ることもないと思うが,簡単にわが国の学校の歩みを辿り,現代社会における学校の現状をとらえることを通して考察してみたい。明治5年(1872年)の学制公布以来、わが国の近代学校制度は着々と整備され,義務教育の就学率も明治末には98%にまで高められている。このように極めて短期間に急速な就学率を上昇させた国は,他に例を見ないと言われている。そしてこの要因は,西欧諸国とは違い,わが国には学校に敵対する教会勢力をもたなかったこと・江戸時代にすでに識字率もかなり高かったことなども挙げられるが,何よりもわが国の政府が西欧列強の外圧から逃れるため早急に近代的な国民国家の形成を図ろうとし,そのためのサブシステムである学校制度の整備・拡充に力を入れたことの成果である。また,この近代学校制度の浸透は,学制公布とともに布告された「学制被仰出書」にも述べられているように「学問が立身出世の道を開く」という信念を拡大させ,「いい成績→いい高校→いい大学→いい会社→いい人生」という学校信仰を生み出していったのである。さらに,このような「宗教」としての学校の存在意義は,大正・昭和時代と経て,戦後の高度経済成長期まで維持され,社会そのものが「学校化」されるぐらい当たり前のこととして浸潤してきたのである。つまり,近代学校は国民として未完態である子どもを,完態である教師が指導・教化することを前提とする「教師-生徒」という権力関係に基づき,子どもに国民として必要な知識や技能等を効率よく身に付けさせるために組織された場所としてスタートしたものであり,そのための様式や文化等を形成してきたのである。同年齢の子どもたちが時間割に従って一斉授業を受け,教師の講義を真剣に聞くという授業形態や,学生服をきちんと着用し校則を守ることを当然としていた子どもたちの生活態度等は,つい2~30年ぐらい前までは学校の当たり前の風景であった。(公立の中学校や高校では,今でも基本的にはあまり変わっていないかもしれないが…)

 

 ところが,1975年ごろを境にいわゆる「近代化」を達成したわが国は,ポストモダン的な高度資本主義社会=高度消費社会に突入し,従来の近代学校の存在意義や様式・文化等が揺らぎ始めたのである。言い換えれば,成熟社会の到来に伴う近代的な目標やそれを支える勉強の意味の喪失・都市化に伴う個人主義的な生活様式の進展・子どもを消費主体として<小さな大人>として看做し,あらゆる物を<所有>するという観点からとらえるような価値観の形成等が,現在の子どもたちの感性を大きく変容させ,子どもたちの身体性が前述した近代学校としての存在意義や様式・文化等を受け入れなくなってきたのである。その結果が,校内暴力・いじめ・不登校・学級崩壊・新しい荒れ等の教育危機であり,それらへの対応として学校が管理強化してきたのである。一般に言われる教育危機の原因が管理教育にあるのではなく,子どもたちのポストモダン的な感性による反乱こそが原因なのである。むしろ管理の強化は,教育危機に対する学校の必死の対応策なのである。

 

 このようなアポリア佐藤学は,「『学び』から逃走する子どもたち」(岩波ブックレット№524 岩波書店 2000年)の中で次のように端的に述べている。

 

 東アジア型の教育(日本を含む東アジアの国々、台湾・香港・シンガポール・韓国・北朝鮮・中国のように、急速な近代化を進めた国々の教育。引用者注)は、産業と教育の急速な拡充と発展を前提として有効に機能するシステムでした。この教育のシステムは、産業化と教育の急速な近代化が停滞した時点において破綻を露にします。事実、教育危機の現象が新聞の一面に掲載され、毎日のようにテレビで放送され始めたのは、1980年前後のことでした。三重県の尾鷲中学校の校内暴力事件(1980年)が発端でした。その事件以降、全国の中学校を校内暴力が席巻し、その他の教育危機が次々と語られるようになりました。学級崩壊が顕著になるのは1990年代半ばですが、この現象も、1980年前後に始まる教育危機の勃発の延長線上に位置づいています。(p34~p35)


 もう一つ中学校という教育現場におけるアポリアは,やはり高校受験体制の中に見出せる。それは,前述した高度資本主義社会=高度消費社会との相関において出現する「大衆教育社会」という情況が生んだアポリアである。

 

 中学生の高校進学率は,1955年から1975年までのわずか20年間に,なんと50%から90%へと急上昇した。つまり,高度経済成長期には、普通高校全入運動もあって高校が次々と増設されていったのである。その結果,高校進学は大衆にとって実現可能な夢になり,多くの中学生にとって「高校進学」は,ひとつのはっきりした目標になったのである。そして現在は,少子化の中で選ばなければほとんどの中学生は高校へ進学できるという高校義務教育化という情況が生まれたのである。ところが,一旦このような情況になると,高校進学は目標というより義務という意識になり,決して学習意欲の高くない生徒でも「みんなが行くから行く」という他人追従的な意識が先行してしまう。山間部に位置するK中学校の3年生に聞いても全員が「高校進学をしたい。」という答えが返ってくるのである。もちろん保護者の「今の時代,高校ぐらいは出てないと,ろくな就職もできない。ましてや今は不況だから。」という声に不承不承,高校進学を口にするのかもしれないが…。

 

 このような現状を永山彦三郎は,「サーフィン型学校が子どもを救う!-『やり直し可能』な教育システムへ―」(平凡社新書 平凡社 2001年)の中で次のように述べている。

 

 高校入試というきわめて一元化された出口に向かってひたすら偏差値をあげる仕事が残るわけです。そしてそのレースにはほぼ全員の同世代の子どもが参加せざるを得ない。最終的には試験の偏差値と内申書とで子どもたちは各高校に振り分けられていきます。それは文部省がいくらさまざまな改革に着手しても、ここ25年間まったく変わっていない、どころかどんどん管理一元化され、逃げ場がなくなっています。(p142)

 

 とすれば,友達と表面的な人間関係しか築けず,排除されることを極端に恐れている現在の中学生にとって,高校入試は「自分だけ落ちたらどうしよう。」という強い抑圧と大きな不安をもたらす元凶になるのである。このようなプレッシャーに脅えながら,授業を受けている中学生にとって「学ぶ楽しさや喜び」を味わわせようと授業を工夫する教師の善意は,「手っ取り早くテストの点を上げるための受験マニュアルを教えてほしい。」という本音から言えば有り難迷惑なのである。特に低学力の生徒にとっては,中学校の授業を受けるということ自体を身体性で納得していない訳であるから,「高校には行かなければいけないが,そのための勉強には興味がない。」というジレンマに苛まれることになり,内面的には不安定の状態で日々の学校生活を過ごすことになる。何か面白そうなことがあれば常に気が奪われてしまう,浮ついた生活態度の日常も無理からぬことかもしれない。

 

 以上,現在の中学校という教育現場のもつアポリアを素描してきた。これらの事態が中学校の学習指導や生徒指導のあり方に大きな影響を与えることは想像に難くないであろうが,もう一つ忘れてはならないことがある。それは,中学生が13~15歳という年齢の子どもであり,発達的には「思春期」と言われる心身の激動の時代を生きているという事実である。このことが中学校という教育現場で子どもとかかわる教師のあり方にとって,さらに大きなアポリアを提起するのである。

 

 そこで,次節ではこのことを臨床的な実態も踏まえながら考察してみたい。

(次回へ続く)