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「手の散歩」を見直す!~外山滋比古著『「いつ死んでもいい」老い方』を読んで~

 先日、市立中央図書館から借りた本は二冊ある。一冊は、前回の記事で紹介した『健康の味』(南伸坊著)。もう一冊は、今回取り上げる『「いつ死んでもいい」老い方』(外山滋比古著)である。外山氏は英文学専攻の文学博士であり、名の知れた評論家・エッセイストでもある。今までに200万部以上読まれるほどの大ベストセラーになった『思考の整理学』の著者で、その他多数の著書がある。その中でも本書は、外山氏が今(95歳)から7年前の88歳の時に自分を励ますために、ピンピンコロリの生き方について書いたエッセイ集である。

 

 そこで今回は、本書に所収されている「手にも散歩」というエッセイに刺激を受けて、「手の散歩」について私自身が見直したことを綴ってみたいと思う。

 

 多くの生活習慣病を誘発するメタボリック・シンドロームにならないように、近年は手軽な有酸素運動であるウォーキングを行う人が目立つようになった。ウォーキングはもちろん全身運動だが、どうしても歩く方に目が向きがちであり「足の運動」の側面が強調される。特に最近は老化による転倒を防止するために有効な足の筋トレになると言われる「インターバル・ウォーキング(3分間ほど速歩をした後、3分間ほどゆっくり歩くというサイクルを繰り返して行うウォーキング)」が、注目されている。また、足の筋トレの代表格のスクワットも然りである。

 

 著者は言う。「ある調査によると、女性は男性ほど散歩しないのに生活習慣病が男よりすくないそうである。それだけ女の人は手を動かしている、こまごまとした家事は多く手仕事である。これが健康によいという。脚の散歩が足りなくてもたっぷり手の散歩をしていれば運動不足になる心配はすくない。」なるほど「手の散歩」を心掛ければ、運動不足は補えるのか!ちょっと意表を突かれた感じである。

 

 では、「手の散歩」とは、どのような手の運動をすればよいのだろうか。

 

 著者が例として挙げているのは、「編み物」「オーケストラの指揮」「欧文タイプ打ち(パソコンの入力)」「炊事等の家事」「ラジオ体操」「水泳」等である。私は初めの2つについては、やる気も才能もない。次の「パソコンの入力」については、当ブログに投稿するための記事を綴っているので既に実践している。また、「炊事等の家事」については、今は「布団の上げ下ろし」「アイロン掛け」「ゴミ出し」をしているだけだが、いずれ完全にリタイアをしたら炊事にもチャレンジをしてみたいと考えている。さらに、「ラジオ体操」や「水泳」については、今のところほとんどしていないが、それらの運動やスポーツに類するものとして「ストレッチ」や「テニス」を日常的に実践している。考えてみれば、私は現在の日々の生活の中に、著者のいう「手の散歩」なるものを結構取り入れているではないか!

 

 しかし、よくよく考えてみれば、上述した「手の散歩」なるものはそのほとんどが全身運動であり、殊更「手の散歩」と呼べるようなものではないと思う。そこで、私なりに「手の散歩」になりそうな運動について思い巡らせてみた。…「手だけ阿波踊り」「手だけ応援団」「手だけYMCAダンス」「一人ジャンケン」「その他の手遊び」…なんていうのは、どうだろうか?でも、「手だけ○○」というのは、わざわざ手だけでするよりも全身を使って動いた方がより運動効果がありそうである。それに比べて、「一人ジャンケン」「その他の手遊び」については「頭の散歩」も兼ねているので、「生活習慣病」や「認知症」の予防のためには最も有効かもしれない。ただし、面白いかどうかは保証の限りではないが…。

 

 もし将来、何らかの事情で車椅子生活を余儀なくされたら、私はできないことを嘆くより、今の自分なりにできることを楽しみながら見出したいと思う。ただし、私の現在の心中はそのような将来的なことより、現在実践している以外の「手の散歩」なるものの実践を如何にして日常生活に取り入れていこうかと思案中である。読者の皆様も「手の散歩」について見直し、私と一緒にできることから実践してみませんか!?