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「こども哲学」の理論と実践に関する理解を深めたよ!~河野哲也著『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』から学ぶ~

   いよいよ年の瀬も押し迫り世間が何かと慌ただしくなっているというのに、私は「哲学対話」=「哲学カフェ」の具体的な実践に向けての意欲が次第に高まってきて、何か参考になりそうな本はないかとついつい近くの書店に足が向いてしまう。そのような中、我が家の年末恒例の玄関や外回りの大掃除を早めにやり終えた私は、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』(河野哲也著)という本を購入して読んだ。本書を読んだ理由は、「哲学対話」=「哲学カフェ」の始まりが学校における哲学の教育方法であったと言われているので、それなら本家本元の「こども哲学」の理論や実践に関して理解を深めようと思ったからである。

 

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   そこで、まず本書の内容に入る前に著者の専門領域や研究業績等について触れつつ、私が「こども哲学」に関する複数の本の中からなぜ本書を選んだかについても述べておきたい。

 

 著者の河野氏は哲学・倫理学等が専門で、現在、立教大学文学部教育学科教授。「道徳」の教科化への動きが話題になっていた5年ほど前に、私は著者が著した『道徳を問いなおす―リベラリズムと教育のゆくえ―』を読んで、これからの道徳教育の在り方について多くの示唆を得ていた。その中の一つが、これからの道徳教育は従来の「道徳」の授業を中核としたものではなく、「市民性(シチズンシップ)教育」を中核にしたものに変革していく必要があるという見識であった。またもう一つが、対話形式の哲学教育である「こども哲学」が道徳教育においても実践的有効性があるという主張であった。今回、改めて「こども哲学」の理論と実践に関する本の中から本書を選んだのは、この時に著者の道徳教育についての考えに強く共感したことを思い出したからである。

 

 では、本書に述べている「こども哲学」の理論と実践についての内容をなるべく簡潔にまとめ、私なりの所感を書き加えてみよう。

 

 まず、理論編から。著者は「哲学とは、思い込みを愛するのではなく、思い込みを排して、ひたすら真理を愛して探究する行為です。」「哲学とは、いろいろな経験を何とか結び合わせてみようとする思考そのものです。」というように、哲学という知的営為は単に知識を所有することではないと断言している。また、「対話とは、驚きから始まり、探求と思考によって進む会話のことです。」「対話とは、他者に触発されて生じる思考のやりとりであり、古来から普通の人びとの間で重視されてきたのです。」というように、哲学の対話は個々の人間の立場や属性はさておき、一人の人間として他の人間に向かって話しかけ、一緒に真理を追究することだと主張している。私は、「哲学対話」のエッセンスは、これらの内容に集約していると感じた。「哲学対話」というのは、「ごく一般の市民が平等な立場で公平に対話することを通して、日常生活の中に埋没している真理を探究していく活動」なのだと再認識した。

 

 さらに、著者は「こども哲学とは、こどもとともに行う対話型の哲学的探求です。」と定義付け、世界中で「こども哲学」が広がっている一番の理由は「こどもにとっても大人にとっても楽しい知的活動だから。」と記している。その楽しい理由としては「哲学的テーマの面白さ」と「対話することそのもの面白さ」を挙げ、その中の対話の面白さの理由として「自分の個性を押し出すこと(自己表現)ができること」「他の人たちと共同して同じテーマの探求(共同作業)に取り組み、一緒に真理を求める旅に出ること」、そして「自己表現と共同作業が同時にできること」を挙げている。私は、著者が副題にあるような「子どもに思考力と対話力を育てること」を「こども哲学」が広がっている理由として一番に挙げるのかと思っていたので、上述のような理由を強調していたので驚くとともに、強く共感した。「何事でも取り組むモチベーションとして大事にされるのは、外的要因よりも内的要因」なのだと再認識した。

 

 次に、実践編へ進んでみよう。本書では後半で「こども哲学」の具体的な実践方法が説明されているのだが、その中で私が一番注目したのは「対話のファシリテーターの役割」である。その理由は、これから「哲学対話」=「哲学カフェ」を開催するに当たって、最初は私自身がファシリテーターの役目を担おうと考えているからである。したがって、私は実践編の中に対話のファシリテーターのマニュアルを求めていた。しかし、その期待は見事に打ち砕かれた。著者は実践の原則を記した部分の最初に「哲学対話に絶対の方法などない。」「哲学対話にはマニュアルはありません。」と断言している。

 

    しかし、そうは言っても著者は「自分の個性を認識しながら、哲学対話の方法とファシリテーションの方法を自分で探求してください。」とアドバイスをしてくれた上で、次のような「対話のファシリテーターの役割」の幾つかの原則を示してくれていた。

○ 人の話をきちんと聞くということを参加者に守ってもらうなど、対話の場のセーフティを一番大事にすること。

○ 誰もが発言しやすくなる配慮をしながら、多様な意見や質問が出るような共同体づくりをすること。

○ 全てのメンバーが手順や進行状況を理解しているかを確認しながら、ゆっくり話したり進行したりすること。

 

 最後に、著者が“あとがき”で次のように書いている箇所を読んで、私がこれから行おうとしている「哲学対話」=「哲学カフェ」の具体的な実践に向けて背中を後押ししてくれているように感じた。「…哲学対話は何よりも楽しいものです。それは人生に意味づけを与えてくれる作業だからです。…」

 

 追伸;いろいろな出来事があった本年も後2日になってしまいました。昨年12月から始めた当ブログの運営は四苦八苦しながらもやっと丸一年が過ぎました。当記事が本年最後の記事になりましたが、お忙しいなか目を通してくださった読者の皆様には心より感謝しています。どうか来年も懲りないで、当ブログの記事を愛読してくだされば、運営者としてはこの上ない喜びです。次回の記事を投稿するのはおそらく正月三が日を過ぎてからになりそうですが、それまでのお別れです。では皆様、良い年をお迎えください。