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第二の人生のファースト・ステージ5年間を振り返って…

 令和2年3月31日付けで、私は(公益財団法人)県スポーツ振興事業団を定年退職した。言い換えれば、今日で第二の人生のファースト・ステージを閉幕することになったのである。教職生活38年間の後、生涯スポーツ社会の実現を目指して、各種のスポーツや運動の普及・振興を図る事業に携わってきた5年間であったが、自分なりに新たな事業を企画・構想して前向きに仕事に取り組んできたつもりである。その意味で、悔いのない充実した時間を過ごすことができた。

 

 そこで今回は、この5年間を振り返って、第二の人生のファースト・ステージを私なりに総括してみたいと思う。

 

 当事業団の振興課長として就任した5年前(平成27年度)、私が担当になった夜間卓球教室の初日の準備中に、卓球台が倒れて受講者の女性が左大腿部を打撲するという事故があったことを、今でも鮮明に覚えている。幸い怪我自体は大したことがなく、すぐに完治したようであった。その事故の際に私が対応した内容は、当該女性に対して打撲の具合を確認して丁寧に謝罪したこと、スポーツ保険に加入していることを確認した上で総務管理課長に病院を受診される際の手続き説明を依頼したこと、事故現場の状況把握と目撃者による事故の事情聴取をしたことなどである。慌てていた割には概ね適切な対応ができたと思うが、事故原因が卓球台のキャスターの故障だったので、改めて「スポーツ指導」における安全管理の大切さを痛感した出来事であった。

 

 初年度の前期、私は水曜日の午後テニス教室も担当していた。しかし、私はそれまでテニスをした経験がほとんどなかったので、当事業団へ派遣されていた高校教員の一人からテニスの実技指導を受けていた。その先生は最初フォアハンド・ストロークの技能を初心者向きに丁寧に教えてくれたが、私はなかなか技能が向上しなかった。40代以降ほとんど球技をしなくなっていたので20年ほどのブランクがある上、身に付いた野球のバットスイングの癖がなかなか直らず、今から思えば本当に酷いものであった。でも、何とかしてテニスの基本及び指導技術を高めたくて、時には脚が痙攣するほど練習する日もあった。その後、約1年が過ぎようとする頃になって、やっと人並みにフォアハンド・ストロークやボレーができるようになり、それからは徐々にテニスをするのが楽しくなってきた。ところが、2年目(平成28年度)の11月21日、テニスの練習ゲーム中に左腰を強く捻ったために腰椎椎間板ヘルニアになり、左脚の激痛という症状のために約1か月の病気休暇を取らなければならなかった時は、仕事面で大変迷惑を掛けてしまったという申し訳ない気持ちもあり、今振り返っても本当に辛く苦しい日々を送った。

 

 2~3年目(平成28~29年度)に掛けての一番の思い出は、「国体開催前イベント」を県下5市町で開催することができたことである。この事業は、当事業団として国体を盛り上げるとともに、広域スポーツセンターとして県下の総合型地域スポーツクラブと市町行政との良好な関係を構築するために新規に構想・企画したもので、それまでの「スポーツデー開催事業」の予算を充当して実施した。その中で私も参加したのは、「ラグビーフットボール競技」を開催する市と町、「ソフトボール成人女子競技」を開催する市の3つの市町でのイベントであった。どの市町でもトップアスリートが生で指導してくれる「スポーツ教室」が充実していて、指導を受けている子どもたちの瞳がランランと輝いている姿に“夢”と“希望”を感じるイベントだった。また、当事業団にとっては、市町行政と共催する事業は初めての試みだったので、この成功はこれからの事業の在り方を考える上でとても有意義な取組になったと自負している。

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 次に、3~4年目(平成29~30年度)に掛けての一番の思い出は、当総合運動公園で「ファミリースポーツフェスタ」を開催することを目指して、地元の民間放送局と共催して構想・企画するために何度も協議を重ねた経験である。この事業は、国体のレガシーを活かし、「ファミリースポーツ」という視点に立つ新たな事業を構想・企画したもので、前述の「国体開催前イベント」を引き継ぎ、やはり「スポーツデー開催事業」の予算を充当して実施した。目的は、県民が国体を機に運動やスポーツへの関心を高めている情況を踏まえ、終了後も家族で運動やスポーツに親しむことができる場を提供することで、結果的に県民の週1回以上のスポーツ実施率の目標値(66.6%)を達成していこうとする取組であった。平成30年10月8日(月;体育の日)、爽やかな秋晴れの下、「第1回 ファミリースポーツフェスタ」を当総合運動公園で開催した。

 

     元世界チャンピョンを講師とした「芝生ヨガ」、元オリンピアンを講師とした「走り方教室」をはじめとして、県下の総合型クラブにも協力してもらった「ニュースポーツ体験会」、誰でも楽しめる「ゆるスポーツ」や「子育て応援スポーツ」「ファミリーコーナー」等のイベントで、県内の約800人の家族連れが元気に身体を動かしてくれた。また、多くのキッチンカーが並ぶグルメイベントも好評で、大変盛り上がったスポーツイベントになった。ただし、次回の開催に向けて計画している中、県の担当課から「パラスポフェスタと合同開催しないか。」とお誘いがあり前向きに検討を重ねていったにもかかわらず、年度が変わってから県側の都合で一方的に約束が反故されて、本年度「第2回 ファミリースポーツフェスタ」が実現できなかったことは、大変口惜しいことであった。

 

 他にも、反省すべきことがあった。それは、平成27年度に「個人情報漏えい事案」、同28年度に「イラストの著作権侵害事案」が起きたことである。「個人情報漏えい事案」は、当運動公園のHPに掲載しているスポーツ教室の「受講者申込書」のエクセルに、過去のレクバレー教室の受講者10名の氏名・年齢・住所・電話番号等の個人情報をあやまって添付してしまったのである。「イラストの著作権侵害事案」は、広域スポーツセンターが発刊している「総合型クラブだより」にインターネット上の無料イラストを使用したが、それが著作権侵害に当たるとある企業から指摘されたのである。結果的に、どちらの事案も担当職員が十分に精査して業務を遂行しなかったこと、起案した際に上司によるチェック機能が十分に働かなかったことが原因であり、課長としての私にも大いに反省すべき点があった。先の事案では、県庁記者クラブを通じた記者会見。後の事案では、訴えてきた企業との交渉、等々。今思い出しても、冷や汗の出ることが多く当事業団に対しては大変申し訳ないと恥じ入る場面であったが、自分の組織マネジメントの在り方や職員の業務遂行の姿勢や態度等を問い直すよい契機になったことだけが救いになった。

 

   最後に、私なりに継続してきた取組の一つとして、課長通信「もしもし生涯スポーツだより」の作成・発行について一言触れたい。私は市内小・中学校の校長職に就いている時、校長として所属の教職員に向けて、学校経営方針や教育実践への考え・思いなどをエッセイ風に綴ったA4版1枚程度の校長通信「もしもし通信」を定期的に発行し配布していた。それが予想以上に校長と教職員との心の交流に活かされていたので、振興課長として勤務することが決まってからも何らかの形で継続しようと決めていた。「もしもし生涯スポーツだより」は、そのような私の思いを形にしたものである。内容は、担当業務に関する私の基本方針や考え・思い、時には「健康・スポーツ」に関する本を読んで学んだことなどをまとめたりもした。その発刊数は1年目35、2年目37、3年目42、4年目36、5年目27、合計すると177にもなった。果たして私が思い描いたように機能したかどうかは定かではないが、自分なりには「よく頑張った!」と自己満足している。

 

 以上、さまざまな出来事があった5年間だったが、第二の人生のファースト・ステージは私にとって学びの多い時間になった。これからセカンド・ステージが始まるわけだが、まだ就職先が決まっていない。以前の記事では、教職員共済生活協同組合の本県営業所に勤務する予定であると記していたが、事情があってそれは叶わなかった。しかし、なるべく早く就職先を見つけて、充実した日々を送ることができるように前向きに取り組んでいきたい。老いてなお、気力旺盛な私である!