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子どもの才能を伸ばす親とは…~歴史学者・磯田通史氏の子どもの頃の話から~

 先日、第10回伊丹十三賞を受賞した歴史学者磯田道史氏の記念講演を、松山市にある子規記念博物館において拝聴する機会を得た。講演内容は、地元の史跡「湯築城」(湯月城とも書く)や「松山城」の特徴やそれらを築城した「河野通盛氏」や「加藤嘉明氏」の経歴、また地元の俳人正岡子規」や軍人「秋山真之」の著作物の解釈等にも及んで、歴史好きの私には大変興味深いものであった。しかし、それ以上に私が強く関心を抱いたのは、講演の導入部分で語られた磯田氏の「子どもの頃の話」であった。

 

 

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  小学生の頃の磯田少年は、自分が疑問に思ったり興味・関心をもったりしたことに対してはとことん追究しないと気が済まない性分だったらしい。例えば、次のようなエピソード。

 

○ 「神」は本当にいるのかと疑問をもち、自分で割り箸を使って「満点神社」を作り、1週間ほど本物の祝詞を唱えながら拝んでからテストに臨んだそうである。その結果がテスト勉強に励んで臨んだ他日のテストと比べてよくなかったので、「神」はいないと結論を出したこと。

 

○ 夢中になって取り組んでいた土器探しの過程で、天然の石器に使われる天然ガラス「黒曜石」を手に入れたくて、親にねだって岡山県から島根県隠岐島まで出かけて苦労しながらも手に入れたこと。

 

○ 自宅で犬を飼っていたので、愛媛県上浮穴郡にある上黒岩岩陰遺跡(縄文時代の遺跡)で老いた犬の骨が出たことを知ると、どうしてもそこへ行きたいと親にねだって見学・調査をしに行ったこと。

 

 まだ他にもエピソードはあったが、「どうしても、やってみたい。行ってみたい。」という思いを正直に行動してしまう磯田少年のパワーには参ってしまった。ところが、小学校低学年の頃は、平仮名や数字を書かないし、九九は覚えなかったらしい。私が親なら「学校の勉強をちゃんとやってから、自分の好きなことをしなさい!」と叱ってしまうかもしれない。その後、磯田少年は自分の追究したいことを実現するためには平仮名や数字、九九等の勉強は必要だと気付き、積極的に習得していったとのこと。自然や社会の事物・事象について本気で追究しようとしたら、「読み・書き・計算」等の基礎学力の習得はどうしても必要になる。ただ、その必要性を実感するのは少し時間がかかるのだ。

 

 私は磯田氏の「子どもの頃の話」を聴きながら、子どもの才能を伸ばす親の在り方を考えさされた。とかく親は自分の子の将来を考えて、皆と同じ程度の基礎学力や学習能力を身に付けさせたいと考える。でも、そのような考え方が子どもの才能の芽を摘んでしまうことに…。磯田氏の両親は、反社会的な行動でなければ磯田少年が興味・関心をもって行動することを認め、温かく支援してきたのだと私は思う。実際は自分の知的な欲求のまま行動する磯田少年の姿を見て、「しょうがないなあ。身の安全さえ確保できるのなら、好きなようにさせるしかないか。」という気持ちで接するしかなかったのかも知れないが…。