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「探究的な学び」の実践とその必要性について考える!~「愛媛教育研究大会」に参加して~

 2月2日(金)に年休を取って、愛媛大学教育学部附属幼稚園・小学校で開催された「第102回 愛媛教育研究大会」に参加した。午前中は、附属小学校で公開された授業の中から6年生のくすのき学習(総合的な学習の時間)の単元「共に燦めけ 道後の町とわたしたち」、1年生のぎんなん学習(生活科)の単元「いちほしたんけんたい!ふゆもたのしもう」、3年生の国語科の単元「深い読みから自己と対話する―成長とは―」の3つを参観させてもらった。また、午後からはくすのき学習の研究協議会へ参加し、その後は体育館で行われた講演「そもそも『探究』は何のため?~その原理と具体的な方法について~」(講師は熊本大学大学院教育学研究科・准教授 苫野一徳氏)を拝聴した。

 

 附属小学校の今期の研究主題は<子どもが創る「探究的な学び」をデザインする>で、本年度はその3か年研究の2年次に当たる。初年次は、「探究的な学び」を「自分なりに問いをもって、自分なりの方法で追究し、自分なりの納得解にたどり着くような学び」と定義し、その過程で積み重ねる経験を、挑戦【Challenge】、選択【Choice】、協働【Collaboration】、批判的思考【CriticalThinking】、創造【Creativity】、メタ認知【Check】の6つの経験(頭文字を略して「6C」と呼ぶ)として整理している。また、これらの「6C」を経験する子どもの視点に立って単元構想をデザインするために、「探究的な学び」の「ゴール」をいつ設定するかという観点から「ビルドタイプ」と「プロジェクトタイプ」に分類している。さらに、前期研究から継続してきた教師の視点に立った学習過程のデザインである「ツーステージ型」と「スパイラル型」も踏まえて、子どもの視点と教師の視点の両面から「探究モデル」を4つの象限でとらえて実践研究を進めてきている。

 2年次に当たる本年度は、初年次の実践研究を踏まえて「6C」における子どもの姿と教師の「支え方」を整理しながら、質をより深めた実践研究に取り組んでいる。特に教師の「支え方」を「6C」を充実させるという方法と、子どもが学びを自覚できるようにするという方法でとらえ直している。また、評価研究においては、子どもの「学びに向かう力」が涵養されている姿を、「探究的な学び」の実現を通して主体的に取り組み、「学び方」を身に付け、「未来に向かう思いや願い」が表出している姿ととらえて、教師評価や子ども評価、他者評価の観点から具体化してきている。

 

 今回の記事では、以上のような附属小学校の実践理論に基づいた研究成果である公開授業を私なりの視座からどのように評価したのかについて、特に6年生のくすのき学習の授業を取り上げて具体的かつ簡潔に綴ってみたい。また、苫野氏の講演の中で特に私の心に印象深く残っている内容についても若干触れてみたいと考えている。

 

 まず、6年生の「共に燦めけ 道後の町とわたしたち」という単元の公開授業から。2学期までの学習で、子どもたちは身近な地域である「道後」の魅力を調査して観光客に伝える活動を通して、観光客だけでなく地元の人々にも喜んでもらえた経験をし、よりよい町づくりに自分たちにもできることがあることの手応えや、地域に役立つことができたという実感を得てきている。そこで、担任は「100年先も道後が“いい道後”であるために必要なことは何だろう。」という探究課題を提示して、本単元を構想した。単元前半では、子どもたちが調査したりまとめたりしながら考えを深めていく過程で、様々なゲストティーチャー(GT)とのつながりを作り、共に考えていく。単元後半は、“道後燦めきサミット”を開催し、様々な立場の人々と子どもたちが一堂に会し、よりよい町づくりについて話し合うという構想で展開する。本時は、探究課題に対して自分たちなりにまとめた内容をGTに伝えて意見交換する活動を通して、“道後燦めきサミット”へ向けて改善・改良することを見付けるという授業であった。

 

 4つのグループに分かれた子どもたちは、各グループを担当する一人のGTに対して一人一人が自分なりにまとめた提案内容をプレゼンしていき、それに対してGTから良い点や課題点を指摘されてフィードバックを受けた。私の目の前のグルーブでは、「道後温泉の別館を作る」「道後地区に足湯をもっと設置する」「道後地区に緑を増やす」「運行中止している坊ちゃん列車を再開する」などの提案内容をタブレットや画用紙に分かりやすくまとめてプレゼンしていた。それに対して、道後の老舗旅館の社長であるGTは、アンケートの結果を使ったり観光客や地元住民の声を反映したりして意見をまとめていることや、分かりやすい図表を使ったり適切な声の大きさや速さで話したりしていることについて評価する言葉を掛けていた。また、道後温泉の源泉量や事業に係る費用、地域住民と観光客の願いの違いなど、課題になる点も指摘していた。

 

 本時の授業は、現象的には単に子どもたちがGTに対して発表練習をし、それに対してGTがコメントをするというもので、能動的な学習活動が少なかった。また、途中の話合いの場面でも限られた子どもの発言が多く、受動的な子が目立つ授業のように見えた。しかし、よく目を凝らして子どもたちの仕草や表情を見ていると、強い課題意識に支えられた内面を現わしていた。それは、授業の終わりに「振り返りカード」を書く場面で、私の前の子どもたちがキーワードでの振り返りの欄に「温泉の源泉量が少ない」とか「事業に係る費用をどうするか」とか「住民の願いは何か」と書いていたことからも伺える。次時の学習では、このような視点から提案内容を改善・改良して、“道後燦めきサミット”では誰を招待するのか、どのような順番で提案するのかなど、サミット開催に向けての計画について話し合うことになると予想することができた。「よい探究的な学びが実現しているなあ。」というのが、私の実感的な感想であった。

 

 次に、県内外の小学校の先生方が10名ほど参加していた午後の研究協議会の様子についても少し触れておきたい。最初に授業者(くすのき学習の研究担当者)から、研究紀要に掲載されている実践理論に基づいた発表があり、その後、質問や意見等の交換が行われた。質問では、「なぜ100年後なのか。」「誰にとっての“いい道後”なのか。」「どういう経緯で本単元の探究課題を設定したのか。」「4つのグループ編成の視点は何か。」などが出された。私からは「本単元の探究課題にかかわる概念とはどのような内容か。」「探究的な学びにおいて特に重視される、子どもの自己評価力の育成の手立ては。」という質問をした。授業者はどの質問に対しても適切に対応していたので、私は授業者が常に子どもたちの視点を大切にし、その思いや願いを生かすように単元を構想し柔軟に展開していると実感した。「これこそ、探究的な学びを支える教師のあり方の姿だなあ。」と感嘆の言葉がつい漏れてしまった。

 

 最後に、苫野氏の講演の中から特に私の心に強く残った内容について。苫野氏の講演内容は、①「そもそも学校は何のためにある?」 ②「学びのゆるやかな構造転換に向けて」 ③「そもそも『探究』とは何か?どう実践する?」というテーマで構成されていた。①に関しては、「全ての子どもに『自由の相互承認』の感度を育むことを土台に、『自由』に生きるための力を育むため!」ということ。②に関しては、「特に学びの個別化・共同化・プロジェクト化の融合」ということ。③に関しては、「民主主義(自由と自由の相互承認)の成熟のため」ということについて、具体的な事例を紹介しながら熱く語ってくれた。私は、今までに苫野氏のほとんどの編・著書を読んでいたので講演内容は再確認することが多かったが、それでも改めて私の心に鋭く刺さった言葉がある。それは、「『よい学校』には、ほぼ例外なく『対話の文化/仕組み』がある。」という言葉である。このことは、私の過去の教職生活の中で痛感してきたことであり、そして今でも職場やそれ以外の市民生活の中で実感していることだからである。

 

 近代社会が成立し、民主主義を基本理念とする国家が多くなっている現在(専制主義国家の方が民主主義国家より多いのが現状ではあるが・・・)の国際社会においても、未だに人種や宗教、政治体制等の違いによって分断が起きて、その結果として紛争や戦争が勃発している。それぞれの立場や考えなどを絶対化し信念にしてしまった国家や民族がそれ故に「対立」しまい、お互いに排除しようとしてしまう事態。そこでは本当の意味での「対話」が成立していないのである。このような事態は地球規模にまで拡大しなくても、身近な市民社会の中においてもいくらでも見られる。だとすれば、苫野氏が言うように公教育において「自由の相互承認」の感度を培い、「自由」に生きる力を実装化していくことが今こそ、強く求められるのではないだろうか。そのためには、学校で「対話の文化/仕組み」を創り、「探究的な学び」を中核にして公教育の学びの構造転換を図ることが急務なのである。