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「探究」に関する講演を拝聴しての所感あれこれ~藤原さと著『協働する探究のデザイン―社会をよりよくする学びをつくる―』を参考にして~

 11月19日(日)の午前中、愛媛大学教育学部2号館の4階多目的講義室を会場にして開催されたSDGs研修会の講演「協働する探究のデザイン―すべての教師が大切にされる探究―」を拝聴することができた。講師は一般社団法人「こたえのない学校」代表理事で、『協働する探究のデザイン―社会をよりよくする学びをつくる―』の著者である藤原さと氏。私は今回の研修会の案内チラシを初めて見た時に、「探究」という学びに関する基礎的な知識や具体的な実践例を知りたくなった。そこで、早速、本書を購入して目を通してみた。すると、さらに「探究」という学びについての興味がますます沸き、初めて愛媛県へ来るという著者の講演を直接聞いてみたいという思いが募って、今回拝聴する機会を得たというわけである。

 そこで今回は、この研修会で拝聴した講演の中で特に私の心に残った内容の概要と、その所感をまとめてみようと思う。自分勝手な解釈が大いに含まれた記事になると思うが、できるだけ私なりに率直な感想や意見を綴ってみたい。

 

 まず講演の最初の5分間ほどを使って、藤原氏は参加者にマインドフルネスを実体験してもらう「静かな時間」を設定した。このわずかな時間に私は心身共にリラックスした状態になった。藤原氏の娘が小学校1~3年生時に学んだアメリカの公立小学校でも、このような「静かな時間」を授業前に取り入れているらしい。先日私が参観した市内のある小学校の3年生の授業が終始騒々しい感じだったので辟易していたところだったからか、「これ、これ!こういう心身共にリラックスできる静かな時間が、小学校の授業にも必要だよなあ。」とつい呟いてしまった。

 

 続いて、藤原氏は本日の講演内容のプロット説明と簡単な自己紹介をされたが、その中で「こたえのない学校」の一番の使命は「良質な探究学習の一般普及」と語ったことが、私の心に強く刻印された。その理由は、今から30年ほど前に私が愛媛大学教育学部附属小学校に勤務していた時に、活動(経験)単元による総合学習=探究学習の実践的研究を積極的に進めながら一般普及に努めていたが、思うように成果を上げることができなかったという反省があったからである。私は、「こたえのない学校」の取組内容に関心をより高めた。

 

 次に、藤原氏は「探究とは何か」というテーマで話されたが、その中で私がハッとしたことがあった。それは、「探究による学び」と「探究的な学び」の違いについてである。内容としては、「探究による学び」とは偶然性に基づく発生的な学びを意味するが、「探究的な学び」とは結果を想定した予定調和的な学びを意味する。「探究的な学び」を否定するのではないが、教師がそれを自覚して取り組むことが必要であるというような主旨であった。私は、現職の時に各教科の学習指導においても、できるだけ「探究」の過程を尊重した展開を心掛けてきたが、それは「探究による学び」ではなく「探究的な学び」になってしまっていたのではないか。私の胸にチクッと針が刺さった感じが残った。この点について、もう一度自分の教育実践に関する深い省察が必要だと思った。

 

 さらに、「協働する探究の基本構造」というテーマに関する内容で、「探究」の定義には様々なかたちがあるが、それらを包括する優れたものとしてジョン・デューイによる定義を意味付けられ点が私にとって大変納得できるものであった。デューイは、『論理学』の中で、「探究」を「不安から安心への移行」と表現した。そして、これを具体的な過程でとらえると、「不確定な状況」からスタートし、「問題的状況」を経て「提案・計画」に取り組み、「確定的状況」へ至るというスパイラルな流れとして表される。このデューイの定義は、学習指導要領の「総合的な学習の時間」の探究の過程として示されている「課題設定」→「情報収集」→「整理・分析」→「まとめ・表現」においても妥当するものであろう。

 最後に、もう一つ私の心にまだモヤモヤした内容として残っていること、矛盾した表現になるが私の心にぼやっとした残像を明確に残している内容にも触れたい。それは、「概念を使った探究のデザイン」というテーマで話された、アメリカの教育者であるリン・エリクソンが提起した「知識の構造」に関する理解である。エリクソンは、知識を深め知力を発達させる鍵は「低次の思考(事実レベル)」と「高次の思考(概念レベル)」の双方の思考の相乗作用にあると言い、それを「知識の構造」と称する図にして示した。藤原氏は、この図を10年前に見て衝撃を受け、「探究」の世界に足を踏み入れるきっかけとなったと語った。そして、「低次の思考」は事実に関する知識のことで、事実の記憶やトピックの調べ学習によるものであり、「高次の思考」は概念型の取組のことで、「低次の思考」を概念化・一般化・原理化することであり、それは学習を転移するものになると説明した。その上で、次のような「概念を使った探究のデザイン」のポイントを示した。

 

 「概念をベースとした探究学習の設計」のポイントは、「低次の思考」と「高次の思考」を確実に切り分けるとともに、概念とトピックをしっかり分けて考えることが非常に大事になる。ここでは、「低次の思考」は浅い学び、「高次の思考」は深い学びと言い換えてよい。また、概念はトピックから引き出された思考の構築物であり、「時間と空間を超えたもの」という性質をもつものである。つまり、トピックはある時期に、ある特定の場所で起きたことであり、概念は時空間を超えた抽象度の高いことである。例えば、恐竜はある時代のある地域に栄えた生き物であるから、トピックである。その恐竜に関わる事実をまとめ上げる作業は「調べ学習」と言われるものであり、低次の思考の分類に入る。しかし、ここに「絶滅」という概念が入ってくると、私たちは絶滅危惧種のことや人間のもたらす影響等、概念レベルに思考を高度化することになる。ここに、概念を「探究」のカリキュラムに活用することのメリットがあるのである。

 

 確かに、概念を活用するとクラスの誰にとっても自分事の問題として、一緒に考えていくことができる架け橋のような役割を果たすであろう。そして、他人事だと思っていた絶滅危惧種のことを自分事として感じ取ることができるようになっていくかもしれない。このことが他者や世界と繋がる学習の転移を起こすことにも発展すると思われる。しかし・・・。私は抽象的な思考が苦手な特性をもつ学習障害のある子どものことを考えてしまう。「探究による学び」の意義とそのデザインの在り方については理解できるが、その具体的な実践化においてはまだまだ様々な工夫が必要なのではないだろうか。

 

追記:12月15日(金)の18:30~20:00に愛媛大学教育学部附属小学校の1年教室を会場にして開催される「愛媛の探究をつくる会」では、「探究による学びを探究する」というテーマで、哲学対話の手法を活用した話合いの場を設定する予定である。その場で、私は今回の藤原さと氏の講演から学んだことや疑問に思ったことなどを提起して、それに対する他の参加者から様々な意見を聞いてみたいと思った。何だがワクワクしてきた。多くの方々が参加してくれることを願いつつ、今回はこの辺で筆を擱きたい。