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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

孫の「ヒトが人になっていく過程」に感動!そして、感謝!!

      今までほぼ1日置きに遊ぶ時間をもつことができていた2才になったばかりの初孫H(男児)に、土・日を挟んだり昨日まで東京へ出張したりするなどが重なって5日間ほど会えなかった。私はこの間、何とも物足りない気分に陥り、寂しさが心に沁み込んでくるような思いを経験した。「何を大袈裟な!」と笑われそうだが、本当のことだから仕方がない。「孫はかわいい!」と人生の先輩から何度も聞かされてはいたが、初孫ができるまではそれほど気にも留めなかった。しかし、Hと遊びながら日々の成長を見守ることができるような環境に恵まれて、実感として先輩たちの思いに強く共感できるようになった。「孫は目の中に入れても痛くないほど、かわいい!!」のである。今でも目じりが下がりっぱなしになっている顔を、自分でも想像できそうな気分なのである。

 

 そこで今回は、今から9か月ほど前、つまり初孫Hが1才3か月頃にそのような思いを綴った記事があったことを懐かしく思い出したので、それを再構成して掲載したい。

 

                 ※

 

 もうすぐ1歳3か月になる初孫のHは、最近ますます活発になってきた。ハイハイや伝い歩きで素早く移動しているので、もう少しで一人歩行ができると思う。また、遊び道具を操作する能力も急に高まってきた。例えば、玩具のボウリングのピンを畳の上に1本、2本…とバランスを取りながら立てることができるようになった。それから、ボウリングの球を投げて取りに行くという動作も迅速にできるようになった。さらに、今はその球を廊下から和室へ、和室から廊下へと投げ入れたり投げ出したりすることに興味をもち始め、何度も繰り返して遊んでいる。私がその遊ぶ姿を見守っていると、時々私の顔を見る。私は「すごいね。頑張れ。」と拍手をしながら声掛けする。そうすると、ニコッと笑顔を返して、また挑戦する。これ以外にも、私たち祖父母が見守り声援する中で、円柱形のガム入れケース数個を積み上げたり、ガラス瓶の中に入れてある物を出し入れしたり、電燈のスイッチをON/OFFに切り替えたりするなど、何度も試行錯誤しながらではあるが様々な器用な動きができるようになっている。

 

    自分が何かめあてを見つけて挑戦し、それを達成したことを身近な養育者に認められ励まされると、こんな小さな子でも嬉しいという感情が起き、より意欲的に活動しようとするのである。そんな当たり前の出来事にも、私は「ヒトが人になっていく過程とは、このようなことなのだなあ…。」とつい胸を熱くする。個別的な存在であるヒトは、次第に「社会的・関係的な存在」(人)になっていく。他者から認められ励まされると嬉しくなり、より意欲的に生きようとする姿は、まさに「ヒトが人として生きるようになった姿」だ。

 

 そういえば、このような身体の発達に伴って、「ヒトが人となっていく」証しでもある発語の内容にも変化が見られるようになった。ついこの間までは意味不明の「あーっ。うーっ。」というような声を発していたのが、最近は食事の時間が近づいてくると「まんま、まんま。」という有意味言語を発するようになった。まだまだその数は少ないが、次はどのような有意味言語を発するのか楽しみである。しかし、それと共に大切なのは人間のもつ「ノンバーバル・コミュニケーション能力」である。孫は、サッシの窓の開け閉めをしたいと思った時は、自分ではその高さまで手が届かないので私の脚を掴み、「僕を抱っこして、サッシの窓の所に連れて行って!」と訴えるような眼差しを向けるのである。これこそ、現在の心身の発達状況の中で自分のめあてを達成するために必要な「ノンバーバルなコミュニケーション能力」を発揮している姿である。こんな時にも私は「ヒトが人になっていく過程とは、このようなことなのだなあ…。」としみじみ感動する。「じじバカ」なのは分かっているが、孫の「ヒトが人になっていく過程」を見守ることができるのは祖父としては本当に有難く、幸せなことだ。私の両親をはじめとするご先祖様や妻、長女夫婦、そして孫に感謝!感謝!!

 

 ところで、近年の「子ども学」の研究成果には目を見張るものがある。その中でも私が特に注目しているのは、現象学的なアプローチによる「子ども学」の研究成果である。『子ども学序説~変わる子ども、変わらぬ子ども~』(浜田寿美男著)は、子どもが生きる世界の構図を描き、“子どもである”という条件を生きることの意味を考えるという現象学的なアプローチから綴った「子ども学」の珠玉の書である。その中で「人は単独の個体としてその人生をはじめるのではなく、最初から他者の存在を予定したかたちで生まれ出、他者との振る舞いのやりとりのなかで育つ。」という一文を読んだ時、私はハッとした。…「ヒトは初めから人なのか!?」