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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

定年退職後、あなたはどのような生き方をしますか?

     先週末、連チャンで祝賀会的な飲み会があり、久し振りに懐かしい方々と親しく会話することができて本当に愉快な一時を過ごすことができた。

 

    一つは、私が校長として在任した市内のある中学校で一緒に勤務した二人の先生が、市立中学校長を最後にして昨年度末に定年退職したことをお祝いする宴会だった。この会は元々、4年前に私が定年退職した際にその祝賀会として発足し、それ以後私の名前に因んだ「○○会」と称して毎年定期的に催されてきた会である。当日の会話の内容は、どうしても二人の定年退職後の近況になる。一人は市立幼稚園長をして、園児たちと毎日楽しく関わっているとのこと。「在園する全ての園児のベストショットを撮り、パソコンに一人一人の園児別フォルダを作ってストックしている。」と園長の顔になって、喜々として語っていたのが脳裏に焼き付いた。もう一人は市立小学校に中学年の外国語活動や高学年の外国語科(英語科)の専科教員として再任用され、週22時間の授業を担当しているとのこと。「高学年の子はともかくも中学年の子の扱いには戸惑っている。でも、また教え子が増えるのが嬉しい。」と教師の顔になって、苦笑いをしながら語る姿が印象的だった。また、二人とも「お陰で血圧が下がって、体調がよくなったのが有難い。」と、血色のよい顔で照れ笑いをしていた。

 

 もう一つの会は、今年の春の叙勲や昨年度の文部科学大臣表彰、県教職員選賞を受賞された先生方の祝賀会だった。受賞者8名の中には私が現職中に特に関わりの深かった先生が5名もいたので、ぜひお祝いの気持ちを表したくて参加したのである。この会は、県内義務教育関係者の中で春や秋の叙勲等を受けた方々をお祝いする会で、年に2回開催され今回で「第127回」を数えている。私は現職最後の年に本県義務教育関係の教職員のほとんどが入会している教育研究団体の会長職に就いていたので、本会の会員名簿に名を連ねている。退職後もできるだけ参加させてもらい、多くの先輩から人生の極意を教えられたり、多くの後輩を激励したりする有益な交流の場とさせていただいている。当日は、受賞された先輩から陰で私を高く評価してくれていたある先輩の話を聞かせていただき、感銘する場面があった。その先輩とは現職中、教育実践のスタンスに違いがあり口論することもあったので、私としては嫌われていたと思っていただけに、その話を聞いて驚くと共に感謝の念が湧き上がってきたのである。また、受賞された後輩の中の一人からは私が従来から大切にしている人生観や教員観等についての共感的なコメントを聞く場面もあり、ついついよい気分になって盃を重ねてしまった。さらに、受賞された別の後輩との会話の中では、退職後の生き方について触れることもあった。その方は今、地元の教職院大学に勤務しているが、あまりに収入額が低いのを嘆いていた。6月からは本県教育会の事務局員も兼務するらしい。定年退職後の生き方はそれぞれだが、公的年金満額受給までの生活費をどのように確保するかというのは定年後の大きな経済的課題なのである。

 

 ところで、定年退職後丸4年を経た私は、現在、生涯スポーツ社会を実現するための事業を展開している公益財団法人に勤務しているが、ここも本年度末には定年退職することになっている。65歳が定年退職の年齢なのである。しかし、私としてはまだまだ心身共に健康であり勤労意欲も衰えていないので、65歳以降の就職先を何とか探したいと考えていた。そのような中で、先の春の叙勲等を受賞された方々の祝賀会の席において、ある先輩から有難い申し出を受けた。それは、来年度から本県教職員に関係する生活協同組合の県支部長を引き受けてくれないかという打診であった。私はその勤務体制や職務内容等の概要を伺って、願ってもない就職先だと判断し、すぐさま受諾する意思を示した。今後、さらに詳しい勤務及び給与条件等について日を改めて伺うことを約束した。本当に有難いことである。若い頃は自己主張を正当化して他者を批判するような利己的な考え方や生き方をしていた私だったが、不惑の年齢に達した頃から他者との望ましい関係性の在り方について問い直し、利他的な生き方を大切にするようにしたことが、結果としてこのような人間関係を築くことにつながったと思う。やはり望ましい人間関係の構築は、人間の一生をより豊かなものにしてくれるのだなあと改めて実感する日になった。

 

 さて、私が最近寝る前に読んでいる『定年バカ』(勢古浩爾著)という本の中で、著者は次のようなことを主張しているので、紹介してみたい。…定年後は「資金計画を立てなさい」「できるだけ仕事を続けなさい」「健康管理を怠らないように」「現役時代から趣味をもちなさい」「地域社会に溶け込みなさい(地域デビュー)」「家族(特に妻)との関係を見直すように」「ボランティアをしなさい」「交友を広げなさい」というように、多くの定年本には「~しなさい」と提唱されている。そして、それらの一つ一つが全てごもっともである。しかし、定年後どう生きたらいいかについては、「自分の好きにすればよい!」の一言で足りる。…人に誇るべきことは何もしていないが、それなりに満足して「何もしていない生活」を送っている多くの定年後の後衛の人が、ダメの見本として不当に貶められている現状に対して著者は異議申し立てをしているのである。仕事をしている人、地域活動をしている人、高尚な趣味に親しんでいる人などは定年後の前衛の人であるが、前衛も後衛も「好きなこと」をしているということでは、全くの同等の価値である。だから、全ての定年後の人はいろいろな強迫観念から解放されて、楽になるとよい。自由が一番なのであると、本書の最後に結んでいる。

 

 私はどちらかと言えば、今まで定年後の前衛たろうとし過ぎていたのかもしれない。もちろん、経済的な面でやむを得ず仕事はできるだけ続けたいと思っているが、他の面では自分が現在していることが本当に「好きなこと」なのかについて、じっくりと再考してみたいと本書を読んで思った。少なくとも、「何もしていない生活」を送っているように見える人に対して、上から目線で眺めるような精神性に陥らないように心掛けたいものである。