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この半年ほどの間に変容してきた初孫Hの育ちの様子と私たちじじばばのかかわり方について反省的に考える

 今月11日(火)の「建国記念の日」は、男児の初孫Hの満3歳の誕生日であった。「もう3歳になったんだなあ!」というのが、私たちじじばばの偽らざる気持ちである。確か前回、当ブログでHの近況報告的な記事を綴ったのは、昨年6月中旬でHがまだ2歳4か月頃だった。その頃はまだ有意味言語の発語数が幼児の平均よりも少ないようだったのでいろいろと心配していたが、2歳半頃から急に増えてきて、それに伴って身体の動きも徐々に活発になってきた。私たちは、Hが新しく発語することができるようになった言葉を聞いたり、今までできなかった動きができるのを見たりするのが、とても嬉しくて、可愛くて、Hの世話をしたりHと一緒に遊んだりすることが二人の生きがいの一つになっている。

 

 そこで今回は、この半年ほどの間に変容してきたHの育ちの様子と私たちのかかわり方について反省的に考えたことを綴ってみたいと思う。

 

 それまでは大きな声で「あーっ。」「うーっ。」という言葉がほとんどで、たまに「まんま」や「ばあば」という有意味言語ぐらいしか私たちじじばばに話せなかったHが、昨年8月頃になって急にそれ以外の有意味言語を発するようになった。例えば、「よーい、ドン。」というHの声をはっきり聞いたのは、自宅2階の客間に設置してある通称“アンパンマン公園”という遊具の滑り台に、機関車トーマスとその仲間たちを一斉に滑らせて遊んでいる時だった。また、娘たち(私たちの子ども)が幼い頃使っていたおママゴトセットで遊んでいた時には、「はい、どうぞ。」と言って私たちに食べ物を盛った皿を手渡してくれた。さらに、「ここよっ。」という言葉を聞いたのは、Hが応接セットのソファーの後ろに隠れていた時、私が「Hくんは、どこにいるのかな?」と言いながら探している時だった。私たちじじばばは「何て、可愛い声を出すのだ!」と感嘆の声を上げてしまった。

 

 これらの有意味言語は、どうやら9月に開催される保育園の運動会の練習時に、年上の幼児たちがやっている種目の演技中の言葉や保育士さんたちが発している号令等をマネしているらしかった。「Hもやっと各種神経の発達が進み、おしゃべりできる状況になってきたんだね。」と、私たちはHがしゃべっている動画をスマホで見せ合いながら喜んだ。ただし、この時期になっても、まだ「バス」のことを「あうあ」としか発語できなかった。なぜ、「あうあ」なのか最初は分からなかったが、近くのデパート屋上にある観覧車にHと一緒に乗った時、私たちが窓から下を見て「Hくん、ほら、バスだ!」と何度も話し掛けたことがあった。その時、初めてHが「あうあ」と言ったことから想像すると、「バスだ」という言葉を発しようとしても子音がまだ発しにくい口や舌の神経発達の状況だったのではないか。だから、Hは母音だけを拾い「あうあ」と発したのではないか。これが私たちの仮説であった。私たちは子音を発する際の口形、口や舌の筋肉の動かせ方等を実際に行いながら研究した。そして、遊びながら口や舌の神経発達を促すような遊びはないかと考え、その目的に適う玩具を探してみた。そして、「簡単なラッパ」「水笛」「吹き出し」等の玩具を購入し、時々Hを預かる際に遊ばせてみた。Hはどれも一応は試してはみるが、なかなか継続して遊んでくれなかった。しかし、そんな中でも一番興味を示して気に入ったのが、昔から夜店で売っている「吹き出し」という玩具であった。Hは私たちの顔の方へ向けて吹き、私たちが驚いた様子をすると喜び、何度も何度もやっていた。

 

 次に、話を「身体全体の動き」に転じてみよう。Hは2歳半頃までは発語数が少ないだけでなく、身体全体の動きもやや緩慢であった。2歳半頃までは前述した“アンパンマン公園”の滑り台を滑るのも怖いのか、私たちが手を添えてやるとやっと滑るという状態であったし、備え付けのブランコには乗ることもできなかった。また、2足歩行もまだ覚束ない様子であった。もちろんHは保育園に通っているので、日常的にそれらの遊びを経験する機会があると思うが、家庭への連絡ノートの記述内容にはそのような経験が頻繁にある様子ではなかった。だから、私たちはできるだけ“アンパンマン公園”で遊ぶ機会を増やそうと上手に誘ったり、近所にある本物の公園に連れて行ったりして、滑り台で遊んだり広場スペースで走り回ったりする経験を少しずつ積み重ねていった。その成果かどうか確証はないが、Hは昨年9月頃からは滑り台を滑るのが好きになり、滑るスピードも速くなってきた。また、“アンパンマン公園”の備え付けのブランコに乗り、勢いよく漕ぐこともできるようになった。ただし、この時期でも大型の滑り台には尻込みし、本物の公園のブランコには乗りたがらなかった。そこで、私たちはHを一日預かった日に、郊外電車に乗っていろいろな形状のカラフルな滑り台がある人気の公園へ連れて行き、Hの気の向くまま自由に遊ばせてやった。Hは大きな声を発しながら何度も何度もいろいろな形状の滑り台から滑り下り、最後はそれまでは上手にできなかった両足ジャンプにも挑戦していた。

 

 満3歳の誕生日を迎えたHは、現在、名詞や動詞・助詞等の多くの有意味言語を発するようになっている。「じいじ、トーマス、取って。」とか「ばあばのチャーハン、好き。」とか、私たちとスムーズな日常会話ができるようになった。また、昨年11月下旬に開催された保育園の生活発表会では自分の名前を聞かれて、「○○ち○○た、です。」というところを「ちたで!」と言っていたが、今では「○○ち○○た、です。」と大きな声で言え、年齢を尋ねられても「3さいです。」とはっきり言えるようになった。さらに、大型の滑り台でも得意そうに滑ったり、両足ジャンプもしっかりと跳べるようになったりしている。

 

 しかし、先日、長女(Hの母親)が保育園の懇談会で担任の保育士さんから聞いたところによると、「今はまだ2語文で話しているので、3語文で話すように、目的語になる物や人について尋ねるなどの会話をするとよい。」とか「まだブランコに乗るのを怖がるので、バスタオルに乗せて大人二人が揺らしてあげる遊びをさせるとよい。」とかのアドバイスを受けたそうである。そう言えば、私たちじじばばの今までのHへのかかわり方は、まだまだ積極的ではなかったかもしれない。もちろんHの思いや意志を無視して、何でも大人の思いや考えを押し付けることはよくない。しかし、発達を促すような、ちょっと難しいことに挑戦させることを躊躇してはならないであろう。Hとかかわる機会やその頻度は限られているが、Hとかかわる大人である私たちじじばばができることは、〈Hの発達状況をできるだけ正しく把握しつつ、その発達を促すためのちょっと難しい課題を踏まえた楽しい遊びを提示して一緒に遊び、少しでもできるようになったりより上手にできるようになったらしっかりと認めて褒めてやること〉だと、改めて認識した次第である。

 

 これからも、できるだけHの発育や発達にとって有効で適切なかかわり方を探りながら、Hと一緒に楽しく遊ぶ中でHのよりよい変容の様子を見逃さずにそれを認めて、できた喜びや楽しさを共に味わうように接しようと思う。こんな幸せなことを味わわせてくれるHに感謝しつつ…。