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孫Hにとっての「じじばばの存在意義」について考える~育児に関する講演を聞いて~

 先月の14日(水)の午後、私の勤務するファミリー・サポート・センター(公益財団法人 男女共同参画推進財団内)が主催する講習会で、育児に関する講演を聞くことができた。元幼稚園長のS先生が長年の経験に裏付けされた様々な事例を紹介しながら、「保育のこころ」について話された講演内容は、孫育て真っ只中の私にとって大変有意義なものであった。

 

 そこで今回は、この講演の中で特に印象深かった内容の概要を紹介しつつ、孫Hにとっての私たち「じじばばの存在意義」について考えたことを綴ってみたいと思う。

 

 まず、S先生の講話内容について。冒頭、S先生は社会や家庭、地域社会の変化によって、安心して子育てができない現在の状況について話された。都市化、核家族化、地域共同体の崩壊等によって、母親が一人で子育ての役割を背負わされて孤立し、疲弊している現状を訴えられた。だから、今こそ社会全体で子どもを育てていく社会、言い換えると「育ち・育てる・育ち合う社会」へ移行していくことが大切だと強調された。その意味で、ファミリー・サポート・センターが行っている相互援助活動は、安心して子育てをする仕組みだと力説された。今、そのセンターでアドバイザー役を担っている私としては、自分の仕事の社会的意義を再認識する場になり、何だか身の引き締まる思いがしてきた。

 

 次に、S先生は子どもが他者に対する信頼感や安心感、さらに自己信頼感を培ってよりよく育っていくためには、心の拠り所としての大人の存在が必要であること、そしてそのためには子どもが泣いたり笑ったりして表現することを大人があるがまま受け止め、それに応答することが最も大事であることなどを、小児科医の渡辺久子先生の「困った時には、良質の言葉を使うとよい。」という教えを交えながらお話してくれた。ここで言う「良質の言葉」とは、「よかったね。」「それでいいよ。」などという肯定的・受容的な言葉のこと。子どもは、それらの言葉を掛けられることによって自己充実感を味わい、能動性を身に付けることができるのである。また、大人との応答的環境や豊かな相互作用の効用について、次のような事例も紹介してくれた。

 

 一つ目は、ある乳児園の事例。S先生が初めてその乳児園を訪れた時、預けられていた赤ちゃんたちは泣いていなかったそうである。その理由は、その赤ちゃんたちは誕生して以来、周りの大人がほとんどかかわってくれない環境で育ったから。いくら泣いても何の応答もないので、無力感を抱いてしまったのである。そこで、その乳児園の保育士さんたちが強く抱きしめたり、受容的にかかわったりすることを繰り返していると、赤ちゃんたちは次第に表情が豊かになり、泣くことで自分の気持ちを表現するようになったそうである。

 

 2つ目は、自閉症の子の事例。ある幼稚園に在園していた自閉症の子が、ずっと絵本を破るという行為を繰り返していた。その理由が分からなかったので、ある保育士がよく観察していたら、その子は怖い場面や悲しい場面のページだけを破っていることが分かった。つまり、否定的な感情を伴う場面を避けようとしていたのである。このことから、この自閉症の子の認知上の特性が分かり、その後よりよいかかわり方を工夫することができたそうである。このことは、自閉症の子だけではなく、全ての子の個性の理解と尊重が保育においていかに大切であるかということを学ぶきっかけになったとのこと。

 

 私は、以上のようなS先生の講話内容を聞きながら、孫Hとかかわる私たち「じじばばの存在意義」について考えていた。比較的近くに住んでいる長女夫婦は仕事が忙しいために、孫を預かる機会の多い私たちじじばばは、Hの健全な育ちにとって本当に必要な大人になっているのだろうか。

 

 現在、3歳8か月になった孫のHは、1年前ごろに心配していた「有意味言語の発語」や「身体の運動能力」等の発育・発達の遅れが嘘のように、よくおしゃべりをしたり活発に身体を使って遊んだりするようになっている。以前の記事に綴ったことがあるが、私たちじじばばはそれらを促すように<Hの発達状況をできるだけ正しく把握しつつ、その発達を促すためのちょっと難しい課題を踏まえた楽しい遊びを提示して一緒に遊び、少しでもできるようになったりより上手にできるようになったりしたらしっかりと認めて褒めてやること>を実行してきたのだが、今その手応えを実感している。もちろんHの発育・発達には、長女夫婦や「認定こども園」の保育士さんの日々のかかわり方が大きく作用している。また、「認定こども園」における友達同士のかかわり合い方が、Hの発育・発達を加速的に促進している。しかし、我田引水の感はあるが、私たちじじばばのかかわり方も大きく貢献しているのではないかと自負している。

 

 私たちじじばばは、Hが0歳の頃からかなりの時間かかわってきた。最初は「人に対する基本的信頼感」という発達課題をスムーズに達成すべく、受容的な眼差しで温かく見守りながら、「良質の言葉」のシャワーを浴びせ続けてきたつもりである。そして、幼児期における「身体の発育」や「ことばの発達」に関する発達課題を意識して、様々な遊具や遊び方を提示しながら一緒に遊びを楽しんできた。その際には、いわゆる「非認知能力」を育むように心掛けてきた。だから、Hは上述したようなよりよい発育・発達の姿を見せてくれたのであろう。そう考えると、今まで私たちじじばばは、孫Hにとってなくてはならなかった存在であったのだ!これからも今までのようなかかわり方を続けていきたい。

 

   ただし、Hが欲しがる玩具をついつい買い与えてしまう傾向があり、少し溺愛している面もあるので、この点は節度を保つ必要があると反省している。これからはHに「社会のルールやマナー」を意識させ、「自制心」を培うようなかかわり方も必要となると考えている。兎にも角にも、このような老後を送ることができているという運命に感謝しつつ、私たちじじばばも常によりよい孫育てができるように学び続けていきたいものである。孫Hにとっての「じじばばの存在意義」を失わないように…。