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「恨み」というネガティブ感情をコントロールするには?…~中野信子+澤田匡人著『正しい恨みの晴らし方―科学で読み解くネガティブ感情―』から学ぶ~

 新型コロナウィルスの感染拡大に備える改正特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を受けて指定された7都府県で、外出自粛要請が出された4月8日(水)の午前中、私はハローワーク職業安定所)に居た。雇用保険の「高年齢求職者給付金」の受給手続きをするとともに、新たな就職先を探すためである。初めて訪れたハローワークの中は、多くの中高年の人々が相談受付に向けて列を作って並んでいた。就活をしている人が意外といることに、私は少し安堵感を覚えた。時間は多少かかったが、私がとりあえず受給手続きを終え、ハローワークを後にしたのは11時半を過ぎていた。

 

 帰宅する自家用車の中で、「本来ならこの4月から新たな職場で働いていたのに…。」という「恨み」がましい気持ちが沸々と湧き上がって来た。というのは、今までの記事の中で数回触れたことがあるが、私は1年ほど前から本県教職員共済生活協同組合の事業所長を受けてほしいと、前任者の方から依頼されて内諾していた。ところが、この話は結局ご破算になってしまった。その理由は、この就任には前任者が推薦した後任候補者に対して本県事業所の幹事長による承認が必要だったらしく、結果的にその幹事長が不承認の意向を示し、さらにあろうことかその幹事長が自薦して所長に就任してしまったからである。あまりに厚顔無恥な所業である。しかも、この就任劇を仲介していた本部の常務理事からの事情説明も一切なく、私は後任候補者として推薦されてから今回の決定までの間、そして現在に至っても全く放置されている。これはあまりに理不尽な対応ではないだろうか。そのために、道義的なことを考慮して次の就職先を見つけなかったのである。

 

    帰路の車中で、「恨み」に似た感情が渦巻いてきて以来この数日間、私はこのネガティブ感情のためか睡眠が十分取れていない。コロナウィルスの感染が拡大している都府県では、休業要請のために廃業に追い込まれそうになっている中小企業の経営者や経済的に日々の暮らしを守るのも厳しい人々がおり、私ごときがこのような境遇に対して愚痴をいうのはおこがましい。また、このような精神状態が続いているのは、決して好ましいものではない。頭では分かっているつもりだが、なかなか現状を脱することができない。できれば、自分の現在の心理を客観的に分析することを通して、よりよい方向へ気持ちを切り替えたいと思っている。

 

 そこで今回は、この「恨み」というネガティブ感情をコントロールすることができるように、最近近くの書店で見つけた『正しい恨みの晴らし方―科学で読み解くネガティブ感情―』(中野信子+澤田匡人著)から学んだことを綴ってみようと思う。

 

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 本書は、「感情」を専門とした心理学者の澤田氏と脳神経科学を専門とする中野氏とが協力して、「恨み」や「妬み」の正体に迫り、それらを有効に活用する術を提案していて、今の私の心理分析にはピッタリの本である。特に澤田氏の執筆した第1章「恨まずにはいられない~心理学の視点から①」は、私の心を客観的にとらえる視点が提供されていて、学ぶことが多かった。

 

 その内容の一つ目は、「恨み」の意味について。澤田氏によると、「恨み」とは「正しくないことをされた」という被害者意識に基づいた怒りである。つまり、自分のプライドを酷く傷つけるようなことをしてきた相手に怒り、その怒りがなかなか収まらない時、それを「恨み」と呼ぶ。まさに今の私の心理状態を指しており、このように概念化されたことで自分の心理を客観的にとらえることができる。この自己客体化によって、私は少し冷静な気持ちになることができた。言わば、患者が自分の症状に対応した病名を医師から診断された時、何だかホッとするような心境になったのである。

 

 二つ目は、その「恨み」を晴らす方法について。澤田氏は、その方法の一つに「仕返し」があり、その中にやられたらやりかえす「報復」(心理学では「反応的攻撃」の一種)、すぐにはやり返さずにいろいろと計画を練ってやり返す「復讐」(心理学では「能動的攻撃」の一種)があると説明している。それらに加えて、不正をなした相手を注意してただそうとする「制裁」もまた、「仕返し」の別形態と考えられる。しかし、現実的に「仕返し」をすることは難しいし、適切な方法とは言えないのではないだろうか。

 

   そこで、澤田氏は実際に「仕返し」せずとも、胸がすく思いになる場合があると、次のようなことを述べている。それは、心理学で「シャーデンフロイデ」(傷がついた喜びというドイツ語で、他人の失敗や不幸を嬉しいと思うこと)と呼ばれる感情を経験することである。ある心理学調査によると、「恨み」を晴らすことに拘れば拘るほど、自らの責任で不幸に見舞われた人に喜びを感じやすくなるという結果が出ており、「恨み」をもたらした傷は「シャーデンフロイデ」によって癒されるかもしれないと考察している。だから、悪いことをした人が不幸になるというエンタメ(「忠臣蔵」や「必殺仕事人」、最近では「半沢直樹」等のテレビドラマや映画、小説等)によって少しでも溜飲が下がるのだったら、それこそ、「正しい恨みの晴らし方」の一つだと提案している。しかし、これは自分の「恨み」を単に誤魔化す方法だと私は思う。それよりは、澤田氏が少し触れている、かつて自分を侮辱した相手に対して立派になった姿を見せつけるという「見返し」の方が、自分の気持ちを前向きにさせる方法ではないだろうか。

 

 最後に、中野氏が執筆した第8章「ネガティブ感情の意味~脳科学の視点から④」の中から、特に私の心に印象深く残った内容を紹介したい。それは、次のようなことである。中野氏は脳神経科学の立場から、ネガティブ感情は個体にとってその生存を有利にするための必要な機能であり、集団内で適切な行動をとらせるという生物学的意味があると言っている。だだ、そのような理屈で説明されてあっさり納得できるほど、感情の処理というのは簡単なものではない。苦い思いをしながら、それでもネガティブ感情を捨て去るわけにもいかず、生きている私たち。ネガティブ感情を抱えているのも脳なら、ネガティブ感情を抱えている自分自身を意識して、それに苦い思いをするのも脳。しかし、脳自体は大きく変化しないが、認知を変えることができる。だから、本章の結びで「ネガティブ感情を思う存分に燃やして暴れるのも自由、上手にコントロールして自己の成長を図ろうとするのも自由。満足のいくように、最高に優雅な生き方を自分でデザインして、そのように生きることが不条理な世界に生まれた私たちの、その「恨み」を晴らすためにできる、最大の復讐ではないしょうか。」と締めくくっている。

 

 私は、自分の人生を「優雅に生きること=満足すること」が、「恨み」というネガティブ感情を晴らす「最大の復讐」であるという考え方に大きな共感を覚えた。だから、私は自分を捉えて離さない「恨み」という現在のネガティブ感情を上手に手懐けながら、常に「今、ここ」において充実した生活が送れるような生き方をしようと改めて決意した!!