ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

時代小説の新たな地平を拓く青山作品の魅力について…~青山文平著『遠縁の女』を読んで~

 私の睡眠時間は、平均すると約5時間である。日によって多少時間のずれはあるが、午後11時頃に入眠して午前4時頃には目が覚める。目が覚めた後は何をしているかというと、枕元に置いている電気スタンドのスイッチを押して点灯し、寝る前に読んでいた本の続きを読むことが多い。でも、しばらくすると目が疲れてくるので、また目をつむってうとうとする。意識は覚醒しているように思うが、時々は夢を見ていることもある。私はこの浅い睡眠状態が結構気に入っているので、そのままでずっと寝床にいたいと思う。しかし、午前7時前になると必ずトイレに行き、その後起床するというルーティンを守っている。週5日のフルタイムの仕事をしているからである。

 

 以前の記事にも書いたが、1日フルタイムの勤務をすると、帰宅してからじっとりと読書をしたり落ち着いてブログの記事を書いたりする時間に余裕がない。だから、月曜日から金曜日までは就寝前後のわずかの時間に読書をしたり、土曜日か日曜日にブログの記事を書いたりしている。ただし、今回の記事は、前の土曜日に昼間は妻とショッピングをし、夜は私の満67歳の誕生日の前祝ということで1年振りに妻と「焼肉」の外食をし、また、昨日の日曜日の昼間は通勤用自転車のサドルを買い替えに行ったり、その自転車で普段なかなか行くことができない市内の古書店回りをしたり、夕方になってからは自宅前の小さな庭に植えている樹木等の剪定作業をしたりしたので、日曜日から月曜日に掛けて綴っているという仕儀なのである。

 

 さて、ここ最近の私の寝床の友は、昼間のストレスを解消するために選んだ『冷たい檻』や『痣』という井岡瞬氏の警察小説であった。私好みのヒューマンなハードボイルドであったりノワールな犯罪ミステリーであったりしたので、十分に堪能して心身のリフレッシュを図ることができた。私は「何を読もうかな」と思案しながら、自宅の本棚にある積読本から次に読む本を探していた。「そうだ、以前に市立中央図書館から借りた単行本を読んで面白かったので、文庫本になった時に購入したまま積読状態にしてあった時代小説があったはず。」と何気なく呟いて手に取ったのが、『遠縁の女』(青山文平著)である。

f:id:moshimoshix:20211018215618j:plain

 青山文平氏直木賞受賞作家であり、2019年12月10日付けの当ブログの記事「“名前”に込められたアイデンティティーや実存性の大切さについて」において取り上げた『半席』の著者である。私は今までに『半席』以外にも、『白樫の樹の下で』『鬼はもとより』『つまをめとらば』『約定』『伊賀の残光』『励み場』『かけおちる』『跳ぶ男』等という青山氏の著作群を読んできた。その結果、藤沢周平乙川優三郎葉室麟・今村翔吾という私好みの時代小説家たちの仲間に、青山氏も最近入ってきた。それほど青山作品に魅入られているのである。

 

 そこで今回は、『遠縁の女』の表題作を取り上げながら、時代小説に新たな地平を拓く青山作品の魅力について綴ってみたいと思う。

 

 江戸開幕から約二百年が経った寛政の世に、徒士頭の父からの勧めで浮世離れした武者修行に出た片倉隆明は、最初の腹積もりは2年間であったが、己の脆いかな字の剣を葬るために百姓たちが駆け巡る野の稽古場で修行に励むうちに5年の歳月を費やしてしまう。そのような中、その野の稽古場で沢村松之助という若い武家と運命的な出会いをし、生死を賭けて木刀を使った仕合をすることを決意することになる。ところが、様々な配慮から仕合う場所を別の土地で行うことになり、その路銀を得るために父からの為替を受け取りに城下の飛脚問屋を訪れると、何と叔父からの便りで父の急逝を知り、急きょ帰国することになった。5年振りの帰国をした隆明を待っていたのは、遠縁に当たる右筆の市川政孝の娘、信江の仕掛ける謎の罠であった。その謎とは何か…。それはぜひ本書を読んでのお楽しみということにしたい。

 

 この表題作「遠縁の女」もそうなのだが、青山作品の多くはその時代背景が江戸時代といっても軍事ではなく行政が必要とされる寛政の世であることに、私は注目している。この時代の幕藩体制は、武力を司る番方ではなく官吏たる役方、とりわけ財政を担う勘定所と監察を司る目付筋こそが組織を支える柱になっているのである。また、商人が台頭し町人文化が花開くのとは裏腹に、武家は確固たる居場所がないこの時代に、武家はどのような生き方をすればよいのか。青山作品の多くは、このような閉塞した武家社会を生きる人間の姿を鮮やかに描き切るのである。それが、今までの時代小説とは違う新たな地平を拓くのである。

 

 このような青山作品の中に描かれる登場人物たちの生き方に、現代社会に生きる私たちの実存性や関係性との類似性を見出し、つい私は自分の日々の生き方について反省的に考え込んでしまう。いかに生き、いかに死んでいくのかという死生観に関する深い思考の穴に私を引き込んでいく青山作品を、これからも味わうことができる幸せを感じている。