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人と人との関係性は発生的に変化していくのがよく分かる物語!~砂原浩太朗著『高瀬庄左衛門御留書』を読んで~

 年に何回か「時代小説が読みたい!」という思いに心が囚われて、古書店の時代小説の棚にどうしても足が向いてしまう時がある。それが6月下旬だった。以前に新刊本が出た時に、「面白そうだな。」と思って気に留めただけの時代小説の単行本を、今回二冊購入した。私の好きな作家の青山文平氏(2016年、『つまをめとらば』で第156回直木三十五賞を受賞)の著作『泳ぐ者』と、私にとっては初めての出会いになった作家の砂原浩太朗氏の著作『高瀬庄左衛門御留書』(第134回山本周五郎賞・候補作、第165回直木三十五賞・候補作!)である。

 

   『泳ぐ者』は、過去の当ブログで取り上げた『半席』の続編になる。今回も、御家人から旗本に出世すべく仕事に励む若き徒目付の片岡直人が、上役から振られた御用(不可解な事件に潜む「真の動機/なぜ?」を探り当てる裏の仕事)の顛末が解き明かされている。離婚して3年半も経つのに、なぜ女は前夫を刺したのか?毎日決まった時刻に大川を泳ぐ男は、何のためにそうしているのか?それらの「なぜ?」を追及する片岡直人の活躍ぶりを、国内外の政治的な状況に触れながら、人の心の「鬼」の部分をミステリアスに綴っていく中で際立たせていく筆運びは、圧巻である。青山氏独自の歴史的視点から巧みに物語を展開していく面白さを、私は久し振りに堪能した。

 

 『高瀬庄左衛門御留書』は、砂原氏が手掛けた武家もの時代小説の新たな潮流「神山藩シリーズ」の第1弾になる。神山藩で郡方を務める高瀬庄左衛門は、50歳を前にして妻・延を病で亡くし、息子・啓一郎は郷方廻りのお勤め中の事故で失ってしまい、今は一人で倹しく老いてゆく境遇になってしまう。そのような寂寥と悔恨に苛まれながらも、息子の嫁・志穂とその弟・俊次郎とともに手慰みの絵を描くことに安らぎを見出していく。しかし、庄左衛門には藩の政争の嵐が静かにかつ着実に襲い掛かってくる。

 ある日、志穂のもう一人の方の弟・秋本宗太郎がお金もないのに頻繁に飲み歩いているのが気になっているという相談を受け、 調べに行った庄左衛門は半次という蕎麦屋と知り合う。その辺りから徐々に庄左衛門は大きな運命に飲み込まれていくことになるのだが・・・。またまた、この調子で筆を滑らせてしまうと、いつもの悪い癖が出て本作品のネタバレをしてしまうことになるので、あらすじを追うのはこの辺で止めておくことにしたい。だだ、本物語の登場人物の中で、半次とともに重要な役どころを担う人物について触れておきたい。

 

 それは、神山藩の目付役・立花監物の弟・弦之助という長身で華奢な体つきの若者である。この弦之助と庄左衛門は、思わぬ場面で出会ったのをきっかけにして、何とも不思議な関係性になっていく。中年になり分別をわきまえた庄左衛門にとって、この若者の言動は素直に受け入れ難いものなのである。だからと言って、決して嘲笑ったり冷笑したりするような心の持ち主でもないのは明らかである。物語の終盤までは実に曖昧模糊とした関係性なのだが、それが私にはとても心地よいものに感じたのである。そして、藩の政争の嵐を鎮める段になる場面で、この若者の役割が明確になっていくことによって、二人の関係性はまた新たなステージへと変化していくような予感をもたせる。それが人と人とが織り成す発生的な関係性を描いているようで、私の哲学的な興味・関心を妙に刺激したのである。

 

 本作品は、私の好きな時代小説作家の一人である藤沢周平著『三屋清左衛門残日録』と、タイトルの付け方が類似しており、それが興味をもつ要因の一つにもなっていた。だが、背景に起きる藩の政争の大きさや動きが随分と異なるとともに、陰謀そのものの中身も新しさが見られ、一味も二味も違う味わいがあった。また、藤沢周平氏とはまた異なる人物や情景の静謐とした描き方があり、その大変爽やかな筆致に魅入られてしまった。「神山藩シリーズ」の第1弾と銘打っているので、第2弾となる物語がいつ私たちの目の前に出てくるのか楽しみにしたい。