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男のおひとりさまの老後を見据えて・・・~坂井希久子著『妻の終活』を読んで~

「女性の方が平均寿命は長いから、普通は旦那の方が先に逝くんじゃないか。」

「でも、先々のことは神様だけしか分からないから、逆の場合もあるよ。その時は男のおひとりさまの老後になるけど、大丈夫なの?」

 

 亡き義母の遺産相続の手続きをどうするか、義姉夫婦と私たち夫婦の4人で話し合った時の中で交わした会話の一部である。妻と義姉は、今までに何度か無料法律相談の会場へ足を運んでいる。相談の中で担当者から、遺産相続の手続きを司法書士や弁護士に依頼すると、結構な額の手続き費用が掛かると言われたそうである。しかし、自分たちで役所に出掛けて手続きをするのも大変なようなので、これからどのように対応しようかと話し合ったのだが、すぐに結論は出なかった。その代わり、その場で自分たちの墓地や墓石のことや先々のことなどについて雑談の花が咲いたという訳である。

 

 義姉夫婦は同級生結婚で、二人とも今年で満70歳になる。今月25日(土)の昼には、道後の老舗ホテル「ふなや」を会場にして、近い身内だけの「古希祝の食事会」を催したばかりである。私も来年には古希を迎える。妻は私の3歳下なので、老夫婦のどちらかが先に逝っても不思議ではない年齢になった。そのような中、私は『妻の終活』(坂井希久子著)という小説を読んだ。主人公が古希を迎えようとする妻帯者であったことから、自分事のようにリアリティー感をもって読み通すことができた。そこで、今回は本作品を読む過程で思い浮かんだ「男のおひとりさまの老後を見据えて」の正直な思いや考えを少し綴ってみたい。

 まずは、簡単なあらすじの紹介から。団塊の世代に当たる主人公の一之瀬廉太郎は、上京して大学進学した後に製菓会社に就職して商品開発部門でヒット製品を生み、定年退職後も嘱託として働いている。40年ほど前に、当時の女性としては珍しく4年制大学を卒業して地方銀行で働いていた杏子と見合い結婚をし、長女の美智子と次女の恵子に恵まれて埼玉県春日部市に一軒家を建てた。結婚以来、専業主婦の杏子に家事・育児を任せて、家庭を顧みず仕事に邁進してきて現在に至っている廉太郎は、ある日、杏子から病院に付き添ってほしいと頼まれるが、仕事を言い訳にして断った。仕方なく美智子に付き添ってもらって病院へ行った杏子は、そのまま長女の家に泊まって帰ってこない。これまで家事を一切してこなかった廉太郎は、途方に暮れてしまう。

 

 しばらくして杏子は美智子を連れて帰宅し、自分の病気は虫垂炎ではなく「虫垂がん」であり、すでにがん細胞が飛び散った播種の状態になっており、余命は「もって1年」と宣告されたと告げる。その後、大阪から戻った恵子を加えて家族4人で、これからのことが話し合われる。保険適用外の高額な治療を望む廉太郎に対して、杏子はQOLの観点から日常生活が送れなくなるような治療を拒み、最後は苦痛を取り除く緩和ケアだけにしてほしいと言う。娘二人も母親の意思を尊重したいと話し、最終的には廉太郎も杏子の願いを叶えてやろうと決意する。

 

 ここからは話の展開は杏子の終活の内容になるかと思いきや、杏子は娘二人と協力しながら、家事が全くできない廉太郎に料理や洗濯の仕方を教えたり、町内会の活動に参加させたりするなど、杏子亡き後に廉太郎が男一人で自立した生活ができるスキルを叩きこんでいく様子を描いていく。さて、さて、「男のおひとりまさの老後を見据えて」自立を目指している廉太郎の家事へのチャレンジは、いかなる結果になっていくのか・・・。

 

 それにしても物語の特に前半で描かれている廉太郎の妻子や孫に対する言動は、男女役割分担意識に基づいた男尊女卑の考えを見苦しく現していて、あまりにも理不尽で傲慢な態度に見える。しかし、改めて振り返ってみれば、私も結婚当初までは廉太郎と似たようなものだったと思う。時代の風潮を無自覚に受け入れて、男女役割分担意識に基づいた結婚生活を選んでいった。当時の私の人権意識はあまりにも乏しいものであったと、今は恥じ入るしかない。その後、社会全般で「男女共同参画」の意識が醸成されるようになり、私は妻と女性の地位向上に関する話題について何度となく話し合ったり、自身の人権意識を見つめ直すために関連本を読み漁ったりしていく中で、徐々に意識変容をしていったと主観的には思う。ただし、妻から見ると「まだまだ分かってない!」と叱られるかもしれないが・・・。

 

 ところで、私は本書を読みながら、自分が廉太郎と同じような情況に陥ったらどのように対応するだろうかと自問自答を繰り返していた。私も廉太郎とほぼ同年齢であり、現在も教職生活の財産を生かした特別支援教育指導員の仕事を続けている。そのために、今でも妻が家事全般を担っているので、私自身は洗濯のスキルを細かく身に付けていないし、料理も現職中に5年間ほど単身赴任をして自炊をした経験はあるもののそのスキルは錆び付いている。しかし、私は子どもの頃から母子家庭で育ったので、掃除や洗濯等の家事を何の抵抗もなくこなしていた。また、小動きするのも嫌いな方ではない。もし万が一にも妻が私よりも先に逝くようなことが起きても、今までの経験を生かして何とか自立して生きていくことができると思っている。否、しっかりと自立して生きていかなければいけないと自覚している。

 

 でも、もし今すぐにそれが実現化したら、どうであろうか。具体的に、妻と同じように家計のやりくりや家事全般をこなすことができるであろうか。心許ない。実際に我が家の財布を握っているのは妻であり、正直に言って私は我が家の財政状況を正確に把握しているわけではない。出納簿に記載されている毎月の収支金額の詳細を知らないのである。電気代やガス代、各種の税金額等に対して無自覚である。本当に妻任せなのである。もしその妻が逝ってしまったら・・・と、想像するだけで目の前が真っ暗になってしまう。これではいけない!私は今のところ後1年程度は今の仕事を続けようと思っているが、「男のおひとりさまの老後を見据えて」の対応については完全にリタイアしたらなどと言わず、まずは上述したような事柄について妻としっかりと情報共有することから始めようと思う。そして、今から自分が分担する家事を少しずつ増やしていくようにしようと考えている。