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医者の本音・ホンネ(1)~医者は患者の前で何を考えているのか?~

    本年1月5日の記事の中で、医者の中には患者に対して傲岸不遜な態度を取り、心を傷つけるような〈言葉〉遣いをする者が少なからず存在する実例を踏まえて、医者に対する批判的意見を述べた。実際に私自身に起こった出来事だったので、その時には「一体全体、医者は患者の心について考慮しないで何を考えているのだろうか!」と腹立たしい思いをした。そのような思いを心の中でずっと引きずっている中、ある書店で『医者の本音―患者の前で何を考えているのか―』(中山祐次郎著)という本が私の眼に飛び込んできた。そう言えば、ツイッタ―で「中山祐次郎‘医者の本音’10万部御礼」というアカウント名を見たことがあった。「これはきっと患者目線で書いた医者の売れ筋の本だな」と思い、早速購入した。

 

 実は以前に私は、著者が初めて著した『幸せな死のために一刻もあなたにお伝えしたいこと―若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日―』という本を市立の中央図書館で借りて読んでいた。その時に、「この若い医者は誠実に患者と向かい合っているなあ。文章から伝わってくる彼の誠意は本物だ!」という率直な感想をもった。今回、本書を購入したのは、この読書経験が大きく影響している。

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 そこで今回は、本書の中で私の心が大きく揺さぶられた内容の概要を紹介しつつ、簡単な所感をまとめてみたい。

 

 まず、著者が本書を書こうとした動機として、次のようなことを考えている。

「患者さんと我々医者のあいだには、どうしてこんなに大きな溝があるのだろう」

「医者の本音を書けば、医者がどんな人々で、いつも何を考えているかが少しは伝わるのではないか」

「そうすれば、とっつきづらい医者とのコミュニケーションが、少しは円滑になるのではないか」

「さらには、医者の襟を正すような発言ができないか」…

そして、「医療とは理想的な病院と社会を作ることではなく、あくまで問題だらけの現実社会の、絶え間ない改修だ」と考え、「今あるこの世界をどう切って縫い直せば、より良くなるのかと思って、書きづらい内容にも踏み込んで本書を書き上げた」と述べている。著者の「患者さんと医者の関係を、同じ病気に立ち向かうパートナーへと変えたい」という熱い願いがひしひしと伝わってくる。私も職業は違うが、現職の教師の時に「保護者と教師の関係を、同じ子どもをよりよく育てるパートナーへと変えたい」という思いをもって教育実践に取り組んでいたので、著者の熱い願いに強く共感した。

 

 次に、本文の全5章の中で私が一番心惹かれたのは、第5章の『タブーとしての「死」と「老い」-人のいのちは本当に平等か?』であった。その中でも最終節の「人間が死ぬ確率は100%である」は、「人生、いかに生きるべきか」を若い時から考え続けてきた私にとって納得できる内容であった。

 

 筆者は今までの医者としてのキャリアを踏まえて、次のような考えに至っている。

「人間をやっている以上、高齢者になるまで生きる以上、がんを完全に防ぐことは不可能である」

「あなたの生命や健康は、思うようにはコントロールすることができない」

「あなたは死ぬのです。必ず、しかもいつか突然に」

「だから、あなたは生きたいように生きるべき」

一人の医者として正直な見解だと私は思う。私たちは、病気や怪我をしたら、医療機関に診てもらおうとする。つまり、自分の生命や健康を守るために医者に依存しようとする。しかし、医者である著者自身が言うように、実際はそれらをコントロールすることはできない。死をコントロールできないのである。だとすれば、私たちはもっと自分の生命や健康を守るために、以前の記事で紹介したように五木寛之氏のような自律的養生法を見出すことが大事になるのではないだろうか!

 

 最後に、「おわりに」の中で著者は、「この本を、医者の言動で傷つくすべての皆さんに捧げます。」という言葉で締めくくっている。私も患者として同様の出来事を経験していたので、本書の全編を通じて「なるほど医者はこのような事情を抱え、このような情況の中で実存的に生きているのだなあ」という感想をもち、医者の置かれている立場について多少は理解することができた。これからは、以前のような理不尽とも言える医者の言動に出合った時でも、少しは冷静に対応することができそうである。誰しも患者という立場になる可能性がある。その時のためにも本書を未読の方に、ぜひ一読をお勧めしたい。