ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

『黄落』後の老父に対する介護の日々を知り、私なりに考えたこと~佐江衆一著『老い方の探求』を読んで~

 老親介護を題材に描いて、第5回ドゥマゴ文学賞を受賞したベストセラー小説『黄落』の著者である佐江衆一氏が、先月29日に肺腺がんのために86歳で逝去したことを、翌日の新聞記事で知った。私の書斎前の廊下の隅に置いてある小さな本棚の中には、佐江氏の著書『黄落』や『老熟家族』等の文庫本が並んでいるが、実は未読のままになっている。いつか老親介護の問題が私にとって現実的な課題になり、切実感をもって読める時期が来たら読もうと思って、ずっと積読状態にしていた。また、「老い」を題材にした著作群を並べている書棚の中にも、やはり積読状態の佐江氏のエッセイ集『老い方の探求』があった。私はこの度の佐江氏の訃報を知り、彼が老親介護を通してどのようなことを考えていたのか知りたかったので、まず『老い方の探求』から読んでみようと思い、ここ数日間、就寝前の読書の対象にした。

 

f:id:moshimoshix:20201115160530j:plain

 

    そこで今回は、著者の老親介護の実態とそれを通して彼が考えていたことを知るために、本書の中の特に「『黄落』その後」という章の概要をまとめるとともに、私なりの簡単な所感を付け加えてみたいと思う。因みに、当ブログの記事には、積読本を読んだ所感を綴った記事が大変多い。「一体、あなたの積読本はどのくらいあるんだ!」と叱られそうだが、「まあ既読本より少ないのだけは間違いない!」しかし、それは自慢するようなことでもないか…。

 

 さて、本書の「『黄落』その後」という章の多くの部分は、小説『黄落』を出版した平成7年5月以後(父親が95~97歳までの約3年間)の老父に対する著者夫婦の筆舌に尽くしがたい介護の日々を描いている。例えば、次のような事例である。

 

 まず、97歳になった父親が肺炎に罹って入院した病院で著者が老父のオムツを替える場面では、息子だからこそできる下の世話の様子が描かれている。父のぐしょ濡れのオムツを捨て、父の汚れた下着を抱えて病院を後にする著者の姿を想像しながら、私は言葉には表しにくい何とも切ない思いによって胸を締め付けられるのを覚えた。

 

 次に、父親が真夜中に大声で叫ぶばかりか点滴の管をむしりとってしまうので個室に移した数日後の場面では、大暴れするので寝巻姿のまま車椅子に手足を縛りつけられ、暴言を吐く老父の姿が事実のままに描かれている。病院から帰宅する途中の車中で、著者の次男が「おじいちゃん、ヤーさんの親分みたいだったね。」とポツリと言った。普段、人前では柔和な祖父が、まるで殺気立って啖呵を切る親分のように見えたのであろう。「老いるとは、このようなことなのだ。」と私は、その現実の過酷さを痛感しつつ明日の我が身を想像せずにはいられなかった。

 

 また、著者が父親を我が家で安らかに往生させたいとの思いから退院をさせようと決意した矢先に、その父親が食事を気管に吸い込み死の崖っぷちからほとんど転げ落ちかけて助かった場面では、その場に付き添っていた妻からその話を聞いた著者は、父親の死をどこかで願っている本音の部分をわずかに垣間見せている。私は著者の本音の部分を、道徳的・倫理的に非難しようとは思わなかった。おそらく私も著者のような情況にあれば、きっと同様な心情に陥ったであろうと思うからである。しかし、妻の「あなたにだってできないわよ。」の言葉に、すぐにはっとした著者の姿にも、やはり誰でも共感するであろう。「それが人間なんだよなあ。」と私は、人間や人生の本質が分かったような気持ちになった。

 

 続いて、文章は父親が退院した後の著者夫婦の在宅介護の日々の様子を描いている。尿意が分からなくなった父親が、いつの間にか垂れ流してしまうようになった場面では、小便だけでなく大便もちびった朝のオムツ替えを大騒動のように行う夫婦の姿に、在宅における老老介護の現実の厳しさが象徴されている。しかし、オムツを替えてもらった父親が、そのような夫婦の様子を怪訝そうに椅子に腰を下ろして見ている姿には、張本人がまるで他人事のように事態をとらえているある種の滑稽さも感じてしまった。認知機能が低下してボケの症状が出てきた老人本人は、自分のことをどのように認識し、どのように感じているのだろうか。私は、認知症を患っている人の実存性の内実について、改めて強く知りたいという願望をもった。

 

 この点に関して、著者は次のようなことを綴っている。「…まだらボケがじょじょに進行し、家族の顔も忘れ、最後には鏡に映った自分さえを他人だと思い込んで、自己の意志さえ喪失した場合、それでも生き長らえることが良いか悪いかではなく、自分の尊厳の問題としてどうだろうかと、私は考えるのである。」私は自殺を認めない立場だが、このような問題を解決するための「尊厳死」については、できるだけ本人の意思を尊重したいと考えている。しかし、それはあくまで家族の同意に基づくものでありたいが…。

 

 著者の父親は、桜の満開の釈尊降誕日、花祭の朝、97歳11か月18日で、眠ったまま自宅の介護ベッドで息を引き取った。最期は、苦しみもせず、眠ったまま逝った老衰死。現代では稀有な死に方と言えるだろう。著者は、父親の死後に語った次のような言葉で、本章を結んでいる。「終わったからいえるが、その長くつらい介護とわが家での親の死につきあって、夫婦の絆は深まり、自らの老いと死、人生をより深く見られるようになったと思う。私も長生きしたら延命治療をうけず、最期をこうして迎えたいが、それには家族の強い意志とその介護と医師の協力が必要である。」

 

 実際の著者の最期は、父親のように介護されることもなく、息を引き取る数日前まで最新作の小説のゲラに目を通していたという。そして、常に前向きな姿勢で様々なことにチャレンジし続けた86年間の人生の幕を静かに下した…。私は彼の生き様に深い敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りしたい。合掌。