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出臍コンプレックスについて~帚木蓬生著『風花病棟』所収「チチジマ」に触発されて~

 今年の1月、埼玉県ふじみ野市の住宅地で、男が散弾銃を発砲し、在宅クリニックの医師を殺害するという事件があった。殺された医師は、その人柄や診療振りが地域の人々や患者から評判のよい良医だったという。長らく介護していた母親を事件前日に亡くした容疑者は、「これから先、いいことはない。」と自暴自棄になって負の感情を爆発させ、凶行に及んだらしい。このような事態に巻き込まれた訳だから、医師にとって全く理不尽極まりない事件である。私は殺された医師と遺族の心情に思いを馳せ、何ともやるせない気持ちになってしまった。亡くなった医師に対しては心からご冥福をお祈りするとともに、遺族に対しては慎んでお悔やみを申し上げたい。

 

 私は当ブログを始めた頃に、医師に対してやや批判的な記事を綴ったことがある。そのきっかけは、硬式テニスのゲーム中に腰を強く振ったことが原因で発症した「腰椎椎間板ヘルニア」を最初に診察してくれた整形外科医の、あまりにも患者の気持ちを逆なでするような診療態度に対して、怒りにも似た感情をもったことであった。しかし、世の多くの医師は患者に対して誠実に接し、最善の診療をしていると信じている。散弾銃によって殺害された医師もそのような良医だったのではないか。そんなことを考えていた私は「ごく普通の良医の姿を描いた小説を読みたい。」と急に思い立ち、長く積読状態にしていた『風花病棟』(帚木蓬生著)を取り出した。それ以後、この2週間ほど私の寝床における読書の対象になっていたのだが、最近やっと読了した。

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 本書に所収されている10篇の短編小説は、1998年から2007年の小説新潮7月号の山本周五郎賞発表特集に毎年掲載された作品群である。患者という教科書によって教育されている「普通の良医」を登場させた豊饒なストーリーは、私の心に清々しい春風を吹き込んでくれた。どの作品も著者特有の細やかな心象表現が描かれ、温かい人間愛に満ちていた私好みの作風だったが、その中でも戦時中、父島で見かけた米兵と偶然再会し友情を深め、その米兵が見せる日本への贖罪の気持ちを現わした言動を描いている「チチジマ」が、特に気に入った。だが、それ以外にも「チチジマ」という短編の内容の中に惹かれた部分があった。それは、県立病院の院長になった主人公が感染症国際学会で発表する演題が「臍の垢による破傷風三例」であったことである。

 

 なぜ私はこの演題に惹かれたのか。破傷風を発症した三症例に共通していたのが、70代の患者が子どもの頃から臍を洗ったことがなく、臍窩につまった垢の厚みが1㎝から2㎝もあり、その垢栓塞から破傷風菌を分離することができた点であったことに興味を抱いたからである。どうして今まで一度も臍を洗わなかったのか?その理由は、日本には昔から臍の中は洗うなかれという言い伝えがあり、この高齢者たちはその因習を後生大事に半世紀以上にわたって守ってきたからである。

 

 実は私も今まで臍をあまり洗った記憶がない。しかし、私の場合は言い伝えを守っていた訳ではなく、少し出臍なので臍窩があまりないから垢が溜まりにくいので洗う必要がないのである。もちろん少しは垢が溜まる部分があるけど、垢栓塞ができるような構造にはなっていないのである。私は今までの人生で出臍であることのよさを感じたことはなかったが、今回初めて出臍でよかったと思った。私は小さい頃から自分が出臍であることにコンプレックスを持ち続けてきた。出臍は恥ずかしいことだから、銭湯に行った時もタオルで隠そうとしてきたのである。

 

 では、なぜ出臍を恥ずかしいと思ったのか。それは幼い頃に「おまえの母ちゃん、出臍、電車にしゃがれて、ペッチャンコ…」と友達が揶揄しているのを見聞きしたことが影響していると思う。この揶揄する言葉は相手をバカにする時に発するのだから、「出臍」は恥ずかしいことだと私の心に刻印されたのだと思う。それ以来、私は自分の出臍に対してコンプレックスを感じてしまったのである。だから、銭湯に行った時だけでなく、学校で水泳の授業がある時にはいつも水泳パンツを臍の上まで引き上げてはいていた。少なくとも、常にそれを意識して行動していたと思う。私は他者の視線が常に気になり、特に中学生の頃は思春期の敏感さも加わって自意識過剰な精神状態に陥っていたのである。

 

 このような自意識過剰の精神状態は成人してからも続いていたが、この出臍コンプレックスを克服するためには人生において容姿よりも人格の方が大切な価値なのだと自分に言い聞かせるようになっていった。だから、私は勉強や仕事などに一生懸命取り組み、家族の一員として誠実に生きることを通じて、自分の人間的・人格的価値を高めようとしたのだ。その結果、大人になってからはそのコンプレックスを意識することはなくなったが、多くの子どもにとっては多数派ではないことや普通ではないことに対してコンプレックスを感じてしまうものなのではないか。現在、<多様性>や<ダイバーシティ>を保障するということが、我が国でも大きな社会的な課題になっている。この喫緊の課題を達成していくためには、<多数派や普通とは違う存在>としてとらえられているマイノリティー、特に障害者に対して合理的配慮や環境調整を行うことで、社会的な障害を作らないという「特別支援教育の理念」がもっと社会全体に浸透していかなくてはならないと実感している。私もそのためのささやかな実践を、これからも積み重ねていきたいと考えている。