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小学校をもっともっと幸せな環境にする道筋とは…(2)~苫野一徳著『「学校」をつくり直す』から学ぶ~

 「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に学ばせる」という今日の学校教育のシステム的な問題を解決する一つの方向性が、「探究」をカリキュラムの核にすること、つまり「学びのプロジェクト化」である。これが、前回の「小学校をもっともっと幸せな環境にする」道筋の前半で要約した概要である。

 

 そこで今回は、その後半として「ゆるやかな協同性」に支えられた「個」の学びの視点から著者の提案をまとめながら、私なりの簡単な所感を加えてみたい。

 

 著者の提案に対する現場の教師からの心配や批判の一つに、「基礎学力と言われる読み書き算の学習内容は、探究では十分身に付かない。また、基礎学力の格差が大きくなってしまう。」という声が必ず起こると思われる。それに対して、著者はおおよそ次のようなことを述べている。

 

 でも、一斉に「黙って座って先生の話を聞く」スタイルで子どもに勉強させる必要はない。つまらない授業や、時間のムダに思われる授業、またついていけない授業などを、ただおとなしく聞いているだけなんて、子どもたちにとって拷問みたいなものである。だから、これを「個別化」していこうと言い続けている。つまり、子どもたちがもっと自分のペースで、自分に合ったやり方で、また自分に合った教材で学ぶようにする。例えば「出来合いの問いと答え」の内容であっても、このように学びを「個別化」すれば、子どもたちの学習意欲は大いに高まり、その到達はより十分に保障されるはずである。ただし、この「個別化」には必ず「協同化」をセットにする必要がある。つまり、先生や友達の支えがやはり必要なのである。分からないことがあれば、気がねなく先生や友達に助けを求められること。困っている友達がいれば、さりげなく助けに行けること。このような「協同性」は「相互承認」の感度を育む意味でもとても重要なことである。また、今までの日本国内外の先進的実践の成果を検証すると、学びの「個別化」と「協同化」の融合が、学校でのムダな時間を圧倒的になくすことができるのは間違いない。

 

   このような内容に対して、またしても現場の教師からは「学習指導要領は、第何学年で何を学ばなければならないかということが規定されているので、現実的には無理ではないか。」という反論をされると思う。それに対しては、著者は次のように述べている。

 

 2016年から始まった、いわゆる小中一貫校の一つである「義務教育学校」においては、この規定がすでに緩和されている。例えば、「義務教育学校」では九九は2年生で、ひし形や台形は5年生で、といった縛りがない。学習指導要領の内容は、義務教育9年間を通して学びとればいいとされているのである。また、地方の小規模校には、異学年の複式学級がすでにたくさん存在しており、学びの「個別化」と学年を超えた「協同」を可能にする条件が整っている。小規模校でこそ、ぜひ、学びの「個別化」と「協同化」の融合にチャレンジしてほしい。

 

 私は上述した著者の提案内容について、最初は半信半疑であった。しかし、現職の時に勤務した地元の国立大学教育学部附属小学校や、山間部・島しょ部のへき地小規模校等の実態を振り返ってみると、かなり現実性のある提案ではないかと思うようになった。ただ、実践する場合の教師の役割はどうなるのかと疑問をもった。その疑問に対しても、著者はおおよそ次のように考えている。

 

 「探究型の学び」の場合、教師は子どもたちの「探究」をサポート、ガイドする「協同探究者」「探究支援者」になる必要がある。教師は「答え」を持っている人である以上に、子どもたち自身が仲間や先生の力を借りて立てた“問うに値する問い”に答え抜く際の、頼れる探究支援のプロである必要がある。また、学びの「個別化」と「協同化」の融合の場合は、時と場合に応じて、人の力を借りたり、人に力を貸したりできる学びの環境を整える。そんな学びのダイナミックな学び合いの力を、最大限発揮できるように教師は学びの環境をデザインするのである。

 

   私はこのような教師の役割は、実際は大変高度な力量が必要だと思う。子どもたちの「探究的な学び」や「個別的で協同的な学び」を支援するというのは、一見すると楽なようにとらえられるが実はそうではない。かなり広範で高度な知識を有し、しかも一人一人の学びの内質を的確に把握した上で、適切な支援を行わなければならないのである。とすれば、著者の提案している内容を学校教育で実践するためには、教師自身がそれを可能にするための資質・能力を高める研修を積むことが不可欠である。また、今までの教員養成の在り方についても抜本的に改善していく必要があるであろう。でも、それらの困難な課題を抱えているとは言え、「小学校をもっともっと幸せな環境にする」ために、著者の提案している内容の実現化へ向けて学校現場が一歩一歩着実に進んでいってほしいと、私は強く願っている。