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約20年前にチャレンジした「小学校教育の大改革!」の内容とは…(2)~地元の国立大学教育学部附属小学校の研究開発内容の概要~

   前回は、私が現職の時、地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた頃のことを記事にした。今から約20年前、文部省(当時)から研究開発学校を委嘱されて取り組んだ「小学校教育の大改革!」とも言うべき研究内容の概要の一部を紹介したのである。

 

 そこで今回は、前回紹介した8つの「学習領域」の各「活動単元」の学習において、子どもたちの活動をどのように評価し、通信簿はどのような内容や形式等にしたのかを報告したい。

 

 まず、「活動単元」の学習において私たちが大切にしたのは、子どもたち自身の「自己評価力」をいかに高めるか、そのために教師はどのような支援をしたらよいかという研究視点であった。子どもたちが課題意識をもって主体的・能動的に「自己活動」している時、その内面では自然に「自己評価」をしているものである。そして、「自己活動」の内質がより高まるためには、「自己評価」が自己中心的な思いや考えにとらわれず「他者評価」を受け入れることで「自己評価」を相対化して適切に機能させる必要がある。そこで、教師は子どもの「自己活動」をよりよい方向へ導くために、有効な「他者評価」、例えば承認や激励等の言葉掛けを行ったり、環境や他者への豊かなかかわり合い方を示唆したりすることが求められるのである。この際、私たちが気を付けたのは、教師があらかじめ子どもたちの「自己活動」の様態を固定的にとらえ、その望ましい姿を強制的に実現しようとしないこと。言い換えれば、「今、ここ」における子どもたちの「自己活動」の様態をあるがままとらえつつ、その時その場の情況に応じた有効な「他者評価」を行い、それに基づいて子どもたちへ適切に働き掛けることである。言わば、現象学的なアプローチによる教師支援の具体化であった。実際には大変難しい教師支援の在り方である。しかし、私たちは子どもたちに「よりよい自分を形成し、ともに生きようとする力」を真に育むために、労を惜しまずに取り組んだ。その結果、私たちの願いが少しずつ子どもたちの姿に反映して実現化していった。今でも、あの頃の充実感や成就感に満たされた気分が蘇ってきて、胸が熱くなる。

 

 次に、研究開発における評価研究のもう一つの柱は、通信簿「あゆみ」の改善であったので、その内容について書いてみたい。ほとんどの学校は通信簿もしくは通知表を活用して、子どもの学校での生活や学習の様子を家庭にお知らせしていると思う。しかし、現在でこそ絶対評価を重視しているが、当時の学校においては特に「学習の記録」に関して相対評価に偏り過ぎていたために序列化とラベリングを生み出す恐れがあった。また、学校から家庭への一方的な評価情報の伝達にとどまり、教師と保護者との相互作用が不十分であった。そこで、通信簿の意義と機能に関して次のように規定した。「通信簿は、児童の自律的な人間形成に資するために学校が独自に作成する、学校と家庭の相互作用の機能とともに、児童の〈自己評価〉とその相対的視座になる〈他者評価〉の機能を有する連絡及び記録文書である。」こ の規定に基づき、改善を重ねて研究開発期間の3年間で最終的に作成した内容は、やはり「小学校教育の大改革!」と呼ぶのに相応しいものになった。

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 上表は、当時の通信簿「あゆみ」の一部である。一般に現在の通信簿に位置付けている「学習の記録」は、各教科の観点別評価項目ごとに到達したかどうかの符合が付けられているが、「あゆみ」は「活動の様子」として「学習領域」を明示した「活動単元」名ごとに「活動を振り返って」という欄があり、それぞれに子どもが「よくがんばった」「がんばった」「もう少し」という3段階評価を付け、その右欄に記述式の「自己評価」を書くようになっている。また、「○学期を振り返って」という欄には、○学期における8つの「学習領域」の中で特筆すべき活動の様子について教師が記述する「他者評価」を書くようになっている。さらに、「家庭から」という欄には、保護者からの返信内容を書くようになっている。今思えば、教師にとっては手間暇のかかる通信簿だったと思う。しかし、当時は本研究開発の趣旨を生かしたよりよい評価の在り方だと認識して取り組んでいたので、私たちはストレスとして感じることは少なかったと記憶している。やはり教育的な意味や価値を見出している教育活動は、量的に多少負荷がかかる業務であっても教師は楽しく仕事ができるものなのである。昨今の教員の「働き方改革」の内容を見ると、単に教員の勤務時間や業務量にばかり目が奪われているようだから、現在だったら「あゆみ」のような通信簿は採用されないのではないだろうか。しかし、私としてはもっと教師の「生きがい」や「やりがい」という自己実現的な視点にも目を向けてほしいと思う。

 

 まだまだ書き加えたい研究内容はあるが、読み手の立場を考えれば、そろそろ筆を擱くのが妥当な分量になった。ただ、どうしても最後に付け加えたいことであるので、それを記して終わりにしたい。それは、私が本研究開発の責任者として文部省(当時)へ出向いて、研究開発内容のプレゼンをして終わった後にある教科調査官が労いの言葉を掛けてくださり、最後にさりげなく言われたことである。

 

 「この研究開発内容は、時間的に少し早すぎたかも知れません。20年後には、多くの方から高い評価を受けるのではないでしょうか…。」その約20年後に、苫野一徳氏が著した『「学校」をつくり直す』が刊行されたのは、何か運命的な巡り合わせのような気がしている。