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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「子育て問題」を解決する新たなコミュニティの動きについて

    ここ最近の記事において、初孫Hの成長に伴う私の孫育て経験談を「じじバカ」丸出しで思いのままに綴ってきた。このような記事が書けるのは、孫の両親、つまり長女夫婦が共稼ぎなので、私たちじじババが孫の世話をする機会が多いという事情が背景にある。孫にとってはじじババが世話をする環境にあることが特に恵まれているとは言えないかもしれないが、世間一般では核家族の世帯における子育て環境は決して恵まれているとは言えない。いわゆる「孤立化した子育て」という現実に、今の若い親たちは直面しているのである。その結果の一断面が、昨今マスコミを賑わせている親による児童虐待事件なのではないだろうか。

 

 そこで今回は、この「孤立化した子育て」から脱却するために、言い換えれば「子育て問題」を解決するために立ち上がっている新たなコミュ二ティの動きについて、以前の記事でも紹介した落合陽一氏が最近上梓した『日本進化論』の中で述べている関連内容の要旨をまとめながら、それに対する私なりの所感を加えてみたい。

 

 本書は、2018年7月に衆議院議員小泉進次郎氏と落合陽一氏の共同企画で開催された「平成最後の夏期講習(社会科編)-人生100年時代の社会保障とPoliTeck(ポリテック)」というニコニコ動画の生放送番組と、その現場で展開された議論のまとめがきっかけになっている。番組での課題設定や参加者の議論を下敷きに、落合氏が改めて考えたこと、平成の次の時代を生きる人たちに伝えたいと思ったことが綴られている。また、本書は序章「テクノロジーと日本の課題を探る-『現在』から『次の時代』のために」、第1章「『働く』ことへの価値観を変えよう-AI・高齢化時代の『仕事』を考える」、第2章「超高齢社会をテクノロジーで解決する-『免許証を取り上げなくても済む』社会のために」、第3章「孤立化した子育てから脱却するために-『新しい信頼関係』に基づくコミュニティで子育て問題を解決する」、第4章「今の教育は、生きていくために大事なことを教えているのか?-『詰め込み型教育』と『多様性』を共存させる」、第5章「本当に、日本の財源は足りないのか-高齢化でもGDPが増えているデンマークに学べ」、第6章「人生100年時代の『スポーツ』の役割とは?-『健康』のための運動から『Well-Being』へ」というように、多様な視点からの構成になっている。どの章の内容も私にとって興味・関心の対象ではあるが、今回取り上げるのは、第3章の内容である。

 

 著者は、まず「子育て問題」の解決策として2つの方向性を示している。1つ目は、手が空いている人材に子どもの面倒をみてもらえる仕組みをつくること。2つ目は、隣人たちと共同で子育てに携われる地域コミュニティを再構築すること。具体策については、それぞれ次のような内容を紹介したり提案したりしている。

 

 1つ目の方法として、近年、ベビーシッターのマッチングサービス「キッズライン」のように、お金を払って子育てを手軽にサポートしてもらう仕組みを紹介している。条件の合致するベビーシッターに、1時間単位で子どもの世話をお願いできるらしい。インターネットで見知らぬ人に育児を依頼するのは抵抗があるという人もいるかもしれない。しかし、最近はWeb上で「信頼」が可視化されることによって、安心して子育てを依頼できるネットワークが生まれているらしい。

 

 2つ目の方法として、人口に占める割合の多い高齢者が、子育て世代である勤労者を支えるような仕組みづくりを提案している。これからの時代、「子育ては親の仕事」ではなく、地域社会全体で子育てができる、デジタルベースの新しい“町内会”的コミュニケーションをつくっていくことが求められ、実際にそうしたコミュニティは出現しているらしい。オンラインサロン「箕輪編集室」はその一例であり、下は高校生から上は60歳まで、困った時はFacebookに投稿して助け合っているそうである。こうしたテクノロジーに支えられた相互扶助的なコミュニティを整備していくのが、今後の子育て問題解決のカギとなるであろうと著者は結んでいる。

 

 私は、著者が示した「子育て問題」の解決策の2つの方向性について基本的には賛同する。だが、それぞれの具体策については多少の不安や心配を感じる。

 

    まず、1つ目の方法について「信頼」の問題はやはり残るのではないだろうか。著者は、SNS上での個人のレピュテーション(評判)が可視化されるようになったことで、ネット上での行動にも制約が生まれ、信頼関係とも呼べるようなものが、昔のローカルコミュニティのように醸成されつつあると言っているが、果たしてそれはどこまでの「信頼度」なのであろうか。一度でもいい加減なベビーシッターに預けてしまったら、我が子の身の危険を保障することができないのである。私は現状をほとんど知らないので決定的なことは言えないが、まだそこまでの「信頼度」は担保されていないのではないかと不安である。

 

    次に、2つ目の方法については高齢者のテクノロジーに対する抵抗感を払拭できるのかという点が心配である。テクノロジーに支えられた相互扶助的なコミュニティ形成には、特に高齢者のデジタル機器への適応能力の向上が不可欠だと考えるが、それはまだまだ十分とは言えないのではないか。この問題に対する適切な解決策こそが今、強く求められているのではないだろうか

 

 ともかくも、「孤立化した子育て」を背景にした親による児童虐待事件が社会問題化している現状を鑑みた時、「子育て問題」を解決するために、このような最新のテクノロジーを有効に活用した新たなコミュニティの動きが起こっていることは喜ばしいことである。「子育て」を社会全体で担う時代が再びやってきている!

より活動的になった孫を見守る「じじバカ」丸出し物語!

 作家、エッセイスト、写真家、映画監督という様々な顔をもつ椎名誠氏の私小説のような、エッセイのような本、『三匹のかいじゅう』と『孫物語』を土日にかけて読んだ。二冊とも祖父である著者と三人の孫たちとのつきあいが話の中心になっていて、「じじバカ小説」のような読み物である。面白さ満載のエピソードが綴られている文章からは、著者の孫たちへの愛情溢れる眼差しを感じ取ることができ、私は自分の気持ちを代弁してくれているような親近感をもった。あの椎名誠も私と同じように「じじバカ」になっているなあと、何だか感慨深い気分になったのである。

 

 20代の頃、当時「おもしろカナシズム」(面白いのだけれど、ちょっと切なくて悲しい感じのこと)と命名された独特の文体で綴られたシーナの自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』を初めて読み、私はシーナ・ワールドにハマってしまった。デビュー作『さらば国分寺書店のオババ』も抱腹絶倒しながら読み耽ったものである。その後、シーナは自分の息子とのつきあいを題材にした『岳物語』シリーズを出版して、それは現在までの売上累計が300万部以上のロングセラーになっている。本書二冊は、その『岳物語』シリーズの延長線上に位置するファミリーものの読み物である。

 

 そこで今回は、本書二冊に描かれている三人の孫たちの活動的な姿に触発されて、初孫Hの最近の姿を描きたいという衝動の下に、「じじバカ」丸出しの気分で思いのままに綴ってみたい。

 

 2才になったHは、最近ますます活動的になってきた。2足歩行になるのがやや遅かったHだが、今は家の中を小走りで駆け回るようになってきた。また、私がHを抱っこして近所を散歩している際、「僕を下ろして歩かせろ。」というように体を捩じるような動きをする。私は車一台がやっと通るぐらいの幅しかない小道になると、さらに安全を確かめた上でHをそっと下ろす。すると、Hは「ウォーツ!ウォーツ!!」という野獣的な叫び声を上げながら、舗装された小道を走り始めるのである。そのあまりに大きな声に、私は一瞬周りを見回してしまう。他人がその声を聴いたら、何事が起ったのかと訝しるのではないかと想像するからである。しかし、私はHがしたいようにさせている。その訳は、Hの走る姿は体全体で喜びや楽しさを表現しているように感じるからである。確か若い頃に読んだ『「人間らしさ」の構造』(渡部昇一著)という本の中で紹介されていた「機能快」(本来もっている機能を使った時に得ることができる快感)を味わっている姿そのものなのである。走っている時のHの表情は、本当に満面の笑みを湛えているのである。私まで嬉しくなってしまうから、Hが飽きるまで走る姿を見守ってやっている。まさに「じじバカ」丸出しの仕儀なのである。

 

 Hは走るのにやや飽きてきたら、今度はその小道と2階建てのアパートの駐輪場の間にある段差に意識が向く。そして、5~10㎝くらいの段差を上がったり降りたりする動きにチャレンジしようとする。初めてチャレンジする時には、私がHの手を取ってサポートしてやった。しかし、最近は自力で何とかできるようになり何度も何度も慎重に繰り返す。一つ一つの動きをクリアする度に、御満悦の表情になり私の方へ顔を向ける。私は「すごい、すごい。自分でできるようになったね。えらいぞ。」と承認と称賛の言葉掛けを行う。すると、Hは安心したように微笑み返してくれる。この瞬間が、私は好きだ。私の心とHの心が深く繋がったような気分に浸れるからである。また、Hは緩やかな坂になっている路面を走るのも好んでいる。坂を上がったり下ったりする動きを、やはり叫び声を上げながら繰り返す。本当に楽しそうである。その様子をずっと見守っていても私は飽きない。

 

 散歩から帰って夕食を済ませた後、私は2階の和室でHとしばらく遊ぶこともある。和室には、1才の誕生日祝いでプレゼントしたジャングルジムや滑り台、ブランコなどがセットになった室内用の遊戯用具を設置している。つい最近まで滑り台が怖くて滑るのを嫌がっていたHだが、数ヶ月前に通っている保育園で近くのコミュニティセンターに行った時に友達に誘発されてか初めて滑り台を滑った体験をしてから、大人がサポートすれば何とか和室の滑り台も滑ることができるようになった。その後、様々な公共的な施設に出向き、じじばばや私たちの長女である母親がサポートしながらそこに設置している滑り台を滑らせる体験を重ねてきた。すると、最近は自力で和室の滑り台の上に上り、滑ることができるようになった。つい先日も、得意げな表情で気持ちよく滑っていた。その際に、何となく滑り台を越えるような動きをしている時に、何かの拍子にできてしまった。Hにとっては初めてできた動きだったので、その後、何度も確かめるようにその動きを繰り返していた。私は「やったね。初めてできたね。すごい、すごい。」と笑顔で言葉掛けをした。その時のHの自慢げな顔はしばらく私の眼の裏から消えなかった。さらに、昨日は今まで乗るのが怖くて近寄りもしなかったブランコに自分から進んで乗ろうとする意欲を見せた。私はそっと手を添えてゆっくりブランコを揺ってやった。初めての体験で少し怖がっていたが、何とかブランコに乗るという体験をしたという感じだった。Hの頬はちょっと緩んでいたようだった。このように孫の成長する姿や表情を思いのままに綴っていると、つくづくと思う。…ホント、これは「じじバカ」丸出し物語だなあ。

孫が「乗り物」に興味・関心を示す理由と遺伝的な気質について

      気が付くと、もう3月に入った。日差しに春めいた暖かさを感じ、何だか心弾むような気分になる。日を重ねるごとに、生命感溢れる季節が近づいてくる。昔から日本人の多くは、この四季の移ろいに対して情緒的に感応しつつ、日々の暮らしを慎ましく営んできたのだ。こんなことを想う時、私は日本人に生まれて来てよかったと素直に思う。その上に、今の私には長年連れ添ってきた妻がおり、二人とも結婚して自立した娘たちがいて、また長女夫婦の間に生まれた長男、私にとっては初孫がいる。平凡かもしれないが、このような家庭環境の中で取りあえず食うに困らない程度の生活ができていることが「本当に幸せだ!」としみじみと噛みしめる。

 

 ところで、前回の記事でその初孫Hの成長する姿に触れた。ただし、それは孫がまだ1才3か月頃のことだったので、今回は2才になったばかりの今のHの成長する姿を「じじバカ」そのものの気分で綴ってみたい。他人にとってはどうでもよいことなのは分かっているつもりだが、現在の私の実存的関心のかなりの部分を占めている事柄なので、ご容赦願いたい。

 

 2足歩行ができるようになるのがやや遅かったHも、今は元気に我が家のリビングやダイニングルームなどを所狭しと元気に歩き回っている。そして、置いているおもちゃを使って楽しそうに遊んでいる。最近はリビングの絨毯の上に設置したプラレールに夢中で、機関車トーマスの仲間たちの汽車や新幹線の列車を走らせる遊びに興じることが多い。まだハイハイをしていた時期は、救急車やパトカー、郵便車などのおもちゃを手でもって床に押さえつけて走らせたり、20年以上も前に私の娘たちが使っていた汽車のプラレールで遊んだりしていた。その後、成長に伴っておもちゃの車の種類も増え、プラレールも最新式のものになったので、次第にHの興味・関心の対象が移り変わっているという訳である。

 

 一般に男の子は「乗り物」に興味・関心をもつ傾向があると思うが、Hが特に自動車に興味・関心を示すにはそれなりの理由がある。それは、私の自宅近くに民営バスの駐車場があり、乳児期から駐車場に出入りしているバスや駐車しているバスを見せていたからだと思う。何かの原因で泣き始めても、バスを見せると気分転換してすぐに泣き止む。Hの世話をすることが多い私たちじじばばは、ついついそのバスの威力に頼ることがあったのである。その際に単に見せるだけではなく、会社によって違うバスの外装の色や模様などを簡単に説明しながら指し示すようになる。すると、Hは1才頃からだったと思うが、徐々にバスの種類を識別するような反応を示し始めた。特に私が驚いたのは、阪急バスが一時的に停車する時があり、Hが他のことに気が向いている間に最初に停まっていた場所から移動したことがあった。その際に阪急バスが停車していた場所を指さしながら「ウーッ、ウーッ。」と大声で叫んで、「さっきまでいたのに、いつの間にかいなくなった!」という主旨を私に伝えたことがあった。私は「まだ発語もままならない幼な子でも、ちゃんとバスを識別したり時間的な推移を把握したりすることができるのだなあ。」と一種の感動を覚えたのである。

 

 また、私がHを抱っこして近所を散歩する際には、やはり道路を走る自動車を見つけると、救急車や郵便車はもちろん、トラック、タクシー、バイクなどをその名称で呼んでいた。特に外装に特徴のある宅配便のトラックについては固有名詞で読んでいたので、散歩途中でその会社の看板を見つけると大きな声を発して指さしする。また、近所の県立病院には時々「ドクターヘリ」が飛んでくることがあり、Hはじじばばとともにその離発着や飛行の様子を間近で見ることができる。そのために、ヘリコプターが飛んでいるTVのCMを見た時、Hはやはり大きな声を発して興奮して指さしする。さらに、Hの父親の実家は飛行場の近くにあるので、たまに飛行機を間近で見ることができる。

 

    このようにHは様々な「乗り物」を見る機会が多い。その上に周りの養育者もその時々にさらに興味・関心をもたせるような言葉掛けや働き掛けをする。最近では、私たちじじばばは2才の誕生日の記念にと、自宅近くを走る郊外電車に4駅の区間だったがHを乗せる体験をさせた。しかも、運転手さんや車掌さんの働く姿を直接見ることができる場所を確保して乗車させた。運転手さんがハンドル操作をしたり、車掌さんが発車の笛を鳴らしたりする姿を、Hは興味深く観察していた。Hが興味・関心のあることを体験させて喜ばせてやりたいという「じじばば」ならではの思いである。

 

    まだまだ描き切れない出来事があるが、今回はこの辺にして、最後にHの遊ぶ姿に私からの遺伝的な気質を感じたことを記して終わりたい。それは、先にも少し触れたがHは外界の変化を敏感にとらえる能力が高いように思うこと。私も自分を取り巻く環境の変化、例えばリビングやダイニングに置いている物が少し移動したり、無くなったりしたことが直観的にすぐ分かる。また、Hは時々、機関車トーマスの仲間たちやおもちゃの車などをテーブルの上にきちんと横並びさせて置くことに執着することがあり、その几帳面な性格のこと。私も自分の書斎や机の上、そして抽斗の中を几帳面に片付けないと落ち着かないところがある。これらの気質は誰にでもあることで特にHにあるとは言えないかもしれないが、私は自分から引き継がれた遺伝的な気質ではないかと密かに思っている。それは血が繋がっているという証しでもあるので、私はそのことが嬉しいのである。そう言えば、もう随分前に大泉逸郎という歌手が歌って流行した『孫』という曲の歌詞に、「…じいちゃんあんたにそっくりだよと、人に言われりゃ嬉しくなって、下がる目じりが下がる目じりがえびす顔」という件があるが、私も人からそう言ってもらいたい下心があるのかもしれない。

孫の「ヒトが人になっていく過程」に感動!そして、感謝!!

      今までほぼ1日置きに遊ぶ時間をもつことができていた2才になったばかりの初孫H(男児)に、土・日を挟んだり昨日まで東京へ出張したりするなどが重なって5日間ほど会えなかった。私はこの間、何とも物足りない気分に陥り、寂しさが心に沁み込んでくるような思いを経験した。「何を大袈裟な!」と笑われそうだが、本当のことだから仕方がない。「孫はかわいい!」と人生の先輩から何度も聞かされてはいたが、初孫ができるまではそれほど気にも留めなかった。しかし、Hと遊びながら日々の成長を見守ることができるような環境に恵まれて、実感として先輩たちの思いに強く共感できるようになった。「孫は目の中に入れても痛くないほど、かわいい!!」のである。今でも目じりが下がりっぱなしになっている顔を、自分でも想像できそうな気分なのである。

 

 そこで今回は、今から9か月ほど前、つまり初孫Hが1才3か月頃にそのような思いを綴った記事があったことを懐かしく思い出したので、それを再構成して掲載したい。

 

                 ※

 

 もうすぐ1歳3か月になる初孫のHは、最近ますます活発になってきた。ハイハイや伝い歩きで素早く移動しているので、もう少しで一人歩行ができると思う。また、遊び道具を操作する能力も急に高まってきた。例えば、玩具のボウリングのピンを畳の上に1本、2本…とバランスを取りながら立てることができるようになった。それから、ボウリングの球を投げて取りに行くという動作も迅速にできるようになった。さらに、今はその球を廊下から和室へ、和室から廊下へと投げ入れたり投げ出したりすることに興味をもち始め、何度も繰り返して遊んでいる。私がその遊ぶ姿を見守っていると、時々私の顔を見る。私は「すごいね。頑張れ。」と拍手をしながら声掛けする。そうすると、ニコッと笑顔を返して、また挑戦する。これ以外にも、私たち祖父母が見守り声援する中で、円柱形のガム入れケース数個を積み上げたり、ガラス瓶の中に入れてある物を出し入れしたり、電燈のスイッチをON/OFFに切り替えたりするなど、何度も試行錯誤しながらではあるが様々な器用な動きができるようになっている。

 

    自分が何かめあてを見つけて挑戦し、それを達成したことを身近な養育者に認められ励まされると、こんな小さな子でも嬉しいという感情が起き、より意欲的に活動しようとするのである。そんな当たり前の出来事にも、私は「ヒトが人になっていく過程とは、このようなことなのだなあ…。」とつい胸を熱くする。個別的な存在であるヒトは、次第に「社会的・関係的な存在」(人)になっていく。他者から認められ励まされると嬉しくなり、より意欲的に生きようとする姿は、まさに「ヒトが人として生きるようになった姿」だ。

 

 そういえば、このような身体の発達に伴って、「ヒトが人となっていく」証しでもある発語の内容にも変化が見られるようになった。ついこの間までは意味不明の「あーっ。うーっ。」というような声を発していたのが、最近は食事の時間が近づいてくると「まんま、まんま。」という有意味言語を発するようになった。まだまだその数は少ないが、次はどのような有意味言語を発するのか楽しみである。しかし、それと共に大切なのは人間のもつ「ノンバーバル・コミュニケーション能力」である。孫は、サッシの窓の開け閉めをしたいと思った時は、自分ではその高さまで手が届かないので私の脚を掴み、「僕を抱っこして、サッシの窓の所に連れて行って!」と訴えるような眼差しを向けるのである。これこそ、現在の心身の発達状況の中で自分のめあてを達成するために必要な「ノンバーバルなコミュニケーション能力」を発揮している姿である。こんな時にも私は「ヒトが人になっていく過程とは、このようなことなのだなあ…。」としみじみ感動する。「じじバカ」なのは分かっているが、孫の「ヒトが人になっていく過程」を見守ることができるのは祖父としては本当に有難く、幸せなことだ。私の両親をはじめとするご先祖様や妻、長女夫婦、そして孫に感謝!感謝!!

 

 ところで、近年の「子ども学」の研究成果には目を見張るものがある。その中でも私が特に注目しているのは、現象学的なアプローチによる「子ども学」の研究成果である。『子ども学序説~変わる子ども、変わらぬ子ども~』(浜田寿美男著)は、子どもが生きる世界の構図を描き、“子どもである”という条件を生きることの意味を考えるという現象学的なアプローチから綴った「子ども学」の珠玉の書である。その中で「人は単独の個体としてその人生をはじめるのではなく、最初から他者の存在を予定したかたちで生まれ出、他者との振る舞いのやりとりのなかで育つ。」という一文を読んだ時、私はハッとした。…「ヒトは初めから人なのか!?」

安楽死するための哲学~小浜逸郎著『癒しとしての死の哲学』から学ぶ~

     今まで私は、誠実かつ真摯に医療に取り組んでいる医者たちの本音として勧めている「自然死」のことや、西部邁氏の自死の動機としての「尊厳死」的な死生観など、人間の「死に方」について言及した記事をいくつか書いてきた。そこで今回は、その「死に方」の一つである「安楽死」について、『癒しとしての死の哲学』(小浜逸郎著)の中に所収されている論考「安楽死するための哲学」の内容をまとめながら、私なりの所感を加えてみたい。

 

 最初に、著者の略歴や著書群について若干の説明をしよう。小浜氏は横浜市生まれで、横浜国立大学工学部卒業後、家族と共に学習塾の経営をしながら評論活動に取り組んできた。現在、国士舘大学客員教授で、評論家。著書には、『学校の現象学のために』『可能性としての家族』『症状としての学校言説』『先生の現象学』『方法としての子ども』『正しく悩むための哲学』等があり、その他の共著も含めると多数の評論集を上梓している。私が教職に就いていた時には、先に紹介したような学校論・家族論・子ども論を展開した著書群を愛読し、よりよい教育実践の在り方を探究する上で大いに刺激を受けたものである。その著者が、独自の視座から「死の哲学」を展開したのが本書である。

 

 では、本書に所収されている論考「安楽死するための哲学」の内容に触れていこう。

 

    まず、高齢社会の中で私たちは長寿者になって「いかに醜さをさらさずに死ぬか」ということを意識せざるを得なくなっていると著者は言う。ただ長く生きたってしょうがない、大切なことはいかによく生きるかだ。ぼけたり体が不自由になったりして、周囲に迷惑をかけてまで長生きしたくないという思いはおそらく誰の胸にも宿っているだろうと、多くの人々の本音を指摘する。

 

    また、ある全国世論調査の結果を基に、ほとんどの人が「尊厳死」の意義を認めていると表現しても過言ではないと言っている。そして、「安楽死」と「尊厳死」との区別を明確にしている。「安楽死」とは、末期患者に対して患者の同意に基づいて呼吸を止める注射などによって積極的に死への手助けを行うことと定義し、行為としては確信的な殺人または自殺幇助となること。一方「尊厳死」とは、「安楽死」との誤解を避けるために作られた言葉で、もはやこれ以上医療行為を続けても苦痛を増すだけで回復が不可能であるとの医学的判断のもとに、人工呼吸装置を取り外すなどのかたちで延命措置の打ち切りをおこなうことと定義し、これは医学的な根拠があり、かつ本人あるいは家族と医師との間に明確な合意があれば、法的に問題にならない行為であること。そう考えれば、「尊厳死」というのは、医療技術が発達し過ぎて簡単に「自然死」させてくれなくなったところに発生した問題であるから、そうした技術の無意味性を医者・患者・患者の家族がいかに共通認識としてもつかという話であると主張している。私はこの点については著者の考えに全く賛成であり、生前から家族に対して「尊厳死」の意志表示をしておくつもりである。

 

    一方「安楽死」については問題点が多い。1991年に起きた「東海大学付属病院安楽死事件」や1996年に起きた「京都の国保京北病院院長の安楽死騒動」などは、これらの医師に理性の喪失や行き過ぎた信念という欠陥を見出すことができるのである。しかし、「早く楽にしてやってくれ」という家族の悲痛な叫びを医師としての行為を動機づける重要な条件の一つとして判断していることにおいて、間違っていない。そして、このことをどう判断するかということが、これらの事件から共通に引き出すべき問題だと著者は主張している。今までの「延命治療」はその多くが人命尊重の理念の蔭に隠れて、惰性的な義務感覚やアリバイ作りの動機から行われてきた傾向が強いので、生前に本人の意思表示がなく、終末期に医師が判断を迫られるような状況下では、著者が言うように家族が示す「姿態」が事実上大きな力を発揮する現実を受け入れる方がよいと私も思う。もちろんその時々で状況が違うので、全ての事例を簡単に一括りにしてしまうのは危険だとは思うが…。

 

    このような「安楽死問題」について著者は言う。末期患者が意識を喪失してもはや死がカウントダウンの段階に入った時、基本的に家族がその運命について決断をする権限があることを認めたい。ただし、判断を下した結果引き起こされること、心理的負担などは、医師でも看護師でもなく、自分たちが全て主体的に引き受けるという条件を家族が承認するという前提である。家族の一員としての私たちは、現代におけるこの使命の一つについて、よくよく主体的な引き受けを覚悟しなくてはならないのである。

 

    最後に、私たちは死というものが個人の生の中で占める意味について、より一般的なかたちで哲学することを必要としているようであると著者は締めくくっている。「家族の共同性」を、人間の生にとって、最も深い現実的根拠を有する共同体であると考える著者だからこそ、この論考の中で「個人の死もまた、家族の中でこそ一つの物語として生き続けることができ、家族は否応なくその成員の死を生きる」という「死の哲学」を語ったのだと思う。この論考を読みながら、生活世界に生起する「家族の共同性」に関する様々な事象そのものを現象学的アプローチから深く考察する必要性を、私は痛感した次第である。

「無」の思想とは…~西部邁氏と佐伯啓思氏の「無」についての論争から~

     前回、西部邁氏の「自裁死=自殺」の真意について過去に執筆していた記事を再構成して掲載した。その西部氏と40年以上も親交があった、京都大学名誉教授で現在はこころの未来研究センター特任教授である佐伯啓思氏が、『死と生』という近著の中で西部氏の「自裁死=自殺」について触れた文章を載せている。そこで今回は、その文章の中で私の心に強く残った内容の概要をまとめ、私なりの考えを簡単に述べてみたい。

 

 「『死の哲学』と『無の思想』-西部邁自死について」という題名の付いた文章は、まず西部氏の自死の背後にある彼流の人生観について書かれている。その人生観の一つは、生きるとは活力をもって活動するという「活動的生」という柱。二つ目は、自分の人生に対して最後まで自分が責任をもちたいという「自己責任」という柱。この二本柱の人生哲学からすれば、明瞭な自己意識でもって意図的な死を迎えるという結論になると著者は西部氏の自死の要因を推察している。この点に関しては前回の記事で述べた私の推量内容と共通していると思う。

 

    ただ、著者の言うように、覚悟の自死は大変な気力と集中力と意志力の持ち主でないとできないであろうから、西部氏の強靭な精神性は平凡人たる私からすると想像を超えるものである。ただし、その自死の手助けを編集者諸氏に依頼した点について、その後の刑法上の処罰を考慮すれば、他者に対する配慮に欠けた行為ではなかったかと私は疑問に思う。もう叶わぬことながら、西部氏の真意を知りたかったところである。

 

 次に、佐伯氏は西部氏との「無」についての論争のことを語っている。西田哲学や仏教の「無」や「空」の思想に関心のある佐伯氏に対して西部氏はこう言う。「無」というようなものが根底にあるのかどうかわからないが、そんなことを問題にしても仕方がない。われわれにできるのは、死ではなく、生の側のことだけだ。われわれは、常に生の内側にあって、生を問うほかない。「死んだらおしまいだよ。後は何にもないんだ。」と、西部氏はよく言っていたそうである。それに対して佐伯氏は、西部氏のこのような死生観に理解を示しつつも、生や存在を語る時に、すでに「無」を前提にしているのではないかと反論する。そして、生の裏側に、この「無」を張り合わせるからこそ、「有」であるこの世の「生」の活動が生き生きとしたものになるのではないか。また、物事の「有性」よりも「無性」の方をより本質的だと見たのが伝統的な日本的精神だったのではないかと…。

 

 確かに西部氏の言うように、死後の世界に関してはいっさい分からないものである。しかし、私は佐伯氏が関心をもつ「無」の思想の方に共感を覚える。それは、私が理性や科学的思考よりも情緒的で美的な感受性に傾いた人間であり、存在が「無」へと向かうはかなさの感覚に共振することが多いからではないだろうか。また、人間中心主義的な小乗仏教よりも脱人間中心主義的な大乗仏教の考え方の方が馴染みやすい人間だからではないかと思う。また、このような私の気質的な傾向は、以前の記事で取り上げた哲学者・梅原猛氏の人類哲学の「草木国土悉皆成仏」という思想から強い影響を受けたことによってさらに増幅したように思う。

 

    そこで、私はもっと「無」の思想について学びたいと思った。そのためには、多くの日本人が愛好している『般若心経』についての理解を深める必要があると考えている。私は「色即是空、空即是色」とか「色不異空、空不異色」とかの言葉を、何となく分かったような気分になって法事などで唱えているが、本当はどのような意味なのかよく理解している訳ではない。『般若心経』の内容が「あらゆる存在は無であり、その本性は空と見なければならない」という主旨であることは知っている。しかし、「無」とは何か、「空」とは何か、その思想性について突き詰めて理解したことはない。近いうちに『般若心経』に関する書物を読み、いずれその学びの成果を記事にまとめてみたいと考えているが、それはしばらくの時間的猶予を与えていただきたいと思う。では、また…。

西部邁氏の「自裁死=自殺」の真意とは…~西部邁著『死生論』から探る~

      前回の記事において、2月のNHK・Eテレ「100分で名著」で取り上げられているオルテガ著『大衆の反逆』のテキストの中で講師の中島岳志氏が解説している内容をまとめながら、西部邁氏の主張について言及した。その記事を執筆している時に、昨年1月に自殺した同氏に関する記事を執筆していたことを思い出したので、今回はその文章を再構成して掲載したい。

 

                  ※

 

 昨年1月21日、「保守派の評論家として知られる西部邁氏が、東京都大田区多摩川で溺死しました。河川敷には遺書らしきものが見つかり、入水自殺をしたようです。」と夜のニュースで聞いて、しばらく心の動揺が治まらなかった。というのは、私は若い頃から西部氏の著書群を愛読しており、私の思想・信条の形成に少なからず影響を与えた人であったからである。

 

 西部氏は、東大在学中に自治委員長として60年安保闘争の指導的役割を果たし、卒業後は横浜国立大学助教授等を経て、東京大学教授(専門は社会経済学)になった。しかし、人類学者の中沢新一氏を助教授として東大教養学部に招き入れる人事が教授会で拒否されたことに抗議して1988年に辞任。その後、テレビの討論番組等で「大衆社会論」を軸に保守の論客として活躍しつつ、論壇誌「発言者」と後続の「表現者」を主宰。一昨年には顧問を引退していた。近年、周りの知人や家族に「自裁死=自殺」を選択する可能性を示唆していたらしい。曖昧なことが大嫌いだった西部氏らしい、ある種の絶望感に陥った上での覚悟の自殺だったのか…。

 

 私はこの西部氏の訃報に接し、その「自裁死=自殺」の真意を探るべく既に自決を予告していた『死生論』(1996年刊)を再読してみた。本書の内容は、「死の意識」「死の選択」「死の意味」「死の誘惑」の4章で構成されている。その中の第1章「死の意識」の中で氏は次のように述べている。「自分の死を意識しつつ死ぬこと、それが人間に本来の死に方であり、その最も簡便な形が『自殺』ということなのである。このことは、論理の完璧主義を期していうのではない。『人間』として死ぬか『動物』として死ぬかというごく簡単な選択において、人間(意識体)は前者をとらずにおれないのだということをはっきりさせたいだけのことだ。」

 

    また、第2章「死の選択」の中では「自分が自分でありつづけている(と思い込んでいる)うちに死ぬこと、現代にあってはそれを可能にしてくれる最も簡便な方法は『自殺』である。」とも述べている。つまり、著者である西部氏は、既に20年ほど前から自分の死に方を「自裁死=自殺」と決めていた節がある。その理由は、自分が単なる生命体でしかなくなった後まで自分を生き永らせることが耐えられないからである。したがって、今回の自殺は意識のある間に自分の生命体をおしまいにするという人間的な選択をしたのであろう。

 

   そう言えば、一昨年12月に刊行された最期の書『保守の真髄~老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)~』においても「病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄り回されたくないからだ。」と述べていた。その上に、5年前に妻を亡くしたこと、その後咽頭がんを手術で切除したこと、皮膚病の一つである掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)や頸椎磨滅・腱鞘炎の合併による神経痛等によって手足に強い痛みを感じていたことなど、老齢期(享年78歳)になり心身共に不自由な状況下にあったことも「自裁死=自殺」を選択する意志を強めていく誘因になったのではないかと思う。

 

 最後に、『死生論』の中で私の心に最も響いた文について記したい。それは「おわりに」の中にある「生と死が表裏一体であることに気づけば、よくできた会話は生を語ることによって死を照らしだし、死を想うことによって生を輝かせるような種類のものとなる。」という文である。ともすると近代化の洗礼を受けた私たち日本人は死の恐怖から逃れるために、「死をめぐる会話」を避けてきたと思う。しかし、本当は死の恐怖を和らげるためにこそ、特に世代間において「死をめぐる会話」の場や方法を創造するべきなのである。私たちは、もっと日常的に死について語り合うことが必要なのではないだろうか。

懐疑することを懐疑しない!?~西部邁著『大衆への反逆』における主張~

      前回の記事で、2月のNHK・Eテレの「100分de名著」で取り上げられている『大衆の反逆』のテキストに書かれている内容、特に第2回(2月11日放送分)「リベラルであること」の中島岳志氏の解説内容について触れた。そこで今回は、その最終回になる第4回(2月25日放送予定分)「『保守』とは何か」の解説内容から、我が国でオルテガの存在にスポットライトを当てた、日本を代表する保守思想家であった西部邁が著した『大衆への反逆』(特に「“高度大衆社会”批判-オルテガとの対話」という文章)における主張に焦点を合わせてその概要をまとめ、私なりの簡単な所感を述べてみたい。

 

 評論家としてのデビュー作となった「“高度大衆社会”批判-オルテガとの対話」という文章の中で、西部氏はオルテガの姿勢に対する厚い信頼を綴っている。つまり、オルテガが「大衆とともにあること」と「大衆から離れて独りで歩むこと」の両方を同時に実践したことを高く評価しているのである。また、オルテガの著作の中に、多数者の専制に対する警告を見出している。さらに、大衆が支配する現代のデモクラシーの姿を「集団的独裁」と呼び、現代は少数者と対話しようとせず、異なる他者への寛容を失い、死者を殺してしまった時代だと指摘している。

 

 一方で西部氏は、近代を生み出しながら、その近代を全力で疑ったヨーロッパ近代思想に、多大な信頼を寄せている。つまり、ヨーロッパの懐疑主義的な精神の中に、人間の在り方を見出していたのである。「懐疑することを懐疑しない」…疑うことを疑ってはいけない。自己の存在をはじめ、あらゆるものを徹底的に疑う。これが実は健全なる何かをつかむことにおいて重要なのだ、と言う。しかし、近代は近代を信奉し、そのまま進めばすべてがうまくいくと考える、あまりにも軽薄な時代であるというのが氏の主張なのである。

 

 氏はまたこうも言う。トポスなき、自己懐疑を失った近代人たる「大衆」に寄り添ってみせるのが善良な知識人だという風潮があるけれど、自分はそれには従いたくない。大衆の中にある問題を突き刺し、示して見せることによってこそ、開けてくる世界があるのではないか…。また、自民族中心の思想こそが大衆化、大衆主義の典型であると考えている。そして、ヨーロッパの徹底した懐疑的精神に立った上で、ぎりぎりのところまで自分たちを、人間を疑い、問い詰めた先に、ようやく「日本という国をどう考えるか」という問いが立てられる。それを経ずして、安易に大衆社会の中で「日本」を礼賛し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と浮かれている人間を、氏は軽蔑していたのである。

 

 『大衆への反逆』の中で、氏は繰り返し、オルテガの「自己懐疑する精神」を高く評価している。自分や自分の依って立っている時代を、常に問い続ける。その結果として、自分を超えたところにある英知をつかもうとする意志をもち続けたのがオルテガだった。氏は、その「疑いの先にある英知」を、自分のものにしようとしたのである。私は、オルテガから学んだ氏の「懐疑することを懐疑しない」という主張に、徹底して英知をつかもうとする真摯な精神性を感じ取り、強く共鳴する。しかし、この精神性を常に維持することは困難であることも分かる。汝自身、それができるのかと問われれば、安易に首肯することはできない。というのは、私はついつい易き方向に進んでしまいそうになる怠惰な精神状態に陥ってしまうからである。

 

 では、どうすればそのような精神状態を脱することができるのか。私なりに意識して実践していることは、多様性をもった他者との出会い、異質な文化を内包する様々な本との出合いをなるべく積極的に求めていくことである。そして、ともすると即自的に陥りがちな自己の在り方を問い直し、異文化との対自的な対話を積み重ねていく中で、よりよい英知をつかんでいく。…と、ついカッコいい言葉を連ねてみたが、現実的には日々ささやかな実践を積み重ねて、カメのような遅々たる歩みを続けているに過ぎないのだが…。

保守は本来リベラルだった!~オルテガ著『大衆の反逆』に学ぶ~

    現在の我が国の政党政治の対立軸はアメリカに倣って「保守」対「リベラル」という構図になっていると、私を始め多くの国民は認識していると思う。つまり、「保守」と「リベラル」というのは、主に政局的に対立する考え方や立場であると暗黙の内にとらえている。ところが、そのような認識を覆すような「保守は本来リベラルだった!」という言説を知る機会を得た。それは、2月のNHK・Eテレの「100分de名著」で取り上げられている、スペインの哲学者で思想家であるホセ・オルテガ・イ・ガセットが1930年に刊行した『大衆の反逆』のテキストを読んだことがきっかけである。そこで今回は、同番組の第2回(2月11日放送分)「リベラルであること」の中で、講師の評論家で東京工業大学教授である中島岳志氏が「リベラル」に関して解説している内容の概要をまとめながら、私なりの所感を綴ってみたい。

 

 オルテガは保守的な考えをもっていたが、「反リベラル」ではない。むしろ、保守的であるがゆえにリベラリズム自由主義を徹底的に擁護した人物である。その理由は、オルテガがリベラルに対立する存在ととらえていたのは、いわゆる「保守」ではなく、ファシズム社会主義だったかからである。歴史的には「リベラル」という言葉はもともと「寛容」という意味だった。その概念の起源は、17世紀前半にヨーロッパで起こった30年戦争にある。この戦争は、プロテスタントカトリックという宗教上の対立であったが、本質的には価値観をめぐる戦争であった。しかし、30年間の激しい戦いを経たにもかかわらず、どちらが正しいという結論が出なかった。そこで現われたのが「リベラル」という原則だった。〈自分と異なる価値観をもった人間の存在を認める。多様性に対して寛容になる。〉これらが近代的な「リベラル」の出発点なのである。そして、この概念は必然的に「寛容」⇒「自由」という観念へと発展する。ここに「自由主義としてのリベラル」が生まれてくるのである。オルテガは、そのリベラルの原則に基づいた「最高に寛大な制度」である自由主義は、「地球上にこだましたもっとも高貴な叫びである」とも言っている。

 

 一方で、オルテガリベラリズムを共有することは、非常に面倒で鍛錬を伴うという認識ももっていた。違いを認め合いながら共生していくのは、手間も時間もかかる面倒な行為であるけれど、それを可能にするために人間は、歴史の中でさまざまな英知を育んできた。自分と異なる他者と共存することが「文明」であり、そのときには手続きや規範、礼節といったものが重要になる。ところが、それらを面倒くさがり、すっ飛ばしてしまうのが「大衆」(自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのかの区別もつかないような、個性を失って群衆化した大量の人=平均人)の時代ではないか。そのような大衆の時代だからこそ、自分と真っ向から対立する人間こそ大切にし、そういう人間とも議論を重ねることが重要なのだと、オルテガは言う。

 

 オルテガは「大衆」と対立する概念として「貴族」という言葉を使う。反対者や敵対者とともに統治していこうとする人間。それだけの勇気や責任感、指揮をする能力をもった尊敬に値する人間。孤立と連帯とのバランス感覚をもった人間。そうした人間を「貴族」と呼んでいる。真意としては「精神的貴族」「人格的貴族」ということであり、高貴な人であり努力する人であり、卓越する人なのである。また、貴族なる人間は、真理の探求を欠かすことはなく、他者と共存することができる粘り強さをもった人間である。さらに、オルテガ自由主義の本質は、常に過去の経験知の中にある。それが他者に対する寛容であり、またそれを可能にするための儀礼や手続きであるとも言っている。

 

 以上、「リベラル」に関する中島氏の解説内容の概要をまとめてみた。限られた内容ではあるが、オルテガ全体主義が席巻する20世紀はじめのヨーロッパにおいて、「大衆」の本質と民主主義の限界を示し、真の「保守」や「リベラル」とは何かを問おうとしたということがよく分かる。現代の我が国は、オルテガが憂いたような大衆社会そのものになっており、多くの国民が「大衆」になってしまっているように感じる。私自身、いつのまにか無意識に「大衆」化してしまっているのではないかと、本テキストを読んだり、「100分de名著」の第2回の放送を視聴したりしながら反省した次第である。

 

 自分のことを棚に上げて言う訳ではないが、私たち日本国民は、現在の政治や政局の情況を単に「保守」対「リベラル」という構図に当てはめて安易に自分の考えや立場を決めないで、オルテガのいう「貴族」たらんとして「保守=リベラル」的な思考を真摯に深めることが今、求められているのではないだろうか。

「生涯学習」の考え方から発展させた新しい時代の学び方について(2)

    前回の記事では、「ワークアズライフ」の生き方や「学び続けること=仕事をすること=生きること」の三位一体論の考え方を一人一人の国民に保障するためには、これからの学校教育の在り方はどうあればよいのかという問いを発したところで締めくくってしまった。そこで今回は、その回答内容を『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』(落合陽一著)の中の重要な主張を参考にしながらまとめてみよう。

 

 著者の落合氏は、これからの学校教育の在り方を示すものとして今の教育界において重要視されている「STEAM教育」を取り上げている。そして、その中でもこれまでの学校教育において不十分であった、主体的な課題解決に取り組みながら学び続けるために必要なツールとなる「4つの要素」の学びの手法について、具体的な実践例を示しながら解説している。

 

   まず、「STEAM教育」について。「STEAM」とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)、そしてArt(芸術)の頭文字を合わせたもの。そして、「STEAM教育」は、AIやロボットとともにシステムに組み込まれる「使われる側」の人間になるのではなく、これからの時代に必要とされる教養を身に付け、創造性を生かしながら、新たなシステムを創造し、AIや人的リソースを「使う側」として活躍するための教育であると主張している。もちろん全ての子どもが「使う側」になれるわけはなく、むしろ多くの子どもが「使われる側」になるのが現実である。とすれば、「使われる側」になることも想定した教育が必要になると私は考えるが、それはまた別の問題になるのでいつか論ずることにして、今回は著者の主張に沿って論を進めよう。

 

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    次に、「4つの要素」について。著者が、今までの学校教育で抜け落としがちな「4つの要素」として挙げているは、次のとおりである。

・ 言語(ロジックなど)…言語をロジカルに用いる能力

・ 物理(物の理という意味で)…物理的なものの見方や考え方

・ 数学(統計的分析やプログラミング)…数学を用いた統計的判断や推定力

・ アート(審美眼・文脈・ものづくり)…アートやデザインの鑑賞能力審美眼

この4つの要素がなぜ学校教育に不足しているかというと、「どう学ぶか」という学びの手法について、これまで議論されてこなかったからだと著者は言う。このような議論を背景にしてか、新学習指導要領においても「どう学ぶか」という学び方に踏み込んだ内容が示されたが、この4つの要素は〈教え-教えられる〉という教育関係を基本にした「何を学ぶか」という教科内容の外側で、それぞれの領域を行ったり来たりしながら、主体的に学び問い続けるためのキー・コンセプトなのである。

 

 では、4つの要素の「学びの手法」(知的な世界との向き合い方=ライフスタイルの問題)のポイントをまとめてみよう。

 

 一つ目は、「言語」の学びの手法について。著者は、特にアカデミック・ライティング(相手が理解できる意味の明確な単語を使い、論理的に正しく意味が伝わる文章を書くこと)の重要性を説いている。そして、それを身に付けるためには、子どもの頃から論理構造や主語が明確に書かれた文章を読み、その構造をできるだけ把握するようにすること。また、自分の頭で考えを深め、それを言語化、つまり言葉にして話すようにすることなどが大切であると主張している。

 

 二つ目は、「物理」の学びの手法について。著者は、まず対象をよく観察して、「なぜ」と問い続けることの必要性を説いている。そのためには、子どもに対して大人は「なぜだろうね」「どうしてかな」「僕はこう思うんだけど、君は?」というスタンスで、一緒に考えること。また、そのような対話の中で子どもに科学的な観察眼を身に付けてさせていくことが大切であると主張している。

 

 三つ目は、「数学」の学びの手法について。著者は、実世界の対象を解析的にとらえる習慣やデータサイエンス、いわゆる統計処理や、物事の判断に確率や統計を使う考え方を身に付けることが大事だと説いている。特に解析的に考えるか、分析的に考えるかの違いを理解し、常に両者の領域を行き来しながら思考や判断を深めていくこと。また、そのためには観察を通したデータ収集に心掛け、仮説・検証を繰り返す習慣を身に付けていくことが大事であると主張している。

 

 四つ目は、「アート」の学びの手法について。筆者は、鑑賞したことを自分の中の文脈と照らし合わせて論理的に言語化して、演奏したり、描いたり、造形したりすることを繰り返す教育の大切さを説いている。そのためには、自分なりのアートの鑑賞法を身に付け、自分のコンテクスト(自分なりの観点、世界の見方)を踏まえて自由に意見を述べる習慣を付けることが大事であると主張している。

 

 以上、4つの要素の「学びの手法」のポイントをまとめたが、これらは前述したようにお互いの領域を行き来しながら考えた方がよい。また、できれば小さい頃から文系・理系を分けずに、両方学んでおくと、両者を無理なく行き来できる柔軟な知性を育むことができると著者は強調している。

 

   「STEAM教育」と4つの要素の「学びの手法」、これらが「ワークアズライフ」の生き方や「学び続けること=仕事をすること=生きること」の三位一体論の考え方を一人一人の国民に保障するための、これからの学校教育の在り方を示す指標になる。その成果は、自律的な学びを中核とした「生涯学習」に必ず発展していくであろう。