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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

動物も「退屈」することはあるのか?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑦~

 首都圏の1都3県に発出されていた「緊急事態宣言」が解除された途端に、いわゆる“第4波”があっという間にやってきた。つい先日までは新型コロナ・ウイルスの新規感染者数がほとんどいなかった我が県でも急増してきて、数日前には今までの最高値を更新したのである。感染力の強い変異ウイルスも検出されているらしい。このままだと近いうちに県内の医療体制が逼迫する事態に至ることは間違いない。なるべく早くワクチン接種をして感染予防したいところだが、高齢者対象でもまだ1か月以上先の話である。だから、今まで実行してきたような「三密を回避したり、外出時はマスクを着用したり、こまめに手指消毒をしたりするなど」の感染予防策をより徹底したい。今のところ我が家は、基本的に孫Mの世話中心の生活をしているので、買い物以外の「不要不急の外出をしない」というステイホーム状態であるから、感染リスクはかなり低いと思うが、油断は大敵!改めて気を引き締めた生活を送っていこうと、感染予防意識を高めた次第であります。…ということで、今回も始めますよ~。

 

 さて今回は、本書に関する10回連続記事シリーズの第7回目である。前回同様にマルティン・ハイデッガー著『形而上学の根本諸概念』を取り上げて、「退屈」に関する動物と人間の違いについて論じた部分を批判的に検討しているのが「第6章 暇と退屈の人間学-トカゲの世界をのぞくことは可能か?」である。私にとって大変興味深い内容である。特に生物学者ヤーゴプ・フォン・ユクスキュルがその著書『生物から見た世界』の中で提唱した「環世界」という考え方を、ハイデッガーが批判的に検討している部分が面白い。

 

    そこで、この「環世界」という概念とそれに対するハイデッガーの批判についての解説内容を要約した上で、「退屈」に関する動物と人間の違いについてまとめてみよう。

 

 普段私たちは、自分を含めたあらゆる生物は一つの世界の中で生きていると考えている。つまり、全ての生物は同じ時間と同じ空間を生きていると考えているが、ユクスキュルはそれを疑った。そして、全ての生物がその中に置かれているような単一の世界などなく、全ての生物は別々の時間と空間を生きていると述べたのである。これが「環世界」の考え方なのであるが、『生物から見た世界』の中ではダニの狩りの様子を基にしてその吸血プロセスを描きながら、嗅覚と触覚しか機能しないダニが<酢酸のにおい・摂氏37度の温度・体毛の少ない組織>という三つのシグナルだけでつくられた「環世界」を生きている印象的な事例を挙げている。

 

 また、18年間絶食しているダニが生きたまま保存されている事実をユクスキュルが紹介している。このことから、ダニと人間の受け取る情報の数が異なるだけではなく、もしかしたら時間も異なっているかもしれないと考え、追究する。その結果、彼は「時間とは瞬間の連なり」であり、この「瞬間」を具体的数字でもって説明した。例えば、人間にとっての瞬間とは、18分の1秒(約0.0056秒)。彼はこれを映画から導き出す。人間は、映画フィルムの各コマの停止とスクリーンの暗転が18分の1秒以内に行われると、真っ暗になる部分は感じられない。18分の1秒以内で起こることは人間には感覚できないのだ。したがって、18分の1秒とは、人間にとってそれ以上分割できない最小の時間の器なのである。驚くことに18分の1秒は視覚だけでなく、聴覚でも言える。人間の耳には1秒間に18回以上の空気振動は聞き分けられず単一の音として聞こえるらしい。また、触覚でも1秒間に18回以上皮膚をつつくと、ずっと棒を押し当てられているような一様な圧迫として感じるそうなのである。つまり、人間にとっては18分の1秒が感覚の限界なのであり、人間の「環世界」に流れているのは18分の1秒が連なった時間なのである。面白い!

 

 この後、著者はある研究者の研究成果に基づいて、ベタという魚は30分の1秒まで知覚することができることや、カタツムリは3分の1秒(あるいは4分の1秒)より短い時間を認識できないこと、そして各生物はそれぞれ異なった時間を生きていると述べていることを紹介している。次に、先ほど何も食べずに18年間生き続けているダニの話に戻って、それは驚くことではないと言う。私たちがこの事実に驚くのは、ダニも人間の時間と同じ時間を生きていると前提してしまっているからだとも述べる。ただ、ユクスキュルはダニの「瞬間」については何も述べていないが、18年間冬眠に似た一種の睡眠状態にいたのではないかと推測している。

 

 さらに、ユクスキュルはこのような「環世界」における時間のとらえ方と同様なことが空間についても言えることを、ミツバチと巣箱に関する事例を挙げて説明している。人間のように空間把握をもっぱら視覚のみに頼る動物とは異なり、ミツバチは触覚を用いていることが分かったのである。生物はそれぞれ他の生物とは異なった仕方で空間を把握しているのである。なるほど。

 

 以上のようなユクスキュルの「環世界」論に対して、ハイデッガーは次のように批判している。確かにユクスキュルの「環世界」論は動物に関しては正しいが、その概念を人間に適用するのは間違っている、と。このことをハイデッガーは、「環世界」を生きる動物にとっては、物そのものとか、物それ自体といったものが、構造的に欠けているから認識できないのだと、哲学的な言い回しで説明している。それに対して、トカゲはトカゲの「環世界」をもつように、宇宙物理学者は宇宙物理学者の「環世界」を、鉱物学者は鉱物学者の「環世界」をもつのではないかと、著者は反論する。そして、このことをハイデッガーがどうしても認めないのは、彼がはなから人間は特別であるという信念に合うように立論しているからだと断定している。

 

 それにしても、ハイデッガーはなぜ人間に「環世界」を認めることを拒絶するのだろうか。理由はいくつかあるが、著者は<暇と退屈の倫理学>の議論にとって重要な理由は、次のようなものだと考える。ハイデッガーは、人間だけが「退屈」する。なぜなら人間は自由だからである。それに対して、動物は「退屈」しない。なぜなら動物は<衝動の停止>と<衝動の解除>の連鎖によって動いていくという<とらわれ>の状態にあって自由でないからである。彼の考えでは、「環世界」に生きるとは、動物のような<とらわれ>の状態、一種の麻痺状態を生きることを意味するから、それを人間に認めることはできないのである。

 

 でも、もし人間にも動物の場合と同様に「環世界」を認めたとして、人間と動物は変わらないということになるのだろうか、やはり人間と動物は何か違いを感じるのではないかと、著者は問う。そして、様々な生物の「環世界」の間の違いの大きさに着目し、その大きさとは一つの「環世界」から別の「環世界」へと移行することの困難さによって示すことができるのではないかと考え、ユクスキュルが挙げている盲導犬の例を取り上げている。

 

 盲導犬を訓練によって一人前に仕立て上げることは大変難しい。その理由は、その犬が生きる「環世界」の中に、犬の利益になるシグナルではなくて、盲人の利益になるシグナルを組み込まなくてはならないからである。要するに、その犬の「環世界」を変形し、人間の「環世界」に近づけなければならないのだが、これが困難なのである。しかし、不可能ではない。盲導犬は見事に「環世界」の移動を成し遂げるのである。このことから生物の進化の過程について考察を深めると、生物は自らが生きる環境に適応すべく、その本能を変化させてきた。この環境への適応、本能の変化は、当然ながら「環世界」の移動を伴ったに違いない。そう考えると、あらゆる生物には「環世界」の間を移動する能力があると言うべきであろう。

 

 人間にも当然「環世界」を移動する能力があり、他の動物とは比較にならないほどの高い能力が発達している。さらに、人間は他の動物に比べて比較的容易に「環世界」を移動する。本書では、この「環世界」を移動する生物の能力を「環世界間移動能力」と名付け、著者はそれを人間と動物の違いについて考えるための新しい概念として提唱している。そして、ハイデッガーの立論の問題点は、この相対的に高いに過ぎない人間の「環世界間移動能力」を絶対的なものとみなしてしまったことにあり、そのために人間を「環世界」を超越するような存在して描いてしまったことにあると、著者は批判している。

 

 このことから「退屈」について考えてみよう。人間は「環世界」を生き、かなり自由に移動する。人間は容易に一つの「環世界」から離れ、別の「環世界」へと移動してしまう。一つの「環世界」に浸っていることができない。おそらくここに、人間が極度に「退屈」に悩ませる存在であることの理由がある。そして、この「環世界」を容易に移動できることが、人間的「自由」の本質かも知れないと、著者は言う。では、動物と「退屈」についてはどう考えれはいいのか。人間は高度な「環世界間移動能力」をもつが、それは他の動物に対して相対的に高いに過ぎない。他の動物もこの能力をもつ。だとすれば、少なくとも可能性としては、他の動物もまた、一つの「環世界」に浸っていることができず、「退屈」することがあり得ると言わねばならない。さらにここから、人間と動物の区別がもつ意味をも問い直すことができる。それは今までの「環世界」と「退屈」を巡るこれまでの議論から、人間は動物より高い「環世界間移動能力」をもち、高い地位にあるという上下関係の価値判断をひっくり返す可能性を見出すことができる。なぜなら、動物は人間に比べて相対的にかつ相当に高く一つの「環世界」に浸る能力をもつということができるからである。著者は、ここに<暇と退屈の倫理学>を構想するための一つのヒントがあるのではないかと期待を込めて述べている。なかなか鋭い視点だ。

 

 今回の記事は、ほとんど本書の「第6章 暇と退屈の人間学-トカゲの世界をのぞくことは可能か?」の中で、私が特に興味深く、面白く感じた内容の概要をまとめただけになってしまったが、それはそれで私の所感がこの文章に込められているとも解釈できる。それぐらい、私は本章の内容に引き込まれていったのである。いやー、楽しかったなあ。でも、副題にある「トカゲの世界」のことを紹介できなかったのは、私の要約力の乏しさが露呈してしまったかな~。

気晴らしと絡み合った「退屈」は、人間の生の本質?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑥~

 ここ数日、昼夜を問わず孫Mがぐずった時に寝かし付ける世話に追われている。そのために、上腕筋が張ったり睡眠不足になったりしてきて、多少疲れ気味である。その上、一人目の4歳の孫Hが一昨日に嘔吐の症状が起き、病院でウイルス性胃腸炎の診断を受けたので、昨日は保育園を休んで自宅療養していた。その早朝に長女からラインで「午後から自分はどうしても仕事のために出勤しなくてはならないのでHの世話をする人がいなくなるから、数時間の世話をお願いできないか。」との依頼があった。現在、私は一日中フリー状態なので、孫たちのためにできることがあれば、何でもしてやりたい。私はラインで「了解👌」の返事を送り、Mは二女と妻に任せて午後には長女宅を訪れ、室内で3時間ほど久し振りにHと遊んだ。可愛かった!楽しかった!!でも、さすがに昨夜は疲れ切ってブログの記事を書く気力が萎えた。今朝になり少し回復していたので、やっとパソコンを開くことができた。

 

 さて今回は、本書に関する10回連続記事の復路の初回、通算すると6回目の記事になる。いよいよ退屈論の最高峰とも言える、哲学者マルティン・ハイデッガー著『形而上学の根本諸概念』を取り上げている「第5章 暇と退屈の哲学-そもそも退屈とは何か?」を再読して、著者の主張する内容の要諦をまとめながら、簡単な所感を付け加えてみたい。

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 ハイデッガーは、『形而上学の根本諸概念』の中で、哲学者オスヴェルト・シュペングラーが著した『西欧の没落』のヨーロッパ文明論に言及し、この時代診断は私たちを少しも「感動させない」が、だからといって「流行哲学にすぎない」とバカにして片付けてもいけないと言っている。流行するにはそれなりの理由があると考えたのである。では、その理由とは何か。彼は、この本が流行ったのは、ヨーロッパ人が確かに何らかの「没落」の感覚をもっていたからだと考えたのである。そして、そこから彼は考えを進めていき、ついには次のような言葉に至っている。…結局、ある種の深い退屈が現存在(人間)の深淵において物言わぬ霧のように去来している。…この「退屈」こそ私たちにとっての根本的な気分であると、ハイデッガーは言うのである。つまり、私たちは「退屈」の中から哲学するしかない、と。

 

 こうしてハイデッガーは、この後「退屈」について長い論究を始めるのだが、著者はその内容についてかなり詳しくかつ分かりやすく解説している。私はその解説内容の要諦をこれからまとめるつもりだが、それは著者が解説しているハイデッガーの論究内容を孫引きするような要約になることを先にお断りしておきたい。では、始めよう。

 

 ハイデッガーは、最初に「退屈」は誰でもが知っていると同時に、誰もよく知らない現象だと言う。知っているが、それについて問われるとはっきりと述べることはできない。何だか矛盾した内容を言っているが、だからこそ彼は、みんながぼんやりと知っている「退屈」を、次のような二つに分けて考えることを提案する。

① 何かによって退屈させられること。(退屈の第一形式)

② 何かに際して退屈すること。(退屈の第二形式)

 

 ①は受動形で、はっきりと退屈なものがあって、それが人を退屈という気分に引きずり込んでいるということ。彼は、これを「4時間先に到着する列車を待つために、ある駅舎で腰掛けている描写」という非常に分かりやすい日常的な事例を挙げて説明している。そして、この場合の「退屈」は、簡潔に言えば物が言うことを聴いてないために、<空虚放置>(空しい状態に放って置かれること)され、そこにぐずついた時間による<引きとめ>が発生することによって起こっていると分析しているのである。

 

    それに対して、②は何かに立ち会っている時、よく分からないのだがそこで自分が退屈してしまうということ。何がその人を退屈させているかが明確でなく、退屈が周囲を覆い尽くしてしまうような感じである。彼は、これを「パーティーに参加し、美味しく趣味のよい夕食をいただいたり、親しい仲間たちと面白く愉快な会話を楽しんだりした一連の描写」という極めて印象的な事例を挙げて説明している。そして、この場合の「退屈」を彼は分析しようと試みるが、①のような説明は簡単にはできない。しかし、根気強く論究していった結果、おおよそ次のように分析する。…自分によって停止した時間へと<引きとめ>られたために、自分の中で空虚が成育するという仕方で<空虚放置>の中へと滑り落ちるがまま放任されている。…この<引きとめ>と<空虚放置>という2つの要素が不可分の関係にある複合体こそが、私たちを退屈させる「何だか分からない」ものなのである。

 

 次に、著者はこの退屈の第二形式と本書の議論である「暇と退屈の類型」表を組み合わせた考察をしている。そして、退屈の第二形式は、大変謎めいている<暇ではないが退屈している>という第4カテゴリーの本質を言い当てたものではないか、また、それは私たちが普段もっともよく経験する退屈ではないかと推察して、こうも言っている。第4カテゴリーは、暇つぶしと退屈の絡み合った何か-生きることはほとんど、それに際すること、それに臨み続けることではないだろうか、と。著者は、ハイデッガーが退屈の第二形式を発見したことの意義は本当に大きいと評価している。その理由は、第二形式が何か人間の生の本質を言い当てていると言ってもよいからである。

 

 この点について、ハイデッガー自身、退屈の第一形式と第二形式を比べながら、次のようなことを言っている。

① 第一形式のような退屈を感じている人は、仕事の奴隷になっており、時間を失いたくないという強迫観念に取り憑かれた「狂気」であり、大いなる「俗物性」へ転落している。

② 第二形式のような退屈を感じている人は、時間に追い立てられてはなく、自分に向き合うだけの余裕もあるから、「安定」と「正気」であり、人間的生の本質を生きている。これは、第一形式よりも「深い」退屈である。

 

 以上のように退屈を二つの形式に分けて鋭く分析したハイデッガーは、この後、退屈の第三形式について語る。それは、驚くことに「なんとなく退屈だ」という短い一文なのである。これこそ、最高度に「深い」退屈。では、彼は具体的にどのような事例を挙げて説明しているのだろうか。ところが、そのような事例はない。ただ次のような具体的な話をしている。…日曜日の午後、大都会の大通りを歩いている。するとふと感じる、「なんとなく退屈だ」。…つまり、第三形式とは、「なんとなく退屈だ」と感じることであり、「なんとなく退屈だ」という声を聞き取ることであり、また「なんとなく退屈だ」というこの声そのもののことである。そして、この第三形式からこそ、他の二つの形式が発生するのである。

 

 ハイデッガーは、この第三形式についてもこれまでと同様に、<空虚放置>と<引きとめ>の二つの観点から分析する。<空虚放置>に関しては、人は全面的な空虚の中に置かれ、全てがどうでもよくなる。いかなる気晴らしもできない。「なんとなく退屈だ」という声に耳を塞ぐこともできないのである。また、<引きとめ>に関しては、人は何一つ言うことを聴いてくれない場所に置かれる。何もないだだっ広い空間にぽつんと一人取り残されているようなもの。そうなると、人はあらゆる可能性が拒絶され、自分自身に目を向けることで、自分がもっている可能性に気が付くのである。この<引きとめ>は、解放のための可能性を教えるきっかけに他ならない。

 

 最後に、ハイデッガーはこの可能性とは何かを問う。答えはこれまた驚くほどに単純である。「自由だ!」これが彼の答えである。退屈という気分が私たちに告げ知らせていたのは、私たちが自由であるという事実そのものである、と。しかし、この段階ではまだ自由は可能性に留まっている。では、それをどう実現するか。ここでの答えも驚くほど単純である。「決断することによってだ!」と言うのである。彼は、退屈する人間に自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよと言っているのである。これがハイデッガーの退屈論の結論である。

 

 この結論に対して、著者は納得することができず受け入れ難いと批判している。しかし、彼の退屈の第二形式の発見については、特に極めて豊かなものがあり、<暇と退屈の倫理学>を考える上で大きなヒントになると高く評価している。私には著者のハイデッガーの退屈論に対する批判根拠についてよく分からなかったが、退屈の第二形式の分析内容が本書の結論の視座を提示していることは何となく分かった。それにしても、本章を再読することで、私を襲った「退屈」という気分をハイデッガーはここまで分析していたのだと認識することができたことは、私にとって大変有益な作業になった。

 

 それにしても、最近は「暇」もなく「退屈」でもない日々が続く中で、このような記事を書いているというのは、どういうことなのだろう?

「本来性なき疎外」って、どんな疎外のことなの?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑤~

 全国各地から桜の開花宣言がなされ、暦の上では昨日「春分の日」になり春のお彼岸を迎える好季節になってきた。また、首都圏の1都3県に延長して発出されていた「緊急事態宣言」が、明日には解除される運びである。しかし、首都圏ではまだ新型コロナウイルスの新規感染者数が下げ止まっている上に、今後は特に感染力の強い変異ウイルスの流行によるリバウンドが予測され、全く油断できない状況である。

 

    それに比べれば、我が県では今のところ新規感染者数が少ない状況のままで推移している。とは言っても、実質的な感染拡大防止策を取り続けて丸1年以上経ったにもかかわらず、経済活動をはじめ社会生活全般において依然として闇の中を彷徨っているような感じが続いている。ただ、高齢者へのワクチン接種が来月から始まる予定なので、そのことが「終息」という出口に灯る微かな明かりのように感じる今日この頃である。そんな社会状況の中、私個人としては「暇」と「退屈」に関する自分の実存的な問題への取組として本書を再読しながら記事を綴っていくことで、春を迎えるような明るい気分に少しずつなってきているのも事実である。

 

    さて今回は、本書に関する10回連続記事シリーズの往路の最後、5回目である。やっと折り返し地点にまで辿り着けそうなので、余計に気分は明るくなってくる。本書の「第4章 暇と退屈の疎外論-贅沢とは何か?」の中で、特に私の心に印象深く刻まれた内容の概要をまとめながら、短い所感を綴っていくという恒例のパターンで記事にしてみたい。

 

 まず本章の前半部で、著者はかつての労働者の疎外(一般に、人間が本来の姿を喪失した非人間的状態のこと)とは根本的に異なっている、消費社会における疎外の特性について強調している。つまり、消費社会における疎外の特性とは、終わりなき消費のゲームを続けているのが消費者自身であるから、労働者が資本家によって虐げられているというのとは違って、自分で自分のことを疎外してしまっているということ。しかも、その消費の対象が、単に物やサービスだけに留まらず人間のあらゆる活動にまで拡張されてきている。特に社会学者・哲学者であるボードリヤールが注目しているのは、「生き甲斐」という観念を消費する「労働」であり、「好きなことをしている」という観念を消費する「余暇」であることを紹介している。さらに、それらの消費はいつまでも満足することがないので、永遠に続けざるを得ない蟻地獄のようになっている。したがって、この消費社会における疎外を克服するのは、至難の業なのである。

 

 このような消費社会における疎外の特性を踏まえた上で、本章の後半部において著者は、今までの思想や哲学が忌避し目を背けてきた疎外論に同伴していた「本来性」という語の陥穽について、鋭く指摘している。そして、消費社会の論理と現代の「退屈」との関係を問う際に避けられない、「疎外」という概念についてやや込み入った哲学的議論を展開している。その中でも特に重要な視座である「本来性なき疎外」について、ジャン=ジャック・ルソーカール・マルクス疎外論を取り上げて、その意味や意義の大きさを何度も強調している。なお、「本来性」という語の陥穽については、私が教職に就いていた頃に反省すべき経験があるので、今回の記事はこの「本来性なき疎外」の意味や意義に重点を置いた内容をまとめようと考えている。

 

 「疎外」という語は、「そもそもの姿」「戻っていくべき姿」、要するに「本来の姿<本来的なもの>」というものをイメージさせるために、ともすると強制と排除という危険性を孕んでしまう。だから、「本来性」に基づいて疎外論を構築する場合、その議論は強力に保守的なものになり、時に凶暴な、暴力的なものにすらなる。「本来性」に基づいて構築された疎外論は、現在の姿を全面否定し、過去の姿へと帰還するように強制することがあり得るのである。そのため、過去の疎外論ブーム以後の思想・哲学は、このような危険性を孕む「本来性」という語と共に「疎外」という概念も否定してしまった。しかし、結局そこに生れるのは現状追認の思想であった。著者は、本当にそれでいいのだろうかと異議申し立てをする。

 

 それに対して、近代的な疎外の概念を提起したルソーや、それを議論の中心に据えて前景化したマルクスは、人間の本来的な姿を想定することなく人間の疎外状況を描いている。彼らは疎外を徹底して思考しながら、本来性の誘惑に囚われることなく、新しい何かを創造しようとしたのである。言い換えれば、「本来性なき疎外」という概念を提起して、疎外からの脱出を目指していたと言えるのである。著者は、このように戻っていくべき本来の姿などないことを認めた上で、「疎外」という言葉で名指すべき現象から目を背けないような方向こそ、本書が目指す方向であると断言している。また、ボードリヤールが鋭く指摘した、消費社会において「暇」なき「退屈」をもたらしている「現代の疎外」についても、この「本来性なき疎外」という枠で論じられねばならず、いかなる方向に向けてこの疎外からの解放を考えるべきかという問題意識を伴わなければならないと主張している。

 

 私はこのような著者の考えを知った時、過去の自分の反省すべき経験を思い出していた。それは、私が地元の国立大学教育学部附属小学校において教育実践研究に精力的に取り組んでいた時、「旧来の教育は硬直的で画一的であるから、本来の教育のあるべき姿である柔軟で個性的な方向へパラダイム・シフトすべきである。」という主張をすべく、多くの先輩たちを糾弾するような理論を振りかざしていたことを指している。私は旧来の教育の在り方を批判する研究論文を書いていた時、いつも「本来の」という言葉を使っていた。そのことは、結果的に私が主張する新しい教育パラダイムへと他の人を強制したり、それに反対する人を排除したりしていたのではないか。知らず知らずの内に私は自己本位的で傲慢な態度を取っていたのではないか。今、振り返ると、大いに恥ずべきことであったと思う。だから、著者が本章で指摘していた「本来性」という語が孕む危険性について、私は実感をもって理解できたのである。当時、<自律>と<共生>をキーコンセプトとした教育目標を掲げて実践的な研究を推進していたにもかかわらず、<共生>を求めようとする姿勢が不十分だった。それ以後、管理職になってからの学校運営や経営等においては、この反省を生かしてきたつもりだったが、本章を再読しながら当時もっともっと思考を深める必要があったことを改めて痛感した次第である。

「暇」の中で「退屈」せずに生きる術を知る階級?仕事こそ生き甲斐と感じている階級?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ④~

 孫Mが誕生して1か月を迎え、我が家に二女と共に来てから3週間が経った。二女と妻は、昼夜を問わずにMの世話。私はというと、今までは昼間にMが泣き出したら抱っこして機嫌を取る世話が中心であった。しかし、さすがに二女と妻が睡眠不足になり疲労困憊になってきたので、私も夜間の世話の一部を担うことにした。ぐずって寝ないMを寝かし付ける世話が、ここのところ連夜続いている。なかなか根気がいる世話で、改めて育児というのは本当に大変だなあと実感する。でも、その分、孫への愛情が深まってきているように思う。育児は主に女性が担う役目だと押し付けてきた男性の一人として、今、猛省することしきりである。

 

 さてさて、今回は本書に関する10回連続記事シリーズの4回目になる。「第3章 暇と退屈の経済史-なぜ「ひまじん」が尊敬されてきたのか?」の中で、私の心に強く残った内容の概要とそれに対する所感を綴ってみようと思う。

 

 まず、私の心に強く残った内容の一つ目、「暇」と「退屈」の関係について。著者は本章の冒頭部分で、改めて「暇」と「退屈」というキーワードを、次のように定義している。

○ 「暇」とは、何もすることがない、する必要がない時間を指すもので、客観的な条件に関わっている。

○ 「退屈」とは、何かしたいのにできないという感情や気分を指すもので、主観的な状態のことである。

 

 この後、この2つの言葉の関係に係わる問題について、著者は経済学者ソースティン・ヴェブレン著『有閑階級の理論』を取り上げ、「暇」の価値という観点から考察している。社会の上層部に位置し、あくせく働いたりせずとも生きいける経済的条件を獲得している「有閑階級」は、かつて周囲から尊敬される階級であり、「暇」であることは高い価値が認められていたとヴェブレンは書いているが、このことは彼自身が「有閑階級」への妬みをもっていたために、その理論に大きな歪みをもたらす原因になっていると、著者は指摘している。そして、その歪みが最もよく現れているのが「製作者本能」(有用性や効率性を高く評価し、不毛性、浪費すなわち無能さを低く評価する感覚)の概念であり、これが彼の歴史理論に大きな矛盾を引き起こしていると厳しく批判している。

 

 この無駄を嫌う性向=「製作者本能」を人間の中に見出したくて仕方がないヴェブレンは、額に汗して労働することだけが幸福をもたらすものであり、文化などは浪費に過ぎないと考える。それに対して、哲学者テオドール・アドルノ社会主義者ウィリアム・モリスは、文化や芸術を非常に高く評価し、人間の生は労働だけに縛られてはならず文化や芸術こそが人を幸福にすると反論したことを、著者は紹介している。この点について私自身を振り返ってみると、今までの私の価値観はどちらかとヴェブレン的だったのではないかと思う。もちろん文化や芸術の価値も十分に認識していたつもりだったが、やはり労働の価値を最優先に人生に位置付けてきたのではないか。その意味で、私はピューリタン的であったのだ。

 

 さて、以上のように私自身の価値観に近いヴェブレンの理論に対して否定的な評価を与えている著者であるが、ここで「有閑階級」を全く別の視点から見直すヒントを見出している。それは、歴史的に古い「有閑階級」であった貴族たちが、品位ある仕方で「暇」の中で「退屈」せずに生きる術を知っていたという事実である。彼らにとって、「暇」と「退屈」という2つの言葉は結び付かないのだ。だからこそ、キケロの言葉である「品位あふれる閑暇」という伝統が存在していたのである。もちろん他の階級を搾取していたこの階級を、美化してはならないし、その復活を望んでもならないと、著者は釘を刺している。しかし、「暇」と「退屈」を直結させないロジックをもつ彼らの存在はヒントになる。「暇」の中にいる人間が必ずしも「退屈」するわけではないことを教えてくれるのである。ここで私は、具体的にその方法について知りたいという強い欲求が起こったが、まだまだ先は長いのだと自分に言い聞かせ、次の記述内容に向けて気を取り直して再読を続けた。

 

 次に、私の心に強く残った二つ目は、仕事こそ生き甲斐と感じている人を指す「新しい階級」について。著者は、序章でも取り上げたガルブレイス著『ゆたかな社会』を再度取り上げ、彼の分析から引き出した「新しい階級」という希望に対して大きな疑問が残ると主張している。もう少し説明を加えよう。ガルブレイスは、所得が増えることより仕事が充実することを目指す「新しい階級」を急速に一層拡大することこそが、社会の主要な目標の一つであると結論付けている。それに対して、「仕事が充実すべきだ」という彼の主張は、仕事にこそ人は充実していなければならないという強迫観念を生み出すことになり、人は「新しい階級」に入ろうとして、あるいは、そこからこぼれ落ちまいとして、過酷な競争を強いられることになると、著者は痛烈に批判しているのである。しかも、ガルブレイスはこのような新しい強迫観念、新しい残酷さの存在を認めた上で、そこから目を背けている。そのために、「新しい階級」からこぼれ落ちる人間は、周囲の「憐みの目」によって劣等感の方へと追い詰められていく。この恐ろしい事態を生んでいるのは、ガルブレイスの主張に他ならないと、著者はさらに舌鋒鋭くその問題点を指摘しているのだ。

 

 私は今までの人生で、ガルブレイスの言う「新しい階級」に入らなければならないという強い意志をもって生きてきたように思う。そして、その生き方を選ぶことによって充実した仕事を続けることができ、生き甲斐のある人生を歩むことができたと自己肯定感をもってとらえている。しかし、今、2度目の退職年齢である65歳を過ぎてもなお、今まで通りの生き方をしようと固執しているのではないか。退職後の人生においても、仕事にこそ充実しなければならないという強迫観念に取り付かれているのではないだろうか。だから、そうなっていない現実に直面して劣等感のような気分に陥り、このことが「暇」の中で「退屈」することへの恐怖感を生み出しているのではないだろうか。ここは、もう一度これからの自分の生き方や在り方について、この連続記事を続けていく中で問い直してみようと、決意を新たにした次第なのであります。でも、決意というのはちょっと大袈裟だったかな…。(照れ笑い)

定住革命が「退屈」を回避する必要を与えた?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ③~

 またまた、嬉しいことがあった。前々回の記事に対して、私の数少ない読者として登録してくれているkannawadokushoさんがHatena Starの☆を付けてくださったのだ。有難うございます。kannawadokushoさんは、大分で哲学カフェや別府鉄輪朝読書ノ会を運営し、【対話と人と読書】公式ブログも開設している方である。私が見習うべき活動を積極的にされているので、大変勉強になっている。これからもよろしくお願いします。

 

 ところで、二女の夫が先週とは違い、今週は本日(土曜日)の昼頃に来て夜には帰るとのこと。でも、そのおかげで私は半日ほど孫Mの鳴き声にその都度反応する必要がないので、今、落ち着いてこの記事を書いている。ブログの記事とは言え、私は400字詰め原稿用紙にすれば6~8枚程度の文章量を書くので、やはりまとまった時間がほしい。特に文章や文脈の整った文章にしようと思えば、集中することができる時間が必要になる。言い訳になりそうだが、今までの記事は断片的な時間を活用して綴ったものが多く、後から読み直してみると、誤字・脱字はもちろん指示語や接続表現等において不適切なものが多々あり、文章や文脈が整っていない記事もあった。今回は、なるべくそうならないように心掛けたい。

 

 さて今回は、10回連続記事シリーズの3回目。前回の記事で簡単に紹介した本書の「第2章 暇と退屈の系譜学-人間はいつから退屈しているか?」の内容の骨子についてまとめながら、いつものように私なりの簡単な所感を加えてみたい。

 

 著者は、「退屈」の起源を探るためには、時間を遡る歴史学ではなく、論理を遡る系譜学のやり方を採用したいと前置きしている。また、ともすると「退屈」は多くの場合、「近代」に結び付けられて「社会」との関わりから説明される傾向にあるが、それでは「人間の人間性」と「退屈」との関わりを問うことができない。そのために、歴史を何千年、何万年という単位で考える必要があると主張している。そして、それは歴史というより、人類史という言葉が妥当するとし、この人類史の視点で「退屈」を考える時、西田正規氏の提唱する「定住革命」という考古学・人類学上の仮説が参考になると言っている。

 

 そこで、「退屈」と「人間の人間性」との関わりを問うために、まずこの「定住革命」という仮説について、本章の内容を基にして概説しておきたい。

 

 人類は数百万年、遊動生活(移動しながら生きていく生活)をしながら、大きな社会を作ることもなく、人口密度も低いまま、環境を荒廃させぬまま生きてきた。ところが、今から約一万年前に、中緯度帯で、定住する生活を始めて以来、現在まで人類の大半は定住生活を送ってきている。そのため私たちは、住むことこそが人間の本来的な生活様式であると考える“定住中心主義”の視点から人類史を眺めがちになっている。つまり、もともと人類は定住したかったが、その条件が満たされなかったのでそれまでは遊動生活をするしかなかったのだと考えてしまう。しかし、具体的かつ論理的に考えると、遊動生活を維持することが困難になったために、やむを得ず定住化したのだと考える方が妥当性をもつ。人類は気候変動等の原因によって、長く慣れ親しんだ遊動生活を放棄し、定住することを強いられたのである。

 

 その後、定住化していく過程は、人類に全く新しい課題を突き付けることになる。人類は、長い時間を掛けてその肉体的・心理的・社会的能力や行動様式等を遊動生活に適応するように進化させてきたのであろう。そう考えると、定住化はそれらの能力や行動様式の全てを新たに編成し直した革命的な出来事であったと仮説しなければならない。著者はその証拠として、農耕や爆竹の出現、人口の急激な増大、国家や文明の発生、産業革命から情報革命等が極めて短期間の内に起こったことを挙げ、これこそ、西田氏が定住化を人類にとっての革命的な出来事ととらえ、「定住革命」の考えを提唱する理由に他ならないと述べている。

 

 第2章では引き続き、この革命が起こした大きな変化である“そうじ革命・ゴミ革命”や“トイレ革命”、“死者との新しい関わり方”“社会的緊張の解消”“社会的不平等の発生”について言及しているが、ここでは本記事の趣旨を大切にするためにその概説を省略させてもらう。興味がある読者の方は、ぜひ本書を手にして自分で確かめてほしい。とにかく面白いから…。

 

 では、本記事の趣旨である「退屈」との関連についてまとめてみよう。先に結論的なことを言えば、<定住によって人間は「退屈」を回避する必要に迫られるようになった>ということである。著者は、その理由等について、次のように述べている。

 

 遊動生活では、移動のたびに新しい環境に適応しなければならない。そのための労苦や負荷こそは、人間のもつ潜在的な肉体的・心理的な能力を存分に発揮することにつながり、強い充実感をもたらせた。しかし、定住生活ではその能力発揮の場面が限られる。毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がる。そうすると、かつて遊動生活では十分に発揮されていた人間の能力は行き場を失うことになる。まさに「退屈」になるのである。こうして「退屈」をまぎらわせる必要が、人類にとっての恒常的な課題として現れることになった。定住は「退屈」を、人間一人一人が己の人生の中で立ち向かわなければならない相手に仕立て上げたのだ。しかし、定住民は現在まで「退屈」を回避するという定住革命の決定的な解決策を見出せないままである。だから、本書が取り組んでいる<暇と退屈の倫理学>は、一万年来の人類の課題に答えようとする大それた試みなのだ。

 

 へーっ、「退屈」を回避するという解決策を見出すことは、人類長年の課題だったのか!私は、自分が襲われたこの実存的な問題の大きさに戸惑わずにはいられない。しかし、今までの議論を踏まえると、定住民が長年抱えてきた大きなこの課題に対して、パスカルが説く信仰の必要性による解決策では納得できない。ましてや、遊動生活時代の復活を夢見ることも採用することができない。では、どのような解決策が見出されるのであろうか。

 

    私は著者が本書で提出しようとする結論に早く辿り着きたい衝動を抑えつつ、この連続記事の第4回で取り上げる「第3章 暇と退屈の経済史-なぜ、“ひまじん”が尊敬されてきたのか?」も丁寧に再読して、著者の結論に至る過程をじっくり楽しんでいこうと考えている。次回の記事において、私は一体どんな内容を綴ることができるのだろうか?書く時間を確保するのに手間取るかもしれないので、少々お待ちいただければ幸いである。

「退屈」する人間は、苦しみや負荷を求めている?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ②~

 2011年3月11日に東日本大震災が起こり、昨日はそれから10年目を迎えた日であった。私はテレビの特別報道番組を視聴しながら、改めて地震津波等による犠牲者に対して謹んで追悼の意を表した。このような不条理な災害に見舞われた遺族や関係者の方々から見たら、「退屈」な気分を抱えて悩んでいる私など、「何を甘えているのか。生きているだけで有難いと思え。」と叱られそうだ。しかし、私にとってこの実存的な問題は、やはり今しっかりと面と向かって対峙すべきものだと考える。「自分に与えられた生命を精一杯生き抜くために、今の私には必要な問題なのです。」と、心の中で控えめに答えつつ、この連続記事を綴っていきたい。

 

 さて今回は、この10回連続記事の2回目になる。本書の「第1章 暇と退屈の原理論-ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?」の中で特に印象深かった内容をまとめながら、私なりの所感をなるべく簡潔に綴ってみよう。

 

 まず、著者はフランスの思想家ブレーズ・パスカル著『パンセ』を取り上げ、「気晴らし」についての見事な分析を解説している。その中で、人間は部屋にじっとしてはいられず、必ず気晴らしを求め、それが熱中できるものであるためには、負の要素がなければならないと紹介している。言い換えれば、「退屈」する人間は、苦しみや負荷を求めるものなのである。

 

    また、同様なことを言った哲学者フリードリッヒ・ニーチェ著『悦ばしき知識』も取り上げ、「退屈」から逃れるためであれば、人間は外から与えられる負荷や苦しみなどものの数ではなく、自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためなら、喜んで苦しむことを紹介している。また、哲学者レオ・シュトラウスの分析を参考にして、このような欲望が人々を戦争や革命、ファシズムに駆り立てることは、今までの歴史が実証しており、これを単なる一つの見方だと済ませる訳にはいかないことに警鐘を鳴らしている。

 

    私は、今まで人生の岐路に立った時、安易な道と困難な道が選択できる場合は、迷わず困難な道を選んできたと思う。それは「自分なりの理想や信念を貫きたい」という強い思いがあったからと確信していたが、もしかしたらパスカルニーチェの言うように、「退屈」から逃れるために敢えて苦しみや負荷を求めていたのかもしれないなあと、自分を俯瞰的に振り返ってみてそう思う。無意識の内に、私は「退屈」を嫌い、「退屈」から逃れたかったのかもしれない…。

 

 次に、著者は序章で言及した英米分析哲学を代表する哲学者バートランド・ラッセルを再登場させ、その著書『幸福論』を取り上げて、現代の「食と住を確保できるだけの収入」と「日常の身体活動ができるほどの健康」をもち合わせている人々(今の私もその一人であるが…)を襲っている日常的な不幸について論じている。そして、この非日常的とは異なる不幸はその原因が分からないという独特の耐え難さがあり、この点について対立的な立場にある大陸系哲学を代表する哲学者マルティン・ハイデッガーも同様に扱っていることを取り上げ、20世紀初頭の同時期を生きた二つの偉大な知性が全く同じ危機感を抱いていたことを強調している。

 

 では、ラッセルの退屈論を簡単に見てみよう。ラッセルの論を簡潔にまとめれば、「退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。」ということになる。つまり、「退屈」している人間が求めているのは楽しいことではなくて、興奮できることだと言っているのである。このことから、著者は快楽や楽しさを求めることがいかに困難かという事実を見出し、「問題になるのは、いかにして楽しみ・快楽を得るかではなく、いかにして楽しみ・快楽を求めることができるようになるかだ。」と主張している。この考えは大変重要で、後々、著者が導き出す結論にとって大きく影響を与えるものになる。ただし、著者は、このラッセルの幸福論には不幸への憧れを生み出すという問題点が孕んでいると、読者に注意を促している。

 

 私が最初に通読した時には、「いかにして楽しみ・快楽を得るかではなく、いかにして楽しみ・快楽を求めることができるようになるかだ。」の部分が正直ピンとこなかった。しかし、今回改めて精読してみて、この考えのもつ重要さを私なりに認識した。簡単に言えば、求めるのは「興奮」ではなく「楽しみ・快楽」であり、重視なのは「結果」より「過程」であるということ。つまり、大切なのはどのようにして楽しみ・快楽という「結果」を得るかではなく、どのようにして楽しみ・快楽を得る「過程」を楽しむかということなのである。

 

 最後に、著者はもう一人の哲学者を登場させている。それは、ノルウェーの哲学者ラース・スヴェンセンである。そして、「退屈」の百科事典のような彼の著書『退屈の小さな哲学』を取り上げ、「退屈が人々の悩み事になったのはロマン主義のせいだ。」という主張を紹介している。ロマン主義とは18世紀にヨーロッパを中心に現れた思想であり、ロマン主義者は一般に「人生の充実」を求める。しかし、それが何を指しているか誰にも分からないから、「退屈」してしまうというのが彼の答えだと解説している。

 

 近代以降、それまでの共同体的な意味体系が崩壊して、生の意味が共同体的なものから、個人的なものになった。その中から、生の意味は自らの手で獲得すべきだと考えるロマン主義が生まれた。そして、ロマン主義は、普遍性よりも個性、均質性よりも異質性を重んじ、他人と違うことを私たち現代人は求めていると言うのである。しかし、そんなものが簡単に獲得できるはずもなく、ロマン主義者たる私たち現代人は、「退屈」に苦しむという訳である。

 

    確かに、少なくとも私は「生の意味」や「人生の充実」を必死に探し求めており、そのために今、原因のはっきりしない「退屈」に襲われつつあり、それを恐れているように思う。それに対して、スヴェンセンは「だったら、ロマン主義を捨て去ればよい。」と答える。しかし、私に根付いているロマン主義的な心性を、そんなに簡単に捨て去ることなどできるだろうか。「高望みをしないで、現状に満足しろ。」とでも言うのか。また、私が襲われている「退屈」なる気分は、このロマン主義的な「退屈」のみを指しているのだろうか。この点、著者も「退屈」をロマン主義に還元する姿勢に対して支持できないと明言し、彼の解決策に全く納得していない。私も同感であり、再度「退屈」についての思索を深める必要を痛感している。

 

 それにしても、私を襲っている「退屈」の正体とは何で、それにはどのような起源があるのだろうか。次回の記事で扱う「第2章 暇と退屈の系譜学-人間はいつから退屈しているか?」は、私にとって意外な視座である人類史的なアプローチから、上述のような疑問を解決する示唆を与えてくれるのである。日中、孫Mの鳴き声を聞く度に、急いで階下に降りて抱っこして寝かし付ける世話をする合間を縫って、なるべく早く次回の記事を綴りたいと考えている。

私が「好きなこと」とは何だろう?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ①~

 二女の夫が我が妻と子Mに会うため先週の金曜日夜に我が家に来て、その晩泊まり土曜日の夜まで丸一日過ごして帰った。その間、Mのオムツ替えや沐浴等の世話を甲斐甲斐しくしてくれたおかげで、私は久し振りで何をするでもなく、土曜日は久し振りに「暇」な一日を過ごすことができた。そんな中、書斎の椅子に身を沈めて、しばらく物思いに耽っていた時、ふと次のようなことが私の心の中に浮かんできた。…これから数週間経って二女と孫のMが我が家にいなくなったら、毎日このように「暇」な時間ができる。その時間を活用して、好きな読書をしたり、ブログを書いたり、たまにテニスをしたりしていれば、「退屈」はしないだろうけど、それで充実した人生を送ることになるのだろうか。…

 

 私は、ハッとした。…充実した人生を送るためには、社会的に有意義な仕事に打ち込むことが不可欠で、趣味や私的なことだけに生活時間を使うのは、人生を無駄にしていると私は考えているのか。また、無意識の深層にまで目を向ければ、生活の中で「暇」であることや「退屈」な状態になることを、私は恐れているのではないだろうか。…

 

 そんなことに思いが及んだ時、本箱に並べていた『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著)に、私の目が自然に惹き付けられた。2年前の12月のNHK・Eテレ「100de名著」においてスピノザ著『エチカ』が取り上げられた際に、講師役を務めた國分氏の明快な論理的解説に魅入られ、その後すぐに馴染みの古書店で購入し、いつものことながら積読状態にしてあった本である。私は「今が読み時だ!」とばかりに、先週の土曜日から日曜日に掛けて暇を見つけて通読した。面白かった。「これぞ、哲学の本だ!!」と興奮した。 

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 そこで、本書の全体構成に即して再読しながら、今回から10回連続して私が面白いと感じたり自分の在り方について考えさされたりした内容をまとめた記事をアップしていこうと考えた。これだけの回数を掛けて同一の本について記事にするのは、当ブログを開設して初めての試みになる。なぜこのようなことを考えたかというと、本書で取り上げている問題が自分事として切実に受け止められたので、実存としての私が納得したことを何とか形にしておきたいと強く願ったからである。

 

 まず、本書の執筆意図や取り上げる問いについて触れておく。「哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営みである。」と考える著者が、それまで妥協していた「暇と退屈」の問題へ本腰を入れて取り組んだ過程を記録したもの、それが本書である。言い換えると、著者が本書で問いたいのは、「暇のなかでいかに生きるべきか」「退屈とどう向き合うべきか」という問いなのである。そして、著者はこの問いに対して、本書で一応の結論を導き出している。また、私が手にしている新版の本書には、旧版において残された問いをさらに追究して論じた試論も収録している。

 

 次に、今後の連続する記事の展開も考慮して、ここで本書の全体構成についてその概要に触れておく。「まえがき」と「あとがき」を除くと、次のような章立てになっている。

① 序 章 「好きなこと」とは何か?

② 第1章 暇と退屈の原理論-ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?

③ 第2章 暇と退屈の系譜論-人間はいつから退屈しているのか?

④ 第3章 暇と退屈の経済史-なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?

⑤ 第4章 暇と退屈の疎外論-贅沢とは何か?

⑥ 第5章 暇と退屈の哲学-そもそも退屈とは何か?

⑦ 第6章 暇と退屈の人間学-トカゲの世界をのぞくことは可能か?

⑧ 第7章 暇と退屈の倫理学-決断することは人間の証しか?

⑨ 結 論

⑩ 付 録 傷と運命-『暇と退屈の倫理学』新刊によせて

 

 さて、第1回目に当たる今回の記事は、①の序章の内容についてまとめながら、私なりの所感を綴ってみようと思う。

 

 著者は序章において、経済学者ジョン・ガルブレイスが1958年に著した『ゆたかな社会』を取り上げ、現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている状況について指摘している。「ゆたかな社会」において金銭的・時間的に余裕ができた人は、その余裕を「好きなこと」のために使うことができるが、その「好きなこと」とは生産者が自分たちの都合のよいように広告やその他の手段によって作り出しているかもしれないと言うのだ。つまり、「好きなこと」とは、余裕がなかった時に「願いつつも叶わなかったこと」ではないのではないかと言っているのである。私は改めて、自分の趣味だと思っている「読書」「ブログ」「テニス」などについて問い直してみた。どれも自分がそのことに取り組んでいる時に「楽しい」「面白い」と感じていることではあるが、それらは「生産によって満たされる欲望」の影響を受けていないのかと問われれば、絶対的に否定することはできない。では、私は余裕を得た時に叶えたい「好きなこと」をどうとらえていたのだろうか。何だか自信がぐらついてくる。

 

 このことに関連して、著者はマックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノが1947年に書いた『啓蒙の弁証法』を紹介し、文化産業が支配的な現代資本主義社会においては、消費者の感性そのものがあらかじめ製作プロダクションのうちに先取りされていることを指摘している。つまり、私たち現代人は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっていると言っているのである。かつて労働者の労働力が搾取されていると言われたが、現代では労働者の「暇」が搾取されているという訳だ。「暇」を得た人々は、この「暇」を何に使えばよいか分からない。このままだと「暇」の中で「退屈」してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得ることになってしまう。私は、まるで自分のことを言われているようで、恥ずかしくなってきてしまった。

 

 では、どうすればよいのだろうか?著者はこの疑問に対する回答者として二人の人物を紹介し、その思想を素描している。一人は、イギリスの社会主義者ウィリアム・モリス。その思想を簡潔にまとめれば、「革命が到来し、私たちが自由と暇を得られれば、その時に大切なのは、その生活をどう飾るかだ。」ということ。モリスは、消費社会が提供するような贅沢とは違う贅沢について考えていたようである。著者の國分氏は、この答えを称賛し、参考になると評価している。だが、もう一人のアンカレ・ジュパンチッチという哲学者の「大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だ。」という衝撃的な指摘には同意しない。ただし、人が暇や退屈に悩まされている時、何かに「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望するものであることは認めている。この点、私も同感である。

 

 著者がこの二人の思想を紹介したのは、著者なりの「暇のなかでいかに生きるべきか」「退屈とどう向き合うべきか」という問いへの回答内容を用意するための複線なのだと思う。著者の回答内容(結論)は、モリスの思想がその方向性を、ジュパンチッチの思想がその限界性を示しているのだ。読者の皆さんも今からどんな結論に至るのか楽しみにしてほしい。

 

 それにしても、私の「好きなこと」とは何だろう?連続10回の記事を書き終えるまでには、明確にさせたいものである。あ~あ、なかなか眠れぬ夜が続きそうだ。

「母乳育児」に関する疑問点を解決する!?~山口慎太郎著『「家族の幸せ」の経済学―データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実―』を参考にして~

 前々回の記事「二人目の孫Mとの初対面をやっと果たせました!」に対して、神崎和幸さんが嬉しいコメントを送ってくださった。また、Country TeacherさんからはHatena Starの☆を3つくださり、共に私は大きな喜びを感じました。ブログもSNSの一つだと考えている私としては、何とかそのお礼の気持ちを伝えたいと思って、今この記事を綴っています。皆さんが私のブログ記事に目を通してくださったことだけでも嬉しいことなのに、コメントを書いたり、☆を付けたりしてくださったこと。私の心の中を明るくしてくれました。有難うございました。拙い記事しか書けませんが、これからも暇があれば当ブログに立ち寄ってくだされば幸いです。

 

 さて、その二人目の孫Mを連れて二女が里帰りしてから、早や10日ほどになる。気分的にはもう1か月ぐらい経ったように感じるぐらい、Mの世話に追われる日々である。いやいや、世話に追われているのは二女とばあばの二人。じいじは二人の世話の合間に、自己流の子守歌で寝かしつけたり、お風呂上りに髪を拭いたり、オムツ替えの時に機嫌を取ったりするなどの世話しかしていない。でも、Mの子育てサポートは、私にとって何とも楽しく、充実感に満ちたものになる。幸せを実感!

 

 ところで、Mはまだ生後20日にも達していない乳飲み子なので、空腹のために泣き始めたら当然の如くほとんどは二女が母乳を飲ませている。ただし、夜には粉ミルクも40~60ccぐらい飲ませる時もある。その理由を尋ねてみると、粉ミルクの方が母乳よりも消化するまでに時間がかかるので、眠っている時間が少し長くなるらしい。夜は大人も少しでも長く睡眠時間を確保したいので、そのような対応をしているとのこと。なるほど、こんなことも最初の孫Hの子育てサポートの時には知らなかった。あの時はまだフルで仕事をしていたので、そこまで気に掛ける余裕がなかった。今は、一日中フリーな立場なので、乳児の子育てに関する様々な疑問点が沸いてくるのである。例えば、「じゃあ、最初から粉ミルクで授乳させたらいけないの?なぜ母乳での授乳を優先しているの?」という疑問だ。その理由も尋ねてみると、「母乳育児」は子どもの健康面や発達面でよい効果があるとのこと。「でも、それって本当?仮に本当だとして、育休期間中は母乳育児ができても、復職したら無理だと思うけど、どうするの?そもそも粉ミルク育児はどこに問題点があるの?…」次々と疑問点が浮かんでくる。

 

 そこで今回は、このような「母乳育児」に関する疑問点について、最近読んだ『「家族の幸せ」の経済学―データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実―』(山口慎太郎著)の中でその解決に役立ちそうな〈第2章 赤ちゃんの経済学 3 母乳育児は「メリット」ばかりなのか〉の内容概要を紹介してみようと思う。二女に正確に教えるためにも…。 

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 著者によると、今までの数ある「母乳育児」に関する研究の中で最も多いのは、母乳で育った子どもと粉ミルク(人工乳)で育った子どもを比較するものだそうだが、この研究成果は信頼性が低いらしい。その理由は、母乳で育った子どもと粉ミルクで育った子どもの家庭環境が大きく異なるからである。その点、1996年にベラルーシで行われたカナダのマルギ大学のクラマー教授らが行った母乳育児推進プログラムから生まれた研究成果は、最も信頼性が高く、しかも日本にとっても妥当性のあるものだそうである。

 

 その主な理由を挙げると、おおよそ次のような内容になる。

① 調査目的が、母乳育児促進のための研修を行った病院で生まれた子どもと、行われなかった病院で生まれた子どもを比べることで、「母乳育児」の効果について理解しようとするものであった。

② 医師・看護師・助産師が母乳促進推進のための研修を受ける病院を抽選によって16病院決めた。これらの病院と抽選で選ばれなかった15病院の間では、平均的な質や規模に違いがなく、地理的な偏りもなかった。

③ 結果的に、研修を行った病院で出産したお母さんたちの年齢・学歴・家族構成等は、研修を行わなかった病院で出産したお母さんたちとほとんど変わりがなかった。ただ一点、母乳促進プログラムで研修済みの医師、看護師らに指導を受けたかどうかだけが異なっていた。

④ 調査対象が17,046人の子どもとそのお母さんで、出生時から子どもの健康状態、発達状態を追跡調査した。最新の調査は子どもが16歳時点で行われた。

⑤ ベルラーシは、先進諸国と同様にこのプログラムが実施された当時から基本的な医療体制が整っている上、衛生状態も良好。安全・清潔な水道が整備されており、都市部だけでなく地方部にも十分な数の病院がある。

 

 では、その調査結果はどのようになったのだろうか。その主な内容を次に挙げてみる。

① 「母乳育児」は、生後1年間の子どもの健康面に好ましい影響を与えることが確認された。胃腸炎アトピー性湿疹を抑え、乳幼児突然死症候群を減らしている可能性が示さている。

② 健康面や知能面に対する長期的なメリットは確認されなかった。健康面では肥満・アレルギー・喘息に加え、虫歯についても効果が認められず、知能面では6歳半時点では好ましい効果が見られたものの、16歳時点では効果が消えてしまっているようである。

結論的に言えば、「母乳育児」は乳児にとって健康面のメリットがあることは疑いがないが、その他の一部で喧伝されているメリットは必ずしも確認されたわけではないということである。

 

 以上、私の「母乳育児」に関する疑問点について、本書の中でその解決に役立ちそうな箇所の内容概要をまとめてみた。私としてはこのような知見を基にして、二女に次のようなアドバイスをしようと思っている。

○ 「母乳育児」は、育休期間は乳児の健康面でメリットがあるからできるだけ続けるといいよ。復職したら、可能な時は母乳で、そうでないときは粉ミルクか液体ミルクでの育児という併用型の「混合育児」でいいんじゃないかな。ともかく、「母乳信仰」みたいなものに惑わされずに、自分の生活スタイルに応じた無理のない選択をしたらいいね。(後で気付いたんだけど、復職する前にはもう離乳食へ移行しているんだよネ…。

 

 

 何だか偉そうなアドバイスに聞こえるなあ。まあ実際は、さり気なく本書の内容を紹介しながら対話的に語り掛けてみたい。ただ、この「母乳信仰」みたいなことが、まだまだ世間には流布されている。例えば、「3歳児神話」や「母性愛神話」等々。もちろん私も無意識にどこかで信じている「母親幻想」があるかもしれない。だから、機会があれば関連図書を読んだ上で、その欺瞞性について解明して記事にしてみたいと考えている。

自分事としてとらえる在り方と資質について~「100分de名著」におけるフランツ・ファノン著『黒い皮膚・白い仮面』の放送とそのテキストから学ぶ~

 気が付くと、もう3月になっていた。先月中旬までは、退職後の様々な事務手続きに追われながらも蓄積していた心身の疲労を回復することに専念したが、下旬になると二人目の孫になる二女の第1子Mの子育てサポートを手探り状態でしていたので、あっという間に「逃げる」2月になってしまった。そのために、楽しみにしていた2月のNHK・Eテレ「100分de名著」の放送はもちろんそのテキストにも目を通す余裕がなかったので、先月末の土・日を活用して暇を見つけて、全4回のテキスト内容を回毎に読んでは、その放送録画を視聴するという学習を繰り返した。その番組中、講師の作家で早稲田大学教授の小野正嗣氏が的確な解説をしたり、司会者の一人である伊集院光氏が絶妙な話題を取り上げたりしてくれたおかげで、私は人種差別問題に対する認識を深めることができた。

 

 そこで今回は、「100分de名著」におけるフランツ・ファノン著『黒い皮膚・白い仮面』の放送とそのテキストの内容から私なりに学んだことの概要をまとめた上で、最後に第4回分の放送において語られた、差別問題一般を解消していく手がかりとして「自分事としてとらえる在り方と資質」について綴ってみようと思う。 

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 『黒い皮膚・白い仮面』は、1925年フランス領のカリブ海に浮かぶ島の一つ、マルティニークに産まれたフランツ・ファノンがまだ20代半ばの医学生だった頃、人種差別問題についてみずからの差別体験を出発点に、精神医学の知見を支えに、哲学や精神分析を参照し、例としてふんだんに文学作品を引用しながら考察した著書であり、ある意味でファノンの自伝的テキストでもある。(私はこの名著のことを今回取り上げられるまで知らなかったが…)本書は今から70年近く前の1952年に刊行されているが、未だに世界から人種差別はなくなっていない現実がある。例えば、昨年5月25日、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、無抵抗の黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に窒息死させられる事件が起き、それをきっかけにして黒人の命の尊重と人種差別の是正を訴える「Black Lives Matter/ブラック・ライヴズ・マター」がアメリカ各地で、そして世界の様々な地域で展開されたことは耳目に新しい出来事である。特に女子プロテニスの大阪なおみ選手が、全米オープンにおいて人種差別の暴力等で犠牲になった黒人の名前が書かれたマスクをして試合に臨んだことは、読者の皆さんにも記憶に残っているのではないかと思う。

 

 では、ファノンは人種差別問題をどのようにとらえ、どのように解消しようとしたのか。講師の小野氏が放送やそのテキストで解説した内容の概要、特にファノンが人種差別問題に気付き、それを解消しようと迷いながら辿った思索の足跡について、なるべく簡潔に要約して示してみよう。

① 奴隷制に支えられた植民地支配が、被支配者であった黒人の間に支配者=白人のフランス語に憧れ、母語クレオール語を奴隷の言語として嫌悪するような自己否定的な言語観を植え付けていることを指摘する。そして、多くの白人たちが、黒人に対して決して対等な言葉遣いをせず、まるで小さな子どもを相手にするときのような片言で話し掛けるところに、ファノンは抜きがたい差別意識を見てとる。

② 「白乳化」の欲望(白人になりたいという欲望)に駆られ、「青い眼」を持つ者に魅了されること。白い肌や青い眼こそが美しいと信じること。「二グロの娘が白人の世界に受け容れられたいと渇望するのは、自分が劣っていると感じているからだ」とファノンは喝破し、そのような劣等感に病理的なものを見る。そのような神経症的なケースについて、その不安や行動の原因をファノンは社会の差別的な構造に見出す。

③ サルトルの「対他的存在」(他者の対象としての自己)という考え方を参照して、ファノンは白人の子どものまなざしにさらされた差別的体験を基に、白人という他者のまなざしこそが自分を「黒人」にするということを悟る。そして、そのことによって自分が主体的に世界の意味を構成する自由を奪われる(自己を切断される)ことを認識する。

④ ファノンは「ネグリチュード」(自分が「二グロであること」を引き受け、肯定すること)という文化運動の根幹にある態度の中に、疎外された自己を解放し、世界の意味を再構成する可能性を見出そうとする。

⑤ しかし、ファノンは「ネグリチュード」もまた、白人が自らの支配や優越性を強固にするのに貢献する、あるいは白人がいい気分になるのに役立つ道具にされてしまうのではないかと感じてしまう。この不安を決定的にしたのが、ネグリチュードはより高次の目標(人種差別のない解放された人間の世界)を実現するための通過地点であり、「手段」でしかなく、いずれ否定されるべきものと語ったサルトルの言葉であった。

⑥ 最終的にファノンが辿りついたのは、差別される人間を疎外的な状況から解放するためには、人種差別の社会構造そのものを変える方向(その一つが植民地支配から解放する方向)に行動する手助けをすることが自分の務めだと自覚する。後にアルジェリアの植民地解放運動に身を投じたのは、この自覚に基づいた行動である。

 

 このようなファノンの思索の足跡を見てみると、彼の虐げられた者への深い共感力、その絶望や苦悩を「内側から」感じる力が、人種差別問題に気付き、それを解消しようという原動力になっていることに思い至る。『黒い皮膚・白い仮面』を執筆した当時はまだ精神医学を専門とする以前の若き医者であったファノンであったが、同時期に書かれた『北アフリカ症候群』というテキストの中には、前述したような彼の資質を読み取ることができる次のような北アフリカ人に共感している記述がある。「彼は人間関係を持っているのだろうか。彼には友人があるのだろうか。彼は孤独ではないのか。彼らは孤独ではないのか。市電やトロリーバスの中の彼らは、無意識な存在に、いわば、根拠のない存在に見えないだろうか。彼らはどこからやって来るのか。彼らはどこへ行くのか。どこかの建築現場で働いている彼らを時々ちらっと見る。が、人々は彼らを見ない。」

 

 多くのフランス人は北アフリカ人を見ないが、ファノンは見ている。ただし、彼らを物であるかのように、医学的な知の対象として「客観的」に観察するのではない。それは「彼ら」が「自分」でもあるからであり、北アフリカ人の苦しさを内側から感じているからである。ファノンがその後、精神科を専門としていくことになるのは、この苦しむ北アフリカ人たちとの出会いも大きな一因になっているであろう。そして、精神科医として15か月間勤務したフランスの南部にあるサンタルバンの精神病院で、精神病院という制度を人間化しながら、疎外されてきた患者たちの人間的価値を回復させる取組を実践したことで、何よりも患者との人間性と尊厳を大切にするという自らの考え方をより強い確信へと変えたであろうと、講師の小野氏は推察している。私は、このように他者のことを「自分事としてとらえる」というファノン的な在り方が、全ての差別問題を解消する手がかりになるのではないかと思う。したがって、肌の色や言語・宗教・文化・習慣等の違いによって差別しない世界を実現するために、この「自分事としてとらえる在り方や資質」が、全ての人に求められる在り方であり、全ての人に等しく培われなければならない大切な資質なのではないだろうか。

二人目の孫Mとの初対面をやっと果たせました!

 昨日、23日(火)の「天皇誕生日」に、私たちじじばばにとって二人目の孫になる、二女の第1子Mとの初対面をやっと果たすことができた。というのは、二女が嫁いでいる東予地区のある病院の産婦人科で、男児Mが産まれたのは今月17日(水)の早朝。その後1週間、母子共に入院していたのであるが、病院は新型コロナウイルスの感染予防のために、付添人一人以外は面会謝絶の措置を取っていたので、今まで二女夫婦以外の者は誰も直接会うことができなかったのである。

 

    私たちは自宅を9時20分頃出発し、高速自動車道と一般道を利用して1時間10分ほどで目的地の病院前の駐車場に着いた。少し遅れてやってきた二女の夫が病院へ入ってからしばらくして、病院の休日出入口から出てきた二女夫婦とMを私たちは出迎えた。Mが産まれてすぐの画像はスマホで見せてもらっていたが、生での対面はこの時が初めてであった。Mの純真な瞳と目を合わせた私は、当日の快晴の空のように、とても爽やかで清々しい気分になった。

 

 その後、正午前に私たちは二女夫婦たちと一緒に、Mの父方の実家へ伺った。Mの父方の祖父母もその時が初孫Mとの初対面だったので、満面の笑みを湛えながらMを交互に抱いていた。特に祖父は今までにあまり赤ちゃんを抱いた経験がなかったらしく、本当に恐る恐る壊れ物を触るような感じでMを抱いていたのが印象的だった。私たちも代わる代わるMを抱き上げ、記念撮影をした。しばらくすると、Mが眠そうにしていたので、ベビーバウンサーにそっと寝かしつけて、大人たちは床の間に飾っていた命名書を見ては、名付けの由来やMの将来像について語り合いながら、「お七夜」の祝い膳を囲んだ。活き活きした魚介類のさしみや鯛の塩焼き、海老のフライなど大変豪華な折詰膳と鯛の澄まし汁、苺やチョコレートケーキのデザートなど、本当に贅沢な祝い膳だったので、父方の祖父母が男児の孫ができたことを心から喜んでいる気持ちがひしひしと伝わってきた。

 

 「お七夜」の行事を終え、Mの父方の祖父母宅を後にした私たちは、往路とほぼ同じコースで自宅に帰った。時計の針は16時過ぎを示していた。妻は一休みする間もなく、Mを連れた二女夫婦を迎える準備に追われていた。その二女夫婦たちは18時頃にやってきた。到着早々、Mが泣き始めた。「おっぱいを欲しがっているか、おしっこかうんちをしたのか。どちらかじゃないかな。」と私は二女に囁いた。新米ママがオムツを確認してみると、やっぱりうんちをしていた。早速、オムツ替えをしたが、その際に二女の夫が率先してやっていたので、私は感心してしまった。ほとんどの育児を妻に任せていた私の若い頃とは大違い。今のパパは育児に対しても男女共同参画意識が高いのかもしれないが、やはり彼自身が思いやりのある、心優しい男性なのである。私は、つい頬が緩んでしまった。 

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 その後、Mを沐浴させてやることになった。ここでも新米パパは、慣れない手付きながら率先してMを湯船に浸けてやっていた。Mは最初気持ちよさそうにしていた。でも、空気で膨らませるタイプのベビーバスだったので、途中でお湯が溢れそうになった。そのために、皆が少し慌ててしまった。それを察知してか、Mはちょっと不安そうな表情になった。私はつい「Mくん、気持ちいいね~。お風呂に入ったらすっきりするよ。」などと、大人に言うようなことを口走っていた。何とか家での初めての沐浴を済ませ、バスタオルに寝かせてガーゼで身体を拭いてやると、Mは本当に気持ちよさそうな表情になり、皆は一大事業をやり遂げたような気分になった。乳児の世話は大変だ。でも、いよいよ今夜から里帰りした二女は、私たちのサポートの下これから約1か月間我が家でMの子育てをすることになる。じじばばができることはしっかりサポートするから、娘よ、頑張れ!