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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

自由意思の尊重より、運命論の方が慰めになる!?~平野啓一郎著『マチネの終わりに』を読んで~

 8月13日(土)に新型コロナウイルスの陽性判定を受けた。前日の夕方から発熱し夜には38.2度まで上がってしまったため、24時間対応の受信相談センターへ架電した。その際に紹介された市内のある耳鼻咽喉科での抗原検査の結果である。覚悟はしていた。というのも、職場で私の斜め前に座っている同僚の女性が11日(木)に陽性が判明したことを聞いていたので、「もしや」と思っていたのである。

 

    私もその同僚の女性も10日(水)には終日、事務所内で勤務していた。私は定義上の「濃厚接触者」には該当していなかったが、昼食時に默食していたとはいえ、当然お互いにマスクを外していた。室内に置かれた一つの扇風機の風上にその女性が、風下に私が座っていたのだから、その時に私が飛沫感染する可能性は0ではないと思っていた。もちろん私の感染原因がそれで特定できる訳ではない。私は勤務中にトイレにも立ったし、昼食の弁当を配達してきた店員とも接触したので、それらの機会に接触感染をしたかもしれない。しかし、私が陽性と判定された時に、ぱっと頭に浮かんだのが先の昼食時の場面だったのである。

 

 私がまだ高熱のまま自宅療養していた時、「食事中に自分がもっと慎重に感染予防していたら…」とか「体調を崩しかけていた同僚の女性に対して早退するように強く助言していたら…」とかと悔やんでいた。感染経路がまだ特定されている訳でもないのに…。私は意識が朦朧とする中、自分の勝手な思い込みかもしれないことで気持ちが不安定になっていることに苛立っていた。「これって、精神的エネルギーの無駄な消費ではないか。」現在の苦境の原因を過去の自分の不作為に結び付ることで、私は何らかの気休めを求めていたのだろうか。それなら結果的に逆効果ではなかったのか!

 

 幸い、私は15日(月)の午前中には平熱に下がり、他の症状もほとんどない状態になっていた。それでもまだ自宅療養中であり、濃厚接触者の妻が陽性判定を受けていなかったので、自宅2階の和室での隔離生活を継続しなければならなかった。でも、ほとんど倦怠感もなく、明らかに意識状態も通常に戻っていた。「これって、この1か月ほど多忙な生活を送り心身共に疲れ切っていた私に、神様が与えてくれた“休養”というご褒美なのかもしれない。」私は22日(月)までの自宅療養期間の過ごし方について、自分にとって都合よくとらえようとしていた。「そうだ、休養するならストレスを解消する私の一番の方法である“読書”をしよう。」…

 

 私は療養中の身なのだから、言語の抽象度が高い学術書ではなく、具体性のある豊かな言語で語られる小説の方がよいと判断し、いつか機会があれば読んでみようと思っていた『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)を書棚の中から選んだ。

 本作品は、40代前の天才クラシックギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリストの小峰洋子が、彼の「デビュー20周年記念」コンサート最終公演日に偶然出逢ったことから始まる、切なくも美しい珠玉の恋愛小説である。また、物語の展開において、芸術や国際政治・親子関係・良心・生死等のテーマが重層的に描かれており、特に芸術や国際政治等についての一定の教養がなければ、二人の芸術的・政治的なセンスに共感しながら読み進めるのが難しい作品だと思う。それでも私は病床という特別な環境下での読書であったためか、場面の情況をできるだけきちんと把握しながら読み進めることができ、深い感動の内に読み終えた。久し振りに芳醇な香りが漂う高級ワインを味わうような読書ができたのである。

 

 本作品の中で私にとっての一番の箴言は、物語の終盤において洋子の父で映画《幸福の硬貨》の監督、イェルコ・ソリッチが彼女に語った次の言葉であった。「自由意思というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。そうだね?しかし洋子、だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めになることもある。」この部分を読んだ時、私はハッとした。

 

 私が今回、新型コロナウイルスに感染してしまったことに対して、意識朦朧の中でうじうじと過去の自分の不作為に対して悔やんでいたことを思い出したのである。過去は自分の自由意思で変えることもできたのではないか。つい、近代的な概念でもある「自由意思」を前提としている自分のパラダイム!現在の苦境に繋がると考えられる過去の出来事は、確かに私の「自由意思」が大きく関わっているであろうが、それだけで成り立っている訳ではないだろう。環境や他者との関係性を無視して成立する出来事などはないと思う。だとしたら、現在の苦境の原因を自分の「自由意思」だけの結果と考えすぎて悔恨するのは愚かではないだろうか。むしろ、「運命」だったのだと現在の苦境を受け容れる方が、精神的な慰めになり健康的なのではないだろうか。

 

 もちろん逆に自分の「自由意思」の視点を無視しろと言っているのではない。過去の出来事に関わりをもつであろう「自由意思」の視点をしっかりもつことは、良い意味での反省になり、未来に向けての目当てや目標等を立てるという希望に繋がるであろう。それもまた、健康な精神のあり方である。しかし、それだけに拘泥してしまうのは危険だ。「自由意思」というのは、「近代」が巧みに仕掛けた罠のようなものなのだと思う。取り扱い方には、細心の注意が必要なのだと、再度、洋子の父の言葉と共に私は反芻している。

 

    最後に、自宅療養の臥床にあって本書を読書の対象として選んだ自分の「自由意思」よりも、本書との出合いという「運命」に感謝しつつ、今しばらく疲れ切っている心身の「慰労」に務めたい。

多忙生活の中、学校生活支援員研修会で講話をしました!~小崎恭弘著『発達が気になる&グレーゾーンの子どもを伸ばす 声かけノート』から学んだことを基にして~

 お泊まりをしていた孫Hと遊んだり世話をしたりすることに追われた7月末の土日が過ぎ、ちょっと一息入れたいと思っていた8月に入っても、私の多忙生活は続いていた。第1週目には、市内の4つの児童発達支援センターへ通っている重い障害のある年長児に関する教育相談があった。対象児の園での生活の様子を参観して行動観察を丁寧にした上で、保護者と担任の先生と話し合った。成育歴や具体的な障害特性等について保護者に詳しく訊いたり、対象児の発達状況や普段の園生活の様子等について担任の先生から情報を得たりする面談は、いろいろと神経を使うので疲れる。また、収集した情報に基づいて審議資料を作成する労力を考えると、ややもすると気力が萎えてくる。しかし、対象児の将来を左右する学びの場を判断する大事な仕事なので、一言一句を疎かにせずにパソコンのキーボード叩いている。

 

 さて、8月の第一土日は、今度は二女に連れられた孫Mがお泊りをした。この4月から保育園に行くようになったMは6月にも日帰りで来たことがあったが、久し振りに再会したような気分になった。というのは、前回会った時はまだ2・3歩しか歩けなかったMは、我が家のリビングのフロアに下ろした途端に、各種のおもちゃを置いていたテーブルの方へどんどんと歩いて行ったのである。そのしっかりした足取りを、私たちじじばばは大きな目を開いて追いながら、「すごいね、Mちゃん。」と声を合わせるように言った。それから翌日に帰るまでの間、私たちはMの後を追いかけるように世話をした。ただ、Mは初めて体験することに対しては慎重になる子なので、結構気を遣いながら関わることが多かった。

 

 特に水遊びについては、保育園でほとんど水に触れようともしないらしい。そこで、日曜日の昼間に我が家の駐車場スペースを利用して水遊びをさせた時も、水を浅く溜めた噴水マットへ私がMを抱っこして入り、徐々に水に慣れていくようにした。すると、最初は足の指先が水にちょっと触れただけで大騒ぎをしていたMも、私の胡坐の中に入って足で水を蹴ることができるようになってきた。また、噴水マットの上に立ち、シャワーの水を背中に浴びることができるようになってきた。そこで、私はそっとMの頭に水を少しずつ垂らしてみた。すると、Mは頭から滴る水のことを気にしなくなっていた。Mは水と少し仲良くなったようだった。

 

 そんな土日が過ぎ、疲れを癒すこともできないまま今週に入った訳だが、私は8日(月)9日(火)の2日続いて学校生活支援員研修会で講話をすることになっていた。本来なら学校教育課の担当指導主事が行う仕事だと思ったが、実施計画案を策定された時に私たち特別支援教育・指導員という立場の役割になっていたのである。私は言い逃れをするように異義を唱えるのは嫌だったので引き受けた。それが約1か月前だったので、私は早速どのような講話内容にするか考え始めた。そして、様々に考えを巡らせた末に、ある本を参考にして「発達障害をもつ子どもへの支援のあり方と言葉掛けの工夫」を中心に組み立てようと決めた。そのある本とは、市内のジュンク堂三越店で入手した『発達が気になる&グレーゾーンの子どもを伸ばす 声かけノート』(小崎恭弘著)である。

 本書は、大阪教育大学教授の小崎氏が自身の保育士経験を基にして、「発達が気になる、またはグレーゾーンの子どもへの関わり方や言葉の掛け方」を要領よくまとめた保護者向きの本である。特に具体的な行動特性から見て気になる子どもの接し方を記述しているので、保護者にも大変分かりやすい。どのような行動特性でとらえているかというと、「コミュニケーションが苦手な子ども」「乱暴な子ども」「こだわりが強い子ども」「無気力で諦めがちな子ども」「内向的な子ども」である。私はこのような手法を援用すれば、学校生活支援員の皆さんにも内容を理解しやすいのではないかと考えたのである。

 

 私の実際の講話は、PowerPointを使ったプレゼン(表題を除くと13枚のスライド)を映しながら、その内容について詳しく解説したり簡単な補説をしたりした。以下、そのプレゼンの概要について紹介しよう。

 

 最初に、事前に学校生活支援員の皆さんに書いてもらったアンケートを集計・分析し、「支援をする上での困り感」と「研修会で知りたいこと」という項目に整理したスライド3枚に基づいて話した。「支援をする上での困り感」の1枚目は、本書を参考にして行動特性別の子どもへの対応をアンケートの記述数の多い順に列挙したスライド。具体的には、「危険な行為をしたり乱暴をしたりする子ども」「こだわりが強く、やっている活動を止められない子ども」「授業に集中できず、やる気のない子ども」「学習に遅れがちな子ども」の4つのタイプ。「支援をする上での困り感」の2枚目には、それら以外の項目「対象の子どもとの信頼関係のつくり方」「周りの子どもとの関係に対する配慮の仕方」等を示した。さらに、全体では3枚目になる「研修会で知りたいこと」のスライドには、「様々な発達障害の特性とその支援のあり方(特に言葉掛けの工夫)」「学校生活支援員として知っておくべき言葉の意味」「担任や保護者との連携の仕方」等を挙げておいた。

 

 次に、4枚目の「通常の学級に在籍して特別な教育的配慮を必要としている子どもたち」と題したスライドには、その背景や原因になっている「発達障害」の名称等をまとめた。その説明の中では、「発達障害」名は医師が診断することや実際は「発達障害」の重複が多いこと、「発達障害」はレッテルを貼るのではなく支援を行う上で参考にすることなどを強調した。また、5枚目の「発達障害の概念図」では、その障害特性等を具体的な様態例を挙げながら解説した。

 

 そして、本講話の中心とも言える6~11枚目では、「個の特性等に応じた支援のあり方と言葉掛けの工夫」の具体的な内容(これらは1枚目のスライドで示した行動特性別の子どもへの対応順)等をまとめて示した。ここで全てのスライド内容を紹介するのは大変なので、実例として「こだわりが強く、やっている活動がやめられない子ども」を取り上げたい。

◇ 支援のあり方…本人のこだわりを肯定的に受け止めつつ、気持ちの切り替えにつながる別の視点を与えるように関わる。

〇 言葉掛けの工夫…①「楽しそうだね。」「〇〇が好きなんだね。」 ②「後、何分で追われそうかな。」 ③「そろそろ時間だよ。」「合言葉は何だった?」 ④「気持ちの切り替えがよくできたね。」

これらの説明の際には、実際の場面を想定しながらできるだけ具体的に解説をしつつ、参考になる補説を付け加えるように心掛けた。会場の学校生活支援員の中には大きく肯きながら聴いていた方もいたので、私の考えは通じていたのかなと嬉しく思った。なお、11枚目のスライドには、以上のような言葉掛けに関する総括的な内容<「ちゃんと伝わる」言葉掛けのポイント>を示しておいた。

 

 また、「周りの子への配慮」と題した12枚目では、合理的配慮の概念絵図を基にしながら、同じ物を与える「平等」ではなく、同じ機会を与える「公平」を大切にすることや、私が子どもの頃に経験した「三角ベース」のルールが合理的配慮の思想に基づいていたことなどについて説明した。

 

 最後の13枚目は、私の講話後に予定されていたグループ協議の話題例をいくつか挙げておき、本講話の締めくくりとともに次の活動への橋渡しとした。40分弱の時間だったが、あっという間だった。私としては、参加者のマスク越しの表情から強い手応えを感じることができた。これも、本講話の中心となる内容を構想する際に大きな示唆を与えてくれた本書のお陰だと思いながら、改めて表紙をしみじみとした気分で今、眺めている。著者の小崎さん、有難うございました。

多忙な日々を過ごしたこの2週間ほどを振り返る!

 先週から今週に掛けて、公私ともに超多忙な日々を私は送っていた。そのため、当ブログの記事を綴ることはもちろん、読書の時間を確保することもままならなかった。ブログの更新を2週間ほどできなかったのは、久し振りではないかと思う。別に決めている訳ではないが、週5日フルタイムの勤務の仕事をし始めた昨年の7月以来、まとまった時間を確保することができる週末の土日にブログを更新するのが習慣のようになっていたので、ここ数日は何だか後ろめたい気分になっていた。さりとて取り上げる読了した本もない。そこで、今回の記事は、この超ハードな約2週間の私の生活ぶりを取りとめもなく綴ってみようと思う。

 

 まず、公立学校では第1学期終業式が行われて夏休みに入った先週は、学期末の慌ただしい中、何らかの「困り感」のある子どもの担任の先生や保護者に対する教育相談が続いた。テストを返してもらい、その結果が自分の予想と違っていたために一時間中パニック状態になってしまった子、授業中ぼーっとして自分の前髪を抜いては手遊びを繰り返してしまう子などの教育相談だった。私たち特別支援教育・指導員は、それらの「困り感」の背景や原因等を様々な角度から考察した上で、その解消に有効ではないかと思う具体的な手立てをまず導き出す。この知的な思考活動は、老齢者の私には精神的にも肉体的にも堪える。また、実際の教育相談の場では、担任や保護者との双方向のコミュニケーションに大きなエネルギーを費やす。私は、帰宅する頃にはクタクタになっていた。

 

 そんな中、先週の火曜日に職場近くの病院で、私は新型コロナウイルスの第4回のワクチン接種を行った。新しい変異株「BA.5」の急激な感染拡大による“第7波”を迎え、私のような高齢者にとって感染リスクを下げて、もし感染しても重症化しないような防衛策の一つとして、ワクチン接種は有効だと判断したのである。また、前回までのワクチン接種による副反応が、ほとんどなかったことも後押しした。おかげで今回の副反応も接種した局所の痛み以外はほとんどなく、その後の勤務も普段通りにこなすことができた。ただし、翌週に実施する夏の「教育相談会」の準備に万全を期す必要があったので、気が気でなかったのが正直な心境であった。

 

 さて、心身共に疲れを癒そうと思っていた土日は、さらに肉体的な疲労がピークになる休日になった。というのは、長女が勤務する学校の集団宿泊訓練の引率者になったために、孫のHを預かることになったのである。土曜日は、Hが喜びそうなパジャマやお菓子、食材等の買い物に終日追われた。また、薄曇りのため少し涼しかった日曜日の午前中は、市営の野外活動センターへ出掛けて、アスレチック遊具に挑戦したり、カブトムシに触れたりトンボや蝶を追い回したりする活動を楽しみ、Hと私は汗びっしょりになった。

 

    夏の日差しがまぶしくなった午後には、自宅の駐車場スペースに中型の家庭用プールや新しく買った噴水マットを設置して、今年初めての水遊びに私たちは興じた。Hは特に水鉄砲で水を掛け合う遊びが大好きで、私の顔に向けて大型の水鉄砲から水を勢いよく発射させては悦に入っていた。私も負けずにアンパンマンの絵柄が入った小型の水鉄砲で応戦した。Hは顔に水が当たるのが嫌で、逃げ回りながらも顔は満面の笑みがこぼれていた。その後、私はHと一緒に風呂に入った。Hは風呂場でもハイテンションで、洗面器を満杯にした湯を私の頭から掛ける遊びをしては大喜びしていた。

 

 夕食後、Hはじじばばの家では初めての花火を私たちと一緒にして遊んだ。最初、Hはろうそくから花火に火を移す時に少し怖がっていたが、2~3本やっていくうちに慣れたようでだんだんと大胆になっていった。私たちはHに火傷をさせてはならじと何度も「気を付けてね。」と声を掛けたが、Hは自分で火を点けては様々な形や色の光を発する花火を見て喜んでいた。花火の閃光で照らされたHの横顔を見て、「大きくなったなあ。」と私はつい呟いてしまった。乳児の頃からよく遊び相手をしてきた私は、5歳になったHの成長ぶりを見ながら改めて感慨深い思いが溢れ出てきた。Hと共に遊びに興じながら、その時々の喜怒哀楽を共有してきた思い出は、今の私を形成してきた豊かな経験なのである。私の一部になっているのである。

 夜は、二階の和室に布団を並べて、「川」の字になってHと私たちは寝た。以前、我が家に泊まったのはいつ頃だったろうか。確か3歳頃だったと思うので、本当に久し振りである。自我意識が高まることで、父母と共に寝る経験による心地よい被包感をより一層味わってきたHは、寝付く前は少し不安そうだった。しかし、昼間の活動で疲れ切っていたのか、すぐに寝息が聞こえてきて、同じ格好で数時間は爆睡していた。ところが、私たちが寝床に就いた頃からは、3つ並んだ敷布団の上を縦横無尽に寝返りし始め、私たちは一晩中熟睡することができなかった。可愛い孫のため、これ位は我慢しなくっちゃー。

 

 今週の月曜日、Hは保育園へ登園することになっていたので、私はHとの別れを惜しみながら出勤した。睡眠不足のためか、通勤の自転車が少しふらついていた。今週は月曜日からから連続4日間、夏の「教育相談会」の業務が続いた。この「教育相談」は、何らかの「困り感」をもつ年長児にとっての就学後の適切な学びの場を考えるために行うものであり、主に特別支援教育に携わっている教員が相談員(調査員)になって保護者と面談をしたり、協力員になった教員が対象児と接する中で行動観察したりする内容も含まれている。私たち指導員は事務局の仕事をするのがメインだが、日によっては相談員や協力員の業務も行ったので、心身共に疲れる4日間になった。そして、金曜日は1学期末に授業参観に行った子どもの母親と担任の先生との教育相談があった。母親はタイ人で日本語がまだ少し不自由だったので、分かりやすい日本語でゆっくりと話すなどの細やかな配慮が必要だったためにかなり神経をすり減らしてしまい、さらに疲れがピークになってしまった。

 

 そして今日の土曜日は、先週に続いて孫が朝から我が家に遊びに来たが、あいにくの雨模様だったので室内でしばらく遊んだ。今、ポケモンにハマっているHは、ポケモンのフィギアを使ったバトル遊びを私としたがる。しかし、私はポケモンの名前をほとんど知らないので、Hのペースで遊ぶことになってしまう。すると、それをいいことにHは自分に都合のよいルールに勝手に変更して、自分のポケモン勝たせようとする。私が「それはずるいよ。」とさりげなく文句を言うと、次は必ず私の方のポケモンが勝つように気をつける。「本当に素直な子だなあ。」またまた“じじバカ”の気分になってしまう。

 

 そうこうしていると、10時過ぎになったので自宅近くのデパートの屋上にある観覧車に乗りに行き、その後、デパート内にある紀伊国屋書店で『ポケモンをさがせ』という本を買ってやった。Hは店内のオシャレな店で豪華な昼食を早く取った後、その本を熱心に読んでいた。私の腕時計の針が13時前になったので、当市の男女共同参画推進センターで開催される子ども映画会(「パウ・パトロール」)に参加するために車を走らせた。走らせたと言ってもほんの5分間ほどで駐車場に着き、開場まで30分間ほどあったので隣の児童館で過ごした。その後の映画会でのHの様子は、最初少し退屈そうだったが、徐々に興味が高まってきて、最後の方はスクリーンの最前列まで進んで映画に見入っていた。

 

 15時過ぎには帰宅したので、私とHはまたポケモンのバトル遊びをしたり、大きなバランスボールを使ったドッジボールやサッカー遊びなどをしたりして汗を流した。Hが「汗が出たから、じいじと一緒にお風呂に入りたい。」と言うので、時間的には少し早かったが風呂に入ることにした。風呂場では先に頭や体を丁寧に洗った後で、またまたお湯掛け合戦をしてたっぷり遊んだ。風呂場から出た時に触れた冷房の効いた空気は、心身の栄養剤のような役割を果たし、私たちは「気持ちいい~。」としばらく裸のままで過ごした。その後、私は身体が少し冷えてきたので、今、パソコンのキーを叩いているところである。Hは今夜も泊まり明日の11時頃にパパが迎えに来る予定なので、それまではまだまだHと過ごすことができる。身体の疲れはほぼピーク状態が続くが、それ以上の精神的な充実感を味わうことができる。さあ、夕食のカレーをHと共に美味しくいただくとするか…。

「本当の自分」の本質とは何なのか?~山竹伸二著『「本当の自分」の現象学』から学ぶ~

 衝撃的なニュースだった。「参議院選挙に向けて奈良県で応援演説をしていた安倍元首相が、背後から凶弾を受けて倒れ、その後運ばれた病院で死亡した!」…「ロシアがウクライナへ軍事侵攻した!」という報道が流れた時と変わらない、否、それ以上の衝撃を私は受けた。世界の中でも治安のよさで知られ、銃規制もしっかりになされている我が国で、このような許し難い蛮行が行われたことに、ほとんどの日本人は茫然自失になったと思う。死亡した安倍氏は67歳。人生100年と言われる時代を迎える現代ではまだまだ若い年代であり、内閣総理大臣の連続及び通算在籍年数が憲政史上1位という実績をもつ元首相のこれからの政治活動に期待する国民も多かったので、受けた衝撃は計り知れないと思う。

 

    それにしても、なぜ、このようなことが起きたのか?私が知る限りの情報では、「容疑者の母親が、ある宗教団体(旧統一教会)にのめり込み多額の寄付をしたために破産し、家庭がめちゃくちゃになってしまったので、その団体の幹部を成敗しようと殺害計画を立てたが実行は難しいと思った。そこで、その団体と関係がある安倍元首相を殺そうと思った。」という動機だそうである。これが本当のことなのかどうかは、今後の更なる捜査に委ねる外ないが、事実だとすればあまりにも身勝手な犯行動機ではないだろうか。確かに同情すべき家庭的な事情はあるとは思うが、だからと言って私的な恨みを晴らすために暴力によって人命を奪うという犯行は、絶対に許すことはできない。また、民主主義の根幹たる国政選挙期間中に、遊説している政治家を殺害するというのは民主主義を否定するような暴挙であり、あってはならないことである。

 

    この事件が起きて1週間という時間が経ったが、私は安倍氏と同い年であることもあって、心の中の動揺は未だに治まらない。また、その政治信条に対して少なからずシンパシーを感じるとともに、「森・加計」問題や「桜の会」問題等に対して深い疑惑をもっている私は、安倍氏との間接的とはいえ日常的な関係性が、突然なくなってしまったことの喪失感は大きい。まさに心の中に穴が空いた感じ。そのような心境の中で、山上容疑者の逆恨みとも言える犯行動機の裏側に潜む実情とその心理にも、私は強い関心を持ち続けている。

 

    一部の報道によると、山上容疑者は幼い頃に父親を亡くし、またその後、母親と祖父、兄妹らと比較的裕福な暮らしを送っていたらしい。また、同級生によると、小・中学校時代の彼は勉強も運動もよくでき、性格も穏やかで優しく、「非の打ち所がない」人物だったそうである。ただし、奈良県内の進学高校に通っていた頃には、応援団に所属していたが、友達とは距離を開けて一人で行動していた様子だったという。そして、母親が自己破産した時期と同じ2002年8月(彼が20歳か21歳頃)には、「任期制自衛官」として海上自衛隊に入隊し、その後3年間の任期を終えて退官している。

 

    私は本件の犯行動機の構成要素として重要な点は、彼の高校卒業後の進路だと思っている。母親が旧統一教会へ入信して寄付をし始めたのが2000年だから、彼が高校3年生頃ではないかと思う。もしかしたら、この時期の彼が置かれていた家庭の経済的な状況や家族関係の実相等が、彼の人生設計を狂わせるほどの影響を及ぼしたのではないか。自分の志望していた大学受験を経済的な理由で諦めたのかもしれない。また、就活をしていたが思うような就職先が見つからなかったのかもしれない。推測は尽きないが、私はこの時期の彼の情況をもっと詳しく知りたい。(もしかしたら、どこかの新聞や週刊誌の記事に掲載されてしているのかも知れないが…)

 

    これは私の勝手な憶測だが、この時期の山上容疑者は自己不全感や不遇感に襲われて、自暴自棄な精神状態になっていたのではないか。自分なりに描いていた将来設計が、母親の旧統一教会への多額の寄付によって経済的に叶わなくなってしまい、この理不尽な現実を生きる自分に対して、「自分はこれからどう生きて行けばいいのか。」「自分は何のために生きているか。」等々、青年期の彼は実存的な不安を抱えていたに違いない。そして、その中で「本当の自分」を探し求めていたのではないか。もしその時に彼がそのような自分を深く自己了解し、自己価値を見出して、他者からの「承認」を受けるような方向へ歩んでいたら、今回のような事件を起こすことはなかったのではないかと思う。

 

 このようなことを考えていた私は、彼と同じように「本当の自分」を見失い「本当の自分」を探し求めている人の心理や、「本当の自分」を見出すことや「本当の自分」を実感することの意味について知りたいと、次第に関心を広げていった。私はもともとポストモダン思想(「現代思想」と言ってもよい。)の影響を受けて、「真理や絶対的なものはない。ものごとの意味や価値は全て相対的なものにすぎない。」という考えに共鳴していたので、当然「本当の自分」が心の中に実体的にあるとは思っていなかった。しかし、何らかのきっかけで「これが本当の自分だ」と感じる体験自体を否定することはないとも考えていた。だから、「本当の自分」の本質についてじっくりと考えてみたいと思っていたのである。そんな中で、偶然出合ったのが、『「本当の自分」の現象学』(山竹伸二著)という本だったのである。

 そこで今回は、著者の山竹氏が現象学的に解明した「本当の自分」の本質について、特に私が深く納得した内容の概要をまとめてみようと思っている。ただし、この内容はあくまでも本書の内容の一断面程度のものなので、もっと具体的な内容を知りたいと思われた方々には、ぜひ本書に目を通してほしい。私は、本書の内容にとても共感して納得することができたので、多くの人々も共通了解できるものだと確信している。

 

 まず、<序章 「本当の自分」とは何か>において、著者は自らの体験を踏まえて、「本当の自分」という観念は、無意識の欲望・不安として確信されたものが、自己意識に転化して生み出されたものだから、「本当の自分」の本質を解明するためには「無意識」の概念に焦点を当て、そこから掘り起こしてみる必要があると言っている。そして、その考察を進める中で、「無意識」への学問的関心が近代における理性主義への反動から生まれたこと、「無意識」に一般の人々が関心を抱くようになったのは近代に至って「自由」を手にしたこと、「無意識」の正しい解釈は確定できないことなどを明らかにしていく。その結果、私たちが問うべきは「無意識を了解すること」の本質ではないかという考えに至り、その本質を解明するために現象学の「本質観取」という独自の方法を使って「本当の自分」を求めてしまう根拠を明らかにしたいと表明している。

 

 次に、<2章 無意識の現象学>において、著者は実際に現象学の「本質観取」によって、「無意識」が日常の中でどのような意味を持つのかを具体的な手順を示しながら解明していく。その過程で、「無意識」とは自己了解であり、事後的に想定された自己像であるという認識に至る。さらに、「無意識」の存在確信につながる自己了解は、「身体現象」「他者関係」「承認欲望」といった三つの要因によって生じているという結論を得る。このことから、これら三つの要因は、「これこそ本当の自分だ」という確信を生み出す要因でもあることが分かったと明快に示している。

 

 以下、著者は「身体現象」「他者関係」「承認欲望」の考察を順次進めていき、「本当の自分」の本質に迫っていく。ここでその内容を追っていく作業を継続することは、今の私の時間的制約や体力的限界を考えると難しいので、とりあえず章立てだけを紹介すると、<2章 欲望と当為の自己了解><3章 相互幻想的自己了解><4章 他者の承認から自己承認へ>となる。これらのタイトルだけを見ても、どのような考察内容なのだろうかと知的好奇心が起きてくるのではないだろうか。ぜひ本書を手にして、自分の目と頭でその知的好奇心を満足させてほしい。

 

 最後に、本書の最終章<5章 自由と承認を求めて>の内容に少し触れておきたい。著者は、4章までの考察から、「本当の自分」を実感するような状況には二つあることが明らかになったと言う。一つは、親和的他者による愛情的承認が得られた場合であり、これは恋人や親友、家族等にありのままの自分を肯定された時に生じる「本当の自分」の実感。もう一つは、一般的他者の視点によって自分の行為の価値を自己承認できた場合に生じる「本当の自分」の実感である。そして、この二つの「本当の自分」は、「自由への欲望」と「承認への欲望」が深くかかわっている。言い換えれば、「本当の自分」は「自由」と「承認」という二つの本質契機を有しているのである。ここで重要なことは、「本当の自分」が最初からどこかにあるわけではなく、恋人や親友等に出会った結果として、あるいは自己価値を求めて努力した結果として、「本当の自分」の実感は生じてくるのである。「本当の自分」を探し求める人たちは、目的と結果を取り違えてしまっているのである。

 

 また、著者は次のようにも言っている。もし「本当の自分」を感じられない自己不全感から自分で抜け出そうと思うなら、親和的他者にばかり期待するのではなく、自分なりに価値があると思える行為に向かって歩み出さなければならない。「ありのままの自分」の価値を他者に承認してもらおうとするよりも、他者に承認してもらえるような努力をして、そこに自分の価値を見出す必要があるのだ。一般的な他者の視点から自分の行為の価値を熟考し、自分の行為が価値あるものだと自己承認できれば、自ら進んでその行為とその成果に向かって邁進できるだろう。そこに、自分の行為を自分で決めているという「自由」の感覚、自分の行為が一般的他者に「承認」されているという感覚が生じ、「本当の自分」の実感が得られるのである。

 

 私は、上述したような著者の文章の意味を20歳頃の山上容疑者が知り、自らのこれからの生き方について深く考え、その時の荒廃した気持ちを「本当の自分」を実感できるような方法へ切り替えていたら、今回の事件を起こすことはなかったのではないかと思う。彼の優秀な頭脳を、自分の行為が価値あるものだと自己承認できる方向へ向けて活かしていたら…と思うと、私は残念で仕方ない。安倍元首相のご冥福を心よりお祈りしつつ、今回の記事はここらで筆を擱きたい。

「分人」って、何のこと?~平野啓一郎著『わたしとは何か―「個人」から「分人」へ―』から学ぶ~

 例年よりもかなり早く6月末には梅雨が明け、厳しい暑さが連日続く中で7月に入った。私が当市の教育委員会特別支援教育・指導員として働き始めて、丸1年が過ぎた。現在、午前中は、派遣相談申請のあった学校へ出向き、何らかの「困り感」のある子どもの授業中や休憩時間等における様子や行動を観察したり、学級担任や特別支援教育コーディネーターの先生方から当該児に関する情報を収集したりして、それらの内容をなるべく詳細にメモに取って帰る。帰庁後は、そのメモを基にして当該児の受理簿(教育相談記録簿のようなもの)に必要な事項をパソコン入力する。午後になると、今度は既に行動観察等をしてきた子どもが在籍する学校へ出向き、16時頃から約1~2時間、先生や保護者との教育相談の場に臨み、帰庁するのは定時退庁の時刻を過ぎることが多い。このように体力的には結構ハードな毎日を過ごしている元教員の私だが、「やはり教育現場と直接的に関わる公共性の高い仕事は、私には合っているなあ。」と充実感をしみじみと味わっている。この仕事に挑戦してみて、よかった!!

 

 さて、そんな日々を送る中、私は暇を見出しては趣味の読書も細々と続けている。つい先日も、昼休みの時間を利用して市立中央図書館に出掛け、気になった本を数冊借りた。今回は、その中の1冊、『わたしとは何か―「個人」から「分人」へ―』(平野啓一郎著)を取り上げようと思う。本書の著者、平野氏については、番組名は失念してしまったがテレビで彼がインタビューを受けていた様子を視聴した時、小説家としての思想のようなものに惹かれてしまった。それで、図書館の書棚に並んでいた本書につい手が伸びてしまったという訳である。

 前回の記事(2022.6.23付)で、中国から輸入された「愛」という言葉に因んだ内容について綴ったが、本書で取り上げられている「個人」という言葉は明治になって西洋から輸入されたと述べられている。つまり、「個人」とは英語のindividualの翻訳なのである。individualは、in+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdividualに、否定の接頭詞inがついた単語である。この語の語源は、「(もうこれ以上)分けられない」という意味であり、したがって「個人」とは「分けられない」存在であるということを意味している。私が地元の国立大学教育学部附属小学校に赴任した当時、今から約40年前に20歳も年上の先輩から、以上のような説明を聞き、教育学者の上田薫氏が使っていた「個的全体性」という用語についても教えてもらった。また「知・情・意」という内面が分かち難く一体化している「個」、さらに「心(精神)・体(肉体)」が一如として存在する「個」という意味についても教えてもらい、「個人」という言葉の教育的な価値を認識したのである。

 

 私は子どもを「個」として尊重し、「個」として関わっていくことの大切さを知った。当時、「個」を断片化してはならないと常に意識しながら、教育活動を展開していた。しかし、その後、現代思想の洗礼を浴びて、人間に対する認識における「実体主義」から「関係主義」への転換に伴って、「個」も環境や他者との関係性によってとらえていく視座を得た。また、相対主義的思考による「本当の自分」というとらえ方にも懐疑するようになり、「個」や「自分」の多様性や複雑性に着目するようになったのを記憶している。

 

 本書では、このような問題、言い換えれば分けられないという意味の「個人」に関する問題を考えるために、「分人(dividual)」という新しい造語の単位を導入しようと提案している。もう少し説明すれば、「分人」とは、対人関係ごとの様々な自分のことであり、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されていくパターンとしての人格のことである。たった一つの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」なのである。「分人」とは、そのようなとらえ方から生まれたものである。

 

 著者は、「分人」という意味をより分かりやすくすると、「個人」を整数の1とするなら、「分人」は分数だとイメージしてほしいと言っている。また、私という人間は、対人関係ごとにいくつかの「分人」によって構成されており、その人の個性というのは、その複数の「分人」の構成比率によって決定される。さらに、「分人」の構成比率が変われば、当然、個性も変わる。そもそも個性とは、決して唯一普遍のものではなく、他者の存在なしには決して生じないものであるとも言っている。

 

 私は著者の「分人」というとらえ方は、メディアが発達し、人間関係がますます複雑化する現代において、多くの人がアイデンティティに思い悩み、自分はこれからどう生きていくべきかを問わざるを得ない現状を踏まえると、大変に有効なものではないかと思った。本書の中には著者の様々な小説のテーマが、この「分人」というとらえ方から設定していることに触れていて、とても興味のある切り口になっていると感じた。私は平野氏の小説を読んでみたくなった。そう言えば、私の幾つかの小さな本箱の中の一つに『マチネの終わりに』という文庫本が積読状態で、私に読まれるのをじっと待っている。寝床の次の友は、この本にしようかな…。

日本には「愛」が存在しなかった?!~長谷川櫂著『俳句と人間』から学ぶ~

 私は、「プレバト!」というテレビ番組をよく観る。特に、梅沢富美男氏や東国原英夫氏などの芸能人がお題に沿って創作した俳句を、講師役の夏井いつき氏が「才能あり」「凡人」「才能なし」とランク付けし辛口で批評する俳句査定のコーナーが好きである。俳聖・正岡子規と同郷でなおかつ出身小学校までもが同じでありながら、今まで苦手意識から俳句に対して距離を取っていた私にとって、当番組は俳句をより身近に感じさせてくれた。もちろん夏井氏の批評ポイントが絶対的な基準とは言えないかもしれないが、俳句作りにおける一つの着眼点としては面白い。「散文的な説明の言葉は必要ないのか。」とか「場所や場面等の映像化が大切なのか。」とかと呟きながら、私はバラエティー番組として楽しむ中で俳句作りの方法を結果的に学んでいる。

 

 そんな私だが、今から10年ほど前にも一時的に俳句に関心を高めた時期があった。それは元教員のある先輩から紹介された『震災句集』(長谷川櫂著)を読んだことがきっかけになった。この著書は、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故後にまとめられたものであり、俳句に込められた作者の長谷川氏の魂に触れた私は、原発事故に対する自分自身の意識の低さや姿勢の甘さを問われたような気になった。彼の俳句がもつ言葉の力には、圧倒されるものがあった。それ以来、私は俳句についてもう少し勉強してみようと、彼の他の著書『俳句の宇宙』『決定版 一億人の俳句入門』『俳句的生活』『和の思想―異質のものを共存させる力―』等を読んだ。その中で、私は俳句だけでなく、散文的文才に溢れた彼のエッセイも好きになった。

 

 そんな経緯があって、先日たまたま市立中央図書館へ出掛けた際に、彼の最近のエッセイ集『俳句と人間』が目に留まり、私は『生きていくうえで、かけがえのないこと』(吉村萬壱著)と共に借りたのである。本書は、長谷川氏が皮膚癌の宣告をきっかけに人間の「生と死」について考えた思索の記録であり、来世など期待せず、今いるこの世界で納得のゆくように生きようという主張をテーマにして綴ったエッセイ集である。そこで今回は、本書を読みながら私がハッとしたことの一つ、日本における「愛」のとらえ方について綴ってみたい。

 著者は本書の「第3章 誰も自分の死を知らない」の中で、日本人は古代の和歌から現代の歌謡曲まで連綿として恋を歌い続けてきたと述べ、恋の震源として国産み神話の伊邪那岐伊邪那美の問答、『後拾遺和歌集』から和泉式部の三首の歌を紹介している。そして、日本人は古来より男も女も恋の達人であり猛者であったのに、一方、「愛」となると日本人ほど疎い人々も少ないことを指摘し、その理由としてこの国にはもともと「愛」などなかったからだと断定している。

 

 日本には「愛」が存在しなかった!私の頭は???となった。…著者はその理由を「こい」は訓なのに「アイ」は音だからであると言う。つまり、「こい」という言葉は中国から漢字が伝わる前から大和言葉としてあったが、「アイ」は漢字の「愛」の音として中国からはじめて伝わったと…。でも、「愛でる」という言葉があったのではないかと、私の疑問は続く。…それに対して、著者は言う。確かに古くから「愛」の字を「めでる」「いつくしむ」「いとしむ」「かなしむ」などと読ませることはあるが、それはただ大和言葉に「愛」の字を当てただけのことであり、もともとそれらの大和言葉は主に親子や男女の間の「こい」に近いこまやかな感情を表す言葉だった。これらの言葉では、「愛」という字の壮大な世界を表わすことは到底できないと…。

 

 では、現代に生きる私たちが普通に「愛」ととらえるような感情の実体を、古代から中世までの日本人はもっていなかったのか。…著者はそれを肯定した上で、王朝中世の歌人があれほど恋に執したのに、「愛」が一度も歌に詠まれなかったのはその一例に過ぎないと述べている。さらに、古代のこの欠落が長く尾を引いて日本人はいまだに「愛」の意味がよくわからないのではないかと、アイロニカルな表現を使って現代日本人の感情の在り方までも非難している。新しい言葉の誕生によって世界のとらえ方が変わることは、明治時代に欧米の原語を日本語に翻訳した際にも確かにあった。私は、「愛」という言葉が中国から伝わってきてから、日本人も「愛」という感情を次第に意識し対象化してきたのかもしれないと思い直した。

 

 当ブログの以前の記事(2019.11.14付)で、私は『愛』(苫野一徳著)を取り上げ、著者による「愛」の哲学的本質洞察(現象学的本質観取)によって得られた「愛」の本質について綴ったことがあったが、日本人の彼がこのような思考ができるようになるぐらい我が国において「愛」という感情が根付いたのであろう。このたった百数十年の間に・・・。それにしても、「愛」という概念の由来が中国だとしたら、中国では「愛」の本質が三千年も前から脈々と流れていたのであろうか。私は、またまた連鎖する疑問の前にたじろいでしまった。さて、この疑問についての解答を得るためにはどのようにして調べたらいいのか。もしヒントになることを知っている読者の方がいれば、ぜひコメント欄にてご教示願えれば幸いである。

「食べる」ことについてちょっと考えた~吉村萬壱著『生きていくうえで、かけがえのないこと』を読んで~

 『生きていくうえで、かけがえのないこと』という本を当ブログの以前の記事(2021.8.19付)で取り上げたことがある。ただし、その時の著者は批評家の「若松英輔」氏であったが、今回は芥川賞作家の「吉村萬壱」氏である。なぜ二人が同じタイトルの著書を発刊したかというと、亜紀書房ウェブマガジン「あき地」の中の「生きていくうえで、かけがえのないこと」という連載を二人が担当し、それぞれ10個(計20個)の動詞を選んで同じテーマでエッセイを執筆したものが元になっているからである。前回は同タイトルの若松氏のエッセイ集を読んだのだが、その際は吉村氏のものは読まなかった。私は「吉村萬壱」という小説家が芥川賞を受賞したことぐらいは知っていたが、まだ彼の作品を読んだことがなかったので身近に感じていなかったのである。

 今回、市立中央図書館でたまたま見つけて、『俳句と人間』(長谷川櫂著)と共に借りてみた。そして、一気に読み通した。「あき地」に連載された20編に、新たに書き下ろした5編を加えた彼のエッセイは、鋭い感性と豊かな知性、そして飾らない人柄を感じさせるものだった。私は久し振りに珠玉のエッセイ集に出合った気分を味わうことができた。そこで、今回はその中から「食べる」という動詞をテーマにしたエッセイを取り上げて、私なりに考えたことを綴ってみようと思う。

 

 著者は「食べる」というエッセイの中で、自分は空腹に対する耐性は弱いが、食べることへの関心が低いまま大人になったと書いている。私もやはり空腹には弱く、少しでも空腹感を覚えたら、食事の時間までそれを耐えることが大変辛くなる。そうは言っても、勤務中は当然それを満たすことは我慢するが、帰宅後は夕食前でもつい駄菓子を口の中に放り込んでしまう。肥満、引いては糖尿病等にならないように食生活には注意しなければならないので、間食はよくないと頭では分かっていながら、好物の「おかき」とか「芋菓子」などをつい食べてしまうことがある。少量にするように気を付けてはいるが、この食習慣は止めなければ…。

 

 ところで、私の唇の右上には小さなほくろが一つあり、小さい頃にある人から「その口元のほくろは、一生食べ物には困らない印だよ」と言われたことがある。それ以来、私は何の根拠もないその言葉を信じてきた。だからという訳ではないが、今までの人生を振り返ってみれば、日々の生活において基本的にひもじい思いをした覚えはない。もちろん決して贅沢な食事ではなく人並みのものであったが、それだけでも有難いことである。長じて公立学校の教員になり、職場の歓送迎会や忘年会等の恒例の宴会に出たり、たまに出張先で同僚と外食をしたりする機会が増え、多少贅沢な食事の味を覚えてきたが、それでも高価な食事にはあまり興味は起きなかった。元来、私は食に対して保守的なのである。でも、これは私の貧乏性の性格から来ているのかもしれないが、質素な食事でも空腹が満たされるなら、それで十分だと思っている。

 

 著者は、人類は常に餓死に苦しみ続けて来て、現代においても飢餓は常態であり、世界の半分が飢えていると指摘している。また、食糧は限られていて、その配分は世界の中で大きく偏っているという事実を述べている。さらに、私は現在の世界の食糧事情について思いを馳せる…。今、ロシアによる長期的な軍事侵攻により、小麦の世界的出産地であるウクライナからの発展途上国への輸出が滞っており、世界的な食糧危機が起きている。日本においてもその影響をもろに受けて小麦価格が高騰して、小麦を原料とするパンや麺類等の食品の値上がりも相次いでいる。経済のグローバル化現象は、食糧危機問題を起こす要因として大きな比重を占めていることを実感する。このような現状を鑑みれば、「美味いとか不味いとかの前に、まず飢えないこと、という重要な前提がある。その前提を忘れた時、我々は再び飢えの時代を迎えるに違いない。」という著者の言葉は、今まさに意識すべきことである。

 

 私の二人の男の孫たち(満5歳のHと満1歳のM)は、今のところ食物アレルギーはなく、何でもよく食べる。食に対する意欲は旺盛なようなので、一安心。昨日、都合により長女の代わりにHを保育園に迎えに行き、夕食をじじばば宅で食べさせることになった。Hは、妻の用意した夕食をぺろりと平らげ、デザートのスイカも大喜びで食した。Hが美味しそうに食事をしている姿を見ると、それだけで私たちじじばばはつい頬が緩んでしまう。「このまま健やかに成長してほしい」という一心である。生命は尊い、特に幼く若い生命は未来を担う宝物である。この子たちがせめてひもじい思いをするような社会や時代にしてはならない。私は「食べる」ことについて考えながら、改めて大人の責任、国家の指導者の責任、政治の責任の重大さを感じざるを得なかった。

「未来への責任」を問う倫理学の全体像について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ④~

 なかなか筆が進まない。つくづく自分の理解力と文章力の乏しさを痛感する。しかし、老年を迎えて認知機能の衰えを少しでも遅らせようと始めたブログ記事の執筆。自分の課題意識に即して読んだ(インプットした)本を取り上げ、その内容概要や読後所感等を綴っていく(アウトプットをする)雑学スタイルを基本にすると決めた初心を忘れず、何とかここまで足掛け5年にわたって続けてきたので、今さら根を上げてしまうのは情けない。週5日でフルタイムの勤務をしながらの読書とブログ記事の執筆は、たとえ趣味の領域といっても高齢者の仲間入りしている身では時間的・体力的にキツイ。しかし、カメの如き歩みであっても続けていきたいと思っている。…何だが、遅筆の言い訳じみた書き出しで駄文を弄してしまった。トホホホ…

 

 さて今回は、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)から学ぶシリーズの最終回(第4回)である。ヨナスが構築した「未来への責任」を問う倫理学の全体像について、本書の「第6章 未来への責任について 倫理学Ⅱ」の内容を要約しながら素描してみようと考えている。なかなか要領を得ない要約になってしまうかもしれないが、これも我が身のためだと思い自分なりの能力レベルで綴っていこうと思っているので、ご容赦願いたい。

 前回までにまとめた内容のポイントを簡単に確認しておこう。未来世代への責任を説明するためには、伝統的な倫理学の概念ではなく新たな「責任概念」の基礎づけが必要だと、ヨナスは考えた。そのわけは、今ここに存在しない者への責任を説明しないといけないからである。そして、この説明が可能な理屈として、未来世代の存在そのものが善いからと考え、それに先立って存在と当為を結びつけることができる存在論を「哲学的生命論」から説明することを試みた。その結果、「責任概念」が責任の主体と対象という2つの要素から成り立っており、前者が人間、後者が生命として特徴づけられるという知見を得たのである。

 

 ここで改めて考えてみると、責任が成り立つためにはそこに人間が存在しなければならないことになる。なぜなら、責任の主体になれるのは人間だからである。この責任の主体=人間の等式が成り立つ限り、責任の可能性=人類の存続可能性という等式も成り立つことになる。つまり、人類の存続は、責任が成立するための可能性の条件なのであり、単に人類という生物種に対する責任であるだけでなく、「責任の可能性の責任」になるのである。このことは、人間という責任の主体が存在しなくなれば、責任という現象そのものが成立しなくなるということ。また、責任が成立する時には、同時にその可能性の条件としての人類の存続への責任も課せられているということを意味しているのである。

 

 では、上述した人類の存続への責任の基礎づけから、ヨナスはどのように「未来世代への責任」を基礎づけたのであろうか。簡潔に言えば、彼は未来世代を直接的に責任の対象にするのではなく、「責任概念」の論理的な要請として人類の存続への責任を導き出し、その責任を実現するための具体的な実践として、未来世代への責任を基礎づけたのである。そして、この基礎づけを「ある特定の責任の義務、つまり人間の未来に対する責任の義務を、責任という現象それ自身から形而上学的に演繹する」ものとして提示し、それを「形而上学的演繹」と名づけた。

 

 ヨナスによるこの基礎づけの最大の特徴は、その責任があくまでも責任の可能性の存続という観点から説明されているということである。最も重要なのは、この世界に責任の可能性が開かれ続けていることであり、そのために責任能力をもった主体が存続し続けること。したがって、人類の存続への責任とは、人間があくまで責任の主体として、責任能力を保持した生き物として、いわば「人間らしく」存在することを義務づけるのである。だからこそ、未来世代への責任として、現在世代が配慮すべきことは、未来世代が責任の主体として存在できるようにすること。そして、責任能力に求められる自由を失わないでいることなのだ。

 

 では、未来世代が自由であることへの責任とは、どのような自由に対する責任なのであろうか。ここで重要なのは、「哲学的人間学」である。ヨナスは、人間の本質を「像を描く」自由として性格づけ、それによって自分自身を反省する能力の内に見出していた。ここ言う反省とは、この世界と自分の関係を、そしてこの世界において自分がどこに位置づけられるのかを理解しようとすることである。そこで不可欠の役割を果たすのが、「人間像」という概念。人間は、「人間像」を介することによって、自分自身への理解を深めることができる。ただし、「人間像」は像がそうであるように無限に多様であって、そのどれか一つが真理であると考えることはできないのである。つまり、反省は無限の多様性に開かれており、人間の自己理解を制約するものは何もない。したがって、未来世代が自由であることへの責任とは、未来世代もまたこうした無限の可能性へと開かれていることへの責任と理解できるのである。

 

 以上が、ヨナスが構築した「未来への責任」を問う倫理学の全体像の素描である。彼は、「哲学的生命論」と「哲学的人間学」を理論的前提とし、それらを応用することによって「形而上学的演繹」という論証を提示している。著者の戸谷氏は「それが彼の未来倫理に、単なる科学技術文明への対症療法を超えた、哲学的な深さと奥行きを与えている。」と高く評価している。テクノロジーの課題に取り組むためには、存在、生命、人間といった、より根源的な問いと向かい合わなければならないのである。私もここ4回の『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)から学ぶシリーズの記事を綴りながら、同様の感想をもった。本書は、この後、ヨナスの未来倫理における「神」の問題も考えた論考が所収されているが、この点については私自身の課題意識が希薄なために、その概要をまとめることは私の能力では難しいので割愛する。

 

 最後に、著者は「おわりに」において、気候変動問題やそれに関連する「SDGs」(持続可能な開発目標)の話題を取り上げて、「人新世を生きる私たちだからこそ、自然と人間の関係を問い直し、ここから未来世代への責任を基礎づけたヨナスの哲学は、読み直されるに値する」と、彼の哲学・倫理学の今日的意義を強く訴えている。私は以前に当ブログの記事(2021.2.7付)で、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)を取り上げて、資本主義の下での経済成長を前提として豊かな生活を続けながら「SDGs」による取組を実践しても、それは一時しのぎのアリバイ作りにしかならず、人新世において「気候変動による地球環境の破壊⇒人類の滅亡」は一層進むことになるという著者の主張を紹介した。今でも、私はこの主張内容には首肯するのだが、その前提として「自然と人間の関係」について深く考えることが必要だと、ヨナスの哲学・倫理学について学びながら思った。そういう意味で、多くの市民にとって本書は必読の書だと強く感じた。

存在と当為を結びつける「責任」という概念について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ③~

 いよいよ今回から2回続けて、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)を再読しながら、彼が独自に構築した倫理学の全体像の概要をまとめてみようと思う。ヨナスは、前回までの記事にまとめた「哲学的生命論」と「哲学的人間学」を理論的基盤にして、「未来への責任」を問う倫理学を構築した。それは、現代の科学技術文明において自明視されている没価値(善いとも悪いとも言えない)的な存在論とは異なる、存在と当為(「~するべし」という規範)を接続し得る存在論の可能性を切り開くものであった。そして、彼は存在を根拠とする当為の概念を「責任」と呼んだのである。

 

 そこで今回は、まずヨナスの倫理学におけるキーコンセプトとも言える「責任」という概念について、本書の「第5章 責任について-倫理学Ⅰ」の内容を要約する形でまとめておきたい。

 

 ヨナスは、応答を示唆する概念である「責任」が成立するためには、応答をするもの(責任の対象)と、応答するもの(責任の主体)という2つの要素が揃っていないといけないと考えた。では、どのような存在がその要素としての条件を満たすのか。まず責任の対象たり得る存在は、何らかの絶対的な価値=善を現実化することを要求し、その要求を表現する存在であることが求められる。そして、その表現を認識した者(責任の主体)にとって、この善の現実化への要求は一つの当為になる。このようにヨナスは考えたのである。つまり、彼は道徳の本質を近代以降の倫理学のように行為を従う原則(ルール)のうちに見出すのではなく、その行為によって影響を受けることになる存在から説明しようとしたのである。

 

 上述のように、ヨナスによれば責任の対象は善であり、それは自らが現実化することへの要求を表現し、その表現が当為の根拠になる。彼はこの当為を喚起する表現のことを「呼び声」と呼び、善の「呼び声」は「私」を襲い、「私」に応答することを強いると考えた。つまり、「責任」は目の前にいる対象から応答を強いられるような形で喚起される。また、こうした観点から、「責任」とはこの「呼び声」に対して応答するという義務であると考えられる。これこそ、彼が明らかにした責任の形式的な構造なのである。

 

 次に、彼がこの世界において実際に責任の対象になり得るものと考えたのは、「生命」であった。もしも責任の根拠であるような善がこの世界に姿かたちを伴って存在しているのだとしたら、「生命」以外に考えられない。「責任の対象は生命」、これが彼の責任概念の基本的な命題なのである。ただし、生命であれば人間に限定されず、どのような存在でもよい。責任の主体と責任の対象の間に何らかのコミュニケーションが成立している必要はない。彼が考えている責任概念は、民主主義的な意思決定によって交わされるそれとは根本的に違い、非相互的な関係の間でも成立する概念に他ならないのである。

 

 だだし、ヨナスは生命が実際に道徳的配慮を受けるための条件を二つ挙げている。一つは、その生命が「傷つきやすいこと」。もう一つは「私の行為の圏域に入り込んでおり、私の力に晒されているということ」である。言い換えれば、「私」には傷つけられない生命や「私」よりもはるかに強力な生命は、「私」の責任の対象にはならないのである。これらのことから、責任の主体と対象は脅かす/守るものと、脅かされる/守られるものという関係にあると言える。責任の主体は常に強者であり、その対象は常に弱者であり、両者は非相互的な関係にあるだけでなく、同時に不均衡な力関係に置かれていると考えられるのである。

 

 ここまで、責任の対象に関するヨナスの分析について述べてきたが、では、最後に責任概念を構成するもう一つの要素である責任の主体について、彼が考えた内容を簡潔にまとめて今回の記事を締めくくろう。

 

 責任の主体とは責任を負うところの者であり、この主体に特有の能力を彼は「責任能力」と呼んだ。そして、この「責任能力」を「呼び声」に対する「受容の可能性」として解釈した。つまり、それは「呼び声」を聴くことができるという力ということ。また、道徳性をめぐる可能性に開かれているということ。さらに、私的な利害からの自由を前提にしているということでもある。そして、この私的利害からの自由をもつ生命は、人間に限定されると考えた。人間は自分の生命が脅かされている状況においても、他者の「呼び声」に耳を傾けることができるから、人間だけが責任の主体として認められると彼は考えていたのである。

 

    このようにして、ヨナスは責任概念の基本的な構造を明らかにした。しかし、それはかなり抽象的な印象を与える。そこで、かれは今までの議論に直感的な確かさを与えるために、一つの具体例として提示した。それが、「乳飲み子」への責任である。「乳飲み子」は、極めて脆弱な存在であり、放っておいたら死んでしまう存在であるという意味で、責任の対象として最も代表的な存在である。それゆえ、「乳飲み子」は周囲に対して「呼び声」を発し、「私」はその「呼び声」を聴いた時、その「乳飲み子」に対して責任を負う。つまり、「乳飲み子」の存在自体が善いものであるから、「私」は保護をするのである。しかし、その行為は自分にとってデメリットがある場合もある。それにもかかわらず、その「乳飲み子」を守ろうとする時にこそ、人間は自らの私的利害を超えた自由を、つまり「責任能力」を発揮することになる。ヨナスは、こうした「乳飲み子」への責任をあらゆる責任の原型として位置付けているのである。

 

 次回は、この「責任概念」を応用する時、ヨナスは「未来世代への責任」をどのように説明しているかをまとめようと思う。また、しばらくの時間的猶予をいただきたい。

「未来への責任」を問う倫理学のもう一つの理論的基盤「哲学的人間学」について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ②~

 前回に続いて、「ハンス・ヨナス」が構築した「未来への責任」を問う倫理学の理論的基盤について綴ってみたい。前回はその一つ「哲学的生命論」の内容の概要をまとめてみたが、今回はもう一つの「哲学的人間学」の内容について、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)を再読しながら、その概要をまとめてみようと思う。前回も書いたように、ヨナスの理路はなかなか複雑なので正確に理解するのは難しいのだが、私なりに消化したレベルで要約していくしかない。この点、くれぐれもご容赦願いたい。

 

 さて、ヨナスは生命の進化のプロセスを、自由が増大していく過程として解釈し、人間を最も自由な生物種として説明しようとする。これが彼の「哲学的人間学」の基本的な発想である。彼は人間とその他の動物の本質的な違いを明らかにするためにある思考実験を行い、その結果に基づいて人間の条件を「像を描く」という能力のうちに見出す。その理由は、「像を描く」能力は無益であり、役に立たないからである。つまり、人間を動物から隔てる本質とは有益性からの自由だと彼は考えたのである。ヨスナはこのような人間観を、ラテン語で「描く人」を意味する「ホモ・ピクトル」と呼んでいる。

 

 では、「像を描く」ということは、どのような形で自由を発揮することになるのか。彼は人間に固有の自由のあり方を突き止めるために、まず「像」という概念が成り立つには「像」と「像として描かれた対象」の区別があることを指摘する。そして、この二つにおいては類似の完全性がない。このことは、より自由な表現の可能性を開くことを意味する。つまり人間はモデルが実際に存在するあり方にとらわれることなく、自由な想像力によって豊かに表現を行うことができるのである。このことはまた、一つのモデルから無限に多様な像が描き出されることを含意する。そうなのだ。像はたった一つの像だけが絶対的に真理であるなどということはないのである。ヨナスは、ここに「代謝」の自由から区別される人間の自由の独自な次元が存在すると考えたのである。

 

 ところで、ヨナスは生命の進化を自己の先鋭化の過程ととらえていたが、この「像を描く」自由も何らかの形で自己の先鋭化に関係していると考えた。人間は自分以外の対象だけでなく、自分自身を像として描き出し、自己を客体化することができる。この像こそが「私」に他ならない。ただし、この「私」は「私」を描き出す自己と一致するわけではない。自己客体化は、自己との不一致を構造的に伴うのである。だからこそ、人間は「私」を多様な形で描き出すことができる。この意味において、自己客体化は自分自身を不確定な存在として、多様なあり方をする存在として理解することができるのである。ヨナスはこのような形で、像を描く自由は、人間の自己意識の先鋭化に寄与すると説明したのである。

 

 

 また、世界との関係から自己を客体化するということは、「私」を様々な他の像に包み込まれたものとして想像することを可能にする。その中で彼が決定的に重視するのが「人間像」であり、それを人間の行為や判断を導く規範的な役割を担う「人間という理念」という概念として語っている。ただし、それは一つの像である以上、常に無限の多様性に開かれている。このことは、「人間像」は変化しうるということ、つまり人間には既成の人間像に対して、別の新しい人間像を打ち立てることができるということを意味する。彼はこうした人間像の移り変わりを「歴史」として説明するのである。

 

 さらに、人間像を描き出すということは、人間がそのうちに位置付けられるような、この世界の全体の想像を伴うものである。この営為が宗教や倫理学形而上学等、人間の思想的営為を駆動させていく。そして、この営為によってもたらされる人間像の変移こそが、他の生物種の進化から区別された人間の「歴史」を作っていくと、彼は主張する。言い換えれば、人間像の形成には、存在との自由な出会いの能力が必要であり、その自由が展開される場が「歴史」なのである。彼のこの独自な「歴史」の定義には、人間の普遍的な本質としての自由(人間像を描く能力・存在との出会いの能力)と、その自由によって描き出される無限に多様な人間像という二つの概念構造が示されており、いわゆる進歩史観から一線を画す相対的なものとして性格付けられるのである。

 

 以上のようなヨナスの「哲学的人間学」から導き出される「歴史」の概念は、いかにして過去の理解を可能にしていくのであろうか。その答えを簡潔に言えば、過去を現在に還元するのではなく、現在を生きる人間が過去の人間像と接することによって今を生きているだけでは決して見出されることがなかった可能性が開かれるということである。その理由は、彼の哲学において「人間が普遍的に像を描く自由をもつ」と想定されているからである。彼の「人間は人間像を生きている」という言葉は、別の人間像の可能性を生きると言うことなのである。

 

 最後に改めて確認しておきたいことは、彼の歴史思想が「像」概念をめぐる分析に基づいて形成されているということ。「像」が存在論的な不完全性をもち、常に別の「像」も可能であるという形で描かれているからこそ、「像」には無限の可能性が開かれているのであり、そしてそれらの「像」は全てが等しく真理なのである。こうした「像」の構造に基づく彼の歴史思想は、いずれかの時代の人間像だけか絶対的に真理であるという歴史観を排除するものである。言い換えれば、それは異なる時代の間に優劣があることや、ある特定の時代同士の関係を目的-手段の関係としてとらえることを拒絶するものであり、いわゆる進歩史観を取らないのである。

 

 次回は、前回と今回取り上げたヨナスの「未来への責任」を問う倫理学の理論的な基盤である「哲学的生命論」と「哲学的人間学」の思想を踏まえながら構想した倫理学の全体像についてまとめてみようと考えている。また、私なりに消化するまでに時間がかかりそうなので、しばらく時間をください。